gomu67
ゴム消し(TOP) ゴムログ BobDylan 木工 Recipe others BBS link mail
□ 日々是ゴム消し Log67

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毎朝5時頃にジップの鳴き声に起こされ、早朝の散歩へ行く。たいていは車椅子に乗った子もいっしょで、片手で車椅子を押し、片手でジップのリードを持つ。自然と顔なじみのいわゆる“犬友”もできてくるが、残念ながら若い女性は皆無で、ほとんどはおじいさんかおばあさんの“犬友”である。朝がそんなだから畢竟、夜は9時くらいになるとそろそろ眠くなってくる。夜10時が近づいてきたら、明日の散歩のことを考えてベッドへもぐりこむ。だからPCも、かつてのように頻繁には開くことがない。

 子は車椅子に乗って週に2回ほど、塾の夏期講習に通っている。帰ってくると必ず授業の話をするから、学校の授業より面白いらしい。もっとも授業の内容というより、講師のキャラクターについての言及が多いのだが。骨盤を継ぎ足した左足はギブスの期間は体重をかけることを禁止されているので、家の中では移動が大変だ。はじめはじぶんで地べたを這っていたのだが、膝小僧が擦りむけてきたため、いまはトイレへ行くにも洗面所へ行くにも親が抱っこをして移動させているので手間がかかる。二階へあがるときはおんぶであげる。お風呂(夏場はシャワーだけで済ませることが多いが)はギブスを濡らさないように、毎回ゴミ袋を足につっこみ、百円均一で買ったマジックバンドで止めている。用心のため袋の中、ギブスの上端にタオルを巻いて、それもマジックバンドで止める。

 Dが中国へ行くことになった。交通隊の若き遊撃隊長だが、もともとは大学院で古代史を専攻して、平日は奈良文化財研究所で木簡の調査を手がけている研究者の卵だ。わたしが現場にいるときからよく歴史や音楽について話をすることが多く、いちどは平城京跡をかれの解説で回ったあと、寮さんの家でワインをしこたま飲んで二人でそのまま泊まってしまったこともあった。そのかれに奈文研の教授から、中国の鄭州の大学で生徒たちに日本語(新聞を読み、卒論をかける程度の)と日本の古代史を教える仕事の話が舞い込んできた。1年間の契約だが延長の可能性もあり、また戻ってきても奈文研での席はあけておくから―――つまりは“箔をつけて来い”ということだ。悩んだ末に、かれはこの話に乗ることにした。昨日、支社にやってきたかれに心ばかりの餞別を渡した。そして夕暮れのベランダで煙草を吸いながら人生の転機について、中国の体制や治安について、また皮膚感覚の圧倒的な存在感に晒されることに対する勇気と渇望、不安と欲望について話をした。

2010.8.7

 

*

 

 民際センターから奨学金の証書なるものが届いた。中に学校の校庭で撮影したと思われる少女の写真が一枚。ラオス国境に近いタイのサコンナコーン市の中学校に通うことになった JIRADA RAMONGKON 、14歳。身長147センチ、体重40キロ。43歳の母親と二人暮しで、離婚した父親は名前も年齢も職業も空欄となっている。

民際センター http://www.minsai.org/

2010.8.8

 

*

 

 前述のタイの少女について。名前の読みは(民際センターにメールで問い合わせ)“チラダー・ラモンコン”、愛称は“テープ”。中学から英語を勉強するので、文通は英語で書いて欲しいとのこと。先生が補助してくれる。あて先は学校宛で、返信用のタイの切手を同封すれば返事の可能性が高くなる。生徒にプレゼントをしたい場合、タイは“価値のある荷物”については受けて側に関税がかかる場合があるので、目立たない封筒か、もしくは現地調達の文具などを依頼することもできる、云々と。とりあえずはこちらの家族の写真を簡単な紹介文といっしょに送ろうかと話している。

 We Had It All という切ない悲恋歌に出会ったのは、ディランがトム・ペティ&ハートブレイカーズを率いて全米を回っていた海賊ビデオの中でだ。その曲をストーンズのキース・リチャーズが演っているのを最近、ユーチューブで見つけて、またはまってしまった。心地よい海風に向かってわざと軽やかにおどけてみせているようなディランの演奏に比べて、キースのそれは実に正攻法。いぶし銀の、炭鉱夫役の寡黙な高倉健が掘っ立て小屋の暗闇でそのがさついた唇から洩れた溜息のような味わいがある。iPODにそんなキースの演奏を入れて日がな聴いていると、ほんとうに大事なもの(じぶんがすでに手にしているもの)が見えてくるような気がする。この隠れた名曲は、アラバマ出身のソング・ライターであるドニー・フリッツ(Donnie Fritts)がトロイ・シールズと共作したもので、長いこと“幻のデビュー・アルバム”として語られてきた1974年のかれのソロ・アルバム Prone To Lean に収められている。数日前、Amazon でそのアルバムを購入した。ディランのSlow Train Comin' と同じマッシュル・ショールズ録音で、かのダン・ペン(Dan Penn)やジェリー・ウェクスラー(Jerry Wexler)、クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson)などが参加。カントリー・サザン・ロック調のいい味を出している。

 夕食後、テーブルの足元に寝そべって何やらノートに書いている子が「今日はよくペンが走る」と呟いた。何を書いているのかと問えば、1年生の時の書きかけの日記の続きを書いているのだという。おかしなやつだ。

 今朝の早朝の犬の散歩は、いつもとはちょっと違う方向へ行ってみた。緑の深い堀のような池の脇を抜けると小さな神社と寺が向かい合った、人気のない不思議な空間に出た。神社は土地の神さまのてんこ盛りのような社だった。拝殿の板の間にじぶんでぶつかったぎいっという軋んだ音にびっくりして、ジップが思わず飛びのいた。

2010.8.11

 

*

 

 お盆前、最後の休日(一日だけ)。

 5時半からジップの散歩。今日はこのごろ行っている神社の裏の道を先へすすんでみる。暗がりの中に小さな水路と、それに沿って古びた昔ながらの屋敷の門構えが並んでいる。そこを抜けると畑や池の広がる明るい空間に出る。陸橋の端に軽自動車がやっと通れるくらいの踏切がある。

 帰ってきて玄関横の駐輪場のサイズ(屋根の設置)を測っていると、近所のSさんが生垣を抜いてブロックと土を退けてセメントで固め、市道ととフラットにした方が自転車を入れやすいんじゃないかと意見してくれ、再考することにする。地面を掘り下げるとなると作業工程も屋根のデザインもだいぶ変わってくる。前の長屋のYさんとこんどの“地蔵提灯のお祭”の準備について確認する。

 朝食後、車でホームセンターへ行く。介護用品のコーナーで防水シートを買う。子が就寝中に漏らしてしまうことがあるため。防災用に400円の懐中電灯を買う。庭の簡易テントに垂らして使う予定の作業灯(業者の忘れ物)の電球を買う。業務用のプラ板を一枚買う。北側中央の外壁に出ている屋外用コンセントから7メートル、電気コードを埋設延長して物置予定地まで引いておこうとVVFケーブルやPF管を買うつもりだったのだが、種類がいろいろあって悩み、また漏電などの安全面と、最終的に物置で使う電気容量などを考えるとリフォームを依頼した工務店のMさんに依頼した方が無難かと考えなおしたりする。

 帰ってきて購入したプラ板に切れ込みやカットなどを入れて、ジップのゲージ半面を覆う“飛んだおしっこが壁にかかるの防止 兼 窓枠を齧られることの防止”用の簡易フェンスをつくって設置する。その後でジップを風呂場に連れていってシャンプーをする。いまのところこのシャンプーはわたししかできない。Tシャツとパンツ姿でやるのだが、どちらもびしょ濡れになる。タオルで拭いて、ベランダでドライヤーをあてて乾かす。

 昼食前、リビングのソファーの前に三脚を立てて、タイの少女に送る家族写真をセルフで撮る。昼はカレー。そしてソファーで昼寝。

 子の塾の宿題の算数をすこし手伝ってから、家族三人で図書館へ行く。しばらく市史を読みふける。大正期、一世を風靡したという浪花節芸妓の写真を市の写真集で眺める。もともと浪曲師・吉田奈良丸をお座敷の芸妓が平易に崩して歌ったのが、いわゆる「奈良丸くずし」として大流行になった。かつて郡山で代表的なもの。一に夜桜、二に浪花節芸妓、三に金魚、であったとか。石橋春海「封印歌謡大全」(三才ブックス)、白洲正子・多田富雄「花供養」(藤原書店)を借りてくる。

 家へ帰って子と二人でジップの散歩。散歩の途中で日が暮れる。

 夕食後、ネットで浪花節芸妓を検索していたら、こんなサイトを見つけた。「江戸端唄・俗曲の試聴と紹介」http://sasakimikie.seesaa.net/

2010.8.13

 

*

 

 夜、夕食とお風呂を済ませて家族三人でテレビの前に座り、倉本聡脚本の「帰国」というドラマを見る。南の海に沈んだ“英霊たち”一個小隊が敗戦65年後の現代日本の深夜の東京駅に降り立ち、夜明けまでの短い時間をそれぞれの思い出の場所を訪問するという設定だ。背中や横っ腹に傷口の開いた亡霊たちが深夜の日本を徘徊する内容だから、子は怖い怖いと言ってときどき目をふさいでいたが、頑張って最後まで見た。そもそもの設定や、かつてじぶんが検閲で破棄した戦友たちの手紙を靖国神社で朗読し続ける自殺した“英霊のなりそこね”など、効果的な仕掛けが随所にあって案外と面白かった。“兵隊やくざ”のビートたけしは、浅草の踊り子だった大事なたった一人の妹が延命措置を施された病院で見舞いもなく放置されているのを見て、その後ストリッパーまで零落した彼女が必死で育てた一人息子(大学教授で政府の経済ブレーン)を藤壺のこびりついた自らの短剣で刺殺する。あるいは訪問を終えて幻の軍用列車に乗り込もうとする小隊長へ向かって、“英霊”になれずに死に東京の町をさまよっている左翼くずれの兵隊が言う。「あなたたちは祖国のことを思い続けているが、それは“片思い”じゃないですか?」と。

