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□ 日々是ゴム消し Log66

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先週の日曜。子とYは午前中は教会で、お昼に家でお好み焼きの昼食を食べ、そして午後からは斑鳩の方の親類宅の自転車屋へ子の新しい自転車を頼みに行く-----さすがに補助輪を外した幼児用自転車はもうだいぶ小さくなったので、義父母がお金を出して、かって中古の電動ママチャリ(これまでどれだけ働いてくれたか!)をロハで譲ってくれたお礼も兼ねてその親類宅で購入する------とにかくその日は、そんなのんびりとした休日のはずであった。「自転車屋のおじさんちに行く前に、ちょっとここに寄ってみない?」 Yが前日に見つけたオープンハウスのチラシを取り出すまでは。実はその二週間ほど前に、わたしが何気に web で覗いた不動産サイトから唐突と家の話が持ち上がり、実際にそれから二軒ほどの中古住宅を見に行ったのだった。その間に寝室の天井裏でコウモリが飛び回っているという騒動も持ち上がり、どうもそいつは階段の配管部のMDF盤のはずれかけた蓋の隙間から換気口を伝って侵入したらしいのだが、「自己負担」を繰り返す管理会社にわたしが激昂して電話をかけ、結局、天井板を全部剥がして駆除をするしか手立てがない(というのも、鉄筋と天井板の間が僅か10センチの隙間しかないので)という話が進行していたのもその頃だった。またそんな話の最中にある日の夕方、別のコウモリが突如出現して家の中を飛び回るという事件も起きた(後に子は、あのときのコウモリはきっと幸福のコウモリだったのだ、と言った)。半ば物見遊山のつもりで見に行った家は、頗る立地条件がよく、駐車スペース1台分とこんもりした生垣で世間から遮蔽された小さな庭があり、洒落た出窓があり、風呂場とトイレと壁紙は新品で、2階には14畳の寝室まであるという豪勢なものだった。子もYもいっぺんで気に入ってしまったようだった。わたしはといえば「これはじぶんには余りにも分不相応ではないか」と考えていた。わたしは安い小さな古家でも買って、少しづつじぶんの手で改装していくような形をぼんやりと思っていたのだ。オープンハウスはすでに盛況のようで、たまたま居合わせた不動産屋の若い青年は、すでに下請けの仲介業者が連れてきたお客さんが今日はご主人を連れて昨日に続いて来ている。おそらくあの人たちは買うことになるでしょうけれど、もし今日の夕方までに返事をもらえたらこちらの方が元請だから断ることができます、と言うのだった。見学を終えて、路上に戻った。折りしもお祭の時代行列に続いて、例の白拍子の子狐たち-------それもみな子の同級生たちの列だった------が手を振りながら通り過ぎていった。しばらくそんな幻のような光景を見送ってから、また歩き出した。Yと子はニコニコとして、じぶんたちはもう決めた、あとはお父さんだけだよ、なぞと言う。「無理だよ。あの金額は高すぎるよ。とても払っていけない」 それを聞いたYがいたずらな子どものように「埋蔵金を、出しましょうか?」と言う。彼女はチラシを見た昨日に、すでに実家に電話をして手を打っていたのだった。それはかなり大きな金額で、その額を自己資金に加えたならあとのローンは何とかなりそうだった。「おれの生涯でいちばん高い買い物は風呂場の浴槽と風呂釜だったんだよ!」 わたしは思わず悲鳴のような声をあげ、Yと子はそれを聞いてまた笑った。図書館のロビーへ入っていった。「家族会議をしよう」 ロビーの椅子がいっぱいだったため、喫茶店の前の通路の金魚の水槽の前で家族三人が円になって立った。「紫乃はどうだ?」 「あの家を買いたい!」やけに大人びた明瞭さで子が即答した。「分かった。じゃ、お母さんは?」 「わたしも買いたい!」 Yも子どものように笑いながら答える。「う〜ん・・・」 わたしは天井を見上げた。しばらくそうして天井を睨みつけていた。「よし。決めた」 「家長の決定です。みなさん、静粛に!」 Yが子に目配せした。「わが家は、あの家を、買うことにします!」 「やったぁ!!」 ついで拍手喝采。急いで不動産屋の青年の携帯電話に連絡を入れた。やはり件の家族がすでに満額で買いたいと行ってきたそうだ。数分してから、折り返し電話がかかってきた。先方には断りを入れたとのこと。わたしは図書館の2階のトイレへ子を連れて行っているYを探しに中へ戻った。子はすでにトイレを済ませて児童書の棚で本をひろげている。「お母さんはどこだ? これからお家の契約で話をしにいかなくちゃいけないんだよ」 Yは1階の階段下にいた。子といっしょに降りていく階段の途中で、わたしは彼女に「オッケー!」と叫んだ。それがあんまり馬鹿でかい声だったので、彼女は困ったような顔をして周囲を見回し人差し指をそっと唇にあててみせた。

 それが約一週間前の日曜日の結末。その後、奈良市内の不動産屋で契約を交わし、手付金を支払い、今日は銀行の審査が無事通ったという報せを受けた。不動産屋が弾いていたよりもさらに金利を優遇してくれた高評価だったとか。子が産まれた頃は家賃さえ満足に払えず、頭を下げて借金を頼み、「働いていない人間の保証人にはなれない」と団地の入居の連帯保証人も断られたわたしがマイホームなんぞというものを持つことについて、いまだ明確な実感が湧いてこない。持ち家を持つということにわたし自身は格別のステータスや人生の意義を抱いている部分はないのだけれど、Yや子が喜んでいる姿を見ると(子は、庭があるから、念願の犬を飼うことも可能になった)、これはこれで祝福すべきことなのかな、という気もする。そうしてわたしの頭の中には、すでに庭造りの構想のあれやこれや(フェンスや蔦の絡まる屋根つきのテラス、煉瓦造りの水道場など)が渦巻き始めているのも事実なのだった。

 まあとにかくそんなわけで、仕事も家庭内も、いま最高に慌しい。(でもつい先日、モリスンの Tupelo Honey をCDで買いなおして、このサウンドがいまのわたしの心境に何やらとても近しい)

2010.4.2

 

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 仕事と引越し準備(というか、正確には家の契約とリフォームの打ち合わせ)が重なり、さながら春の嵐のような毎日で。毎朝、早い時には5時に起きて某イベント会場へ「出社」し、ばたばたの時間の後に夜遅くに帰宅する。ここ10日以上、休みも取れなかったから、家関係の作業は畢竟夜になる。時には誰も居ない会社に不動産屋さんを呼んで印鑑をつき、あるいは夜の10時ごろにリフォーム屋さんと改装について語り合っている。わたしの帰宅が遅い時は、帰って夕食を食べながらYからその日の報告を聞く。いわく、契約の進行具合や日取りの調整、改装のもろもろ、エアコンの取り付け工事の見積もり、Webでのベッドや門灯やポストの商品検索、その他にも契約書類の精査や関連法律の勉強、業者の選定、お金の計算表(エクセル)、イラレでの間取り図面のトレース作業、などのもろもろ・・・。ああ、「一日にひとつのことしかしない」というアマゾンの賢者から見れば、わたしはきっと最低の愚か者に見えたことだろう!

 あれから家の契約があって、登記簿から、わが家の購入した家のもともとの所有者(建て主)が差し押さえになって、市の競売にかけられたことを知った(後日に隣家のおっちゃんに聞いた話では事業に失敗したとかいう話であった)。それを競売で購入した第三者の個人がリフォームをして不動産屋に持ち込んだという経緯。契約のときに宅建主任の資格証を「極道の妻」の如く机にぴっしゃっと叩きつけた姉ちゃんが「重要項目事項」の説明をしてくれたのだが、所詮は小学生と大学院生ほどの知識の開きがあるのは否めない。わたしはそれらの書類を、かつて不動産の営業マンでバッティングセンターのアルバイトを経てわが旧現場の同僚となったTさんにPDFで送って見てもらった。Tさんからは、競売で競り落とした個人が実は不動産屋の関係者ではないかという指摘があった。個人から個人へ売る場合は、当然ながら不動産屋の仲介手数料が発生するし、また宅建業法等で定められている瑕疵担保責任が適用されないという不動産屋側のメリットがある。しかしながらそれを証明するのは甚だ難しく、この頗る立地条件の良い物件をすでに満額購入で手を上げていた人があったにも関わらずわが家に回してくれた縁もあるから、万が一そうであったとしてもそれはそれで構わない、ということにしたのであった。因みにYが不動産屋の青年に訊いたところ、売主は「知り合いの別の不動産屋の身内の者」ということであった。

 契約はそれで進み始め、幸いその後の銀行の審査も予想以上の待遇であったが(といっても、「金利」の話などわたしにはさっぱりちんぷんかんぷんでよく分からん)、瑕疵担保責任の条項削除がどうにも心配になってきて、先のTさん助言もあり、遅かれながらだが一度、家屋調査をしてもらおうということになった。これも「家屋調査士」なるものをWebであれこれ探したのだが、結局、不動産屋の紹介してくれた某大手ハウス・メーカーの下請けをしているという地元の建装業者に依頼することにした。調査費、約4万円。休日の日曜に不動産屋氏も立ち会って鍵を開けてもらい、わが家の部屋の採寸(その他、コンセントや電話・テレビ線の確認等)とYの実家の両親への内覧会がてらに家屋調査をしてもらった。若い、誠実そうな建装屋氏は床下や天井裏へもぐり、ついでに排水溝の掃除までしてくれ(子がずっとこの建装屋氏へついて回り、あれこれと要らぬお喋りをしていた)、また後日に屋根にあがって数日後、診断書を出してくれた。結果はシロアリこそなかったものの、築17年相当の経年劣化が外壁及び屋根に進行しており、すぐにどうなるというわけではないが、できれば修繕が望ましい、と。

 で、それからは家の契約はほぼ終息し、この建装屋氏とのリフォームのすり合わせが頻繁となった。メインはもちろん屋根と外壁だが、人には欲望があるので、せっかくだから他の部分もこの際・・・ というのが次々と現れたり、消えたり、形を変えていったりした。もちろん、予算との兼ね合いもあるわけだけれど。

【足場組み立て】・・・この費用で20万円以上かかるので、外壁と屋根を同時に行うのが適当らしい。

【外壁】・・・シーリング工事後、水性シリコンによる塗装、軒天井のウレタン塗装。水切り部の鉄板塗装。雨戸の塗装。その他不陸(板の反りの補修)調整など。

【屋根】・・・主に屋根材の重ね葺き。トユ取替えなど。

※上記の足場・外壁・屋根の金額が漠然と予想していた金額をはるかに超えていてYと共に愕然とした。急遽、(後述する)リフォーム計画全体の総見直しとなり、最終的に頭金より100万円を転配した(つまり、ローン額が100万円増えた)。

【1F 和室】・・・畳はそのまま残し、押入・床の間・仏間部分を解体して床下を補強、壁面一杯の書棚と扉付クローゼットを作ってもらおうと思ったのだが、見積もり金額(約50万円)に驚いて断念した。本棚もわたしがイメージしていた大工による手製ではなく既製組立品板を嵌め込むというもので、そのうちじぶんでやろうと考えた。ちゅうか、最近の大工は大工の仕事をしないのか。

【1F トイレ】・・・これはYのこだわり。現状は壁紙リフォーム済みで、以前の便器土台に新しいウォシュレットも付けてくれていて、わたしはこれでいいのだけれど、玄関近くのトイレが洗面所からやや離れているので壁面設置の手洗い器が必要だろうという話から発展して、壁紙はウィリアム・モリスにしたい、ウォシュレットも型が古くて気に入らない、土台から新しいものに換えて、手洗い器を別途付けるならタンクも水道なしのコンパクトなものにして後ろへ位置をずらしたい・・・ 等のご要望が出てきて、前述の和室リフォームをやめるからその金額を回して好きなようにしたら、という話になっている。

【庭の境界フェンス】・・・現状はなし。北側は隣家のトタン、西側は隣家の白壁に接している。当初はじぶんで木製フェンスを基礎のコンクリ土台から施工しようと思っていたのだが、年内は仕事が忙しく、また境界線というある種ナイーブなエリアでもあるので、専門業者にきっちりとやってもらった方がいいかもと思った。当初の見積もりが(先方がウッド調のアルミ製フェンスに勘違いしていたこともあり)予想より高く、基礎と木製の支柱だけ建ててくれたら板はこちらで張るからという話から、最終的に外壁と屋根を注文してくれたらサービス価格でやってくれるという話に落ち着いた。西側は腰の高さ程度の白塗りの縦板、北側はトタンを隠すため180センチくらいの茶塗りの横板を考えている。

