gomu80
ゴム消し(TOP) ゴムログ BobDylan 木工 Recipe others BBS link mail
□ 日々是ゴム消し Log80

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○ 寝たのか寝てないのか。 さあ、初仕事。京都へ。

○ 元旦はこんどはわが家に集合して、お雑煮やおせちなど。 (雑煮とホタテのバター焼きはつれあい。紅白なますは妹のダンナ。黒豆、伊達巻、栗きんとんは妹。鶏肉、サトイモ、竹の子などの煮物は母) 元江戸っ子のわたしも関西に移住してはや20年弱。お雑煮も白味噌が馴染んできた。

○ 経済、というものを人間の本来の場所に取り戻してやらなければいけないんだろうな。 たとえばアイヌやイヌイットの人々が命となりわいをつないでた場所で行っていた祈りの場のようなところへ。 「人間性を無視した経済学の一人歩きが現在の世界を混乱させている。国富論の重商主義批判はすでに、経済学の未来を予測したものだったが、アダム・スミスはその危機意識において経済を原理的に学として仕上げようとしたのだった。そこには経済学でありながら、経済を超えるものへの視座があった。 この「超えるもの」は、バッハにも、ルソーにも感じる。「超える」というとどうも目線は上にいくけれど、僕には、上下に人を引っ張る力のことのように思える。しかも、人はその力の真ん中の均衡でつりあうものではなく、むしろ偏りの不均衡において「人」となる。偏りの不均衡において「人」であるという定義があれば、その不均衡を前提とした均衡の力学が生まれる。 政治も、経済も、音楽も、そのような力の場を創出するための試みにほかならない。」

2016.1.1

 

*

 

○ 「オバマ氏、追悼式で「赦し」の歌 アフリカ系の苦難思う」 わたしも夕食を食べながら、この記事を読んだ。 けれど素直に感動できなかったな。 アメージング・グレースは奴隷貿易に長年携わった後、牧師になった英国人ジョン・ニュートンという人物が改悛し、罪の償いとゆるしを求め作った歌だとされている。 いじわるな言い方かも知れないが、“そりゃ、あんたは改悛し、神によって救われたんだからいいさ。でも、奴隷として売られ、絶望の中で死んでいった人々の魂はどうなる?” そうだ。 わたしが言いたいのは、アメリカの大統領の手はすでに血にまみれている、ということだ。 世界のあらゆる場所で、この国の落とした爆弾によって、あるいはこの国の協力する兵士によって、何の罪もない男や女やそして子どもたち、赤ん坊ですらが今日この瞬間でさえも殺され続けている。 白人至上主義者によって殺された自国の黒人に心ふるわせながらも、中東で死んでいくパレスチナやアフガニスタンやシリアの子どもたちには目をつぶる。 まともな人間なら、アメリカの大統領なんてできないと思うよ。 おれだったら毎晩、殺された子どもたちの亡霊にさいなまれて気が狂うね。 だから、素直に感動できなかったな。

○ 小学校の頃、お年玉でミクロマンの基地を買ったときの喜びはなかったな。 亀有の駅前にあったおもちゃ屋のショーウィンドに飾られたそのミクロマン基地を、12月くらいから何度も見に行って、長いこと覗き込んでいた。 もうじきこれがじぶんの家にくるのだと思うとわくわくした。 そしてお正月。親類宅などからお年玉をもらう。 でも、おもちゃ屋は3ヶ日は休みだ。 シャッターが閉まっている。 正月明けが待ち遠しい。 そうして3ヶ日が明けると、町中の子どもたちはお年玉を握りしめておもちゃ屋へ駆け込む。 子どもの頃は、そんなだった。 大晦日には亀有駅から自宅へ向かう途中の蕎麦屋が、店の前に長机を出して年越し蕎麦を売っていたのを買った。 お正月の三日間は、前述したように何にもない。 商店街はシャッターが下りて、駅前もひっそりとしている。 まるで廃墟の町のようだ。 でもそれが何だか特別の雰囲気で、いい感じだった。 未来都市が電源を喪失して非常事態宣言が出されたようなわくわくした気分。 みんな欲望にかまけて分を失ってしまったんだな。節度のようなものを。 一年に三日だけ、あらゆる経済活動が停止して(子どもの目から見たら、の話だけど)ひっそりと死んだようだった特別の空間がなくなってしまった。 それで人間はすっかりタガがはずれてしまった。 シャッターが閉まったおもちゃ屋が開店する日をわくわくしながら待つという極上の愉しみをなくしてしまった。 風景がまずしくなった。 人がまずしくなった。 今日は終日、紙袋をたくさんかかえた無数の人々が上り下りするエスカレーターの前に立ち続けながら、そんなことを思った。

2016.1.2

 

*

 

 昼は娘と二人。 近所からもらった乾麺があったので鶏南蛮そばにした。

 ◆取り寄せのみの深山そばを買いました。 http://ameblo.jp/loveroad-power/entry-11842044601.html

 ◆絶品♪鶏南蛮そば http://cookpad.com/recipe/459440

 

 IMAX「スター・ウォーズ」。幸い、気持ち悪くはならなかった。 どうもハリポタのアトラクションがトラウマになってるな。 ストーリーとしてはまたいつの間にやら(どこから?)、ファースト・オーダーとかいうかつての皇帝みたいのが鎮座していて、ハン・ソロの息子も含めて、全体的に二番煎じ的な印象は否めない。 それなりに楽しめましたが。 おばあちゃんになったレイア姫は出てきて欲しくなかったかな〜 勝手な男心としては。

2016.1.4

 

*

 

 初詣はつれあいの実家近くだが、これまで行ったことがなかった加茂神社へ参った。 南へ向かう熊野街道をそれて、塩津の漁港を見下ろす小高い岡のぐるりをうねうねとまわっていく。 自然に溶け込んだ、よい神社だった。 三が日も終えて、境内は人気もない。 境内に明治十一年建立の「招魂の碑」があり、西南戦争へ出征して戦死・病没した兵士の出身の村と氏名が裏に記されていた。文中の「招魂社」とは、靖国神社の前身である。 子がおみくじをひいた。末吉であった。

 和歌山への道すがら、つれあいが、親類宅へ持っていくという「むらさめ」を買うために岸和田SAへ、そして仕事先へ持っていくお菓子を買うために紀ノ川SAへ立ち寄った。 サービス・エリアは好きだな。 ある種、むかしの船着場のような旅情を感じるからだろうか。 屋台を覗き込んだり、地域のみやげ物を眺めたり、食堂のメニューを見たり。 職場のおみやげにつれあいは結局、道成寺の釣鐘饅頭を選んだ。

 ◆岸和田おみやげ委員会 http://www.kishiwada-cci.or.jp/omiyage/html/koyama/

 加茂神社の手前のしらす屋が休日だったため、紀勢本線沿いにあるもうひとつのしらす屋へ立ち寄った。どちらもつれあいの同級生の兄弟の店。しらすの釘煮も買った。 つれあいの実家へ着くとさっそくお昼。地元の漁師さんに頼んでいたカンパチのお刺身と、子の大好きな海老フライ。 つれあいが取り壊される予定の小学校を見に行きたいと云うので二人で出かけた。と、いっても家の前の石段をあがって1分ほどだ。つれあいが通った小学校の校舎はすでに壊されて、更地になっていた。「建物がなくなると、狭いなあ。こんな狭かったんだなあ」とさみしそうにつぶやいた。 それからわたし一人で、夕方まで集落の路地を歩き回った。 むかしの旅館の廃屋。くずれかけた空き家。渡し舟をやっていた家。人がいなくなった集落は、猫が多い。死んだ人がみんな猫になるのか。 かつてあった魚屋や、ガソリン・スタンドや、雑貨屋などが、次々と店を閉めていく。子どもが減って(じっさいに、もうほとんどいない)小学校も壊され、いまでは年寄りばかりだ。子どもたちはみんな出て行ってしまって、主のなくなった家は売ろうにも売れずに、そのまま朽ちていくばかりだ。 万葉の時代から潮待ちの良港として栄えたこの漁村も、50年後にはどうなってしまうだろうか? と言うわたしに義母が、50年も要らないよ、あと10年もしたらもう誰もいなくなるよ、と言って笑った。 夜は定番、加茂郷の「一作」のお寿司。ネタが分厚い。

2016.1.5

 

*

 

○ 夕食後、映画「百日紅」を家族で見た。 ひさしぶりに杉浦日向子ワールドを堪能。 こんなきな臭い現代よりもいっそ、枕絵でも描きながらあの世界にずっといたかったな。 娘はすっかりハマって、わたしの書棚から杉浦日向子の他の漫画を借りていった。(思惑どおり・・)

○ 相変わらず、この国はだれも責任をとらない。 どこかのコメントで一度書いたけれど、大きな範囲で影響を及ぼすような国の政策や決定については、それが明らかに誤りだった場合、数年後数十年後であっても関わった個人(政治家・役人)に、それに見合った負債をとらせるような仕組みをつくった方がいいと思うんだが。 原発再稼動の許可を出した奴なんかは子々孫々でもいいわ。

2016.1.10

 

*

 

○ 大阪ガスの電気料金シミュレーションをやってみた。 1年間の各月電気代を入力して、都市ガスとの2年間セット契約で、現行より年間3300円お得、と。 シミュレーションする前に、関西電力より安いか、同じくらいか、ちょっとだけ高いくらいなら、原発を使わない大阪ガスにするよ、とつれあいに宣言していたので、いまのところ大阪ガスかな、と。 https://services.osakagas.co.jp/portalc/contents-2/pc/electricity/simulation/index.html

○ これは何としても行かねば。 「辺見庸講演会 ・演題:「怒りと絶望はどのように表現するべきか           ―――戦争の時代のたちいふるまいについて」 ・日時:2016年4月3日12時半開場 13時、開演。 ・場所:大阪市立阿倍野区民センター」

○ もともとは鄭玹汀 さんのTLで知ったバンドだが、なかなかいいぞ。 「バルセロナ発多国籍バンド、BGKO(バルセロナ・ジプシー・クレズマー・オーケストラ)。グループ名にあるとおり、ジプシー音楽やクレズマーを核に、セルビア、イタリア、フランス、ギリシャ、スペインなどからなるメンバーの出自」 つまり、クロスロードの魅力だな。 http://elsurrecords.com/2015/11/05/barcelona-gipsy-klezmer-orchestra-balkan-reunion/

○ デビッド・ボウイが死んだ。わたしの友人は銀座で飲んだ帰り、日比谷線の中で泣き続けたらしい。その後、車内からの酔っ払ったFacebookのコメントで「あなたが中3の時ジョンが死んだ時に近い気持ちを抱いてます」「それほどの存在かと思ったら、それほどの存在でした。」と記していたのが印象的だったな。 1980年にジョン・レノンが射殺されたとき、まだわたしの父親は生きていて、学校から帰ってきたわたしに家の仕事場から「ジョン・レノンが殺されたってラジオのニュースが言ってるぞ」と声をかけた。父親はカバン作りの職人で、いつもラジオを聴きながら仕事をしていた。「冗談だろ」と中学生のわたしは答えた。 あのレノンの突然の死と、それからもうひとつの突然の死――――1986年にザ・バンドのリチャード・マニュアルがツアー先で首を吊って死んだ。ロック・ミュージックにおけるこのふたつの死のように永遠の楔を打ち込まれたような感覚は今回、わたしの中には、ない。そういう意味では数年前のジョニー・キャッシュの死の方が、もっと感慨深かった。 でも、なんだろうな。わたしはとくべつにデビッド・ボウイのファンであったこともなく、じっさいにじぶんで買ったアルバムもあんまり持っていない。昔であれば友だちにダビングしてもらったカセット・テープなどで初期の名盤を聴いた。それから主だったかれの音楽(後年のティン・マシーンでの活動なども含めて)は折に触れ、聴いてきたはずだ。それでもとくべつ熱心な聞き手ではなかった。 でも、なんだろうな。デビッド・ボウイが死んだというニュースを聞いて、「へえ、そうか」と一見何気なくひとりごちたあとで、よくよくじぶんのお腹あたりを覗き込んでみたら、いつの間にか、意外と大きい銃創のようなこぶし大の穴が空いていて、その中を風がひゅーひゅーと通り抜けていく。この大きな喪失感のようなものは、なんだろうか、と考えた。 そうして何となく思ったのは、ビートルズはぼくらが聴き始めたときにはすでに解散していた。こういう喩えが適切か分からないけれど、デビッド・ボウイはぼくらにとって、リアルタイムなビートルズのような存在だったのかも知れない、ということだ。ビートルズを知らない人でもイエスタデイやヘルプの曲は知っている。とくべつに熱心な聞き手ではなかったけれど、デビッド・ボウイの音楽はいつもそばにあったんだな。 ぼくらの時代のぼくらの音楽だった。それが永遠に失われてしまった。 さみしいぜ。 https://www.youtube.com/watch?v=9G4jnaznUoQ

○ 今日は昼から整形外科の定期検査で、学校は休んで大阪の病院へ。 朝は昨夜の摘便で取り切れてなかったらしく、お腹が痛いと言って、予定していた家庭教師をキャンセルした。 レントゲンを撮って、先生の診察。手術後の股関節の経過観察。 病院が終わったら天満橋のヴァイオリン工房へ寄って、すっかり弾かなくなった子供サイズを引き取ってもらい、できたら数万だけ上乗せして安い大人サイズに替えてもらえたら、と。娘は趣味程度にたまに弾きたいと言っているので。 この工房で買った時は60万円したけど、もう殆ど二束三文だろうな。

○ いや、驚いた。弦楽器の値段って、そんなものなのか。 子がヴァイオリンを始めたのは幼稚園に入りたての頃だ。入園前に、友だちだった樹が切り倒されて肩身にと、それでヴァイオリンをつくって町を流してあるく猿の絵本を読んで「ヴァイオリンをやりたい」と言い出して、教室の先生の助言で1年待って、始めた。 奈良フィルのO先生について習っていたが、小学4〜5年生の頃に中学受験が忙しくなったりして辞めた。発表会でバルトークや、モーツァルトの魔笛などを演奏したこともあるが、次第に高度になっていく練習が心理的に負担になっていたこともあったと思う。 それからはほんとうにごくたまに、気まぐれで思い出してジブリ曲などを弾くこともあったけれど、やがてベッドの下にしまわれてほとんど登場しなくなり、3/4の子どもサイズでもあるので、もう処分しようかということになった。 ネットなどで調べて、奈良市の天理楽器でヴァイオリンの買い取りもしていると知って、持っていった。ちなみにヴァイオリンは教室の先生の紹介で、天満橋のBATOという工房で購入した。大阪に住む日本人のヴァイオリン職人が制作した中古で、本体が50万円、弓などの付属品を入れて60万円少々であった。おじいちゃん、おばあちゃんらの助成金も多く注ぎ込まれた。 60万円もしたのだ、安くても20万円くらいで取ってくれるだろう、と期待したのが間違いだった。「いま担当者が不在なので」と預けてきた天理楽器が後日に電話で伝えてきた査定額は、買取だけなら1万円、下取りなら2〜3万円でいちばん安いヴァイオリンで現在、中国産の中古なら5万円くらいからなら置いている、という回答であった。子がときどき愉しみで弾きたいという意を表明したので、交換か、数万円くらい足して安物でいいから大人サイズのものに買い替えしても・・・と伝えていた。 ところが今日、大阪の病院へ定期検査へ行くついでにダメもとで持ち込んでみた元々の購入先である天満橋のヴァイオリン工房で事情を説明したところ、ヴァイオリンをちらと見て、「なら八掛けで」50万円相当の大人サイズのヴァイオリンと交換してくれる、というのだった。1万円が、50万円へ!? そうして二台ほど在庫を持ってきてくれて、子にどちらがいいか決めさせてくれ、さらに7万円相当の弓と、2万円のケースをつけて、ぜんぶまとめて50万円に値引きして、追い金は一切なし。ひたすら驚き恐縮するわたしたち三人に、「まあ、これでまた練習を再開して、がんばってこんどはうちのヴァイオリンを買いに来てください」と手渡してくれたのだった。 狐につまれたような心地でヴァイオリンをかかえ、車に戻ったわたしは、急いで車のエンジンをかけた。そして「間違いだったと追いかけてくる前に、早くここを離れよう」とアクセルを踏んだ。 子が選んだヴァイオリンはもうひとつの方よりも、深みがあって、やわらかい音色だった。デザインも細かい部分がちょっと洒落ている。ドイツでつくられたものだそうだ。 夕食後、子は昔の教則本や楽譜を持ち出してきて、いろいろと弾き出した。さいしょはたどたどしかったが、「結構、体が覚えているものだね」と音も若干滑らかになり、好きだったジブリ曲などを愉しそうに弾いている。愉しめるものが増えたことがいい。 ヴァイオリン工房 BATO http://www.k-bato.com/