 幽霊になって現れた妹の一人息子にビートたけしが静かに言う「恥を知れ」は、ディランの歌う Dignity と重なる。

 

Somebody got murdered on New Year’s Eve
Somebody said dignity was the first to leave

大晦日の夜に何者かが殺された
まず最初に奪われるのが尊厳だと 誰かが言っていた

 

 殺されたかれらが生者で、生きているわたしたちが死者であるか。かれらが実体で、わたしたちは昼の闇を徘徊する影か。

 

戦没画学生慰霊美術館「無言館」 http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/kanko/museum/mugonkan.html

2010.8.14

 

*

 

 早朝6時。高円山の峰にオレンジ色に燃えている弾痕のような陽が昇っていた。残骸のような幻の羅生門のまわりに有象無象の連中があつまり一斉にどよめいていた。ある物は扇子を空へ仰ぎ、ある物は鳴り物を叩き、またある物はささらを擦り奇妙な声で御詠歌を唱えていた。それらが巨大な音のうねりのようになって、オレンジ色に燃えている弾痕へ次々と吸い込まれていった。そして、何もなくなった。

2010.8.16

 

*

 

 夕暮れのベランダで9歳の女の子がみずから縊れて死ななければならない世界とは、いったいどんな場所だろうか。彼女の十数冊に及ぶ教科書やドリルのページの端々に書きつけられた「しね」という文字列の悪意は、いったいどこに突き刺さっていたのか。無様に垂れ下がった足の指先か、見開かれた目か、醜くゆがんだ口元か、あるいは心地よい風に吹かれていた髪の一房か。

「なんだか、不思議な感じだね」 朝食の席でもうじき10歳になるわが子に言った。「お前やおとうさんたちは今日もこうして朝ごはんを食べている。なのに首を吊った女の子は昨日ですべてがおわりだ」

 

 午後から病院。子のギブスをいったん外し、筋を止めていた足裏の糸と、接合した骨に通していた針金(径2.5mm)2本を抜く。針金の穴から多少出血があるがじきに止まる。レントゲンの結果は良好。だが後2週間は縦割りにしたギブスの後ろ半分を包帯で巻いて着け、これまで通り体重もかけてはならない。2日後には針金の穴の傷も塞がるので、お風呂には入れるときだけ縦割りギブスを外せる。2週間のうちに新しい装具を作り、その後は少しづつ歩行の練習。しばらくは通学もまだ車椅子が必要になりそうだ。2階の教室へ行くエレベーターは小学校にはないので、学校側とすり合わせが必要。ひさしぶりに見た膝下の足は栄養失調の子どものそれのように細くなっていた。

 夜は今年はじめてのゴーヤチャンプルーをつくる。食後に庭のレモンバームをたっぷり入れたハーブ・ティーを淹れる。「五体に沁みわたるようだ」と最近疲れ気味のYはそのままソファーで眠ってしまう。

 病院の帰り、会計をしている母を待っている車中で、塾の夏期講習に遅刻して行けと言われたことについて。「まったくあの人はどれだけ教育熱心なのかしら」

 夜。お風呂のあとでYが子の歯ブラシを持ってくる。「いいよ、もう、わたしがじぶんでするから」 そう言ってからこちらに向き直り、「お母さんは他人の世話だけで一生が終わってしまうんじゃないでしょうか」なぞと。

2010.8.19

 

*

 

 庭にたっぷり茂ったレモンバームをたっぷり摘んできて薬缶で沸かし、1リットルのペットボトルに入れて冷蔵庫へ。子はこのハーブ・ティーをミルクで割って飲むのが好きだ。

 

多田  匂いは、そういう意味ではもっと過去の喚起能力がありますね。匂いだけで、すごい物語のある情景が思い浮かぶことがあります。

白洲  あります、すごく。私、お香だなんてきっとそういうもんだと思う。反魂香だなんて、幽霊をほんとに見てしまうんですから。

多田  反魂香というのは、お香の匂いで死者と過した情景、その上性的なことまで思い浮かべさせるんでしょうね。

白洲正子・多田富雄「花供養」(藤原書店)

 

 

 反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。

もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという。

日本では江戸時代の『好色敗毒散』『雨月物語』などの読本や、妖怪画集の『今昔百鬼拾遺』、人形浄瑠璃・歌舞伎の『傾城反魂香』などの題材となっている。『好色敗毒散』には、ある男が愛する遊女に死なれ、幇間の男に勧められて反魂香で遊女の姿を見るという逸話があり、この香は平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/07/16 07:35 UTC 版)

 

 もしYが死んだら、わたしにはこの反魂香がぜったいに必要だ、と思う。

2010.8.21

 

*

 

 出勤前の朝6時にテントの設営を手伝ったのがたしか二日前。その「地蔵尊のお祭」(道端の小さな社に石仏が3体、祀ってある)で御詠歌をやるから聴きに来てよと近所のYさんの伝言をYから言われて、ジップの散歩がてらにちょっと覗きに行った。13人の老女たちがめいめい持ち寄った椅子に座り、一人がちんちんと鉦でリズムをとり、テープの坊さんの声に併せてしずかに合唱している。「何ですか?」とYさんの手元を見せてもらったら西国三十三ヶ所巡りの御詠歌集であった。折りしも熱い夏の日差しがぽつぽつと暮れてゆき、狭い城下町の路地に老女たちの歌声が陽炎のように立ち昇り、心地よい風に提灯がゆらゆらと傾いで、まるでこの世ともあの世ともいえない情景にわたしはうっとりと佇んでいた。その間、珍しくジップは大人しくお座りをして待っていた。結局、三十三番目の御詠歌を聴き終えて、わたしは自宅へ戻った。「あとでおいでよ」と声を投げるYさんに「はいはい」と生返事をしながら。

 それからしばらくして夕飯を食べた頃にYさんが、○○さんも誘って来いとSさんが五月蝿いから来てやってよ、とインターホン越しに言いにきたので、「仕方ないな。ちょっと、顔だけ見せてくるわ」と立ち上がった。「来るか?」と子を誘うと「行く」と答えるので車椅子に乗せていっしょに連れ出した。それから1時間後。ミネラルウォーターを飲みかけた子が「お父さん、これ、何かヘンな匂いがする」と紙コップを差し出した。飲んでみるとかすかに焼酎の匂い。Sさんが氷を入れたときに悪戯で混入したのだ。Yさんがじぶんの出戻りの娘をもらわないかとSさんの若いとび職の息子にからんでいる。「真ん中はいいけど、下はダメだ。やめとけ」と昼間も酒の匂いをさせているAさんが横槍を入れる。「なんならわたしがそっち行こうか」とYさん。「どうぞ、持ってってくれ。おれじゃもう使えないから」と横でYさんの亭主。そんなやりとりに、子は車椅子の上で笑い転げている。21時になって、「そろそろ、子どもを寝かさなきゃならないから」と言い訳をして、やっと家に戻ってきた。Sさんが次々と注いできた濃い焼酎の水割りになかば酩酊して。

2010.8.25

 

*

 

 「しのちゃん、いるか?」 近所のYさんが子にビーズを教えに来る。いちじくをたくさんもらう。

 久しぶりにネット古書で沖浦センセの「アジアの身分制と差別」を購入。

 職場であまり使わなくなったモバイルPCを子に貸与、mixi で日記を始めた。→ mixi(要登録)

2010.8.27

 

*

 

 連休二日目。朝、郡山城へジップを遊ばせに行った帰りに、わたしだけ城内にある柳澤文庫へ立ち寄る。過日に図書館で見つけた行政資料の中で、わが家の敷地が江戸時代の町割図のときのままの敷地で残されている部分であることを知った。同時に市史の資料編に添えられていた江戸期の町ごとの図面に、どうもわが家の敷地らしい区画があるのを見つけて、そこに筆文字で何か記されているのだが(おそらく居住者の名前か、屋号)、図面自体が縮小されているので読み取れない。図書館の人に訊くと、現物が柳澤文庫にあるかも知れないとのこと。それでひとしきり企画展示の「郡山藩の歴史」を見てから受付の女性に相談してみた。いわく現在、資料を順次データーベース化していっているのだが、わが家の町はまだそれがなされていない。若しかしたら資料が痛んでいるとか理由があるのかも知れないが、本日学芸員が休みのため詳細は不明。申請を出してもらえれば閲覧は可能だが、町割図については昔のものとはいえ個人情報の部分もあるので直接お見せできない可能性もあるいはあるかも知れない。ただわが家の敷地だけということであれば、館の方で読み取りをして場所が確認できればそこに何が書いてあるのかをお教えすることは可能だ、と。で、念のため免許証をコピーしてもらって氏名と連絡先を書き、改めて自宅からメールで依頼をすることになった。柳澤文庫は月曜・祝日が休館。入館料200円だが、郷土資料を集めた閲覧室は無料で利用できる。

財団法人 郡山城史跡・柳沢文庫保存会 http://www.mahoroba.ne.jp/~yngbunko/mokuji.htm

2010.8.28

 

*

 

 

 夕食後、お風呂へ行く僅かな時間に子と、タイの Ms,JIRADA RAMONGKON へ英文の手紙を書く。返信用のタイの切手は数日前に民際センターより到着済み。

2010.8.30

 