その他に各部屋の窓のペアガラス(エコポイント対象・・・防音・保温効果のため)への付け替え、玄関シリンダーの交換など。サービスとしては天井裏金具の増し締め、1Fのトイレ・階段下収納の扉、手洗い場の各扉の塗り替え、施工期間中(およそ2週間)の別途作業車用駐車場代(前面道路が狭く、足場のために玄関横の駐車スペースも潰されるため)など。

 なお、引越しの日にちにあっては、頭金の金額変更により最終引渡し日が月末に伸びたのと、わたしの現在の仕事の状況、引越し準備作業、また足場を組む作業をゴールデンウィークにまたがせたくない等々の事情も鑑みて、GW以降にリフォーム作業を始めてもらい、引越しはそれが完了してから、ということにした。おそらく来月末くらいか。

 と、ここまでがリフォームのメンドー臭い内容で、その他に同時進行で下記の事項もある。

【エアコン設置】・・・現在使用している古いエアコン(ひとつはYが持参したもの、ひとつはわたしの友人がくれたもので共に20年くらい前の購入と思われる)は危ないという私の実家からの意見もあり、また部屋が増え、広くなったこともあり、新規に計4台のエアコンを取り付けることになった。購入及び施工はYの実家の近所の、親類の業者がかなり格安の見積もりを出してくれ、わざわざ和歌山から来て作業してくれる手筈。14畳が2台、7畳が2台、わたしの和室は冬はデロンギ・夏は扇風機で耐える。

【ベッド】・・・二週間ほど前の休日に某アウトレットの家具屋を家族で見に行った。Webなどで見ていてもマットレス込みで3万円くらいからあるので、おお安いじゃないかと思っていたら、実際に店頭で寝そべってみるとマットレスで天と地の違いがあり、安物はやっぱり安物だと思い知った。結局、わたしとYのダブルベッドは型落ちの特価品だというシモンズ製、子のベッドはマットレスを同店でおなじシモンズ製を購入し、フレームはWebで子が気に入ったアイアン・ベッドにして注文した。(最初はロフト式みたいのを子は欲しがったが、Yがベッド上で導尿するのが困難だと説得して諦めてもらった)。

【テーブル・応接セット】・・・1Fのリビングにはアンティークのドローリーフテーブルを設置したいというのはわたしとYの共通の希望であり、Webでもあれこれ物色していたのだが、近所にある輸入家具屋インハイへも立ち寄ってみた。店主は数年前、わたしが子の机をつくったときに100年前のスクールチェア一脚を購入し、それに刻字されたアルファベットから生産地を調べたというメールを送ったことを覚えてくれていて、「そういえば、あれからあなたのことを知っている人がこの店に来ましたよ。夫婦で自転車に乗って・・・」 と言えば、寮さんのほかにあるまいて。店主は店内に置かれた家具のうんちくを熱心に語ってくれ、またいくつかのソファーに座らせてくれ、そういう事情ならば実際に住んでみてから間取りや設置感覚などを考えてみて、今年の夏に買付け用のコンテナ1台を予約しているので、どんな感じかを教えてくれてあとはうちを信頼してくれるなら、いまはレートが買い時だから30万〜40万くらいでドローリーフテーブルと椅子のセットを探してきてくれる、と仰っている。

【その他】・・・ポストと玄関灯をWebで購入した。

 そうしてやや方向性が固まってきたと思ったら、前述のエアコン設置を依頼していたYの親類がふいと、平城遷都1300年祭の見学がてらとやってきて現地を見てくれた。この親類は本業は電気工事が主体なのだが、学校などの公共工事も受注していて、過日のYの実家宅のキッチンとトイレの改装(IH化とバリアフリー化)も職人さんに指示を出しながらすすめてくれたらしい。その人がわが家の外壁を見て、「塗装だけでは一時的な対処で、長い目で見たらサイディングの張替えをした方がいい」と言い、知り合いの外壁業者に一度見積もりを出させてみる、と言ってくれた。Yと相談した結果、それをこれまですりあわせをしてきた建装屋氏に素直に伝え、外壁についてはその施工・見積もりについてもういちど見直しをすることになった。ちなみに当の親類にYが建装屋氏のこれまでの見積もりをFAXで送って見てもらったところ、「この内容ならよく頑張っている。決して高くはない」という評価であった。

 というわけで10日ぶりの休日の本日、現地にて改めて建装屋氏、外壁業者、サッシ業者、外溝業者の諸氏と合流し、特に外壁については現状を見てもらい詳しい見解を伺った。「もちろん予算にも拠るが、できるなら塗装よりも全面張替えの方が望ましい」とのことであった。また建築当時がサイディングが出始めた頃でもあり、内壁と外壁との間の通気工法が施されていない可能性が高いので、いちどすべてを剥がして内部の状況を確認することも張替えなら可能との見解であった。とりあえずは張替えで再度見積もりを出してもらう運びとなっている。

 今日は子の参観日だったのだがキャンセルをして、子には(なんどか自転車で行っているので)「学校が終わったら(一人で)新しい家まで歩いてくるよう」Yが伝えていたらしい。ところがなかなか現れない。Yが同級生のお母さん仲間に電話で訊いたところ、「これから新しい家に行く」と友だちのマンション前で別れてからかれこれ一時間が経過している。さあ、大変。わたしは車で広域を、Yは歩きで周辺を探し回って、Kちゃんのお母さんまで自転車で出てきてくれて、最後は家の前の路地のはるか彼方からとぼとぼとランドセルを背負って歩いてくる子をYが見つけた。どうも道順としては正しく歩いてきたものの、自転車と徒歩では距離感が異なるから、「こんなに遠くはなかった」と錯覚をして手前で戻ってしまい、それからあちこちを歩き回っていたらしい。話を聞くとわが子ながら賢いと思ったのは、迷ったと思ったら、一度じぶんが分かるところまで引き返して、そこから何度でもスタートすることを繰り返していたため、遠くまで行ってしまわなかったこと。また思わず笑ってしまったのは、ときどき通った道々の電柱にペットボトルの水をかけて目印としていたという話を聞いたこと。まあ、こんなオマケ騒動もあったり。

 そんなわけで、書いているだけで、もはや疲れた。

2010.4.21

 

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 某イベントもいよいよ開幕。さいしょの土日を終えて、お蔭さまでこれまで大きな事故もなく過ぎている。毎日朝早くから夜遅くまで、疲れもたまっているが昨年、名古屋で延べ三ヶ月、ときに機械室の冷たい床にダンボールを敷いて2〜3時間の睡眠を貪っていたときに比べたら家にも帰れるし、同じ警備隊本部に詰めている協力会社の人たちともすっかり友だちのようになって、案外愉しくやっている。わたしはやっぱり、事務所で細かい単価計算などをやっているより、ばたばたといろいろある現場の方が好きだな。「大きな事故もなく」と書いたが、やはり広い会場内にぞろぞろとたくさんの人が集うと足をくじいたとか気分が悪くなったとかあれこれあり、週末も日に4度の救急車が走り回ったりして、昨日は所轄消防局との反省会の中で今後、とくに夏場の熱中症や食中毒対策などについて意見も出され、まだまだ課題は多い。ところで開幕前の消防訓練のニュースでわたしが結構アップで写っていたと現場の隊員さんたちから聞いたけれど、わが家はいまテレビなど見る間もないので残念ながら誰も見たものがいない。だれかご覧になった人はいるかな?

 金曜は夜に奈良市内の某銀行支店内で金消契約(金銭消費貸借契約)をした。つまり住宅ローンの契約。イベント会場近くの某家電店の駐車場までYに車を持ってきてもらい、それから二人で銀行へ。ATMコーナーのすでにシャッターの閉まった横の扉から不動産屋氏と共に無人の店内へ。大きな金額だから何か特別なVIP扱いでもされるかと思っていたけれど、対応した年配の銀行員はお愛想のひとつもなく、いたってビジネスライクに契約書の手続きをこなし、印鑑を馴れたてつきでぺたぺたと押して、30分ほどで終わった。これで晴れて世間並みの借金持ちになったわけだ。住宅ローンの融資を受ける際、本人の収入等はもちろんだが対象物件の資産価値も評価対象となる。つまり銀行の審査が通らなかった場合イコール本人の支払能力の不適応だけだはなく、対象物件の資産価値が低い場合もあるという話がちょっと面白かったかな。ちなみにYが「うちの場合だと最大、いくらぐらい借りられたのか?」と参考まで訊いたところ、「三千万円」ということであった。

 土曜日は子の待望のあたらしい自転車が届いた。斑鳩の方の親類の自転車屋までYと子で取りに行った。さいしょ、自転車屋のおじさんは年齢的につなぎのサイズだから、倉庫に古い売れ残りのおなじサイズのものがあるからそれならロハで呉れると言って、わざわざガレージまで案内して埃をかぶったダンボールを開けて見せてくれたのだが、子のお気に召さなかった(「だってお父さん、“積み木”の絵が描いてあるんだよ!」と)。「この子はいままであまり物を買ってもらわなかったし、あっても従姉のお古などばかりが多かったから、今回は紫乃がじぶんで選んだ新品を買ってあげましょう」というYの後押しもあり、おじさんの店で取引があるブリジストンのカタログから予め決めておいた22センチの自転車を注文していたのだった。オプションの「花形ホイールアクセサリー」もじぶんで付けて、さっそく駅の辺りまでYと買い物へ乗っていったが、足つきは問題ないもののハンドルの重みなどがまだ馴れずにふらつくらしい。

 リフォームの方は結局、Yの実家の業者は諦めて(見積もりは若干安かったけれど、遠距離のこともあり、またこれまで再三にわたる打ち合わせで当初の建装屋氏に情が移っているなどの理由で)、当初の建装屋氏に工事をお願いすることにした。今日は午前中に家の売買の最終となる鍵の引渡し(登記簿上で正式にわたしの名義に変わる)があり、午後からは建装屋氏が最終的な値引き(もう何度目かの)を持った見積書と契約書をたずさえてやってきて、夕方は学校の家庭訪問であたらしい担任の先生が来られる予定。その合間に子のヴァイオリン教室もあり、盛りだくさんで相変わらず終日忙しい。

 今回、外壁を塗装から全面張替えに変更したことなどもあり、リフォーム費用がだいぶ膨らんで、やむを得ずYの実家に頭を下げてもう100万円を追加融資してもらうことになった(「仕様がない、打ち出の小槌をふろか」とお義母さん)。家の購入代金とリフォーム代の、銀行の融資を除いたほとんどはわが家で貯めていた子のお祝い金や児童手当、また障害者手当てが少々、Yがわたしといっしょになる前にかけていた積み立て定期、それに互いの実家からの援助金によって構成されている。だからわたしの稼ぎは一切これに貢献していないわけだが、Yは、そんなことはない、銀行のローンが組めたのは○○さんが一生懸命働いてくれているその信用なのだから、やっぱり家が買えたのは○○さんのお蔭だよ、と言う。そういう話はわが家では子の前でふつうに交わして、子へも、きみのお金も家を買うために役に立っているのだと話をしている。

2010.4.27

 

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 ゴールデンウィークもひとまず過ぎて、まずは一段落か。それにしてもこの国の人々は「集まる」のが好きだね。シーズン真っ盛りの海水浴場か、はたまた小瓶に採取された蟻の集団のようなところで、土ぼこりと人いきれをたっぷり呼吸して休暇を愉しんでいる。ああ、おれはチビと二人、人界果てた山奥の河原へでも行ってひねもす水と風の音を聴きながら呆けていたい。

 あれから幾日を経たのか記憶も定かでないが、「家の引渡し」なる儀式があった。某銀行の別室にスーツを着た胡散臭い男たちが、果てしなく続く書類の記入や署名、押印を囚人の如く要求されているわたしを取り囲みじっと注視している。「どうも緊張しますね。みなさんにこんなふうに見つめられていると」 スーツの上の顔が少しだけゆるんだ。取り出した実印が「変わっている」と誰かが言い、金がなかったからじぶんでつくったのだと言うと、取り囲んだスーツたちは一様に驚いたようだった。それから(銀行の奥で札束が勘定されているのを待つ間)印鑑つくりの薀蓄などをあれこれ披露しているうちに、スーツの上に徐々に人間の顔が乗っかってきた。間もなくテーブルの上に積み上げられたおよそ二千万近くの札束のひと山。これは仲介料、これは火災保険料、これは売主に、これは司法書士の先生・・ と山分けされていくのを黙って眺め「はい、ちょうどです」 幾枚かの領収書に代わり札束の山が綺麗に消滅して「家の引渡し」が終わった。

