gomu62
ゴム消し(TOP) ゴムログ BobDylan 木工 Recipe others BBS link mail
□ 日々是ゴム消し Log62

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GWの初日だけれど、なるべく人のいないところへ。8時半に家を出て、吉野川をわたり、下市を離れて山深くなってきた辺りで子が宿題の音読----きつつきのお店の話を後部座席で読み始める。雨が降ってくる場面で車のフロントガラスに降り注ぐ落ち葉の音をそれに見立てようと思っていたのに、なぞと文句を言う。10時頃に黒滝の道の駅で小休止。トイレと、定番の串こんにゃく一本を三人で頬張る。Yは地元のおばあちゃんたちの手作りのよもぎの草餅をお八つに買った。天川村川合から洞川に寄ってポリ容器ニケにごろごろ水を汲む。2リットルのペットボトルを詰めた箱を車から何箱も下ろして大量に汲んでいる人が多い。ひさしぶりに同行したYは洞川の旅館街や山間の民家の造りなどを見て愉しんでいる。いつもの子のお気に入りの山上ヶ岳の麓、神童子谷の川原に着いたのが11時頃。みたらい渓谷あたりは家族連れの姿もちらほら見かけたが、ここまで来ると渓流釣りの車が点在している程度。車はあるのだが、人の姿は渓流に紛れて見えない。鮎の解禁には早かろうと思っていたら、川原に今年3月の日付のやまめの日釣り券が落ちていたからやまめ漁だろうかと思った。渓流沿いの道際には白いシャガの花が咲き並び、川向こうの山肌には山桜がまだ咲いている。常緑樹の緑と気分の浮き立つような新緑と、それに紅葉のような紅い葉や名の知れぬ白い花、山桜のピンクが中東や南米の貧しい女たちが織り上げた敷物の柄のように重なって、思わずYが感嘆の声を上げた。巨大な白い岩石とごうごうと音を立てて流れ続ける源流の端で、ベーコン巻きのお弁当を食べた。それから焚き火。杉の倒木を鉈で切り離した。「小枝を入れようとすると炎がエサエサって言って寄ってくるのよ〜」と子が悲鳴を上げている。Yは木陰にひろげたキャンプ用のチェアに座ってダーウィンの伝記を読んでいる。飯盒で沸かした湯で蜂蜜入りの紅茶をいれて飲んだ。そして前回もやったけれど、子の両脇下をロープで固めてのロッククライミングもどき。足下を川面すれすれまで下ろしてやると断末魔のような子の絶叫と飛び出す言葉の文言が面白い。ひとしきり子と遊んでから、わたしは巨岩の上に仰向けに寝そべった。「しの。こうやって目を閉じていると、水の音がまるでオーケストラのようだ」とか呟いているうちに眠ってしまった。目を覚ますと、子がYを相手に「石屋さんごっこ」をしていた。平たい岩の上に拾い集めた石をたくさん並べて、看板に見立てた大き目の石に焚き火の墨で「いしや」「大売出し」なぞと書いて置いている。つげ義春の話はしたことがなかったはずだが、まるでこれはつげの漫画の場面ではないかと少しばかり驚いた。3時頃、温泉へ移動。今日はYもいるのでいつもの天川神社の温泉からさらに西へ行った、三つ目の村営の薬湯温泉へ行くことにした。こちらは観光地から離れているせいか、人もまばらだ。以前同僚のY君らと鹿刺しや鮎の塩焼きを食べた食堂は店仕舞いしていた。子は父親と男湯に入った。川原に面した露天風呂からは小さな滝とやわらかな山肌が望める。子は白魚のような裸を浴場のそちこちで躍らせている。湯船の仕切りの、湯が低くまたいで流れる檜の板の上に兎のような格好で顔をつけ、ここがいちばんのお気に入りの場所、と言う。誰もいない休憩場で子と添い寝しているところをYに起こされた。「そろそろ帰らないと、帰りが遅くなるよ。○○さんは寝てばっかりだね」 お母さんがいると何かせわしないなあ、次からは連れてくるのをやめようか、なぞと子とナイショ話をしながら先に行くYについて駐車場へ向かう。帰りは天辻峠を越えて五条へ抜ける道を走った。西吉野の豆腐屋さんで豆腐とアゲを買った。奈良盆地を見下ろす頃はもう夕闇だった。子のリクエストで近所の「あまのじゃく」のラーメンを食べて帰宅した。

 

道の駅・黒滝 http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/contents/eki/n04_yoshinojikurotaki/index.html

洞川のごろごろ水 http://gorogoro.ftw.jp/tanjyou.html

天川村営温泉 http://www.vill.tenkawa.nara.jp/sightseeing/data/spa.html

西吉野・上辻豆腐店 http://blogs.yahoo.co.jp/reiya24kt/13570553.html

 

2009.4.29

 

*

 

 延べ二ヶ月に及んだ名古屋での仕事に区切りをつけて帰ってきて週末、山頂の躑躅(ツツジ)が見頃を迎えた葛城山に登り、また麓の静寂な笛吹神社を訪ねる。葛城の山を可憐な花々が咲き飾ることなどあろうはずもなく、山肌の一面を見事な真紅に染めたその紅は、きっと無残な死を遂げた名もなき敗残者たちの恨みの血の色だろうと思う。してみれば夕映えの海のような紅色に埋もれてこっそりと躑躅の蜜を吸っていた子は知らずかれらの血を啜っていたのかも知れず、ひと気のない笛吹神社の石段の上に立つ彼女の姿を、一瞬、かつての葬送の民たちの落とし種だと見間違えたのも、あながち的外れでもないかも知れない。笛吹とは、かつて明日香の都から死者を二上山のあちらがわの彼岸へ送る葬送の儀礼を司った一族の住む里であった。神社の神殿の背後には円墳の石室がぽっかりとしたくらがりを抱えている。無数の死者を此岸から彼岸へ見送りながら、かれらの笛はどのような音色を響かせていたか。だれもがいとおしい死者を見送り、やがていつかみずからも見送られる。段上の笛吹童子の幻影にいざなれてわたしは苔むした石段をゆっくりとのぼっていく。わたしたちが消えていくのは、この世が終の棲家ではないからだという気がする。

2009.5.10

 

*

 

 どうも地に足がつかない気分だ。誰かさんが死んじまったことがまるで夢まぼろしみたいに、なかなか実感が湧いてこないまどろっこしさのように。ふわふわと、無くしたものが何かも思い出せない尋ね人のようにアリラン峠を越えていく。まぼろしのバージョンの平家物語を歌う琵琶法師の演奏をひとり四辻で聴いているかのように。路傍の賽の神を祭った見捨てられた古い石塔のように。どこかにもっと軽快に歩いていける麦畑の道があるはずだがな。色鮮やかな熱気球のように青い空の彼方へ飛んでいけるはずだがな。

2009.5.12

 

*

 

清志郎の死は、どうしてもまだ実感が湧かない。
奇妙な感覚だな。いまもどこかでギターを弾いたり自転車をこいでいるような気がするよ。
いつもそう思っていて、それが当たり前だったからな。
こんな言い方はヘンかも知れないが、かれほど死が似合わない人間はいないような気がするな。
棺桶の中で横たわっている冷たい青白い顔なんてな。
そんな幻影はどこかへ消えちまえ、だ。
でもブッダが言ったように、人はだれもが過ぎ去っていく。
波打ち際の砂山が常にその形を変えていくように。
いまはディランのやけに軽やかでみずみずしいニューアルバム(ユーチューブで拾った音源)を聴いている。
そしていつか親父が死んだ頃に夏の京都で感じていたヘンに眩しくて透明で流れていくような、あの感覚を思い出している。
そうしていることが清志郎を見送るのにふさわしい心持がする。
思い出すだろ。
あのバラナーシーの沐浴場で風に吹かれ、焼き場の炎で顔を熱くして佇んでいた一日。
あばよ、とおれは帽子をもちあげてやるよ。
ナッシュビル・スカイラインのジャケットのディランみたいにさ。

2009.5.14

 

*

 

 名古屋で食したもの。大量の、コンビニとJの豚の餌のような弁当。世界の山ちゃんの手羽先(スナック感覚でビールに合う。が本来の手羽先としては?)、矢場とんの味噌カツ(意外とあっさりで食べやすかった)、防災センターで仲良くなった駐車管制盤の業者さんにすすめられたあんかけスパゲッティ((おいしい。名古屋にしかないのが不思議)。でも名古屋でいちばん気に入ったのは、名前は台湾だけれど名古屋発祥という台湾ラーメン(由来はウィキペディアで調べよ)。泊っていたレオパレスの近所の店へ三度食べに行ったけど、カタコトの日本語を喋る店の奥さんが運んでくれたこの台湾ラーメンにどれだけ心を癒されたか。人はやっぱり心ある人のつくったものを食べなくちゃいけねえよ、としみじみ思ったね。最終日に、交通の隊員さんも交えて行った別の店は、これが本来の辛さなんだろうけれど、ほんとうに口の中がひりひりとするくらい辛い。でもおいしい。麺の上の挽肉と唐辛子、ニラのシンプルな構成で、醤油ベースのスープが独特な味でくせになる。こんなおいしいものを愛知県民だけに独占させておくのはケシカラぬ。

 名古屋の、主に殺風景なレオパレスのロフトの寝床で読んだ本。辺見庸二冊「愛と痛み 死刑をめぐって」「たんば色の覚書 私たちの日常」(共に毎日新聞社)、○○駅前のツタヤで買ったつげ義春「貧困旅行記」(新潮文庫)、メアリ・ダグラス「汚穢と禁忌」(ちくま学芸文庫)。その他、兵藤裕己「琵琶法師 異界を語る人びと」(岩波新書)、沖浦和光編「日本文化の源流を探る」(解放出版社)、安宇植翻訳「アリラン峠の旅人たち 聞き書 朝鮮民衆の世界」(平凡社ライブラリー)。

 名古屋で残念だったこと。GWが終わった翌日の帰宅日に、名古屋市内のボストン美術館でやっていたゴーギャン展を見て帰ろうと思っていたら休館日だった。大作≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫を間近で見たかったのだけれど、縁がなかったのだろう。

2009.5.15

 

*

 

16日。

 子のコンパクト・サイズのデジタル・カメラを購入する。なぜかしばらく前からじぶんのデジカメが欲しいと言い続けていて、先週来泊していたわたしの母が「誕生日プレゼントの前倒し」と置いていった金で買いに行った。リコーのR50。本体と1GのSDカードを足して1万2千円ほど。夜、風呂の中で、カメラを使う際の約束事(大事に扱うこと。データの管理などはPCを使ってじぶんですること)を話し、また「いい写真を撮るためにはいい写真をたくさん見ること」「撮ることは撮られることでもあること」といった話をする。

 

 ネット検索で見つけた奈良の「台湾ラーメン」を家族で食べに行く。奈良市の天理街道沿いに大きな黄色の看板を出している店で、台湾人の家族で経営しているらしい。台湾ラーメン、550円。Yも大いに気に入る。名古屋で食べたとおりの味であったのと、これでいつでも好きなときに台湾ラーメンを食べれることが分かったことに満足して帰ってくる。

台湾料理 福 http://r.tabelog.com/nara/A2901/A290101/29001031/

 

 子の返却に付き合った図書館で石母田正「平家物語」(岩波新書)を借りてくる。「琵琶法師」の影響であるが、とりあえず概要をつかんでおこうと思って。ほんとうは1992年のドキュメンタリー・フィルム「琵琶法師・山鹿良之」(青池憲司監督)を観てみたいのだが。

goo映画 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27653/index.html

 

 安宇植翻訳「アリラン峠の旅人たち 聞き書 朝鮮民衆の世界」の続編(平凡社)の古書をネットで注文する。現在出版されている平凡社ライブラリー版は、初版の「アリラン峠の旅人たち」の十篇に、この「続・アリラン峠の旅人たち」から三篇を選んでまとめたもので、続編の残りの章も読みたいのだ。中世につらなる旅芸人や職人たちの群像に心惹かれるわたしとしては、当初韓国で「隠れて暮らす独りぽっち 伝統社会のたそがれに立つ人々」と題されて出版されたこのシリーズは実に内容の濃い、読み応えのある一冊であった。過酷な労働と賎視に耐えてきた老人たちの語り口から匂い立つ生き様の何とまっとうなことか。こうしたものを読むと、故中上健次が韓国に惹かれたのもよく分かる。わたしたちが失った世界のルーツ----まさに《根の深い木》がここに屹立している。

 

 夕食に、トマトとクリームソースのパスタをつくる。

 