*

 

 昨日は病院。午後に終わった子を車で迎えに行って、そのまま直行。やっとギブスが外れて、レントゲンと、先週型あわせをした新しい装具(左足だけ)の微調整など。傷の経過もレントゲンの結果も良好、とのこと。これからはどんどん歩く練習をしてくれて構わない、特に制限もなしのと由。ただし装具は24時間、寝る時も付けていなければならない。右足は装具はなしだがかかとを固定した特殊な靴を履いている。それに対して左足は装具の上に、装具分大きいサイズの、やはり装具メーカーのスニーカーを履くことになった。片足分だけを学校の上履き・下履き用にふたつ購入。左右でかなりびっこたんの印象は否めない。学校も塾もしばらくは車椅子で通い、合間の時間に歩く練習をすることになる。現状は手すりや壁に手をついて数メートルが何とか。けれど歩けるようになって嬉しい、と声をあげる。これまで家の中では這ってばかりいたので、「視線が高くなって、何かヘンな感じ」とも。

2010.9.3

 

*

 

 遠野のオシラサマ伝説に取材した寮さんの新刊「雪姫(ゆき) 遠野おしらさま迷宮」(兼六館出版)が出版。現在、新宿ジュンク堂にて先行発売中で、一般の書店に並ぶのは来週あたり、とか。

朝日新聞 http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000631008250001

 

アマゾンで予約開始。さっそく注文した。

2010.9.4

 

*

 

 「今日はジップは、どうだった?」 仕事から家に帰って、これがこのところお決まりの一言。それからYの顔色をそっと伺う。わが家のワンコーは、いまや風前のともし火である。子の手術と相まった時期が悪かった。これは明らかにわたしの判断ミスだ。手術前ということで、子に甘かったやも知れない。おしっこを決まったところにやらない。時には意図的にゲージの外へ、しかも何度となくやらかす。そして吠え癖と、噛み癖と。Yはわが家で誰よりも熱心に犬のしつけの本を読み、ネットで調べ、近所の人から助言をもらい、ありとあらゆることを試し続けているのだが、どうもあまり成果が見えない。可哀相だからと出してやったリビングの新しいカーペットの上に見事にマーキングをされて、「お母さんね、泣きながら拭いてた」と子が仕事から帰ったわたしにそっと言う。一日中、そんなふうなお犬様の右往左往に付き合わされて、その合間に広くなった家の掃除や洗濯、食事の支度などの家事、加えてギブスでほとんど歩行の儘ならぬ娘の世話がある。ときには朝いちばんから、子と犬のおしっこの粗相が重なることもある。子の浣腸(1時間くらいかかる)をしている間に、ゲージの中で犬がウンチまみれになっていることがある。Yは最近とみにやつれてきた。不機嫌だったり、すぐに泣き出したりと不安定な日が多くなった。わたしも毎朝5時の散歩のほか、休みの日には極力犬の世話に時間を費やすようにしているのだが、それでもやっぱり限定的だし、仕事へ行っている間は如何し様もない。病気を抱えた子のいる家庭では、やはりペットを飼うということは当初からどだい無理であったか、と思ったりもする。「もし時間を遡れたら、わたしはジップを買うことには反対する」と彼女は言う。わたしも最近はそう思えてきた。子でさえも「う〜ん、難しい判断だ」と悩む。「この間、廊下で“ああっ”ていう大きな声がしてね、お母さんが“地面がぐらぐら揺れて見えた”って言ってた」なぞと子が言うのを聞くと、せっかくわが家にやってきたジップも、誰かに引き取ってもらうことも、あるいは考えた方がいいかも知れない、と思えてくる。昨日、家から帰ったら子がリビングのノートPCを広げ、母が新たに見つけたという犬の調教師のサイトの動画を見せてくれた。1万なにがしかするDVDのセットが「いまだけ3千円」とあって何やら怪しげなのだが、部屋に入ってきたYが「もう注文したんだよ」と言う。「でもこれ、何だか怪しくないか・・」 「いいの。もう藁をもつかむ気持ちなんだから」と言われれば、わたしもそれ以上は返す言葉がない。そんな彼女が、今日もきっちり2時間おきに外でおしっこをさせるためにジップを外へ連れ出す。そして気がつくと灯りを落とした玄関先のゲージの前に少女のように膝を抱えてしゃがみこみ、ジップに向かって「いい子だね、いい子さんですね・・」なぞといつまでもはなしかけている。

 

 アマゾンで寮さんの新刊「雪姫(ゆき) 遠野おしらさま迷宮」(兼六館出版)を予約。

 ヤフオクで The Band の High on the Hog480円 モリスンの伝記「ヴァン・モリソン―魂の道のり」(大栄出版)300円をゲット。

 子の部屋用に注文していた鳥の鳴き声の時計(中国製・ヤフオクで1500円)が届いた。

2010.9.5

 

*

 

 連休、初日。

 早朝、ジップの散歩。

 朝、子を車で学校へ送る。ランドセルや水筒などの荷物をこちらが持ってやり、本人は手すりや柵に手をついて2階の教室まで自力で歩いていく。

 庭に簡単な畝をつくり、小松菜と水菜の種を播く。その後Yと二人で買い物など。百円均一(子の導尿に使う霧吹きのボトルのほか、ドリルの替え刃やサンダーのダイヤモンドカッター(これだけ300円)などを買う)、ホームセンター(子の書類ケース、わたしは大具道具や木材などを見る)、コープ(食材)、ガソリンを給油して戻る。

 昼はソーメン。その後、わたしは昼寝。

 学校へ迎えに行き、そのまま久しぶりのヴァイオリン教室へ。3階までの階段をおぶらなくてはいけないので休みを取ったのだが、これもなんとか自力でのぼる。ただし下りはもう足が痛いと言うのでおぶって降りた。12月の発表会の曲目について、子はアリエッティの主題歌をやりたいと言う。ネットで楽譜を検索して先生とすり合わせすることになる。

 夜はいごっそのラーメン。カウンターだけの狭い店内なので、いままで車椅子のため遠慮していた。わたしは塩、Yと子は二人でいつもの塩バター大盛り。おやじさんはすでにスープと緬を入れた二人の大盛りの上に緬湯でのざる器を落としてしまい、それだけでもういちど初めから作り直していた。

 夜、三人で目下の最大の課題対応。2階のテレビの部屋にこもって、届いたばかりの犬の調教師のDVDを見る。う〜ん。映像は素晴らしいが、問題はこれが現実に反映されるかどうか、だね。

 

 連休、二日目。

 早朝、小雨の中、傘をさしてジップの散歩。緑地公園で昨夜のDVDの「愛情交歓」を試してみるが、やはり映像と現実はかなり距離がある。難しいよ。

 朝、子を車で学校へ送る。子がびっこたんのシューズと片方だけの装具を付けてよたよたと階段を上がっていくのを、3年生らしい女の子二人組みが立ち止まりいつまでも見つめている。子どものこととはいえ、「おい、なんか珍しいか」と言ってやりたい気持ちになる。いつも、こんな視線に晒されているんだろうなと思う。担任の先生と今月末に予定されている運動会の参加について相談する。リレーや綱引きなどほとんどの種目は現状、応援という形でしかやむをえない。唯一、可能性のある踊りについて、先生は車椅子に乗っての手の振りだけの参加を考えていたようだが、本人の意向もあり最終、どこまで回復するか、どこかの段階で踊りの内容を見学させてもらって参加の形を決めることとする。

 Webにて調べもの。子の Arrietty's Song の楽譜は個人が採譜したピアノ連弾用の楽譜を発見(マオウの楽譜部屋 http://maouscore.web.fc2.com/)するが、これをヴァイオリンとピアノ伴奏代わりに使用できるかどうか、わたしが見てもさっぱり分からぬ。他に300円でダウンロードできるピアノ弾き語り版を見つけたが、あるいはこちらかな(ぷりんと楽譜 http://www.print-gakufu.com/score/detail/69612/)。もうひとつは今後、ウッドデッキ製作時などで必要になってくる、ソーホース・ブラケット調べ。これは長い木材を塗装・乾燥するときに乗せておく作業台の如きもので「馬」とも言う。ホームセンターなどで既製のものも売っているが、2×4材をつなぐだけでつくれる金具がアメリカのメーカーであって、これが欲しい。ネットだと送料がかかるので、近くのホームセンターで売っていないかな。

 近所のYさんにゴーヤをもらったので、昼はゴーヤ・チャンプルーをつくることにする。雨が降っていたので、犬のしつけのビデオがないか見てくるというYを車で図書館へ送る。わたしは柳澤文庫に立ち寄って「ふるさと大和郡山 歴史事典」(昭和62年 大和郡山市)を購入してくる。内容も充実の立派な函入りの一冊がわずか1500円というのが感動的だ。それから駅前のスーパーにて食材を仕入れ、Yを図書館へ迎えに行く。ビデオはなかったけど、と言ってまた別の犬のしつけ本を二冊手にして来る。帰ってゴーヤ・チャンプルーをつくる。疲れ気味のYに後片付けはやっておくから、昼寝をしておくようにと言う。ソファーで横になってしつけ本を見ていた彼女はじきに眠ってしまう。

 モリスンの伝記「ヴァン・モリソン―魂の道のり」(大栄出版)が届いた。

 昨夜見た調教師のDVDで、しつけ用に使っていた首輪が「ハーフチョークカラー」なる特殊な首輪であったことを発見。学校へ子を迎えに行ったその足で、近所のペットショップを数件回るがどの店も取り寄せとの由。結局、ネット通販で注文することにする。途中のホームセンターに前述のソーホース・ブラケットが置いてあり購入する。シンプソン社製で、一組819円を2セット。

