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「この色は何から取り出したんですか」
「桜からです」

と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

『言葉の力』大岡信

 大岡はそしてドイツの詩人ノヴァーリスの詩をひく。

 

すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。

ノヴァーリス「断章」

 

 こんな話を佐藤貞樹が「高橋竹山に聴く 津軽から世界へ」(集英社新書)で紹介していた。佐藤が書きたかったのはもちろん、竹山の三味線の秘められた核心についてだ。

 

津軽の三味線をきけば、そこに津軽があらわれてくるような音、匂いを出したいものだ。津軽の三味線には津軽の匂いがあるはずだ。

高橋竹山「自伝」

 

 佐藤は記す。

 

ノヴァーリスの表現を借りれば、竹山があらわしたいと思う音―――そこに津軽があらわれてくるような音―――は、「津軽の真実の核心・・・・竹山の生まれ育った土地の歴史であり風土であるものから匂いたつもの」に付着している。竹山の三味線から聞こえる音は、聞こえないもの―――津軽の実体―――にくっついているのだ。私には聞こえないその音が竹山には聞こえていて、竹山はそれを、絶えず聴こえる音としてとり出したい(匂いを出したい)と求めてきたのだと思う。

 

 もういちどノヴァーリスをひく。

 

すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。

 

 もちろんわたしが思っているのはあの3.11からのうまく咀嚼しきれない苦々しい思念についてであり、わたしたちは結局、誰もが、見えるもののことしか思いを馳せなくなった、それがすべてだと信じ込むようになってしまったそのことが痛々しい。ことばでも、おとでも、ふうけいでも、みえないきこえないかんじられない「樹木全身の色」をわたしたちはうしなっていた。とくいげにはなびらをつまんで、これがせかいのすべてだと、うそぶいていた。

2012.2.27

 

*

 

 確かいま社会で習っている琵琶湖の環境の話から風呂でブラックバス、人間の身勝手さ・・・ という話になって最後にナルニアの国の始まりの話に移っていった。始まりというより、ナルニアによって「選ばれた」子どもたちの話だ。アスランはナルニアの国へ迷い込んだ子どもに(たしか)こんなことを言う。わたしがおまえを呼んだから、おまえはここへ来たいと思ったのだ、と。風呂上りの上気した顔といつになく熱を帯びた口調で、子はついでこんなことをとつとつと言葉を選んで話す。わたし、いつも思うの。この扉をあとほんの数十秒遅く開けていたら、ナルニアの国へつながっていたんじゃないかって。ナルニアへ迷い込んだ女の子が「あなたはわたしを食べる?」と訊いたとき、アスランは「わたしは世界も人々もみな呑み込んだ」って、それがただ現実だから言ったみたいな言い方で答えたの。すごいでしょ? ほんとうにアスランに会ってみないと分からない感覚がきっとあるんだと思う。それはたぶん言葉ではとても表現できないんだと思う。ああ、わたしはアスランにとても会いたい。いつか会えると思っている。子の話がおわってから、わたしはすこしだけ話をつぐ。エンデさんがね、こんなことを言っていたよ。新しい自転車だとか、ゲームだとか、家だとか、欲しいものをがんばって働いて、お小遣いをためたりして、自分の力で買うことはできる。でも自分の力だけでは手に入れられないものが世の中にはある。プレゼントをされないと手に入らないものがある。そういうものは、プレゼントをうけとるものは、それをうけとるにふさわしい態度をしているだけでいい。おまえの言ったアスランの話にちょっと似ているね。じぶんがナルニアへ行きたいと思ったその気持ちは、じつはアスランが呼びかけて心の中に生れたものだという。でもアスランがせっかく呼びかけているのに、その子には聴こえないこともあるだろうね。「そうよ」と子が言葉をはさむ。だからアンドル伯父はさいしょ、ライオンが喋るわけはないってつよく思い込んでいたから、アスランがいくら話しかけても、そのアンドル伯父にはふつうのライオンのうなり声しか聞こえてこなかったの。長いこと、ね。

 アイリッシュ・グループのクラナド(Clannad)が歌う Down By The Salley Gardens の調べをなんどもリピートで聴いていても、まだ足りない。この曲はイェイツが「スライゴ州Ballysodareの村の農婆がよく一人で歌っていた不完全に記憶された3つの詩行から古い歌を復元する試み」として 1889年に彼の詩集 The Wanderings of Oisin and Other Poems に収められた歌の断片を基にしている。この曲の調べの先にわたしが感じている気配と、子が待ち望んでいるナルニアへつながる扉の出現とは、ひょっとしたらおなじ類のものなのかも知れない。

2012.3.2

 

*

 

 

Down by the salley gardens my love and I did meet;
She passed the salley gardens with little snow-white feet.
She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree;
But I, being young and foolish, with her did not agree.

In a field by the river my love and I did stand,
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand.
She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs;
But I was young and foolish, and now I am full of tears.

(Down by the salley gardens ・ William Butler Yeats 1889)

 

柳の園のちかくで ぼくらは出会った
雪のように白く可愛らしい足を見せ あの人は柳の園を抜けてきて
こう言ったものだ 「もっと気楽に恋をしましょう
木々に葉っぱが芽吹くように」
けれど若く愚かだったぼくは うなずくことができなかった

川辺のくさはらに ぼくらは立っていた
あの人は雪のように白い手を ぼくの肩にしなだれて
こう言ったものだ 「もっと気楽に生きましょう
堰に水草が茂るように」
けれど若く愚かだったぼくは いまでは 涙があふれてやまない

まれびと訳

 

 

Salley Gardens: 柳の園。スライゴー Sligo で WBY(イエイツ) がよく出かけたギャラヴォーグ Garavogue 川の土手で、インペリアル・ホテル Imperial Hotel (1987年廃業)のあたりの柳の土手の並木(ここで WBY は老婆から俗謡「柳の園の近くで」 ”Down by the Salley Gardens” を聞かされたという)を指すという意見などがある。アイルランドでは、そのほかにも柳の園と呼ばれる場所があちこちにみられる。

鈴木弘『図説イエイツ詩辞典』(本の友社、1994)

 

 

柳の苑のほとりにて戀人とわれと相見ぬ。
ま白の足もらうたげに柳の苑を過りつつ、
その戀人の云ひけるは、木に生ふる葉とも戀こそ面白けれ。
されどわれ、若く愚かに、その時之をうべなはず。

川のほとりの野邊にしも戀人とわれ佇みぬ。
やがて寄り添ふわが肩の上にま白の手を措きて
その戀人の云ひけるは、堰に生ふる草とも人生こそ面白けれ。
されどわれ、若く愚かに、悔恨をしも今にのこしぬ。

山宮允訳『イエイツ詩抄』(岩波文庫1946)

 

 

 うつくしいクラナド(Clannad)の演奏が正統派だとすれば、「Charlie Haden Family & Friends / Rambling Boy」で Charlie Haden の奥さんである Ruth Cameron がしみじみと、ひと息ごとに思いをつぎながら歌うようなこの Down by the salley gardens は、おそらくこの歌の核心のもっとも近くに触れているように思う。「若く愚かだった」かつての青年は、いま荒涼とした海辺の掘っ立て小屋のような独居で、しずかに人生の幕を閉じようとしている。年老いたかれの胸に去来するのは、甘美な思い出。鉱物の一瞬のきらめき。波のように激しい痛苦と悔恨。ついに未完であったがゆえに永遠なる似姿。だからこの歌のほんとうの魅力にはそんな、人の一生の不可思議さとおなじ昏さとせつなさがある。

2012.3.4

 

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 BBSに Down by the salley gardens ばかり並べていたら、きはらさんが「初恋」と題されて日本語で歌われている Down by the salley gardens を載せてくれた。坂庭省悟(さかにわ しょうご)は高石ともや&ザ・ナターシャーセブンに在籍などしていた関西フォークシーンの旗手的存在云々と Wikipedia の解説にあるが、わたしはほとんど知らなかった。けれどユーチューブの映像でのその声、面構えに妙に腑に落ちるものを感じて、幾度かリピートし、気がつけばかれのオリジナル・レーベルのサイトで「初恋」の収録されたアルバム「Hobo's Lullaby」を注文していた。惜しくも2003年、53歳の若さでがんに倒れた坂庭の、それは遺作アルバムである。ちなみにこのユーチューブ動画で華麗なギターを添えている城田じゅんじも、おなじザ・ナターシャーセブンのメンバー仲間であったが2004年、同棲していた女性を口論から殺めてしまい、懲役5年の実刑判決を受けて服役している。この人は日本のバンジョー奏者の草分け的存在でもあるそうな。わたしの知らない人生の軌跡がまた転がり込んできた。

 

柳ゆれる庭の 美しい人よ
通り過ぎた素足の 白さばかり残る
春の花匂うままに 心 奪われ
想い届かぬ恋よ 初めての人よ

川のほとりゆけば 夏の日が暮れる
肩に触れたその手の 白さばかり残る
夏草の騒ぐままに 心奪われ
想い届かぬ恋よ ただ涙ばかり
想い届かぬ恋よ ただ涙ばかり

坂庭省悟「初恋」

 

坂庭省悟オフィシャルホームページ shogobrand.com http://www.shogobrand.com/

Palm Strings Records http://www1.parkcity.ne.jp/palmstrings/

城田純二オフィシャルホームページ http://junji-shirota.ciao.jp/

2012.3.8

 

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 もうじきあの未曾有の大災害(天災と人災)から一年だ。一年、復興、収束などというが、あの日からいまだ時間が停止したままの人たちも無数にいるのではないかと今日の職場の新聞で誰かが書いていた。つまり内側の時間であり、停止したままの時間と空間は人の数だけ、生者と死者の数だけ、存在する。「わたしの心はわたしにしか分からない」 数日前に読んだ新聞記事で愛する家族を失った人が記者に語ったということばだ。わたしたちが注意して持ち続けなくてはいけないのは、頑張ろうニッポンだとか復興だとか希望だとか単純な一色で塗りつぶしてしまうことへの嫌悪感だ、と思う。いわゆる東日本大震災の死者 15,854人、行方不明者 3,203人、他に人知れず命を絶った人なども含めれば2万人以上の亡骸とかれらを奪われたさらに多くの遺された人々の数だけ、「わたしにしか分からない」わたしの心がころがり、うめいているということだ。それを単純化してはならない。数値化してはならない。統計化してはならない。そうしたものにこそ、いまいちばん注意を向けなければならない、疑いの目を向けなければならないと、わたしは改めて激しく思っている。

 

 なぜか急にむかし愛聴したディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)の歌うシューベルトの三大歌曲(「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」「白鳥の歌」)が聴きたくなって、ちょうど3in1のBOXセット輸入廉価盤をネットで見つけて注文、古いCDラジカセでリピートにして流しっぱなしにしている。まるで歌の嵐の中にいるようだ。吹き荒れるのは花びらか、不穏な予感か、いまだ満たされぬ渇きか。なんにせよ頬に当たるこの風量が心地よい。

2012.3.9

 

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 半日しごとをして、昼から子と県立図書館で寄席を聴く。父がユーチューブからDLした桂枝雀の落語にすっかりはまってしまった子に本物の寄席を見せてやりたいとネットで探してみたら、この県立図書館で3年前から、奈良市出身の落語家 桂文鹿(かつら ぶんろく)プロデュースによる図書館寄席「花鹿乃芸亭」(はなしかのうんてい)なるイベントをやっているのを知り、Webで予約していたもの。大人1000円、小中学生500円。演目は以下。

桂治門『黄金の大黒』
桂文鹿『紙幣改訂』
桂文三『芋俵』
中入り
抽選会
桂文鹿『天神山』
はやしや 久子(三味線)

 はじめて見る噺家ばかりであったが(失礼)、結構笑わせてもらった。子はもちろん、お腹が引きつるほど笑い転げていた。特にプロデューサー役の桂文鹿さんは勉強家の味わいがあるね。個人的には中入りのあとで余興として語られ演奏された出囃子の解説が面白かった。

 寄席が終わって、そのまま子を乗せて橿原の県立医大に入院している同僚のI君の見舞いへ。腸のポリープを切除する手術で、数ヶ月オストメイト(人工肛門)をつけるため、これを外す二度目の手術までの約半年間、休職の予定。

 夜はきびすをかえして自宅でYを乗せ、あの「いごっそう」のおやじさんを四国まで追いかけて修行をしてきたという青年が開いたラーメン屋をいよいよ食べに行く。まずまずはあの「いごっそう」の味を確かに引き継いではいる。わたしと子は「合格」点。あとはあのおやじさんにしか出せないプラスアルファ(人生いまだ語らず)かな。しかしこんな近くに「いごっそう」伝承者が戻ってきたことは単純に嬉しい。

 ところで四国の実家へ帰った「いごっそう」のおやじさん。あちらでも店を出すとシャッターの貼り紙に書いていたが、ひさしぶりにネットをググッてみたら、こんなブログ記事の写真が。「行列ができてるじゃない」 「すごいね」 家族三人で喜んだ。

麺屋・横手 http://r.tabelog.com/nara/A2901/A290101/29006788/

いごっそ店長 in 北川村(YouTube動画) http://www.youtube.com/watch?v=gOU9Cs7xMnc

2012.3.10

 