 子を寝かせてからYと映画「ルワンダの涙」を観る。原題のShooting Dogsは大量虐殺を目の前にして「自衛のためしか撃てない」と傍観する国連部隊の兵士が、死体に群がる犬を「衛生問題の解決のため」に撃ち殺そうとした場面から取られている。フツ族の民兵たちのナタで無残に殺されるくらいなら、せめて子どもたちだけでも射殺して楽に殺してくれないかと哀願するツチ族の父親を拒否して撤収する国連部隊の姿など、「ホテル・ルワンダ」に比べるとよりリアルな「救いようのない現実」を描いているが、相変わらず西欧先進国の歴史的大罪は語られることはないし、子どもたちを救うためにラストで民兵に撃ち殺される白人の神父の言葉----「いま神の愛を、一層深く強く感じている」も独善的で何だか白々しい。正視するのも耐え難いむごたらしい場面の連続にYは終始嗚咽していた。

ルワンダの涙 http://www.r-namida.jp/index.html

 

17日

 6月に初聖体を受ける子の日曜学校での勉強会を覗きに行く。教会の2階の6畳間で信者の女性スタッフ2名が、子と同級生のKちゃんの2人に今日はイエスの昇天と聖霊降臨について教えてくれる。わたしははじめてだったので見学者をじぶんに課したが、まあ、何度かじぶんが代わって講義しそうになるのをこらえた。「どうして神父さんは結婚しちゃいけないの?」「う---ん、それは昔からのそういう約束だから・・・。とにかくね、聖霊っていうのは神様のいのちなんです。・・・でも聖霊って、ホント言うとおばちゃんにも分からない。一生かけても分からないかも知れないわあ」 イエスの死後に弟子たちのもとに聖霊がふってきたとき、嵐のような風が吹き、炎のような舌が枝分かれしてそれぞれの頭上に達した、と使徒伝にある。風は命の象徴である。舌は「言葉」の意もあると聞く。そしてかれらはさまざまの国の言語を知らず喋っていた。これだけのお膳立てがあったら、子どもの心をとらえる物語をいくらでも話せる。聖書の言葉は象徴に満ちているから、ナルニア国の物語のように話して聞かせればいいんだよ。退屈な講義の間中、子はいくどかわたしの方を見て、わたしに何か話して欲しいようなそぶりをした。

 

 兵藤裕己「琵琶法師 異界を語る人びと」(岩波新書)の中で、とくに心惹かれたのは「平家物語」における“語りの文体”である。たとえば入水往生をねがって船出する維盛の場面「沖の釣り舟の浪に消え入るやうにおぼゆるが、さすが沈み果てぬを見給ふにも、わが身の上とやおぼしけん」について、著者は「語りの視点(point of view)がどこにあるのかわからない、不思議な文章である」と書く。つまり視覚という「客観性」を奪われた琵琶法師たちは、その欠損故に「あの世とこの世を媒介するシャーマン」たる存在になり得たわけだが、そのかれらのモノ語りを伝承するのは「我という主語の不在において、あらゆる述語的な規定をうけいれつつ変身する主体である」。その語りの形に魅了される。

 

 そこに形成されるのは、自己同一性の不在において、あらゆる述語的な規定を受け入れつつ変身する(憑依する/憑依される)主体である。みずからの帰属すべき中心をもたない主体は、ことば以前のモノ、この世ならざるモノをうけいれる容器となるだろう。

 異界のモノのざわめきに声をあたえるシャーマニックな主体は、ことばが分離・発生するそのはざまを生きる者として、本質的に両性具有的である。ことば以前のモノのざわめきから、ことばが立ちあがる機制は、比喩的にいえば変性男子である。その両性具有的な主体こそ、非ロゴスの狂気のざわめきに声をあたえ、言語化・分節化されないモノから語りのことばが出現する現場(まさに「変性男子」である)を、その発生のはざまにおいてとらえるモノ語りの語り手である。

*

 すでに述べたように、盲目の王子神とその母神が職能の神としてまつられたことは、モノ語りの語り手としての琵琶法師のありようと相似形をなしていた。母と子の神をまつり、父なるものを他者としてもたないかれらは、「我」を規定する根拠の不在につきまとわれるだろう。そして自己同一的な「我」の不在において不断に変身してゆく語り手が、物語の伝承とパフォーマンスにおいて非凡な能力を発揮したのである。

兵藤裕己「琵琶法師 異界を語る人びと」(岩波新書)

 

 ここにある「ことば以前のモノのざわめき」から、わたしはたとえば偶然、さいきん読み始めた谷川健一氏の「古代歌謡と南東歌謡 歌の源泉を求めて」(春風社)に出てくるこの国の古代、「豊葦原の水穂の国」の描写を想起する。そこは石や木立や青水沫までも「事問ひて荒ぶる国」である。「「事問ふ」は「言問ふ」でぶつくさ不平を言い、異議を申し立てることを指す」。山川草木がぶつくさ不平を言い、異議を申し立てている世界とは、まさに「ことば以前のモノのざわめき」であろう。

 そこからゆらりのたりと立ちあがってくる言葉にならぬモノをとらえたい、というのがわたしのひそやかな願いである。

2009.5.17

 

*

 

 

 新型インフルエンザ。関西での感染者が100人を超え、職場でも現場隊員全員にマスクの着用をと緊急通達が流れたけれどもマスクはどこも売り切れ続出ですがな。京都の山奥ならと京都支社の支社長が車で走ったけれどやっぱりなかった。ウィルス・パニックだな。こいつのウィルス名は「思考停止空気を読むしか脳のない神経症候群日本型」という。すでに菌はとうの昔から国民全員の細胞の奥で増殖し尽くしている。タミフルじゃ殺せないのよ。それよりスリランカの内戦はほんとうにどうなった? 5月5日のアフガンの誤爆で死んだ子どもたちの姿は?

2009.5.18

 

*

 

 安宇植翻訳「続・アリラン峠の旅人たち 聞き書 朝鮮民衆の世界」(平凡社)が届く。さっそく風呂の中で「山の神と出会う山人参採取人」の章を読み始める。以下に正・続の収録タイトルを並べよう。わたしがどんな世界に魅了されるか分かるはずだ。

市を渡り歩く担い商人
朝鮮の被差別部落民―聖なる左手を使う白丁
妓生文化のたそがれ―老妓楚香をたずねて
放浪する芸能集団―男寺党の運命
最後の芸人―すたれゆく才人芸
民衆の中のシャーマンたち―巫堂は巫堂を生む
魂を鎮める喪輿の挽歌
墓相を占う風水師
朝鮮鋸も錆びついた―伝統技法をまもる老大工
市を巡る鍛冶屋一家
山の神と出会う山人参採取人
最後の宦官の証言
死装束をさせるヨム匠60年の生涯
隠れキリシタンの墓守
宴席の杖鼓手―パンソリ伴奏の名人になるまで
キムチ甕のような陶工の生涯
鍮器匠の繰り言
韓紙を漉く流れ者
粧刀の伝統を継ぐ蔚山の刀鍛治
漢江中洲の船大工
み仏の目許の微笑を描く手―当代随一の仏画師

 

 「町たんけん」というのは去年からやっている。小学校の周り(ときにはもっと遠くまで)を子どもたちが回遊していろんな発見をする授業らしい。2年生の去年は1時間ほどだったが、3年生になると2時間たっぷり歩くという。新しく担任になった中年の女の先生がYに子の引率を頼んだというのを後から知って、折りよく家庭訪問の際に改めて話をした。その教師はどちらかというと調子のいい、どうでもいい話ばかりする、井戸端会議のおばちゃん連中の典型のような人物で、のっけからわたしを煽ってくれた。障害があるとどうしても親子の関係が密にならざるを得ない傾向がある。親がつくというのは簡単だけれど、子も親に甘えるし、周りの子もどうしてシノちゃんだけお母さんと・・・と思うだろう。必要であれば駆けつけるのはやぶさかではないが、本来学校は先生と子どもだけの独立した世界であるはずだし、だからこそ子どもたちは親の元を離れて様々なことを学校で学ぶのだろう。わが家もいろいろ世話をかけてもらっているのは承知で言わせてもらえば、子の入学に当たっては教育委員会ともいろんな話し合いをしてきてその上で受け入れてくれたわけだから、たんに人手が足りないから・・・という理由だけで、それも一度ならず今後も継続的に行っていく授業のすべてに毎回、親についてまわれというのはどうでしょうか? と問いを投げたのだった。最後には辟易として逃げるように帰って行った先生からその後、校長を交えていちどお話を伺いたいという申し出があったのだが、わたしはその晩から名古屋に戻ったので応じることができなかった。その間、「町たんけん」は始まり、一度目は約束どおりYが自転車で後ろを付いて回り、二度目は教頭先生が自転車で走り、三度目は校長先生が平走してくれたらしい。三度とも、子はとくにトラブルもなく、最後までみんなといっしょに歩き通した。名古屋から帰ってそれを聞き、わたしは子を褒めてやった。「先生を見返してやったわけだな」と言うと、「そうだよ」と答えてから「お父さん、わたしのためにいろいろ言ってくれてありがとう」なぞと言う。困ったことは何もなかったかと訊けば、子が少々遅れ気味になったとき、二度ほど後ろの同じ男の子が「おそいなあ。早くあるけよ」と幾度か文句を言ったらしい。隣にいた女の子が「シノちゃんは足が悪いんだから、そんなこと言わんといて」と言ってくれた。で、お前はどうしたのか、と問えば、子はその男の子の方へ振り向いて、一言「ごめんなさいね」と声をかけたという。誰が育てたのか、父親より人間ができている。

2009.5.20

 

*

 

 先日の教会訪問の際に勉強室の棚で見つけた「みんなのきょうだい フランシスコ」(女子パウロ会)。子ども向けのフランチェスコの伝記だが、内容も豊富で、フランチェスコの有名なエピソードがほぼ網羅されていてよい本に見えたので、ネットの古書で注文していた。それが夕べ届いていたので、包みのままパジャマ姿の子に渡した。今日の朝。朝食の席で「お父さん」と子が話しかけてくる。「アシジの町にクララの髪の毛がいまも残っているんだってね」 それから、みなで「アシジに行ってみたいなあ」という話になった。「来年くらいに、ほんとうに行こうよ」とY。「わたしはね、ルルドの泉も行きたいの」と子。「でも飛行機代がなあ。ヨーロッパだったら一人30万以上はするだろうなあ」 わたしが水をさした。「フランスへ行きたしと思えど、フランスはあまりに遠し、だな」 すると子が後をついで「せめては新しき背広を着て、きままなる旅にいでてみん・・」とすらすらと暗誦するので驚いた。ドリルの付録でついていた小冊子で読んだのだという。それを引っ張り出してきて、子が改めて朗読している、そんな休日の朝。マフィンとバナナと牛乳と。

 

ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
汽車が山道をゆくとき
みずいろのまどによりかかりて
われひとりうれしきことをおもわん
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいずる心まかせに

(旅上・萩原朔太郎)

 

 

 谷川健一「古代歌謡と南東歌謡 歌の源泉を求めて」(春風社)に、わたしの好きなデルスー・ウザーラのエピソードが出てくる。アルセニエフというロシア人がシベリアのツングース族の老猟師と非定住生活を共にする「ウスリー体験記」(1906年)は、後に黒澤明によって映画化もされた。ある夜、樹皮でつくったパオと呼ばれる仮小屋の中で、デルスーは蒸気をあげてうなり続ける鉄瓶に堪らなくなって「何をわめくんだ! 悪人め」と湯をひっくり返してしまう。何が悪人なのかと尋ねるアルセニエフにデルスーは答える。「お湯ですよ。奴はわめくことも、泣くこともできるし、また歌うこともできますよ」

 この原始人は、自分の世界観についてながい間、物語った。彼は水に『活きた力』を認め、活きた力の静かな流れを見、また洪水の時には、その咆哮を聞いたのだった。『御覧なさい』とデルスウは火を指差し『あれもやっぱり同じく人ですよ』と言った。

満鉄調査部第三調査室訳「ウスリー探検記」朝日新聞社

  デルスーはアニミズムの世界を生きているのだった。そこでは「動植物はもちろんのこと、石も水も火も土もすべて霊魂(アニマ)をもっている」という意味でひとしく『人』なのだ。そうして歌とは、そのような世界において、神へ訴える言葉から起こったと谷川は書くのだが、その話はいまは措く。とにかく、かつてのわたしたちも、このウスルーと同じ世界に生きていた。動植物や木や火が喋り、水が人格を成すというのは「ナルニア国物語」の映画にも出てくるが、おなじような場面が『日本書紀』や『出雲国造神賀詞』にも、ある。

 葦原中国は、磐根、木株、草葉も、猶能く言語ふ。夜は標火の若に喧響ひ、昼は五月蝿如す湧き騰る。(日本書紀)

 豊葦原の水穂の国は、昼は五月蝿なす水沸き、夜は火べなす光く神あり、石ね、木立、青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。(出雲国造神賀詞)