2010.9.8

 

*

 

 

□ 犬の人生

 

しの  2010.9〜

 

 その犬は、部屋の中でぐるぐるまわっていた。

 犬に正式な名などはなかった。

 すくなくとも、今は。

 ときどき、きちんと正式の名がついた犬がくる。

 その犬のせいかくで、犬はうやうやしくほえるか、しっと心でほえるか、というちがいがある。

 そこは、ペットショップという所だった。

 人間たち、入ってきた人間たちは、『ここ』と言っていた。

 犬たちは、自分でなにか名前をさがし、かりにとしてつけるのだ。

 その犬のかりの名は、ペティだった。

 ペティは、ぐるぐるまわるのをひと休みしてすわった。

 そして、となりの部屋のポクルにむかってほえた。

「おい、ポクル。どうだい、ちょうしは」

 ちょっとまをおいて、ポクルがほえかしてきた。

「まあまあだよ、おまえは?」

 ペティはちょっと考えて、

「30たす5ができるくらいだよ」

 と答えた。

 すると右下から、

「31たす5はだめなんだな」

 とおこったような声がきこえた。

 数学がとくいだと自分で言っているトギーだ。

 たしかに、ペットショップの犬の中で一番計算がとくいだ。

「それはむりだよ。え〜と、え〜と、39かな」

 ペティは自分の手で計算した。

「ちがう、ちがう、大まちがいだ」

 ほんとうにおこった声が聞こえた。

「わたしの手1本に、のこりの手1本と、君の手2本と、ポクルの手2本たして、全員の手は何本だ?」

「7本か、8本」

 ペティは答えた。

「『何本か、何本』ではいけないのだ」

 ドギーはもったいぶって言った。

「数学はきちんとした数でなければいけないのだ。しかも今の君の答えはすべてまちがいで、ある。正かいは、6だ。31たす5もおなじで、36なのだ。それに数学とは―――」

「君のような者がふさわしい」

 ペティとポクルが言って、わらった。

「もうすぐ昼だ。トギー、おおいに楽しめよ」

 ポクルが言った。

「数学こそがわがよろこび」

 トギーがぶつぶつ言った。

「トギー、もったいぶるのはよせよ」

 トギーのとなりのビークスが笑いながら言った。

「お昼になれば、お客がたくさん入ってくる。もしかしたら、おまえを買ってくれる人もいるかもしれないぜ。数学てきなおまえをな」

「本当か」

 トギーは身をおこした。トギーは、お客に買ってもらうというのが一番のゆめなのだ。二番目は数学者になるというゆめだ。

「あのな、おまえ」

 ペティの左上から声がした。ポクルと同じくらい仲よしのトムだ。

「ここにいるすべてのペットが、そういう望みをもっているんだ。なにも望みをおしかくさなくったっていい。すべてのペットに、買ってもらえるかもしれないという可のうせいがあるんだ。買ってくれないことが多いんだが。あいや、そんな顔をするな」

 トギーがうめいたので、トムはあわてて言った。

「しかし、ここでながったらしいせっきょうを聞かしても、あまえたちは耳をかさないだろうな。そらお客さんだ」

 そのとおり、三人のお客さんが入ってきた。

 一人は男で、ジーパンをはいている―――青いやつだ。

 前髪が長めで、ワイシャツをきている。

 二人目は女で、みじかめの髪をうしろにたらし、これもまたジーパンをはいているが、クリーム色だ。

 三人目は娘で、つややかな髪をなびかせ、ワンピースをきている。

 髪はくり色にちかい。

 目はまっ黒で、少し日にやけている。

 かっぱつそうで、おとなしい様子は一かけらもない。

 馬にさわってもよいと言われれば、おそるおそるさわるのでなくって、たずなをひいてパッとのり、かけ足で去りそうだ。

 トギーももったいぶったところをふきとばし、後ろ足で立ちあがった。

 そして後ろにふんぞりかえったものだから、ひっくりかえってかべに頭をぶつけた。

 それでもトギーは立ちあがり、ちらちらと少女のほうを見ていた。

 少女は別の犬を見ていた。

「大じょうぶだ、トギー。見てないぜ、あの子は」

「見てるのは、白犬ラッキーだ」

「ラッキーだって?」

 トギーはとびおきた。

「ラッキーが買われるのか? そりゃ、ラッキーはりこうで、かしこくて、すばやくて、きれいで、おとなしいけど、うすばかで、ばかやろうで、のろまで、きたない、やんちゃぼうずだ」

「ふうん、なるほど」

 ペティとポクルとトムとほかの犬が全員、笑った。

「りこうで、うすばかで、かしこくて、ばかやろうで、すばやくて、のろまで、きれいで、きたないラッキーか」

「トギーの悪口は下町だ」

 どこからか、やじがとんだ。

「だまれ、あの子がきたぞ」

 トムがさけんだ。

「くり色の髪だ」

 ポクルが言った。

「まっ白だ」

 トギーだ。

 せわ係のおねえさんが、ペティのケージをあけた。

 ペティはうれしくってちゅがえりをした。

 少女がうでをさしのべると、ペティはすぐにうでの中へとびこんだ。

 ペティの重さに少々おどろいたようだったが、すぐに気をとりなおした。

 ペティはひさしぶりに外の世界を見た。

 トギーは白くって毛がみじかい。しば犬だ。

 ポクルはギャンギャンわめくマルチーズ。

 トムはおっとりしたラブラドール・レトリバー。

 ポクルは鳴くのをやめて、こしをおろし、考えぶかげに新聞紙をかみはじめた。

 トギーは尾をだらりとたらし、ぐるぐるまわりはじめた。

 トムはそのままの体せいで、わきばらに鼻をつっこんだ。

 ペティがちらりと見あげると、ちょっと鼻をあげて、ゆっくりまばたきした。

 その子は木のベンチへつれていった。

 そして、ゆっくりなでた。

 ペティはねむくなり(なにしろきのうの夜がポクル、トムとひそひそしゃべりっぱなしで、夜を明かしてしまったから)、舌をのばしてなめた。

 そのとたん、ペティの目のはじっこに、ポクルがあわてて立ちあがったのが見えた。

 トギーはうれしさをおしかくせないというようすで、新聞紙をまきちらし、トムはしまったというようすで頭をたれた。

「おい、ペティ。おまえ、あれを忘れたか」

 ポクルがざんねんそうに叫んだ。

「おまえは買ってもらえないんだぞ」

 トギーがちょっとうれしそうに言った。

「かわりに、わたしが・・・」

「おまえは、いいんだよ」

 ポクルが声をあらげた。

「ペティ、おまえ、女の子のうでをなめたりしたら・・・」

 ペティは思い出した。

 たいていの人をなめたりすると、「キャーッ」とかなんとか言って、逃げ出してしまうものだ。だから買ってもらいたい時は、なめない。たしかこんな詩がある。詩だか歌だか知らないが、エドワードとかいう犬がこの詩だか歌だかをつくって有名になったのだ。

 

お客さんに買われる時

 

お客さんに

買われる時は

しゃべらない

歌わない口あけない

お客さんに

買われる時は

かまない

なめない

口とじて

お客さんに

買われる時は

されるがままに

なってりゃいい

 

 

 トムでさえ、あわてて前足の毛をひっぱった。

しかしおどろいたことに女の子は、ゆっくり笑うだけだった。

ポクルはあっけにとられて、鼻をしめらせるのを忘れて、小さい子どもに

「ミテ、ママ。アノイヌ、ココントコ、ヒカッテナイ」

と鼻をさしながら言われたし、トギーなんかは、びっくりしたのとがっかりしたのとで、こしをぬかし、たじたじさがってひっくりかえった。

さっきの子どもが

「ママ、アノイヌ、アノケガナイイヌ、コーヤッテ、コロンジャッタヨ・・・」

 と言った。

「わたしの体に毛がないなど、よくもそんなことを、見ろ、わたしの毛はちゃんとはえている、このこうごうしい白い毛が・・・」

「ははは」

 ポクルがひきつるような声をあげた。

「白い毛はいいよ。トムの毛なみのほうが、よっぽどいいや」

 ポクルは前に二、三度出たことがあり、トムのすがたをたびたび見ていたのだ。

 トムはゆっくり立ちあがって、おもおもしい声で言った。

「あんな子は、前にも来たことがある。私の母の時代に、母が話してくれた。もっとも、くり色の髪じゃなくて、ふつうの茶色だったとか。服もジャーパンだったらしいが、いや、まったく、あの子の母親に似ているね」

 トギーはひどくがっかりしていて、新聞紙をひきさいていた。

 ポクルはペティを抱いた少女が向こうへ行ってしまったので、たいくつでトムに言った。

「なぁ、トム。新聞、よんどくれ」

 トムは少し字がよめるのだ。

「トギーも聞くだろ」

「ああ」

 トギーは少したって、つけ加えた。

「数字のあるとこ、よんどくれ」

「よし」

 トムは一まいの紙きれを見た。

「えー、ナイジェリアで、(一まいぬけてるな)病がはっせい・・・・(ここもぬけたらしいな) 500人が死亡」

「ふん」

 トギーは言った。

「いっぱい死んだな」

「それよりも、こっちのほうが・・」

 トムはもう一まいんをよみあげた。

「カザフスタンで、せんそう中・・・・へいたい・・・へいを、800人送りこんだ」

「せんそうって?」

 トギーがきいた。

「人間のあらそいごとだよ。犬だって、ケンカするだろ。人間は、そいつをおっきくするんだよ」

前にトムからきいていたポクルが言った。

「ばくだんってやつをぶっぱなすと、犬もネコもふっとんじまうんだ」

 トムはひいひいひいひいばあさんを、せんそうでころされたのだ。

「もっと楽しい記事をよんどくれよ」

 トギーが言った。

「んー、そうだな。さんごしょうで、6千万このたまご・・・(『う』だな)まれた」

「動物については?」

「うん、ポルトガルで、動物園からトラがにげだしたとか書いてあるよ。それからサウジアラビアで絵をかくゾウがいる、ってさ。コブラがウサギをつかまえちゃったけど、うんよくのがれてたってさ」