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 Yといっしょに行った本屋で檜垣立哉「ドゥルーズ 解けない問いを生きる」(NHK出版・シリーズ哲学のエッセンス)を購入した。

 プランターの土をつくってカモミールとみつばの種を播いた。

 リビングで辺見庸の詩「死者にことばをあてがえ」を朗読した。

2012.3.11

 

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 明け方、津波の夢を見た。車をちかくのショッピングセンターの立体駐車場へ乗り上げ、屋上へ続く外部の階段をYと子と駆け上っていった。後ろを見れば、みるみるうちに膨らんだ水嵩があちこちの階下の人々を無情にも呑み込み、さらっていくさまがまるでスペクタル映画の一場面のように見えた。消えていく無数の人々の阿鼻叫喚も聴こえた。わたしは子の手を必死につかんで無我夢中で屋上へ向けて走った。津波の夢などこれまでいちども見なかったのだが、ちょうど一年目というその夜に見たことが、なんだか不思議になまめかしい。そんな話を仕事を終えて帰り、夕食の席で話すと、おなじ時間くらいに子もやっぱり津波の夢を見ていたというので二度、驚いた。

 

 坂庭省悟の「Hobo's Lullaby」が届いた。

2012.3.12

 

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 ストーブの前にジップが寝ころびまどろんでいて、そこへ足を投げ出すようにわたしはチャーチチェアに座りドゥルーズの「異質的な連続性による(ポジティブな)生成する流れ」についての文章を読んでいる。CDラジカセがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌うシューベルトの「白鳥の歌」を流している。そんな、どこにでもある夕べ。

 

 子がベッドの中で、眠れそうにないときに iPOD で聴く音楽ベスト5。

1.「Down by the salley gardens」 Charlie Haden Family & Friends

2.「Octopus's Garden」 The Beatles

3.Kara の曲いくつか

4.「Spiritual」 Johnny Cash、 アルバム「Songs from the Road」の中のいくつか Leonard Cohen

 

 ベッドの中で、すぐに眠れそうなときに「いい気持ちで眠りたくて」 iPOD で聴くもの

→ 桂枝雀の落語 (朝目覚めて、“ああ、あのいちばんいいところを(眠ってしまい)聴き損ねた!”と悔しがる)

2012.3.13

 

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 休日。午後から家族三人で橿原考古学研究所附属博物館へ行く。常設展示は 旧石器時代 | 縄文時代 | 弥生時代 | 古墳時代 | 飛鳥・奈良時代 | 平安・室町時代 と並んでいるのだが、ボランティアの解説員2名が入れ替わりに熱心に説明をしてくれ、また子は別の解説員の方から小学生用の展示問題のプリントももらい、わが家もそろってじっくりと見る性質なので、古墳時代の終盤の藤ノ木古墳を見終えたところでタイム・アウトとなった。続きはまた次回の訪問で。本気で見たら、丸一日かかるということだ。人気のないミュージアム・ショップで子は勾玉のネックレスをおねだりした。

県立橿原考古学研究所附属博物館 http://www.kashikoken.jp/museum/

 

 帰宅後、ミュージアム・ショップで見た景山 春樹「神体山 日本の原始信仰をさぐる」(学生社)の中古をネットで探して注文する。

 amazon よりドゥルーズ「批評と臨床」 (河出文庫)が届く。

2012.3.17

 

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そろそろ春の気配がそぞろ歩きはじめて、ウッドデッキとパーゴラ、それに立水栓の頭の中での支度が始まっている。ウッドデッキに必携といわれるふつうの丸ノコか、あるいはスライド丸ノコ(たとえばマキタのM244とか)のどちらかの購入を悩んでいるところ。たぶん後者になりそか・・・

 

 ヤフオクで古い「ちょうな」を落札する。4千円ほど。

○某大手建設会社のちょうな説明→http://www.takenaka.co.jp/corp/archive/daiku/tools/chona/index.html

 

 子は明日、学期末の「お楽しみ会」の恒例の行事の劇で、みずから脚本化した枝雀の「番町皿屋敷」を数人のクラスメイトと演ずるとか。

2012.3.21

 

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 昨日は大阪で子の定期健診。整形外科、(手術後の)骨の形はいい感じで整っている。左足の甲を持ち上げる筋が効かないのが気になる。手術直後には若干動いていた筋がほとんど弱くなってしまったのはあまり例がない。歩くときの身体のふれが大きいのはひとえにお尻の筋肉による。リハビリで筋肉をつける以外にない。夏休み頃に装具の直しか造り替えを予定。脳神経外科、夏にMRIの定期検査の予定。

2012.3.28

 

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 糖尿病で緊急入院した隊員のMさんの見舞いに行った。「糖尿病の人に菓子折りもヘンだろうし、いったいなにを持っていったらいいかな?」と相談した交通隊長のNさんの助言に従って、週刊誌をいくつか買ってもっていった。受付で訊いた病室のカーテンを遠慮がちに開けると、Mさんはベッドの上でリハビリをしているところだった。右足の太腿がまんなかあたりで途絶えている。2年ほど前にやはり糖尿病で左足の中指を1本、切断したそうだ。それから月一回で通院をしていたが、今回はいつもの水虫が酷くなっているくらいだろうと高を括っていたら即日緊急入院で、先生いわく「あと三日遅かったら命がなかった」と。入院した翌日に右足を切断して、それから三日間ほどは「存在しない足が痛くて」つらく、看護婦に「こんな身体になって生きていても仕方ないし、もう死にたい」とばかり漏らしていたという。投薬の効果もあってか、痛みがなくなってから気持ちが少し落ち着いてきた。リハビリ室に行くと、じぶんよりもっとひどい症状の人たちが懸命にリハビリをしている。残ったもう一本の足と両腕を鍛えて、じぶんも頑張らなければと気持ちを切り替えた。Mさんの奥さんはすこし以前から肝臓を病んで別の病院に入院している。あとは身寄りと言えば(Mさんいわく腹違いの)兄がいるがすでに90歳を超える高齢で、その奥さんも具合が悪い。そんなわけで家から着替えを持ってきてくれる人もなく、いま来ているものはみんな看護婦さんたちが家から古着を持ってきてくれたものだとMさんは笑った。看護婦さんがみんなよくしてくれるので、家よりも居心地がいい、と。それから入院費の話などをしたとき、切断した足の処分代として1万6800円を取られたと領収書を見せてくれた。近くの斎場で焼いてもたう費用だという。「こんなのを払わされて」とMさんは苦笑いしていた。最後に車椅子に乗るMさんを手伝い、いっしょに階下の売店へ行ってお茶を買うのにつきあった。お茶とブラック・コーヒーを2本づつ買ってレジを済ませ、隣の休憩室の方へ車椅子を向けるので「ここで話でもするのかな」と思ったら、休憩室のすみにある菓子パンの自販機の前で小銭入れを取り出したので、「これは甘いですよ、だめだめ。もう一本も切りたいんですか」と止めて、二つ欲しかったところを一つでやっと手打ちにして、なるべく甘そうでないのを一つ、ボタンを押したのだった。

 そうして帰ってきた夜。夕食を終えて(夕食の席でMさんの話もした)、いつものようにソファーを横に占領して新聞を読んでいたら、子がわたしの腹の横のわずかなスペースにちょんと腰かけてきて、いつになく真摯な顔で「お父さん。どうして世の中には病気の子と、そうでない子がいるのかな? そしてどうして病気の子がこのわたしなんだろう?」 わたしはそのとき、すこしばかり間が空いた、と思う。それからいろいろな話を子にしたのだが、とめどがなく、じぶんでもはっきりとどんな話をしたのか覚えていない。子はそれを黙って聴いていた。最後に言ったのは、たしかこんなことだ。お父さんはおまえのお父さんだけど、じぶんでは病気になったことはないから、お前の気持ちが100%分かるかといったら、たぶん分からないと思う。お前はこれからいろなことがあって、なんどでも、どうして? とじぶんでじぶんに問いかけるだろう。そしてそのたびにじぶんで答えを見つけるだろう。お前は答えを見つけられる強さを持っていると、お父さんは思っているよ。子はしずかにうなずいて(あるいはそんなふうに見えただけかも知れないが)、立ち上がって二階へあがっていった。途中から話を聞いていたYが洗濯ものを仕舞いに二階へあがったとき、子の部屋を覗くと、子はベッドと箪笥の間のすきまにしゃがんみこんでいたと言う。Yが近寄って声をかけると、せき止めていたものが溢れるようにわっと泣き出した。Yはそんな子をじぶんも泣きながら抱きしめていた。やがて「もう大丈夫。すこしひとりになりたいから」と子が言うので、部屋を出てきた。二階から下りてきたYが、まだソファーに横たわったままのわたしに、そう報告した。しばらくして子は降りてきて、いつもの調子でわたしの手足を乱暴にひっぱり、「お父さん! お風呂にいくよ」と命令した。そして二人で風呂に入った。湯船の中でわたしが子に話したのは、かつて高校生の頃に読んで衝撃を受けた品川嘉也という医学者が著した「意識と脳 精神と物質の科学哲学」(紀伊国屋書店)という本についてだった。その中の一節―――「・・こうして人間の意識とは、宇宙の中に自分がいるという意識であり、その自分が宇宙を意識しているということを意識している。 意識そのものが、宇宙の意識構造の一つであり、その情報構造が宇宙を意識している。意識とは宇宙の自己認識であるということもできる」―――を多少くだいて子に話してやると、彼女は一瞬じぶんの頭の中を整理するようにとまり、それから「そんなこと、考えたこともなかった!」と驚いて、笑った。その笑顔はまるで今日、切断した足の処分代の領収書を見せながら苦笑いしていたMさんにどこか似ているな、とわたしは思ったのだった。

2012.3.31

 

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 九州への往復の新幹線で、ずっと中島みゆきのライブ・アルバム「歌暦」を聴いていた。とくに繰り返して何度も聴いたのは“HALF”と“鳥になって”だが、“HALF”が輪廻転生の歌だと、恥ずかしながらはじめて気がついた。「足りない魂の半分」が“HALF”であり、前世で激しく誓い合った記憶が果てしない時空を超えて蘇り、今生でもすれ違ってしまうが「次に生れてくるときは、きっと」と慟哭の中で歌われる。これは精神に異常をきたした哀れな女の歌なのだろうか。あるいは究極の想いなのか。「せめて伝えたい / 後姿に / わたしおぼえていたよ、と / いまさらなのに」 見知らぬ人から突然こんなことを言われたら、大概の人間は引いてしまうだろう。けれどそこに一抹の真実は、ほんとうにないものなのか? 前世の誓いを涙ながらに訴えるこの女はほんとうに気が触れているだけなのか? こんなふうに現実をひっくり返してしまう情念に、わたしはしばらく浸っていたい心地がする。

2012.4.5

 

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 「Charlie Haden Family & Friends / Rambling Boy」というアルバムが湛えている魅力について、もういちどだけ書いておきたい。まだこのアルバムが到着した当初は、古希を迎えたジャズ・ベーシストが家族や友人とつくりあげた「古きよき時代のアメリカ音楽の風景」と評したものだが、実際は、もうちょっと違う。何が違うかというと、ひとつは「家族や友人」などと十把一絡ではくくれない豪華キャストについて。たとえば Jerry Douglas Dan Tyminski はあの(わたしも大ファンの)アリソン・クラウスのバンドの名プレイヤーたちだし、Ricky Skaggs はブルーグラス界の大御所、そして Sam Bush はマンドリン、Stuart Duncan はフィドル、Bela Fleck はバンジョー、Bryan Sutton はアコギとそれぞれがブルーグラス界の名だたる達人たち。かれらがそれぞれの参加曲で手堅くサポートしているこのアルバムは、じつはファミリー・バンドなどというレベルを超えた高品質・最高級のサウンドだということだ。そこにジャズ・シーンから Charlie Haden 自身のなんとも味わい深いウッド・ベース、また7曲に参加している Pat Metheny の洗練されたギターが、カントリーやブルーグラスにとどまらない新鮮味を醸し出している。加えて Haden Family の隙間をぬって彩りを添えている、これまた豪華なリード・シンガーたち。ハンク・ウィリアムス・ナンバーをしっとりと歌う Elvis Costello、ディープな南部の沼地をさすらうような Bruce Hornsby 、カーター・ファミリーの定番曲を孫が捧げる Rosanne Cash、朴訥なアルバム・タイトル曲をやや甘口の声で歌う Vince Gill、King of Bluegrass と呼ばれている Jimmy Martin のナンバーを歌う前述アリソン・クラウス・バンドの  Dan Tyminski、変わりどころでは Charlie Haden の娘の一人と結婚した俳優の Jack Black の軽快で愉しい Old Joe Clark、そして"The Canadian Playboy". のヨーデル歌手であった Jack Kingston のナンバーを歌う前述の大御所 Ricky Skaggs など。けれど、これらはいわば友情出演の“ご挨拶”とか敬意を込めた“祝辞”のようなものであって、やはりこのアルバムの中心となっているのは70歳を迎えた Charlie Haden その人とかれの音楽的家族たちである。The Haden Triplets はいわば「ヘイデン三姉妹」か。この三姉妹のハーモニーが奏でるのはやはりカーター・ファミリーやビル・モンローたちの1930年代・・・ とかのオールド・ソングたち。また娘・息子たちの個別のボーカルもそれぞれ味わい深いのだ。ナイーブな牧師の卵がひとり教会でひざまづいているような Josh Haden、前述の夫 Jack Black が妬ましいくらいの魅惑のボーカルについよろめいてしまう Tanya Haden、透き通った声がこちらも心奪われる Rachel Haden 。これら子どもたちの曲の後ろで父は寡黙にまた見守るように自らのウッド・ベースを弾いている、そんな風景がよろしい。子どもたちばかりでない。アイルランドの素敵な伝承曲 Down By The Salley Gardens を歌うのは、奥さんの Ruth Cameron。この人はジャズ・ボーカリストだったようだが、さまざまなシンガーに歌い継がれてきたこの曲の解釈としてはおそらくもっとも最良の声と表情だと思う。永遠にリピートをして浸っていたい。そうしてアルバムの最後を飾るのは、1939年のラジオ・ショーに家族で出演した時の Charlie Haden ―――じつに2歳のときの微笑ましいヨーデル・ソングから、御年70歳になった滋味深く静謐なラスト・ナンバー Shenandoah でしずかに幕を閉じる。すばらしい。人生はすばらしい。音楽に満ちた人生はすばらしい。つまりそういうアルバムです、これは。ぜひ、体感して欲しい。

