・
あるとき、図書館で借りてきた星亮一「敗者の維新史 会津藩士荒川勝茂の日記」(中公新書)を読み、家族思いの平凡な中流武士が時代の流れに翻弄され、泣き、生きた姿に思いを馳せる。お家再興の喜びもつかの間、流罪地のような下北半島の生活で母と三男を失い、夢破れて舞い戻った会津で妻と長男を失い茫然自失するが、やがて小学校の教員に採用され、再婚もし、最後は多くの孫たちに囲まれて往生する。
あるとき、Yが映画「ロッキー」の最終回を借りてくる。わたしはスタローンの映画をいちども見たことがなかった。最終回を見たのだからと、こんどは1から順番にさかのぼって、昨夜は家族三人で3を見た。血みどろの殴り合いになると、子はきまって「どうして男の人はこんなことをするのよ〜 卓球とかバトミントンとかじゃだめなの?」と耳をふさぎながら、それでも最後の勝利の場面ではいっしょに喝采の声を上げている。
あるとき、仕事帰りのわたしと塾帰りの子がならんで、すっかり暗くなった路地を歩いている。「跳び箱の三段が飛べたんだよ」と子が言う。白く浮かびあがった子の顔を見る。土塀の向こうのお寺の鐘がご〜んと鳴って、二人して思わずとびあがる。
あるとき、長田弘の詩集「世界はうつくしいと」(みすず書房)を朗読する。風呂上り。子はわたしのPCでティンカーベルのHPを覗きながら、ときおり耳を傾けていて「それ、いいね」と言ったりする。風呂からあがったYが「わたしも聴いてたよ」と言う。それから三人で2階の寝室へあがり、詩の朗読大会になる。子が室生犀星の「動物詩集」を、わたしが藤村の「若菜集」を朗読する。
なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけなのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。土。雨、日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。
「すべての人の子はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる。
人はこちらの扉から入って、
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて、目を瞑る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。
2010.10.31
*
某所にてアフランド(Afrand)なるイランのグループの演奏を聴いた。神の前では人の声も震える、ということか。砂漠の国の音楽にはそんな気配がある。
ひさしぶりに何だかシャンソンを聴きたくなってCDを検索し、あまりに数の少ないのに嘆息。コラ・ヴォケールとダミアの、顔のデッサンのジャケットのLPが愛聴盤だった。結局、注文したのは100曲で1041円という廉価版。でもコラ・ヴォケールが入っていない。
ブラック&デッカーのマルチツールのバッテリーが仲よく昇天されたようで、仕方なく代替をネット注文。まあ、充分に使ってきたしね。ウッド・デッキその他の製作のためにインパクト・ドライバーの購入を検討中。ほんとうはコンクリの穴あけも出来るマキタの充電式4モードインパクトドライ TP130DRFXが欲しいのだが実勢価格4万円はかなりきつい。充電器が共用できる同じブラック&デッカーのSX5000くらい(1万円前後)で手を打とうかと考えたり。電動工具は男のおもちゃかも。
2010.11.1
*
祝日は昼から、子とYは仲よし同級生の親子連合部隊にて郡山城の「親子祭り」へ行く。わたしはソファーで昼寝をしてから、パスタのソースをつくる。サンタナのナンが1枚100円だったからと5枚を買って帰ってきて「買いすぎたかな」。
組み方のアイディアがふと降ってきて、書斎の壁面本棚の製作準備がぼちぼち動き出す。 ホームセンターの材を眺めにいってめぼしをつけ、壁面を覆っていた荷物をぼちぼちと部屋の中央へ移動させる。
誘惑に負けてついに注文。マキタの充電式4モードインパクトドライ TP130DRFX。 昨夜届いたが、惚れ惚れする。
シャンソンばかり聴いている。暗闇のパントマイムのようなグレコの映像はなんてチャーミングなんだろう。何度も見入ってしまう。
前田憲二監督の映像ドキュメンタリー作品を見たいと思う。とりあえずは傀儡を描いた「恨 芸能曼荼羅」を。
2010.11.6
*