「ふん、ゾウめ、人間みたいになりやがって」

「そうかな、えらいシンポだと思うけど」

 しゃべっていると、ペティがもどってきた。

 

 

 

*

 

 わたしともあろう者が、夜中に「嵐」の Troublemaker なぞといった曲をDL→解凍、あろうことか子といっしょに歌ってさえもいる。すべては子の運動会のためである。なぜ学校は「インターナショナル」や頭脳警察の「世界革命戦争宣言」などといった曲を運動会に使わないのか。なぜ「嵐」だとか「B’z」だとかいったものばかりなのか。わたしともあろう者が、つい歌ってしまうじゃないか。

2010.9.9

 

*

 

 NHKスペシャル「“テロリスト”と呼ばれて」を見る。9.11後、アメリカはテロリストの疑いありと判断した人物を世界中で次々と拘束し、700人をこえるイスラム教徒をキューバの米軍基地内に設置したグアンタナモ収容所に収容、拷問に近い取り調べや、無期限の拘束を行った。当時のブッシュ政権で最高法律顧問とやらの肩書きを持ったオッサンいわく「テロリストに法律なんかいるけ? そりゃ冤罪もちっとは出るだろがさ、こちとらそれほど余裕はねえんだ」ときたもんだ。論理ですらない、ひでえ理屈だ。これがアメリカという巨大国家の「最高法律顧問」ときたから洒落にもならねえ。番組は4年から7年もの長きに渡る拘束をある日一方的に解かれた“容疑者たちのその後を追う。“テロリスト”の刻印に怯えながら生活保護を受けて暮らす男。中国の少数民族出身のため故国に帰れないまま、家族と国際電話で会話し、見ず知らずの異国で生活を続ける男。グアンタナモ収容所での体験からイスラムの過激派に加わり、イラクで自爆テロをして吹き飛んだ青年・・・。これらの名もなき人々から人生をことごとく奪ったアメリカは、かれらに対していまだ何の謝罪も補償も行っていない。何たる厚顔無恥。かつてウディ・ガスリーやボブ・ディランといった歌い手たちはアメリカにあって自国の暗部を鋭く告発した。いま、そのような歌い手はもはやいないのだろうか、と思う。

 新聞に載っていた画家・安野光雅氏の文章が心に残った。

 ラフカディオ・ハーンはギリシャにうまれた。4歳のとき母がどこかへ行って帰らず、以後二人はあったことがない。彼はめぐりめぐった放浪の末、松江の学校に来て、小泉八雲になった。松江に来てから120年、今年は記念の年である。

 その名著は山ほどあり、詩人としての感性は、今のわたしたちに力を与えてくれるが、ここでは「おばあさんの話」という小品のあることが言いたい。他人のためだけに生きて、忍従、犠牲の化身のようなその人は、この世から直に無上菩提の光の中に成仏し、もう生まれ変わることはあるまい、と皆が口をそろえる。八雲は書く。

 「私はおばあさんがこれから先、少なくとも5万年くらいの間は生まれ変わってこないような気がする。この人を作り上げた社会の条件はとうの昔に消え去っている。そして次に来る新しい世の中では、どのみち、このような人は生きていけないだろうから」と。

(朝日新聞2010年9月12日)

 

 やはりいつかの新聞のインタビューで、映画監督の山田洋次が「家族というものは幻想かも知れない」と話していた。その中で「寅さん」のタコ社長が、いつも寅屋の上がり框にじぶんの家のように来て座るが、けれどもそれ以上は上がらない。家の玄関という場は昔はいろいろな人が出入りしたが、実はそこには暗黙のルールのようなものもあって、微妙なバランスで保たれていた。いまはそうしたやりとりが下手になってきているか消滅してしまっている。玄関は閉じて、監視カメラと機械警備が見張るただの城壁となっている。たしか、そんな話だった。犬のジップが来てから、玄関先に置いたゲージの風通しをよくするために、わが家の玄関は日中は開けっ放しでいる。開いている玄関は入りやすい。「しのちゃん、いるかあ」と近所のおばあさんがビーズを片手に入ってくるし、隣のおばさんがきゅうりを抱えて入ってくる。犬仲間のSさんが知らぬ間に入ってきて、愛犬と共にわが家の上がり框に腰掛けジップに話をしていることもある。そんな風景を大事にしたい。

 元クレージー・キャッツの谷啓が自宅の階段で転び顔面を打って死んだ。死に際も「ガチョーン」だった。

2010.9.13

 

*

 

 休日。昼すぎて俄かに降ってきた驟雨を玄関でゲージの中のジップと漫然と眺めている。激しい雨のリズムに混じって気狂いのような女の叫びがまるでミニマル・ミュージックの旋律上を乱横断するしゃがれたトム・ウェイツのボーカルのように聴こえてくる。煙草に火をつけて玄関の前からそっと眺めると、近くの二階建てハイツの踊り場で欄干に凭れて頭を振っている太った女の姿が見える。赤い小さな影がその足元でちらちらと見え隠れしている。赤い小さな影は小学校1年生の女の子だろう。女はその母親で、すこし精神を病んでいるとの話だ。夫はなく、親子二人暮しだ。子どもは学校へ行っているときもあるが、今日は休んでいるらしい。ときどき、夜ともなく昼ともなく、こんな風景が繰り返される。近所の誰かが通報して、警察官が来たことも一度ではない。子も二階の自室の窓で、母親の叫びを聞いた。いわく「早くしないと、お母さん死ぬで」「お母さん、お母さん」 それから「あんたがそんなになってお母さんがおかしくなるから、虐待だといって電話されるんだ」云々・・・  隣室の一人暮らしのおばさんが出てきて話を訊いている。雨の中を向かいの長屋に住む老人が一人、傘もささずに階段をかけのぼってその輪に加わった。やがて、雨もやんだ。見通しが良くなった二階の踊り場。女の子が一人、開かれた隣室の奥に向かって何か話をしている。おばさんが出てきて、子どもに言う。「じゃあ、○○さんちの鈴虫を見せてもらいに行こか。お母さんに隣のおばちゃんと行ってくる、と言うてきな」 二人して階段を下りて、わが家の向かいのYさん宅の玄関を開ける。「ちょっと、鈴虫を見せてくださいよ」 「よしよし、ゆっくり見ていき。おばちゃんちは鈴虫や金魚や、いろんなもの飼うとるんやで」

 

 午前中、Yと二人で家計費の見直し作業をする。新居に移って公共料金なども跳ね上がり、加えてジップのえさ代、そして特に夏期講習を経て今月から正式に入塾した塾代のウェイトが高い。外食、CDや書籍の購入、子も習い事の整理をしてもらい、もちろんわたしの煙草代も「仕分け」の対象だ。Yはこれまで家計簿などはつけておらず、毎月アバウトなどんぶり勘定だったため、まずは現状把握ということで、ネットであれこれ無料の家計簿ソフトを探して「うきうき家計簿」をダウンロード。二人であれこれ設定などをした。ビジュアル的にも分かりやすく、機能も申し分なし。いろいろカスタマイズできるのが良い。

□うきうき家計簿(Vector) http://www.vector.co.jp/soft/win95/home/se267265.html

 そういえばPCのセキュリティ・ソフト。これまで3台共有でマイクロソフトの Windows Live OneCare (有料)を使っていたのだが、先日、何度目かの更新期限が来て、これまでのサービスは終了、今後は無料配布の Microsoft Security Essentials をどうぞ、と来た。無料ならばと、早々と切り替えた。マイクロソフトも他社のセキュリティ・ソフトには適わないと無料提供に打って出たか。いまのところバスターなどより軽くて快適。インストール時にOSの正規版確認がある。

□Microsoft Security Essentials http://www.microsoft.com/security_essentials/default.aspx

 

 夕方、子を学校に迎えに行き、そのままヴァイオリン教室へ。子の練習を横目に、寮さんの新刊「雪姫(ゆき) 遠野おしらさま迷宮」(兼六館出版)を読み始める。夜はわたしが十八番の鶏肉ステーキ。

2010.9.14

 

*

 

 久しぶりに覗いたヒサアキさんのサイトで。右三段目の動画、「ソルジェ、十八歳」。Yと二人で見た。ドゥルーズの思想に励まされた日々を思い出して。

□新地ヒサアキの写真ブログ http://hisaaki.net/

2010.9.15

 

*

 

 子がわたしのPCで、何やらじぶんの書いた物語を打っている。わたしはその後ろで古いチャーチ・チェアに座って下手糞なギターを爪弾いている。「それ、なに?」 子がPCの手を止め、振り返って訊く。「これか。これはチャボの名曲だ」 「ホーボーというのは英語では浮浪者の意味、それに日本語の“方々”をかけているんだな、この曲は」 ひとしきり有蓋列車や旅から旅への人生を話す。「ふつう、人っていうのはどこかに落ち着いて暮らすわけだ。でも一ヶ所にとどまるというのは面倒臭いことも同時に抱えてしまう。けれどもそうじゃない人たち、つまり“自由”を求めて、この場所じゃない別の場所へと旅を続ける人たちがいる。その人たちには家もない。つまり地上のすべてがねぐらだ。この歌はそういう人たちを、・・そうだな、何ていうか、“讃える”歌なわけだ」 そしてもういちど下手糞なギターを爪弾いて「ホーボーへ」を子に歌ってみせる。そんな夜。