 

1. Single Girl, Married Girl

2. Rambling Boy

3. 20/20 Vision

4. Wildwood Flower

5. Spiritual

6. Oh Take Me Back

7. You Win Again

8. The Fields Of Athenry

9. Ocean Of Diamonds

10. He's Gone Away

11. A Voice From On High

12. Down By The Salley Gardens

13. Road Of Broken Hearts

14. Is This America? (Katrina 2005)

15. A Tramp On The Street

16. Old Joe Clark

17. Seven Year Blues

18. Old Haden Family Show

19. Shenandoah

 

Personnel:

Charlie Haden : bass, backup vocals (2);

Petra Haden: vocal (1, 8, 11, 17), backup vocal (9, 13, 15);

Rachel Haden: vocal (1, 6, 11, 13, 15, 17), backup vocal (9);

Tanya Haden: vocal (1, 6, 10, 11, 17), backup vocal (15);

Jerry Douglas: dobro (1-3, 5, 6, 8-17, 19);

Sam Bush: mandolin (1, 6, 11, 15-17);

Stuart Duncan: fiddle (1-3, 5, 6, 8-17, 19);

Bryan Sutton: guitar (1, 3, 6, 11, 13, 15-17);

Vince Gill: vocal (2);

Dan Tyminski: backup vocals (2), mandolin (2), vocal (9);

Russ Barenberg: guitar (2, 5, 8, 10, 12, 14, 19);

Bruce Hornsby: vocal (3), piano (10, 12, 14);

Ricky Skaggs: fretless banjo (3), mandolin (9), vocal (13);

Rosanne Cash: vocal (4);

Josh Haden: vocal (5);

Elvis Costello: vocal (7);

John Leventhal: guitar (4, 7);

Pat Metheny: guitar (4, 7, 8, 10, 12, 14, 19);

Bryan Stuart: guitar (9);

Ruth Cameron: vocal (12);

Jack Black: vocal (16);

Bela Fleck: banjo (16);

Buddy Green: harmonica (16);

Old Haden Family Show (18).

2012.4.6

 

*

 

 土曜日。子のリクエストで数年ぶりの法隆寺を訪ねる。山岸涼子の「日出処の天子」に感化されて、厩戸皇子のまぼろしを見たい、と。夢殿を前にして、子はしばし瞑目する。法隆寺はしだれ桜、中宮寺はレンギョウが満開であった。門前で葛きりを奮発する。家で夕飯を済ませてから、はじめての夜勤務のYを覗きに自転車で図書館へ行く。リクエストしていた井上理津子「さいごの色街 飛田」(筑摩書房)が入っていたと言われて借りてくる。

 

 日曜日。昼にYの甥っ子の赤ん坊が産まれたとの報せが入り急遽、午後から三人で車に乗り込んで和歌山行。一部開通したと聞いた京奈和を抜けて紀ノ川ルートで岩出の病院まで。保育器の中の赤ん坊をしばし眺めて、ついでにYの実家へ。途中の塩津湾を見下ろす高台のYの同級生の家で釜揚げのしらすを買う。久しぶりの義父母宅でお寿司の夕飯を頂き、夜10時半頃に帰ってくる。

 

 アマゾンや本屋などで新旧併せて書籍をいくつか。石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)、外山秀俊「3・11 複合被災」(岩波新書)、飯野友幸編著「ブルースに囚われて アメリカのルーツ音楽を探る」(信山社)。また子に「桂枝雀のらくご案内―枝雀と61人の仲間」「らくごDE枝雀」(どちらもちくま文庫)を。

2012.4.8

 

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 広大な谷間と丘陵地の緑地を切り崩してすすめられている大掛かりな町ぐるみの再開発地。新しい道路や川、造成地と古い集落や畑、田舎道の混在した奇妙な空間を毎日、20分かけて往復する。開店一時間前から閉店の一〜二時間後まで。帰りはたいてい深夜だ。街灯もほとんどない真っ暗闇の田舎の空気の中をあるいてきて、駅前の24時間営業のスーパーで明日の朝食に値引きされたおにぎりとお茶と缶チューハイを買う。二人一部屋のかび臭い2LDKの古ぼけたハイツの6畳間の片隅に敷かれた万年床に帰ってくる。シャワーを浴びて、布団の上であぐらをかき、缶チューハイをすすりながら持参した夢幻能についての解説書を読みすすめる。30〜40分ほど読んでから、電気を消して横になり、暗闇の中で iPOD の中島みゆき「歌暦」を聴く。きまって4曲目の「HALF」、続く「鳥になって」から聞き出す。これが毎日の変わらない日課。ほぼ一ヶ月間、まるで囚人のような規則正さで。それが減量中のボクサーのように切なくもあり、心地よくもあった。

 一ヶ月の間で、体重が4キロ少々減った。その間に海の向こうではリヴォン・ヘルムが死に、北の古里では親しかった老牧師氏が召天された。どちらも友人と母、それぞれの携帯電話のメールで知らされた。その日もわたしはいつもと変わりなく、24時間営業のスーパーで値引きされたおにぎりを買い、布団の上で缶チューハイをすすりながら夢幻能についての解説書を読み、中島みゆきを聴きながら眠りに就いた。毎日の20分の道のりで好きな場所がいくつかあった。たいていは昔ながらの面影の残っているような平凡な場所だ。ある畑の休耕地で、さいしょの頃はタンポポが一面に咲いていてその前を通るのが愉しみだったが、さいごの頃には背の高い雑草に覆われてしまった。気がつけば影の濃い、草いきれが匂い立つような夏の気配。

 帰ってきて六日間の休みを貰った。その六日間は体を休めること、家族と共に過すこと、それから庭の小屋建設の本格着手のための準備にいそしんだ。リビングに続くウッドデッキよりも、ゲートから正面に見える小屋を先につくって欲しいとYが言い出したためだ。6年生になってはじめての子の授業参観にも行った。子のリクエストで日曜の夕、市営のプールへ泳ぎにも行った。整備した庭に近所の人を招いてバーベキュー・パーティーもやった。Yと夕食の材や文房具や金環日食観察用のグラスを買いに車で近所の店を回った。土曜の夜の図書館へ子と「遠野物語」を借りに行った。どれも平凡なことばかりだ。平凡なことだけれどこの一ヶ月は得難かったことばかり。パソコンの前なんか向かっている暇などなかった。この六日間は仕事のことはきっちり忘れた。

 そして明日から辞令で大阪へ出社。

2012.5.15

 

*

 

 数日前であったか、子は学校の社会科見学で明日香へ行った。飛鳥駅から鬼の雪隠や亀石を見て石舞台古墳前で昼食、その後、飛鳥寺から甘樫丘へと周遊するのだから、まあそれなりの距離がある。果たして歩けるだろうかと、父親が出張で不在の間、子は母と事前の実地調査へおもむき、おなじコースを歩いてみたのだった。「紫乃ちゃんは歴史に強い興味を持っていて、本人もみんなと歩きたいと言うので、歩かせようと思っているんです」と担任のT先生が相談をしてきていた。勘違いで岡寺までのぼってしまった追加コースを子は何とか甘樫丘まで踏破してそこで限界、本来はそこからさらに橿原神宮駅まで歩いて戻るのだが、その日はバスに乗って帰ってきた。当日も甘樫丘までは無事に歩くことができて、そこからは教頭先生の車で駅まで先に運んでもらった。

 そんな経緯があったので、「復習」というわけでもないけれど本人の記憶が鮮やかなうちにと唯一の塾のない日曜日、飛鳥資料館へ誘ったのだった。昼頃までかなり念入りに展示を見て、それから社会科見学とおなじ石舞台古墳前でお昼を食べたいと言っていたのだが生憎、無料の駐車場が空いていなくてそのまま奥飛鳥へ走らせ、高取城址へと続く人気のない山道の途中にレジャー・シートを広げて「ああ、やっぱりこんなところがいいなあ!」と思わず二人して声を漏らして、Yの握ってくれたおにぎりと、子が出発前に急いでつくった野菜炒めとスクランブルエッグ、それにデザートのいちごの昼食をとり、それから夢幻能の基本パターン――――旅の途中で異界が立ち現れる――――などという話をしてから、二人して狭いシートの上に重なるように横になって、杉が空から生えているみたいだね、風で梢が思い思いの方へ揺れているその模様が面白い、なんぞと話しているうちにそのまま眠ってしまった。目覚めてから、寝ている間にワキとシテがここを歩いていったかも、などと言って笑った。それにしてもシダ植物の生えている場所というのは心が落ち着く。シダは何か、わたしの原初の心に交錯するんだな。帰りは飛鳥駅前にある物産店を覗いて子はあすかルビーのソフトクリーム。こんにゃくと卵を買って帰宅した。

2012.5.20

 

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 ひさしぶりに風邪を引いてダウン。熱が収まってきた二日目から、ベッドでどんどん本が読めること読めること。これまで買い置きしていたものや積読のままだった本――――すべて震災関連のものだったが――――を一気に読み尽くした。石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)、高橋哲哉「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)、外岡秀俊「3・11 複合被災」(岩波新書)、NHK「東海村臨界事故」取材班「朽ちていった命 被爆治療83日間の記録」(新潮文庫)。これらを一気に読みつくして、子も学校へ出かけ、Yも買い物へ出かけ誰もいない家の二階の寝室でひとり涙も涸れて窓から差し込んでくる午後の光に茫漠とした心地でしばらくたゆとうていた。

 

 多くを引用している余裕がないが、かつて「靖国問題」で“国家による犠牲のシステム”を記した高橋哲哉は非常に判りやすい、というか当たり前のこと。神国日本のためにと死んでいった若者たち、戦争の捨石とされ挙句に売り渡された沖縄の人々たち、そして今回の原発事故で犠牲になったさまざまな人々たち、の共通項としてそこに秘められた「犠牲のシステム」を語る。それは著者の言葉を借りれば次のようなものだ。

 

 犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている。そして隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。この国の犠牲のシステムは「無責任の体系」(丸山眞男)を含んで存立するのだ。

高橋哲哉「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)

 

 では誰がいったい犠牲となるのか。それを決定できる者など、そもそもいるのか。それを決定する者は、まず自分が率先して犠牲になる覚悟ができているのか。「そして、だれにも犠牲を引き受ける覚悟がなく、だれかに犠牲を押しつける権利もないとしたら、在日米軍基地についても原発についても、それを受け入れ、推進してきた国策そのものを見直すしかないのではないか」と高橋は記すが、これもそもそもが当たり前のことだ。

 

 これら冷徹なシステムの真逆に位置している存在の言葉として、わたしは石牟礼道子がすでに亡くなった知り合いの水俣病患者の言葉として紹介していた次のような言葉を置きたい。福島・飯館村のアスファルトの上で踊り狂っていた二匹の蟻を見たときに「人類はもう滅んだ方がいい。人類が滅んで、その分助かる種が助かった方がいい」と藤原新也は思わず思ったそうだが、わたしはこの長年の苦痛と苦しみの末に到達した尊い水俣の女性の言葉は、救いようのないわたしたち人類の中で唯一、飯館村のアスファルトの上で踊り狂っていた二匹の蟻と対峙できる言葉ではないかと思ったのだった。

 

 道子さん、私は全部許すことにしました。チッソも許す。私たちを散々卑しめた人たちも許す。恨んでばかりおれば苦しゅうてならん。毎日うなじのあたりにキリで差し込むような痛みのあっとばい。痙攣もくるとばい。毎日そういう体で人を恨んでばかりおれば、苦しさは募るばっかり。親からも人を恨むなと言われて、全部許すことにした。親子代々この病ばわずろうて、助かる道はなかごたるばってん、許すことで心が軽ろうなった。
 病まん人の分まで、わたし共が、うち背負うてゆく。全部背負うてゆく。
 知らんちゅうことがいちばんの罪ばい。人を憎めばわが身もきつかろうが。自分が変わらんことには人は変わらんと父にいわれよったが、やっとわかってきた。うちは家族全部、水俣病にかかっとる。漁師じゃもんで

石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出書房新社)

 