2016.1.12

 

*

 

 マイナンバーがうだうだと始動。市の広報誌に「手続きのときにマイナンバーの記入や提示が必要となる場合があります」云々とあったので、市役所へ電話してみた。確認内容はマイナンバーの通知を「受取拒否」している状態で、従来の手続きに支障は出るか否か。 ちなみにわが家の主に子ども絡みの行政手続き等は以下。 @ 児童手当 A 特別児童扶養手当 B 身体障害者介護手当 C 日常生活用具給付 D ETC、重量税等の車両に係る減額・免税措置 E 障害者医療(身体障害者手帳の交付を含む) このうち@Aはこども福祉課、BCDは厚生福祉課障害福祉係、Eは保険年金課医療係が、それぞれ担当窓口である。

 まず代表番号へ電話。「臨時的に設置された」マイナンバー担当窓口へつないでくれたが、要点を説明すると「それはこちらでは分からない。各部署へ聞いてください」 「じゃ、いったん受付へ戻してください」と言うと、長いこと待たされた末に「すみません。受付の内線が分からなくて・・」 「じゃ、かけ直すんで、一回切ります」 再度代表番号へ電話して、「各部署に聞けと言われたが、一括で把握している人はいないのか」と問うと、これまた長いこと待たされた末に、市民課のSさんという方が対応してくれたがマイナンバー、始まりはしたもののはっきりしていない部分が多くて正直こちらでも手探り状態。番号カードの給付もまだ10%にも達していないし、じっさいに稼動できるかも分からない。また政権が代われば変わるかもしれないですしね、なぞと言う。そして縦割り行政なんでそれぞれの窓口の上にある県や国の機関がそれぞれ異なることから、実際のところは各部署に訊いてみないと分からない。「各部署から吸い上げて誰かがまとめようという意思はないのか」と訊けば、「そういう部署がないので」と。埒が明かないので個別にかけることにする。

  ◆ こども福祉課。 マイナンバーの記入はお願いするが、確認は住民票の写しでも構わない。Aの特別児童扶養手当は県の手続きなので、今後はどうなるか分からないが、いまのところは「受取拒否」をした状態でも手続きができないということはない。

 ◆ 厚生福祉課障害福祉係。 最初、若い男性が出て、番号記入のお願いはするが、何らかの事情があって書かなくても問題はない。ただし市の窓口では受け取るが、「そこから先はどうなるかは分からない」と言うので、「それはちょっと無責任じゃないのか。住民の出先機関として、もうちょっと国や県に確認を取るとかしないのか」とごねると、別の女性に代わって「番号記入がなくても、(番号を)こちらで確認できるので大丈夫です」と言う。なお「ETC、重量税等の車両に係る減額・免税措置」の手続きについてはいまのところマイナンバーとの絡みは予定がない。

  ◆ 保険年金課医療係。 ほぼ、同じ。「身体障害者手帳の交付・更新時にはマイナンバーを利用した給与確認があるので、記入して頂けない場合は本人の同意を得た上でこちら側で個人番号を調べさせて頂く」 結論としては各部署とも、「番号の記入をお願いするが、書かなくても行政側で対応するので問題ない。今後、マイナンバー自体がどんなふうに使われていくのか、浸透するのか、不透明なところが多々あるが、現状としてはそれぞれの手続きにおいて、番号カード、若しくは番号通知を持たないから手続きができない、手当てを取り消すということはない」ということであった。 ちなみにわたしは職場の方へは、社会保険や扶養の手続きの絡みもあるので、個人番号の記載のある家族分の住民票の写しを経理へ渡すことで了解を得ている。図書館にパートで勤めているつれあいも個人番号を求められたが、事情を云ってこちらも住民票の写しで対応してもらった。 以上、ご参考まで。

◆ 内閣官房HP(本人確認の措置) http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/pdf/kakunin.pdf

◆ 共通番号いらないネット 「年金、福祉、保険給付や税申告などの手続きでは、番号を記載しなくても従来同様の本人確認によって手続きできます。番号法に個人番号の記入を義務づける規定はありません。記載されなかった場合、個人番号を行政内部で調べて記載する扱いになっています。国税関係では、番号記載が義務づけられていますが、記載がない場合でも受理すると国税庁は説明しています。いずれの場合も記載を求められますが、番号を記入したくない思いを伝えることは可能です。」 http://www.bango-iranai.net/library/pdf/201510CampaignBillNo2Mono.pdf

◆ マイナンバー「受け取り拒否」しても問題なし!こんな「政府のための制度」がいらない理由 心配はいらない。マイナンバー制度推進を統括する、内閣官房社会保障改革担当室参事官補佐の浅岡孝充氏が保証する。 「端的に言えば、個人番号カードというのは、本人確認書類に過ぎません。そもそも、持ちたくないという人は作らなくても問題はありません。持っていなくても、行政サービスから除外されるということはありません。従来どおりの手続きをふめば、変わらない生活を送っていただけます」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46119

2015年11月08日(日) 週刊現代 :現代ビジネス http://www.asyura2.com/15/senkyo196/msg/249.html

 

 子の整形外科の検査はとくに異常を認めなかった。 ただし手術をした左足の股関節に比べてこんどは右足の股関節で、寛骨臼(かんこつきゅう)と呼ばれるくぼみ部分への大腿骨頭(まるい部分)のかかりが弱く、場合によっては将来的に股関節脱臼も予想される。若しくはこの寛骨臼と大腿骨頭の間が痛んで、ひどい痛みを発生させる。ただ今後、どうなるのかは分からないので、定期的にレントゲンを撮り、痛みが発生するなどなければこのままでいるしかない。痛みが出た場合は、寛骨臼の部分を補強する手術をする。 子は現在、右足よりも左足の方が2センチ弱ほど短い。これは手術の影響もあるのかも知れないが、K先生は左足の神経の麻痺が影響していると言う。だから現在、補装具をつけている左足の靴を底上げするなどして補正をしているが、市販の靴を履く場合にはその補正が充分でなかったりする。だから後ろから見ていると、左右に蟹歩きのように大きく振れる。 人間の身体というものは精密機器のようだ。子の場合は背中のホンの数本の神経が脂肪に絡まって生まれてきたために、腰から下にかけて神経が正常に働かない部分がある。神経が働かないと筋肉が発達せず、成長に伴って骨まで変形してしまう。それを補正するために、筋肉の場所を入れ替えたり、骨の形を変えたり、あれこれとするのだけど、一度くずれたバランスは小さな穴からダムの水が噴出すようにひろがっていって終わりがない。 小学生の頃までは多少ふらつきながらも、じぶんで歩くことはできた。天王寺動物園もぜんぶまわれたし、谷田丘陵の山道ものぼっていけた。けれど体重が増えて、中学生になる直前に受けた手術や短くはない入院あたりから、とんと脚力が落ちた。かつては一人で通学に使っていた最寄の駅どころか、数分の距離でさえ誰かにつかまっていないと歩けない。だから山道を連れて歩くことはもうできなくなったし、美術館や博物館やショッピングセンターなどへ行くときは必ず車椅子を車に乗っけていく(ちょうどガタがきているときだったので、車椅子が積める車に買い換えた)。 今回、K先生ははじめて電動の車椅子の購入について言及した。いままでは「リハビリで筋力をつけて・・」というのが決まり文句だったが、車椅子と歩きと、ある意味割り切って使い分けることを考える時期がきたように思う。そんな言い方だった。わたしも、そうかも知れない、と思った。 昨年、購入した手漕ぎの車椅子は、K先生いわく運動で鍛えているような男性でないと、長距離をそれだけで移動するのはやはり難しいという。それはそうだろう。これまでの経験でも、自力では厳しい段差や傾斜やがたつきも多いいし、自力で車椅子の車輪を回していてもすぐに手が疲れてしまってわたしやつれあいがほとんど押して歩くことになる。 電動車椅子の購入については障害者医療などの補助である程度は賄えるのだろうが、家での置き場所や、バリアフリー、そして電動車椅子を積める車への買い替えなど、問題はいろいろとある。もちろん、すぐというわけではない。K先生は活動範囲が広がる、大学入学か社会人になる直前くらい、そのあたりの節目の方が障害者医療も理由付けがしやすいから、と言う。 山道を自在に進める電動車椅子があったら、いいなあ。

2016.1.13

 

*

 

 そういえば先日、和歌山へ行ったときに、岸和田だったかのSAで高速道路のパトロール隊のつなぎを着たお兄さんから、こんなものをもらった。 西日本高速道路パトロール関西株式会社の「高速道路上での注意事項」がイラストで描かれたハンカチというか布きれというか。パトロール隊の手旗信号のパターンとか、高速上で事故が起きたときの対処などが描いてある。 まあ、大切な内容なのは分かるんだけど、この布切れ。この色。この薄くてごつごつした布地。使う人、いるか―? 身近に持ってあるくか―? 申し訳ないが、たぶん大抵の人は家に帰ったら、ぽいと捨ててしまうだろうな。 困ったつれあいは、ソファーにお座りしていた犬のジップの首にネッカチーフのように留めてやった。 翌日、わが家にやってきたわたしの妹がさっそく気がついて、「あら、ジップ、かっこいいの着けているじゃない」と言った。ところが娘が「高速道路上での注意事項」が描かれたものだと説明すると、妹はしげしげと見直してから、一言「カッコわる・・」とつぶやいた。 そんなことにお構いなく、ジップは結構、このネッカチーフが気に入っているようだ。 いまも着けている。

 夜は子のリクエストで定番、もやしプレート。今日はもやし・エリンギ・豆腐・豚肉のラインナップで、軽く塩胡椒にお酒を回し入れ、各自でポン酢をかけて食べる。 生姜を効かせた大根・玉葱・豆腐・白葱の味噌汁も併せて。つれあいは今日は遅番。片腕の娘が助手で手伝ってくれる。 昨夜、狭い救護室でエアコンをかけて仮眠したら空気が乾いていたせいか、途端に喉がやられた。 夕食後、いつもの葛根湯を飲んで、念のため早めに布団に入ることにした。つれあいが蜂蜜ミルクを枕元に持ってきてくれた。

2016.1.15

 

*

 

○ 休日。 午前中は、わたしは壊れた通勤用ヘッドホンの修理。 1年前くらいに1万円近くしたんじゃなかったかな。AKGというヨーロッパの定評あるメーカーのもので、わたしとしては金額を張ったつもり。それが先週あたりに断線で片側が聴こえなくなり、一時は諦めたのだけど、世の中には探せばあるのものだ。 おなじタイプのコードを張り替える作業を載せているHPがあって、これを参考に馴れない半田コテやペンチやグルーガンまで引っ張り出してきて、見事、治りました! (途中でコードをぜんぶ外しちゃって、RとLの区別がつかなくなり、急遽amazonで千円のテスターも購入・・) その間、娘は学校の課題の彫刻。 これを期限までに出さないと高校へ上がれないというので、リビングの作業をときどき覗いて、アドバイスというか監視しながら(^^) つれあいは午後まで仕事なので、これから昨夜の鍋の残りでお昼の雑炊をつくる。 オヤイデ電気のオーディオみじんこブログ http://oyaide-blog.blogspot.jp/2011/05/akgk404hpc-26t.html

○ おれも呼び捨てだけどな。政治部、酒井。 と、あんたんとこの新聞はとっくに憲法を語る資格なぞ失くしてるぞ、酒井。 「礼をするのが当たり前ならば、公の場で天皇陛下を「天皇」と呼ばないことも当たり前ではないか。呼び捨てにする感覚は、少なくとも私にはない。志位氏が「厳格な順守」を訴える憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。天皇陛下を尊重しない姿勢は国民をないがしろにすることにつながり、憲法の精神にもとる。」

○ 大日本帝国が公表しない「メルトスルーした核燃料」の予想断面図を在日スイス大使館様よりいただきました。

○ ずっとむかしに、イエスも言っている。 「私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に) 一緒に持っていけるものではない。     私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。      これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと 一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの あなたの道を照らしてくれるものだ。」

○ おとといの買い物で安かったからとりあえず買った鶏胸肉があって、数日前のパスタでつかった生クリームが半分残っていて、「無農薬のレモンをたくさんもらった」とつれあいが言うので、考えて、夕飯は「鶏のレモンクリーム煮込み」なるレシピに挑戦してみた。 大きめのフライパンにニンニクとオリーブオイル。 塩コショウをして小麦粉をまぶした一口大に切った鶏肉を両面焼いていったん取り出し、バターを加えてみじん切りの玉葱、しめじ、ブロッコリーを炒める。 しんなりしたら鶏肉を戻し、水(100cc)とレモン(輪切り2〜3片)を加えて10分ほど煮込む。 最後に生クリーム(50cc)、牛乳(50cc)を加え、塩コショウで味を調え、とろみが出るまで。 試してごらん。めちゃ、旨いよ。 ワンプレートにして、ご飯とからめて食べてもサイコー。

2016.1.17

 

*

 

○ 気をつけろよ。 ふたつの風景の皮膜はとてもとても薄い。 「小田にとって「殺すな」は生身の実感からつかんだ原理だった。20年前の1945年8月、米軍は大阪で大規模な空爆を行った。その地表に、13歳だった小田がいた。 住民たちは逃げまどいながら黒こげになって死んでいった。武器もなく「ただ『殺すな』と必死に叫ぶよりほかにない」人々の死だった。」 「小田の精力的な反戦運動を支えたものは何か。著書「1968」などで知られる歴史社会学者の小熊英二さんは次のように話す。「ビルが立ち並ぶ景色も、ひと皮むけば焼け跡が現れるかもしれない。そんな意識だろう」 戦争体験を基盤にしたその意識は、高度成長以降の日本ではもはや共有されにくいものになった、と小熊さんは見る。だが、異なる基盤から似た意識がいま生まれつつあるかもしれない、とも言う。 「安保法案に反対して国会前デモに集まっている若者たちは、不安定な経済情勢の中で育ち、『今の日常は非常に不安定で、壊れてしまうかもしれない』という不安感を抱いた世代だからです」」

○ 「周回遅れのトップランナー」というのは、これからいろんな分野でどんどん出てくるだろうな。 じぶんがすでにビリなのに、いまだ先頭を走っていると勘違いしている奴らのお笑いショーも、これからたくさん見られそうだ。 「屋久島の人口は1万3000人なので、電気自動車の普及率はほぼ1%。普及率で日本の最先端というだけでなく、その燃料は、100%島の水力が生んだ自然エネルギーでまかなっているのです。こんな場所は、世界でもほとんどありません。」 「ぼくは、屋久島はある意味「周回遅れのトップランナー」だと考えています。周囲はもちろん本人たちも、「自分たちは遅れている」と感じていたのに、中央に依存せず、地元で目の前のことに必死に取り組んでいたら、いつの間にか他ではどこもやっていない先進的なことをやっていたということです。」 貞末 麻哉子 さんのTLコメントから 自然エネルギー100%! 電気事業者ではない「屋久島電工」から見える、電力会社に依存しない暮らしかた https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1092337850784444&set=a.216603845024520.62057.100000247197037&type=3&theater