計画から1年、開幕から半年を経て某ビッグ・プロジェクトがようやく終了。ファイナルで周辺12地域のお神輿が集結するイベントでは、現地調査や説明会で苦労を共にした催事担当のMさんから翌日「事故や怪我もなく終了。何より○○さんの運行計画のおかげです」とメールを頂いたのが何より嬉しかった。
前田憲二監督の「恨 芸能曼荼羅」のVHSをヤフオクで落札する。2500円。
わたしも娘からやんぐぜねれーしょんの曲を教えてもらう立場になった。夜、子のリクエスト。ユーチューブで大塚愛の「さくらんぼ」、AKB48の「ポニーテールとシュシュ」などをいっしょに見る。「さくらんぼ」は可愛いロック娘でなかなかいいんじゃないの。ビーチで水着の中高生が踊るAKB48は、もうひたすらてんこ盛りでどないでもせ〜ちゅう感じやね。こんな元気な娘たちの裏で、編みかけのマフラーで首吊り自殺する子もいるわけだ。それを相変わらず「知らなかったちっとも知らなかった」と繰り返す大人たちもいるわけだ。
2010.11.9
*
「恨 芸能曼荼羅」(VHS)が届き、さっそく変換機を通してPCに取り込む。こんな映像が見られるのは至福だ。しかし「恨 芸能曼荼羅」もそうだけれど、前田憲二監督に関するネット上の情報は極端に少ない。かれの活動の拠点であるNPO法人ハヌルハウスのホームページも事情があってか工事中。皮肉だが、“またぞろ反日歪曲映画”と銘打った差別掲示板が詳しい。
■神々の履歴書●監督 前田憲二
●プロデューサー 萓沼紀子・山本和信■VTR販売価格 9,000円
●1988年5月製作 140分● 日本の各地に現存する数々の神杜は朝鮮半島渡来の貴族や豪族を祭っている。日本文化の形成に多大な影響を与えた、この渡来文化の歴史を描くことによって、今も日本人の心にくすぶり続ける皇国史観の亡霊ともいうべき差別意識を鋭く衝く! シナリオ付。(H-003)
■土俗の乱声●監督 前田憲二
●プロデューサー 萓沼紀子・李義則■VTR販売価格 9,000円
●1991年4月製作 127分● 祭りという民衆文化の側面から渡来文化を考える。中国江南で発達した農耕儀礼と、高句麗で発達した北辰信仰を柱に、中国・韓国・日本に伝わる祭りを取材し、失われつつある祭りの原初の姿とその意味、そして祭りに賭ける人間のエネルギッシュな姿を伝える。(H-004)
■古代史探訪─渡来人の足跡─●監督 前田憲二
●プロデューサー 萓沼紀子■VTR販売価格 4,000円
●1989年10月製作 38分● 「神々の履歴書」の内容をさらに学校教育用にわかりやすく短く解説。弥生から奈良時代にかけての古墳の形態と分布状況を中心に、古代朝鮮三国の古墳とその出土品との比較・検討から渡来人の足跡を明らかにする。(H-005)
■鉄と伽耶の大王たち●監督 前田憲二
●プロデューサー 李義則■VTR販売価格 6,000円
●1993年3月製作 83分● 朝鮮三国時代に存在した小国家群「伽耶」。武器・農具など膨大な鉄器を生産していたこの“鉄の王国”は日本列島に渡り、日本の統一国家誕生に大きく関与していた。その伽耶の鉄文化の影響を、日本各地の遣跡・古墳、現代まで伝わる祭事などによって解明する。(H-006)
■恨・芸能曼陀羅●監督 前田憲二
●プロデューサー 萓沼紀子・李義則■VTR販売価格 9,000円
●1995年8月製作 150分● 放浪の旅芸人・傀儡たちが、いま瓦解する現代へ蘇る! 旅の空・闇の世界・エロスの炎・漂泊に身をまかせた謎のクグツたちの人形戯と、その生きざまを通し、被差別部落に光を当てる。そして時代を越え、日本・朝鮮半島・中国にクグツを追跡する異色の大作!!(H-007)
■高麗王若光─高句麗と渡来文化─●監督 趙顕洙
●プロデューサー 前田憲二・李義則■VTR販売価格 4,000円
●1997年5月製作 30分● 高句麗文化を抜きにしては、古代の列島文化を語ることはできない。高句麗から渡来し埼玉県日高●1997年5月製作 30分地方を開拓した高麗王若光の足跡を通して、日本列島文化の起源と成立をわかりやすく解明した、画期的ドキュメンタリー作品。(H-008)
百萬人の身世打鈴』
東アジアを舞台にし、映像ハヌルを基地に、永年、長編記録映画に取り組んできた前田憲二監督は、「神々の履歴書」「土俗の乱声」「恨HAN・芸能曼陀羅」などを通して、古代から中世へと朝鮮渡来文化を執拗に追い続けてきた。その必然性のなかで、近現代の避けては渡れない、大問題である「朝鮮人強制連行・強制労働」をテーマに、4年がかりで完成させたのが「百萬人の身世打鈴」である。