 夕餉の席で、子にこの短い文章を朗読しながら、わたしはいくど声を詰まりかけたことだったろう。

2012.5.26

 

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 陽射しは真夏のようだが、レースを引いた部屋の網戸を気持ちのよい涼風がすいとわたっていく、しづかな日曜の午後。ジップの散歩で見つけた近所のお寺の文化講座なるものを水を詰めたペットボトルを下げて聴きに行く。はじめて入った大きな古い本堂にすわって、本願寺資料研究所と県立同和問題関係史料センターのお二人の研究者の話を20人ほどの檀家のお爺さんお婆さんたちにまじって伺った。後者は史料センターがWebで公開しているPDF資料でわたしも何度か拝読させてもらった方だ。休憩の際に住職が編纂したはじめての寺史という「瑞巌山 光慶寺史」を分けて頂いた。たっぷり二時間の無料講座を聞き、蓮如真筆の名号や金箔をじつに細かい図柄で切り貼りした截金(きりかね)技法が驚嘆の阿弥陀如来絵像、戦国武将の茗荷の礼状などの展示資料を堪能してぶらぶらと日溜りの中をかえってきた。

 

 浄土真宗の古刹として知られる大和郡山市の光慶寺(岩田淳尚(じゅんしょう)住職)が、初の寺史「瑞巌山 光慶寺史」を刊行した。編集中に新たに見つかった大和国の戦国武将、十市遠忠(とおちとおただ)の書状など、寺に伝わる古文書も掲載。岩田住職は「寺の歴史だけでなく、北和の地域史としても重要な史料になった」と話している。【伊澤拓也】
 光慶寺は平安時代に高僧・皇慶(こうけい)阿闍梨(あじゃり)が京都府八幡市で創建し、1603(慶長8)年に現在地に移転。戦国時代からの古文書が数多く残されており、親鸞聖人の750回忌の法要に合わせて寺史を制作することを決めた。
 遠忠の書状は、古文書の整理中に本堂裏側の長持から発見された。16世紀に遠忠が部下にあてたもので、内容は十市郡八条庄(現田原本町)の土地を手に入れるため、既に土地の所有者となっていた光慶寺の関係者とみられる僧侶との調整を命じている。戦国時代に浄土真宗が県内で広範にわたって広まっていたことを示し、不明な点も多い浄土真宗の普及時期を知る上で貴重な史料になるという。
 寺史では、こうした古文書の研究結果の他、創建のいきさつや、江戸時代に2度焼失しながらも、復興した経緯などを年表と写真を使って分かりやすく解説。岩田住職は「門徒や関係者が生き生きと描かれている。寺を受け継ごうという懸命な姿を知ってもらいたい」と話す。
 B5判、105ページ。門徒や関係者に配布する他、希望者には1000円で販売する。27日には刊行を記念し、第1回文化講座として「戦国・織豊期の社会と光慶寺」と題した無料の講演会を開催する。

毎日新聞 5月16日朝刊

 

2012.5.27

 

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 九州でいちばん気に入ったのはごぼ天うどんだが(ちなみに福岡の人はごぼ天うどんは全国区メニューだと信じている)、結果的にいちばんよく食べに行ったのは、さびれたローカルなショッピングセンターの駐車場に建っている「味のまるい」という、これまた店主のまだ幼い子ども数人が店の中をうろうろして客の少ない時には店主とその母親らしいおばさんがカウンター上に設置されたテレビのクイズ番組をひたすら熱心に眺めているそんな昭和レトロな絶滅寸前ファミリー中華屋であった。以前は中華屋でばりばりに働いていた経歴も持つ味に五月蝿い九州本部のMさんが「昔ながらの素朴な博多ラーメン」と紹介してくれた店だったのだが、わたしが棲息していたアパートから頑張れば歩いていけるほどの距離でもあり、最終的に5〜6回は食べに行ったか。いちど交通隊長のOさんの車を貸してもらって真っ暗な玄界灘を眺めにドライブしたときも、ひとり閉店直前のこの店に寄ってラーメンと焼き飯を食べたのだった。最近の一杯千円もするような気取ったラーメンとは正反対の、何度でもふつうにおいしい博多ラーメン。忘れ難い。

 今日は、中之島にある会社から梅田の方へ歩いていって大阪駅前第一ビルの地下で昼食を求めた。この昔風の大阪下町の商店街を地下にとぐろ巻きしたような雑居ビルの雰囲気がわたしは好きだな・・・ このあたりはキタのディープ大阪ではないか。ワンコインで腹いっぱい食べれそうな定食屋をあれこれと覗いて、一軒のあまり目立たない場所にひっそりと佇んでいるラーメン屋の「塩ラーメン」の貼り紙にひかれて入ってみた。塩ラーメン、「春だから、いまだけワンコイン(500円)」。個人的にはなかなか気に入った。この「ラーメン名人伝」を帰ってググってみたら、ある名古屋のボクシング・ジムのトレーナーが「教え子が開いたラーメン屋」と紹介していたのがこの店で(そうそう、この写真の兄ちゃんだった)、当のトレーナー氏のブログをしばらく覗いていたら見事アンテェイン梶までつながったという話デシタ。

 帰りに駅前のコンビニで、ネットで予約購入した木下サーカスの指定席券二枚をもらってきた。大阪、鶴見緑地。

2012.6.1

 

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 「ジップといっしょに寝たい」というのがかねてからの子の念願で、もうすこし暖かくなったらね、6月くらいに、と母が以前に約束したらしいのだ。じゃあ、いったいどこで寝るのかということで母娘はかってに父の書斎を想定していたらしいが、「寝ている間に万が一、ジップが本をぼろぼろに噛み千切ったらだれが責任をとるのだ?」とそれについて父が強い難色を示し、結局、じゃあ玄関のジップのゲージの前にホットカーペットを敷いて、ということに落ち着いた。いままではほんのときたま、わたしの書斎やリビングに出したことはあるが、家の中は基本的に馴れていない。玄関から先(トイレ、洗面所、リビング、書斎行き)の扉はすべて閉めておく。そんな段取りをして、父と母はさっさと風呂をすませて二階へあがっていった。わたしはすぐに眠ってしまったのだが、しばらく起きてひそかに様子を伺っていたYによると、ゲージの扉を開けてもらったジップは歓び勇んであちこちを嗅ぎまわってなかなか落ち着かず、やがて玄関の靴を噛み始めた。子が叱って取り上げようとする。ジップがとられまいと低いうなり声をあげる。暗闇の中、そんな声や物音がしばらく聞こえていたという。朝、Yが起きて階下へ降りていくと、玄関のすべての靴という靴が階段下の収納スペースにしまわれていて、ジップはいつものようにゲージに入って鍵をかけられていた。そして一人と一匹は夜中の攻防戦に疲れ果てたのか、どちらも微塵も動かずにそれぞれの場所で熟睡していたという。

2012.6.2

 

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 日曜、休日。朝からいよいよ庭小屋の材取り用の簡易な図面をささっと描いて、近所のホームセンターへ。

 いままで家の中の家具類はそれなりにつくってきたけれど、いわゆる外溝とかエクステリアとかいうと感覚が違うんだな。まあ半分は土木作業みたいなものだし、それにモノ自体が大きすぎてなかなか全体が見えてこない。もともと事前にきっちりした設計図を用意してというより、どちらかというと「つくりながら(その場で)考える」というアバウトな性格なので、今回のこの庭小屋もあれこれ人様の作品はネットや雑誌でかなり見てきたのだが、まだそれらが頭の中でとぐろを巻いて神話の世界で泥をかき混ぜているような状態で、とりあえず土台と床のサイズだけはじいて、そこから上は何となくのラフなスケッチしかまだ描けていない。まあとりあえず土台だけでもできたら、ウッドデッキか能舞台か判らないものが庭の片隅に出現して、それはそれでしばらく面白いんじゃないかと思っている。

 当初は小屋の前面にデッキ部を設けて、そこにスツールなんか置いて・・・ とかいろいろ考えていたのだが、(庭に於ける)土の面積をあまり減らしたくなかったなど、いろいろ悩んだ末、サイズ的には最低限に抑えた幅2200ミリ、奥行き1500ミリの空間となった。ただし、これはまだ構想段階だが、高さはちょっとがんばって高くして(子のたってのリクエストもあり)屋根裏に梯子であがる小さなロフトをこしらえたいと考えている。屋根は片流れで、ロフトには丸い窓もつけたい。三分の一のスペースは収納だけれど、すみの方にささやかな、わたしの木工作業台もできたら設置したい・・・ なぞとわずか幅2200ミリ、奥行き1500ミリの空間にあれこれ盛りだくさんの勝手な夢を描いている。もうひとつ迷ったのが北と西の隣家に接した境界部分で、当初は何も考えずに境界線きっちりに建てる計画にしていたのだが、よくよく考えて見れば裏手に回っての作業が一切不可能になる。「すべて完成してからジャッキであげて移動する」とか保存された旧奈良駅みたいなことも考えたりしたけれど、結局は無難に人が入れるぎりぎりのスペースを北・西それぞれに確保することにした。小屋が計画より多少前面にスライドしてしまうが、のちのちの補修作業のことも考えたらやっぱりその方がいいかなと。

 ホームセンターでは束柱とブロックの間にかます基礎パッキン、パッキンを切断するためにパイプやアルミなどを切断する替え刃式のスーパーソー、以前に先端が欠けてしまった下穴用のビットなどを本館で購入して、木材のある資材館へ。土台部分は長持ちする材を使いたかったので、15年以上持つという防腐剤注入済みのサザンイエローパインを選んだ。束柱はこれの4×4材を200ミリづつ合計9個にカットしてもらい、根太は2×6材(3640ミリ)をぜんぶで6本使用。木材だけで今日は1万5千円ほどかかった。ほんとうは床材もおなじサザンイエローパインの2×6材を予定していたのだが、床材もいれるとぜんぶで15本となり店のほぼ在庫すべてを使い切ってしまうわけだが半数近くがかなりの反りがあり、またぜんぶカットしてもらったとしても、後部座席を倒したわが家のファミリー・カーではとても運べそうになく、店で貸し出してくれる1.5tのトラックも予約が入っていて午後からしか使えないとのことで、作業的には床貼りまでとても進みそうになかったので、今日は土台の材料だけに限定することにした。4メートル近い材を一人でレジまで持って行くのも結構汗をかく。小屋やウッドデッキなどは物量との勝負でもあるな。

 家に帰って材料を搬出してから、三人(今日は子の“勉強の日”で、Yは終日つきっきり)でお昼を食べに行った。近所の国道沿いの魚屋兼回転寿司屋がしばらく前から海鮮食堂も始めて、これが安くておいしいのだ。大起水産の街のみなと奈良店。ここで子はサーモンいくら丼中盛(+味噌汁で580円)、わたしは天丼定食(+ミニうどん、海鮮南蛮漬け小鉢、味噌汁で780円)、Yは単品の鯨の焼肉とエビチリに200円のご飯+味噌汁をつけて650円くらいだったか。

 午後から防腐塗料の塗り作業。防腐剤注入済みのサザンイエローパインはそのままでも15年の耐久年数ということだが、念を入れて外部用の保護塗料(ウォルナット)を小口も含めて塗った。それから基礎パッキンをスーパーソーで半分に切断。半分のサイズのも売っているのだが、二倍サイズをじぶんで切った方が安くつくので。それを47ミリのネジで束柱9個に止めて、暑さのためいったん休止。リビングのソファーで昼寝をして、ジップの夕方の散歩へ行って、涼しくなったところで蚊取り線香を炊いてもう少しだけ作業。再度、予定地を整地したうえで、土台二箇所部分に穴を掘って、バラスを入れ、手製のタコで固め、ブロックを乗せ、根太材を渡して水平を調整した。

 ここで本日は時間切れ。材料にブルーシートを被せていったん終了。一日だけの休日では、まあこんなところか。後は来週に予定している連休だが、一日は子と木下サーカスへ行くので、残りの一日で床貼りまでいけたらいいけど、どうだろう。

2012.6.3

 

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 最近、買ったもの。

野の花の本 ボタニカルアートと花のおとぎ話(パイインターナショナル・解説・監修:海野弘)

本屋の店頭で見て、子が歓ぶ顔を想像して、値段は良かったけれど衝動買いしてしまった。「野の花のボタニカルアート(肖像画)、花からインスピレーションを受けたおとぎ話の幻想挿絵、花の文様や装飾画を交え、豪華230点を収録した図版集。」

SWISS+TECH  Utili-Key

見た目は鍵。その正体は精密マイナスドライバー●マイナスドライバー●栓抜き●プラスドライバー●ナイフ●波刃ナイフ・・・ 家や車の鍵束にLEDライトといっしょに。

○広瀬 隆・明石 昇二郎「原発の闇を暴く」 (集英社新書)

責任はとろう。とらせよう。

CAUTION サイン<ビーグルがパトロールしています> 

ビーグル専門店。このほかにシャンプーとコンディショナー、ペンシルカップなども。

○「ブルースに囚われて―アメリカのルーツ音楽を探る」(信山社)

硬派ブルース論文集。絶版も近し。

マキタ スライドマルノコ M244

男の浪漫。

Casual Selection LEON ボディバッグ

ウェストポーチはオッサン臭いんで、チョイ出にこんなのが欲しかった。

BOSCH 吸じんハンマードリル GAH350SRE(中古品)