2010.9.17

 

*

 

 さる心ある人がメールで呉れた「イギリス発のどなたかのお書きになられたことば」。

 

子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供がおとなになった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。

2010.9.18

 

*

 

 朝のジップとの散歩で拾った領収書の束。コンビニで「クランキーホワイト」、「明太子チーズマヨネーズのおにぎり」、「ソフトクリームクッキー」、「カレーパン」と「ミルクたっぷりとろりんシュー」。マクドナルドで「ジューシーチキン」。ミスタードナッツで「エンゼルクリーム」と「ダブルチョコレート」。「セクシーダイナマイト」(580円)「天使の優しさ」(1380円)は某石鹸専門店で。

 

 ベン・シドランの Dylan Different は、凡庸な表現だが、まさにスルメの如き味わい。唾液の中に悪夢やバイクのヘルメットや処刑台や麦畑が混じり、ときどきひりひりと口中を刺す。いわばディラン・ミュージックの骨だけを残してピュアな天然油でかりっと揚げたようなサウンド。すすきを活け、月を愛で、秋の夜長にこんなクールでタフなサウンドに浸りながら、どこか別の惑星の生命体を夢見るのもよい。

2010.9.19

 

*

 

 家族が寝静まった深夜、ひとりユーチューブでブルース特集。次から次へと、止まらない。Whistlin' Alex Moore、Sweet Emma、Big Bill Broonzy、Lightnin Hopkins、Son House、Howlin' Wolf、John Lee Hooker、Muddy Waters、Sonny Boy Williamson・・・・ こんな映像が残されたことこそ僥倖だ。誰もが独特の、強烈な個性を放ち、画面から息や肌触り、体臭までもが匂い立ってくるようだ。かれらはこの惑星に魔法をかけにきたわけではない。ただギターやピアノなどのちょっとした楽器の上に、みずからの“欲望”を忠実になぞり、そして去っていっただけだ。大事なのはそれを知っていること、おもてへ出す勇気をもつこと。

 子がもうじき10歳の誕生日。今年はジップが早めのプレゼントだったからケーキだけ。けれど本人は余裕だ。「おばあちゃんやおじいちゃん、それにいっこちゃんがいるからね」 わたしの母に「羽ペン」を頼んでいたのだがよう探せずに現金を送ってきたため、ネットで探した。いろいろ調べて、ペン先が付いているものでなく、「昔ながらの削りだしたペン先」のものがいいと言うので、これにした。イタリア輸入雑貨店「ジョヴァンニ」。黒インクと併せて4千円ほど。

2010.9.20

 

*

 

 休日の一日をほぼ費やしジップのゲージ台、正確には「足あげてゲージの外へ放尿されたYの嘆きを受けとめる愛のウッドデッキ」を作成。詳しくは「木工」の項参照。

2010.9.21

 

*

 

 昨日は子の運動会。ほとんどが車椅子に乗っての参加だったり応援だったりの中で、唯一車椅子を途中から降りて頑張ったダンスは輝いていた。競技の合間合間に都度、忙しく車椅子を押してくれた先生にも感謝。申し訳ない。運動会のために前日から、和歌山の義父母が泊まりに来ていて、わたしは子や義父に手伝ってもらい、庭の仮設テントを新たに作り直した。詳しくは「木工」の項参照。

 

 一番楽しみにしていたのが、ダンスです。一曲目と三曲目は車いすだったけど、二曲目は自分で立っておどりました。動かす手や足に力を入れ、横に動くところは、おくれたけど、列をそろえようと、一生けん命でした。頭の上のぼうしはゆれ、曲はたえまなくながれつづけました。なんて時間がたつのがはやいのだろう。もっともっとおどりたいのに。わたしは、そう思いました。

 太陽がきらめき、青空はすんでいました。心は上の方にうかんでしまって、当分おりてこないと思います。

しの (学級通信の作文)

2010.9.26

 

*

 

 明日までの期限だった某イベントの計画書がやっと完成し、今日は夕方に早引けさせてもらって近所の病院へ。世のご多分に洩れずの「禁煙治療」ですがな。一軒家の維持費やローンの支払い、犬の餌代に子の教育費、加えて今度の増税がお父さんの背中を直撃。けれど我が身の意志の貧弱さを知っているので、最近一日60本のヘビースモーカーだった近所のSさんが二週間でやめられたと聞いたN医院へ行って、型通りの誓約書をしたため、チャンピックスなる薬をもらって帰宅した。ニコチンを受け入れてドーパミン(快感物質)を出す受容体に作用するものらしい。はじめは体慣らしで少量の服用からはじめて実際に禁煙を始めるのは1週間後だというので、明後日から値上がりするからと思い帰りのオークワでワンカートンを買って帰って、Yから「信じられない・・・」と呆れられた。

 今日はまた、ジップの去勢手術の日でもあった。朝食抜きで、昼にYが病院へ連れて行き、夜の7時に家族三人で迎えにいった。手術代、二万少々也。帰りの夜道でジップが片足をあげてオシッコをするのを見て、子が「ジップが足あげてオシッコした。いつものジップだ。女の子になってない」と喜んだ。

 数日前、寮さんの新著「雪姫 遠野おしらさま迷宮」を読了した。これは後日に落ち着いて感想を書きたい。いまは図書館で借りてきた野中広務・辛淑玉「差別と日本人」(角川oneテーマ21)を読んでいる。

 その他、沖浦センセの「渡来の民と日本文化 歴史の古層から現代を見る」(川上 隆志共著 現代書館、2008)を先日、ヤフオクで落札。またディランの「ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963~1965 」のDVDもアマゾンで間もなく発送。

2010.9.29

 

*

 

 遠野から太平洋側の釜石へぬける、いわゆる釜石街道の鄙びた峠道をはしっているうちに日が暮れた。人気のないうねうねとした山道を黙して走り続けていると、まるでじぶんがガリバーの国の古ぼけた硝子壜の底に閉じ込められたような心持になってくる。バイクのヘッドライトが曲がりくねった樹木の枝や、それを包む込む闇、そして濃密な草いきれと聞こえぬ囁き声までをも照射して浮かび上がらせるようだ。わたしは30年も昔に梨の木の下で神隠しにあい、そのまま人界果てた山中をさすらっているサムトの婆であったろうか。「物語」は、みずからのうちに眠っているのではないか。

 柳田の著書のなかでわたしがいまも心を震わせてやまない話は、大正15年の「山の人生」の冒頭に記された残酷な一節だ。妻に先立たれた炭焼きの男が、ついに日々の糧すら行き詰った。ふて寝をして夕刻、ふと目覚めると、山中の小屋の入口で幼い子どもふたりが鉈を研いでいる。「お父さん、わたしたちを殺してください」と言って、枕木の上に頭を載せて横たわった。得もいわれぬ夕焼けの光を浴びて、男は鉈を振り上げる。そんな短い話だ。一説に拠れば、これは美濃の山村で現実に起きた一家心中未遂の事件の調書を当時、法務局の参事官をしていた柳田が目にしたもので、実際の話とはだいぶ異なっているともいう。また谷川健一氏などが対談で話しているように、ここに根底としてあるのは東北地方の悲惨な飢餓の問題であり、山をロマンチックな場所として思い描いていた柳田は、ついにその現実にまで届くことができなかったのではないか、との指摘もある。いわんや、「物語」とは、所詮はうちなる<鬼>をモノ語ることである。モノ語りはそのように、変容し、増殖し、さみしい<鬼>から<鬼>へと引き渡されていく。

 若い身寄りのない娘が山深い遠野の曲がり家を相続し、もろもろの怪異とみずからの出自に遭遇する寮美千子氏の「雪姫 遠野おしらさま迷宮」は、さみしいけれど読後、妙にすがすがしい後味が口中に一粒、残る。それはモノ狂おしさのなかの純白か、さみしさの果ての清涼のようなものか。かつて赤坂憲雄は「遠野/物語考」(ちくま学芸文庫)の中で、「遠野物語」はふたたび遠野の地へ投げ返さなければならない、と書いた。

 

 それでは『遠野物語』の可能性の鉱脈は、すでに掘り尽くされてしまったのか。逆説に聴こえるかもしれないが、そうではないと、わたしは思う。たとえば、遠野に生まれ育った一人の民俗研究者、菊池照雄の『山深き遠野の里の物語せよ』と『遠野物語をゆく』(ともに梟社)が、わたしたちの眼前に切り拓いてみせるのは、『遠野物語』という閉ざされた文学作品(テキスト)の向こう側に横たわる、息を呑むほどに鮮烈な、遠野の生きられた伝承世界の豊穣にして、深々と昏い闇を孕んだ時間−空間のひろがりである。それは遠野とかぎらず、この列島のあらゆるムラがかつてみずからの胎内に蔵していた、豊かな時間であり、空間であった。わたしには、ここから新たなる遠野/物語の世界への道行きがはじまる、という予感がある。

 『遠野物語』はいま、列島のムラの代名詞としての遠野へと投げ返されねばならない。ムラの近代の終焉の季節に、最期の遠野/物語が数も知れず産み落とされなかったとしたら、宙吊りのまま埋葬された近代の屍のうえに、ただ空虚なだけの超・近代(ポストモダン)の楼閣が聳えたつことになる。そんなギリギリの崖っぷちに、わたしたちはいる。

赤坂憲雄「遠野/物語考」(ちくま学芸文庫)

 

 「雪姫 遠野おしらさま迷宮」は、いわばこの「近代の屍」から現代へ、モノ語りを救い出した作品ともいえる。あるいは土地へ投げ返した「遠野/物語」を、もういちどみずからのうちに取り戻した、ともいえる。どちらも同じことだが。