シンセタリョンとは身の上ばなし、という意味だが、この作品では17名の証言者と対峙し、同時に、証言の裏付けを求め、日本各地を隈なく巡った。──取材した人々は50人近くになる。さらに韓国へは都合4回撮影に入り、遠く中国僻地にまで取材した。そして1930年代から、1940年代に撮影された貴重なモノクロフィルムや写真・資料などをふんだんに使用し、作品に幅広く厚味を加えた。
この作品には,日本だけでなく韓国の心ある人々からもカンパが寄せられた。その総額は凡そ830万円になる。回ったフィルムは50時間以上。費やした日数は1480日。製作費は3400万円。とは言え低予算で製作したため、限られた小さなクルーで撮影取材。
表現方法も、従来の映像手法を徹底させ、被写体を正面から見据え、延々とフィルムを回した。そのため、この作品に登場する17名の証言者たち、その一人、一人の人間像が、いやがうえにも浮彫りされ、語りの重さが観る人々の心に迫ってくる。
この作品は、太平洋戦争下における日本の恥部を、徹底的に暴きだした超大作である。
ぜんぶ、見てみたいな〜
「渡来の祭り 渡来の芸能 ―― 朝鮮半島に源流を追う ―― 」(岩波書店)も面白そうだ。
2010.11.11
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休日。書斎の壁面本棚の製作。支柱となる2メートル強の2×4材を購入、計8本を木ダボ等で接合して奥行き18センチの柱4本をつくった。今後ホゾ穴を穿ち、ダークウォルナットのオイルを塗る予定。併せてオイルと、天井部を支えるアジャスターなども購入。アジャスターは木材側にネジで止めるベース部と併せて300円ほどで、ボルトで長さ調整のできるものを選んだ(アジャスターの解説→http://kura-mono.jugem.jp/?eid=1)。先に組み立てておいた“うま”は実に役に立つ。というか、長尺ものを加工する際には欠かせない。
2010.11.13
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休日。子は日曜参観の代休。
午前中は本棚の材に棚板を受けるホゾ穴用の墨を引く。220の高さを基本に、700のあたりにカウンターを付けようかと思う。iTunesのラジオで DylanRadio.com を見つける。オリジナル・レコーディング有り、質の良いアウトテイクやライブ音源有り、カバー有りと素晴らしいBGM。
「おれはジップだ、いたずらするぜ。おれはジップだ、ウンチをするぜ。おれはこの家のナンバー1。ほかのやつらはおれの手下」といったジップ・ソングを子とつくってジップの前で演奏したのをビデオに録る。もうすこし練習が必要。昼はYとジップを連れて、豆パン屋アポロへパンを買いに行く。一人づつ交代で店に入って好きなパンを選ぶ。
午後は大阪の病院で整形外科の受診。レントゲンの結果、手術時にさわった骨の状況は良好とのことで、就寝時の装具の解除を許可される。帰りに図書館へ寄る。わたしは森達也の「放送禁止歌」(解放出版社)と、「朝鮮半島の仮面と童謡」(ピエ・ブックス)なる分厚い写真集を借りてきた。
森達也『放送禁止歌』ドキュメンタリー(ユーチューブ) →
http://www.youtube.com/watch?v=YvAoC0uYXCk2010.11.15
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わたしとMさんは世代を超えて「高田渡」の話で盛り上がっている。Oさんは鉄の彫刻をしていた学生時代に比叡山の麓の恩師の家で燃えていた薪ストーブを懐かしげに思い出している。某イベントの無事終了を祝ってわたしが祭事担当のMさんにおねだりした少人数の飲み会。警備会社のわたし、市役所から出向のMさん、東京のイベント会社のOさんとMさん。職種も世代も異なる男4人の宴はささやかで、じつにおいしいお酒だった。3年前に建て替えた自宅の薪ストーブを見に、Yと子を連れてMさん宅を訪ねる約束をした。
2010.11.16
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ユーチューブで髭を生やした高田渡のようなニール・ヤングを見る。かのダニエル・ラノア プロデュースの新作「Le Noise」。沖縄の御嶽(うたき)のような岩窟空間にノイジーなエレクトリック・ギターが蝙蝠の如く飛び回り、そこに裸のニール・ヤングの声が反響しているが、それは過去からも未来からも響いてくるような気がする。