コンクリ粉砕用。ヤフオクで千円で落札。吸塵ホースはないが、ドリルはまだ使える。

園まり / 夢は夜ひらく〜まりちゃんのヒット・アルバム (中古LP)

これもヤフオクで、深夜に酔っ払って衝動入札。600円で落札。

2012.6.6

 

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 前出した広瀬 隆・明石 昇二郎「原発の闇を暴く」 (集英社新書) に出ていた原発事故真っ最中の「国民を馬鹿にするにも程がある」「瑣末的な」「言葉のお遊び」の、原子力安全委員会の臨時会議の速記録がほんとうにHPに載っているのだろうかと確かめてみたら、ちゃんとその通りの馬鹿らしさのまま載っていて感動した。この3月28日というのは10日ほど前に1号機・3号機・4号機がそれぞれ爆発して、つい3日前に20〜30キロ圏内自主避難要請が出た頃のことだ。そんな頃に「今の件について、もちろん建屋内ほど高い線量は出ていないわけですけれども、ということで、「異常な数値」というのは「特に異常な」、「特段に異常な数値」ぐらいにしてはいかがでしょうか。」などとお澄まし顔で文章教室を開いているこいつ等はにんげんの皮をかぶった何か別のものだね。これが3月28日にかれらが内閣府742会議室で決めた臨時会議の内容だそうだ。そしていまもこんな「専門家」たちに任せているわけだ。われわれお馬鹿な日本人は。いくら署名を集めても何も変わらないんだったら、やっぱり革命しかないんじゃねえか。エジプトやシリアはけっして他人事じゃないわけだよ。

 

2011年の原子力安全委員会議事次第一覧

http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/shidai2011.htm

第20回 原子力安全委員会臨時会議 平成23年3月28日(月) 11:15〜 内閣府742会議室

http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan020/index.html

速記録 PDF

http://www.nsc.go.jp/anzen/soki/soki2011/genan_so20.pdf

 

○班目委員長  それでは、他の委員からも伺いたいと思いますが。 小山田委員。

○小山田委員 これは表現だけの問題でありますけれども、3段落目ですね。「空間線量率が非常に高いのは建屋の中だけであり、屋外では異常な数値は計測されていません」と書いてありますが、今の屋外の数値もやはり異常ではあると思います。従いまして、ここは「屋外ではこれほど高い数値は計測されていません」というふうに書く方がよろしいのではないかという気がいたしますが、いかがでしょうか。

○班目委員長  これはおっしゃるとおりで、確かに異常な数値ですね。では、むしろここは直すとして、他に何かご意見ございますか。

○代谷委員  今の件について、もちろん建屋内ほど高い線量は出ていないわけですけれども、ということで、「異常な数値」というのは「特に異常な」、「特段に異常な数値」ぐらいにしてはいかがでしょうか。

○班目委員長  久住委員、お願いします。

○久住委員  「ただし」以下の最後の文章なんですけれども、2行目に「事業者は、滞留水の処理」云々ということで、「作業者の放射線管理に十分な配慮」ということが記載されておりますが、これは私は非常に重要なことで、特にここのところは慎重に対応いただきたい、十分に対応いただきたいと思います。

それからもう1点、線量が高くなるということになりますと、骨髄移植等々の話が、治療というか今後の処置として話として出てきておりますが、私の認識では現在のところ、こういう例えばチェルノブイリ等々で骨髄移植が成功した例というのはないように記憶しておりますので、それに対する対応は十分慎重にするべきであると考えております。これはコメントです。

○班目委員長  ありがとうございました。 そうしますと、最初の代谷委員のご提案の部分の修文はどういたしましょうか。他号機の流出水は。

○久木田委員  「他号機の流出水は、格納容器から蒸気として出てきたものが凝縮したものの影響や、放水による希釈の影響を受けたものと推定しておりますが」、これぐらいでしたらよろしいかと思います。「凝縮したものの影響や、放水による希釈の影響を受けたものと推定しております」ということでいかがでしょうか。

○班目委員長  それでは、もう一度読み上げさせていただきます。

「なお、他号機の流出水は格納容器から蒸気として出てきたものが凝縮したものの影響や、放水による希釈の影響を受けたものと推定しております」、このように直したいと思います。

それからその下ですが、「空間線量率が非常に高いのは建屋の中だけであり、屋外では極端に異常な数値は計測されていません」、このように修正したいと思います。

それでは、他に何かご意見ございますでしょうか。

よろしゅうございますか。

それでは、以上の修正を加えた上で、これを原子力安全委員会からの助言とするということでご異論ございませんでしょうか。

それでは、そのように決めさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

本日、他にお諮りする議題はございますでしょうか。

○水間総務課長  ございません。

○班目委員長  それでは、これでこの会合は終了させていただきます。どうもありがとうございました。

 

2012.6.7

 

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 「国民の生活のため」原発を動かすのだ、と。政治の終焉。責任を取れない奴が責任ある場所にいることの不条理。ぜんぶ引きずり下ろせ。ずるむけ黒ちんこ。

 

 仕事の途中、京都伏見あたりをぶらぶらと歩いて、おいしい味噌カツ丼を食べてきた。

丹波橋にあるカツ丼専門店「かつ心」 http://zatsubunsha.blog93.fc2.com/blog-entry-1110.html

 

 明日は木下サーカス → 四天王寺 の予定。厩戸王子ファンのために。

2012.6.9

 

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 昨日のサーカスやスペイン料理のランチや四天王寺や、それに今日も学校のシックスクールについての校長との協議や、教育委員会への学校給食の放射能測定検査の問い合わせ(クレーム?)など、いろいろ書きたいことはあるのだけれど、それらの合間をぬっていよいよ土台が完成した庭小屋の作業で、今日はもうへろへろです。

2012.6.11

 

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 わたしのやりたかったことのひとつを、やってくれた人たちがいる、と思った。

 

告訴宣言

福島原発事故の責任をただす!告訴宣言

福島原発事故から1年を過ぎた今なお、事故は全く収束せず被害は拡大の一途をたどっています。美しい自然と豊かな生命をたたえたふるさと、何ものにも代え難い共同体を失った私たちは、地域社会の分断という重荷を背負い、いつ終わるともしれない苦難の中にいます。

福島原発事故は、すでに日本の歴史上最大の企業犯罪となり、福島をはじめとする人々の生命・健康・財産に重大な被害を及ぼしました。原発に近い浜通りでは、原発事故のため救出活動ができないまま津波で亡くなった人、病院や福祉施設から避難する途中で亡くなった人、農業が壊滅し、悲観してみずから命を絶った農民がいます。

このような事態を招いた責任は、「政・官・財・学・報」によって構成された腐敗と無責任の構造の中にあります。とりわけ、原発の危険を訴える市民の声を黙殺し、安全対策を全くしないまま、未曾有の事故が起きてなお「想定外の津波」のせいにして責任を逃れようとする東京電力、形だけのおざなりな「安全」審査で電力会社の無責任体制に加担してきた政府、そして住民の苦悩にまともに向き合わずに健康被害を過小評価し、被害者の自己責任に転嫁しようと動いている学者たちの責任は重大です。それにもかかわらず、政府も東京電力も、根拠なく「安全」を吹聴した学者たちも誰一人処罰されるどころか捜査すら始まる気配がありません。日本が本当に法治国家かどうか、多くの人々が疑いを抱いています。

生命や財産、日常生活、そして「健康で文化的な最低限度の生活」さえ奪われた今、すべての人々がそれを奪った者への怒りを込めて、彼らの責任を追及し、その罪を認めさせなければなりません。そのために、最も深刻な被害を受けている福島でまず私たちが立ち上がり、行動しなければなりません。告訴団を結成した理由もここにあります。

私たちは、彼らに対する告訴を福島地検で行うことを決めました。自分たちも放射能汚染の中で被曝を強要されながら存在しなければならない矛盾、逃れられない厳しい現実を背負う福島の検察官こそ、被害者のひとりとして、子どもを持つ親として、この事故に真摯に向き合うべきだと考えるからです。

私たちは、自分たちのためだけにこの闘いに踏み出すのではありません。日本政府は、あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごとく加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための役割を果たしてきました。私たちの目標は、政府が弱者を守らず切り捨てていくあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代償を支払わなければならないという前例を作り出すことにあります。そのために私たちは、政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、ともに闘っていきたいと思います。

この国に生きるひとりひとりが尊重され、大切にされる新しい価値観を若い人々や子どもたちに残せるように、手を取り合い、立ち向かっていきましょう。

2012.3.16

福島原発告訴団結成集会参加者一同

 

■被告訴・被告発人目録


1  勝俣 恒久   東京電力株式会社 取締役 会長
2  皷 紀男    東京電力株式会社 取締役副社長 
福島原子力被災者支援対策本部兼原子力・立地本部副本部長
3  西澤 俊夫   東京電力株式会社 取締役社長
4  相澤 善吾   東京電力株式会社 取締役副社長 原子力・立地本部副本部長
5  森 明生 東京電力株式会社 常務取締役 原子力・立地本部長兼福島第一安定化センター所長 
6  清水 正孝   東京電力株式会社 前・取締役社長
7  藤原 万喜夫 東京電力株式会社 常任監査役・監査役会会長
8  武藤 栄    東京電力株式会社 前・取締役副社長原子力・立地本部長
9  武黒 一郎   東京電力株式会社 元・取締役副社長原子力・立地本部長
10  田村 滋美 東京電力株式会社 元・取締役会長倫理担当
11  服部 拓也 東京電力株式会社 元・取締役副社長
12  南 直哉 東京電力株式会社 元・取締役社長・電気事業連合会会長
13  荒木 浩   東京電力株式会社 元・取締役会長倫理担当
14  榎本 聰明 東京電力株式会社 元・取締役副社長原理力本部長
15  吉田 昌郎 東京電力株式会社 元・原子力設備管理部長 前・第一原発所長

16  班目 春樹   原子力安全委員会委員長
17  久木田 豊   同委員長代理
18  久住 静代   同委員
19  小山田 修   同委員
20  代谷 誠治   同委員
21  鈴木 篤之   前・同委員会委員長(現・日本原子力研究開発機構理事長)

22  寺坂 信昭   原子力安全・保安院長
23  松永 和夫   元・同院長(現・経済産業省事務次官)
24  広瀬 研吉   元・同院長(現・内閣参与)


25  衣笠 善博   東京工業大学名誉教授(総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会耐震・構造設計小委員会 地震・津波・地質・地盤合同WGサブグループ「グループA」主査。総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同WG委員)


26  近藤 駿介   原子力委員会委員長
27  板東 久美子  前・文部科学省生涯学習政策局長(現・同省高等教育局長)
28  山中 伸一   前・文部科学省初等中等教育局長(現・文部科学審議官)
29  合田 隆史   前・文部科学省科学技術政策局長(現・同省生涯学習政策局長)
30  布村 幸彦   前・文部科学省スポーツ・青少年局長(現・同省初等中等教育局長)


31  山下 俊一   福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(福島県立医科大学
              副学長、日本甲状腺学会理事長)
32  神谷 研二   福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(福島県立医科大学
              副学長、広島大学原爆放射線医科学研究所長)
33  高村 昇    福島県放射線健康リスク管理アドバイザー(長崎大学大学院
              医歯薬学総合研究科教授)

 

福島原発告訴団 http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

 

2012.6.12

 

*

 

 10日の日曜日は予定通り、子と二人で大阪・鶴見緑地で開催中だった木下大サーカスへ行ってきた。Yが図書館で働くようになって週末は休みがすれ違いが多い。それはともかく、子と二人で電車に乗って、車に乗って半日〜一日を出かけるのは、いまでもわたしの至福のひと時だ。子はわたしのベスト・フレンドのようなものだ。サーカスは素晴らしかったね。最近のたとえばシルク・ドゥ・ソレイユなんかに比べると、空中ブランコ、空中大車輪、アクロバット、オートバイショー、ゾウやライオンの猛獣ショーなど、内容的には昔ながらの手垢のついたプログラムなんだろうけれど、だからこそ変わらぬマジックがある。見上げるようなテントの下でとび職が組んだ足場のような座席につくだけでわくわくしてくる。サーカスというのは親が子どもに見せてやりたいと連れて行くのだけど、いざショーが始まったら大人の方が童心にかえって歓声をあげているんじゃないかな。実際、わたしのななめ後ろに座っていた家族連れのお父さんは「これがサーカスか! これがサーカスか!」と興奮して幾度も呟いていた。ちなみにわがベスト・フレンドの感想は「(じぶんの書く)物語に使えるネタがたくさん詰まっていて嬉しい!」であった。