 それから注文していたベッドなどの配達が始まり、Yがそのたびに新居へ赴いて受け取りをした。子も学校帰りの友だちを招いて、その間にYは道路上に落ちた生垣の落ち葉を掃いたりもした。屋根・外壁(サイディングの張替え)・トイレ改装・ペアガラス入れ替え等のメインのリフォームがほぼ決まり、正式に契約を交わした(最終的にずいぶんと勉強してくれたが、それでも総額は300万を超えた)。保留・検討中はYの希望する玄関の扉の入れ替えとキッチンパネルの貼り。庭のフェンスづくりは結局、じぶんでやることにした。いや、じぶんで好きなようにやりたくなってきた。フェンス、物置、ウッドデッキ、それに立水栓も手製につくりかえる。「手作りエクステリア百科」なるDIYの本を購入した。

 今日は昼間だけ現場を抜けさせてもらって、午後からYとわたし、建装屋のMさんの三人で、明日から始まるリフォーム工事の挨拶も兼ねて近所の8軒ほどを回り、リフォームの最終すりあわせをする予定。夕方からそのまま仕事場へ。

 「現代思想2010年5月臨時増刊号 総特集=ボブ・ディラン」と中古本「友川かずきの競輪ぶっちぎり勝負」をアマゾンで注文した。

 夜、風呂上りのパジャマ姿でギターを抱えて友川かずきの「ワルツ」を歌っていると、「またそれ、うたってる」と子が言い捨てて寝室へ消えていく。

2010.5.6

 

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 急転直下というか、なかば予想はしていたんだが、某イベントがゴールデンウィークも終えてやっとひと段落と思ったら、京都で来月オープン予定の某ショッピングセンター立ち上げの雲行きが怪しく、結局、わたしが一ヶ月ほど某イベントを抜けて手伝いにいくことになった。やれやれ、仕方がないか。代わりに提示した条件は週1回の休日の確保、来月頭に予定している引越しの当日と前日の休日、それと現場近くのホテルの確保。加えて、ずっとハードな日々が続いていたので、とりあえず2〜3日休ませてくれと言って、今日は昼ごろにPCをたたみ、荷物を整理し、警備本部の仲間たちにしばしの別れを告げて勤務を終了したのであった。Yに車で迎えに来てもらい、買い物などにつきあってから帰宅した。

 昨日、丸一日かけて家の回りに足場が組まれ、いよいよリフォーム工事が始まった。とりあえず作業は屋根からで、明日・明後日と天気が悪いことをYは何度も気にして言うのだが、明後日くらいに頼んでいる外壁材のサンプルが届くので、それで外壁のデザインなどを決める。そうして屋根に続いて外壁の張替え作業となり、最後の頃にトイレの改装、サッシの入れ替え、エアコンの設置作業等々が入って、およそ三週間ほどの工程だ。保留になっているのは玄関の扉の入れ替え。わたしは、もういいんじゃねえの〜と思うのだが、Yは「外壁が新しくなるのだから、扉が古いままでは浮いてしまう。玄関は家の顔だから」とこだわる。でも30万もするんだよね。それで現在保留中。扉がぽしゃれば、シリンダーの入れ替えだけしてもらう予定。

 外壁のデザインや玄関の扉は、わたしはもうすっかり考える気も失せていて、目下思案中なのが、家と庭の南面の道路に沿った生垣のことと、自転車の置き場のことである。

 生垣の樹木は年中葉が赤くなっては大量に落ちる種類のもので、見栄えはとてもいいのだが、これがだいぶ近所の迷惑になっているらしい。つい先日もYが一度掃きにいったのだがゴミ袋が満杯になった。挨拶回りに行った折も隣家の婆さんがのっけからその話を切り出すので、「そんなこと言ったって、まだ住んでもいないし、おれたちが植えたわけじゃねえのになあ」と少々憤慨したのであった。しかしどうも管理が大変そうだという認識はあるので、いっそ切ってしまおうかという話も家の中で出ている。ただし切って、あたらしい柵などを取り付けるのは、庭の境界フェンスや物置など、まだ先に見込まれる作業が目白押しなので、とりあえずは一旦専門業者にさっぱりと剪定してもらって(しばらく放置されていたので、だいぶ生い茂っている)、年内はそれで凌ごうと考えている。

 自転車の方は現在、玄関前の屋根なし駐車スペースの端っこにしか止めておく場所がないという問題がある。雨ざらしや盗難の危険もあり、車の出し入れにも影響が出てくる。それで生垣が絡んでくるのだけれど、わたしが考えたのが、玄関横に回りこんで完結している生垣の二本を先に切って、つまり家と道路沿いの生垣の間の1メートルほどの隙間に駐輪場所をこしらえようという計画である。柱を立てて屋根を貼り、地面にはコンクリは味気ないので煉瓦でも敷き詰めようかと考えている。もちろん出入り口には簡易の扉も付ける。まずこれが手始めの作業かな、と。この駐輪計画予定地------家と生垣の間にじつは生垣とは別個に二本の名前も分からぬ3メートル近くの高さの樹木が植えてあって、足場を組むのに邪魔なようなら切ってくれて構わない、但し真っ直ぐな木なので後で材を使いたいから、そのままほかさずに庭に並べて置いておいて欲しい、と建装屋氏に先日に伝えている。

 その他、引越しを機に決めなければいけないのが、わたしのオフロードのバイクの処遇。電車通勤に変わってからすっかり乗らなくなって久しく、いまやバッテリーがあがってエンジンもかからない状態で放置されている。休みの日の移動は家族といっしょだから車か自転車になってしまい、いまではわたし一人でバイクに乗って出かける機会なんて実際にはないんだよね。このバイクは気に入っているのだが、乗らないんなら仕方がないし、あたらしい家にはバイクまで置いておくスペースもちょっと苦しい。わたしはもともと自転車少年で、バイクもそもそも自転車の延長なのだからして、よしこれからはエコだ、自転車に原点回帰しようと、バイクを売ったお金であたらしい(ちょっと高級な)自転車を購入する決心をしてWebであれこれ物色してルイガノのクロスバイク(5万〜7万くらい)に目星をつけたものの、いざバイク屋に買取の打診をしてみると、まあ年式も古いし、走行距離もわりと多く、さらに現状「不動品」なら「せいぜい1万円くらいが限度」と言われてがっくりとしてしまったのであった。そんな金額にしかならないなら、あたらしい自転車も買えないし、いっそ修理してもう少し乗ろうか・・・ と思い悩んだり。

 最後のひとつは、引越しで子の念願の夢の実現の可能性が出てきた飼い犬のこと。しかしこれもいざ飼うとなったら、犬の性質やら、誰が散歩に連れて行くのかとか、餌代とか、あれこれ出てきて難航している。わたしは基本的にもじゃもじゃと毛が長く洋服を着てちんたら歩いているような類は嫌いで、柴犬とか紀州犬とかがいい。Yは洋犬志向で、ゴールデンレトリバーは子も大好きなのだが大型犬は餌代がひどくかかるらしい。それからYが探し出したのは「オランダで古くからカモ猟に使われていた小型のエスパニエル」というコーイケルホンディエだが、調べたら赤ん坊は40〜50万円くらいする。近くのペットショップの檻を覗いても何だかぱっとしないし、そもそも10万円も20万円も出してああいうところで犬を購入するというのはどうなんだろうね〜。ちょっと気乗りがしない。

 本来はそれぞれ1ヶ月・2ヶ月をかけてじっくり考えて決めるようなものが、引越しを機にいっしょくたに短期間で決めなければならないことが多く、精神的にもあまりよろしくない。

 とりあえず明日は、散髪に行ってから、ちょっと現場を覗いてこようかな。午後には引越屋との交渉もあった。

2010.5.9

 

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 新居の周囲は下町風情で、代々から住んでいる家が多い。先日、挨拶回りに7軒ほどを回って、あらためて老人ばかりなのに驚いた。ある長屋風の家などは気を利かせて隣のおばちゃんが玄関先で声をかけたものだから、下着一枚の姿のお婆さんが出てきて大層恥ずかしがっていたが、そのお婆さんの艶かしい姿は同時に懐かしい光景でもあった。日溜りの中でそんな年寄りたちがいつしか集い、玄関先の鉢植えの花について語り合っているようなその雰囲気をわたしは好ましく感じる。わたしが生まれ育った東京下町の風景にこよなく似ているからだろう。

 今日は朝からYと車で家を出て、わたしはまず所轄警察署で雑踏警備資格者証を受け取り、それから警備員の指導教育担当選任のために公安委員会へ提出する書類の受け取り(アル中・麻薬摂取者等でない医師の診断書、住民票)、その間にYは郵便局やスーパーなどを回り、生垣の掃除用に昨日買っておいた塵取とホウキをぶらさげ新居を覗きにいった。屋根の工事の職人さんが二人、作業をしていたが、折りしも雨が降り出してきた頃で、わたしたちが帰ってから工事は取り止めとなったらしい。

 Yが洗面所のスペースを測っている間、わたしはリビングから足場をくぐって庭に出て、建装屋氏が手ノコで伐ってくれたという南側のトイレと生垣の間に直立していた二本の樹木を眺めていた。葉を一枚持ち帰り、あとで調べてみるとどうも樫の木であったらしい。シラカシは「金は貸すが、借りない」の語呂合わせから、庭木に植えるとお金が溜まるという縁起を担いで庭木に使われることが多い。元の建て主はどうもこんな縁起担ぎが好きだったようで、庭自体は柵もなし・花壇もなしの至って愛想のない、たんなる物干し場として使われていたようだが、年中葉が落ちる厄介な生垣の他に、敷地真南に前述したシラカシ、そしていまは生い茂った生垣になかば隠れてしまっているが庭の南西角にナンテンとヒイラギが植わっている。ナンテンは「難を転ずる」語呂合わせから縁起樹の最たるもの。またヒイラギは古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)に南天の木を植えると良いとされている。でもこれだけ揃えても差し押さえにあっちゃったわけだね〜。

 樫の木と分かって、わたしはちょっぴり「はやまったかな」と思った。どんぐりの成る照葉樹林は縄文の象徴である。夕食の席でその話をすると子は「強い樫のように・・」と教会の歌の一節を歌い、「神聖な木を切っちゃったんだね」と言った。「お父さんじゃないよ。(建装屋氏の)Mさんだよ、切ったのは」と冗談めかしてわたし。「そういう冗談はMさんの前で言わないでくださいね。まじめな人なんだから」とYが戒める。樫の木は材としては重硬で、船や道具の柄など強度の試される部材として使われてきた。3メートルほどのまっすぐな丸太が二本手に入ったわけで、数年寝かせておいてから何かに使おうと考えている。

 午後からはS引越屋の営業マンがきた。荷造りはセルフで2トン車2台分、締めて10万円。前の引越から単純に金額計算で荷物が倍に増えたことになる。その他、和歌山のYの妹さん宅で預かってもらっている和ダンスの引取りを別便で依頼し、これを含めて総額12万円でサインをした。本社にある「日本一引越のしにくい」研修用家屋、それに運転中の振動を計測してデータが本社に送信され90点を下回ると減給になるという“嫌らしいけど効果がある”管理システムの話がちょっと面白かったかな。無駄な話が多くて時間が長くかかり、わたしはああいう営業マンはあまり好かない。

 ちなみにいま住んでいる県営住宅は引越時の現状回復が決まりで、つまりまだ使える風呂釜・浴槽も、特注で付けてもらったベランダの網戸も、すべて退去時にはじぶんで取り外していかなくてはならない。古い風呂釜は事故の可能性があるからというのは理解できなくもないけれど、いまどき網戸もついていない家なんかないだろう。風呂場の窓も夏には虫が入ってくるので手製のサッシを取り付けたのだが、これらも全部撤去・処分しなくてはならない。あたらしい入居者はまたじぶんで安くはない風呂釜・浴槽を買い、業者に取り付けてもらい、また網戸も特注で新設して、風呂場の窓から虫が入ってくるのをどうしよう? と思い悩まなくてはならない。この悪循環はもうちょっと考えた方がいいんじゃないの? 県のお役人さんも。

 この風呂釜の撤去・処分に、入居時に取り付けてもらった専門業者に依頼して1万円くらいは見込んでいたのだけれど、Yと仲良しの(いつも野菜を呉れる)近所のDさんが「そんなもの、管理会社に言ってガスを止めてもらって、じぶんで取り外して近くの処分場へ持ち込んだら500円で済む」と教えてくれて、それを契機にYが近所のリサイクル業者に話をつけて網戸やエアコンも含めてロハで引き取ってくれる段取りをしたのだった。エアコンは新居にエアコンを設置予定のYの親類の電気屋さんに外してもらうことになった。

現代思想2010年5月臨時増刊号 総特集=ボブ・ディラン」が届いてわりと面白そうだけれど、まだまだじっくり読んでいる暇がない。

2010.5.10

 

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 一日休みを取って、京都のレオパレスから一時帰還。午前は最後の粗大ゴミの日の搬出作業など。昼から件の輸入家具店へ行き、最終的にリビングのテーブルの購入をほぼ決めてくる。1900年前後のイギリスで、マホガニーのドローリーテーブル。18万円也。あとはこれに合わせる椅子4脚を来週に再度調整する予定。テーブルと併せて30万円〜40万円くらいか。これらはインハイのHPで見れる。