「僕たちはなんとなく幸せになるんだ」と、「夕暮れ」という曲の中でブルーハーツが歌っている。「なんとなくなっている」のが幸せで、「はっきりとした幸せ」なんてものは案外、存在しないのかも知れない。「なんとなくなっている幸せ」は「はっきりとした幸せ」より、ひそやかな覚悟の分だけ打たれ強いかも知れない。
2010.11.19
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フリッピーコントローラーなるイタリア製の伸縮リードをオークションで落札する。2950円。5mまで自由に伸縮するフリー・モードと、固定時点から自然巻取りを開始するモードの切り替え。コツをつかむと結構便利だし、広い場所に来たらジップもストレスなく自由に動き回れる。ただしフリー・モードでゼロ地点から走り出したジップが5m到達時にコントローラーを持っていた子が(まるで漫画のように)二度引きずり倒された。おそるべし。
ユニクロの広告を見てユニクロへいく。昨日はジーパンを買ったというYがわたしのジーパンを選んでくれる。冬柄のフリースを青とオレンジ、二人お揃いで買う。学校から帰ってきた子が「二人だけずるい」と言うので、夕食後にもういちど家族三人でユニクロへいく。わたしは買ったばかりのフリースをさっそく着ていて「さっきの店員が“またきたよ”と言わないかな」なぞとYに言う。子もおなじような柄のフリースとジーパンを買って本屋を三々五々放浪してから帰宅する。ユニクロの日。
ことしも図書館のリブックフェアがやってきた。家族三人で午前も午後も参加して、さて、ぜんぶで50〜60冊くらいはもらってきたのかな。その日の夕方は子の同級生のKちゃん宅へ行き、リニューアルした庭とウッドデッキなどを見せてもらう。子どもたち三人が庭の花壇に花の苗を植えている間、めいめいの母親三人にわたしが交じって塾の話などをしている。奇妙な光景だな。
実感のある言葉を書けない。
2010.11.25
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賑わいだ大勢の声がしている。子とYと三人でドアを開けて、建物の隙間のような路地を声のするほうへ抜ける。すぐにインドのサダルストリート風の通りに出た。二階のバルコニーのようなところで商店街のおばちゃんや子どもたちが集まって、ときどき商品のコマーシャルを交えた歌や踊りを披露している。なぜか黒人の子どもたちも多い。Yと子は楽しそうに眺めている。じぶんはそれらを見あげながら、ここは子にとって望ましい環境だなと思う。(じぶんたちはすでに、この町に転居したばかりだった) 同時に、ここでは仕事がなかなかないだろうな。単身赴任でじぶんだけ日本へもどって働くか。いや、それは耐えられない・・ なぞとあれこれ思案している。そんな夢を見た。
2010.11.28
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年末年始向けの求人広告で採用した人たちに4日間の新人教育――――交通誘導の講義など。40歳の働き盛りで派遣の食肉加工会社を切られた人がいる。タクシーの運ちゃんを辞めてきた60歳の人がいる。旦那さんが飼い犬を見てくれる土日祝だけ働きたいという30歳代の専業主婦の人がいる。ニート風の、犬の散歩だけが唯一の趣味という25歳の青年がいる。明日からもう3人増えて、週末までお付き合いの予定。
終了・撤去した某イベントの監視カメラシステム用のPC&モニタをパクってきて、会社のじぶんのデスクに据えた。インテルの Core 5 の後継である Core i5 搭載で、なかなか快適。7ではなく、XPが入っている。しばらく出張もないだろうからと、わたしの Core 2 ノートを引き上げてきた。リカバリをして子に貸し出す約束をしている。
ことしは写真のきれいな年賀状をつくりたいね、とYが言うのでプリンタの複合機購入を検討している。なんせ現在はエプソンの PM-760C 、戦前の機種だ。普及機だとADF機能がない。高級機だと子の愉しみにしているDVDラベル印刷機能がない。どれも中途半端だな・・・
2010.11.29