 サーカスの後は地下鉄で四天王寺前夕陽丘駅まで移動。山岸涼子の名作漫画「日出処の天子」(わたしが実家から持って来た)に見事にハマって、学校では「聖徳太子」「歴史博士」と呼ばれ、塾の社会科の先生が舌を巻くほどの(飛鳥時代限定の)博学ぶりの子のリクエストで、しばらく前から厩戸王子をめぐるツアーで飛鳥、法隆寺とまわり今回は第三部、四天王寺ツアーである。ほんとうは骨董市が開かれているあの雰囲気も見せてやりたかったのだが(毎月21日と22日の聖徳太子の命日)、とりあえずは本人が興味を持っているうちにお寺だけでも先に、と。昼食は当初「金久右衛門」なるラーメン屋を狙っていたのだが生憎、臨時休業の札が出ていて、地下鉄4番出口を出たすぐにあった小洒落たスペイン料理の店に入ってみた。スープ、サラダ付のランチが840円で、わたしはローストビーフ、子はパエリアのセットを。四天王寺では五重塔にものぼり、金堂の壁画で仏陀の物語を追い、境内のあちこちをほとんど見てまわった。特に西門。古代には内海が近くまで迫り、この西門の向こうの海に沈む夕日に極楽浄土を観想した、という話をした。どれもこちらがびっくりするくらい熱心に見て、じぶんの中であれこれと空想を膨らませている。少し前までは博物館や寺社仏閣の類は特に興味もなかったのだが、やはり親の血は受け継がれるのだろうか。次は信貴山、そして太子町の聖徳太子御廟と続く・・・

 

 翌月曜日は、まず庭のガーデンハウス製作。基礎石代わりのブロックの設置。シャベルで掘り下げ、砕石を敷き、自作ダンパーで叩き、水平をとる。四隅から、それぞれ角々に木材を渡して、こちらも水平をとる。のっけからこの辺が土木作業とあいまってきつい作業だったかな。四隅を固定したら、それぞれを基準に他の箇所も設置していき、最終的に9箇所を完成。水平をとるのはほんとうは「水盛り遣りかた」がいいのだろうが、面倒なので、今回は基礎ブロック時点ではアバウト、次の束柱に根太を取り付ける際に最終的な水平をとるやりかたを取った。ブロックが固まったら、外回りの四角を形成する根太をネジ止めしてのっけてみる。そして予めパッキンをかましていた束柱を配置して、水平を見ながらクランプで仮止めをしていき、すべての水平が確認できた時点で本格的に束柱へ、90mmのかなり長いネジをインパクト・モードで打ち込んでいく。そうして束柱や根太を追加していくわけだが、後はひたすら下穴をあけて、ネジを打っていく作業。さすがに材料がこれまでより固いせいか、下穴を穿つビットを二本も折ってしまうはじめての経験もあった。肝心の土台のところなので、ネジも一箇所に5〜6本は打つので、合計すれば百数十本は打っただろうか、最後にはドライバーを後ろ押しで支えていた左手の一部が振動と熱さで軽い火傷のような状態になった。夕方、暗くなる直前にようやっと作業は完了。

 さて、とここまできたらいそいそと床板を張って、一時的なウッドデッキでも愉しみたいところだが、まだまだ斜交いや根太の下部分に補強材を入れるのと、それから地面の処理をどうするか。作業を覗きにきた近所のSさんは、小屋の湿気対策と隣への雨の流入防止のために勾配をつけてセメントで固めてしまうのが一番と言うのだが、勾配は確かに忘れていた。あまり頑強なセメント仕様などは避けたいので、いまのところ空練りモルタルで軽く勾配と排水路をとろうかなぞとも考えている。床下に湿気取りの材を敷いたり、あるいはどこかのDIYサイトでは根太と床材の間に防湿シートなるものを貼っているところもあったので、その辺も調べてみようろ思っている。いろいろな意味で土台はなるべく慎重に、万全を期したい。

 この日はじつは、新しく増設した小学校のパソコンルームに入った子が二度とも「ひどい頭痛と吐き気がした」件と、もうひとつはわたしのついでの便乗質問で学校給食における放射能測定検査の件で、それぞれ学校の校長室で校長先生と担任のT先生との協議、そして教育委員会総務課及び学校給食事務所への電話質問と回答の要請などもあってかなり忙しかったのだが、この件についてはいままだ進行中でもあり、わたしもまだ資料などを調べている最中でもあり、今後の報告としたい。

 

 というわけで一週間経ったら、関西はついに梅雨入り。しばらく小屋の作業はなかなかできないかもね。今日も一日降り続いていたけれど、合間を縫って、あるいは部屋の中の作業で、先日ネットのビーグル専門店で購入した「警告! ビーグルが周辺をパトロール中!」のプラスチック看板をフェンスを作った際の野地板の余りと、ホームセンターで買ってきた園芸用の杭を加工して、ちょうどジップがいつも外を眺めている窓の下に看板として設置した。

 それと、iPhone か、タブレットかと色気を出して、このところちょこちょこと電気屋を覗いたり、ネットで調べたりしていたのだが、(京都のヨドバシカメラで先日、「お客様、タブレットの購入をご検討中ですか?」 「ご検討中っていうか、こいつはいったい何ができるのかな?」 「そうですね・・ “スマホの画面が大きくなったもの”といったら、いちばん判りやすいと思います」 「・・・? 」 「・・お客様、スマホはお持ちですか?」 「いや、持ってない。会社支給の安いビジネス用携帯だけ」 「(これは会話ができん、といった顔)」 ) いよいよ iPod touch 32GB を購入。ネットでポチッと。

2012.6.16

 

*

 

 

 昨日、今日と連休の二日間、幸い天候に恵まれて、庭のガーデンハウス作業は何とか床張りまで完了した。昨日は土台部分の補強で、根太を支える柱回りと、根太が直角に交わる部分の火打ち土台にそれぞれサザン・イエロー・パインの端材をあてがった。特に45度の切断でははじめてお目見えのスライドマルノコが大活躍(じつにすばらしい)。それから床下のぐるりを野地板で囲って、内側に約10袋のインスタント・モルタルを(練らずにそのまま)投入。板で、まるで京都の寺社の石庭でも造作するかのごときに平らにならし、さらに微妙な勾配もつけて、庭の水遣り用の散水器で水をたっぷりまいて固めた。夕方に床材をホームセンターで購入してきてこの日はタイムアップとなった。何せごくごくふつうの大衆車なので一度に運べる量は限定される。土台の材は防腐処理がされたサザン・イエロー・パイン材であったが、床材はこれがすでに在庫がなかったのと(反った粗悪品以外に)、室内ということも考えて、熱処理で耐久性を高め、環境にも人体にも良いというサーモウッドを選んだ。ちなみに木材の費用は、土台のサザン・イエロー・パインが約2万円、サーモウッドが3万円で、現在のところ合計5万円である。二日目は朝から子も手伝ってくれてこの床材にオイルステインの防腐塗料を塗装。今回は刷毛を使わず、オイルをしみこませたボロ布をこすって塗装した。近所のSさんから床下に炭を敷いておくと湿気取りによいと聞き、床材を乾かしている間にホ−ムセンターでバーベキュー用の木炭(10キロ入り千円)を五箱買ってきて、床張りと同時並行で床下に敷いていき、結局五箱すべてを使い切った。床張りも一枚の板にネジが約10箇所、これが17枚だからぜんぶで170回のネジうちで、一枚づつクランプで固定して、ネジ位置も寸法を測っていたら、案外と時間がかかって、夕方にやっと完了した。床下からの電気の線は24センチの穴をドリルでうがって通し、隙間をパテでふさいだ。途中で勉強をしていた子がカキ氷をつくってもってきてくれ、二人で作業中の床に腰かけて食べ、それから少しそこで昼寝をした。家の北側の隙間から入ってくる東風が南へ抜けて、ほどよく気持ちがいい。できあがってみたら、何だか素朴な能舞台のような、野外ミニステージのような空間で、この上にテントを設営して一晩寝てみてもいいかも知れない。とりあえずここまで仕上げたら雨が降っても野ざらしで構わないので、残りの梅雨の季節、舞台を眺めながらこんどは上部分の構想をじっくりと練る予定。

 何日か前に、おそらく装具用の靴擦れが元でできた子の足の傷がさらに深くなっているから週明けに医者に連れて行く、とY。先日から始まったプールも休んで養生していたのだが、あまり効果はなかったようだ。血流が悪いせいか、神経がだめになっている足は傷がほんとうに治りにくい。ふつうの子なら消毒をしてバンドエイドを貼ってほおっておいてもいつのまに治るような小さな傷が、治るどころか進行してしまう。本人が痛みが感じないからなお性質が悪い。下手をすると冬のうちから愉しみに待っていたプールをワンシーズン、棒に振りかねない。

 ところで  iPod touch 32GB 、すごいね。これまでスマホもアイフォンも持っていなかったわたしには驚きの連続。産経新聞が毎日読めたりとかいった類の無料アプリもさることながら、iTunes 経由で転送した被差別部落の資料PDFを電車の中で読めるのが新鮮。中島みゆきや園まりの音楽動画を手元に持ち運べることが新鮮。何よりいちばん嬉しかったのは青空文庫。かつて大好きだった太宰の「パンドラの函」を駅のホームで十数年ぶりに読みふけり、満喫した。ちょっと、はじめてウォークマンを手に町へ出たときのような。

 山本政志監督の映画「闇のカーニバル」(1981年)のVHSビデオをヤフオクで500円で落札した。

2012.6.24

 

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 ビーグル専門通販サイトにわが家の写真・・

 http://beagle-beagle.com/?pid=30143267

2012.6.25

 

*

 

 

 東京の悪友がブログを立ち上げたらしい。ロック記事満載。見てあげてください。「CLUBチャンプルー(こうたんの独り言)
 〜ロックの魂(ソウル)を追い求めて」 ←やたら長い

http://blogs.yahoo.co.jp/assann0621

 

 で、かれのつぶやきで知ったマキシマム・ザ・ホルモン。なんか、ひさしぶりに喉奥の黒い草がざわざわとうごめく。

マキシマムザホルモン(公式サイト) http://www.55mth.com/open.html

 

 わたしはというと、さいきんちょっとハマっているのが北欧のジャズ・シンガー(らしい)このヒト。Solveig Slettahjell (スールヴァイグ シュレッタイェル)。ユーチューブでストーンズの Wild Horses を歌っているのを聴いて。

ブルブル ブルース (Blues) http://blog.livedoor.jp/ogitetsu/archives/51834513.html

diskUNION JAZZ館 http://diskunion.net/jazz/ct/list/0/302228

2012.6.29

 

*

 

郡山市立○○小学校

○○校長先生 先生方各位

 

201271

○○ ○○6○組 ○○紫乃の父)

 

 

 過日はご多忙のところ、担任の先生共々真摯なご対応を頂き、ありがとうございます。

 

 このたびの一件について、改めて確認をさせて頂きます。

 

 校内に新しいパソコン・ルームが増築されました。これは従来の校舎に南北を挟まれた中庭のほぼいっぱいを使って建てられたもので、立地的にあまり風通しが良い場所とはいえません。書類によれば今年の4月に最終のVOC(建材等の化学物質)検査が行われ、5月あたりから本格的に使用が始まったようです。その頃に入室した私の娘が二度、クラスメートの皆と入室をして、二度とも「頭痛がし、吐きたいのだけれど吐けない」という状況になり、居たたまれずに室外へ出ては水を飲んでまた戻ってくるということを幾度か繰り返しました。ちなみにこれまで娘が、自宅を含め他の場所でそのような状態になったことはなく、今回の件もパソコン・ルームを出れば症状は収まりました。

 

 この話を娘より聞き、私たち夫婦でインターネット等であれこれ調べた結果、建材や接着剤等に含まれる化学物質が原因であるシック・スクールではないかと思い至りました。その中にはこんな新聞記事もありました。(※これは学校へも提出させていただきました) 特に妻は娘の症状がさらに進み、日常的にも支障の多い化学物質過敏症になることを懸念しました。

 

子供を苦しめる「シックスクール」 毎日新聞

◆原因物質変わり、対策後手に「シックハウスは過去の話」という声を聞く。建材から出る化学物質(VOC=揮発性有機化合物)で体調を崩すシックハウス症候群。確かに、規制がかけられたが、なくなったわけではない。決まった対策さえ取れば問題は起こらない、という誤解と過信がないだろうか。そんな思いから「消えないシックハウス」(くらしナビ面、1月17〜19日)を連載した。
特に、体重比で大人の2倍の空気を吸う子供への影響は深刻だ。耐震化の大規模改修が続く学校現場で、新たなシックスクールが発生している現実に目を向ける必要がある。

 この問題の取材を始めた10年ほど前、学校で不調を訴える子が相次いでいた。新改築後の学校で頭痛や発熱を起こし、ぜんそくがひどくなる。登校するとぐったりし、帰宅すると元気になる子もおり、怠けや不登校だと誤解されることも少なくなかった。頑張って登校して症状が悪化し、長い間学校に戻れなくなった子供たちにも会った。

 原因物質が規制されたのは02年。文部科学省は、学校の新改築時に空気中のホルムアルデヒド、
トルエン、キシレンなど4物質(現在は6物質)の測定を義務付け、濃度が基準値以下と確認後に引き渡しを受けると決めた。この対策により、生徒数十人が一斉に体調を崩すような事件は激減し、
私もシックスクールは過去の話になると思った。

 現実は違う。07年以降、北海道、宮城、東京、大阪、熊本などで被害の報道がある。

 注目すべき第一の点は、原因物質の変化だ。以前は「ホルムアルデヒドかトルエンが基準値を大幅に超過」というケースが大半だった。最近はアセトアルデヒド、テキサノールなど検査対象外の物質だったり、不明が多い。従来の対策で根絶はできないのだ。第二に、保護者がシックスクールを疑っても、被害者が少数だと否定されることも多いという問題がある。