 玄関の扉の交換は結局、予算の都合もあり、Yに断念してもらった。キッチンパネルとシリンダ交換、それに生垣の剪定を加えて最終、端数を切った金額で手を打ってもらった。処分する予定だった団地仕様の網戸は、最近近所に越してきたばかりのブラジル人の家庭へ譲ることになった。あとはカーテンと表札くらいかな。

 明日からまた一週間、京都に缶詰。ハードな日々が続く。

椅子の候補 http://www.inhi.jp/shouhin_k/08/147.jpg  http://www.inhi.jp/shouhin_k/07/056.jpg

2010.5.16

 

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 延べ1ヶ月にわたる京都滞在をまずは了えて、水曜日の夜に帰宅した。毎晩遅くに帰って寝るだけのレオパレスでの独居生活はいたってシンプルなもので、ふだんは見ないテレビでワールドカップのカメルーン戦も観戦したし、深夜の英会話番組で外人が日本の盆栽文化について語るのを見て“盆栽も、ちょっといいな・・”と思ったりした。向こうでル・クレジオの「物質的恍惚」(岩波文庫)を買ったけれど、結局一頁も読まなかったな。帰りにほか弁かコンビニ弁当か松屋の牛めし250円味噌汁付きかラーメン屋(心無い食環境にあって、ここの野菜ラーメンには救われた→8番らーめん 吉祥院店)で夕飯を済ませ、コンビニで翌朝のパンやヨーグルトを買い、シャワーを浴び、発泡酒を飲みながらしばらくテレビを眺めて、屋根裏部屋のようなロフトに敷いた布団の上で眠りについた。そんな単調な日々とうってかわり、家(新居)に帰れば大量の課題が山積みになっている。週に一度の休みと引越の前後2日しか帰ってこなかったわたしと違って、毎日そんな怒涛の日常にもまれていたYはさぞかし大変だったろうと思う。書籍やCDの詰まった大量のダンボールが蟻塚の如く屹立しているわたしの和室を除いてはほぼ生活環境を復旧し、加えて役所や金融関係等の転居手続きなども完了していたのであった。

 今回、リフォーム代を含めた、純粋な家の購入費(購入に関わる諸々の手数料等も含む)以外に費やした金額が、驚きながら総額500万円を超えた。アバウトな内訳としては、工務店に支払ったリフォーム代として350万円(外壁と屋根の張替え、トイレの改装、全窓のペアガラスへの交換、キッチンパネルの張替え、玄関扉のシリンダ交換、生垣の剪定、和室の床下補強、火災報知器の設置、駐車場側溝部の補修など)、エアコン4台とアンテナの設置等がが50万円、家具の購入費(ベッド、ドローリーテーブル、チェアーなど)が50万円、カーテン・カーペットが約30万円、引越や団地の退去関係で15万円、その他こまごまとした雑費(玄関灯、ポスト、レンジ台、物干し台、室内照明、ガーデンホース、LAN端子用無線子機、等々)で20万円ほど・・・ いったいわが家のどこにそんな埋蔵金があったのかとわたし自身も驚くばかりだが、とにかく銀行の借り入れ額を急遽100万円上積みし、Yの実家からの援助金を少々追加してもらい、子のこれまでの貯金などもあらかた切り崩して、7月の入院費程度をかろうじて残し、ほとんどすべてを使い切ったのであった。「これなら新築が買えたね〜」とYは苦笑している。外壁や屋根の止むを得ずから始まったリフォームだったが、モリスの壁紙で囲まれたトイレ改装や全窓のペアサッシ、シェードのカーテン、それにリビングのアンティーク家具などは贅沢だったかも知れない。けれどわたしは、いままで並々ならぬ苦労をかけた分、なるべくYの理想に近づけるような家に仕上げたいとの思いがあったので、最後の50万円の玄関の扉の交換はさすがに待ったをかけたものの、熱心に工務店と打ち合わせをし続ける彼女の姿をまぶしく眺めていた。

 わたしの「書斎」となる和室の床補強は、いちど話が出て立ち消えていたのが、いざ引越の間際で積み上げられた本の分量に恐れをなしたYの要請で急遽、引越の数日前に大工さんにやってもらったものだ。これで念願の壁面書棚を堂々とつくることが可能になったのだが、とりあえずそれは後回しにして、まずは玄関横の自転車置き場、そして(構想が膨らみ屋根上に物干し場を設けることになった)物置兼作業小屋、木製のフェンス、庭が一望できるようにとわざわざ追加料金で一枚硝子に換えたリビングの窓から張り出すウッドデッキなど、いわゆる「外溝工事」が目白押しに控えている。これまでの木工作業だけでなく、モルタルや煉瓦などの土木工事も未知の領域だけに愉しみではある。そんなわけで、家の中でわたしの部屋だけがまだ多くのダンボールが積まれたままになっている。

 固くなっていた庭の一部の土を掘り返して、鉢植えの百合を移植した。白い花を抱いてすっくと立ったその姿に、リビングから見ていた子が「夏目漱石の“夢十夜”に出てくるのもこんなだったね」と言った。

2010.6.18

 

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 3連休(リフレッシュ休暇?)の最終日。朝いちばんに子を習字教室へ車で送るついでにホームセンターへ部材の確認。帰宅するとカーテン屋さんが予定通り来ていて、子の部屋を除く全室のカーテン(シェード)の設置。これでやっと外から丸見えの環境から脱出できる。シェードでないふつうのカーテンがいいと言う子の部屋のカーテンは通販に注文済みでまだ届いていない。別にWebで買ったアイアン・アンティーク風のカーテンレールだけカーテン屋さんにサービスで付けてもらった。カーテンが付くとやっぱり部屋が落ち着くね。カーテン設置は午後2時までかかり、その間に大阪ガスの業者さんもやってくる。駐輪場をつくる予定の玄関横の生垣と館の間の細いスペースに設置されたガスメーターの配管を特殊センサーを使って調べてもらった。柱を建てるコンクリートベースの埋設への影響を知りたかったのだが、かなり隣接しているものの手掘り作業なら問題はないだろうとの回答。ただし現状、自転車の出し入れに際してガスメーターがでっぱっている面もあるので、移設の見積もりも出してもらって、金額を見て検討しようかとYと話している。カーテン屋さんが帰ってから昼食をとり、子と二人で庭に仮設の部材置き場を施工する。二人で穴を掘り、ちょうど寝かしていた件の樫の木などを掘っ立て形式で立てて、ブルーシートをタープ上にくくった。掘った穴から古い瓦や瀬戸物、ビー玉などが出てくる。子はこの作業をやりたくて土曜学校を休む。できあがった仮設小屋を一瞥してYが「西成公園だね〜」と。ソファーで転寝をしていると工務店のMさんがよその現場帰りに立ち寄ってくれる。先日の大雨の時に発見した屋根からの雨水の伝い漏れについて、電気屋さんで設置したアンテナを支えるワイヤーのためで、建物的には影響はないとの説明を受ける。それから数日後に予定している駐車スペースと市道の間の溝。これにグレーチングの蓋をしているのだが、一部市道側のコンクリが崩れていて車を乗り入れるときに蓋が跳ね上がったりして危険な状態にある。市側に問い合わせると蓋に関してはわが家の所有で、蓋によって破損した市道側の端部分も補修費用はわが家の負担になりますという。崩れたラインをすべてカットして、いまよりもうすこし幅広のグレーチングを渡し、費用は約5万円。その段取りの説明をMさんから受ける。まあ、そんなこんなで引越が終わっても、まだあれこれとせわしない。

 子は数日前に靴擦れでできた親指の傷がだいぶ深くなってきて、昨夜診てもらったいきつけの皮膚科の先生からしばらく学校のプールは控えた方がいいと言われ、「ことしも1回しか入れない」と大泣きに泣いた。去年はちょうど自転車で転んだ骨折のために1回だけ。ことしはもうじき手術があり、手術後の入院は1週間程度だがその後、8月いっぱいまでギブスに車椅子の生活となるので、やはりおそらく1回。「秋になったらお父さんと近くの温水プールに行こう」と慰めた。その夜、子が学校で習ったという「こきりこ節」を風呂場で歌ってくれた。かつて道々の田楽法師たちが五穀豊穣を祈念し竹の楽器を打ち鳴らして踊った、「日本でいちばん古い民謡」だそうだ。子の澄んだハイトーンの声で歌われる「こきりこ節」は、まるでイエイツの詩集に収められた小編のようだ。

 

(はやし) 窓のさんさもデデレコデン はれのさんさもデデレコデン

こきりこの竹は七寸五分じゃ 長は袖のかなかいじゃ
踊りたか踊れ 泣く子をいくせ ささらは 窓のもとにある
向かいの山を担ずことすれば 荷縄が切れて担づかれぬ
向の山に啼く鵯(ひよどり)は 啼いては下がり啼いては上がり 朝草刈りの目をさます
月見て歌う放下(ほうか)のコキリコ 竹の夜声の澄みわたる

【訳】
こきりこの竹は23cmの長さである。 それより長いと袖に引っかかってじゃまになる。
踊りたければ踊りなさい。泣く子はよこしなさい。ささらは、窓のところにあるので、それをもって踊りなさい。
向かいの山を荷縄でしばって担ごうとすれば 荷縄が切れて担ぐことができいない。
向こうの山でなくヒヨドリは、ないては上がったり下がったりして、朝草を刈る人々の目を覚ましてくれる。
月夜に歌う大道芸人のこきりこ節は、竹の音とともに夜空に澄みわたる。

http://www.tbs.co.jp/warabe/gky_intro04.html

2010.6.19

 

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 長らく暮らしていた東京・下町の家をたたんで、わが家が茨城県の北のはずれの地に建売分譲の家を買ったのはわたしが高校1年のときだった。東京の家はもともと消防署を退職した祖父が祖母と駄菓子屋を営んでいたもので、ちょうど父の鞄つくりの仕事の先行きが見えなくなりはじめたのを機に心機一転の巻き直しと思ったか知らないが、借地の権利を売った金を元手に長期のローンを組んで家族4人でまったく環境の違う田舎町へ転居した。地元では“へび山”と言われていたらしい山を切り崩して庭付きの分譲地が建てられたその家を、東京から常磐線の各駅電車で3時間かけて母と妹はいちど父と三人で見に行ったそうだが、わたしはその中に入っていない。きっと難しい年頃でもあったから「行かない」とでも言ったのかも知れない。わたしがはじめてその家を見たのは確か引越のわりと直前で、転入する高校の手続きで父と二人して、JRの旅のポスターにでも出てきそうな寂れた田舎の駅に降り立った。その夜は、分譲地の中央に店を開けていた酒屋で酒のつまみのような食材を夕飯代わりにまだ電気すら通っていない2階の部屋の床の上で懐中電灯の明かりを頼りに食べ、そして持参した寝袋にくるまって寝たのをいまでもよく覚えている。わたしも妹も、そのとき正式に独立したじぶんの部屋をそれぞれ与えられた。父はときに裏山に分け入ってとってきた木を庭に植え、縁側と物置と駐車場の屋根とキウイの蔦を這わす今風に言えばパーゴラをDIYで拵えた。それから4年後に、かれは突然の事故でその新居からもこの世からも永遠におさらばした。今夜、そんなことを思い出している。

2010.6.20

 

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 試みに「放下(ほうか)」を手元の「部落史用語辞典」(柏書房)で引いてみる。

 

 中世から近世初期にかけて流行した雑芸、およびその芸能者。古代の散楽の流れをくむ品玉、手鞠、輪鼓など手先を巧みに使う芸を主要な演目とするほか、コキリコ、ヒイナ(人形)廻し、鞨鼓(かっこ)、曲舞(くせまい)、軽業など多彩な芸を大道で演じた。

 本来身分は非人法師で、しだいに俗体の者が増え、近世初頭には高麗人、唐人も加わって奇術、幻術に演目を拡げた。

 

 子が学校で習ってきたこきりこ節に惹かれるのは、月夜のもとで歌う流浪の芸能者とささらの響きの光景がまなじりにこびりついて容易に消えないからである。差異と差別が生じる以前の、かれらのような名もなき芸能者に対する橋渡しのような温度が、この歌の中にはまだ残存していることがじんわりと嬉しい。そしてまた、ゆったりとしたテンポで歌われるこの「最古の民謡」のメロディが胸に心地よく、なぜかひどく懐かしいのだ。

 伝承する者もなく、消滅の危うきにあったこの「こきりこ節」を救い出したのは詩人の西条八十であった。昭和5年に越中富山の山深い五箇山を訪ねたかれはその後の昭和26年、こきりこ最後の伝承者である上梨の山崎しい(昭和38年没)を探し出して、採譜に至った。