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昨夜のことだ。いつものように夕食を済ませてから子を誘ってジップをオシッコへ連れ出した。伸縮リードを買ってからこのごろよく行く商工会の広い砂利の駐車場でジップを走らせているところに携帯電話が鳴る。防災センターのYさんからで、どういう事情からか先日から新人教育を受けているSさんが、赴任予定ではあるがいまだ面識のないYさんの勤めるSCに電話をかけてきた。支社に電話をかけたが夜で誰もいない。何とか会社に連絡をとりたい、とかけてきたのだと。Yさんから聞いたSさんの携帯番号を、わたしは思わず拾い上げた石ころで地面に書いた。電話をかけると30代のSさんはまるで怯えた子どものようになかば泣いていた。主人が職場で怪我をしたと会社の人に連れられて病院に来たが手術室に入っていて会えない。何がおきたのか分からない。頭を打ったらしい。じぶんで歩いて車に乗り込んだとも聞いた。いちど看護士の人が出てきて命に別状はないが輸血をするかも知れないのでと血液型を訊いて来た。連れてきた会社の人は電話をしてくると言ってどこかへ行ってしまった。ここが何という名の病院かわからない。主人は食品を配達する会社で働いていたが、事務などもやっていた。わたしは鹿児島の出身で最近、奈良に越してきたので知り合いもいない。主人の実家は大阪の箕面だが、母親が一人きりで、最近癌が見つかって入退院を繰り返しているので知らせない方がいいと思う・・・・ そんなやりとりをしたのが昨夜で、それから電話はつながらなくなった。今日の昼ごろ、支社宛にメールが届いた。主人が車椅子の生活になったので、わたしが付き添いをすることになりました。今朝も朝から脳の検査がいくつか入っています。病院内は電話もままならず、メールさせて頂きました。いろいろありがとうございました。○○さんにもどうぞよろしくお伝え下さい・・・・ 今夜もわたしは夕食の後で子を誘ってジップをオシッコへ連れ出す。いま体育でやっているのだと子は持って来た縄跳びをジップに披露している。運命はいつも思いがけず、突然だ。ときに人を過酷な地平へ突き落とす。旦那さんが飼い犬を見てくれる土日祝だけ働きたいと言っていたSさんの生活は木っ端の如く砕けた。わたしはジップの前で子が不自由な足を蹴って懸命に縄を飛ぶ様子を眺めている。
2010.12.1
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プリンタ。結局、エプソンの EP-903A をアマゾンで購入。インク・カートリッジと合わせて3万5千円ほど。
ジップのゲージとトイレをネット・ショップで購入してYの実家へ送る。お正月の帰省用。送料込みで1万円ほど。
Yと子がクリスマス・ツリーを買ってくる。高さ180センチでクリスタル・ファイバーやLEDのライトがふんだんに。2万円→20%引きを、結局30%引きにしてくれたと。広いリビングの角でちかちかと瞬いているさまを見ていると、なんだかこんな贅沢な暮らしをしていて、そのうちバチが当たるのではないか、という心持になる。
今日は半日は終了した某イベントの産業廃棄物の回収の確認。コンテナ2台に自転車やカラーコーンやあれこれが積まれ。午後から協力会社さんの軽トラを借りて、余ったカゴ台車2台をわが古巣のショッピングセンターの交通隊本部へ搬送。
何か手伝えることがあるのではないかとYと子の二人に言われてSさんの携帯に何度か電話したのだが取ってくれない。
ネットで偶然拾った Alfred Deller の素晴らしい The Three Ravens - Elizabethan Folk & Minstrel Songs が心に近しい。パーセルやダウランドなど、この人の歌をたぶんじぶんはずっとむかしから聴いていたはず。iPODを枕元に、こどものような心になって眠れる。
2010.12.4
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1週間ほど前の連休にわたしの書斎の壁面書棚の大部分を完成させて、6月の引越し以来部屋の中央に積まれたままになっていた引越し屋のダンボールを少しづつほどいていき、「畳やテーブルが見えてきたね」とYが言うくらいまで片付いてきた。「物置」がやっと部屋になった感じ。天井まで、そして壁一面の本棚は長年の夢だった。部屋の中央―――わたしのデスクから椅子をくるりと回すと、かつてのリビングの手製テーブルが置いてあって、ここはいわば作業机だ。子といっしょに何か調べものをしたり、工作をしてもいい。壁面本棚の前にはわたしのデスクの椅子とは別にチャーチ・チェアが一脚置いてあるので、子などはもうここで(自室に置ききれない「世界文学全集」などを一部移したので)まるで図書館のように座って本を読んだり、棚を眺めたりしている。従来のスライド書棚は横にしてちょうど床の間に収まったので、こちらには資料やアルバム、ビデオテープなどを入れる。いよいよ実家に預け置いている残りの蔵書も全部送ってもらおうと考えている。わたしの放浪時代の終わり。
