A ten year old child is killed when Israeli war planes target his home. <<< today >>> ソマリアに行く前は、世界というものをひとつの場だとしたら、ぼくは中心概念というものを無意識に持ってたわけです。中心とは、たとえば東京だったり、 ニューヨークだったり、ワシントンDCだったり、ロンドンだったりしたわけですね。しかし、飢えて死んでいく子供たちを見て、中心概念は全部崩れました。 餓死したって新聞に一行だって記事が出るわけじゃない。お墓がつくられるわけでもない。世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意 も向けられず餓死していく子供たちがたくさんいます。ただ餓死するために生まれてくるような子供が、です。間近でそれを見たとき、世界の中心ってここにあ るんだな、とはじめて思いました。これは感傷ではありません。これを中心概念として、世界と戦うという方法もあっていいのではないかと考えました。餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと 思考が戦闘化してもいいのではないかとも考えました。 世界はもともと、そして、いま現在も、それほど慈愛に満ちているわけではない。そして、すべては米国による戦争犯罪の免罪の上に成り立っている。じつにお かしな話なのですよ。情報の非対称の恐ろしさというのは、これだと思う。アメリカで起きた屁のようにつまらないことが、まるで自国のことのように日本でも 報道される。けれども、エチオピアで起きている深刻なことや、一人あたりの国民総生産がたった130ドルのシエラレオネで起きている大事なことは、まず日 本では報じられない。この国では、どこのレストランが美味いか、どこのホテルが快適か、どこで買うとブランド商品が安いか、何を食えば健康にいいのか、逮 捕された殺人容疑者の性格がいかに凶悪か、タレントの誰と誰がいい仲になっているか....といった情報の洪水のなかでぼくらは生きています。伝えられる べきことは、さほどに伝えられなくてもいいことがらにもみ消されています。アフガンもそうやってもみ消されてきたのです。 そのときに、言説、情報、報道というものはこれほどまでに不公 平だ、こ の土台をなんとかしない限りは、ものをいっても有効性は持ちえない、どちらかというと無効なんだと思いましたね。同質のことをいま、ぼくはまたアフガンで 見ざるをえない。若い人は、まだ報じられていない、語られていない、分類されていない人の悩みや苦しみに新たな想像力を向けていったり、深い関心をはらっ てほしい。ブッシュやラムズフェルドやチェイニーの貧困な想像力で暴力的に定義されてしまった世界、しかもその惨憺たる定義が定着しつつある世界を、新し い豊かな想像力でなんとか定義しなおしてほしい。それには相当の闘争も 覚悟せさざるをえない。でも、そうしないと、ブッシュたちの定義にならされていくと 思います。 反定義 新たな想像力へ(辺見庸+坂本龍一・朝日新聞社) グーグルで“まれびと”内を検索
A ten year old child is killed when Israeli war planes target his home.
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ソマリアに行く前は、世界というものをひとつの場だとしたら、ぼくは中心概念というものを無意識に持ってたわけです。中心とは、たとえば東京だったり、 ニューヨークだったり、ワシントンDCだったり、ロンドンだったりしたわけですね。しかし、飢えて死んでいく子供たちを見て、中心概念は全部崩れました。 餓死したって新聞に一行だって記事が出るわけじゃない。お墓がつくられるわけでもない。世界から祝福もされず生まれて、世界から少しも悼まれもせず、注意 も向けられず餓死していく子供たちがたくさんいます。ただ餓死するために生まれてくるような子供が、です。間近でそれを見たとき、世界の中心ってここにあ るんだな、とはじめて思いました。これは感傷ではありません。これを中心概念として、世界と戦うという方法もあっていいのではないかと考えました。餓死する子供のいる場所を、世界の中心とするならば、もっと 思考が戦闘化してもいいのではないかとも考えました。
世界はもともと、そして、いま現在も、それほど慈愛に満ちているわけではない。そして、すべては米国による戦争犯罪の免罪の上に成り立っている。じつにお かしな話なのですよ。情報の非対称の恐ろしさというのは、これだと思う。アメリカで起きた屁のようにつまらないことが、まるで自国のことのように日本でも 報道される。けれども、エチオピアで起きている深刻なことや、一人あたりの国民総生産がたった130ドルのシエラレオネで起きている大事なことは、まず日 本では報じられない。この国では、どこのレストランが美味いか、どこのホテルが快適か、どこで買うとブランド商品が安いか、何を食えば健康にいいのか、逮 捕された殺人容疑者の性格がいかに凶悪か、タレントの誰と誰がいい仲になっているか....といった情報の洪水のなかでぼくらは生きています。伝えられる べきことは、さほどに伝えられなくてもいいことがらにもみ消されています。アフガンもそうやってもみ消されてきたのです。