○ 【ニュース番組中、戦争のことをやると、見事にそこだけ視聴率が落ちる】 そうか、テレビも「じぶんがすでにビリなのに気づかない」哀れな元トップ・ランナーなんだな。 わたしはほとんど見ませんが。 「僕も中東での戦争などのニュースをもっと取り上げたいんですが、そういうのは、視聴者から敬遠されるらしい。テレビ局では、リアルタイムで視聴率をモニターしているんですが、ニュース番組中、戦争のことをやると、見事にそこだけ視聴率が落ちるんですよね…だから特集企画も通りづらいんです」 「テレビの質が落ちているからだろうけど、マトモな視聴者はどんどんテレビから逃げていく。そして残った低俗なものを好む視聴者にあわせ、テレビはどんどん劣化していく。そんなテレビの質のデフレスパイラルがあるんじゃないか、と思います」(志葉 玲さんのTL)

○ 無農薬のレモンをたくさんもらったことは前回、書いた。 FB友のみなさまに教えてもらって、万能調味料の塩レモンをつくろうと思うとつれあいに宣言したところ、「それはいいけど、わたし、レモンパイも好きなんだな」と彼女。「え、レモンパイ?」と娘の顔も期待度満点。 ケーキなんてつくったことないのに、おれにもできるのかと試しにクックパッド様を拝めば、ご開帳。「本格簡単レモンパイ」 なるほど、これならできるかも知れない。 「アーモンド・パウダーって、ある?」 すぐ出てくる。 「ココナッツ・オイルは?」 これもある。 「それから・・」 とつれあいはケーキ用の20cmの型や、ハンドミキサーや、ケーキ教室で使うようなあれこれをシンクの上の方の棚から次々と下ろしてくる。 使ってるの、あまり見たことのないものばかりですが? あるわけね。 ここまで外堀を埋められたら仕方ない。つくりましょう。 今日は装具の直しで、子は午後から大阪の病院へ行って、その足で学校の部活へ向かう。 昼食のお好み焼きを食べて、つれあいと娘がでかけていったあとで、わたしは二階のテレビの部屋で昨夜、見損ねた「真田丸」の二回目を見て、そのまま炬燵で少し昼寝して、それから「本格簡単レモンパイ」の作業を始めた次第で。 ◆本格簡単レモンパイ レシピ (クックパッド) http://cookpad.com/recipe/3616654 いちばん下の生地になる「クラスト」。ココナッツ・オイルを固形化したまま入れてしまってから気がついて、湯煎して何とかしのいだ。 次の「レモンクリーム」。レモンは半分に切って搾り器で。そのあと皮もすりおろすわけだが、これが結構大変で、皮が小さくなってくる後半は持ちにくくなる。粒があってもおもしろいだろ、と最後は包丁でこまかく切って投入した。バターと卵黄を入れたら、何だかお正月の栗きんとんのようになったが、これでちゃんとレモンパイになるのかね、ホントに。 最後の「メレンゲ」は、ハンドミキサーで快適に。お、こりゃ、モルタルを練るより楽だね。 すでにオーブンで焼いておいた「クラスト」の上に、「レモンクリーム」を乗せて均等に伸ばし、さらに充分に泡立てた「メレンゲ」をならした。 レシピにあったメレンゲを「スプーン等でツンツン角立たせ」というのは最初、ならなくて困ったが、乗せてしばらくしたら硬くなってきたのかツンツンできました。 さあ、これでオーブン180度で10分。 ・ ・・ところが、出てきた「本格簡単レモンパイ」は写真のように膨らんでいない。ぺったんこのままだ。見た目もあまりよろしくない。 それでもつれあいも娘も、おいしいおいしいと絶賛してくれた。 ケーキは最後に膨らまないという罠がけっこう多いらしい。 考えられるとしたら、鍋の中での「レモンクリーム」の練り方が足りなかったか。オーブンの余熱が充分でなかったか。それと白砂糖でなくていつも使っているオリゴ糖だったのも影響あるかも。ああ、そういや、もしかしたら「クラスト」に水溶きした片栗粉入れるのも忘れてたかも。 そんなわけで、舞台は次なるリベンジに。 もちろん当初の塩レモンも、百均へ買いに行ったガラス瓶を煮沸消毒して、ちゃんとつくった。 http://m3q.jp/t/2152

○ 昨年8月末に行った国会デモの翌日にひとり訪ねた靖国神社で考えたもろもろのことをいつか書きたいとずっと考えているのだが、案外、こんなところに手探りのヒントのようなものが隠されているのかも知れない。 「過去と未来を「認める」とはなにか、それが無数の個の「文体」を演じることです。そのことで、僕らは「主体」を回復する。「n個の私」とでもいえばいいでしょうか。」 いつも多くの“気づき”をくれる塩崎 春彦さんのTLより。 「あなたは幻想のステージ上で、「七十年前、私はピエロだった」とさまざまな役割において、エクリチュールを演じる。他者への架橋とはそういうことだ。 さて、そのとき、現在という時間において、共時的に、同時代的に、垂直に起立するエクリチュールというものを想像してみる。だが、すでにそのとき僕らは、孤独だ。役者の孤独とは、「今」を演じることだけはできないということ。過去や未来にむけて他者であることはできても、「今」という発語の時間においては、否応なく「私」であるほかはない。」 「ひとりの政治家が過去を抹殺し、未来を拒絶している。この男には、他者がない。彼は自分の祖父として、父として、ただの一度も「ピエロ」を演じたことがない。彼は誰の役も主体的に演じたことはない。三文役者のように、台詞を言わされているだけだ。演出家がだれであるか、僕は知らないが。 安倍という現象のグロテスクさはそこにある。彼に政治的に共感しようと、反発しようと、そのグロテスクさはこの時代の病となっている。主張を異にする党派が、それぞれに勝手なことを言い合っているさまは、僕には「安倍」という現象の共同創出のようにみえる。」(塩崎 春彦さんのTL)

○ Merle Haggard は日本ではあまり知られてないのかも知れないが、わたしのフェイバリットの一人だ。かれの歌はぼくらのこころに確実にヒットする。それも、思いがけない深いところへ。 Merle Haggard をはじめて知ったのは、大好きなマンドリン少女のSierra Hull がライブでかれの愛すべき小品 That's The Way Love Goes をやっているのを聴いてからだ。それはとても単純なコードなのだが、定石であれば転調があるところをその曲はそのままおなじコードですっと流れる。それが不思議に素朴な情緒を醸し出していた。触れたら崩れてしまいそうな、危うい情緒を。これはだれの曲だろうかと思ったら、それがMerle Haggardだった。 詳しいことは知らない。かれはアメリカでは労働者階級の歌い手と呼ばれているらしい。無骨な工場勤めでもしていたような手、肉体労働者のがっちりした肩の筋肉、くたびれた野球帽をかぶってステージに立っている姿はスターから程遠い。 好きなかれの曲はたくさんあるが、なかでもこの曲はいちばんこころに近しい。かつてDylan が Don't Think Twice, It's All Right で歌ったように、Merle Haggard もまたのっぴきならない場所から一歩を歩み出そうとしている。じぶんを救い出そうとしている。そのために行かなくてはならない場所があるのだ。 Looking for a place to fall apart Trying to find a place that I can leave my heart I need to be somewhere hidin' when I feel the teardrops start Lookin' for a place to fall apart fall apart は辞書を引くと「ばらばらに壊れる・崩壊する・だめになる・くじける」などとある。人には、そんな場所へひとりで降りて行きたいときがある。

2016.1.18

 

*

 

 PCの電源を落とし、早めに布団にもぐりこんで、江戸時代の見世物についての本などをめくる。至福の時間なのだが、じきに眠くなってしまう。 ✳写真は馬の尻からもぐって口から出る「馬腹術」の図。

2016.1.19

 

*

 

○ さあ、いよいよ空気が薄くなってきたぞ。 薄い空気を吸って、ロックを吐き出すんだ。 「俺はまるで共産党員みたいだな。 普通にロックをやってきただけなんだけど。 一体この国は何なんだ。 俺が生まれて育ったこの国のことだよ。」

○ 冷笑されながら、かっこ悪く、ぶつぶつなら、お手の物だ ずっとそうだったからね。 「いまの局面をなぞらえるとしたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか? 南京大虐殺が起きた37年前後のことを調べて、つくづく思いました。人はこうもいとも簡単に考えを変えるのか、こうもいとも簡単に動員されるのか、こうもいとも簡単に戦争は起こるのか――と。現時点で、もう37年と同じような状況に入っているのかもしれません」 「そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(大勢順応主義)の傾向はますます、きつくなっている。だから場違いなことを試みるってことこそ大事なんじゃないかな。衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気って言うんでしょうか。勇気なんて、あんまり好きな言葉じゃないけどね。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」(樋口徹さんのTL)

○ ◆今野 晴貴 「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 」(文春新書) 「年功序列」で「終身雇用」の代わりに「絶対服従」がかつての日本の「古き良き?」雇用の形だとしたら、前項を取っ払って「絶対服従」だけ残った「利益のためならなりふり構わぬ」タイプが、いわゆる現代の「ブラック企業」 「ある有名な人事コンサルタントの話はとても印象深かった。採用面接で「環境問題への会社の配慮」や「ワークライフバランスへの取り組み」について質問した学生については、全員不採用としたことがある、というのだ。彼いわく「学生には勘違いをしてもらっては困る。お前たちが企業を選ぶのではない。お前たちが企業でどれだけ利益を出せるか。それが重要なのだ」と。こうした目線に晒されつづけることで、企業を通じた社会貢献の志や、労働条件についてなど「何も言えない、言うべきではない」という思考を身に付けさせられていく。」 豊富な新卒を囲い込み、洗脳し、ふるいにかけ、従順なロボットだけを残し、残りはうつ病に追い込んで、自己都合退職へ追いやる。あるいは長期にわたる就職活動の末に大手企業をはじかれた人材は、自己否定の連続でますます中小のブラック企業へ吸い込まれ、あるいは一時的な大学院への避難は奨学金という借金を膨らますだけ。そこへ行政の「就職支援」という名のカウンセリングやトライアル雇用といった補完機能がさらにかれらを追い詰めていく。そして予備軍たる中高生たちには「インターンシップ」「キャリア教育」といった名でブラック化への心構えを植え付ける。 「ブラック企業」って、たんなるアリさんマークだとか、有名な牛丼店や居酒屋だけのことじゃなくて、かつての雇用の形が崩れ去ってしまったいま、「すべての企業がそうなる可能性をもっている」 この国の土壌が生んだ鬼子なわけだな。 そうして見えてくるのは、多くの人が人間らしい生活を営めず、低賃金で、長時間、強圧的な職場で奴隷のようにこき使われながら、未来を描けない不安定な働き方を強いられている、現在の日本の姿だということだ。企業が、国が、資本が、それを望んでいる。 まあ、わたしは大学もリクルートもすべて脱落してきたから、いわゆるコンベアで運ばれていくようなコース上のこれらの苦痛は全然関わりもなかったけれど、じぶんの娘にはこのまま進ませたくは、ないな。 「民主主義国家にあっては、何が正しく、何が権利であるのかは、すべて戦略的に主張し、争うことを通じて実現する」と著者は最後に記す。だから、そうした市民社会の争いが積み重なる中で、新しい雇用の制度も生まれてくる、と。 抗うことだ。 レノンもゲバラもフランチェスコも、すべてNOから始まった。 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/19179

○ この本は、ぜひ読みたいな。 人の心の奥深さを人の数だけ感じられるだろうから。 金菱清ゼミナール編『呼び覚まされる霊性の震災学──3・11生と死のはざまで』新曜社 1月31日 発売予定 http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/info/top/160108-2.html amazon http://www.amazon.co.jp/%E9%9C%8A%E6%80%A7%E3%81%AE%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%AD%A6-%E9%87%91%E8%8F%B1-%E6%B8%85/dp/4788514575 (中平 和伸さんのTLよりコメントごと)

 柳田国男の遠野物語には、妻を津波で失った男の話しがある。現代の遠野物語はどんな形になるのだろうかと思っていた。

『遠野物語』99話  土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大津波に遭ひて妻と子とを失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。  夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひたる。  男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。 https://www.facebook.com/nkhrkznb/posts/792823850822627?pnref=story

2016.1.21

 

*

 

 中学生のぼくがはじめて買った洋楽のLPレコードが、きみたちの「The Long Run」だったよ。 さよなら、グレン・フライ。

2016.1.23

 

*

 

 午後から帝塚山大学にて娘の英語検定。 終了までつれあいと生駒の近鉄百貨店をぶらぶらとしていて、イランの玄関マットが気に入って購入。8千円。

 30〜40年にいちどの大寒波ということだったが、いまのところ奈良盆地北部に位置するわが家は雪もなく、水道管の凍結もない。 FB友だちの鄭玹汀さんが「東アジア全体が凍っているようです」とTLで書いていたのが良かったな。 ぼくたちはこれから、そういう視点をもういちど育んでいかなくてはいけないと思う。 東アジアの日本列島の北関東地域にかつて住んでいたわたしの母親の知り合いが、雪道を車で走っていてすべって道下へ横転、たまたま車内にあった工具で開かなくなった窓を破って脱出した直後に、車が爆発・炎上したということがあったそうだ。 「大寒波」と聞いて、母はその話を思い出したらしく、ホームセンターで「ライフハンマー」なるものを買ってきて、車に積んでおくように、とわが家に置いていった。 窓ガラスを割るためのハンマー部と、シートベルトを切るカッター部分がある。 これの取り扱い説明が見事に分かりにくくて、固定するネジ自体に六角をはめて回す仕様になっているのがメーカーサイトの動画を見てやっと判明した。 別売りの固定器具の紹介には大部を割いて、基本的な説明を欠いているんだよな。 運転者が死亡したことも考えて運転席の足元、助手席よりに取り付けてみた。ここならふだんも邪魔にならない。 朝食の席でさっそく機能、取り付け位置を説明してから「くれぐれも喧嘩などで使わないようにね」といったところ、娘は「お父さんがいちばん危ないだろ」と。

◆ライフハンマープラス http://gm-company.com/product/safety/lifehammer_plus.html

2016.1.25

 

*

 

 文部科学相の大臣がこれだからね。こいつらの低脳ぶりは底知れずだな。 わが家も5年前までは古い県営団地に住んでいた。 わたしの仕事が決まらなかったり、決まっても長続きしなかったりして、ハイツの家賃6万円をもっと節約したくて、当時は車を持っていなかったので、つれあいを250ccの単車のうしろに乗っけて、二人で奈良県内の県営団地を見て回った。奈良市から橿原の方まで、大概の県営団地はまわったんじゃないかな。あれもいまでは愉しい思い出だ。 2年ぐらいして、やっと郡山の県営団地に当選した。当たったはいいのだけれど当時、引越しをするお金すらなくて、千葉に住むいまは亡き伯父に頭を下げて引越し代などを借金した。県営団地は浴槽や風呂釜を入居者が買わなくてはいけなくて、出費を抑えるためにWebで安く購入したものを業者に設置してもらったりもした。家賃は月1万7千円くらい。これは収入に応じて変わるが、たぶんいちばん最低ランクだったんじゃないかな。その後、しばらくして安い小さな車を買ったが、駐車場代5千円は子の身障者手帳で免除された。 たまたまこの県営団地に当選したために偶然、わたしたち家族はこの郡山の地に根を下ろすことになった。娘が市内のカトリックの幼稚園に通うようになり、小学校にあがって友だちも増えたからだ。でも車もなかった頃はつれあいも大変だったな。田圃のど真ん中にある団地から、親類の自転車屋でもらった古い電動式のママチャリを漕いで夏でも冬でも、子を後ろに乗せて幼稚園や小学校や、ときには自転車で30分、40分かかるスイミング・スクールやヴァイオリン教室へも連れて行った。途中で自転車がパンクして、小さな子を連れて自転車屋を探して歩き回り泣きそうになったときもあった、と言ってた。 県営団地というのはだいたい地代が安い、ちょっと鄙びた郊外などによく建てられる。郡山の県営団地もむかしはよく川が氾濫して浸水したような土地だったらしい。でも周囲はひろびろとして、4階のわが家のベランダからは遠く矢田丘陵から信貴山、そして二上山の峰々まで見渡せた。すぐ近くに中世より続く稗田の環濠集落があって、そこの売太神社は稗田阿礼を祀り、天宇受賣命(アマノウズメ)に連なるいわば芸能集団のルーツの地でもあった。 ここでいろんな人たちと知り合いになった。子とおなじ幼稚園の関係で在日韓国人のJちゃんの家族とはいちばん親しかったかな。かつては会社を営んで豪邸に住んでいたが事業に失敗して団地に移り住んできた初老のKさんにはとてもお世話になった。一方で隣の部屋のAさんちは父親が働いていないようで、奥さんが近くのコンビニで働いていて、同居している子どもの顔ぶれが何人か入れ替わったりしていた。いろんな人たちがいたけれど、総じてみんな下町のような気安さがあって、庶民的で、暮らしやすかったようの思う。市内に中古の一戸建てを買ってリフォームして住むことになったときも、わたしはじぶんがそんな人並みの戸建ての家に住むことになるとは信じられない気持ちでうきうきしていたのに比べて、つれあいと娘は、ここの団地が離れがたい、引っ越すのがさみしい、などと最後まで言っているくらいだった。 ひとつだけ間違いなく言えるのは、みんな、必死で生きていた、ということだ。それを地域を特定して、「日常生活が混乱している」、「ご飯も食べさせてもらえない」、「風呂にも入れない」などと公の場で公言するのは、どれだけ想像力が貧困なんだろう。そこに生きている人々は、あんたの貧しい想像力よりもっと豊かで、多彩で、真剣に生きている。「混乱している」のは、おまえの頭の方だ。 これが「教育の振興および生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツおよび文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする」(文部科学省設置法3条)この国の行政機関のトップの言葉なんだから、じつにひどいもんだ。 こんなやつはじっさのところ、いらない。不要な屑といっしょだ。