 モノ狂おしさを抱えながら、愉しんで読んだ。作者もきっと、愉しんで書いたに違いない。

2010.10.1

 

*

 

 休日。

 朝からテント小屋の一部手直しやジップのゲートの改良など。前者はテント生地の当たる角部分の材にやすりをかけてあて布を施し、さらに横枠を利用して簡素な棚を設置したもの。後者はゲートをまたいでオシッコをした場合に木枠の下を拭くのが大変だったので、ホームセンターであれこれ見繕って、本来ドアストッパーとして売っていた1個98円のゴム製品をゲージ枠下の四隅に取り付けて、要するに木枠を底上げしたもの。

 昼前から子豚二匹が遊びに来て、計6人前のトマトクリームのパスタをつくってふるまう。一匹の子豚がトマトが苦手と聞いていたのだが、幸い、みなおいしいと残さずに食べてくれた。

 午後は子が教会の土曜学校へ行っている間、Yと二人でホームセンターでペット商品を見たり、夕飯の買い物をしたり。

 時間の空いた夕方、一人二階の“テレビ部屋”へあがって、先日届いたディランの「ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963~1965 」のDVDのうち、1963年の分をとりあえず見た。若きディランを見ながら、じぶんの出発地点を見つめている。

2010.10.2

 

*

 

 菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」(新泉社)をネット古書で注文する。790円+送料290円。

 今日の午後あたりから煙草が何やら不味くなってきた。薬の影響か。でもまだ喫ってる。

 夜、子とチャボの「ホーボーへ」をギターで歌う。子は歌詞をぜんぶ覚えてしまった。子のリクエスト、ユーチューブで「帰ってきたヨッパライ」を二人で見る。

2010.10.4

 

*

 

 休日。

 午前中はジップのゲート作業。せっかくつくった「オシッコ受け台」だが、防水用に敷いたプラ板が垂直に立てた部分から内部の隙間にオシッコが入ってそのまま溜めていたり、外枠の木材部分がオシッコを吸って悪臭を放ち始めたため、急遽の再改修。「オシッコ受け台」についてはコーキングガンですべての材の隙間に強力防水目張りを施した後、水性ペンキで塗装。その他、現在壁側に面しているゲージの二断面、柵の内側を新たにプラ板を釘で固定した。これでしばらく様子を見る。

 

 煙草を喫いはじめたのは20歳の頃だったかな。ディランのようなしゃがれ声になりたいと思ったのが理由。先月29日から当月5日までが朝夕チャンピックス0.5mgづつの慣らし期間。6日から朝夕1mgづつとなり、本来は「禁煙開始」の日。昨日はキシリトールガムなども買ってきて、重い腰をあげて「禁煙の方向」へ努めた。結果は終日7本でやり過ごした。本日はいま23時現在、午前中の2本(1本は食後、もう1本はジップのゲージの改修についてYと言い合いになりかけた直後に)だけで済んでいる。直近1本からすでに13時間が経過。5日まで20〜30本近く平気で喫ってたのだから、結果は出始めているのではないかしらん。あとは緊張感の持続か。

2010.10.7

 

*

 

 完全禁煙、70時間経過(10日朝7:00時点)。

 

 平城遷都1300年祭にて天皇みずからの「桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています」発言。でもたいていの大手マスメディアはこの部分だけを見事に省いて報道。

 平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています。そして,平城京に在位した光仁天皇と結ばれ,次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています。我が国には奈良時代以前から百済を始め,多くの国から渡来人が移住し,我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました。仏教が最初に伝えられたのは百済からでしたし,今日も我が国の人々に読まれている論語も百済の渡来人が持ち来ったものでした。さらに遣唐使の派遣は,我が国の人々が唐の文化にじかに触れる機会を与え,多くの書籍を含む唐の文物が我が国にもたらされました。しかし遣唐使の乗った船の遭難は多く,このような危険を冒して我が国のために力を尽くした人々によって,我が国の様々な分野の発展がもたらされたことに思いを致すとき,深い感慨を覚えます。

宮内庁HPより)

【問題】 上の文章の要旨を100文字以内で書き表しなさい。

 

 奈良県を訪問中の天皇、皇后両陛下は8日午前、奈良市の第一次大極殿前庭で行われた「平城遷都1300年記念祝典」に出席された。陛下は「第一次大極殿を見るとき、かつての平城京のたたずまいに思いを深くするのであります。平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています」とお言葉を述べられた。

(産経新聞)

 

?(何点かな〜)

 

 この国のメディアはこの程度のレベルです。たぶん、うちの子が狙っている(らしい)附属中学も不合格だね〜

 でもこの国ではこれが模範解答。

2010.10.10

 

*

 

 ヤフーが独自の光回線商売を諦めて宿敵NTTのフレッツ光と組んだのは知らなかったが昨年のことだそうな。昨月末に「ヤフーっすけど、光回線への切り替えはいかがっすか。いまなら工事費無料・ルータープレゼントの特別キャンペーン中だす」なぞと電話がかかってきて、ちょっと検討してみたもののわが家は「ここだけの話」のいわゆる“裏プラン”のためそれほど格安感はなく、結局「まだADSLでいいっすわ」とお断りをした。ところがそれから数日後も「ヤフーっすけど」と昼に電話がかかり、Yが「インタネットの話は分からないんで主人に」と返答し、わたしが帰宅した頃に再度かかってきて、話を聞くと前回と同じ内容。「この間、返事をしたけど」と云えば、「うちまたは別の代理店なんで」。それからまた数日後にまたまたまた同じ内容の電話がかかってきてさすがにわたしはキレました。「おいおい、いったいどうなっとんじゃい、おまえら!」 

「なんで同じ内容の電話がなんどもかかってくるわけ?」

「わたしどもはまた別の代理店でして・・」

「別の代理店は分かったけど、こっちは一回「要らない」と返事してるんだからさ、その返事はどこへ行くわけ?」

「弊社で管理をし、そのお客様には二度と電話をしません」

「でもまた別の代理店がかけてくるんでしょ。「要らない」という返事は代理店同士では共有されてないの?」

「ああ、そーゆーのはないですね。代理店同士の横のつながりというのはないです。」

「じゃ、「要らない」という返事はヤフーにはバックされないの?」

「「もう二度とかけてこないでくれ」とお客様から言われた場合はヤフーへ報告することになっています」

「でもさ、「要らない」と返事をした時点でその話はもう終ったと思うじゃない、こっちは? そのときに「もう二度とかけてこないでくれ」と念を押して言う人はよほど事情を知っている人で、ふつーはそこまでは言わないよね?」

「まあ、そうですね・・」

「あなた、一個人としてどう思います? たくさんの人が「要らないか?」「要らないか?」って日を変え時間を変え訊いてくるけど、「要らない」という返事を一人に言ってもダメで、すべての人に個別に返事をしないと伝わらない。こーゆーシステムっておかしくないですか?」

「ええ、そうですね・・・」

「“こーゆーシステムっておかしいんじゃないか?”と気づいて意見する人もいなかったわけね?」

「ええ、すみません・・・」

「わかりました。これ以上、この件でおたくに文句を言っても仕様がない。要はヤフーが全体を管理していないってことなわけだよね。じゃ、ヤフーに話をするから連絡先を教えてください」

 で翌日の昼休み、ヤフーのお客様センター(0120-919-860)へ電話した。

「ご迷惑をかけて大変申し訳ありません。では弊社から各代理店へ流している「禁止リスト」というのがありますので―――“もうここにはかけるな”というリストですね―――これにお客様の電話番号を登録させて頂きますが、よろしいでしょうか?」

「あ、「禁止リスト」。そーゆーのがあるの? それは、流すのは電話番号だけですか?」

「はい。番号以外のお客様情報は一切出しません」

「でもこうやっていま、わざわざこちらに電話をしたからそういうリストの存在が分かるわけだよね。・・・結局ね、客が迷惑するようなシステムを放置しておいて、怒って名乗り出てきた客にだけ対応するってわけだよね〜 それってやっぱりサービス業ととしては最低じゃないですかね?」

「仰る通りかも知れません。わたしどもも改善できるように上へ意見を上げておきますので・・」

「ちなみにヤフーさんの代理店って、どのくらい契約があるんですか?」

「え〜、おそらく数百は・・・」

「ありゃ、そんなにあるんかい!」

2010.10.11

 

*

 

 仕事から帰ってから、夕食前に子と薬園八幡神社の秋祭りをぶらぶらと覗きに行く。“薬園八幡”とは奈良時代、平城京の南端に位置していたここらには広大な「薬園」があり、東大寺境内にある「手向山八幡」へ遷座される途中に一旦この地に祭られた宇佐八幡大神から由来しているとか。その後、室町時代に衰退し、現在地へ移って江戸時代からは近隣の村社として親しまれてきた。箱本13町のうちのわが家も「氏子」らしく、予め配布されていた引換券を持っていくと紅白の落雁、杉の長者箸、それに輪投げ2個を社務所で呉れた。子はその輪投げで菓子パンの引換券を当て、射的をし(残念賞のシール)、林檎飴を買い、満足気に帰ってきた。

 禁煙は継続中。さらに二週間の薬をもらいにいった病院で呼気中一酸化炭素の検査。初診時5%の数値だったが、今回はメモリがぴくりとも動かずゼロ%。医者も「これなら、もうだいじょうぶですね〜」と。でも食後など、まだときどき吸いたくなる瞬間があるのでガムや飴が手放せない。

2010.10.12

 

*

 

 アメリカでES細胞を使った人への臨床試験が開始されたとの記事を先日、新聞で読んだ。今回は脊髄損傷の患者に対し「ES細胞から分化させた、神経を保護する軸索という組織になる細胞を投与し、損傷した神経を保護して機能を回復させる」という治療内容だが、さて、成果が確認され、安全性が試され、実際に日本国内で(保険が適用されて)治療が受けられるようになるには、まだまだ年月がかかるだろうね。