そのときに、言説、情報、報道というものはこれほどまでに不公 平だ、こ の土台をなんとかしない限りは、ものをいっても有効性は持ちえない、どちらかというと無効なんだと思いましたね。同質のことをいま、ぼくはまたアフガンで 見ざるをえない。若い人は、まだ報じられていない、語られていない、分類されていない人の悩みや苦しみに新たな想像力を向けていったり、深い関心をはらっ てほしい。ブッシュやラムズフェルドやチェイニーの貧困な想像力で暴力的に定義されてしまった世界、しかもその惨憺たる定義が定着しつつある世界を、新し い豊かな想像力でなんとか定義しなおしてほしい。それには相当の闘争も 覚悟せさざるをえない。でも、そうしないと、ブッシュたちの定義にならされていくと 思います。
反定義 新たな想像力へ(辺見庸+坂本龍一・朝日新聞社)
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目の見えない9割の多数の総意で町中から電気が撤去され、1割の目の見えるひとたちが暗闇で暮らさなければならないのが、いまの社会の有り様ではないだろ うか。バリア(障壁)は何も障害者だけではない。目が悪くなっていくと、わたしたちはメガネをかける。メガネがないと困ってしまう。 これは一般によくあ る「社会に参加するための道具」である。車椅子も白杖もスロープも駅のエレベーターも視覚障害者誘導用ブロックも、じつはみなおなじことで、バリア(障 壁)は障害者だけに存在するのではなくて、多数の人のバリアフリーが進んでいるだけのことなのだ。 そう考えると、バリアフリーを考える 目線が変わってくるし、バリアフリーは(いまは)障害を持たないわたしたち一人びとりにも深くかかわってくる問題なのだと気づく。わたしたちの社会にはさ まざまなバリア(障壁)がある。糖尿病の人のバリア、不登校の子どものバリア、目の見えない人のバリア、日本で働く外国人のバリア、お年寄りのバリア、年 金生活者のバリア、独身者のバリア、女性のバリア、在日コリアンのバリア・・ そうしたさまざまなバリアをなくしていって、だれもが平等に参加できる居 心地の よい世の中をつくっていくことが、ほんとうのバリアフリーだとわたしは思う。 浅井歴史民俗資料館を後にして、わたしたちは姉川の古戦場 跡と江戸時代に灌漑用水の争いを解決するためにつくられた底樋(地下水路)跡などを見てから、ほんとうは国友鉄砲ミュージアムにも立ち寄りたかったのだが 時間切れで、東近江の知人から近江米30キロを買い、それにたくさんの取れたての野菜を頂いて、いつものように御澤神社の名水を汲んで帰途についた。小谷 城跡へは残念ながら登れなかったけれど、こころに残る浅井めぐりの旅となった。長浜市にはぜひ、ほんとうのバリアフリーについて、もういちど再考してみて いただきたい。
参加者は墓標の間に立ち、各自のスマホからイアホンへ流れ込む音を体験する。はじめは聞き取れた一人びとりの名が、時系列と共に重なることが増え、最後は 多くの名前が分厚いコンクリートのように重なった爆音が耳を打つ。わたしも各地の共同墓地で軍人墓を参ったときには、やはり一人びとりの名前を読みあげて 手を合わせるようにしているが、それは、名前はときにその人間の生きた証であり、命でもあるからだ。だから宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』で、千尋もハ クも湯婆婆から名前を奪われる。 生きた人間としての無数の名前が分厚いコンクリートの塊のようになって響くというのは、そのまま人間が 石(墓標)にされることである。石にされた人間たちがいま、わたしたちの前に無言で坐している。それはすごい体験だと思うのだ。物言わぬ墓標が、はじめて 「声」を与えられた瞬間であったかも知れない。
ちなみに旧真田山陸軍墓地に立つ5千を超える墓標は明治から日中戦争の頃までのもので、戦況が悪化するにつれて一人びとりの墓標を立てる余裕もなくなり、 以降は納骨堂(忠霊堂)に収められた。1943(昭和18)年に大阪府仏教会により寄進された堂内には、「1937年7月に始まる日中戦争から1945年 9月降伏文書調印によって終結するアジア太平洋戦争まで、大阪に拠点を置いた第4師団管区の戦没者8249人分の分骨が合葬されて」いるが、年代別には敗 戦直前の2年間が突出して多い。岡田氏らは5千の墓標につづいて、この堂内の8千の骨壺に記された名前も『墓標を視聴する』で読みあげた。 ところで基調講演の栗原氏、パネラーの6名、司会役の小田氏を交えたディスカッションの終わりかけの頃、観客席から「ひとこと、言わせて欲しい」と声をあ げた者がいた。見ると足もともやや覚束ない、高齢の男性である。「どうぞ」と小田氏から促された男性は通路に立ったまま、「わたしはね、今日は一人で来た んじゃない。大勢の英霊たちといっしょに来たんだ」と声をはりあげる。「・・わたしはね、般若心経を唱えながら、あの国立医療センターの 歩兵8聯隊のところへ埋めに行ったんだよ。むごたらしいものだった。みんな、そうやってお国のために死んでいったんだ。それをなんだ、おまえたちは。陸軍 墓地を未来に生かすとか言うから来てみたら、こんなだらしない内容を聞きにきたんじゃない! ミュージアムなんかつくってどうするんだ!」 ぬきさしならぬ男性の声に、おなじくらい性急な女性の声が反論し、客席をはさんでお互いに叫び合い、とうとう壇上の小田氏が「ここは喧嘩をする場所ではな いので」と止め、「そういうご意見も含めて、これからいろいろと考えていきたいと思っています」とまとめて、会場の時間も迫っていたこともあってシンポジ ウムは何やらざらざらとした雰囲気のままお開きとなり、そのまま壇上の片付けへと移行していった。
この頃は note なぞにも
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