2016.1.25

 

*

 

 昨年、貞末さんに教えていただいたCafe canvas(カフェきゃんばす)ではじめてランチを食べてきた。 ちょっと長いが正式には「社会福祉法人伏見ふれあい福祉会 精神障害者小規模通所授産施設 京都ふれあい工房内」のカフェ、ということになる。 今日の日替わり定食は、チンジャオロース、キャベツの豆板醤漬け、きのこのオイスターソース炒め、雑穀米、サラダ、中華スープ。これで550円。(ドリンク付で730円、ドリンク+ケーキ付で900円) はっきり言って、美味しい。量的には(われわれメタボ予備軍男性には)ちょっと物足りなさもあるが、これが適量なのだと思いながら、帰りのコンビニで菓子パンを買いそうになるのをぐっとこらえて帰社した(^^) 店内はほぼ満席で、わたしのようにランチを食べている単独男性もいれば、ケーキ・セットで会話に興じている奥様グループもいる。 先日のドキュメンタリー映画の主役である祐二くんの写真も何点か、店内に飾ってあった。(先の上映会の折にここで食事をした貞末さんが依頼をして、展示をしてくれることになった。1月29日まで) じつは会社から徒歩10分以内である。近鉄及び京阪の丹波橋駅西側からすぐ。 ポイントカードももらったし、週一くらいで食べに来ようかな。

 ◆きょうと福祉パートナー事業 Cafe canvas(カフェきゃんばす) http://www.kyoshakyo.or.jp/f-partner/cafe-canvas.html

◆京都ふれあい工房(ブログ) http://blog.goo.ne.jp/fureai-fukushikai

◆食べログ http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260601/26014935/

◆「ぼくは写真で世界とつながる〜米田祐二22歳〜」 http://www.motherbird.net/~bokutuna/07-top-press.html

 

 「国境なき医師団」が日本を本格的な「支援対象国」に。って、知ってた? いま読んでいる生田 武志 「ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 」(ちくま新書) ではじめて知ってちょっとびっくり。 もちろん、いわゆる「先進国」では唯一。 もはや無政府状態のソマリアといっしょだね。 下は2004年10月4日の朝日新聞記事

ホームレス移動診療 国境なき医師団が大阪市内・無料で

世界の途上国や紛争地帯で医療活動にあたるNPO法人「国境なき医師団(MSF)日本」(東京都新宿区)が、大阪市内に事務所を構え、ホームレス対象の移動診療を今週中にも始める。ワゴン車を使った無料の活動。大阪府はホームレスが全国で最も多く、健康状態の悪化した人が放置されている現状を改善すべきだと判断した。MSFの先進国での診療所開設は異例といい、日本を本格的な「支援対象国」とする。  MSF日本によると、態勢は、医師、看護師、ソーシャルワーカー、事務担当者が1人ずつの計4人。費用は全額寄付で賄う。大阪市都島区で民家を借りて事務所とし、ワゴン車を「診療所」として保健所に届け出る。医療器具を積み、週2日、公園などに出向いて診療。大阪市や府、医療機関、支援団体などと連携し、ホームレスに事前にビラを配り、場所と時間を知らせる。  医療面のほか、ソーシャルワーカーが住まいの確保や多重債務など、それぞれが抱える問題について相談を受ける。  MSF日本は大阪府内で健康状態や医療の実態について、巡回したり支援団体に話を聞いたりして調べた。野宿で新たに病気になる人だけでなく、高血圧や糖尿病など慢性の病気を抱えている人が医療サービスから切り離され、体調を崩しているケースが多数あることが分かった。  当初は、ホームレスが多い大阪市西成区のあいりん地区周辺での活動を検討。だが、集中している分、行政や支援団体の活動が比較的活発だったため、同地区以外の河川敷や空き地などで孤立する人たちの支援に力点を置く方針を決めた。 実効性ある対策進めよ  MSF日本が、「経済大国」の日本国内で移動診療を始める背景には、既存の医療制度がホームレスに十分機能していない現実がある。  低所得者への主な医療サービスは、生活保護と、社会福祉法に基づく「無料低額診療」だ。  しかし、生活保護は「当座の医療費だけの支給は想定外」(厚生労働省保護課)で、機動性に欠ける。無料低額診療は、医療機関が一定数の患者を無料か低額で診療する見返りに、固定資産税などを減免される仕組み。認められた病院、診療所は02年度で全国256カ所ある。  しかし、診療するかどうかは病院の裁量が大きい。大阪市内のある病院の担当者は「まず生活保護を受けるよう伝える」と明かす。大阪市はホームレスの巡回相談に、昨年度から医師を組み入れている。だが、医師は月に2日程度しか参加できていない。MSF日本のスタッフは「我々は個々のケースに対応するだけで、ホームレスへの医療全体の底上げは無理」と活動の限界を強調する。投じられた一石を重く受け止め、官民が連携して実効性あるホームレス対策を進めるべきだ。

◆NPO法人 釜ヶ崎支援機構 http://www.npokama.org/index.html

2016.1.26

 

*

 

 きょうの昼は伏見の知る人ぞ知る人気うどん店へ。 確か以前に紹介したと思うが、前回はランチ限定の「Wカレーうどん」だった。 これはカレーうどんを食べていくと丼の底からきざみ海苔ととろろを従えたご飯が出てくるという変則メニューだ。 今回は本命の「牛すじカレーうどん」、700円。 唐辛子がぴりりと効いて、冬にはばつぐんだね。 龍馬の寺田屋見学の帰りにでもいかがすか? やまびこ 伏見店 http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260601/26005986/

 あれから死んだグレン・フライのライブ盤を馬鹿のようになんども繰り返して毎日聴いているのだが、このトラディショナル・ナンバーのカバーはいいなあ。沁みるなあ。知らず泣けてくるなあ。 いつも、間に合わない。生きている間に間に合わない。そんなことばかり繰り返してきたような気がする。死んでからでは遅いのに、死んでから気づくことばかりだ。 この演奏がとても好きだよ、グレン。

◆Will Ye Go, Lassie, Go? (Wild Mountain Thyme) http://www.worldfolksong.com/songbook/scotland/lassie-go.html

 

"Wild Mountain Thyme"

Oh the summer time is coming And the trees are sweetly blooming Where the wild mountain thyme Grows around the blooming heather Would you go, lassie, go? And we'll all go together Where the wild mountain thyme Grows around the blooming heather Would you go, lassie, go? And I will build my love a bower And yon pure crystal fountain And around it I will place All the colors of the mountain Would you go, lassie, go? And we'll all go together Where the wild mountain thyme Grows around the blooming heather Would you go, lassie, go? And If my true love's gone I will surely find another And to her I will sing Things that make her know I want her Would you go, lassie, go? And we'll all go together Where the wild mountain thyme Grows around blooming heather Would you go, lassie, go?

 

2016.1.27

 

*

 

○ 娘の注文していた靴が装具屋さんから届いた。 装具を付けた状態で履く特製のシューズで、一部娘の足にあわせて補強・加工をしている。 値段はこれで1万4200円。「装具」ではないので、補助の対象にはならない。 年頃の女の子だから可愛い靴も履きたいだろうにと思うのだが、既製品はいろいろと制約があって、こうした特注品に頼らざるを得ない。 もっと選べるほどのデザインがあったらいいのにな。 今朝は出勤途中、駅前のロータリー近くで市役所の方へ、子のように不自由な姿勢で歩いていく若い女性を見かけた。ときどき見かけるのだが、とても可愛い顔をしていて、いつもにこにこしながら歩いていく。 娘と同じ病気ではないかと、声をかけて話をしたい気持ちに駆られるが、いつも黙って見送るだけだ。

○ 「リンダとそいつが住んでるチェルシーのアパートの前まで行って、外に立っていたこともある。そいつと一緒に居るリンダの“日除けに映ったシルエット”が見えた。そういうことだ。俺は“夜の盗人のように”こっそり佇んでいたよ。 あの時だ。深い喪失感を初めて味わったのは。ただ、ソングライターは裏切られてもその題材で歌を書いて慰めを見出せる。吐き出すことができる。あらゆることが何かに繋がる。断ち切れたままのものなんかない。経験になる。想いになる。要するに、リンダは「Ruby Tuesday」なんだ。」(キース・リチャーズ)

○ 赤坂さんは「異人論序説」から、わたしにとっていつも特別な書き手だ。 読んでいて、泣きたくなってきたよ。 取り戻すべき日本とは、こういうものじゃないのか。イカれた連中の「美しい日本」など、クソ食らえだ。 ほんとうにおれたちはこれでいいのか。このままずるずるといっちまって、ほんとうにいいのかおれたちは。

貞末 麻哉子 /  目良 誠二郎さんのTLよりコメントごと 昨日の『福島民報』「日曜論壇」で尊敬する民俗学者の赤坂憲雄さん(福島県立博物館長)が、<山や川や海を返してほしい>という痛切で根源的な要求を論じています。 「森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに『帰還』して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。」

★赤坂憲雄<山や川や海を返してほしい> (福島民報 1月17日)  福島の外では、もはや誰も関心を示さないが、どうやら森林除染は行われないらしい。環境省が、生活圏から離れ、日常的に人が立ち入らない大部分の森林は除染を行わない方針を示した、という。それでいて、いつ、誰が「安全」だと公的に宣言がなされたのかは知らず、なし崩しに「帰還」が推し進められている。  わたしは民俗学者である。だから、見過ごすことができない。生活圏とはいったい何か。人の暮らしは、居住する家屋から20メートルの範囲内で完結しているのか。もし、そうであるならば、民俗学などという学問は誕生することはなかった。都会ではない、山野河海[さんやかかい]を背にしたムラの暮らしにとって、生活圏とは何か、という問いかけこそが必要だ。  かつて「前の畑と裏のヤマ」という言葉を、仙台近郊で聞いたことがある。平野部の稲作のムラであっても、田んぼのほかに、野菜などを作る畑と、イグネと呼ばれる屋敷林を持たずには暮らしていけなかった。イグネはたんなる防風林ではない。たくさんの樹種が周到に選ばれた。果樹、燃料となる木、小さな竹林、家を建て直すときの材となる樹々[きぎ]などが植えられていた。小さな里山そのものだった。裏のヤマだったのだ。このイグネが除染のために伐採された、という話をくりかえし聞いている。  『会津学』という地域誌の創刊号に掲載された、渡部和さんの「渡部家の歳時記」という長編エッセーを思いだす。奥会津の小さなムラの、小さな家で営まれている食文化の、なんと多彩で豊かであることか。正月に始まり、季節の移ろいのなかに重ねられてゆく年中行事には、それぞれに儀礼食が主婦によって準備される。その食材は家まわりや里山で調達されてきた。  福島の伝統的な食文化は、原発事故によって痛手を蒙[こうむ]っている。それはみな、福島の豊かな山野や川や海などの自然環境から、山の幸や海の幸としてもたらされる食材をもとに、女性たちがそれぞれの味付けで守ってきた、家の文化であり、地域の文化である。  山菜やキノコばかりではない。切り昆布・麩[ふ]・コンニャク・笹巻き・358・凍み豆腐・凍み餅。浜通りの、アンコウのとも和[あ]え・ウニの貝焼き・がにまき・お煮がし・金目の煮もの・べんけい・ほっき貝。中通りの、あんぽ柿・ざくざく煮・はごめきゅうり・霊山ニンジン・イカニンジン。会津の、えご・こづゆ・ニシンの山椒[さんしょう]漬け・みしらず柿。数え上げればきりがない。このなかには、震災後、食材の確保がむずかしいものも含まれているのではないか。  除染のためにイグネが伐採された。森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。(県立博物館長 赤坂 憲雄)

2016.1.28

 

*

 

 偶然、新聞で読んだ林さんの記事が翌日、FBのシェアで流れてきて、これも何かの縁と、厚かましいことながらFB友だちになって頂いた。 若い女性が狩猟免許をとり、みずから鹿を射止め、解体し、食と命を見つめる活動に身を投じることはすばらしい。 昨日読んだ赤坂憲雄氏のイグネの話ともあいまって、この国のささやかな希望のようにも思える。

【(やってみなはれ)狩猟体験から知った命の重さ】

 ■農山村と都市をつなぐNPO運営 林利栄子(はやしりえこ)さん(27)  農山村をめぐるツアーを企画したり、産地直送品の市場を開いたりするNPO法人「いのちの里京都村」(京都市上京区)の事務局長を務める。「でも、部下はいません」  野生のシカ肉を詰めた肉まん「京都もみじ」は、京都村の目玉商品だ。あるとき、イベント会場で販売していると、小学生に「かわいそう。なんでシカを食べるの」と聞かれた。うまく答えられず、「シカから命をもらっているのに、売っている私が何も知らんって恥ずかしい」と自省した。  ログイン前の続き京都市内に生まれ、遊び場も街の中だった。京都村の運営に携わるようになって、増えすぎた野生動物が田畑を荒らし、農山村の人たちが困っていると知った。「なぜ狩猟が必要か」を自分の言葉で伝えたくて、狩猟免許を取ろうと決めた。「何も特技がない自分が事務局長と名乗るのが重荷だった。街で暮らす私でも、狩猟でなら農山村の人たちに恩返しできる」  知り合いのベテラン猟師に教えを請い、一昨年から猟に出ている。自分が撃った弾に倒れたシカをみたときは、涙が止まらなかった。「でも生態系を守るために必要なんです」と、命の重さを受け止める。  狩猟体験を通じて食生活について考える活動も始めた。「いまの世の中、選択肢が増えて何でも買える。だからこそ、自分が食べるものについてきちんと知って選んでほしい」と語る。(伊藤恵里奈)

■略歴  大学卒業後、生命保険会社の営業職に。「でも仲良くなったお客さんに商品を売るのがツラくなって……」。2013年から現職。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=896068483846357&set=a.568916676561541.1073741826.100003296418669&type=3&theater

◆京都から農山村の活性化を目指す—いのちの里京都村 林利栄子・シカナイさん http://ichiba.napoletano-kyoto.com/interview/rieko_hayashi-2

 

 