 山川草木がよく物を言い、炎のようにやかましい音を立てて燃えさかり、石や木立や青水沫までも「事問ひて荒ぶる国」であったという。それが延喜式に出てくる『六月の晦の大祓』の祝詞では

 かく依さしまつりし国中に、荒ぶる神等をば神問はしたまひ、神掃ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立、草の片葉をも語止めて・・・

 とあり、「これは荒ぶる邪神たちを糾問し、追い払って、それまで不平不満を言っていた草木石をも沈黙させてしまった、という意である」(谷川)。神々は死んでしまったのだ。「ナルニア国物語」でいえば、氷の魔女が支配しすべての魔法が死に絶えた世界である。

 話をデルスーの火の人格化に戻せば、映画「ナルニア国物語」では暖炉の炎が騎士の形となって踊りルーシーを眠らせるし、宮崎駿監督の「ハウルの城」でも火の精ルシファーが登場する。谷川は「古代歌謡と南東歌謡 歌の源泉を求めて」のなかで奄美大島に伝わる呪言「炭火の踊るときのタブエ」を紹介している。タブエとは「神を崇(た)べる言葉」であり、ぱちぱちと爆ぜる炭火を脅してしずかにさせるときの呪言である。

やまなんてぃ しらつたんくとぅ わしれぃてぃな
(山で 焼かれた苦しみを 忘れたか)

 ところがこうした古層の記憶は、こと南島だけに残されているわけではない。

 民俗学者の沢田四郎作によると、炭火が跳ねあがるとき「山デノコトヲ忘レタカ」「山デノコトヲ申ソウカ」と言ってパチパチはじけることをやめさせる習俗が、相模、宇和島、但馬の出石、大和の月ヶ瀬などで見られるという(沢田四郎作「山でのことを忘れたか」大阪創元社 1969年)。

 このような呪言が相模や宇和島のように、お互いにかけはなれた地に残っているのは、昔、何か長い唱え言があって、その一句が残されたものにちがいない、と沢田は言っているが、たしかなことは分からない。あるいは短い呪言であったかもしれない。

谷川健一「古代歌謡と南東歌謡 歌の源泉を求めて」(春風社)

 これを読んだとき、わたしの目の前に、まさにこの国中(くになか)の古層を突き破って呪詛のように爆ぜる無数の点が出現した。「お湯ですよ。奴はわめくことも、泣くこともできるし、また歌うこともできますよ」と平然と答えるデルスーの世界が、地下水脈によっていまもわたしたちの足元に繋がっていることを確信し、また驚愕したのだった。これは平坦な現実が溶解する瞬間のまぼろしである。

 アイヌがすべてのものに霊魂を認めていたことは次の話でも理解できる。ある独り暮らしの老人がいて、身体が不自由であったので、遠く離れた便所にいくことができず、いつも尿瓶の厄介になっていた。たまたま老人ホームにに入居することになり、居室に便所があるのでその必要がなくなった。そこで老人は尿瓶にイナウ(木幣)をつけて、処分したという。イナウはアイヌが儀式のときに使用する神聖な祭具である。その老人は日頃世話になった尿瓶に感謝するために、イナウを添えたのである。イオマンテ(送り儀礼。イは物、オマンテは送るの意)は熊送りの時ばかりになされるのではない。(同上)

 

 

 朝一でもよりの警察署へ、資格(指導教育責任者と施設警備1級)の申請に行く。会計課で証紙二万円を購入し、用意したもろもろの書類と共に提出する。

 

 午後。Yと小学校の校長室で、校長先生、教頭先生、担任のS先生と今後の子の対応について話し合いをもつ。お互いにもっとコミュニケーションをもつことが大事だという認識で合意する。

 

 子は学校が終わってから母親と歯医者へ行く。日頃から瞬く間に終わる歯磨きだから虫歯がひどいのは予想していたが、開口(不正咬合い)というのを医者から指摘されて、なるほどよく見れば奥歯を噛み締めた状態で口を開いて見れば、前歯の上下が届いていない。これはおそらくいまだに続いている指しゃぶりが原因らしい。このままでは噛み合わせももちろん、筋肉も弱くなるとのことで、たちどころに指しゃぶりは一切厳禁となった。

 

 夜は家で焼肉。砂肝を薄くスライスして塩・胡椒で焼くのがこれほど旨いとは知らなかった。風呂に入ってから三人で仏映画「パティニョールおじさん」を観る。

2009.5.22

 

*

 

 

 日曜は休日で、朝からベランダに鋸やクランプなどを出して、久しぶりに木工作業をした。といっても園芸用の単純な鉢台をこしらえただけだが、やっぱりこうしたことをやっているときが、いちばん心が満足している。木を切り、水を汲む。みずからの手足を使って、ちょっとした生活に必要なものをこしらえるささやかなこと。Yがもうじき誕生日なので、彼女のリクエストで昼は宅配のピザを注文して、レンタル屋で借りてきた映画を見た。子はディズニーの「ティンカーベル」、Yは宇宙飛行士になる夢を捨てきれない中年男性が納屋で自作のロケットをつくる映画。夜は子といつもの銭湯へ行った。わたしがサウナにこもっている間、子は露天風呂で父親に連れられた3歳の女の子と話を交わしたという。Yは銭湯でわたしが子から目を離すのを心配する。事故の心配かと思ったら、「いたずらされる」心配だという。そんな心配をよそに、この親子は銭湯が大好きなのだ。そしていろんなことを話す。わたしが銭湯を愛するのは、じぶんが貴族階級でも特権階級でも上流階級でもない、市井の「庶民」だということを皮膚感覚で感じられるからかも知れない。それを確かめられることが心地よい。そして近くのオークワまでそぞろ歩いて紙パックのイチゴミルクを二人ではんぶんこで飲む。こういう感じがいい。どんな高級ホテルのスイートルームに泊るよりも自然体で贅沢な気分になる。帰ってからYの「何もしない一日」のために、子と二人で夕食の支度をする。わたしがカレイをバター焼きにして、踏み台に乗った子が小松菜と薄揚げの味噌汁に味噌を溶かす。

2009.5.25

 

*

 

 ダンゴムシが大好きな子のために、こんな「ダンゴムシ大研究!」のサイトをプリントしてやる。「日本ダンゴムシ協会」なるサイトもあるぞ。ダンゴムシが脱皮をするというのは知らなかったな。ダンゴムシって拡大すると、「ナウシカ」のオームに似てるね。

 

 元の現場のマネージャー交代の歓送迎会に、仕事が終わってから合流する。わたしが辞めてから入ったインフォメーションの女の子と喋ったり、営業マネージャーのNさんとビートルズの話をしたり、酔っ払ったゼネラル・マネージャーが「嫁さんを呼べ!」と抱きついてきたり。いや、愉しかった。最終電車で、深夜の0時半に帰宅する。

 

 梅田にある契約先に報告書を持っていったついでに、ふらふらとタワーレコードに立ち寄る。Woody Guthrie のCD5枚組が1500円で売っているのを見つけて衝動買いしてしまった。全85曲、延べ4時間分のウディ・ガスリー(代表曲はほぼ網羅している)が1500円で手に入るとは感激もの。ガスリーの音楽を聴いていると、じぶんの中の余計なものがぽろぽろと剥がれ落ちていく。大事なものだけが残る。そう、ダンゴムシがあらたに脱皮するみたいに。

 

 帰宅するとネットで買った中古のCD、早川義夫「この世で一番キレイなもの」が届いている。この世で一番キレイなもの、そんな歌を聴きたくなったのだ。

 

 遅い夕食を食べながらYに、通勤中に読んでいる鎌田慧「いじめ社会の子どもたち」(講談社文庫)の話をする。「いじめはなかった」と保身に走る学校。墨塗りされて遺族へ提出される教育委員会への事故報告書。「うちの子はいじめる方だから安心だ」と言い切る親。「自然淘汰だ」と漏らす教師。「真実を知りたい」と訴える遺族に、「受験を控えた大事な時期だから」と迷惑顔を見せるPTAと学校。まだ起きていたパジャマ姿の子が、いつの間にかわたしの手から本を取って、いじめの実例(鹿川裕史君の“お葬式ごっこ”など)の部分を読んでいる。そして「わたしは勝気だから大丈夫だよ」なぞと言う。

 先日もある子どもむけ雑誌の編集部にいる友人から電話があって、幼稚園のお母さんの間でも、子どもがいじめにあわないかどうか心配している。いじめにあわないためにはどうしたらいいか、そんな特集を組みたい、と相談されたが、わたしはこういった。
「自分の子どもがいじめられなければいい、というのはまちがいで、ひとをいじめない子どもにする、というのが先決でしょう」

 それは子どもの社会ばかりではなく、会社とか、社会とかの体制そのものがそうなっているのです。ぜんぶ強いものに迎合して弱いものが排除されていくという構造は、ものすごく露骨でむきだしになってきています。
 だから親が子どもに「勇気をふるえ」とか、「頑張れ」とかいいますが、そのお父さんやお母さん自身が、実は会社や社会で少数になってもいいから自分の意思や考えをいう、頑張る、そういう生き方をしているのかどうか、そこに関わってくるのです。そういう姿が子どもにまったく見えなくなってきているから、いくら「頑張れ、頑張れ」といったって、それは無理なんですね。

 

2009.5.28

 

*

 

 来年、奈良で開催予定の大型イベントの仕事なんぞが持ち上がり、打ち合わせや提案書の作成などで身辺が慌しくなってきている。

 

 子が体育の時間のリレーの走る距離をみんなより半分に短くして走らされたという。子は担任の教師に「いやだ」と言ったのだが、先生は「いいから、いいから」と言いながらその半分の距離のところまで子の手をひっぱっていって走らせた。

「あれだけ話をしてきたばかりなのに、どれだけ馬鹿な教師なのか」とわたしは深夜に怒りでふるえている。

2009.6.2

 

*

 

 事の発端は「図書館の見学会」だった。学校から図書館へは大人の足でも20〜30分はかかるだろうか。前回の「町たんけん」は折々で足を止めている間に子は追いつけたが、今回は図書館自体が目的であるわけだし、ちょうど骨折している子どもを校長先生が車で送迎するので同乗しては如何かという申し出をYが了解した。ところが帰ってその話をすると、子は「みんなといっしょに歩きたい」と言う。その話を聞いて「二者択一しかないんだったら、前回とおなじじゃねえか。何のために校長室で話をしてきたんだ」とわたしが怒っているところへ子が、実はこんなこともあった・・・ と話し出した。

 体育の時間。運動場のトラックを半分に切り、奇数グループと偶数グループに分かれてリレーを三回走った。二回を走り終え、三回目が始まるときに担任のS先生が子に対して、トラック半分のさらに半分の先から走り出そうと提案した。子はそれに対して「よくない」と言ったが、S先生は(子の表現では)「いいから、いいからみたいなことを言って」、子の手を引っ張って先導し、他の子の半分の距離を走らせたという。子はそれがとても嫌だったそうだ。

 それについて話し合った晩、明日にでも職員室に怒鳴り込みに行きそうな勢いだったわたしに先手を打ってか、Yは深夜遅くまで台所のテーブルで連絡帳に先生宛の手紙を書いて、翌日子に持たせた。

 本日の体育でリレーをした際、紫乃だけ走行距離が半分であり、先生に、いやだと述べたけれど、伝わらなかったと悔やんでおりました。昨年また一昨年のマラソン納会を見ましても、すでに皆さん走り終わり、たった一人になっても最後まで走りとおしました。大勢のご父兄や生徒さんの前で、一人で走る辛さよりも、誰かに遅いと言われることよりも、皆と同じ距離を走りたいのです。私どももできる限りそんな紫乃の意志を尊重してやりたいと思っております。お手数をおかけすることと思いますが、紫乃の思うようにさせてやって頂けませんでしょうか。

 また図書館見学につきましても、私も紫乃の意見を聞かず、先生方のご迷惑になってもと思い、お車に乗せて頂くようお願い致しましたが、その後、紫乃と話しましたところ、本人は歩きたいと申しております。いい方法がないか、私どもも再考したいと思います。色々とお気遣い頂いておりますところ、申し訳ございません。走行距離に関しても、紫乃のことを考え、先生がご配慮くださったことと思います。また紫乃にも大きな声ではっきりと先生にお話しするよう申しました。

 先日、校長先生とのお話し合いの場でも申し上げたように、課題は皆さんと同じようにお与え下さい。その中で紫乃本人ができるかどうか判断致します。

 どうぞよろしくお願い致します。

 話が長くなって申し訳ございません。図書館見学につきまして、家族で話し合いをしましたところ、紫乃がどのぐらい歩けるのか、どれだけ皆さんより後れるのかを把握するためにも、見ておく必要があるということになりました。私が列の最後尾に自転車で待機するということで、同行させて頂けますでしょうか。

 

 最後の提案は、やや冷静さを取り戻したわたしが、馬鹿教師はともかく、それはそれでわが家的に必要だろう。おれもいまは仕事を休めないから、悪いけど行ってきてくれないか、とYに頼んだものである。

 さて翌日。夕方に職場から電話を入れて「先生は何と言ってたか」と子に聞くと、子の差し出した連絡帳を開いたS先生は「ながっ!」と一言。読み終わって「紫乃ちゃん、ごめんね」。それから「でも、紫乃ちゃん、“いやだ”なんて言わなかったでしょ?」 「“よくない”って言った」と子。「“いやだ”と“よくない”は違うでしょう」と先生。「そうかなあ・・・」と子はそれだけ言うのが精一杯だった。

 「“いやだ”と“よくない”は違うでしょう」 !!??