 ちなみにこの「こきりこ節」で用いられる「こきりこささら(びんささら・板ささら)」とはひもで結びつけた108枚の短冊状の板をスナップをきかせて打ち響かせるものだ。「ささら」とはもともと竹や細い木などを束ねて作製される道具や楽器の総称であり、前者は身近なものとしてはよく中華鍋などを洗浄するための竹製の“たわし”があり、後者の中では多数の溝を彫り込んだ木製の棒を細い棒で擦ることにより音を発する「棒ささら」が中世の雑芸能者の間で用いられていた。

 この「こきりこささら」や「棒ささら」はいまではネット通販でも購入できる。いつか買ってみたいな。

こきりこの里 上梨 http://www.kokiriko.com/top.html

こきりこ保存会 CD販売 http://www1.tst.ne.jp/calm/goods/go_cd_01.html

OH!ジーンズのレパ−トリ−紹介・その1こきりこ http://www014.upp.so-net.ne.jp/komati-nikki/wa-ohjeans-kyoku-kokiriko.html 

「こきりこささら」「棒ささら」通販サイト http://www.wadaiko-fuga.com/311-minbu-geinou.html

 

 何もなければ夕方の6時か6時半には会社を退勤して、5分ほど電車に揺られ、風情の残る城下町の路地をぶらぶらと歩いて7時頃には美しい妻と可愛い娘の出迎えを受けている。毎日、家に帰ってくるのが愉しみだ。

 今日はアマゾンで注文していた格安のキャンプ用タープが届いていたので、夕食前に急いで庭の「西成テント」のブルーシートとと張り替えた。ヴァイオリン教室でヴィヴァルディの「四季」を練習している子のため、子のiPODシャッフルにイ・ムジチの演奏を入れてやった。じぶんの部屋でイ・ムジチの四季を聴きながら子は眠りについた。

2010.6.22

 

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 休日。

 いまいちばんの課題は自転車置き場の施工。といってもこれまでの(まあまあ熟練の位置にあるとじぶんで勝手に思っている)木工とは工具やら資材やらはじめてトライするものも多く、調べ物の毎日である。たとえばモルタルとセメントの違いとか、そんな初歩の段階からして知識がない。とりあえず朝からホームセンターへ行って、下げ振り、バケツ、トロ舟、木材用チョーク、手スキ、レーキ、水糸、屋外用コードリール、それに透明の極小ホース3mを買ってきた。ホースはペットボトルとつなげて水平器をつくるため。

 帰ってからYから提出された課題のひとつめ、開くと勢いで外壁に当たってしまう玄関ドアの固定位置の調整に挑戦。ドアクローザーの速度調整方法は現物にもシールで貼ってあるしwebでもよく載っているのだが、固定位置の解説を見つけるのに苦労した。しかもメーカーによって微妙に構造が異なる。何とか手探りであれこれ試してクリア。次に2階寝室の押入の引き戸の調整。これはうまく閉まらない端部分の木部レールが微妙に反って取り付けられていることが原因と判明し、ノミで削ってから、リフォーム屋の置いていった塗料を再度塗って完了した。

 その後、Yと陸運局へ行って車両登録と子の減免措置の住所変更の手続き。帰り道の焼肉屋でワンコインのランチ(焼肉とキャベツ、キムチ、スープ、ご飯お代わり自由+ドリンクバー)を食べ、スーパーで夜の食材を買い、YがDさんの畑に何か青物を買いに行こうと言い、前の団地へ寄り道し、ちょうど畑にいたDさんからことしの団地の夏祭りが中止になったこと、おなじ棟にひとりで暮らしていた40代の女性が子宮筋腫で急逝したことなどを聞いた。女性は独身で障害があったようでほとんど家に閉じこもった生活をしていて、花と蝶が好きだったからとDさんが彼女の部屋のベランダの前に花壇をつくって植えていた。「花があれば蝶も来るだろ」とDさん。「だけど、不思議なことに死んだら花も急にみんな枯れてしまった。死んで花もいっしょに持っていってしまった。だからぜんぶ抜いてしまったよ」 Yはトマトを買って、Dさんはニンニクとどっさりのじゃがいもをサービスで呉れた。

 帰って庭で煙草を吸っていると、西隣のおっさんが垣根越しに声をかけてくる。定年退職してシルバー人材で時々働いているらしいこのおっさんは、自分の家の高い白壁とわが家の庭との境界線のほんの20センチほどのじぶんの敷地が気になって仕方ないのだ。雑草が生えるのが気になるらしくてそのほんの20センチをコンクリで埋めてしまいたいようなのだが、こちらでその境界に物置とフェンスをつくる頃にいっしょに、と以前に話をしていた。ところが「いつごろやる? いつごろやる?」と今日のように五月蝿いので「じゃあ、お先にやってもらって構いませんよ」と言うと、まず境界ぎりぎりに立っている生垣の端の木を、わたしがそこはフェンスを施工する時に切ろうと思っていると言っていたものだから、「どうせ切るんだったら、先に切ってくれたらわしもここから出入りしやすいし」「なんならこっちで切って、その辺に放っておくから」なぞと言う。境界にはブロックを並べてブロックと白壁の間はセメントで埋め、傾斜をわたしの家の方へつけて雨が流れるようにしたい旨を言い、「そうしたら、そっちのフェンスは別にわざわざ作らなくてもいいんじゃないかなあ」と言うので、「いや、子どもが遊んでいてそちらの壁にぶつかったりしても悪いんで、そこそこの高さのフェンスはこちら側でも建てるつもちですよ」と言うと、フェンスがあるとセメントで固めたところに落ちた落ち葉とかが掃除できないから・・・みたいなことを遠まわしで言うものだから、「それはこっちの敷地でどんな形状のものを建てようが、こちらの自由でしょう」と流石にわたしもむっとしたのだった。この喰えない箕面の猿のような小柄なおっさんは、東側の長屋のおばちゃんたちとはかなり感覚が異なっていて、実際に長屋のおばちゃんたちもYにこの猿おやじの話をするときには「あそこはねえ・・」とひそひそ声にトーンが落ちるらしい。ま実際、ど---でもいいんだけど早いとここの20センチ問題は終わりにしたい。面倒臭い。

 自転車置き場の柱材の基礎にする束石を買っておきたいのだけれど、柱のサイズが決まらないと束石のサイズが決まらない。ネットでレッドシダーの通販サイトなどをあれこれ物色する。地面はいまのところ土を固め、砕石を敷いた上に枕木を並べ、間に砂利石を埋めるスタイルにしようかと考えている。

 夕食に餃子をつくる。「プロバンスのハーブミックス」みたいなのを試しに混ぜてみたら、いたく好評で、子などは知っていて「お父さん。これはいったい誰に作ってもらったの?」なんぞと言う。やっぱり餃子はじぶんでつくるものがどんな店のものより旨い。

 夜。Yの友だちの「ダックスフントならもらえる」との電話に始まって、結局、ビーグル犬の方向でYと子の二人が盛り上がっている。けれど何万も払って買うつもりも余裕もいまはないので、あくまで「ただでもらえる」話がひょいと舞い込んできたら、という都合のいい前提だけれど。

 寝る前に、子は隣のテレビの部屋の押入を開けて、あらん限りのぬいぐるみをじぶんのベッドに運んでいる。「手術まであと13日だから、なるべく大勢の子たちといっしょに寝ていたいの」 子は浣腸の時にわたしの和室で寝そべって「何か頂戴。面白い本を」と言う。わたしの棚にあった森本哲郎の「神の旅人 聖パウロの道を行く」を渡してやると、浣腸の間に30ページほど読み進んで、「これ面白いから、すこし貸してもらえる?」と訊く。

  Ronnie Drew(The Dubliners)の We had it all が胸に沁みる骨につかえる。あちら側へ逝ってしまった者が遺していったものは、いつもなぜこんなに切なく、狂おしく、魔法のまっすぐな矢のようにこの胸を射て、血を流させるのだろう。いつも、届かない人が唯一だ。唯一だと思う人がいつも届かない。

2010.6.25

 

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 先の土曜日の休日、Yがローラアシュレイの店へ子のベッド・カバーを見に行きたいと言うので奈良市の生駒寄り、登美ヶ丘にあるショッピング・センターへはじめて車で行った。その途中、わたしが道を間違えた際に道端で見かけたペットショップに帰り際、子が立ち寄ってくれと騒いだのがそもそもの始まりで、4時間後にそのペットショップを出たときには後部座席、子が膝の上に抱えた箱の中に生後3ヶ月のビーグル犬が収まっていたというわけだ。そんなふうに降ってわいた如く、わが家に現れたかれの名前はジップ(jip)。これは子が大好きなドクター・ドリトルの飼い犬の名をもらった。

 ところがその晩からあまりに頻繁なトイレ(とくに大便)の処理とそれに伴う悪臭で家族三人ともが疲労困憊し、とくにいちばん負担のかかるYはノイローゼ気味になるほどだった。ジップがやってきてから四日目、いつもと違って元気がないので心配したYが以前にピースケ(インコ)を診てもらった動物病院へ連れていったところ二種類の寄生虫がお腹にうじゃうじゃいる。これは最近感染したようなものじゃない。半ば下痢状の便が頻繁に出るのもそのせいだし、ビーグルの子犬にしては痩せすぎている、との診断で内服液と療法用の缶詰をくれた。それが昨日の話で、今日になってこんどは血便らしいものが出たので、Yが犬を飼っている近所のNさんに相談したところ、犬には詳しいというさらに近所のSさんに話をもちかけ、そのSさんの運転する車で別の動物病院へ連れて行ってくれた。結果は前の病院の処方した薬は便を固くするもので、お腹に寄生虫がいるときはどんどん出した方がいいので適切ではない。又いっしょに処方してくれた毎月一度の蚊の感染防止の薬も、こんな下痢の状態のときに飲んでも全部出てしまって効かない、とまた別の内服液と療法用の缶詰を出してくれたのだった。

 そんな嵐のような経緯があって、二度目の医者が出してくれた薬やフードが適切だったのか、今夜は食事のあとも一度ウンチをしたきりでいま現在、これまでは三度も四度もたてつづけに繰り返していた下痢も収まっている模様。病気であったかと思うと、これまで苦労ばかりだったこの子犬が逆に不憫に思えていとおしくなってくる。「はやく元気になれよ」と声をかける。

 ペットショップには寄生虫の発見された日の夜にいちどわたしが電話をして報告したが、店にはいってきたときに一度虫下しの薬を飲ませており、また便の状態も悪くはなかったという。母子感染をした寄生虫が、引越などのストレスで急に発症することもあるという説明もWebで目にしていたわたしはそれ以上文句を言うこともできず、ましてや子犬を交換して欲しいつもりなどいまさら毛頭もないので、とりあえず電話を切った。店のサービスで一ヶ月間は保険で、上限額はあるが治療費の全額は負担してもらえる。

 そんな最中に、昨夜は件のアンティーク店に頼んでいたドローリー・テーブルと椅子が搬入されたりで、相変わらずばたばたの毎日である。

2010.6.30

 

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 あれこれと(特に犬のことで)Yのストレスが溜まっているようなので、予定よりちょっと休みを早めて、本日は奥様サービスDAY。朝5時半からジップのトイレ処理に精を出し、隣家に接している生垣を一本チェーンソーで切って、隣のおっさんと二人で汗だくになって根っこを掘り出した。それからリビングの隅のダンボールを片づけてチャーチ・チェアの上にスパティ・フィラムの鉢を乗せて、はるさんの絵の配置を二人で決め、こんどは二階の部屋に残っていたダンボールの中身をエアコンをつけた涼しい部屋でYとあれこれ選択をしながら片付け。二階の寝室の北側の窓際にはかつて食事でつかっていた自作のベンチ椅子を置いた。その間にもジップのトイレ処理は怠らず、「おすわり」「待て」の訓練付き餌やりもし、二回ほど庭先でブラッシングをしながらジップを抱いてぼけ〜っとしたり。昼はナスとピーマンのトマトソースのパスタ、夜ははじめてのバンバンジーに挑戦した(旨かった。大好評)。もちろん食後の皿洗いも。Yは「今日はお父さんがいろんな気になっていたことを片づけてくれて、とっても嬉しい」と久々に上機嫌。やはり奥様サービスDAYは大切だ、男性諸君。