今日は朝から書棚の残り部分―――デスクとの取り合いの角部分の材の調整など(新しいプリンタ複合機が収まる棚部分でもある)。冷え込みの厳しい庭でホゾ穴を加工したり、塗料を塗ったり。途中で材料が足りないことに気づいて、Yを誘って車で出かける。ホームセンターで材を買ってから、イオンのショッピングセンターで買い物。保証書・取説保管用のリングファイルとYのコート。JR駅前の王将で昼食を食べて帰宅する。午後から改めて庭の作業。
2010.12.15
*
リフォームで世話になったM建装さんがエコ・ポイントの金額を持ってきてくれる。約9万円は今後のウッドデッキ等の材料費に充てる予定。リフォームのときにはお腹の中だった赤ん坊が先月産まれたと携帯の画像を見せてくれる。
わたしといっしょにYの迎えの車に乗り込んだ塾帰りの子は頭が痛いといい、夕食後に熱を測ると38度3分。パジャマに着替えて自室のベッドにもぐりこむ。
2010.12.17
*
風呂の中で子が覚えたての詩を朗読。
かるた たこあげ げんきなこ
こけし しもやけ けやきのめ
めだか かげふみ みずすまし
しがつ つみくさ さくらもち
ちまき きつつき きりのげた
たうえ えひがさ さくらがい
いなか かなかな なつやすみ
みさき きいちご ごむぞうり
りんご ごいさぎ ぎんやんま
まつり りんどう どうわげき
きのみ みのむし しかのこえ
えいが がいとお おおみそか
阪田寛夫の「年めぐり」。2010.12.19
*
-Hymn for Nobody-
作詞:忌野清志郎
愛してることさえ
忘れてしまうほど
日常の中でいつも
君が好きさ
限りある命が
やがて幕を閉じても
永遠の夢のように
君に夢中さ
2010.12.20
*
隊長代行で7年ぶりに競輪場へ制服を着て一日上番。サヨク詩人風だった予想屋さんが7年前とおなじ場所でそのまま、7年分年老いた顔立ちで座っていたのに感動してしまった。競輪場は施設も人もなにもかも、物哀しくいとおしい“廃市”のようだ。
2010.12.21
*
壁面書棚の最終、コーナー部分もつながり、あたらしいプリンタも納まって、これで書棚作業はほぼ完了か。USB接続の古いプリンタはまだインクが余っていることもあり、上の段に残すことにした。互換インク使用でインク代が安いから、通常の文書印刷はむしろこちら専門にしようと考えている。
Yが防水仕様のCDプレイヤーを購入。Twinbird 充電式防水CDプレーヤーCDザバディ AV-J189S。充電式なので乾電池がいらないのと、中にUSBが挿せてMP3ファイルも再生できるのが良い。ふだんはリビングに置いていて、風呂ではYが英会話のCDを聞いている。
24日は教会のクリスマスのミサ。わたしも仕事の帰りに合流した。子どもたちの合唱とソプラノのミニ・コンサートがありその後、ミサ。当教会の創始者という神父氏はだいぶ高齢でふだんは補助的に添っているだけなのだが、クリスマスの日は教区で神父が人手不足になるらしくOBも総動員といったところか。しかし何を喋っているのかさっぱり分からない。おそらく誰も分からないのではないか。教会ももうすこし考えた方がいいと思うよ。相変わらず、ここに神の気配は感じられない、わたしには。ミサが終わってから立食パーティ。Yが献金袋に千円を入れていたから、わたしも遠慮なく巻き寿司やいなりを頬張った。
25日。前夜に子はツリーの下に慌てて置き手紙―――「ことしは何も考えてなかったので、何かてきとうーなオモチャでいいです」 サンタが呉れたのはクラシックな目覚し時計。当人は大喜び。