 そんなことを平気で子どもに言う教師がこの世に存在していることが許されるのか? わたしは即座に小学校へ飛行して職員室の扉を蹴り倒してやるくらいに切れたのだが、その後、仕事を終えて帰宅するまでに長い忍耐の時間を経て、あれこれと想念を離発着させながら、帰宅して「みんな、ちょっとここに座りなさい」と集合させた夜中の家族会議の席で宣うたのだった。

 はっきり言ってこの先生は馬鹿である。馬鹿ではあるが、悪人ではない。きっといいところもあるのだろう。ただ能力的に限界があるのだろう。それにかなり「軽い」しな。教育者よりもオークワでレジを打っているほうが似合っているとお父さんは思う。でも先生だって所詮は人間なのだから、いい先生もいるし、あまりそうでもない先生もいるさ。神父さんだってそうだろ? だからそれはお前が世の中を勉強するいい機会だから、それもよしとしよう。世の中にはいろんな人がいるもんだ。ただ先生ばかりを悪く言っていても仕方ない。お前はお前でリレーをみんなとおなじ距離走りたいだろうけれど、お前とおなじグループになった子は、びりになることを覚悟しなくちゃいけないわけだよな。だれもお前を悪く言ったりはしないけどな。でもちょっとは残念だろうと思うよ。お前もそろそろ3年生になったんだから、いつもじぶんのことだけじゃなくて、そういうほかの子の気持ちも考えられるようにならなくちゃいけないわな。だから三回走るうち、二回はほかの子と同じ距離を走るにしても、残りの1回は半分の距離で我慢して、ほかの子にリレーを勝負するチャンスを与えてあげるとか、そういう考えがあってもいいんじゃないか? どうだろう? そうしたことを先生ともう一度よく話し合って、じぶんで考えてみなさい。

 

 一時中断していた半村良「岬一郎の抵抗」(全4巻・講談社文庫)を読了する。舞台は東京の下町で主人公は超能力者という設定だが、これは半村良による「新約聖書」であり、イエスの受難の物語である。

2009.6.4

 

*

 

 自宅PCの大掃除(クリーン・インストール)で丸二日。

 昨夜は子が土曜学校のお泊まり会で、Yと夫婦水入らずの晩。「おこりんぼさんがいないと静かだけど、さみしいね」と言いながら、わたしのこしらえた鶏肉ステーキの夕食後に映画を二本見た。Yの選んだ「チャンス」と、わたしが選んだ「In To The Wild」。後者の原作(実話のドキュメンタリー)を読んだのは、もう15年以上も昔だったと思う。「○○さんも、こんなふうにアラスカへ行きたい気持ち、あるの?」とYが訊く。「男の永遠のテーマだろう」とわたし。のっぴきならぬ気持ちでみずからの存在理由を賭けるとき、ひとは必ず「北へ」向かう。そう、気持ちの中では、いまだって・・・

 アマゾンでディランの過去のアルバムを眺めていたら、「Empire Burlesque」と「Shot Of Love」が二枚あわせて1500円の格安だったので、つい購入してしまった。ほとんどのアルバムが実家に置いたLPのままだから、多くをずっと頭の中で聴いているのだ。ひさしぶりに聴く二枚のアルバムは瑞々しい。とくに「Empire Burlesque」は頭の中にあったイメージ(「Infidels」の残骸)とはだいぶ異なっていて、見たこともないピカソの野心作のように楽しめる。

 今日の昼は例の天理街道沿いの台湾ラーメンの店を再訪した。台湾の人らしいグループ(三世代40人ほど)が店の半分を借り切って誕生日を祝っていて、そんな風景を眺めているのが心地よかった。

 夕方、子のリクエストで自転車の練習につきあった。自転車は無理ではないかとひそかに思っていたのだが、はじめて走れた。途中まで抑えていた手を離すとそのままするすると走り続けた。まだまだ走り出しが不安定だし、ハンドルのコントロールも覚束ないが、小さな公園をうまくいけば一周くらいじぶんで回れる。いや、こんな光景を見れるとは思わなかった。子もじぶんで信じられないという顔つきで、顔がきらきらと輝いている。1時間ほど続けて疲れが出てきたか、最後の頃には走り出してもすぐにこけてしまい、「なんで!」 「さっきまでできたのに!」と倒れた自転車を悔しそうに蹴飛ばすので、今日はこれで上出来だと説き伏せて帰ってきた。

2009.6.7

 

*

 

 レンタル屋で The Band の Northern Lights, Southern Cross を借りてきたのは、リチャード・マニュエルの歌う Hobo Jungle を聴きたかったからだ。20代の頃、この曲を聴くと切なかった。切なさの中に、あてもなく漂うことの心地よさのようなものがあって、優しげなリチャードのボーカルに浸って、この流れの中にいることはそれほど悪くもないのだ、と思えた。映画「In To The Wild」の中で誤って毒草を食して孤独な死に瀕していた主人公は、トルストイのペーパーバックのページに「真の幸福とは、何かを人と分かち合うことだ」と記して号泣する。アラスカの原野の真ん中に棄てられていた廃車のバスの中に横たわり、かれにはもはや下界へ降りていくひとかけらの体力も残っていなかった。そしてかれは目もくらむような青空を見上げる。青空を凝視したままくたばる。

2009.6.9

 

*

 

 わざわざクリーン・インストールまでしてウィンドウズの新しいOS発売を見切るまでは使おうと決心した矢先、やっと購入したOCRソフト「読んdeココ!」をインストールしている最中にCDドライブが飛んでしまい、もういい加減に愛想が尽きて、かねがね検討していたマウスコンピュータのBTOパソコンを即座にネット注文してしまった。スペック的にはVistaでも充分だが、あえてXPモデルで。グラフィックカードをアップグレードし、ビデオカメラ用の拡張カードを加え、21.5インチのワイドモニタ付で8万円だから、10年前にマックのG3を20万円で購入したことを考えるとここまで安くなったかという気がする。なんにせよ、もうPCのメンテナンスに時間を取られることにうんざりしてしまった。

 それにしても「読んdeココ!」は実にいいね。個人的に文章をデータ化することが多く、以前から欲しかったのだが、先日、職場で十数枚に及ぶペーパー資料を手入力しなければならなかったことが背中を押した。せっかくPCがあるのに、あんな非効率的な作業で疲れることはないわな。バンドル版と比べると認識能力が格段によくなったのは当然だが、読み込んだデータをそのままエクセル、ワード、パワーポイント、PDFなどに変換してくれる互換性が実に勝手がいい。文中のイラストなんかもイメージとして別に読み込んでくれるから、古いコピー資料がきれいなPDFに生まれ変わったりもする。さっそく職場のノートPCにも入れて、今朝はマニュアル片手にあれこれといじくって遊んでいた。

 

 数日前の朝、新聞で、東大阪であったか、実の母と義父に暴行されてベランダで死んでしまった小学生の女の子が、死ぬ直前に「ヒマワリの花を探している」とうわごとを言っていたという記事を読み、幼い彼女が最後の意識の中で探していたヒマワリの花はどんなだったろうかと通勤ラッシュの電車の中で考えていたら涙があふれてきてしまいそうになった。思わずつむった網膜の奥でソフィア・ローレンのたたずむ広大なヒマワリ畑がぼやっと滲んだ。だが少女が探していたのはそんなにたくさんのヒマワリでない。たった一本のヒマワリの花だったのだろうと思う。

 大人なんか、死んだっていいのさ。どうせこの無残な世の中の毒を骨の髄まで沁み込ませてなかば狂いかけているのだから。けれども子どもたちは違う。かれらはたとえばイエスの言葉を自然に受け入れる純朴さをまだ失っていないのだから。かれらはいつも希望のやわらかな卵だ。だからぼくは子どもへの暴力をもっとも憎む。

2009.6.12

 

*

 

 休日。明日受講予定で、尚且つほとんど勉強をしていなかった雑踏警備資格の試験勉強日にあてがっていたのだが、夕方、「1時間だけなら付き合う」と約束した自転車の練習最中に子が転倒。あまり痛がるのであちこちに電話をかけてやっと見つけた整形外科の救急病院で診てもらったところ、右ひじの間接付近が骨折(ひび)とのこと。二の腕から手首まで巻いたギブスを三角巾で吊って、夜遅くに帰宅した。

2009.6.13

 

*

 

 ど--んと良い音がした。足は間に合わず、右手だけで地面を受けたのだ。土曜の夕刻。防災センターで教えてもらった救急病院は、「整形の医師が対応できる」ということで登録されていたらしいのだが、電話をかけると軒並み「担当の医師がいない・内科医しかいない」と断られた。再度電話で請い、エリアを市外へ拡大したところ、やっと診てくれる病院が見つかった。レントゲンでは判然とせず、CTスキャンでようやくひびが見つかった。成長線がある部分なので、将来的に骨の成長に何らかの障害が発生する可能性もなきにしもあらず、とか。それから2〜3日ほど、子はすっかり意気消沈して、ふだんの明るさを失くして過ごした。学校もしばらく行きたくないと言うので、数日休ませることにした。報せを聞いたわたしの妹が関東から泊まりに来ると提案しても、誰にも会いたくないとすすり泣いた。4日目でやっといつものいたずらな笑顔が見れるようになった。そして「足ばかりか、手までこんなギブスをはめられて、ショック百倍よ」なぞとおどけて回顧した。きっと、そうだったんだろうな、と慮った。

 翌日は朝6時前に家を出て、雑踏警備2級資格の再試験を受けに入った。京都の郊外の町で、広大な自衛隊駐屯地の敷地の横にある、これまた広大な敷地の自動車部品の製造工場の一角が会場だった。加工された部品が大きな鉄の籠に並び、人気のない工場の薄暗い窓から製造ラインが見えた。平日になるとやってくる労働者たちの姿を思い浮かべた。昨夜は病院から帰ってから、何とか学科の問題集を一遍だけさらえたが、6種類ある実技はまったく頭に入っていなかったので、電車の中でさえ引き返したいくらいの気持ちだったのだ。午前中の訓練の間にイメージを頭に叩き込んで、午後の実技試験は何とか形になった。学科の試験の方は、案外とやさしかったような気がした。すべてが終わった後の開放感はなかなか得難いものだ。

 Alison Krauss のアルバム So Long So Wrong を iPOD で愛聴している。彼女の声の質にはわたしを陶酔させるに足る何かがある。わたしはまるで幼子のように容易にその腕に抱かれ、恍惚として安らぐのだ。そしてブルーグラス出身の彼女の声には、透明なだけではない、大地に根ざしているしたたかさがあるように思う。わたしは、どこかへ還りたいんだろうな。

われわれがすることはなんだって、
輪を描いていることに気がついただろう。
世界の力はいつだって、輪をなして働いている。
何もかもが、巡り巡ろうとしているんだ。・・・
世界の力がなすことは、みんな輪を描く。
ほら、空は円い形をしているだろう。・・・
星はどれも円いと聞いている。
風だっていちばん勢いのあるときは、渦を巻いて吹くんだ。
鳥たちも円い巣をつくる。鳥もわれわれと同じく、
大いなるものに身をゆだねているからな。
太陽だって弧を描きながら、昇っては沈んでいく。
月もそうだ。太陽も月も、その姿は円い。
季節----これも大きな輪をなして移り、
もとのところへ戻っていくんだ。
人の命も輪を描いている。
子供の時代からまた次の子供の時代へと。
輪は、世界の力が働くものすべての内にめぐっているんだよ。

「俺の心は大地とひとつだ」(ぬくみちほ訳)

2009.6.16

 

*

 