 ジップはまだときどき血便こそ出ているが、下痢状でないふつうのウンチのときもあり、何より便の回数が一時よりはだいぶ落ち着いてきた。いっときは鼻を刺すような臭いを放っていたウンチの臭いも緩和され、これは食事が変わったせいかとも思う。家にやってきた翌日は、一日中吠えていたそうだけれど、それは環境が変わったストレスのせいだったかも知れず、いまではもっと遊んで欲しい時に少し吠え出すが、叱られるとじっと我慢しているし、夜はまったく吠えることをしない。まだ数日だけれど、はじめて飼い犬と接してみて、犬はほんとうに敏感に人間の言うこと、感じていることが分かるんだなあ、と実感した。そしてそれらを学習し、会得するその能力も驚くほどだ。ビーグル犬はもともとはヨーロッパ大陸で兎狩などの狩猟犬として重宝されていた犬種で、またかのスヌーピーのモデルになったとも言われている。案外とさみしがりやで、妙な愛敬があって、そしてそこはかとないユーモアを感じさせる。母によるとわたしは子ども時代、犬を飼いたいと盛んに言っていたそうだが記憶がない。大人になっても知人や近所の人が飼っている犬を撫でたことすらなかった。だがいま、この膝の上でおとなしく抱かれている小さなやつは、ちょっとハマりそうだ。

2010.7.1

 

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 子は母と某国立女子大学附属中学校の見学会へ行く。母は学校の説明会、子は「2500年前のお金を触ってみよう」という模擬授業体験。

 庭の仮設タープが溜まった雨の重みで支柱一本が折れる。

 わたしは某ショッピングセンターで欠員が出て急遽、交通隊勤務。帰りにホームセンターでチェーンソーの替え刃と目立て用の丸やすりを買ってくる(生垣の根っこを掘る際に石にあたった)。タープ修繕用の支柱代わりにアルミの物干し竿二本も購入する。

 ソーチェンの目立て方法をWeb検索していて、「チェンソー従事者特別教育」なる二日間の資格講習を受けてみたくなる。

2010.7.3

 

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 休日。Yの幼馴染のSちゃん(わたしより年長の女性に“ちゃん”もおかしいが、Yがそう呼んでいるので)が和歌山より来宅。

 わたしは今日は朝いちばんで支柱の折れたテントの補修をする。1本600円で購入したアルミ製物干し竿2本を、地中に設置したブロックの穴に挿し込み、隙間を石ころや出土した瓦の破片等で固定して埋めた。前回の反省にたって、タープの一方に傾斜をつくり、雨が流れ落ちるように調整する。

 その後、Yより要請のあった生垣に沿って境界を成しているブロックの穴対策。ここに溜まった雨水にボーフラがうようよいるのをYと子が昨日、発見したのだ。最初はモルタルで塞ごうかと考えたが、費用の点と、たまたまWebでブロックの穴に花を植えている記事を読み、土を入れて花の種を蒔くことにした。

 昼はSちゃんと近所の気になっていた福井名物ソースかつの店・AOSSAへ。ふつうの(というかかなり敷地の広い)住宅を開放しているような店で、何でも郡山出身のテレビ・キャスター「南かおり」の母親の店とか。700円のランチにプラス300円でヨガも付いてくる(要予約)。味はわたし的には中の上くらい、かな。こんどは福井の蕎麦名人から入荷するというおろし蕎麦を食べてみたい。

 食事をしてから、テーブルと椅子のセットを探しているというSちゃんのために車で、わが家のアンティーク・テーブルを購入したインハイへ行く。熱に弱いグローリー・テーブルでホットプレートを使うときのために、店主が秘密ルートで入手したというNASAの特殊素材のテーブルシートを分けて頂く。テーブルシートというより、要するに宇宙服の素材らしき銀色シートを「必要な分だけカットして残りを返してくれたらいい」と一巻き頂いてきた。

 夕方。まだワクチン接種の関係で外出の許可が下りておらず、かつゲージの外へ出たくてたまらない最近トミにやんちゃになってきたジップのために、縁台の土台にしているブロックの穴にかつてのわたしのバイクのぶっとい防犯ワイヤーを廻して、そこにリードを結わえて縁台に放してやる。洗濯バサミを夢中で噛んでいるシップを横目にチェーンソーの目立てをする。が、これがなかなか難しくて元の切れ味がなかなかもどらない。元来わたしは研ぎが苦手だ。

 引越しやジップのことで気をとられていたが、子の手術まであと数日。

 

AOSSA(娘:南かおりのブログ) http://minamikaori.blog.eonet.jp/minamikaori/2010/05/aossa-100a.html#more

AOSSA(YouTube) http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=0WSZ6o7oLq8

 

2010.7.5

 

*

 

 仕事を終えて、毎日、家に帰るのが愉しみだ。駅からの城下町の路地をときどきコースを変えて、古い軒先を眺めながらぽつぽつと歩いて帰る。いまでもときおり、こんな立派な家がわが家だとは俄かに信じ難い気持ちになる。家の中が広くなって、夕飯の席で互いの顔と顔がずいぶん離れたのとおなじように、家族の物理的な距離もちょっとばかり遠くなったような気がする。子は2階のじぶんの部屋で時間を過すことが多くなったし、これまで家族三人、川の字で寝ていた光景も消滅した。けれど1台しかないテレビを2階のゲストルームに置いたのは良かった。もともとテレビはあまり見なかったけれど、リビングでは家族三人でお喋りだけをする。

 立派な家の中で、でもわたしは相変わらず物置のようにダンボールの積まれた部屋にいて、ここだけは以前とあんまり変わりがない。家の中でどこがいちばん好きかと訊かれたら、わたしは庭をあげるだろう。4メートル×8メートルほどの小さな空間だけれど、夜、奥まったタープの下のチェアにすわって生垣の方を眺めていると、何だか山の中にいるような気分を味わえる。そうして煙草を吸いながら、まだ見ぬウッドデッキや物置やその前に移植したオリーブの木が育ち空に枝葉を広げている様をしずかに思い描いたりする。その頃には子も年頃の娘になっているだろうか。土の上にいると何だか落ち着く。

 マイホームが人生の最終目的だという意識はまったくないけれど、マイホームはある意味、人生で最良のイベントかも知れない。特に庭は、男の遊び場だ。

2010.7.6

 

*

 

 夏のイベントの現地調査で夜の平城京の散歩を2時間ほど付き合わされて、帰りは10時半。

 明日はいよいよ子の入院。今日は夕方に母とふたりで美容院へ行って、髪を少し短く切ってきた。

2010.7.7

 

*

 

 10時半に入院受付。個室の部屋(浣腸があるので)。担当の看護婦は若いIさん。13時に麻酔科へ行って担当の医師より説明を受ける。点滴の薬で眠るのとガスで眠ってから点滴をつけるのとどちらがいいか? と訊かれて、子は痛くないガスの方、と答える。14時半、お風呂に入れてもらう。ジップの世話があるので今日はYが先に帰る。18時に一般外来を終えた整形外科のK先生より手術の説明を受ける。1時間半、子もいっしょに話を聞く。20時に子を残して病室を出る。

 明日は8時半に手術室へ。手術はおよそ3時間の予定で、その後回復室へ移り、13時〜14時頃には病室へ。順調であれば夕食はふつうに食べられる。点滴は1日だけ。明日はわたしがジップの世話で先に帰る。前回の整形外科の手術では当日の夜に痛い痛いと一晩中眠れなかったので、Yは明日の晩はいっしょに病室に泊まる。

 あさっては和歌山のおじいちゃん・おばあちゃんが来てくれ、月曜から3日ほどはわたしの母と妹がヘルプに来てくれる。わたしはあさってまで休み。

2010.7.8

 

*

 

 

745

車で病院着。

病室へ入ると、食事のテーブルの上にローマ字の練習帳を広げている。

6時前に看護婦さんが起こしてくれて、最後の水を飲んだ。

「(手術まで)あと30分くらい・・」と聞いてから、母に甘えだす。母親に抱っこを求める。

「お母さん、泣いてるよ」

「うん」

「どうして?」

「紫乃はえらいなあ、と思って」

 

805

執刀医のK先生(整形外科)が様子を見に来る。

「大事なひとり娘ですので先生、どうかよろしく・・・」とYが少々感極まって声を詰まらせる。

 

830

「そろそろ・・」と看護婦さんが呼びにくる。

靴を履いて、髪を結わえてもらう。

「ほら、ナルニアの戦士のように堂々と行け」

 

833

手術室へ入る。ちょっと不安そうな顔。

扉が閉まりかけたときに、両手を顔に当てて泣き出しそうな姿が見える。

思わず扉の隙間から「紫乃、がんばれよ!」と叫ぶ。

 

845

ぬいぐるみだけが散らばったベッドを眺めていると、看護婦さんがベッドを手術室へ持っていってしまう。ほんとうにからっぽになってしまったような部屋を眺めている。

 

850

手術室へ引率した看護婦さんが子の脱いだパジャマと靴などを持ってきてくれる。

「どんな様子でしたか?」と訊くと、「(手術室へ)入った瞬間にちょっとだけ泣いちゃいましたけど、そのあとは大丈夫でした」

 

1300

4時間経過。ナース室で状況確認を依頼する。

「手術自体はすでに終わっています。おそらく回復室へいま移っているところか、移って検温等をしているところでしょうから、もうじき面会できると思います」

Yが両方の実家へ「手術終了」報告の電話をかけにいく。

 

1320

看護士さんが病室へやってきて、「手術は終わって、いま後処置をしているところです。回復室へ移ったらまたお呼びします。あと2030分くらいだと思います」

 

1325

看護婦さんが迎えに来て回復室へ向かう。

青い手術着の子はまだうつらうつらとした様子。

母親を手招きし、ぐらついていた歯が(麻酔処置の弾みで)抜けたのを見せる。

ベッド越しにK先生より説明を受ける。

すべて順調に終了した、と。

 

1341

Yと二人で回復室を退室する。

 

1350

売店で弁当を買っている間に子が病室に戻っている。

 

14:05

看護婦さんが来て検温・血圧測定・血中濃度の測定など。37.1℃。

まだうつらうつらとした様子だが、少しだけ話をする。

父は「しばらく静かにしておいて」と言われる。

 

15:13

「水が飲みたい」と言う。

「お腹がまだ動いていないので、口を湿らす程度なら」と看護士に言われ、濡らしたティッシュで拭った唇を舐めて「おいしい」と言う。

「ハリーポッター」を読んで欲しいと言われ、しばらく読み聞かせをする。

その後、もういちどお腹を聞いてもらう。試しに水を一口飲み、吐き気等がないのを確認して、自由に飲んでいいと許可をもらう。

 

16:24

看護士さんによる二度目の検温・血圧測定・血中濃度の測定など。37.5℃。

手術をした左の大腿部が少しぴりぴりする。左足指の感覚はあるが、まだ思うように動かせない。

左腰に骨盤から骨の一部を取った傷痕のガーゼが血で染まっているのが覗いて見える。

 

17:00

頭が熱いというので、濡らしたタオルを当てる。

体全体も熱いと言うので、エアコンの温度を少し下げる。

ナース室からアイスロンをもらってきて額に乗せるが「もういい」とのけて眠る。

 

17:10

子犬の餌やりのため、今夜は病室で泊まるYを残して病室を出る。

 

20:00

熱は37.1℃。おかゆとおかずをほとんど食べて、テレビを少し見て、いまはキャラメルマキアートを飲んでいる。痛みもほとんどないと言っている、とYから電話をもらう。

 

わたしは帰ってから糞まみれになっていた子犬の世話に奮闘する。一日放っておかれてさみしかったのか、夜になっても吠えて止まらず、根負けをしてゲージから出してやると顔中を舐めまくられる。まだ許可の出ていない「散歩」へ連れ出して、しばらく競争する。帰ってからもまだ甘えて吠えるので、仕方なくゲージの横でいっしょに添い寝をする。やっと安心したのか、11時過ぎにやっと眠ってくれる。

2010.7.9

 

*

 

 点滴とおしっこの管は本日昼で撤去。

 体温37.1℃は予想範囲内。

 読みかけの「指輪物語」の本を横に投げて「退屈だなあ」とは優雅な台詞。

 いまのところ足の痛みはないが、骨盤を切り取った傷が動くと少々痛むらしい。当初は電動式のベッドの上半分をあげるのも痛がっていたが、徐々に慣れさせて、車椅子に乗ってみるとまで言うようになった。

 足がまだ腫れているので、血流を抑えるために入院中はベッドの上でも左足をクッションの上に置いてあげておかなくてはならない。車椅子もそのような仕様になっている。片足を上げたまま、しかも途中で右足に靴も履いて、ベッドから車椅子へ乗り移らなくてはいけないので、どうしてもじぶんひとりでは無理だ。大人の手助けがいる。とりあえず今日は20〜30分ほど病院内を散歩した。

 当初はもう一日、母親に泊まって欲しいと言っていたのだが(個室なので、夜がちょっと怖いらしい)、わたしが「もうジップの世話で大変だ。ジップを入院させるか、お父さんを入院させるか、どちらかにしてくれ」と言ったので、弟思いのお姉さん気分になってくれたか、「ジップがかわいそうだから、わたしはいいよ」と言ってくれた。