 部活を終えた娘を迎えにいって、夕飯は三人でラーメン。 先日の安藤さんのTLを見て、いまだマボロシの天理の一徳へ今日こそは行こうと話していたのだが、本降りになってきた雨の中、3台の駐車場はもう満車だろうななどということになって、やっぱりいつもの横手となった。 わたしとつれあいは塩ラーメン、娘は定番の塩バター。それと唐揚げ。 毎年、店主が四国へ行ってつくってくる手製の柚子胡椒をライス(小)に載せて、ラーメンのスープをかけて食べる〆めしも旨い。 次こそは一徳へ・・・

◆麺屋 横手 http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29006788/

◆麺屋 一徳 http://tabelog.com/nara/A2904/A290401/29001646/

2016.1.29

 

*

 

 最近、届いた二冊の本を紹介。

 @「鹿よ おれの兄弟よ」(神沢利子作・G・D・パヴリーシン絵) http://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/4-8340-0632-8.html

Arihito OsamiさんのTLで教えてもらった。もともとは別の本の紹介であったが絵に惹かれて、おなじ画家の本をたどっていてこれを見つけた。何やら、先にFB友だちになってもらった女性狩猟家の林さんにもぴったりではないか。タイトルからしてもう分かる。わたしも、そして娘も大好きな内容だ。そして、絵がすごくいいんだよな。樹が草が水が、いのちをもっている。ハバロフスクの市会議場の正面玄関に飾られているという12平方メートルのモザイク画「北方のジャングル」を見に行きたくなってくる。

A「時計仕掛けのりんご」(手塚治虫)

謎の歌詠み勺 禰子さんがTLで「中古本を注文」と書いていたのを見て、なぜかついふらふらと追随してしまった。届いた荷物のまま先に娘に「読むか?」と渡して、30分ほどで「面白かったよ〜 最後の“最上”がいちばん好き」と返ってきたのだが、よくよく読んだら、いきなり若い女性を次々と殺して屍姦する孤独な男の話が出てくるし、娘が気に入ったという「最上殿始末」も無理やり殿の影武者に手篭めにされた姫が復讐のために自ら梅毒持ちのライ者に抱かれて男に感染させて死後に復讐を遂げるという話で、お父さんはちょっと慌てたね。もっとも娘いわく、「お父さん、あたしはね、小学校3年生のときにサロメの映画を見せられたんだよ、あなたに」って、そうそうケン・ラッセルのあれね。あれはぞくぞくする倒錯映画だったね。

2016.1.30

 

*

 

 今日は大阪城のふもとで夕方まで立ち仕事だった。あっという間に終わったのだけれど、それなりに寒くて身体にこたえていたのか結構、疲れがきているようだったので、夕食後に近所の銭湯へ行ってきた。たまに大きなお風呂に入りたくなる。420円のささやかな贅沢だ。 古くからの城下町の商店街のとば口にあるこの銭湯は、小さいながら露天風呂があるのがいい。夜9時くらいに行って、さいしょはそこそこ賑わっていたのが、やがて人もまばらになった。身体を洗い、誰もいない露天風呂でかつて山で入った温泉などを思い出し(とくに福島の安達太良山の山上の宿の風呂から見下ろした地上の灯り)、それからサウナで汗を流しながらひとり口ずさんでいたのはThe Pogues の DIRTY OLD TOWN だ。 https://www.youtube.com/watch?v=s11BuatTuXk

 この銭湯でときどき見かけるのだが、いつもいちばん奥の電気風呂(わたしが唯一苦手な風呂)のなかに風呂桶をさかさに沈めてそこに座り、もうひとつの両手で抱えた風呂桶の中にすっぽりとはまった本を声を出しながらひとり読んでいる青年がいる。それがどうも英語のテキストらしいのだ。歳は20歳後半か30前後だろうか、身体つきはがっちりしている。もしかしたら渡辺謙のようにニューヨークのミュージカルの主役をはっている謎の日本人役者なのかも知れない。その方が面白いのでそう思うことにする。 前回は露天風呂で若い舎弟を連れた全身刺青だらけの老人から声をかけられて、その老人が新宿にいた頃の昔話をしばらく聞かせられたのだった。 明日の休日は夕飯に餃子をつくろうと思って、帰りに深夜営業のスーパーで鶏のひき肉や白菜などを買って帰った。

2016.1.31

 

*

 

 生田 武志さんの「ルポ 最底辺―不安定就労と野宿」 (ちくま新書)は、たしか大河内 次雄さんのTLで教えて頂いた(「釜ヶ崎から」はこれに加筆して文庫化されたもの)。 学生時代の釜ヶ崎(西成あいりん地区)におけるボランティアから、ついに実際の日雇い労働、ドヤ住まいまでを長年、まさに身を持って経験してきた内容は詳細で、説得力がある。素晴らしいレポート。 いうまでもなく日雇い労働者が集まる釜ヶ崎は、この国の象徴的な縮図である。そしてその釜ヶ崎でホームレスになるということは、市場(労働現場)・国家(行政)・家族というセーフティネットから、すべてころげ落ちてしまったということになる。たとえば野宿者が「よく言われるセリフ」というのを、著者は上げている。 「公園や路上などの、みんなで使う場所にいるのは迷惑だ」 「家(実家)に帰ればいいんじゃないか」 「福祉とか、困った人が相談に行くとこがあるのではないか」 「仕事をしようともしない。働けばよい」 「努力が足りなかったのではないか。貯金でもしていればよかったのではないか」 これらがどれも必ずしも適当でないことは、本書を読んで欲しいが、最後に著者は次のように言う。 「一言でいえば、これらの「野宿者がよく言われるセリフ」は、「市場」「国家」「家族」は充分に機能しており、野宿者を生むような事態はわれわれの社会には存在しないはずだという「信念」を語っていると考えられる。「市場の失敗」「国家の失敗」「家族の失敗」などというものは存在しない、あるのは「個人の失敗」だけだということだ。この種の「信念」が、野宿者への強い偏見と差別を生み出している」 ときどき新聞やニュースなどに載る野宿者への襲撃は、10代の少年少女が圧倒的に多いという事実は極めて象徴的であり、暗示的だ。 話は逸れるが、わたしはこの視点は子どもたちの「不登校」にも当てはまると思う。「教育制度の失敗」「学校現場の失敗」「教師の失敗」などは存在せず、ただ「個人の失敗」だけがある、と。(だからこそいじめや不登校にあって、「家族の失敗」だけは避けなければいけない) つまり、こうした社会的弱者がどのような場所にいるのかというのは、その社会の成熟度を測る物差しではないか、とわたしは思う。そういう意味では、この国はもはや物差しすらも放り投げているのかも知れない。 「日雇い労働者がリハーサルをし、フリーター層が本番をする」という著者の指摘は、この国の未来を占う鮮やかな通告である。 かつてこの国がバブルに浮かれていた時代には便利な調整弁として重宝された釜ヶ崎の日雇い労働者たちは、バブルがはじけると共にまっさきに切り捨てられ、その多くが野宿者として路上へ放り出された。「日雇い労働」がカタカナの「派遣会社」に名前を変え、「ドヤ(木賃宿)」が「ネットカフェ」や「レストハウス」に姿を変え、全国で400万人いるというフリーターを支えている。もちろんやがて年齢を重ね、病気や事故で働けなくなれば「派遣会社」や「ネットカフェ」から自動的にころげ落ち、かれらもまた野宿者となるのだ。 これまで釜ヶ崎で起きてきたことが全国へ波及し、やがて、日本全体が「釜ヶ崎化」していく。 釜ヶ崎暴動の全国版がいまから待ち遠しい。そのときはわたしもどこかで投石するよ。パレスチナの子どもたちのように、この国への憎しみをこめて。

 ◆生田武志さんのサイト http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/lastdate.htm

◆NPO法人 釜ヶ崎支援機構 http://www.npokama.org/

◆たまたま本書の前に読んだ今野 晴貴「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」 (文春新書) も併読すると、この国の断片がさらに見えてくる。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81%99%E5%A6%96%E6%80%AA-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BB%8A%E9%87%8E%E6%99%B4%E8%B2%B4-ebook/dp/B00B45DLNI

 

  今夜は餃子。 わが家の餃子は鶏むね肉のミンチを使う。これにニンニクと生姜のすりおろし、醤油、オリーブ油と胡麻油、ネギしょうが水、味噌少々、塩胡椒を加えてよく練り、さらに重石を載せて水気を切った木綿豆腐、片栗粉、そして塩揉みして水気を絞った白菜を混ぜる。もう数年も前にこのレシピに固定されてからは不変だ。 焼くときもオリーブ油。水を入れて蓋をして、最後、水分が泡立ってきた頃に胡麻油を少々混ぜてやる。いつもたいてい50枚入りの皮を買ってくるので、50個つくって、具もちょうどよく使い切る。 なぜかうちはひだをつくらずに、そのままぺたっと張りつけるスタイル。さいしょにつれあいが餃子を包んだときにそうしていたので、ああ、この人はこういう形が好きなのかなと思ってわたしも真似てきたら、それが定番になった。今日はじめてその理由を訊いたら、たんに「ひだの作り方が分からなかったから」というだけだったらしい。 餃子のたれやラー油は使わずに、醤油にお酢を混ぜてつける。全体にさっぱりした味わいで、王将の餃子は味が濃く油っぽくて嫌いという娘も、おいしいおいしいと食べてくれる。 今日は具材がちょっと残りそうだったので、玉葱とエノキに、具材を片栗粉で固めた団子を入れた中華スープもつくった。味付けはウェイパー(現在は「創味シャンタンDX」)とナンプラー少々と塩胡椒であっさり目に。

2016.2.1

 

*

 

○ 昼は二度目のCafe canvas(カフェきゃんばす) 本日のメイン・ディッシュは豆腐グラタン。なるほど、豆腐にチーズも合うかも。 相変わらず量的にはやや厳しいが、これも美味しい試練だと思って、また来よう。 今日は給仕・レジをしてくれた男性2名がちょっとたどたどしく、何らかのハンディを抱えているのかなという感じだった。その2名をいつものおばちゃんたちがうまくバックアップしている様子。 何となく落ち着ける雰囲気で、今日はプラス180円でホット・コーヒーも追加して、のんびりとFBなどめくったのだった。 京都・伏見に来られるときはぜひランチでも。 http://www.kyoshakyo.or.jp/f-partner/cafe-canvas.html

○ もうほんとうに、こんな茶番はやめないか。 わたしたちはすでに、じぶんたちの子どもを殺す戦争を始めている。

○ 「日本が法律を守るというのなら、およそ1万4000平方キロメートルに及ぶ場所を放射線管理区域にしなければいけないほどに汚れていると、日本国政府自身が地図に示しているのです。 しかし日本国政府は原子力緊急事態宣言を出して、「今は緊急事態だから法律を守らなくてもいい」ということにして、人々をこの汚染地に捨ててしまったのです。」

2016.2.2

 

*

 

 大阪で打ち合わせ。昼は大阪駅前第三ビル地下の王将の日替わり(皿うどん、餃子、ライス、スープ)。これで630円は安過ぎだろ。久しぶりに来たら、店員がだいぶ入れ代わっていた。 昭和を感じるこの大阪駅前ビルの地下街は大好きだな。

 梅田の地下街を歩いていて、大丸の入口付近で見かけたバレンタインのパフェ型チョコレート。思わず娘とつれあいへの手土産に買ってしまった。(結構、高かった) 帰ってきたら、義母よりモロゾフのチョコレートが届いていて、こちらもゴーカ。娘はチョコに囲まれて大満足。 しかし、バレンタインって・・・ ?

 

 塩崎 春彦さんのTLよりコメントごと。 9.11について記したわたしの拙いむかしの文章に、いつの間にこんなものを書いて頂いていてびっくり。 夕飯の席でつれあいと娘に読み聞かせして、「14年目ではじめて、ほんとうに理解してくれた人に出会った」と(^^)

  會田陽介さんの優れて反状況的な論考。9・11のあの瞬間に「快」を覚えた自分の「傷」をまっすぐに掘り下げようという意志なしにはこのようなものは書けない。「快」を感じる一瞬のひるみに自らの言葉を「あってはならないこと」として表出してしまうシステム的な反応の貧しさは、ほんとうはツインタワーに爆死したテロリストたちとほぼ同じ地平に立つ者の反応である。システムが求めるものを無意識に選んで発語することを「状況的」と言っていいなら、表現の核を自分の身体にまで掘り下げながら、たとえそれが「政治的に正しくない」ものであっても、ひるまずに言語化していく「反状況」的姿勢は、きわめて倫理的なものだ。 政治よりも倫理をとることができれば、テロリストはあくまで幻想のテロ行為、すなわち表現者の方位を目指したであろう。おなじように、政治よりも倫理をとることができれば、テレビの前で、このシーンを見た者は、自分の中で起きたできごとを沈黙で持ちこたえる方位を目指すことになる。だが、いったいこのシーンを目撃した人間たちのどのくらいの者が、その「沈黙」に耐えられたであろうか。 「政治的に正しい」言葉が支配する世界で、これに便乗する多くの言葉がある。一方で「政治的に正しくない」言葉がこれを嘲笑する世界がある。だが、これら「便乗する」言葉と言葉とのあいだで、かぎりなく失われていく身体がある。「快」とはそのことだった、と會田さんは書いているわけだ。會田さんもまた、そのとき沈黙に耐えきれず、「快哉」をとある場所で叫んだそうだ。当然のように彼を取り囲んだ非難の言葉。そのとき非難されて気持ちよかったかもしれない。そうであれば、十分會田さんも「テロリスト」である。 重要な事は會田さんがその後、この自らの沈黙のほころびを忘れなかったことだ。そして「快」の身体性そのものを言葉の出発点に置いたことだ。「快」は一過性であるけれど、その反応そのものを生み出す身体は普遍である。いずれも一種の「関数」なので、実体はない。つまり実体のないのに普遍領域というものがありうるという信を彼は持ちこたえたという意味になる。 これは辺見庸がここで語っているとおり、「表現者」の理路である。それが政治的でなくても、ほんとうは、その「反状況」的姿勢において、これは十分政治的な意味をもってしまう。 https://www.facebook.com/haruhiko.shiozaki

2016.2.4

 

*

 

 朝から子を学校へ送っていった。 いつものことだけれど、いつもとちょっと違うのは、今日は学校へ入るのに予めもらっていた許可証を車に掲示しなければならず、校門付近に先生や、白いジャンパーに身を包んだ塾の教師たちが大勢、立っている事だ。 今日は高校の入学試験である。 中高一貫校なので、そのままスライドできるわけだが、試験は要る。子の場合は授業をほとんど受けていないわけだが、とりあえず試験を受ければ進学できると「内定」を頂いている。父もそんな微妙な時期なので、このごろは学校へのクレームなどは極力控えて、とても大人しくしている。 文化祭のイベントや、あるいは学年集会の末席参加などはちょこっといっしょになったものの、これまでほとんどを保健室や図書室での自習で過ごしてきたから、教室という空間でクラスのみんなといっしょになったことはほとんどない。この教室というのが鬼門なのだ。そこへ入っていくことが、もの凄い心理的な負担らしい。ましてや朝から夕方までみっちり、というのは2年以上の間、なかったのではないか。 加えて今回は、そのクラスで唯一の友だちといっていい、おなじ演劇部で仲良しのHちゃんが先月からニュージーランドへ英語学習のための長期ホームステイへ行っているので不在だ。また直前になって「頭が痛い」とか「行きたくない」とか言い出すのではないか、どうなることかと危惧したが、それなりにぎりぎりの時間に起きてきて、朝食を済まし、制服に着替えて、車に乗り込んだ。 学校へ着くと、たまたま担任のM先生と出くわして、M先生といっしょにいつもとは違う入口から入っていった。ここまでは、頑張った。あとは野となれ山となれ、だ。 たぶんへろへろになって帰ってくるだろうから、夕食はなんでも好きなものを食べさせてやろう、とつれあいと話した。お鮨が食べたいと言えば回転寿司屋へ行くし、家で大好きなチキンのステーキが食べたいと言えばわたしがつくる。 そして明日の日曜は、かねてから競馬場で馬が走るのを見たいと行っていたので、京都の競馬場へ一日、親娘で遊ぶことにしている。

 