 ベランダで径150ミリ、長さ1000ミリの檜の丸太を、電気チェーンソーで縦に半割りに断つ。数年前に当時の同僚だったY君の、熊野の山中に暮らす実家の山から頂いてきた丸太で、皮を剥いてずっと部屋に寝かしていた。その間に丸太は自然乾燥でちょうど背割りのように縦に亀裂が走っていて、そこにチェーンソーの刃を入れたのだ。乾燥した檜はかなり堅く、作業は容易にすすまない。木屑が飛散するので格子に大きなブルー・シートを張っているため、風通しが悪く、すぐに汗だらけになる。足元に積もり溜まっていく木屑が香ばしい匂いを立てる。「樹の雪みたいだね」と、ベランダに面した六畳間で、こちらは左手でペイント工作をしていた子が声をかける。上から、下から、斜めから、何度も切り込みを入れたために、寝かしたチェーンソーでいくらか均したものの、もともとの樹の割れも手伝って切断面はお世辞にもきれいとは言い難い。この半割の丸太を軸に、吉野の方の“道の駅”でこれもだいぶ以前に100円200円のサービス価格で手に入れた檜の板数枚をかませて、わたしの部屋の窓際にギター・アンプや電動工具をなどを置くシンプルな棚をこしらえようと計画しているのだが、不恰好な切断面も、これはこれで残したまま組んでも味わい深いのではと思えてきた。芳しい木屑を掃き集めながら「あ〜、山小屋が欲しいなあ」とひとりごちる。部屋の中から「お父さんにはたしかに山小屋が必要だわ」と声が返ってくる。

 昼からギブス生活の子を置いて、Yと買い物へ出る。携帯電話ショップに寄って、二年満期のYの携帯を解約にし、ポイントがそこそこ貯まっていて音が鳴らなくなったわたしの携帯を機種変更してYの携帯とする。わたしはほとんど会社支給の携帯で事足りるのだ。というわけで、これまでのわたしの個人携帯の電話番号はYの携帯に引き継がれ、メールアドレスは抹消となるので関係者諸氏はお留めおきを。生協の店で買い物をし、酒屋で発泡酒1ケースを買って帰る。

 夜は子のリクエストで半インスタントのラーメンをつくった。“半”というのは、生麺とスープの付いた袋入りを利用するからだが、わたしはこのままでは飽き足らないので、細かく切ったニンニク、白菜、豚肉をごま油で炒めたところへこのスープを入れて煮込んだのを、別に茹でた麺の上にかける。炒めた肉と野菜のだしが加わって美味しい。インスタントでも、ちょっと手を加えれば下手なラーメン屋程度にはなる。

 明日から学校へ復帰する予定の子に寝床で、寮さんの新作『夢見る水の王国』上巻(角川書店)の流木についての場面を読み聞かせる。年老いた男が浜で素敵な流木を見つけ、かつてその流木がどこかの山中で苗木として芽吹いた頃からの静かな時間を夢想するのだ。

 週末に届く予定のニューPCの内訳 ↓

 

PC本体 Lm-i442S3 (XPモデル)
OS Microsoft(R) Windows(R) XP Home Edition SP3 正規版(DSP)
オフィスソフトウェア ・・・オフィスソフトなし
ソフト2 サプリメントディスク Ver.13
ウイルス対策・セキュリティソフト マカフィー・インターネットセキュリティスイート with サイトアドバイザ (90日期間限定版)
リサイクル 個人向け(リサイクル料金が含まれます。回収時に代金はかかりません)
J-Moss J-Mossマーク 非含有マーク(グリーンマーク・緑色)
CPU インテル(R) Core(TM) 2 Duo プロセッサー E7400 (3MB L2キャッシュ/2.80GHz/1066MHz FSB)
CPUファン LGA775用CPU FAN
メモリ DDR2 SDRAM 2GB PC2-6400(1GBx2)
ハードディスク 500GB SerialATAII
マザーボード 【Core 2 Duo対応】インテル(R) G31 Express チップセット搭載マザーボード
グラフィック機能 【VGAアップグレードキャンペーン】NVIDIA(R) GeForce(R) 9500GT /512MB/HDCP/DualDVI(デュアルモニタ対応)
光学ドライブ DVDスーパーマルチドライブ
ケース マイクロATXタワー(ブラック)
キーボード [PS/2]オリジナル 109日本語キーボード(ブラック)
マウス [ボール式] PS/2 オリジナル スクロールマウス
サウンド [オンボード]ハイ・ディフィニション(HD)オーディオ
スピーカー [2ch/1Wx2] オリジナル 外付けアクティブスピーカー (ブラック)
LAN [オンボード] 10/100/1000BASE-T GigaBit-Ethernet LAN
拡張カード [IEEE-1394カード/LowProFile対応]弊社指定ブランド (PCI)
モニタ [21.5型ワイド液晶(Full HD/16:9)/HDCP対応] おすすめ液晶 ブラック/2系統/3年保証/1920×1080
電源 【ATX】 350W 電源
買い取り保証 パソコン買い取り保証シール
各種出張サービス ・・・出張セットアップサービスなし
電話サポート [24時間電話サポート]困った時はいつでもお電話いただけます(※弊社指定日除く/期間はサポート期間に準じます)

 

2009.6.17

 

*

 

 子は木曜日から学校へ「復学」した。会社から帰って夜、どうだった? と訊くと、楽しかった、行ってよかった、とうれしそうに答える。みんなが寄ってきて、いろいろなことを手助けしてくれたらしい。心配していた学校のトイレでの導尿も、どうやら一人でできる見込み。習字の時間は一人だけ本を読んでいたそうだ。翌日には近所のソロバン教室へ暗算だけやりに行って、伝え聞いた(体調不良で休んでいた)別の先生が夕方、ぬいぐるみとクッキーを手に見舞いにきてくれた。

 今日は神戸にあるアメリカ資本の巨大アウトレット・モールにアメリカ本社からお偉いさんが視察に来るということで急遽、現場の指導へ駆り出された。社長の運転手のHさんの車で六甲山麓をしばしドライブ。交通隊の各ポストをまわって、じぶんでも車の誘導をしたり、最近はデスクワークばかりだったのでひさしぶりに愉しかった。

 帰ったら、待望のニューPCが届いていた。さっそくオールド・マック(G3)とモニタをを取り外し、DVDドライブの潰れたWindowsマシンは新しい21インチ・モニタに切り替えで接続できたので、サブとして残すことにした。モニタは韓国のSAMSUNG製で、旧マシンをアナログ、ニュー・マシンをデジタル信号で認識してくれる。ワイド画面なので、何やら馴れない奇妙な感じだが、同時に複数のソフトを立ち上げた作業では活躍しそうだ。ニューPCの方は既にインストールされているOSをいったん削除して改めて再セットアップをし、パーテーションの分割などをしているところ。明日は休日なので、あとはしこしこと細かな設定やらアプリケーションのインストールなどを行う予定。

 カール・セーガン博士の「はるかな記憶 人間に刻まれた進化の歩み」(朝日文庫)を読み始めた。この壮大な視点の物語は出版から20年経ったいまでも、やはり刺激的だ。

2009.6.20

 

*

 

 休日。2/3はPCのこまごまとした設定。1/3は子に将棋の指南。昼食後、Yがレンタル屋で借りてきた1ヶ月間マクドナルドだけを食べ続けるというアメリカの実験記録映像「スーパー・サイズ・ミー」をいっしょに見る。

 

 自然な生き方、つまりインディアンの生き方には、死に対する恐れはない。死は自然なことだ。死は、命の輪の一点なんだ。そうわかってはいるのだが、俺たちは死を恐れることを教えられてしまった。
 キリストやほかの偉大な教師の教えを理解して、俺が聞いたことや感じたことに重ね合わせてみたが、ちっとも難しくはなかったよ。だがその教えには、俺にはよくわかっている大事なことがひとつ見落とされている。
 教化されてしまった俺たちインディアンの社会ではときどき忘れられてしまう「インディアンらしさ」だ。「死への心構えなくして、生を歩んではならない」という悟りだ。
 誰もが死を通過するということを、しっかり覚えておかなきゃいけない。生の先にある死は、恐ろしいものであるはずがない。死を含んだ輪が一生なのだから、それを受け入れなくちゃ。

ジーン・ケラッチー(ウィントゥ族)1992年

 

 モノが豊かだということはいい気分だね。触っていればいろいろ愉しめるし。けれど、内側で、何か大事なものが薄まっていくような気がするんだ。鏡を覗き込めばすかすかの乾いたスポンジのようなものだ。対抗する何物も手の中にありはしない。いのちの風とか聖なるコーンミールとか、そういったものたちだ。「アルコール依存症の問題の中核は、宗教性にある」とユングが書いていたそうだ。それに従えば、ぼくらはふだん、適度に酔っ払って、「現実」を忘れていられる。だが何かの拍子に、思いがけず、アルコールが切れてふっと正気にかえる。身も凍るような暗闇の中で宙吊りでいる。周りにあるものはといえば、恐ろしいほどのガラクタだらけで何の役にも立ちはしない。

 真っ暗な、この身を凌駕して圧し掛かってくるような巨大な山影の前に立ち尽くしたい。ただそれだけでいい。

2009.6.21

 

*

 

 ジョー・ストラマーは50歳で死んじまった。うちの親父も50歳だ。だとしたら、おれももう、あとわずか6年だ。

 今宵は Redemption Song を聴く。

 http://www.youtube.com/watch?v=F10tP5HIpaA

2009.6.23

 

*

 

 歯医者のための休日。SFのようなレントゲン撮影機器。麻酔と大層な作業。ベランダで丸太をカンナ掛けする。ネットでビデオのアナログ--デジタル変換機器を物色する。オールドMacの分解サイトを漁る。ハードディスクを取り出して再利用しようかなぞと考えて。Alison Krauss の声に呆けて、誰かが連れ出してくれるのかと思う。迎えに行った子が「朝、階段の下の花壇に桔梗が咲いているとお母さんが言ってた」と言う。蕾が花になったのも分かるし花が蕾だったのも想像できる。階段の下で、そんな会話をした。今朝の新聞で子とふたりで写真を見た、森の中で人知れず光っているキノコは誰のためなのか。銀河のすみっこで人間がこの無限大の宇宙を意識していることを宇宙は知っているのか。くさはらで絞殺された少女のことを宇宙は考えることがあるのだろうか。キノコも少女もすべてを包み込むひとつの流れのようなものがあるのだろうか。訊いてみたいことがたくさんある。

2009.6.24

 

*

 

◎子が持ち帰った理科のテスト

(ダンボールの地面に輪ゴムの一端が留められ、もう一端は板に車輪をつけた車につながっている白黒写真)

1. 車を引くとわゴムはどうなろうとしますか。○をつけましょう。

(   ) そのままかわらない。

( ○ ) もとにもどろうとする。 → 正解

2. 車から手をはなすと、車はどうなりますか。

(  走りだす  ) → 間違い ( 正解は 「走る」 )

 

◎連絡帳に父が書いたこと

 本日帰ってきた理科のテストですが、「車から手をはなすと、車はどうなりますか」の問いに対して、子は「走りだす」と書いて×でした。見たところ、これは“輪ゴムの働き”が主題であって、「走る」「走りだす」「走り始める」「走っていく」・・・ 要するに、【輪ゴムの働きによって車が動く】という主旨であればどれも正解だと思うのですが、「走る」と「走りだす」をそれほどまでに厳格に分けなければいけない理由は何でしょうか? ご教授頂けたら有難いです。

 

 実は父はこれに続けて、「いやだ」と「よくない」が違うように「走る」と「走りだす」は違うのでしょうか? と書こうとして(6月4日の項参照)、母に止められたのだった。

 それにしても、いくら考えても「走る」と「走りだす」の違いが分からない。国語表現的には、むしろ「走りだす」の方がリアルで優れているようにすら思える。子はもちろん納得していないのだが、先生から間違いだと指摘されて「間違い直し」までさせられては従うよりない。しかしわたしには、こうした如何にも型にはまった(しかも重箱の隅をつつくような)授業が、せっかくの子どもたちの表現力を萎縮させてしまっているようで我慢がならない。たかがテストの回答くらいで・・ とも思ったが、あえて書かせてもらった。先生の意図するところがほんとうに分からない。

 

 今朝は大阪の環状線が人身事故とかでJR線がしばらく止まって動かなかった。あとでホームの待ち客が入ってきた列車に(軽く?)接触したらしいという説明を聞いたのだが、人身事故と聞いてやはり最初はレールの上でばらばらになった礫死体を思い浮かべた。停止したままの不自然な間合いをかかえた満員列車の中で、どんなふうにそれを受け止めるのかというのは、実は人によって大きく異なるかも知れない。けれど妙に間延びした時間の中で、その深度は異なるにせよ、誰もがいくばくかの突然の非日常に侵犯されていたはずだ。「その駅」に列車が入ったとき、わたしは思わずむごたらしい礫死体がまだどこかに残されていないかと車外のあちこちを見回した。わたしは「そいつ」を見たかった。連続した日常を侵犯するそのむごたらしいモノを捜し求めた。

2009.6.25

 

*

 