 で、申し訳ないがあとは看護婦さんにお願いして、夕方にYと二人で病院を後にした。わたしは明日から仕事に復帰である。

 足の痛みはないというものの、いまはまだ飲み薬の痛み止めが効いている。「痛み止めはもう止めておきましょうか?」と看護婦さんに訊かれ、今夜は一人寝なのでもうすこし延長して、明日の昼に痛み止めをやめて様子を見ることにした。

 今日は昼前にYの実家のおばあちゃんとおじいちゃんが和歌山から様子を見に来てくれた。

 前回の整形外科の手術の時は、足が痛い痛い、こんなのはもう嫌だ、と狂ったように一晩中泣き叫んでいた。今回はそれが嘘のように何もない。とりあえずは、ひと安心か。

2010.7.9

 

*

 

 いつもながらせわしい日々の連続で、気がついたら明日、子の入院が終わる。経過は至って順調で、術後のもろもろの検査も異常はなく、予定通り一週間での退院となった。

 8月末にギブスが取れるまでは、ギブスの足には体重をかけられないので、家の中の移動でさえままにならないだろう。しばらくは足の腫れを抑えるために、ときどき足を上げておくことも必要となる。外出時は車椅子で、これは市の社会福祉協議会にて大人用のものを只で借りられることになった。病院の装具屋さんの有料レンタルでミッキーマウス柄などの子供用もあったのだが、本人は「べつにふつうの大人用でいいよ」とあまりこだわりがないようで。お風呂は足をあげた形で入れる。ギブスに関しては腫れがひく頃の二週間後に、もういちど巻き直しの予定。

 せっかくの夏休みはほとんどそんな感じだけれど、帰宅して数日後には塾デビューが控えている。とりあえずお試し価格の「夏期講習」からで、Yが塾側と話して車椅子でもOKとなった。ま、この塾については、わたしはあまり語ることはない。

 さてジップが来てから、ここ数日来、わたしの生活は一変している。毎朝、5時過ぎにかれの鳴き声で眠りを破られて、6時から二人で散歩へでかける。ウンチを入れるビニール袋を携えて。仕事から帰ってきたら、夕方にもういちど散歩。朝が早いから、夜はさっさと寝てしまう。

 最近、ボブディランの自伝を就寝前のベッドで読み返している。

2010.7.15

 

*

 

 子と二人で、宮崎駿監督「借りぐらしのアリエッティ」を映画館に見に行った。朝8時10分の一番上映は観客10人足らず。

 わたしが子どもの頃、亀有駅の南側の駅前に古びた本屋があった。直立した本棚につながって、ちょうど駄菓子屋の平台のような本棚もあって、その手垢でくすんだ木枠に挟まってむかしの“カバーがつやつやしていない”岩波の少年文庫のシリーズが並んでいた。父に連れられた小学校低学年のわたしが「何か一冊、買ってやる」と言われ、その平台の中から「床下の小人たち」(メアリー・ノートン)を抜き出したのは表紙の絵に魅せられたから。それが、わたしがはじめて買った岩波の本で、なんだかちょっと大人の本を買ったような気分になったのを、本屋のあのくすんだ木枠とともにいまでもよく覚えている。

 子に「床下の小人たち」を与えたのはもう何年か前だ。わたしが買った旧版は関東の実家に置きっぱなしだったから、たまたまリサイクルの本屋で100円で売っていたのを買ってやった。

 父が開いたユーチューブなどですでに予告や主題歌を見ていた子は、「アリエッティはとても気品のある顔をしているわ」としきりに言っていた。今日はまだ夜中の3時にわたしたちの寝室にギブスの足で這ってきて「なんだか興奮して寝られないの」と言うので、父がいっしょに子のベッドに添い寝して5時まで我慢させた。そしてジップの散歩に行き、朝食を食べて、朝7時に車で出発したのだった。

 昭和40年代、亀有駅前の本屋の手垢でくすんだ平台の書棚の間からわたしが拾い上げた、ちょっと大人びた岩波少年文庫の一冊を、宮崎駿がクロード・モネの一抹の涼風のような画面にアレンジして子に手渡してくれた。

2010.7.27

 

*

 

 

 

石になったカメ    ○○ 美砂 作・絵



目次


第一章    一人だち

第二章    下調べ

第三章    一人だちの日

第四章    二人の少女

第五章    アリアナのはんだん

第六章    出産

第七章    子どもたち

第八章    山くん、野くん、アリアナ、ソフィーの決心

第九章    天国であえた

第十章    さいごに






一人だち


あることころに、そんじょそこらのどこにでもいる、ふつうのカメがいました。
そのカメのまわりにも、ふつうのカメが住んでいました。しかし、そのカメたちの住んでいたところには、ふつうでないおきてがありました。
それは子ども生まれたてのカメには、親が好きな自然の名前をつけることでした。
さいしょのカメの名は『山』でした。
お父さんは『川』でお母さんは『森』でした。
ある日、『山』くんがどろの中で水遊びをしていると、友だちの『野』くんがやってきました。
「こんにちは、山くん」
「こんにちは、野くん」
野くんとはとても仲よしです。
「ねえ野くん、もうすぐ一人だちの日だろう?」
「ああ、そうだねえ」
カメたちには、『一人だちの日』という日が決まっています。
一人だちして、育って、結婚して、子どもを産んで、実家に帰ってくる、というようなものです。
「あのねえ」
山くんは少し心配そうに言いました。
「いっしょに暮らさない?」
「もちろん、いっしょさ!」
野くんは答えました。
「どんなところがいい?」
野くんは、はりきって空をみあげて言いました。
「ぼくはね、父さんが『木』で母さんが『実』だから、実のつく大きな木の下がいいなあ」
「いいね。そこには、川が流れていて、平和な森の中なんだよ」
「平和な森?」
野くんはとびおきました。
「平和な森なら、近くにあるよ。あそこにそんなとこ、あるかもしれない」
「その森、どこにある?」
「ここから遠くもなく近くもなくってとこさ」
野くんはそう言ってにやりと笑いました。
「明日、下調べをしよう」
「明日じゃはやい。あさってだ」
「あさってじゃおそい。明日だ」
「じゃ、そういうことにしよう、野くん」
山くんはそう言い、岩にあがってどろをふるいおとしました。
「これはいいどろだ。どうやって調合したんだい?」
その水たまりは、野くんが山くんにかしたのです。
「メチャクチャさ。でもいつも、同じのができる。みんなにかして、ほめられてね。買う人もいるしさ。紙に書いとこうとするんだけど、いつのまにかむちゅうになって忘れるんだよ」
「また、明日ね!」
「じゃ、バイバイ!」




下調べ


「おはよう!」
「おはよう!」
山くんと野くんはにっこり笑いました。
「ついてきて」
野くんは歩き出しました。
山くんはむねをドキドキさせてついていきました。
二人(ん?)がくたびれた時、その森があらわれました。
森のしんせんな空気をすって、二人は力をもりかえし、また歩き出しました。
しばらくすると、二人は本当につかれてしまいました。
野くんがきゅうけいするつもりで、しげみの中に入ると、
「わあっ、山くん、見てごらん」
とさけびました。
山くんが急いでしげみに入ると、そこは願ったとおりの所です。
「ここにいろんなの、おけば、ぜったいによくなるよ」
野くんはあたりをぐるっと見回して言いました。




一人だちの日


その日。
カメの山くんはお母さんたちに手をふって出発しました。
そして、「どろぬま」とよばれているぬまで、野くんとおちあいました。
「荷物はまとめてきたかい」
野くんがききました。
「もちろん」
山くんはうちわにする葉っぱをくわえながら、もごもごと言いました。
目的地につくと、二人は家具をそく前に、休けいしました。
「ああ、“大こんなき長い道”だったね」
と山くんは言いました。
「“大かなき長い道”というんだ」
野くんはまちがいを直しました。
「そうだよ、ぼくがかえたんだ」
山くんはむねをはって言いかえしました。
「だって、“たいか”より“大こん”があるほうがいいじゃないか?」
「きみはずっと大こんを持ってきたのかい?」
二人は笑って家具をおきました。
赤い海草のシャンデリア(これは野くんのいとこが海へ遊びに行った時のおみやげです)や、緑色の水草などです。
「それにしても」
と野くんが青いイソギンチャクのおきものを鼻でおしながら言いました。
「二人だけなら、少しさびしいね」
「だれかくるといいね」
山くんも同じ意見です。
「明日になったら、くるかも」
二人は新しいせいかつにむねをときめかせ、どうじに少ない望みにきぼうをかけながら、水を飲み、緑の海草をたべて、ねむりにつきました。




二人の少女


次の日。
二人は顔をあらい、水を飲みました。
すると、しげみがガサガサッと音をたてました。
「だ、だれだ!」
野くんはゆうかんにも音のした方を向いてどなりました。
「ごめんなさい」
すずの音のような美しい声がひびきました。
「女の子か?」
野くんはいばって言いました。
「そうよ、じゃなきゃ、なんだって言うの?」
少し別の声が答えました。
「やめてよ。いつもけんかごしなんだから」
「ところで、そっちは男子よね?」
「あったりまえだろ」
「いきましょう、ソフィー。こんな人たちとつきあうかちなんかないわ」
またガサガサと音がしました。
「まってよ」
野くんはさけびました。
「ぼくたち二人きりなんだ。君たちがいてくれたら、とってもうれしいんだけど・・・」
ガサガサという音はやみました。
「ソフィー。いきましょう。私、こんな人たちといたくないわ」
「私、ここ、いいと思うけど」
かぼそい声が反対しました。
「それに、私、すっかりくたびれたわ」
「おいでよ」
野くんは声をよわめてできるだけやさしく言いました。
「ここ、とってもいいよ。実のなる木もあるし、すんだ川もあるし、やわらかな草もある。きてよ」
山くんもかせいしました。
「じゃあね・・・」
しずかな声です。
「ソフィーのけががなおるまで、少しいさせてちょうだい」
「え? けが、してるのか?」
ええ、ひどいのよ」
しげみから、一人のカメがよろめきながら出てきました。
そのカメに、二人目のカメが手をかしています。
よろめいているカメは、手や足がすりきれています。
「イバラのしげみにつっこんじゃって、私はよけたけど、この子が・・・」
野くんはある草のしるをぬらせました。
「三日たったら、直るはずだよ」
「ありがとう」
「ごはんにしようよ」
野くんがはっと思いつきました。
「そうだ。まだ君の名を聞いてないや」
「私もそちらの名をうかがっておりませんわ」
女の子のカメはつんとしました。
「ぼくは『野』っていうんだ」
「ぼくは『山』」
「君の名前は?」
「あの子はソフィー・ミストーン、私はアリアナ・ティーラ」
三人は水草をかじりはじめました。
しかし、アリアナと名のる少女は、水草を少しかみ切って、友達の所へもってゆきました。
「ソフィー、これ、食べなさい」
「だめよ」
ソフィーは弱々しく言いました。
「私、力がぬけちゃって、身うごきできないの」
「あんたたち!」
アリアナはいきりたちました。
「ソフィーになにしたの」
「なにもしないよ。でも、あの薬草のしるを飲むと、三日できずはなおるるけど、三週間起きられないんだ」
「しょうがないわ。私は、せわする」
二人(山くんと野くん)は水草をおなかいっぱい食べると、木の下でうとうとしはじめました。
が、アリアナは水草をかみ切り、ソフィーの所へ持ってゆき、小さくかみくだいて食べさせました。
大きな葉に水をくみ、飲ませました。
男の子たちがぐっすりねむった時は、アリアナはソフィーのそばで、水草を食べていました。
そう、そんなふうにして、三週間をすごしたのです。
昼は男の子たちが食べ物やおやつになるようなものをさがしにゆきます。
おやつや食べ物や水はアリアナがソフィーにはこびます。
アリアナはソフィーの言うことをなんでもきいてやりました。
ある時はソフィーが水遊びをしたいと言いました。
しかし川まで歩けないので、アリアナはそばにいっしょうけんめい穴をほり、どろをはこんで、ソフィーに水遊びをさせました。
またある時は、ソフィーがあみものがしたいと言うので、バラのとげをはりに、つる草をけいとにしてあみものをさせました。
アリアナは、本当にがんばりました。