学校側が口にするのは
「6物質を検査した」
「国の基準をクリアした建材を使っている」
「具合が悪いのはお宅だけです」−−。
発症者は無理解に苦しみ、時に仮病を疑われる。

◆受験や就職あきらめる子も

 連載では岩手県内の小学校の例を挙げた。専門医が「改修工事によるシックスクール」と判断したが、原因物質は今もわからない。この小学校は判明直後に換気を強化し、全児童の健康調査をした。

それでも結局、74人が不調を訴え、数人が泣く泣く転校したことを全国の教育関係者は心に刻んでほしい。

 難しいのは、子供が体調の変化を明確に伝えられないことだ。連載で内山巌雄・京都大名誉教授も
「以前のような激烈な症状がない」と指摘した。典型的な頭痛やのどの不調を、親は風邪だと思いがちだ。

 こうして兆候が見過ごされると、問題は深刻化しかねない。学校が好きで具合が悪くなっても登校する子も多い。化学物質を吸い続け、シックハウス症候群になる。重症化すれば回復に膨大な時間がかかり、思春期にわたって長く苦しむ子もいる。

 大阪府内の保育園で被害にあった子は、小学生になっても鼻水や倦怠(けんたい)感が取れないという。東京都内の小学校で同症候群になった女児は、薬の臭いに敏感になり、医薬系の職を目指すことをあきらめた。別の女子生徒は、3年以内に改修予定がある高校の受験をやめた。学校を選ぶ基準は学力の水準や校風でなく「説明会に行って、苦しくならなかった学校」だった。

 たとえ少数でも、何の落ち度もない子供たちが職業の選択肢や夢を壊される−−それがシックスクールの現実だ。

◆化学物質の総量、チェックが有効

 シックハウス問題に詳しい柳沢幸雄・東京大大学院教授は「数え切れないほど化学物質がある中で、
新たなシックハウスを防ぐにはTVOCをチェックすべきだ」と主張する。TVOCは規制外の化学物質も含む揮発性有機化合物の総量で、国は空気1立方メートル中400マイクログラムの暫定目標値も設けている。

 TVOC測定は、おおむね1校で10万円はかかるが、学校の新改築時に義務化すべきだと思う。
目標値を超えれば換気を強化し注意を呼びかけ、大幅超過なら使用延期も含めた対策が必要だ。

 シックスクールで苦しんだ児童の親たちが地元議会あてに書いた手紙の写しがある。

 「子供に何度『学校に戻りたい。友達と一緒に過ごしたい』と言われ、涙を流したでしょう」
「症状が出る子は転校すればよいのですか?」

 8年前のものだが、今シックスクールと闘う親の声と全く同じだ。対策は進んだが、被害者の悩みは何も変わっていない。国はその事実に目を向けてほしい。

(毎日新聞 2011225日 東京朝刊)

 

 この記事を持って後日に、私が校長室で校長先生と担任のT先生とお話をさせて頂いたのはご存知の通りです。そこで私は、文部科学省が学校環境衛生基準で義務付けているVOC(建材等の化学物質)検査が適正に行われたのか、行われているのであればその結果を見せて頂きたい、と要望しました。

 

また併せてパソコン・ルームも見せて頂きました。教室一個分ほどのスペースに40台のPCとモニタがずらりと並んでいます。前述のとおり立地的には風通しが良いとは言えず、窓を開けても、南北どちらも既存の校舎が間近に迫っているため気分的にも閉塞感があるように感じられました。先生のお話では、まだ出来て間もないため利用の頻度は少なく、娘が入ったときも(おそらく)一週間ぶりに教室を使用した、ということでした。一週間、締め切っていた状態だったということです。四隅に換気扇が一つづつ、計四個設置されていましたが、ふだんは停めていて、教室を使用するときだけ動かすというご説明でした。又、先生ご自身も新築の建物に特有の独特の匂いがかなり濃厚に感じられる、というお話でした。部屋の隅に大型の扇風機が三台あり、夏場に使用するということでしたが、これを空気の循環に利用しても良いのではという提案をさせて頂きました。

       ところがこの換気扇については、工事終了後に施工業者より四個のうち一個を24時間動かして換気をするよう言われていたのを学校側で忘れて行っていなかった、とこの日の夕方に校長先生よりお電話で説明を頂きました。本日より24時間稼動させる、とのことでした。

 

 校長先生より、今回の件で保護者である私の方からも直接、教育委員会へ電話で要望してもらえたら・・・ ということでしたので、早速電話をして同じような内容を伝えました。教育委員会総務課のSさんが対応してくれました。その後、Sさんに改めて電話をして具体的に次の項目の提出をお願いしました。

 

@      VOC検査の結果

A      上記検査にかかった費用(内訳・・・適正な金額か?)

B      使用建材の一覧

 

数日後、校長先生を経由して、教育委員会総務課より以下の書類を頂きました。

 

 @「分析結果報告書」(VOC6項目の検査結果)

 A「製品安全データシート」(巾木糊、エコロイヤルセメント、NEWエコノール)

 B「出荷証明書」(NEWエコノール)

 

 これらについて、後日に私と教育委員会総務課のSさんとの間で(平日は私がなかなか休みがとれなかったため)電話による協議を幾度かさせて頂きました。延べ時間は累計三時間以上に及んだかと思います。

以下、それを踏まえて要点をまとめてみます。

 

 まず@の「分析結果報告書」については、なるほどきちんと測定結果の報告がされていますが、よく見ればこれは分析依頼を受けた大阪の滑ツ境分析センターが、今回のPCルームを受注した施工業者の大和リース鰍ノ宛てて報告した形となっています。しかも「試料採取者」の項には「依頼者採取による持込み」とあります。つまり施工業者が適正な施工をしたか調べる分析を、当事者の施工業者自身が試料採取を行い、持込みをして、分析結果の報告を受けているのです。分析結果に利害のある者に分析が委ねられている。これは常識で考えれば「公正適正な検査」とはとても言い難い。今回の原発事故で、そもそも原発を推進している経産省の下にその原発を規制する原子力安全・保安院があることの愚策が語られましたが、ここにもまさにおなじ構造があり、それを誰もおかしいと思わない現実がおなじようにあるわけです。

 

 次にAの「製品安全データシート」ですが、これはそのタイトルから私のような素人はつい、巾木糊やエコロイヤルセメント、NEWエコノールといった化学物質の疑いのある建材、塗料、接着剤等について「安全であることの証明」がされているデータなのかと思ってしまいがちですが、じつはそうではないことが今回判りました。

 

一例をあげれば巾木糊の最初の「1.化学物質等及び会社情報」の中の「使用上の制限」に「JISA5536に基づくF☆☆☆☆製品でありますので、使用上の制限はありません。云々・・」といった表記があります。この「F☆☆☆☆製品」について教育委員会総務課のSさんははじめ電話口で、「それは化学物質がゼロということです」と私に説明しましたが、じつはこの「F」は今回のVOC6項目に含まれているホルムアルデヒドの「F」であり、「☆☆☆☆」(フォー・スターと読みます)はその含有量の程度を示す等級であり、「☆☆☆☆」はその中でいちばん含有量が低い等級レベルですが、けっしてSさんが説明されるような「化学物質がゼロ」を意味しているわけではないのです。低量ではあるがホルムアルデヒドは含まれている。しかも悪質な業者の中にはこのVOC検査を逃れるために、ホルムキャッチャーなるホルムアルデヒドの発生を一時的に抑える液体のホルムアルデヒド吸着剤を用いて結果、その効果が薄れた後の再検査で高濃度のホルムアルデヒドが検出された例もあるそうです。こうしたことはWeb等の情報を探せばいくらでも判ることなのに、これらの書類を実際に受け取っているSさんのような人が「F☆☆☆☆製品」の正しい意味すら知らないことに、私は正直驚かされました。

 

 Aの「製品安全データシート」については、そのあとも述べ8ページの長きにわたってこの製品に対する「危険有害性の要約」「組成及び成分情報」「応急処置」「火災時・漏出時の措置」等々の項目と説明が並んでいます。たとえば妊娠のラットやマウスを使った生殖毒性の実験(原液の吸入や口径投入)では胎児の死亡や奇形が見られたが、「信頼性のあるヒト暴露例のデータがない」、だからとりあえずは安全ですと(と暗にほのめかす)いったような具合です。そしてこれらの書類では、最後の枠外に【ご注意】という決まり文句が記載されています。

 

 【ご注意】

 記載内容は、現時点で入手できる資料、情報、データに基づいて作成しておりますが、記載のデータや評価に対しては、いなかる保証をなすものではありません。

 又、注意事項は通常の取り扱いを対象としたものであって、特別な取り扱いをする場合は用途・用法に適した安全対策を実施の上、お取り扱い願います。

 危険・有害性の評価は必ずしも充分ではないので、取り扱いには充分注意して下さい。

 これはとても不思議な文章で、おそらく日本語ではないと思います。「製品のさまざまな情報について8ページにわたって評価をしてきたが、その評価はいかなる保証をなすものでない。同じように危険や

有害性についての評価も充分でないから、充分に注意されよ」と言っているわけです。評価をするが、その評価は確かでない、というなら、ではこの「製品安全データシート」はなんのためのものなのか? これについて教育委員会総務課のSさんからは回答を頂けなかったので提出業者へ確認してもらったところ、この「製品安全データシート」はそもそも出荷時から製品に備えついてくる書類であって、元を辿れば運搬時の事故の際などに消防署や警察が対応する参考資料として添付が義務付けられるようになったものだとのこと。つまり「安全性を保証する書類」というわけではない、言ってみれば運搬や施工に関わる業者向けの添付資料に過ぎないということです。しかし「製品安全データシート」という名前と、如何にも専門的な記述の並んだ8ページにも及ぶその分量から、私たちは思わず「これは安全を証明しているものなんだろう」と思ってしまう。

 

 Bの「出荷証明書」については特に私が要請したものでもありませんが、それよりむしろ、「このような建材や塗料、接着剤等を使います」と提出された書類どおりのものが実際に施工現場に納品されて、使われているかどうか、現地での確認はされているのか、とSさんに質問しました。そこまではしていない、という返答でした。否、そこまでしなくてはいけませんか? と逆にこちらが問われる有様でした。受託業者が利益を出すために、提出書類とは異なる安い(危険な)建材等を混ぜたりした場合にノーチェックになるのではないか? とのこちらの問いに、「どこまでやっても、切りがないでしょう。仮に接着剤の缶の内容を入れ替えられていたりしたら、私たちには判りようもありませんし」との返答でした。これには唖然とさせられました。すでに監督者たる責任を投げているとしか言いようがありません。「切りがない」のではなく、子どもたちの安全のためにできることはなるべく何でもやっていく、というのが基本姿勢ではないのですか? と言わさせて頂きました。

 

 折りしも新聞に、名古屋市が発注した下水道工事をめぐって、市が委託業者に提出データの偽造を指示したという記事が載った頃でした。工事予定地の土壌がもともとフッ素やヒ素が高濃度に検出される一帯だったために、工費を抑える目的で別の地域の土壌検査の結果を流用するよう指示し、業者がそれに従ったという事件です。土壌の汚染が判明すれば、これを処理するための新たな予算が必要になるので見て見ぬふりをしたわけです。この事件については後の取材で「ほぼ同時期に周辺で発注した別の6件の工事に関する土壌検査で環境基準値を超えるフッ素やヒ素が計16地点で検出されながら、市がいずれも公表していなかった」ことが判明しています。自治体でさえもこのような体たらくですから、ましてや入札競争で価格を抑えられた民間業者たる施工者側が、少しでも経費を抑え、自らの利益を出すために、データを改竄し、使用建材を変更する、あるいは申告した建材に安価な粗悪品を混ぜて施工しようとする可能性がいつでも存在していることくらい、いまどきの小学生だって察しがつきます。じっさいに私は、京阪地域で小中学校の建設や補修工事の入札に参加している知り合いの業者から、そうした改竄による利益操作は業者間では自明のことであるという話を聞きました。かれら曰く、「教育委員会の人たちは滅多に施工現場を見に来ることもなく、書類だけ揃っていたら何も言わない」とのことです。

 

 今回の教育委員会総務課のSさんとの話し合いの後半で、私は具体的な提案のひとつとして「施工業者と利害関係のない第三者機関を教育委員会自らが選定して、その第三者機関が自ら試料を採取して持ち帰り分析し、それを直接教育委員会へ報告するという遣り方での、再検査を行って欲しい」と要望しました。数日後、Sさんより電話があり、「お父さんの仰る遣り方で再検査をすることにしました。ついてはお父さんにも試料採取の日に立ち会って頂けませんか?」と言われました。「私がお願いしたことですから勿論、立会いは仕事を都合してさせて頂きます。それでは今後もおなじような校舎の建設や増設の工事があった場合には、おなじような形で検査をしてもらえるわけですね?」と私が言うと、Sさんは、「いや、それは・・・」と受話器の向こうで困ったような声を出しますので、「現在の検査が公正でないという私の主張を理解してくれたから今回、再検査をしてくれるのではないんですか?」と訊くと、「いや、今回はお宅のお子さんがじっさいに気分が悪くなられた事例があったので、私どもでもそれを考慮して再検査を決めたわけです。今後の工事は、それはまた別の話で・・・」と仰います。「それはSさん、あなた、言っていることがおかしいでしょ」と私は思わず声を荒げました。「私の子どものことだけじゃなくて、いまの検査のシステムでは公正さに欠けるし、チェック機能も充分でないから改めて欲しい、というのが私のお願いしていることです。前回の検査方法に不備があったからもういちどやり直しますというのが今回の話であって、今回だけやり直して、次回からはまた従来の方法に戻るというのは筋が立たないでしょう。従来の方法を今後も続けるのであれば、検査方法に不備はないから再検査の必要はない、とあなたは言い切らなければいけない。判りますか? あなたの仰っていることは矛盾していますよ」