 

昨日と今日で、「夢見る水の王国」、読み終わりました。
分からないところは飛ばしたけど、なんとなく話の筋は分かりました。


真実の子、真子。
じゃなく、
悪魔の子、魔子。
はじめは、いじわるな女の子だと思いましたが、最後の方になっていくと、なんだか可哀相になってきました。
猫だったヌバタマが死んで、そして黒豹になってマコのところへ現れたとき、すこしびっくりしました。
夢を見る子、ユメミコ。
本名、マミコ。
そのマミコのところにヌバタマは現れるものと思っていました。
しかし、マコのところに現れたので、びっくりしたのです。
夢を見る子、ユメミコ。
その夢を読み解く者、ユメヨミ。
その二人が、じゃなくて一頭と一人が、いっしょに旅をする。
ミコには子馬(一角獣)がついていたので、マコにも手助けがいると思って、ヌバタマはマコのところに現れたのかも知れません。
ヌバタマが死んだとき、わたしも悲しくて、泣きそうでした。
生まれたときからいっしょにいたマミコにとっては、もっと悲しいものだったと思います。
マコとミコ。
姿は瓜二つなのに、心はまったく正反対。
マコは世界の果てを探しているやんちゃな少女。けっこう乱暴者。
ミコは記憶を盗まれてマコを探し、マコを追いかける、素直な少女。やさしい女の子。
ミコが青い衣を着て踊り、そのために人の病気を治したり命を救ったり、そういう力を持ったとき、
これはマコがミコを立ち止まらせるために仕掛けた罠なのかと思いました。
それか、マコがミコを立ち止まらせるような気分を村の人たちに吹き込んだのかと思いました。
しかし、やっぱりマコはそんなこと、しない。
もしやろうものなら、ヌバタマがきっと止めている。
ヌバタマがそんなことをするのは許すはずがないもの。
それなら世界の果てに一角獣の角とミコの名前を捨てに行くことさえ止めるんじゃないか、ですって?
ヌバタマはちゃんと分かっている。
マコはそんなこと、したくてしているんじゃないってこと。
じぶんがいることが、苦しくて苦しくて、こんな小さな体に閉じ込められたのが苦しくて、傷だらけになって痛いのが苦しくて、たまらない。
だからやけくそになって怒って、わざと世界の果てへ少女の名前と一角獣の角を捨てにいく。
その証拠にヌバタマがやさしくすると、声を上げて笑って、やさしい言葉で話してやさしくなっているもの。
だからヌバタマは止めないんだ。
捨てに行くのがやけくそに言った嘘だもの。
ほんとうにそんなことしようものなら、ヌバタマがとびかかって引っ掻いてるもの。
・・・・

最後に私が強く思ったことを言います。

ヨミとミコが、ヌバタマとマコが、旅をする。
その旅は外側だけが終わっただけで、内側ではまだ続いている。
百年も二百年も、この世の終わりまでそのおいかけっこは続くかも知れない。
悲しいおいかけっこが・・・・

(しの)

2009.6.26

 

*

 

 昨夜は深夜の1時ころまで、何かに憑かれたようにユーチューブでアンナ・カリーナの姿を追っていた。10代から20代にかけて、「気狂いピエロ」の彼女に恋焦がれていた。美人で、可愛らしくて、謎めいていて、つかみどころのない彼女に。日本映画では鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」の大谷直子に惹かれた。20代のなかば、実家に閉じこもっていた頃には、サンカの少女が草むらから現れて山の民の国へじぶんを連れていってくれないものかと夢想した。女性はいつもキーワードだ。The Lucky One のビデオクリップの Alison Krauss も、この頃は毎晩のようにPCの前に座ってじぶんでも呆れるほど幾度も繰り返しておなじ映像を見つめている。Yのことも、忘れてはいけない。彼女こそはどんなときでも、こんな壊れたじぶんのそばにいて、すべてを受け入れてくれる地上の女神だ。出会った頃からいくぶん年はとったけれども、でもいまでも、子の小学校の他のお母さんたちの中でいちばん美人だ。これはいつも子と意見が一致する。まあ、何が言いたいのかというと、つまり女は男を殺しもするし生かしもする。男にとって、女はいつも謎めいていて、神秘のベールをまとっているということだ。女の中に入るときでも、女を悦ばしている最中でも、男はいつもまだ届いていない、まだつかまえていない、と思っている。

2009.6.28

 

*

 

 生活雑貨をネットでふたつほど買った。

 ひとつは職場のノートPC用の冷却台。USB接続(電源供給も)で、PCの後方にかました形で持ち上げた隙間に送風するというもの。使ったことはないが、よくある冷却シートよりいいんじゃないか。PCの底部は常に冷ややかだし、付加価値で洩れ伝うそよ風がこちらにも当たって心地よい。おまけに斜めになってキーボードが打ち易くなった。値段も手ごろだし、三得くらいの気分。おすすめです。

□ ERECOM 冷え冷えクールブリザード ノートパソコン冷却台 SX-CL03MSV
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000G1T720/ref=ox_ya_oh_product

 

 もうひとつは、電車通勤するようになって、駅までの往復の自転車で雨の日用にかねてからいいものがないかと探していた、ビジネスバッグ用のレインカバー。ときにモバイルPCをバッグに入れているときがあるので。これが何と、バイク用品のメーカーが販売しているのを偶然見つけて、さっそく注文した。こちらはまだ使い勝手は分からないが、いろいろ多用途で使えそうなのもよい。

□ 『すぱっと』バッグ・鞄用完全防水レインカバー★バイクの荷物守る雨カバー[MCP-RGB01]
http://www.monodirect.com/product/770

2009.6.29

 

*

 

 歯医者のための休日。

 朝からMac-G3の分解を継続して、すべてのパーツの取り外しを完了する。その昔大金20万円をはたいた(当時)高性能マシンが、鉄の枠組みと樹脂カバーの単なるからっぽな箱になった。デザインが洒落ているのと名残惜しさもあって、ベランダに置いて工具箱代わりにでもしようかな、とか。取り外したパーツでわたしが使えるのはCDドライブとHDDくらいかな。両方とも(特にHDDはジャンパ設定なども調べて)旧PCに取り付けようと試みたのだが、HDDは電源からの使えるコードがなくて断念。ちなみにニューPC側にも試みたが、こちらはHDDのコネクタの型が古くて合わず。CDドライブはMacのコネクタを転用して旧PCの潰れたDVDドライブと入れ替えたのだけれど、起動画面の「ようこそ」から先に進まず、次には電源も入らなくなってしまった。もうすこし調整が必要かな。相変わらず一筋縄ではいきまへんな。

追記)電源はコンセントと内臓電池を外してしばらく置いたら復旧した。「ようこそ」画面停止状態は、偶然ショートカットでタスクマネージャーを起動したら同時にデスクトップ画面に切り替わった。入れ替えたCDドライブもちゃんと認識しているし、デバイスも正常、特に動作上の異常はなし。これで万が一のときのCD起動も可能でCDドライブのリサイクルは解決だが、問題は20GのHDD。PCへの取り付けが不可能なら、HDDケースに取り付けて外付けとして使用することくらいしか考えられないが、3.5インチIDEのケースは安くて2千円。5〜6千円で300GのHDDが買える状況で、2千円を投資して20Gの外付けを用意する必要性は果たして?

□HDDの増設 http://pcrescue.easter.ne.jp/pc_hdd01.htm

□ジャンパ設定一覧 http://www.h3.dion.ne.jp/~saitoy/index455.htm

 

 昼前にYと時間差でおなじ歯医者に行く。わたしはじぶんの時間が来るまで近くの千円床屋に入って丸坊主にしてもらう。「バリカンは5ミリくらいにしましょうか?」「はい」 「揉み上げはふつうくらいでいいですか?」「はい。特にこだわりはないんで」 時間が余って百円均一の店などを覗いているところへ九州のHさんから業務メールが届いた。全国の今月度の巡察簿が支社・営業所から無事すべて提出されたという報せだ。名古屋がだいぶ遅れていて、間に合わなければわたしが乗り込んでいってでも完了させる腹づもりだったのだ。歯医者が終わってから、Yと合流して西友で食料品の買い物など。帰りに申請していた警備資格を受け取るため警察署へ寄る。駐車場に大勢の取材陣が陣取って待ち構えている。「なんだろう?」 「○○さんが床屋に行ったからじゃないの?」 Yが言う。ドアを開けて歩き出すが、誰も見向きもしない。「どうも違うようだぞ」 家に帰ってからネットで、市内の病院が浮浪者などの生活保護申請者を大量に入院させて医療費の水増し請求をしていた事件で病院長が逮捕間近とのニュースを見る。

 

2009.6.30

 

*

 

 

 

大崎の荒磯(ありそ)の渡り延(は)ふ葛の
行方も無く恋ひ渡りなむ

(大崎の荒磯のあたりに延び広がっている葛のつるのように
 行方もなく恋し続けることでしょう)

(万葉集 第12・3072 詠人不詳)


 トレイいっぱいに溢れそうなほど固めた葛粉のようににび色の海面は膨らみひろがっている。中くらいのタンカー船が幻のいくさ船のようにそちこちにたゆとうている。小型のボートがときおりそのまったりとした海面に白いラインを引く。古いエンジンを積んだ漁船の音はどこかのどかだ。陸蒸気のようなリズムが波間に弾ける。日が傾きかけている向こうの沖合いの海面は銀色の鰭をもった無数の小魚たちが乱舞しているかのようにきらきらと輝いている。淡路島の方の山塊にはすでに一雨降らし終えたような安らいだ雲が低くかかっている。その向こうの陸地はときおり早朝に自宅のベランダから眺める金剛葛城のうっすらと蒼い山並みに似ている。波ひとつない、しずかな内海。この岬の真裏にある蜜柑山を背後に抱えた小さな漁村がYの実家だ。むかし、まだ木造船が主流だった頃までは「潮待ちの港」として往古から賑わった。遊女もいたようだし、博打をする隠れ部屋が二階に残っている家もある。また船乗りたちの古里ごとに分かれた風呂屋もあったと聞く。(たとえば四国・徳島の漁師たちは港へ上がると必ず「阿波屋」という風呂屋へ行った) そんな時代も古い絵巻物のように畳まれ、いまは老人と猫だけの町だ。ひっそりとした暗がりの奥に中庭のある古びた雑貨屋で煙草を買っていると、まるでじぶんがセピア色の大林映画のスクリーンの上で動いている登場人物のような錯覚を覚える。そういえば此処は規模をせばめた尾道の町に似ていなくもない。懐まで入り込んだ港と低い蜜柑山の間のわずかな斜面に家々が軒を連ねているから、子の言う「猫道」のような細い路地があちこちにあり、ぐねぐねと曲がった石段が迷路のように忽然と現れる。そんなときはどこからかふらっと現れた一匹の野良猫が、まるで道案内を買って出たかのように悠然と前を歩いていくのが不思議だ。それが正しい道なのか分からぬままに、わたしは見知らぬ猫の後ろをついていく。歴史の中に取り残されたような町の風情と同じように、古い家もまた心地よい眠りを誘う。浄土真宗の仏壇のある畳の部屋に線香を添えて横になっていると、この世の灰汁がまだ取り切れていないとでもいうように、身体からすうっと気が抜けていく。そうして古い家屋の匂いと、畳の匂いと、線香の匂いとに包まれて、あの世とこの世とのあわいに小舟に乗って漂っているような心地になって、眠りの中へ吸い込まれてしまう。

2009.7.5

 

*

 

 朝、朝食のコーンフレークを口に運びながら大阪のパチンコ店の放火犯逮捕を報せる新聞一面記事をひとしきり読んでいた子が、ふと顔を上げて「仕事もお金もないなんて。わたし、この人の気持ちが分かる気がする」なぞと言う。

 いつもの通勤電車に乗る。iPODでレヴォン・ヘルムの新作 Erectric Dirt を聴きながら。2008年のグラミーで「Best Traditional Folk Album」を受賞したいぶし銀の前作 Dirt Farmer で聖なるサン・ダンスを踊ったレヴォンは、我が家にもどり、農機具を研ぎ、皿を洗い、水を汲み、ベランダでタバコをくゆらせる。単調だが、味わい深い。車窓の外を流れるこの景色のようだ。

 いつもの満員電車に揺られて帰る。iPODでローリング・ストーンズの Wild Horses を聴きながら。失うまいと必死にしがみついているじぶんがいる。

2009.7.7

 

*

 