アリアナのはんだん


よく朝。
アリアナはきっぱりとせんげんした。
「私たち、ここで住むことにしたの。いいわね?」
いいわね、と言われても、山くんと野くんはすぐにはこたえられませんでした。
山くんと野くんは、彼女たちにはいてほしかったのです。彼女たちがいると、なにかしら楽しかったし、それになにしろ、彼女たちに友情をたっぷりと愛情をちょっぴり感じていたのです。
だから野くんはわざと三週間いるようにと、あの薬草をぬったのです。
でもアリアナがあまりにもよそよそしいので、もういってしまうと思っていたのです。
二人はときどき夜中、話しあっていたのです。
「あいつらが食べる草に毒をすりこめば? 三ヶ月は動けない毒さ」
と山くんが言えば、
「ばかなことを言うな。そんなことをしたら、あいつらぼくたちをうたがうだろ? わざとキケンな目にあわせといて、そこを助けたらどうだい?」
と野くんが言います。
二人はそのような計画を立てていましたが、アリアナの意外な申し出にきょとんとしてしまったのです。
「私たちにも、村のおきてってものがあるの」
アリアナは住むことになったわけを説明しました。
「初めて何日か住んだ場所をすみかにしなさいっていうおきてなの。もちろん、おきてをやぶってもっとすみごこちのいいところにうつることもできるわ――――ほんとはしちゃいけないんだけど。でもいざとなったらできないこともないわ。それでも私たち、残ることに決めた最大の三つの理由があるの」
アリアナはちょっと息つぎをしました。
「一つめは」
ソフィーが横から話しはじめました。
「おきてをまもりたかったの。おきてをまもれば幸いあろう、おきてやぶればわざわいあろう、って、予言者の白鳥のアウィーラおばさまが言ったから。私たちの一生に一度しかない人生だし、幸せがあったほうがいいもの」
またアリアナが話し出しました。
「二つ目は、ここがくらしやすいと思ったから。あんたたちとはとっても仲のいいお友だちとはいえないけれど、くらしていけるもの。それに、なによりもの三つ目の理由が、ソフィーがここを気に入ったからなの」
山くんと野くんはおどろいてソフィーを見ました。
ソフィーとアリアナは、いたずらっぽい笑みをうかべました。
「ごめんなさい。私の村のクセがついてしまったわ。せいかくにはソフィーの体のためにここがいいと思ったの」
ソフィーとアリアナはクスクス笑い、山くんと野くんはがっかりしました。
「ここでくらしてても、生きていけるもの。あなたたちと仲よくなろうとは思っていないわ。これからも仲よくなろうとは思っていないわ。でもそうならないとは言えないわ。すべてゴールドベリ・アローリンとジェーリン・アローリンのみ心のままですもの」
「それ、だれだい?」
「全世界をしはいしている姉妹よ。ゴールドベリ・アローリンっていう姉さんと、ジェーリン・アローリンっていう妹」
横からソフィーがソフィーとは思えないほどの大声で、
「で、受け入れるの、入れないの!」
とさけびました。
山くんはびっくりしてそばにあったリンゴをつぶしてしまいましたし、野くんは持っていたおいしいミカンをほうりなげてしまいました。
そして二人はもんどりうってころがり、川へ落ちました。
アリアナとソフィーが助けてくれました。
それから野くんがタオルをにぎって最初に話した言葉は
「受け入れる」
でした。




赤ちゃんたち


それから十数年。
おしとやかな子が好きだった山くんはソフィーと、かっぱつな子が好きだった野くんはアリアナとけっこんしました。
やがてアリアナとソフィーには赤ちゃんができました。
「大じょうぶかい、アリアナ?」
深く、ろうろうとした声がせわしなくききました。
「あら、大じょうぶなはずがないわ」
りんとした流れるような声が言葉とは反対にゆったりと答えました。
「ねえ、ソフィー?」
「ええ、たえずいたむんですもの」
すずの音のようなコロコロした声でソフィーは答えました。
「ぼくら、女性の気持ちになったことがないから」
念おしのような声が苦笑いしているように言いました。
四ひきはとても成長していました。
四ひきとも体が大きくなり、声色もずいぶんかわりました。
オスはずいぶんたくましい体つきになり、メスは美しい顔だちになりました。
「名前、どうする?」
野くんがききました。
「『リサ』ってかわいくないこと?」
ソフィーが考え考え言いました。
「『ジャネ』はよくないか?」
野くんが意見をのべました。
「『アリシア』ってきれいでしょ?」
アリアナが自分の名をひねくって言いました。
「『トーマス』ってのもいいぞ」
山くん。
「『トーマス』より『トム』『トミー』がいいわね」
アリシアがていせいしました。
「偉大なるアローリン様の名まえをいただいてもいいわね。私たちの村じゃ、そうしてたわ」
ソフィーがつぶやきました。
「『ジェーリン』『ゴールドベリ』 あ、そうそう、『コーデリオ』っていうのもいいかも」
「でも、あっ、アッアッア―――ッ!」
なにか言いかけたアリアナの体がけいれんしはじめました。
「どうした、アリアナ!」
野くんがあわててアリアナにかけよりました。
「アリアナ? アリアナ!?」
アリアナの目はとじられ、野くんがよんでも気がつきません。
「水!」
野くんはそうどなるなり、つぼに入っていた水をアリアナの口につぎこみました。
アリアナは目をあけるなり、
「ソフィー!」
ソフィーの名をよびました。
「感じないこと? ほら・・・」
「アリアナ、わかるわ! 私、わかるわ!」
ソフィーは頭をもたげてさけびましたが、ぐったりとしています。
「なにがわかるんだ? なにを感じるんだ?」
山くんがどなりました。
アリアナの口がかすかに動きました。
「あか―――ちゃ―――ん―――よ―――」
山くんと野くんは一しゅん立ちすくみました。
しかし次のしゅんかんに、二人は本のう的に動いていました。
二人の下にあなをほり、川のやわらかいすなをつぎこみました。
川の水で二人のまわりをしめらせ、大きな葉っぱをかぶせました。
二人に水をかけ、口にふくませながら、二人の名をよびつづけました。
アリアナとソフィーが目をさましました!
アリアナとソフィーはふっと力をわきあがらせ、目をぎゅっととじました。
ぽとり、ぽとり。ポトリ、ポトリ。
たまごの落ちる音です。
野くんと山くんはバンザーイとよろこびました。
アリアナとソフィーも、最後の力でかすかにほほえみ、ぽとりと首を落としました。
山くんと野くんは二人に水をかけつづけ、目をひらかせました。
「大じょうぶ」
アリアナがかすかな声で言いました。
「今からはじめるねむりは苦しいねむりじゃなくて、やすらぎのねむりだから。明日には元気になってるわ。ね、ソフィー?」
二人はうなずいて、ねむりに入ってゆきました。




子どもたち


何日かすると、アリアナとソフィーはすっかり元気になり、子どもも生まれました。
アリアナと野くんの子どもは、ジェームズ、アリシア、ジェーリン、シリウス、トム、トミー。
山くんとソフィーの子どもは、ムー、ミー、ミリシア、ゴールドベリ、ジャネ、ルーシィー、リサ。
ジェームズとゴールドベリが一番年上です。
ジェームズはやんちゃですが、けっこうしっかり者。ゴールドベリはみんなの姉さんで、だれかが泣くと、そばへ行ってなぐさめてやり、けがをするとわたをしめらせて持ってゆきました。そういうやさしいところが、ソフィーににているとアリアナは言いました。
アリシアとミリシアが同い年で、仲よしです。
アリシアはリーダーシップをとっていて、ミリシアはその助手役。
アリシアはアリアナのかっぱつなところを、ミリシアはソフィーのやさしいところをうけついでいます。
ジェーリンとルーシィーも同い年。
やはりアリシアとミリシアのようです。
次がシリウスとジャネで、これもまた同い年。
シリウスはすこし生意気なところがあり、ジャネは男子ですがつんとしたところがあります。
そしてふたごのトムとトミー。
トムは強く、トミーは悪ぢえがすごいのです。
さいごのすえっこたち三人が、リサ、ムー、ミーです。
リサが一番上で、ミーが次で、ムーが一番下です。
このリサ、ムー、ミーは仲よしで、母さんたちのお気に入り。
シリウスとジャネもそうです。
こんなふうな家ぞくで、いろいろハプニングがおきるのですが、これはまた別の物語、別のところで話すことにしましょう。




山くん、野くん、アリアナ、ソフィーの決心


それから
さらに何十年もたったある日、ソフィーがふっと言い出しました。
「私たち、もうすぐ死ぬわ」
「え?」
山くんが言いました。
「君、もうすぐ死ぬの?」
「きいてなかったの?」
アリアナが山くんをにらみました。
「私たちがもうすぐ死ぬのよ」
「なんでそんなこと、わかるのさ? ただのおどしだろ?」
野くんも言いました。
「ソフィーの先ぞは〈見る〉ことができたの」
「なんだい、〈見る〉ことって?」
「そうよね、ソフィー。〈見る〉こと、できるんでしょ?」
「ええ、そうよ。〈見る〉こと、できるわ」
ソフィーはにっこり笑いました。
「それはね、未来を〈見る〉ことなの」
「じゃ、ぼくらが死ぬ場所はどこ?」
ソフィーはアリアナを見ました。
「いいのよ、ソフィー。〈見る〉こと、して!」
アリアナは説明しました。
「私、いままでソフィーに〈見る〉こと、やめてって言ってたの。〈見る〉と、ぼうけんのおもしろみがなくなるでしょ? いいのよ、ソフィー、〈見る〉こと、して!」
ソフィーはぎゅっと目をつぶりました。
「私たち、全員いっしょに死ぬわ――――せなかがオレンジ色っぽくなってるわ――――水よ――――水だわ―――きらきら光ってる――――すんだ川よ―――――私たち、川で死ぬんだわ!」
「オレンジ色っぽく――――オレンジ? オレンジ?」
アリアナもつぶやきました。
「私たち、せんにんに一生の水をかけてもらうのよ」
「せんにんならすぐそこにいるわ。ここから100メートルくらいはなれた木にせんにんさん、住んでいるの」
四人がそこへ行ってわけを話すと、
「おお、一生の水か。わしゃ、いっぱい持っとるぞ。そうさな、アリアナとソフィーに、はちみつをたんともろたから、その礼として」
その水をかけてもらうと、四人のこうらはオレンジ色になりました。
「あと数分よ」
四人は川のそこにすわりこみました。
「死ぬったってね、むこうであえるわ。必ずね」
アリアナがささやきました。
四人は頭をくっつけてわになり、死がおとずれるのを待ちました。




天国であえた


一人の「山」という男の子が地から立ちあがりました。
「野」って男の子といっしょに。
向こうから「アリアナ」って女の子と、「ソフィー」って女の子がきました。
「やだな、ぼく、なんであいつらの名前、知ってるんだろう?」
そのとたん、なぞがとけて、四人はしっかりつかまりあいました。
アリアナとソフィーはわかくなり、美しくなっていました。
山くんと野くんは大きく、わかくなっていました。
「あの、ぼくたちのなきがらはあそこにあるんだね」
「ええ」
すっかり病弱でなくなったソフィーがしっかりと答えました。
「えいえんに、あるのですもの」
そのしゅんかん、アリアナがふっとつんだ花から光がこぼれてあたりにまかれました。
その時から、四人はしあわせになりました。
本当のしあわせをつかみとったのです。




さいごに


「あれっ」
自転車に乗った女の子が、橋から下を見下ろしました。
「あのオレンジ色の四つの石、ひたいをよせあったカメにみえるなあ」
女の子はプッとふき出しました。
「まさか、そんなことは・・・・」
女の子は、ふたたび自転車をこいで、遠ざかりながら、
「石になったカメ・・・」
とつぶやきました。


(おわり)






□ 主な登場人物

山くん
野くんの親友。気弱なソフィーとけっこんする。おしとやかな子がタイプ。

野くん
山くんの親友。かっぱつなアリアナとけっこんする。気が強い方が好きで、ゆうかん。

ソフィー
ソフィー・ミストーン。アリアナの親友。病弱で気弱。アリアナにささえられている。

アリアナ
ソフィーの親友。気が強く、だれにでもつっかかっていきそう。しかし根はやさしくて、ソフィーをささえている。

女の子
川で石になったカメを見つける。




□あとがき

石になってしまうというストーリー。しかし天国でいっしょになり、しあわせにくらす・・・
死がいやだとも言わず、ただ死のじゅんびをして、死を待つ四人・・・
女の子たちの苦しさをやわらげようとがんばる夫たち。
子どもとしあわせにくらす・・・・
あとでわかったことなのですが、四人が同じくその場にいたリスに、「お母さん、お父さん、お兄さん、お姉さん、弟、妹はどうしたか知ってる?」
ときいたそうです。
リスはただ一言、
「死んじったよ」
と答えたそうです。
その後、家ぞくとめぐりあえたそうです。
なんとも悲しいことではありませんか!
死ぬ用意をしているところ、書いている私も泣けてきそうでした。




作者  ○○ 美砂  九さい

奈良県かつらぎ郡に生まれ
四さいごろから物語を書くことに目ざめ
さらに読書も好み出した。
この五年間、手はずっと物語を書きつづっていた。
これからもそうだろう。

事実、オレンジの石を見つけている。
カメほどの石を、川で。


2010.8.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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