 

【ウェストラファイエット(米インディアナ州)=勝田敏彦】米国のバイオベンチャー、ジェロン(本社・カリフォルニア州)は11日、さまざまな組織の細胞になるヒト胚(はい)性幹細胞(ES細胞)を使い、脊髄(せきずい)が損傷を受け、運動機能に大きな障害が起きている患者の治療を行う臨床試験(治験)を始めた、と発表した。ES細胞を使った再生医療の初の取り組みとなる。

 同社によると、脳や脊髄の神経細胞を保護する役目を持つ細胞をヒトES細胞から育てた。ジョージア州アトランタの施設で8日、この細胞を患者の脊髄の損傷部分に注入、経過の観察を始めた。患者の年齢や性別などは明らかにされていない。

 脊髄の損傷が起きてから2週間以内の患者が対象で約10人に細胞の注入を1回ずつ行う計画。注入した細胞が人体に悪影響を及ぼさないか安全性を確認する。歩行能力や感覚が戻るかも確かめる。同社はネズミの実験で運動機能の回復などの効果を確かめ、2008年に米食品医薬品局(FDA)に実用化に向け治験実施を申請していた。

 ES細胞は受精卵を壊して作るため、受精卵を「生命の始まり」と見なす宗教界から反発も出ている。

 一方、京都大の山中伸弥教授がヒトES細胞のようにさまざまな組織に成る性質を持つ新型万能細胞(iPS細胞)を開発。iPS細胞は患者本人の皮膚などの細胞から作ることができるため、ES細胞のような倫理的な問題や拒絶反応を避けられる利点がある。しかし性質がまだよくわかっていないこともあり臨床応用までに時間がかかると考えられている。

 交通事故やスポーツなどで起きる脊髄損傷は、糖尿病やパーキンソン病などと並びES細胞を使う再生医療の大きな目標の一つ。米国の別のベンチャー企業も昨年、失明の恐れがある目の病気「黄斑(おう・はん)変性」をES細胞を使って治療する治験を申請している。

2010年10月12日8時27分 asahi.com

 

 せめて排泄関連の神経だけでもいつの日か、と願ってしまう。

 

 日常生活の中で唯一装具を外すお風呂の時間に、浴槽の中で手術をした左足を伸ばしてかかとを上へあげるリハビリをしている。手術でいじった筋が甲の部分にそこだけもっこりとちいさく盛り上がっていて、指を置いていると力が入るのがはっきり分かる。まだほんのかすかな動きだけだ。本人はふんと踏んばるのだが、ときに足指は横に流れたり、寸とも動かなかったり。指令の伝わるのがもどかしい。

2010.10.13

 

*

 

 ユーチューブで偶然、音源を見つけた Ronnie Gilbert の歌う素朴な Spanish is a Loving Tongue に魂を奪われている。

  Ronnie Gilbert は1948年にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで結成されたモダン・フォーク・グループ The Weavers の紅一点。Tかれらはシングル・デビューであるレッドベリーのカヴァー「Goodnight Irene」が200万枚という大セールスを記録し、かのピート・シガーが在籍していたことで有名だ。

 わたしが惹かれたのはこの曲が、ディランがザ・バンドとかのビッグ・ピンクの“地下室”で浮世を忍んでレコーディングした自家録音テープに入って残された同じ曲と、キーも、そして何よりその気分がおなじ情感を抱えている点だった。わたしはディランは、きっとこの Ronnie Gilbert の録音を念頭に演奏したに違いないと確信している。

 情感というか、霊感のようなもの。 Ronnie Gilbert とディラン&ザ・バンドが演奏するふたつの Spanish is a Loving Tongue はどちらも、そんな、「ひとの生涯を突き抜けて持続するような」情動にはちきれそうになっている。ディラン&ザ・バンドは大きな波のうねりのようなサウンドで。Ronnie Gilbert はひっそりとした吐息の向こう側に。

 わたしはこの Ronnie Gilbert の歌う Spanish is a Loving Tongue を何度もリピートさせて聴く。そして彼女の声の奥深くにわたしがもとめてやまない何かの影を見つけ、ふいとつかみかけるそのたびに伸ばした手がむなしく空をきる。生ギターと声だけなのに、わたしはこんな歌は現在では誰も録音できないことを知っている。なぜだかは分からないけれど。どれであったかディランの曲の一節に拠れば、これは人を「一粒の涙に還元する」。そんな曲だ。

 Ronnie Gilbert の Spanish is a Loving Tongue は The Weavers ではなく、彼女のソロ名義で録音されたものらしい。アメリカでは「Folk Song and Minstrelsy」というLPセットに収録されているという手がかりをようやっとWebで発見したが、日本では入手困難かも知れない。

2010.10.14

 

*

 

 いごっそ、突然の閉店。腹も心も満たしてくれる稀有なラーメンだった。子のギブスがとれてひさしぶりに食べに行ったのが最後となった。さみしくて言葉も出ないが、いままで極上のラーメンをありがとう、おっちゃん。

 

閉店のお知らせ

突然の閉店 びっくりさせてすみません 11年間 いごっそラーメン店長
育てて頂き誠にありがとうございました。それなのに だれにも知らせず
告示もせず 閉店して 誠に申し訳ありません おゆるし下さい
おっちゃんとしては 最後の1ぱいまで たんたんと いつもどおりのラーメンを
いつものペースで造りたかったのです 身勝手を おゆるし下さい。
最後の3人のお客様 チャーシューが切れて チャーシューなしのラーメン 食べて頂き
ありがとうございました。

おっちゃんの今後

田舎に94才の父親が 1人で住んでいます 体も自然に弱って来ています
田舎に帰って 親子で いごっそラーメン店長を始めようと思います
おっちゃんの夢でもありました。本当に 山と川だけの過その村です
だから営業しても何ヶ月もちこたえるかわかりませんが 頑張ります また高知県
東部地区を 旅行される時ありましたら 時間がありましたら お立寄り下さいませ
只今 NHK りょうま伝に出て 京都おおみやで あんさつされた
中岡慎太郎の生れ育った村 北川村です おっちゃんのラーメン店は それより3km 下流です
高知県安芸郡北川村加茂と言う所です 本当にありがとうございました

またゆずコショーに付きましては市場に出して、皆なさまに買ってもらえるようになりたいと思っています
その時はよろしくお願いします。

 

2010.10.16

 

*

 

 土曜の休日。子と二人でジップを連れてひさしぶりの「山」へ。まだオシッコの怖れがあるジップはキャリーに入れて後部座席に。吠えこそしないが不安げな顔で、カーブのたびに足を踏ん張っていたそうだ。吉野山の奥千本を抜けるいつもの林道へ出ると、道の両端から伸び放題のススキがまるでトンネルの如く。時おりいつもの重畳たる峰の織り成す雄大な景色が広がる。「わあ、きれーい」 子が声を上げる。まだ本格的な紅葉には早いけれど。途中の「天上の広っぱ」でジップをおろして走らせてやる。しかし此処は鹿の集合場所のようで、あちこちに鹿の糞があり、ジップがそれを食べようとするのが困る。生え変わりで落ちたらしい鹿の角を一本、拾う。洞川へ下りる毛又谷で頃合の場所を見つけて焚き火。飯盒でお湯を沸かし、おにぎりとカップラーメン、林檎の昼食。この静かな源流で2時間ほど。ジップは途中、リードを外してやる。子の行く方へちょろちょろとついて歩く。しばらくして山道へ分け入り、行方不明になる。上の林道で見つけてまたリードをくくる。ごろごろ水の取水場の茶屋でホットコーヒーとわらび餅をもらう。ここのわらび餅は絶品。天川・河合の土産物屋で刺身こんにゃくをいつもいろんなものを呉れる近所のYさんとSさんに。店の前で道の向こう側を三本足の猿が駆けていくのを見る。店の人も出て見ている。「お地蔵さんのお供えがあるから・・」なぞと言っている。子はつたの葉のブローチをねだる。レジへ持っていくとおばさんが「これはわたしが作ったのよ」と微笑む。それから「近所のおばあちゃんがつくったんだけど、お嬢ちゃんに」と、折り紙を組んだフクロウのペン立てを子に呉れる。わたしはレジのおじさんと猿について話している。「天川の村の中ではじめて猿を見ました。今年は多いんですか?」 「もう手を焼いてます。あの山をみてください、ヒノキと杉だけの植林の山を。昭和30年から40年のときの国の政策です。あれで猿たちの餌が山から消えてしまったんです」 帰りは黒滝の道の駅でいつもの串に刺したぴりからこんにゃく。それからジップと子のオシッコ。車に酔ったという子のために途中で何度か停車する。7時半頃に帰宅。

2010.10.17

 

*

 

 「国家」というのは椅子取りゲームみたいなもんで、そもそも「椅子をたくさん取ろう!」と思わなければ「国家」というゲームは成り立たない。「尖閣/釣魚島」もそんな椅子のひとつなわけだけど、「べつに椅子がなくても、草の上に寝ころぶのが好きなんだ」という人はそもそもこのゲームに熱狂する理由がない。

2010.10.19

 

*

 

 他の子どもたちが二列も三列もはなれた高い跳び箱の方へどんどんすすんでいくなかで、たった一人、飛べる見込みのない一段の跳び箱との間を永遠に周回する授業にはたして希望はあるか。希望がないとしたらいったい何が考えられるのか。あるいは何を覚悟しなくてはならないか。そんな話を夕方の教室で担任のT先生とする。

2010.10.21

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■日々是ゴム消し Log67 もどる