 図書館のリサイクル市でもらってきた集英社の漫画版「日本の歴史」。しばらく放置されていたのだが、ここにきて子が一気に13冊を読破してしまい、残りの5冊をアマゾンの古書で買い求めた。送料込みで1400円ほど。わたしもこのシリーズは(版は違うが)子どもの頃に愛読した。だから楠正成も織田信長も西郷隆盛もこの学習漫画の顔がこびりついてしまっている。他にも「大泥棒ホッテンプロッツ」の続編2冊もやはり最近、アマゾン古書で購入した。ソファーに寝転がって読みながら、ホッテンプロッツの書いたひどい手紙を読んでげらげらと大笑している。それから朔太郎の「死なない蛸」。これはわが家のトイレに貼っている「日本の小説日めくりカレンダー」(?)で部分を読んで、続きを読みたいというので今日、母が図書館で朔太郎の詩集を借りてきた。鈴木三重吉の「古事記物語」もこのカレンダーがきっかけで、「え〜、わたしがいままで聞いたいろんな話があれもこれもここに載ってる!」と、結構興奮しながら読んでいたな。わたしが子どもの頃、家計は必ずしも豊かではなかったが、両親は本だけは必ず欲しいものを買ってくれた。だからわたしも、本だけは無条件に与えたいと思っている。じぶんが子どもの頃に好きだった本を、子がおなじように好きになってくれることはひそやかな喜びである。「ピッピ」も「きつねものがたり」も「ゆかいなホーマーくん」も「船乗りクプクプの冒険」も、どれも子はわたしのひそかな期待にこたえて気に入ってくれた。それでも、同じ本を好きになったとしても、父と子で受け取っているものは微妙に異なるのだろうなあと、これもひそかに愉しく空想してみたりする。

2009.7.8

 

*

 

 これまでわたしが書いたはるさんの個展の感想を、画家本人が自身のサイトにまとめてくださった。畏れ多いことだ。ぜんぶで5つのとりとめのない駄文断片が、何だかえらそうに並んでいる。これも旅のかき捨てだ。まだもう5つくらいは書くだろう。

http://www2.journey-k.com/~enami/hihyou/hihyou.htm

 

 夜、眠れない子に添い寝をして、子の周囲の恋愛模様などの話を聞く。○○くんという子が1年生から好きだったが、最近、友だちから○○くんが1年生のときに学校でウンチを漏らしたという話を聞いて好きでなくなった、という。それはちょっと、1年生のときのウンチくらいで評価するのは可哀想じゃないかとわたしが抗議すると、わたしも漏らしているときあるけど、でもねえ、わたしもわたしなりに思案したのよ、なぞと言う。いまはピーナツくんと女の子たちに呼ばれている顔の形がピーナツみたいな男の子が好きで、顔はよくないのだけれど、やさしいから好きだという。かのピ−ナツくんは1年生のときからほとんどの女の子から大人気なのだそうだ。独身男性諸君、聞いたか。男は顔ではないぞ。

 

 バリー・H・ロベスの「極北の夢」(草思社)沖浦先生の「佐渡の風土と被差別民---歴史・芸能・信仰・金銀山を巡る」(現代書館)をアマゾン古書にて注文する。他にいま食指を動かしているのは「ヘルダーリン全集」だ。全4巻のうち、詩篇を収めた1巻・2巻の2冊揃いが栃木の古書店で3千円ほどで出ているのを思案している。

2009.7.9

 

*

 

 さいきんどんな仕事をしているのかというと、PC画面のこまかな数字が並んだエクセル表を睨みながら、FAXで送られた大量の契約書や請求書などを片手でめくりつつ東北や名古屋の支社に電話をかけて、「すみません、どこどこの店舗なんですけど、請求金額と実働時間から割り出した金額が合わないんですが、これって時間数は確かですかね」 「う〜ん、どれどれ」 「もしかしたら○○年の契約更新のときに、時間だけ増えて金額を乗せてないんじゃないでしょうか?」 「ええ、それってまじ?」 手元の電卓をぎこちなく弾いて「計算では毎月○万円の損失になってますね〜」 「ありゃ、ホントだ。がちょ〜ん!」 みたいな。かと思えばやはり電話で「送って頂いたコンテンツを拝見したんですけどね。オブジェクトをクリックしたときに出てくるカテゴリの写真をですねえ、シャボン玉が変化していくみたいなイメージでできないかって、○○部長がおっしゃってるんですけどね〜」とか話していたり。明日は休日で、あさっての日曜は所用で姫路の店舗へ行く。午後は入院している営業所長さんの見舞いに神戸へ立ち寄る予定。

 母のつくった手製の日めくりカレンダーを一日づつめくって、今日が右腕のギブスの外れる日だったのだが、「経過は良好だけれど、念のためにもう1週間延ばしましょう」と医者に言われ、子はショックのあまり午後からの学校も休んでしまった。明日誘われていた友だちの家にも、もう行きたくないと言って貝殻の中に閉じこもった。帰ってから黙って抱きしめてやると、甘えてわたしの腹に顔をすり寄せてくる。明日はもともとギブスのはずれたお祝いに、わたしの前の職場のショッピング・センターで夕食へ行く予定にしていたのだが、それは予定通りに行くとして、ギブスをもう1週間我慢するご褒美に好きな本を一冊、買ってあげようと提案すると、本よりも誰だれちゃんが持っていたような絵の変わる指輪が欲しいと言う。「そうだな、お前もたまにはそんなものも欲しいよな。じゃあ明日、お父さんとお店で探してこよう」 そう言うと、にっこりとうなずいた。

 もうひとつ、べつな話。国際交流なんたらとかいう団体が主催する夏休みの子どもだけのサマー・キャンプの企画をYがどこかで見つけてきて、友だちのNちゃんと申し込むことになった。橿原からバスで曽爾高原へ一泊し、外国人のスタッフとネイチャーと英語に親しむプログラムとか。ところが一泊なのでやはりオシッコが気になる。時間のときに声掛けだけしてもらえないだろうかとYが訊くと、折り返し返答が来て、他の子どもたちも大勢いるのでちょっと難しいとのこと。食費5千円を負担してもらって親が付き添いで参加するか(ちなみに子の参加費は1万5千円だ)、あるいは・・・ と向こうが提案してきたのがボランティアとして参加してくれないかという話。ただし英語の素養かその類の経験者に限るとの由。Yが中学の英語教師の資格があり、だいぶ昔だが子ども向けの英会話教室で働いていたこともあると言うと、今度の土曜日に一度面接に来て欲しいと言われた。それがわたしの前の職場の近くで、ショッピング・センターで夕食もYの面接の送迎を兼ねて、である。ボランティアなら食費の5千円が浮くのが必ずしも理由ではないらしい。「わたし、ホントはひとりの方がいいんだけどなあ・・」とつぶやく子をよそに、電子辞書のネイティブ音声をペンタッチで響かせているYはどこか愉しげだ。

2009.7.10

 

*

 

 土曜の夕方。約束どおり、子のおもちゃの指輪を買いに行く。Yはショッピングセンターから車で5分ほどの国際交流センターでボランティアの面接だ。わたしと子の二人で、広いショッピングセンターの中のテナントをいくつも回るが、子の探しているモノが見つからない。最後に「あそこはどうかな」と寄ってみたストーン・マーケットで、子は色とりどりの石に夢中になった。それらの石を使ったネックレスなどの装飾品をすすめても目もくれず、原石をあれこれ、目を輝かせていじくりまわしている。「じゃあ、指輪の代わりにその石をひとつ・・・」と言いかけた途端、鼻血が出た。慌てて近くのトイレ前に移動してベンチに座らせ、拝借してきたトイレット・ペーパーを何メートル費やしてもなかなか止まらない。そのうちにトイレに雀が迷い込んでいるのを見つけて防災センターに連絡し、同僚のTさんが虫取り網を持って駈け付けてきたりのおまけもあったのだが、やっと鼻血も止まって、車で面接の終わったYを迎えに行き、ストーン・マーケットへ戻って石を買い(何か知らんがいつの間にYもネックレスをひとつ買っていた)、遅いイタリアンの夕食を食べて店を出たのがもう23時のレストラン街の閉店間際だった。ちなみにYの面接はイギリス人とドイツ人のスタッフの英語による自己紹介を聞き取って無事合格とのこと。そのセンターでふだんやっている日本語教室の手伝いにも誘われたそうで、何だか生き生きとしている。鼻血と石の物語は以下の「日記」をどぞ。

 

 なんか、とてもユーウツだ。

 むりもない。こんなに鼻血が出るのだから。こんなに、ドッと出るのだから、ユーウツなのはあたりまえだ。読者の中で、きれいな宝石や原石があり、それを父が1こ買ってあげると言っているのに、30分以上鼻血が出て、その上ここにスズメがまいこんできて、それをつかまえるのを楽々と見ぶつできるというのに、じっとしてなきゃいけないなんて言われて、ユーウツでみじめで鼻血がうらめしくない人がいたら、つたえてくれ。

 とにかく、わたしはちょ形1キロ・メートルくらいのワラ人形をつくるくらい、苦心していた。

 ここは、アルル。昔、わたしが7さいくらいまで、お父さんはアルルではたらいていた。その名は、ダイヤモンド・シティー。本名、イオンモール。

 ま、くだくだせつめいするのはここらへんで、ま、30分後、鼻血はとまった。

 

●● くだらないせつめいを聞きたがる読者 ●●

 いまから私はせつをする。え、せつめいが聞きたいって? じょうだんじゃない。あんなくだらないせつめい、どんな役に立つんだい。「あんたは言ったよ。せつめいをするって」 だって? じょうだんじゃない。わたしは、せつをするっていったんだ。せつめいとせつはちがうよ。せつめいはくどくどしたの、せつ明るいの、わかったかい?

しの

 わたしはとうとう、ローズクォーツに決めた。ピンクのまるい球だ。それはまるで、何かをうらなう水しょうのようだった。球をのせる金色のだいとお母さんがほしがったネックレスを買うと、イオンモール、またはアルル、昔名ダイヤモンド・シティーを出た。もちろん、その前に夕はんも食べたが。

(おわり)

 

 今日は早朝の電車に乗って姫路で午前中を過ごす。午後から神戸に立ち寄り、営業所長さんの入院している大学病院を訪ねる。「お花は夏はもたないから、雑誌がいいんじゃないかな」というYの助言を参考に、神戸駅の本屋で半藤一利の最近出た「昭和史」上下巻(平凡社)を買って行った。道すがら、湊川神社に立ち寄った。楠正成の終焉の地で、境内のすみにここが正成が自害して果てたところだという区画が仕切られている。水戸光圀によって始まった「忠義の手本」的なイメージの喧伝が戦後まで続き、この立派な社殿や境内もその名残なのだろうけれど、わたしはかれの悪党の部分に惹かれるので、どうもしっくりと来ないんだな。以前に登った赤坂千早の山城跡の方がいい。それにしても「青葉茂れる桜井の・・・」のあの歴史歌を、なぜか子どもの頃に父が教えてくれて、わたしはいまでも歌えるんだな、これが。営業所長さんは免疫系の病気で、ストレスなども大きな原因らしいが、薬がなかなか効いてくれないらしい。大学病院内のドトール・コーヒーでアイス・コーヒーをご馳走になって、1時間半ほど話をしてきた。

青葉茂れる桜井の http://www.hi-net.zaq.ne.jp/yousan/song%20of%20kobe-05.htm

2009.7.12

 

*

 

 Aが結婚の報せを寄越したその同じ日に母から、わたしの小学校の同級生のYの母親が今朝永眠したというメールが届いた。Yの母親が末期の癌らしいと聞いたとき、子を連れて見舞いに行こうとしたのだが、気が塞いでいていまは会えるような状況じゃないようだと母に止められた。それから、半年が知らず過ぎた。いつも死は、間に合わない。葬式には行くのかとAがメールで聞いてきたとき、わたしの母が奈良を訪ねるたびに子の写真を欲しがったというYの母親に、いつか子を連れて行って見せてやりたいと思っていたのに、それは永遠に失われたのだという悔恨だけが窓ガラスの便所紙のように貼り付いてこわばっていた。いや、死者を弔うことが無意味だというのでない。死者にもきっと通じることはあるだろう。だがせめて、生きているうちに子を連れていきたかった。死んでしまってからは遅いのだ。死はほんとうに取り返しがつかない。取り返しのつかないことが、実は世界にはあまりにもたくさんあるのに、わたしたちはその多くにきっと無頓着なのだろう。ふやけた日常のうちに忙殺され、誤魔化し、やんわりとやり過ごすのだ。わたしにとって、死はいつも間に合わないものだ。わたしはそんなことばかり、繰り返している。小学生の頃、同級生の母親のなかでいちばんきれいなお母さんだとわたしが思っていたYの母親は、骸骨のように痩せて骨と皮ばかりになってしまっていたと、通夜の席から母が報せてきた。そのおなじ日に、小学1年生からの腐れ縁のAがとうとう結婚するという報せを寄越してきて、わたしは喜びと悲しみがつつきあうような、なんとも複雑な気持ちを抱えて夜のベランダで漫然と煙草を吸い続けた。