 数日前のこと、現場の契約社員で働いてくれているMさんが用事で会社に来ることがあって、最近お気に入りのキャンバスでのお昼を誘ったのだった。 Mさんはわたしのつれあいと同世代くらいかな。長年、小学校の先生をされてきて、旦那さんも非常勤の先生だったらしい。一見大人しそうに見えるが、面接のときに「(自宅は)わたしの稼ぎだけで現金で買いました」とキッパリと言うような芯の強い女性である。 食事をしながら、Mさんの娘さんの就職が決まったという話を聞いた。国家試験に合格して、もともと空港で働きたいという希望があったので、いくつか官庁めぐりをした末に、春から関西空港で出入管理の仕事をすることになった。いまは茨城でそのための新人研修を受けている最中、という。 そのMさんの娘さんも、高校で不登校になってしまったそうだ。中学は荒れている学校だったのだが、通うことになった公立の高校はちょっとした進学校で、それが逆に合わなかったらしい。高校一年のときにもうこれ以上単位を落とせないという状況になって、Mさんはずっと学校までいっしょに電車で娘を送り届けていたのがしんどくなって、学校の近くにウィークリー・マンションを借りて、そこで母娘で暮らし、そこから高校へ毎日送り届けて、何とか三年間を切り抜けたそうだ。 そして高校卒業後に一浪をして、国家試験の高校生枠を受験した。国家試験対策の塾の他に、英語が苦手だったので一年間、全日制のECCに通わせた。年間の授業料はおよそ100万円。けれど、このECCがよかった、とMさんは言うのだ。年代や職種を超えた人たちとの交流が芽生えて、それが娘さんを徐々に変えていったらしい。もちろん、苦手だった英語もぺらぺらになった。 そんな話を聞きながら、キャンバスの美味しくヘルシーな日替わり定食を二人で食べた。こういう話を訊くと、いまの学校というものに欠けているものが見えてくる。 「学校は戻るに値する価値があるのか?」 もはや誰も相手にしてくれないこの問いを、わたしはいまだにずっと問い続けている。でもいまのところ、「(価値は)あんまりないかもね」。

 

 休日の春昼後刻。 塩崎さんのTLで教えてもらって、船便でアメリカより取り寄せたCDが届いた。 https://www.facebook.com/haruhiko.shiozaki/posts/546626865513306

 この世とあの世の光のあわいで響いているような音楽。

 ◆バッハ;無伴奏チェロ組曲 Anne Gastinel http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000YQ8B2E/ref=oh_aui_detailpage_o09_s00?ie=UTF8&psc=1

2016.2.6

 

*

 

 決定。 わたし。 購入額、およそ2000円ほど。獲得額、0円。 娘。 購入額、1200円。獲得額、2370円。 完敗、です。

  生涯、はじめての競馬場体験。 着いて当初は、鉛筆をもらえる場所を探し回ったり、出走表の見方やマークシートの書き方がうろ覚えだったりで、かなりばたばた。そのうちに何となく、素人ながらやり方やリズムがつかめてきた。 はじめは馬見せのパドックで馬を眺めてから、馬場へ移動と思っていたのだが、締め切りまでがあんまり余裕がなく、娘の足では毎回の往復はちょっときつかったので、馬場のゴールに近い正面の客席・最前面に陣取って、巨大スクリーンでパドックの様子も眺め、わたし一人が奥へ馬券を買いに行くという形をとった。 わたしはオッズ表を見ながら、人気順位の上位をちょっとだけひねって馬連(順不同で1着2着に入る二頭を選ぶ)、それから一発を狙って3連単(1着2着3着を順番どおりに当てる)。 娘は人気やオッズなど無関係に、パドックの馬を見ながら何となくじぶんが気に入った馬(仕草や、目が可愛い、とか)を複勝(選んだ1頭が1着〜3着の間に入ったらよい)で。 で、娘は結果として複勝を二回ゲット。配当金はそれぞれ310円と2060円。複勝で2060円はかなり穴だろうな。 一方、スマホのラインで競馬歴ウン十年の東京の悪友とやりとりしながらまじめに予想を立てた父は、見事全敗。さながら幕府軍の如く淀の花と散った。 最終レースまでいると出庫が混むので大変だという悪友の助言に従って、8レースを最終として引き上げてきた。9時半〜14時頃までの約5時間。 帰り道では子は終始上機嫌で、舌もなめらかだ。 「アッサン(わたしの悪友)も結局、ぜんぜん役に立たなかったね」 「わたしはね、じぶんが勝つんじゃなくて、馬が勝つことを考えた。あ、この馬がいいなと思ったら、その馬を応援するつもりで馬券を買うの。お父さんみたいに当てようとか儲けようとか考えたら、ダメなんだよね〜」 はあ、そうっすか。 「そんなに気落ちしないでさ。マック・シェイクでも奢るからさ」 勝つと違うね〜 ゴチになります。 そのほか、駐車場代1500円と、入場料200円×2人分。昼食は事前調査であまり期待できなかったので、途中のコンビニでパンなどを買っていった。 まあ、レース結果はともかく、まだちょっと寒かったけれど、広々としたレース場を青空の下、馬たちが疾走する様はなかなか良い。どどっ、どどっと足音が響く重みは、何やら黒澤の映画シーンを彷彿とさせる。 二千円くらいの出資だったら、たまにはこんな休日も案外、いいかも知れない。(それに競輪場に比べると小奇麗だし、客のマナーも悪くない。痰唾を吐くおっさんや、階段を踏み外して血だらけになって怒っているおっさんもいない) 当然ながら娘は「また、ぜったいに行く」と言っている。

◆JRA 京都競馬場 http://www.jra.go.jp/facilities/race/kyoto/

◆Umabi 京都競馬場へ行こう http://umabi.jp/turf/kyoto/guide

 

 「現在の関係ない他者」は「未来の関係あるじぶん」と同じであるという想像力。 その想像力の貧困が結局、「未来のじぶん」すらも「関係のない他者」へとすり替えてしまっていることに気がつかない。 気がついたときには、もうすでに遅い。 「自分を未来の他者としてイメージできる想像力は、現在や過去にあっても、他者を自分に変換してイメージできるということだ。いずれ、未来において、自分も過去や現在の他者と同じ点Pに重なる時がくるであろうと想像できるということだ。」 「「緊急性」とは国家存亡の自体ではない。ほんとうの「緊急性」は、人一人が「わがまま」を通さなかったら生きていけないような事態のことを指す。そのような極限性が日常のいたるところに存在するのだ。」(塩崎 春彦さんのTL)

 

 やっと「ふつうに、マトモなことを言っている」人に会った気分。 この人の著作、読んでみようかな・・ http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89/s?ie=UTF8&page=1&rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89

松浦 まみさんのTよりコメントごと https://www.facebook.com/bluesonbach/posts/10205630279505007

マニュエル・トッド、来日インタビューで日本を語る。 「第一に重要なことは、テロの問題は先進国の内部から生まれていると理解することです」 .......... 2/1NEWS23より http://www.dailymotion.com/video/x3puatg

<フランスの歴史学者 エマニエル・トッド氏の発言> 現在、先進国の全ての社会 アメリカ ヨーロッパ 日本は危機的状態にあります。 「テロは中東から 先進国の外から  来ているものだ」と考えられがちですが 第一に重要なことは テロの問題は 先進国の内部からうまれていると理解することです。 もちろん「イスラム国」は危険ですし 警戒するべきですが むしろ先進国の社会がうまく機能していない 国内の問題について分析する必要があります。 大規模なデモは社会的に 重要な出来事でしたが “うそ”があります。 フランスの理念である「自由」 「表現の自由」を守ると訴えていましたが この事件でフランスの表現の自由は 脅かされていません。 「シャルリエブド」は非常に質の悪い 小さな新聞で 「イスラム嫌い」の風刺画に特化した 新聞にすぎないのです。 イスラム教がフランスでは少数派で しかも社会的にも弱者であると分かっていながら 風刺することは“表現の自由の権利” なのでしょうか あのデモにはうその側面があり “イスラム嫌い”の表れなのです。 不平等の拡大は世界的な問題 先進国共通の問題です。 その原因は「教育の進展」の中にあります。 フランス 日本 アメリカで識字率が上がり 人々に平等な初等教育が徹底されました。 高等教育を受ける人は ほとんどいませんでした。 その後 各国で注等・高等教育が 急激に広まり人々は「再階層化」されました。 こどもの成功は「教育のレベル」で 決まるようになった。 つまり(社会は) 「不平等」を前提に物事を考えるようになりました。 ここで私は再び真の預言者になります。 この予言は確信できます。 ヨーロッパの今後20年間は EUの分散・分解の歴史になるでしょう。 ヨーロッパ(EU)は機能しなくなっているが 「ユーロ」は存在している。 私が恐れていることはこうした状況で 「移民や難民の問題」「イスラムの問題」が ヨーロッパの指導者によって利用されるということ 「移民とイスラム」の問題が本来あるべき 政策の「代替物」として使われるのではないか ハンチントンの言う「文明の衝突」ではなく 西欧社会の麻痺の状態です。 自らの政策の失敗に責任を取らない 指導者の麻痺状態 彼ら(指導者)は本来の問題を直視せず 「イスラム教の問題」としてすり替え逃げている 「文明の衝突」ではありませんが 非常に非常に危険です。 このような現象は 反ユダヤ主義が高まった時期に見られたものです。 ヨーロッパの歴史における 最も暗い時代を思い起こさせます。 そろそろ結論に入りますが 先進国が危機から脱する出口が 見えない状況は リーダーが凡庸というだけでなく 社会の中間層、中核をなす人々の 自分さえ良ければいいという“エゴイズム” 自己満足の強い“ルシズム”から生まれています。 そこに問題があるのです。 この状況を本当に打開するためには 「善き人生とはどういうものか」という 根本的で倫理的な問題について考えるべき そして各国があるべき姿を 模索していかなければならないのです。 日本の最高の長所は日本の問題点であると 言えるでしょう 日本の問題は(長所でもある) 完璧を求めることに固執しすぎることだと思います。 日本が出生率を上げるために 女性のより自由な地位を認めるためには 不完璧さ 無秩序さを 受け入れるということを学ぶべきです 子どもを持つこと 移民を受け入れること 移民の子どもを受け入れることは無秩序をもたらします。 日本は最低限の無秩序を 受け入れることを学ぶべきだと思います。 バカなことを言っているのかもしれませんが

エマニュエル・トッドの最新著書 『シャルリとは誰か?人種差別と没落する西欧』 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610549

2016.2.7

 

*

 

 まとまりたくなんか、ないねえ。

塩崎 春彦さんがウェブロンザ(朝日新聞社)さんの投稿をシェアしました。 昨日 13:36 · https://www.facebook.com/haruhiko.shiozaki/posts/553537771488882

 宗教と政治が血みどろの抗争をした歴史のない国では、「政教分離」の理念は理解しがたいだろう。一方が一方を支配したり、されたりという葛藤がなかったのだから、分離の必然を感じないはずだ。この国は過去1500年以上、ひとつの超越的な人格のなかに「政」と「教」が一体となっていた。おおむねそうだった。いまもたぶんそうなのだ。それが国の中での争い事を収める方法でありつづけた。 「国の中」はそれでまとまるけれど、「国の外」との関係においてはこれはまずいのだという認識は育たなかった。そして、「国の中」だけのまとまりの意味が問われるたびに、この国民は頑なになった。人のまとまり方を一種類しか知らないのは、どのような「国」や「民族」でも同じなのだが、国を開いていかなければならないとき、人は二つ目のまとまり方や三つ目のまとまり方を構想しなければならない。多くの国はそうやって生き延びてきた。だが、島国日本は、たえて一度も(1500年の間)国を開く機会がなかった。自分たちのまとまり方以外に、よもや二つ目や三つ目の方法があるだろうなどとは考えたこともなかったわけだ。 まとまり方にはいくつも方法があるから、ひとつに固執してはいけないという考え方の究極が政教分離であり、政治結社の自由であり、表現の自由・・・である。だが、これはいまのところ日本では理解されていない。日本人は政治的な自由と宗教的な自由がそれぞれ独立した観念になるほどには血を流さなかったということだ。 血を流さないと理解できないことなのかどうかわからないが、欧米は少なくともそうだった。「国の外」を意識せざるをえないとき、どうしても、国を開いたり、受けれたりする必要が生まれる。そのなかで、人のまとまり方の多様性を構想する考え方が求められる。血を流さなくても、冷静に考えればそうなる。政治と宗教を分離するというのは、まとまり方をいくつも一つの国のなかに準備しておこうという決意の表れである。 だから、それはひとつの方法でまとまるという考え方の放棄である。これは戦争放棄という考え方とパラレルな思想なのだ。国も社会もいくつもの人のまとまり方の関係としてあるのだという方向に舵を切らなければならないという決意である。 たぶん多くの人たちは、まだそのことに納得していないのだ。ひとつの方法でまとまることがいいことだと、まだ信じている。それが「国」なのだと、まだ思い込んでいる。300万人程度血を流しても、この失敗は反省の材料にはならないということなのかも知れない。 血をながさなかったら、このようなことは本当にわからないのだろうか。もっと日本人は血を流せということか。

2016.2.9

 

*

 

 身体化した記憶とは、なべてそうしたものだろう。時間はそこで永遠に止まり続けている。まるで成長することを拒否した幼な子のように。 だからこそ、アジアの人々の苦い記憶を、わたしたちは尊重し、大事にしなければいけない、と思う。それこそ「遺体一つひとつに宿った記憶と感情」を。 逆に「遺体一つひとつに宿った記憶と感情」を失いつつあるのが、現在のこの国ではないか。自国の300万人ともいわれる死者たちの「記憶」が肉体の重みから脱落し、漏れ出た放射能のように、眼には見えないが所在無く漂うている。 こちらの苦い記憶と、あちらの苦い記憶を、愛する肉親を殺された遺族と服役中の殺人者が壁のこちらとあちらで交わす言葉のように、おずおずと、探りながら、ぶつかりながら、悲鳴をあげながら、嗚咽を漏らしながら、向き合っていくより他はない。

  旧ユーゴやルワンダなど紛争が起きた地で市民と会うと、2時間のうち1時間50分を過去の話が占めます。現在の話は10分ほど、未来についてはほとんど語らない。人々にとって、過去はそれほど重要です。一つの戦争が起きると、多数の死者が出て、その遺体一つひとつに遺族の記憶と感情が宿る。特に、遺体が埋葬されなかったり、行方不明者が出たりした場合、遺族は喪に服することもできないままになります。

◆(インタビュー)戦争の記憶と和解 ルーバンカトリック大学主任研究員、バレリー・ロズさん(朝日新聞 2016年2月10日) http://digital.asahi.com/articles/DA3S12202352.html?rm=149

 

 仕事から帰った夕食後、ソファーの上でニュージーランドへ語学研修に行っている部活の友だちにLINEを打っていた娘に、エーゲ海で溺れて埋葬された密航船の乗客の埋葬地の、その盛り土の上に「不明」と書かれた石版が載せられている写真を載せた新聞記事を差し出して、それを読み始めた娘の横にすわった。 黙って返して寄こした娘から新聞を受けとって、「人間はどうして、いつまでたっても賢くなれないのだろうね」と、ぼくは思わずつぶやいた。 それから寄ってきたJIPの頭をなでながらぼくの肩に頭をもたげてきた娘の重みを感じながら、作家の池澤夏樹氏によるセルビア訪問のレポートを読んだ。 最後のこんな文章が、喉につかえてとれない。 「 難民という言葉は実は民族という言葉と繋(つな)がっているのではないか。人を民族で束ねるかぎり、その束はつねに難民になる可能性があるのではないか。」

◆(難民 世界と私たち)冬の密航、犠牲者が急増 エーゲ海、1カ月で280人超 http://www.asahi.com/articles/DA3S12202358.html

◆仕立てられた悪者、残る傷 池澤夏樹さん寄稿 セルビアで考えたこと:上 http://www.asahi.com/articles/DA3S12190896.html

◆迫害、郷里を追われ15年 池澤夏樹さん寄稿 セルビアで考えたこと:下 http://www.asahi.com/articles/DA3S12202329.html