 

どうもこの理屈がSさんにはなかなか理解して頂けなかったようで、「いや、業者も契約を交わしている以上、こちらも相手を信頼をしてお願いしているわけですから」、だから不正はあり得ない、といったようなことを言われます。あるいは再検査について、「もし再検査をして、異常が出なかったらどうしますか?」なぞといったことまで言われます。後者については私もさすがに少々カチンと来て、異常値が出るか出ないかは結果論で、検査の方法が公正さに欠けるからやり直してくれと言っているわけです。そうやって一つづつ潰していくしかないわけでしょ。まだそんな頓珍漢なことをあなたは言うわけですか」と呆れ果てました。

 

「これまでの私との話をよく思い出して下さい」と私は言いました。私のVOC検査の結果要請に対してあなたが私に提出された「製品安全データシート」について、あなたはそこに記載された「F☆☆☆☆製品」の意味すら知らず、「安全評価は保証していない」という(日本語として体を成していない)【ご注意】の但し書きにもこれまで疑問を感じず、ただ受け取って判子をおしているだけで、しかもよくよく聞けばこの書類は業者向けの添付資料であって製品の安全を証明するものではなかったという。仮にこの「製品安全データシート」の内容を百歩譲ったとしても、ではこれらの提出された書類に記載された使用建材や塗料、接着剤等がじっさいにそのとおりに納品されて、じっさいにそのとおりのものが使われているかどうか、一度でも現場を見て確認をしたのかというと、それはしていないし、する時間もないし、する必要性も感じていない、と仰る。つまり、大量の書類だけがあって、何もじっさいに現場で確認されたものはないわけだ。そのような状況であるなら、今回話題になっているVOC検査はまさに子どもたちを守る最後の砦のようなものなのに、その最後の砦すら、検査結果に利害関係のある施工業者自身に丸投げで、いっさいをお任せしている。そんな状態で、もし、万が一ですよ、業者が儲けのためにデータを改竄して危険な化学物質を含んだ安い建材をたとえば半分でも混ぜて使ったりしたら、いまのシステムでいったい誰が、どうやって、それを知ることができるんですか? あなたはそれを気づくことができますか?」 Sさんは答えに窮して、黙ってしまわれました。

 

 今後の郡山市内の小学校に於けるVOC検査について「施工業者と利害関係のない第三者機関を教育委員会自らが選定して、その第三者機関が自ら試料を採取して持ち帰り分析し、それを直接教育委員会へ報告するという遣り方で査を行う」ことを約束して下さい、という私の要望を、(そこに辿り付くまで紆余曲折はあったにしろ)最終的にSさんは了承して下さいました。それを今後の契約の仕様書中に明文化してくれ、今後人事異動等で担当が変わっても引継ぎを行う、というものです。(但しこれの適用範囲はSさんの担当されている郡山市内の幼稚園と小中学校に限られ、保育所と養護学校は文部科学省でなく厚生労働省の所轄になるので難しいとのこと。「それは横の連携はとれないのですか?」と訊ましたが縦割り行政の壁は厚いとの説明で、私も不満ではありましたが、これ以上の要望は今回は断念することとしました) できたら次のどこかの契約の(修正された)仕様書コピーを確認のため後日に頂戴できないか? とSさんにお願いしましたが、「それはちょっと・・・」と仰るので、「判りました。ではその件については、私は“人間として”あなたを信頼しますから、必ず約束を守ってくださいね」と言い、Sさんも「約束は守ります」と答えてくださいました。

 

 以上のような経緯で、今回の南小学校のPCルームについては第三者機関による公正なVOC検査の再検査と、今後の他の教育現場に於ける工事の際に同じような(施工者側とは独立した)検査を行う旨を契約の中に明記することを、教育委員会として約束をして頂きました。この結果について、組織の一人として英断をして下さったSさんに、私は深い敬意を表したいと思います。Sさんも郡山市教育委員会の組織の一人であり、私は郡山市教育委員会という組織に疑問をぶつけ、苛立ち、ときに声も荒げたわけですが、Sさんは組織の一人として自身でできることの精一杯を今回示してくれたと、私は理解しています。必ずしも上品ではない私の対応に最後まで根気よく付き合ってくださったSさんに、私は感謝します。

※後日にSさんとのすり合わせにより、76日(金)の800よりPCルームの換気、1230に閉鎖をして試料の採取を前回とは別の分析機関(SさんがWebで自ら探された)が行い、両方の時間帯に私も立ち会うことをお約束しました。

 

 今回の件を通じて私が感じたのは、子どもたちの教育現場の環境や安全を守るためのシステムが、如何に粗雑で杜撰なものかという点です。危険な薬剤や化学物質が子どもたちの環境に違法に使われる危険に晒されながら、そもそも施工業者を監督する教育委員会の担当者の方も、おそらく人事異動などで数年毎に入れ替わりスペシャリストが育たない遠因もあるのでしょうが、知識があまりになさすぎる。そうしてかれらが重要視するのは、現場ではなく、書類です。必要な書類がきちんと揃ってさえいたら「認可」なわけです。先日の新聞に、アメリカの原子力規制委員会の検査官の記事がありました。日本の原子力安全・保安院の検査官は電力会社の提出する高さ10メートルに及ぶ膨大な検査書類の審査に追われてなかなか現場に足を運べないが、アメリカの原子力規制委員会の検査官は現場重視で、現場に常駐し、どこでもフリーに入れ、抜き打ち検査を行う、という比較記事でした。

 

 検査官に求められる資質はなにか。マーク・ミラー所長は「旺盛な好奇心」を挙げる。「ジャーナリストと一緒です。情報をうのみにせず道理があるか判断し、質問し、検証する」


 奈良林直・北海道大教授は指摘する。「日本も米国式の現場主義に改めないと国民の理解は得られない。いまの書類主義は明治時代のやり方です」


(朝日新聞 2011622日 朝刊)

 

 これは原子力発電所の検査に関する話ですが、なんと今回の件にもぴったりと当てはまる内容でしょう。

 

 またつい最近、新聞紙上を賑わせているVOC(化学物質)絡みの事件では、印刷会社で働く人に胆管がんの発生率が異常に多いというデータをある大学准教授が調べていて、その実態が徐々に明らかになってきた、というものがあります。これは印刷見本のインクを洗浄する洗浄剤に、ジクロロメタンと1、2ジクロロプロパンという科学物質が含まれていたことが洗浄剤の製造元への確認で判明し、これらはアメリカでのマウス実験で「いずれも肝腫瘍が増えた」というデータがあり、これが発ガンに関わっているのではないかということで、現在、厚生労働省が全国の印刷会社の調査をすすめています。ちなみにこの事件で指摘されている化学物質は、法的には販売を禁じられていません。

 

 この事件からも判るように、人間が作り出した科学物質は無数に存在して、なお日々増え、そして私たちの日常にふつうの顔をして氾濫しているわけですが、たとえマウスやラットを使った実験で腫瘍が増えたり、胎児が死んだりしても、それこそ今回の「製品安全データシート」がいみじくも書いているように「信頼性のあるヒト暴露例のデータがない」という記述で済まされてしまうわけです。そして「【ご注意】危険・有害性の評価は必ずしも充分ではないので、取り扱いには充分注意して下さい」です! 危険物質として調査され、認定され、使用が規制されるのはたくさんの人間にじっさいに害が及んでからです。実際にこの印刷会社の例でも既にがんで亡くなった人が複数いて、がんの発生率は通常の600倍という異常な数字が出ています。水俣病でも最近の石綿事件でも同じことですが、死んだ人は戻りません。

 

 そのような状況下に現実、私たちはいるわけですが、特に放射能でも化学物質でも大人より受ける影響が大きい子どもたちの教育環境を守るためのチェック機能が、残念ながら今回、私が見せて頂いて限りでは、ほとんど機能していない、と言わざるを得ません。それらの原因をひとつづつ突き詰めていくと、そこに見えてくるのは人手が足りないとか、時間がないとか、縦割り行政の弊害だとか、契約の事情だとか、担当が異なるだとか、予算の制約だとか、書類上は問題ないだとか、すべて大人の都合や理屈ばかりです。大人の都合や理屈のために子どもたちが危険に晒されているという状況に、私は怒りと苛立ちを覚えます。「あなたは書類の方を向いているんですか? 子どもたちの方を向いているんですか?」と私は何度かSさんに訊ねました。

 

ホルムアルデヒドの発散速度について、例えばこんなシックハウスについてのサイト上の説明文がありました。

 

式に表すと、何だかややこしい計算のように見えますが、中身は単純。

簡単にいうと、建物の用途や換気の回数によって決まる係数に、ホルムアルデヒド発散建材の使用面積(u)を乗じた数値が、その居室の床面積(u)以下になるようにしてくださいね、ということです。
 
ただ、実際の現場では使用制限がかからないF☆☆☆☆を使うことが当たり前のようになってきています。というのも、建築基準法が改正されてから、建材メーカーは内装材のほとんどを、規制対象外(F☆☆☆☆)となるように製造しているからです。建材メーカーが、商品が売れないと困るため、必死で努力している現われなのでしょう。

しかし、これには少なからず問題があります。建築基準法で規制しているのは、あくまでホルムアルデヒドなので、これに代わる化学物質なら規制の対象にはなりません。ホルムアルデヒドをゼロにしたからといって化学物質がゼロになっているわけではないのです(ここ要注意!)。
事実、ホルムアルデヒドの規制が厳しくなってから、その代替材となるアセトアルデヒドという化学物質が増加傾向にあるという報告もあります。
まさにイタチごっこを思わせるような話ですが、アセトアルデヒドはホルムアルデヒドと性質が似ており、シックハウス症候群を引き起こす原因物質の一つとされています。
このことからも分かるように、F☆☆☆☆の建材であれば必ず安全ということではないのです。

法律が整備されてもシックハウス症候群がなかなか減らない理由は、こういうところにあるのかもしれません。

シックハウス大事典 http://www.sick-house-daijiten.jpn.org/index.html

 

 私は冒頭に紹介した毎日新聞記事中で大学院教授が提言していた「数え切れないほど化学物質がある中で、新たなシックハウスを防ぐにはTVOCをチェックすべきだ」という意見に賛成です。TVOCとは「規制外の化学物質も含む揮発性有機化合物の総量」を量る検査で、国の指導による検査項目には入っていないが、より子どもたちの安全を考えるのであれば、私はこの総量検査を行うべきだと思います。ホルムアルデヒドの発散速度が5μg/uh 以下の「F☆☆☆☆製品」で満足するのではなく、より子どもたちの安全を考えるのであれば、それこそ化学物質ゼロの無垢の建材(もしじぶんが予算を気にせずに、じぶんの家族が安心して住めるマイホームを建てるために自由に選択できるとして選ぶような材料)を使うべきだと思います。それを考え、改善し、現実に反映させていくのが大人の責任ではないでしょうか。なんにせよ、換気をしなければ気分が悪くなるということ自体が、そもそも異常なことです。

 

 最後に、私は、これらのことを教育委員会にすべて委ねるのではなく、やはり子どもたちと常にいっしょにいる現場のすべての先生たちにも知って欲しいと思います。じぶんたちが子どもたちといっしょに授業をする環境が、どのように管理されているのか、いないのか、先生たちも知るべきだと私は思います。そして必要であれば私のように声をあげるべきだと思います。疑問をぶつけるべきだと思います。教育委員会より提示された書類を子ども経由で私に渡したとき、校長先生はその内容をご覧になったのでしょうか? ご覧になったのであれば私と同じように書類の内容に疑問を持たれたのでしょうか? そのことを教育委員会に質問をされたのでしょうか?

 

 繰り返しますが、大人の都合や理屈のために子どもたちが危険に晒されているという状況に、私は怒りと苛立ちを覚えます。今回、第三者機関による再検査と、以降の工事に於ける契約内容の改定について、教育委員会よりご理解とお約束を頂きましたが、私はそれですべてが解決したとは思っていません。今回のけっして穏やかでないSさんとの話し合いを経て、私も頂いた専門書類を拝見するために、仕事を終えて帰宅した深夜に主にインターネットを使って少なからぬ時間を調べものに費やしましたし、お相手を頂いたSさんも私の指摘を受けていろいろ勉強をされました(「F☆☆☆☆」の意味もはじめて理解されたわけです)。なかなか融通のきかない組織の中に於いてであっても、一人一人の意識が変わることによって、現実を少しづつでも変えていくことはできるのだと、私は信じています。

 

 この拙文及び今回の経緯をぜひすべての先生方に知って頂き、考えていただきたいと思います。

2012.6.30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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