2009.7.18

 

*

 

 子の初聖体を教会で祝ってもらったその夜、クーラーのよく効いた寝室に並んだ布団の上で、Yが図書館から借りてきた朔太郎の詩集を子に読み聞かせていた。するとその中の「竹」という作品を知っていると、子がじぶんの机から音読のドリルを持ってきて、それからそこに載っているさまざまの詩や散文の読み合わせが始まった。宮沢賢治の「永訣の朝」を読んでくれとわたしが子に頼み、子のあどけない無垢な天使のような声が「永訣の朝」を朗読していることがなぜか感慨深く感じられて、ついで「どれ、お父さんがもう一度読んでみるよ」と代わった頃にはもういけなくて、思わず声がゆらいで、涙があふれてきた。そんなわたしの様子を子は不思議そうに見つめている。「賢治はね、この妹が大好きだったんだよ」 誤魔化すようにそんなことをいくつか言い、指で涙をぬぐった。それからやはり子の本棚から、わたしが子にあげた賢治の文庫本の詩集を持ってきて、「松の針」「無声慟哭」と読み続けた。長く苦しい幻想譚のような「青森挽歌」を暗誦しているうちに、ふと気がつくと、子はもう眠ってしまっていた。

2009.7.19

 

*

 

 休日。朝から1台の車にみなで乗り込んで、子は小学校の自習教室、Yは子のおしっこの定期検査、わたしは歯医者へと、三々五々に散らばる。診察を終え、百均の店で電池を買い、西友の地下で夕食の材を買い、Yと合流して薬局(子の膀胱の薬の依頼)、豆パン屋アポロ(ラスクとお茶とゴーヤ)などに寄ってから、子を迎えに行く。みんなが学校の制服を着てきた中で、子がひとりだけ私服だったそうで、「お母さん! どうして言ってくれないのよ!」と母に怒っている。「ごめんなさい。でもお母さんも知らなかったのよ」Yが詫びる。 わたしは笑いながら「でも夏休みなんだから、私服でもいいじゃねえか、なあ」などと言っている。

 ベランダで月桃の株分けをする。友人に借りていたPCモニタを送る荷造りをする。子の夏休みの課題のひとつ「金魚について調べる」の資料を読む。PCにキャプチャしていた子の赤ん坊の頃のVHSビデオをDVDに最編集して書き込む。

 雨の上がった夕方、子と近くの川の土手を散歩する。子は切り取った背の高い雑草の穂先を水たまりに浸してアスファルトの上に面妖な文字を書く。ゴルフの打ちっぱなし場を横に眺めながら、この無数の散らばったゴルフ・ボールを毎日拾集めている人がいるんだろうななぞという話をする。「さあ、水牛の群れを横切るぞ。注意して渡れよ」 車の道を横断する。潜水橋のようなものを見つけて、土手を降りてみる。段差がつくられていて、水かさの増した川の水がどうどうと流れ落ちている。斜面の雑草を切り取って、結わえたり挿したり曲げたりして舟をつくり、川面に投げ込む。段差に吸い込まれた葉っぱの舟が浮かび上がってくるところを探す。すぐ横手から別の用水路からの水が合流しているので、流れは案外と複雑だ。太い茎を加工していて、わたしが誤ってナイフで指を切る。血がたっぷり溢れてきたのを見て、子は顔をそむける。「お父さんが悪い見本だ。ナイフはぜったいにじぶんやもう一方の手のある方に向けちゃいけないぞ」 田圃の間の別の道を通って帰る。子はレクジオンという幻の馬に乗って走ってみせる。

 夕飯に十八番の鶏もも肉のステーキをつくる。シャワーを浴び、布団の上に寝転んで、最近子が読んでいる漫画版の「日本の歴史全18巻」の一冊を子が持ってきて説明し始める。室町時代から戦国時代に至る戦乱期について、いっしょにページをめくりながら話するが、いつしか互いに別々のページを読んでいる。「9時半ですよ。もう寝てくださいよ」 シャワーからあがったYの声に子が慌てて電灯の紐をひっぱる。そのまま子といっしょに寝てしまう。

2009.7.21

 

*

 

 諸事情により出勤先が大阪の本部から奈良の支社へと変わった。ひとつにはこのごろ経営の苦しい本部のシェイプアップを図るため、わたしの給料を多少利益に余裕のある支社へ移すことにあり、これらは昨今の単価引き下げや契約の解除、不採算事業の吸収合併などが影響している。わたしだけではなくて、営業さんが制服を着て現場へ行かされたり、経理の女の子が減らされたり、といろいろなところで厳しい状況が出始めている。わたしの場合は支社へ移っても本社業務はそのまま引き継ぐので、何だか微妙な立場なのだけれど、片腕をもがれた上司などは「○○がいなくなったら、おれは明日からどうしたらいいんだろう」なぞとため息をついている。もうひとつは大阪ではしばらく大きな物件の立ち上げの予定がなく、逆に奈良では来年に予定されている某巨大イベントに向けての動きが今月末あたりから本格化しそうなことによる戦略的配置だそうだ。まあ何にせよ、通勤は楽になった。朝は1時間遅いし、帰りも支社を出て20分後にはもう家に着いている。お偉いさんが頻繁に顔を出し、常にどたどたと問題が発生している本部に比べたら、少人数の支社はのんびりとしているし、空気がゆるい。逆にそれが物足りないと感じる部分もあるのだけれど。

2009.7.22

 

*

 

 大阪で整形外科の定期健診、H先生の最後の診察。このごろ歩き方(足の格好)が悪いように思う、とYが言ったところ、当日履いていった(子のお気に入りの)スニーカーがよくない、 市販の靴を履くのであればブーツのようなかかとも靴底もかっちりしたものがいい、また基本的には当分、どんな場所でも装具を常用するように、とH先生は言われた。この子の足(特に左足)の反りは、最終的に成長期を終えた頃の筋肉の移植手術でだいぶ修正できると思うが、いまヘンな歩き方が馴染んでしまうと癖がついて治らなくなってしまうから、というのがその理由である。これまで装具は学校か、激しい運動が予想されるときの限定で、休みの日などはほとんどつけていなかったのだが、軽いスニーカーで(たとえ格好が少々くずれていても)走っていたのが、常に重石をつけて歩くよう言われたようなもので、子の落胆ぶりは想像するに難くない。家に帰ってから夜、わたしに「(毎年愉しみしている)キャンプも、もう行きたくない」と言うので、いま好きなように歩いて大人になってヘンな歩き方になるのと、いま我慢して将来歩き方が良くなるのとどっちがいい? 豚の貯金箱にコインをひとつづつ落としていって大人になったときに溜まったコインがぜんぶ貰えるようなものじゃないか、と下手なたとえ話をして結局、子は「先生の言ったとおりにする」と答えた。ただしキャンプのときでも、テントなどを張り終えてある程度落ち着いて、川原で水遊びなどをするようなときなどはスニーカーでもいい。そんなにきっちり守らなくても、ときどきは状況に応じて考えよう。ただ、基本は装具、だよ。そんな話をして、とりあえず決着したのだった。H先生は他の病院へ移り、今後は(もう少し若い)K先生が担当してくれる。

 電車で行ったので昼から、Yと子は長居公園にある大阪市立自然史博物館で夕方まで遊んだ。新型インフルエンザの騒動以来、大阪が元気がなくなっているからということで8月の26日まで、市内のミュージアム施設など一部を無料開放しているだそうだ。駅から広大な公園内を抜けていく途中、二人の、Yいわく「土木作業員のような、あまり上等でない服を着た大阪のおじいさん」と子がすれ違った。二人は走っていく子に「暑いのに元気だなあ」と言ってから、子の歩き方に気がついたらしい。振り返って「代われるものなら、わしらが代わってやりたいわ」と声をかけたそうだ。「大阪のおじいさん」らしい、とYが感慨深げに言うのである。博物館は植物園なども併設していて、じっくり見たら終日かかるとのこと。「お父さんとまた行きたい」と言うので、何がいちばん面白かったかと訊けば、ゲームだと言う。自然の生態系や環境などを学習できるゲーム・コーナーがあるらしい。

 

大阪市立自然史博物館 http://www.mus-nh.city.osaka.jp/

「子どもが元気!大阪が元気!」キャンペーン http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/cmsfiles/contents/0000044/44118/chirasi.pdf

2009.7.23

 

*

 

 昨日の新聞に載っていた寄稿「投票用紙で武装し、蜂起せよ 森巣博」(朝日新聞 2009年7月23日)を読んで、「世界各地の賭場でばくちを打つかたわら、小説や評論を執筆」という著者の経歴に惹かれ、どこぞの書店員が版元に「至急、ハチオキを25部送ってください」と注文したという小説「蜂起」(金曜日)を読んでみようかなと思う。「民主主義の強みのひとつは、殺傷能力のある武器を持たずとも、投票用紙という武器で制度の変革を可能にする部分にある」というくだりを必ずしも鵜呑みにできるわけでもないのだけれど、また時折覗き見している「おっとせい氏」の日記の「民主党が好きだとは口が裂けても言わないが、自民党はもっとキライだ。そして中年に達した俺は、政治とはよりましチョイスの連続であると心得ている」とまで言い切れない青臭さがきっとじぶんの中にまだ沈滞しているのだろうけれど。

 小説「蜂起」をアマゾンで調べた後、わたしは手元のメモ用紙にタイトル・出版社・著者名をさらさらっと書き殴って、台所のテーブルでお母さん友だちにぴこぴことメールを打っているYのところへ「こんど図書館へ行ったら、この本があるか見てきて欲しいんだけど」と持っていった。なんと彼女はそれを「ホウキ」と読むことは知っていたらしいが、その意味を知らなかった。

 

 「蜂起」は『平家物語』にもでてくる言葉で、蜂が巣から一時に飛びたつように、大勢の人々が一斉に立ち上がって実力行使の挙にでることを意味する(『広辞苑』)。それゆえ、書店員が間違えたように「ハチオキ」と読んでも、意味は通る。しかし、活字を扱うのが仕事のはずの書店員が読めないほどにも、「蜂起」という言葉は死語になっていたのか。

(投票用紙で武装し、蜂起せよ 森巣博)

 

 まさに、然り。「“蜂起”なんて言葉、使ったことがないよ〜」とYは言うのだ。知らぬ間に、「蜂起」が確実に死に絶えてしまったことを、わたしはもっとも身近なところで思い知らされたのだった。母が駄目なら子に、であれば、この言葉を伝えねばならぬ。

2009.7.24

 

*

 

 

 大阪・天神祭。警察本部と警備本部を往復し、結果、川に飛び込んだもの2名、気分が悪くなって救急車で運ばれた女性2名は、まあ、トラブルが少なかった方か。お昼に用意された弁当を食ったあとは、ほとんど飲まず食わずで無線と電話のやりとりに終始して、花火もほとんど見れなかったが、ひさしぶりに現場の臨場感を満喫して、終わってみれば結構愉しかったかな。京橋まで歩いて、最終電車で帰宅した。

2009.7.25

 

*

 

 以前に申し込みをしていた日本民際交流センター(年1万円でタイの中学生1人を支援する教育里親支援制度)から「申し込み内容確認」の封書が届いた。今後、毎年7月末に事務局への寄付を含む1万2千円が自動払込みされる。申し込み書を送ったのは、もうかれこれ半年前くらいになるんじゃないかと思う。その間、何の音沙汰もないのでYと「届いているのかな」なぞと時折話していたのだが、考えようによっては無駄な経費を極力抑えた結果といえるのかも知れない。同じ頃に資料を取り寄せたワールドビジョンなどはいまだにメールやカラー刷りのパンフレットが届くが、その広告費をこそ支援に使うべきじゃないかと思えたりする。

日本民際交流センター http://www.minsai.org/

 

 沖浦塾の案内が届く。次回、9月11日(金)18時30分〜。「淀川河畔 江口の遊女 大江匡房の遊女記を読む」 詳細は下記↓

沖浦塾 http://www.holonpbi.com/college/regular/okiura.php

 

 午後、家族三人で城ホールにて、東京大空襲をテーマにした人形劇映画「猫は生きている」を見る。そのあと別室にて市の教職員組合主催の「平和祭」----戦時中の市内の遺品、沖縄戦や広島の原爆、南京虐殺などの資料展示を見る。

人形劇映画「猫は生きている」 http://www.cinemawork.co.jp/cwhp/list/neko.htm

 

 図書館にて前掲の森巣博「蜂起」をリクエストする。所定用紙に記入して出すと、窓口の中年女性に「これは、何て読むんでしょうか?」と訊かれる。「ハチオキです」と答えると、「そうですか」と言って検索画面を操作し始める。

2009.7.26

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■日々是ゴム消し Log62  もどる