2016.2.10

 

*

 

 最近の積読、及びこれから。 現在、Aを読みかけていたところで、Bが面白くなってきてそちらへ移行している(^^)

@大井学「浜田到 歌と詩の生涯」(角川書店)は中平 和伸さんのTLで塩崎 春彦さんも交えた会話から。一首の歌「曇天のくもり聳(そび)ゆる大空に柘榴を割るは何んの力ぞ」(浜田到『架橋』)よりはじまった。 http://www.kadokawa.co.jp/product/200709000039/

A金菱清編「呼び覚まされる 霊性の震災学 3.11 生と死のはざまで」(新曜社)は中平 和伸さんのTLで。 「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろうという。何かの偶然が水面に運び、大気に触れさせない限り、彼は水というものの存在を意識しないであろう」深海魚を人、死を水と解き、「生者と死者が呼び合い、交換し、現世と他界が共存する両義性の世界」を問うた一冊。 http://www.amazon.co.jp/%E5%91%BC%E3%81%B3%E8%A6%9A%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B-%E9%9C%8A%E6%80%A7%E3%81%AE%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%AD%A6-%E9%87%91%E8%8F%B1-%E6%B8%85-%E3%82%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4788514575

 B鈴木明「追跡 一枚の幕末写真」(集英社)も中平 和伸さんからの紹介で。4人のフランス人と4人の日本人が写った、幕末の函館戦争時の一枚の写真から遡及する物語。 http://www.amazon.co.jp/%E8%BF%BD%E8%B7%A1%E2%80%95%E4%B8%80%E6%9E%9A%E3%81%AE%E5%B9%95%E6%9C%AB%E5%86%99%E7%9C%9F-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E6%98%8E/dp/4087724921

Cプルタルコス「食卓歓談集」は大関 トシユキさんのTLで。古代ローマの暇人たちによる、ココロの隙間に風をとおす真面目な雑談集。 https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/3/3366430.html

Dエマニュエル・トッド「シャルリとは誰か?」(文春新書)はわたしのシェア動画を介した佐谷 絵美さんからの紹介。「マイノリティの信仰を『冒涜する権利』は命をかけて守るというくせに、マイノリティが迫害されていることには無関心」な西欧の精神的麻痺について。 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610549

E小林丈広ほか「京都の歴史を歩く」(岩波新書)は本屋の店頭で見かけて。「観光ツアーでは決して見えない」「辛口の散策案内」の帯に惹かれ、開いたらいわゆる“非人坂”である清水坂のことなども触れていたので、ちょっと読んでみようかなと思った。 https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-431584

 

 見たいな。 「 ・・・そして、明け方に夢を見たのです。穴で燃やされて死んだ少女たちが、ある時に起き上がるのですが、血まみれになった服が白い服に変わり、傷跡もなくなっているのです。足をさっと上げて女たちが空に舞い上がるのですが、何と言うか壮観でした。亡くなった人たちが、今、すごく故郷に帰りたがっているのだな、そんな思いを強く感じました。その時から、これを映画に具現化したいと思うようになりました。」 大河内 次雄さんのTLより。 https://www.facebook.com/tsugio.okouchi/posts/969965179749536

2016.2.11

 

*

 

 【 朝日新聞に電話で聞いてみた 】

 「機体の一部が宇宙空間で軌道に乗った」なら、衛星なんだろう。「機体は分離し、四つが落下した」なら、それは推進用のロケットなんだろう。 その技術が将来的に長距離弾道ミサイルへつながるというのなら、「北朝鮮が人工衛星を打ち上げて軌道に乗った模様。これらの技術は長距離弾道ミサイルの開発へつながるものだが、成層圏を飛び出した物体をふたたび地上へ戻すのはさらに難しい技術力が求められる」とか何とか書いたらいいんじゃないの。

  「北朝鮮は7日午前9時半ごろ、北西部の平安北道(ピョンアンブクト)・東倉里(トンチャンリ)から「人工衛星の打ち上げ」と称して長距離弾道ミサイルを南に向けて発射した。機体は沖縄上空を通過して飛行。韓国政府は機体の一部が宇宙空間で軌道に乗ったとみている。」(朝日新聞の2月8日付記事) http://www.asahi.com/articles/ASJ2664CSJ26UHBI01S.html

 で、朝日新聞の大阪の【ご意見・お問い合わせ】へ電話で質問してみたが、だめだね〜 こりゃ。あまり誠実さのない amazon のカスタマ・センターの方がよほどマシに思えてしまうくらいのスバラシイ対応。 「かれこれ40年以上、御社の新聞を購読している読者の者ですが」と前振りをしてから、「御社の記事の内容自体が「衛星の打ち上げと思われる」内容しかないのに、それをどうして「長距離弾道ミサイル」と表現し続けているのか、その理由なり根拠なりを教えて欲しい」というと、「おっしゃることはよく分かりますが、それはまあ、いままでのいろんな流れの中でとか、専門家の人たちから意見を聞いた上で書いているんだと思います。とにかく、わたし自身がそれ以上のことは分からないので、こういうご意見があったということは伝えます」の一点張り。 「じゃあ、それ以上分かる人に代わってくれるとか、あるいはあなたが分かる人に確認をして折り返し返答を頂けるとか、そういうことはしてくれないんですか?」 と言うと、「そこまではしていません。勘弁してください」 「じゃあ、このお問い合わせの窓口っていうのは、たんなる意見は聴くけど、それは一方通行のものであって返事はしないよと、それが朝日新聞さんのスタンスなわけですね?」 →「そうです」 「分かりました。じゃあ、伝えてください。最後に、御社の記事もこのごろはおかしいなと思うことがたくさんありますよ。それもちゃんと伝えておいてください」と言って電話を切ったのだった。 まあ、巨大メディアともなるとそれこそ毎日、夥しい問い合わせがあって、もっとエゲツないクレームなどもたくさん窓口の人たちは対応しているんだろうけれど、それにしてもあまりにも素っ気ない、「誠実度ゼロ」の対応ぶり。 こいつらも結局は、有権者をコケにしている政治家と同じ糞味噌だな。組織が大きくなるとダメなんだな〜  立派なツイン・タワーなんか建ててる場合じゃないだろ。尻に火がついてるぜ。

◆朝日新聞社、新聞記事などに関するご意見・お問い合わせについて http://www.asahi.com/shimbun/reference/

 

 クッキーを焼いていたら娘が学校へ行く時間がいつの間にか迫っていて、台所やテーブルもあれこれ乗っかっていたので、わたしが自転車で駅前のスーパーへ行ってお弁当を買ってきて、今日は暖かいので三人で庭で食べました、とさ。 「去年はわたしがつくってみんなに配ろうよと言ったのに、ことしはじぶんからつくるって言い出した。だんだん、元気になってきたね」とつれあいが、あとでこっそりとわたしに言った。 娘は今朝、5年生のときの担任だったA先生の夢を見た。武井咲似の美人な先生で娘も父親も大好きだったが、韓国の方と結婚して韓国へ転居してしまったのだった。そのA先生が娘に、水晶をひとつくれた。覗くと広い野原に一本の樹木がすっくと立っていて、雪が降り積もっている、とてもきれいな風景が見えたという。 「それは、とてもいい知らせかも知れない」と母が眼を輝かせて言った。 「おまえの無意識がおまえになにか大事なことを伝えたがっているんだ」と父は相変わらず難しげなことを言った。 A先生は笑っていた。 「それでおまえは、その水晶をうけとったとき、どんな気持ちがしたの?」 「とてもいい気持ちだった」と子が応えた。

2016.2.12

 

*

 

 今日はまもなく、娘と京都へ向けて出発。 今尾 栄仁さんの息子さんが参加している、旧小学校校舎を使った若きアーティストたちの展示を見てくる。 でもその前に、娘がぜひもういちど食べに行きたいとずっと言っていた「ここ」でお昼を。 ◆鯖寿司専門店 八瀬はなだ http://www.yase-hanada.com/

 @OpenDiagram 場所:元・崇仁小学校 2/10(水)-21(日) 12:00-19:00(15日休み)

◆imao takuma - imao takuma works http://imao-takuma.jimdo.com/

◆第1弾「アートで目覚めるvol.3」作家インタビュー:今尾拓真 https://artosakablog.wordpress.com/2015/05/22/%E7%AC%AC1%E5%BC%BE%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A7%E7%9B%AE%E8%A6%9A%E3%82%81%E3%82%8Bvol-3%E3%80%8D%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%EF%BC%9A/

2016.2.13

 

*

 

 娘の家庭教師が終わってから、11時頃に出発。高速を使って、八瀬着が12時半頃。このごろ、京都づいている。 前回、大原の不思議な人形展「マリアの心臓」を見た折にたまたま立ち寄ったのが昨年の5月だったからもう一年近く経ってしまったわけだけれど、かつて天皇の棺をかついだと伝承される八瀬童子の地でもある八瀬、その比叡山ケーブルの麓近くにある鮒寿司の店・はなだは、「店」というよりは謎めいた才色兼備の小野お通がひっそりと暮らす隠れ屋敷のようにも思える。子はずっとここの鯖寿司がおいしかった、品のある女将さんがよかった、部屋の雰囲気がよかった、またぜひ行きたいと言い続けていた。前回と同じく客はわたしたち二人だけで、女将さんは一年前の父娘を覚えていてくれた。前回は「どうでしたか?」ときかれて、「おいしかったけど量がちょっと。三人分くらい食べられそうです」と思わず言ってしまったわたしにお抹茶のセットをサービスしてくれたのだが、今回も「昨日つくったお鮨の方がおいしいと言うお客さまもいて、よかったら食べ比べてくれませんか?」と追加の鯖寿司がふた切れ、膳のかたわらにそっと置かれた。華道の家元だった亡くなったご主人と二人で暮らしていたという家は、恰も窓下を流れる高野川の小さなよどみのように時間もとまっている。食事を終えたわたしと娘はしばらく窓から見える冬山や斜面の苔むした石積み、そして河原沿いに枝をはり出した柚子や椿の樹について話したりしていた。帰り際、女将さんは「よかったら」と漆塗りの大きな椀に盛ってあった銀杏を袋に入れて、呉れた。「つぎはまた、半年後かなあ」と言うわたしに、「もうわたしも歳なんで、お店もいつまであるか」と笑うのだった。小野お通もいつかは歴史の彼方に消えていく。 それからまた白川通りから東大路へ、京大、博物館、八坂神社などを横目に見ながら市内を南下して目的の旧崇仁(すうじん)小学校付近に着いた。京都市立芸術大学の学生やOBたちによって企画された展覧会「Open Diagram」。着いたはいいのだが、土曜日の周辺のコインパーキングはどこも満車で、おまけに雨まで降ってきた。一時間近く車を走らせて困った挙句、会場の受付に立っていた学生さんに「裏門あたりに停めさせてもらえないだろうか」とかけあったら、それが今尾栄仁さんの息子さんであった。「もしかして・・」と息子さん。「ええ。お父さんにはまだ直接お会いしてないですけど(^^)」 きれいな眼をした若きアーティストは、それからわたしたち親娘を案内して丁寧な解説をしてくれた。 ここへ来るまでわたしは知らなかったのだけれど、鴨川の下流の河川敷に近いこの崇仁地区は京都でも有数の被差別部落なんだな。というのも階段の踊り場に掲示していた、かつての子どもたちがしらべて作ったのだろう学校をめぐる歴史年表に「全国水平社創立大会」「崇仁隣保館」などの記述を見つけて、ああ、と思ったのだった。崇仁小学校はその前身から数えて137年の歴史を経てきた(1873年(明治6年)開校、2010年(平成22年)閉校)。その間、いろんなことがあっただろうと思う。だから尚更、黒板にいまも残る閉校式に寄せた言葉や、あちこちに散見する校歌、お知らせ、子どもたちの絵、などがある種の感慨と不思議な酩酊感を誘う。 今回の「Open Diagram」はそんな(ある意味、いまも呼吸をしている)小学校の校舎のそれぞれの場所が持つ磁場のようなものと、若きアーティストたちの感性が触れあい、呼応しあって生まれた作品であるような気がする。たとえば今尾拓真さんの作品は、かつて音楽教室だったぽっかりとひろがった空間に、当時の天井据付型の空調機にジョイントされた塩ビ管の先に取り付けられたハーモニカがあえかな音色を響かせる。空調機の電源は制御版で断続的に入り切りが繰り返され、照明(天井の蛍光灯)もおなじように空調機とは異なるタイミングで点いたり消えたりを往復する。音と灯りのズレという意味では、ガムランの音楽や1960年代のスティーヴ・ライヒなどによるミニマル・ミュージックを想起させられる。そんな波のような空間に換気扇の羽根がどこかにひっかかっているカタカタという断続音が重なる。作者は「外部」と「内部」というその境界に於ける、あたりまえにあるのにふだんは無自覚で気づかない空気の循環に「ハーモニカの音」や「換気扇の羽根がひっかかっている音」などによって色をつけて目に見えるようにした。そのことによって同時に「じぶん」と「他者」の関係性を浮き立たせようとした。そんなことを話してくれた(あるいはちょっと違っていたかも知れない(^^) わたしたちはさらに、そこが廃校になった小学校の音楽教室であったという観念から、この若いアーティストによる作品が、古びた校舎に眠っていた記憶やざわめきや匂いなどを呼び覚ます様を目の当たりにするわけだ。それは得難い、特別な空間だった。娘は校舎のあちこちに爆弾のように仕掛けられた他の作家たちの作品群を一巡したあとで、もういちどあの音楽教室へ行きたいと言って戻ってきた。そうして音と灯りと記憶と問いが幾重もの波のように寄せては返す薄暮の汀(みぎわ)にだまって立ち続けていた。 https://www.facebook.com/yousuke.aida.10/posts/1533376436956592 (他の作家の方たちの感想はここでは端折るけれど、どれもおなじように面白かったし、刺激を受けた。日常のあたりまえの風景を眼球を入れ替えて見つめなおすこと。結局、そういうことによってしか世界は変わらない。娘が次に気に入ったのが独特な女性性で「気配」を物語った南條沙歩さんのアニメーションと「夢日記」と題した白い小部屋の悪夢。とにかく娘が「どれもすごい面白い」と目を輝かせて、階段の多い校舎も気にせずに歩きまわり、佇み、食い入るように見ていたことが大きな収穫だった。「大学に行ったら、こんなふうに好きなことを思いっきりやれるよ」とわたしは彼女に言った。「お父さんは大学に行ったことがないから分からないけど、たぶんね」) ※ちなみにこの旧崇仁小学校の敷地は、京都市立芸術大のキャンバスが移転する予定だそうで、校舎が見れるのはいまのうちかも知れない。 3時間近く、小学校にいたかな。外はもう暗くなっていた。そして土砂降りの雨。帰り道は途中、第二京阪から京奈和道へ乗り換える際に曲がり道を通り過ぎてしまい、リロードしたナビが誘導したくらい山道が通行禁止になっていて、次の誘導先はおなじような山越えの枚方カントリー・クラブの私道だったりで、手間を食ったけれどアートで活性化した娘はそれすらも面白がって上機嫌だった。 結局、家に帰り着いたのは7時半頃。もう途中で夕飯を食べて帰ろうかとも言ったりしたのだが(つれあいは仕事で帰りが遅かった)、今日はくだんの「塩レモン」を使ったメニューをすでに考えていたので、奈良市に入った国道沿いのスーパーで鶏のもも肉などを買って、大急ぎでジップの散歩・夕飯をあげてから、「塩レモン」をつかった鶏肉、ポテト、そして塩レモンとはちみつのプリンまで二人で協力してこしらえたのだった。料理はもちろん、うまかった。 しかし、疲れた。でも実り多い、充実した一日だった。満足。

◆八瀬 はなだ http://www.yase-hanada.com/

◆Open Diagram https://opendiagram.wordpress.com/

◆imao takuma - imao takuma works http://imao-takuma.jimdo.com/

◆第1弾「アートで目覚めるvol.3」作家インタビュー:今尾拓真https://artosakablog.wordpress.com/…/%E7%AC%AC1%E5%BC%BE%E…/

◆崇仁小学校 http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=104005&date=20100312&no=0

◆崇仁協議会(SUZIN CONFERENCE) http://www.suzin.com/

 

 京都から帰って急いでつくった夕飯。 色目は冴えないけど、 @鶏もも肉は刻んだ塩レモンとローズマリーを混ぜて黒胡椒し、しばらく置いてからオリーブオイルで焼く。 Aポテトは茹でたじゃがいもを刻んだニンニク、塩レモンと混ぜてオリーブ・オイルでかりっと焼き上げ、ディルの葉をふる。 塩レモンの作り方は以下。(丸ごと使うので無農薬のもの)

◆今話題の塩レモン 低農薬レモンで作ってみました! http://www.supplement-direct.co.jp/blog/?p=28541

 追加の「はちみつ塩レモンプリン」 じつは昨日の塩レモンレシピといっしょに作ったのだけど、なぜかプリンが固まらず。 Webでわたしが見た「ラップをかけて600Wレンジで約2分加熱」に疑念を持ったつれあいが別の「豆乳プリン」のレシピに書いてあった「アルミホイルでふたをして」「オーブン180度、30分」でやりなおしたら、見事に固まって、翌日の今夜にやっと食べることができた。 @牛乳(400cc)、卵(2ヶ)、はちみつ(大4)、砂糖(大6)、バニラエッセンス(少量)を混ぜて、「アルミホイルでふたをして」「オーブン180度、30分」、粗熱がとれたら冷蔵庫で冷やしておく。 Aはちみつ(大2)と塩レモン(汁を小2)を混ぜてシロップをつくり、プリンの上に。 しかしプリンって、結構かんたんにつくれるんだな〜 と感動。

◆間違いのレシピ http://www.supplement-direct.co.jp/blog/?p=28541

 

 これが欲しかった〜 現在では唯一の篠原憮然の資料ともいえる江夏美好氏の長編伝記小説「雪の碑」(河出書房新社)。 すでに絶版でWeb上のどこを探しても見つからなかったのが先日、ある信州の古書店が出品してくれた。すぐに注文をして、それが今日の夕方に届いた。 「あくまで小説だが」記録として、また伝記として読んでもらってもいい、と作者があとがきで書いているように、能う限りの資料や取材に基づいている。

◆篠原無然 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%8E%9F%E7%84%A1%E7%84%B6

◆篠原無然(しのはらむぜん)という社会教育者・飛騨の人々は既に大正デモクラシーを学んでいました http://67care.jp/blog/archives/4111

◆平湯民俗館– Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B9%AF%E6%B0%91%E4%BF%97%E9%A4%A8

◆浜坂先人記念館 http://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/index.php?mode=detail&page_id=d4c4ccd6f13ffe94bb631d3c2d4fca74

◆飛騨青年の叫び YouTube(動画) https://www.youtube.com/watch?v=DRxxU11P9Tw 

2016.2.14

 

*

 

 娘と共にファンの Sierra Hull ちゃんが5年ぶりのニュー・アルバムを発表。 これは買わねばなるまいて、とさっそくamazonで注文した。 http://www.amazon.co.jp/Weighted-Mind-Sierra-Hull/dp/B015TQEEWE/ref=pd_rhf_gw_p_img_1?ie=UTF8&refRID=0TW9PS1SRRY7RNJ3T2XH

 ついでに YouTubeで最新のライブ映像も見つけた。なかなかいいバンドだね。バンドはやっぱり人間関係だな。 それにしてもはやく来日しておくれ。娘と二人で見に行くよ!

 

 最近、このバンドがちょっとお気に入り。 カントリー・パンクとでもいうのかな、根っこがあって、威勢がいい。 Wildfires & MisfiresというアルバムではイカしたディランのAbsolutely Sweet Marieを筆頭に、このハンク・ウィリアムズのLost Highway、そしてザ・バンドもやっていたLong Black Veilも入っている。 1980年代から90年代にかけて人気があったバンドらしいが、残念ながら日本では知名度が低いようだ。 このLost Highwayは、Leon Payneという盲目のカントリー歌手が1948年に作った曲で、翌1949年にハンク・ウイリアムズが吹き込んでヒットし、広く知られるようになった。

The Lost Highway (w) and (m) Leon Payne, 1948 I'm a rolling stone, all alone and lost, For a life of sin, I have paid the cost. When I pass by, all the people say "Just another guy on the lost highway." Just a deck of cards and a jug of wine And a woman's lies make a life like mine. Oh, the day we met, I went astray, I started rollin' down that lost highway. I was just a lad, nearly twenty-two, Neither good nor bad, just a kid like you. And now I'm lost, too late to pray, Lord, I've paid the cost on the lost highway. Now, boys, don't start your ramblin' round On this road of sin or you're sorrow bound. Take my advice or you'll curse the day You started rollin' down that lost highway.  俺は転がり石だ、孤独な敗残者だ。 罪まみれの人生に、ツケを支払ったのさ。 俺が通りかかると、みんなこういう、 「こいつも、道を踏み外した一人だってことだ」。  トランプ札一式と、ジャグ満杯ワインと女の嘘が揃うと、 簡単に俺のような人生になる。  そうよ、この三人に出会ったあの日に、 俺はあの破滅の道を転がり始めたんだ。  俺はほんの子どもだった。22歳ちょい前だ。 良しも悪しもない、まだオマエラと同じようにガキだった。 それが、今では敗残者だ。懺悔をするにはもう遅い。 神よ、俺は道を誤ったつけを、払い終わったぜ。  だからな、みんな、うろうろ放浪すのはよせよ、  この罪の道をな。 そうしないと、悲哀が一生つきまとうことになる。  この忠告を聴け。そうしないと, 敗北の道を転がりはじめた、その日を呪うことになる。 http://camoq.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/2013.html  

 

 数日前、仕事から帰って遅い夕食を食べ始めたらつれあいが「紫乃が、なにか報告があるみたいですよ」と微笑みながら言う。二階へ声をかけて、やがて階段を下りてきた娘もなんだかニヤニヤしている。 「なんだ、気持ち悪いな。はやく言えよ」 「あのね、あのね・・」とうれしくて仕方ないのに形ばかり蓋をしているような娘が話したのは、「Jちゃんが春からうちの高校に来る」というものだった。Jちゃんは小学校のときのクラスメートで、娘と大の仲良しだった。そのJちゃんが娘の高校の入学試験に合格したというのをその日、たまたま会ったJちゃんのお母さんからつれあいが聞いてきたのだった。 つれあいからその話を聞いた娘はもちろんとても喜んで、「春からJちゃんといっしょに電車で学校へ行く」と宣言したそうだ。 続いてこんどはつれあいが「それからね、もうひとつ。紫乃はじぶんがなんで学校へ行けなくなったか、やっと分かったんですって」と言う。 うれしそうな子の顔を見ながら、わたしはつれあいの話を聞いた。少々複雑なのだが、要約すると、こういうことだ。 いま現在、ニュージーランドへ語学研修へ行っている二人のほか、休部中の一人などを入れて、最近の部活動に参加しているのは中学三年生では娘が一人しかいない。それと高校生の部長が一人、中二が一人、中一が6名ほど。これが演劇部の面子である。 暫定的に副部長を任されている娘は可愛い後輩たちを前に、牽引役もすっかり板についてきた。そして最近は昨年、姉妹校へ異動になってしまった前顧問のM先生が、創立100周年の企画として姉妹校の男子生徒との演劇コラボの話を持ち込んできたりして、何かと忙しいらしい。(学校のお偉いさんやOBの来賓客などの前で演じるそうだ) そんな中で娘はふと、すごく解放されて、心地のいいじぶんに気がついた。それは何だろうと考えたら、「いま、ここにいない者たち」のことだと分かったというわけだ。 中学に入学して、秋の文化祭を目指して一生懸命だった頃、わたしやつれあいも家で何度か耳にしていたが、演劇部の同級生たちの間で諍いが絶えなかった。子はどちらかといいうと自己主張をするタイプではなく、何とかみんながまとまるように仲裁に入ってこころを砕いていたのだが、あるとき、ぷっつんと糸が切れてしまった。「いま思えば」と子はふり返って言うのだ。「あれで学校へ行くのが嫌になってしまったのだと思う」 ただ当時は、じぶんでも何が原因なのか分からなかった。「とにかく、行けなくなってしまった」のだ。それ以来、2年半もの間。(「じゃあ、不登校になってしばらくして、演劇部には行けるけどクラスに入れなくなったのはなぜなのか?」と問えば、行かなくなったことで戻りづらくなったのかも知れない、と言う) もちろん、娘は「いま、ここにいない」同級生たちが嫌いなわけではないのだ。逆に大切に思っているからこそ、その大事な友人たちが互いに言い合いをしたり、陰で悪口を言い合ったり、揉めたりすることに対してこころの負担が大きくなって、耐えられなくなってしまう。 しかし、そんなことはいまや、どうでもよい。 大事なのは、子がみずから答えを探し出して、じぶんを多少なりとも客観視できるようになったこと、だ。春になって、ニュージーランドから彼女たちが帰ってきて、また仲間内で諍いが起きるかも知れない。子はまた、そのはざまに立たされるかも知れない。けれどもこんどは子は、かつての子とはちょっと違う、と思う。たぶん、ちょっと、違う。それは彼女にとって、大きな違いだ。 その「ちょっとの違い」を手にするために、2年半を費やしたのだ。それはけっして無駄な2年半ではなかったように思う。 「なんだか、いい感じの風が吹いてきたみたいだな」 わたしが言った。 つれあいはうん、うんと何度もうなずいた。わたしが長期の出張で家を空けていたときに子が突然不登校になって部屋に閉じこもり、心配した彼女はじぶんが風邪で熱があったにもかかわらず、Webで探した“馬との触れ合いによるヒーリング施設”を謳っていた山梨の乗馬施設へ新幹線や急行を乗り継いで子を連れて行ったのだった。 かつてエンデさんが、こんなことを言っていた。 「まさにね、プレゼントされなければ手にはいりっこないものがたしかにある。そんなとき、プレゼントされる者は、プレゼントを受けとるにふさわしい態度をするだけでいい」 子は、苦しんだ末にプレゼントを受け取ったのだ、と思う。それは苦しんだものにだけ許される「特権」だ。 それから子は、高校生の卒業式のための照明(裏方)を演劇部がやることになったからと張り切って、久しぶりに朝から学校へでかけて行ったり、今日などは演劇部のみんなで梅田へ大好きな劇団「キャラメル・ボックス」の舞台を見に行く予定だったのだが、家庭教師の先生の家からラインで「顧問の先生が卒業式などで忙しくてチケットの予約を取るのを忘れていたらしい」と打ってきて、「ほんっとにもう、明日行ったら先生、殴ってもいいですか」と笑いながら帰ってきた。

2016.2.21

 

*

 

 よろこびも束の間。 ゆうべ、つれあいと二人で録画番組(ビートたけしが立川談志を演じた二時間ドラマ)を見た後でベッドに入ろうとしたらつれあいが、紫乃が部屋で泣いている、と言う。二時間前まで「真田丸」を家族三人で見てご機嫌だったのだが(談志は興味ない、と自室へ行った)、その後でLINEでいろいろやりとりがあったらしい。 つれあいの話では、ニュージーランドへ語学研修に行っているHちゃんとMちゃんから「部活の様子はどうか? 部長はちゃんとみんなに適正な指示を出しているのか?」といった問い合わせがあり、娘は「うまくやっているよ」と答えたものの、中学1年生の後輩の一人が「部長がちょっとねえ・・」といった意見を表明して、またしても娘はそのはざまに立って苦悩しているらしい。 これまで部長だった高校三年生の先輩が大学受験のために引退をして、いまでは唯一の高校生の二年生の先輩があらたに部長となった。これまでの部長が外交的でみんなをひっぱる感じだったのに比べると、こんどのS先輩はどちらかというと大人しめのタイプだ。けれど娘はS先輩が大好きで、わが家にももう何度か遊びにきたし、娘がS先輩の家に遊びに行ったこともある。だいたい娘は先輩たちはみんな大好きで、とくに同級生が陰でその先輩たちの悪口を言ったり批判するのを極度に嫌う。嫌って、いっそ言い返したらいいのだけれど、それはできないらしい。そして板ばさみになって、一人で抱えてしまう。 そんなわけで今日の昼頃、職場からつれあいに「紫乃はどうしてる?」とメールを入れたところ、「今日は学校は無理みたい」という返事が返ってきた。おおかた、いつものように暗い顔で部屋に閉じこもっているのだろう。 さて、どうしたものか。どうしたものかと言っても、わたしは基本的には子どもたちの関係には口をはさみたくない。それは子どもたち同士で解決していくものだと思っている。けれども、このままではまた高校の三年間がおなじようになってしまうのではないかという不安もある。娘に「お前ももうすこし強くなれよ」とか、「場合によっては軽く受け流すのも必要だ」とか言ってみても何もならないのは二年半の経験で実証済みだ。 さて、どうしたものか。とりあえずは担任の先生や、演劇部の顧問の先生に相談をして、何らかのフォローをお願いするしかないだろうか。あるいは同級生のお母さんたちにも話しを聞いてもらうべきだろうか。子どもが、じぶんの力ではどうにもできないことをただ一人で抱えているとしたら、大人がフォローをしてやるべきだと思うのは親ばかなのだろうか。 こういうとき、なにもできないもどかしさを抱えたまま、じっとなにかを待ち続ける親もまたつらい。 それにしてもSNSやメールなんてものは、一利くらいはあるかも知れないけれど、ほとんど百害に近いんじゃないかな。少なくとも子どもたちの世界にあっては。わたしは、そう思うな。

2016.2.22

 

*

 

 つれあいからメール。

今日は紫乃は元気です。朝からチャコ兄(※家庭教師)も行ってきました。 行く前に「チャコ兄に相談してみたら?」って私が冗談めかして言ったら、紫乃は「あの人だったらハハハって笑うやろなあ」と笑って出ていきました(^^) 帰ってきてからも元気でお昼には親子丼が食べたいと言っています。 大抵、おうどんか雑炊と言うのにびっくりです。 メンタル、ちょっと強くなったかな。 以前、H先生(※カウンセリングの医師)が紫乃は人より感じやすい部分があるんだろう。その分、傷つきやすい。高校も本人は行くと言いながらも不安が一杯だから、私に「大丈夫、大丈夫、行ける、行ける」と楽天的になってやれと言いました。親の態度で子供の不安をかえってあおってしまうことがあると。 紫乃がチャコ兄だったら笑う(笑うことではないと思うけど)と自分で言って想像することで、少し前向きになったような感じです。 その様子を見て、ふと、前回のH先生の話を思い出しました。 今日はM先生(※担任)が紫乃に話を聞いてくれることになっています。紫乃には私がM先生に話したとは言っていません。自分で話せたことで紫乃も自信がつくだろうし、今後も何かあったとき先生に相談できるようにと思い、あえて話してません。実際、今もM先生にはなんでも話してるようです。 MO先生(※部活顧問)には迎えの時に話します。 では、仕事楽しんで下さい(^^)

今回のことは紫乃にとってビンチではなく、チャンスかも。 大好きな先輩のサポートをしなきゃと頑張る気がします。

2016.2.23

 

*

 

 夕飯を食べながら新聞をひろげると、認知症の77歳の妻を刺殺した83歳の夫が警察で食事を拒否して死んだ記事が載っている。そのおなじ面には家計を助けるために高校をやめてアルバイトをする子どもたちの記事が載っている。そして今日、梅田で車の運転中に動脈が破裂して意識を失い歩行者をはねとばした男のfacebookをわざわざ見つけ出して、死んだ男のタイムラインに罵詈雑言を書きつける者たちがいる。 この国はもうほんとうに疲弊し、無残な有様だな。キチガイ総理は一人で立っているわけではないんだ。鵺(ぬえ)のような多数の総意だ。

2016.2.25

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■日々是ゴム消し Log80 もどる