今日はヴァイオリンの発表会。朝から神奈川逗子市の公園で蔦がからまった放置車両の中で死んでいた秋田出身の男性の死後数ヶ月の死体が発見されたという新聞の特集記事(孤独の国)を読んでいると子が「お父さん、何を読んでいるの?」と訊いてくるので、黙ってその記事を差し出してやる。それから車で法隆寺近くの某町立会館の小ホールへ。子が選んだのは「借りぐらしのアリエッティ」の主題歌でヴァイオリン用の楽譜はわたしがWebで探した。レベル的には逆戻りの簡単なものだが、まあ、ヴァイオリンも果たしていつまで続くか分からない。個々の持ち曲をやった後は、朗読に交えて、先生と入れ替わりの子どもたちが競演するモーツァルトの「魔笛」。先生の意図するところは共感するのだけれど、いかせん練習時間不足でこなれていない。帰りの25号線沿いのペットショップで「コング」を購入。BABY FACE PLANET'Sで大盛りの定番オムライスとパスタの昼食を食べ、法隆寺裏手の法輪寺・法起寺周辺ののどかな風景を眺めながら帰ってきた。
「ある被差別部落の歴史 ―和泉国南王子村―」(岩波新書)を読んでいる。
2010.12.26
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Yは例年の習いのおでんをたっぷり仕込んでから、子と(ことしは)ジップを乗せて車で和歌山の実家へ行く。車内のスペースの都合で、ことしはインコのピー介が置いていかれる。仕事の都合で、ことしもわたしは置いていかれる。広い家がなんだか余計にさびしくて、役目の終わったクリスマスツリーをもうすこし、点灯させる。
2010.12.28
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Dire Straits の Alchemy Live を iPOD で聴きながら駅を降りる。駅前の西友で大根のキムチ、卵1パック、芋焼酎1本を買って帰る。夕食のおでんを食べてから、数少ない年賀状の宛名を書く。昔のカセットテープを聴く。風呂に入る。寒いから湯の中で体を洗う。風呂上りにビールを呑みながら "Mississippi" John Hurt を聴いている。
2010.12.29
*
朝起きて、ピー介の水を交換し、庭のハーブを一枚遣る。それからじぶんのコーヒーを淹れる。マヨネーズを塗りチーズを乗せたトーストを焼き、いり卵とウィンナーをフライパンで炒め、朝食。材をいくつかノコで切り、本棚の一部補強と、プリンタの上にもう一枚、棚板を増やす。その後でキッチンのガス台下の手直しをついでにする。おそらく前の所有者が何らかの事情でガス台を交換した時に、キッチン台との間にできて放置されてきた高さ6センチほどの隙間。材を切り、微妙にきつかったのでカンナをかけ、家の補修用にと業者が残していった焦げ茶色の塗料――――これがキッチン台とほぼ同じ色だったので使い、少々残った塗料を片手に家のあちこちを見てまわり、特に出入りする床の敷居部分の剥げたところを塗りなおす。そんなことをしている内に昼になったので、ヤキソバをつくって食べる。朝からの皿を洗う。夕食は駅前の王将の餃子と唐揚げか西友の刺身あたりかと考えながら米を研ぐ。午後からは下に記したノートPCのメンテナンス、必要ソフトのインストールなど。その他、最後に残った「仏間」に積み上げていたダンボールの整理を少々。夕食は予定通り、王将の餃子2人前と唐揚げ1人前を駅前へ電話注文して自転車で取りに行く。唐揚げは半分を残して、これは明日の昼に野菜と炒めて唐揚げ丼をつくる。夜はひさしぶりに映画を見る。若き友人のU君から頂いた逆輸入DVD―――石井輝男監督の「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」。うむ、頗る面白かった。このゴッタ煮の力業は美学ですらある。降参。
明日は大晦日という際にきて、わが書斎もやっと形を成してきた。ぐるりと見渡せば、贅沢な王国のことよ。しかし、あちこちの本棚からあれこれの書籍を引っ張り出しては拾い読みし、CDをかけ、ときどき傍らのギターを爪弾いては下手な歌を歌ったり、歌詞カードを改めて引っ張り出したり、やっていることは何十年も昔から一向進歩がない。まあ、分不相応な「邸宅」を購入したわけだけれど、わたしが満ち足りるスペースは昔と同じような気がする。そしてわたしには自信があるのだが、このまま、もしYも子もおらず、定まった職もなかったとしたら、わたしは1週間後にはもうこの部屋から出るのが億劫になってしまい、2週間後には近所の人の目を恐れるようになるに違いない。わたしは別人のようになるだろう。つまり世間から脱落するのは実にたやすいし、短時間でそう成れることは皮膚感覚でよく覚えている。転落するのは容易だが、這い戻るのは難しい。要するに、わたしを世間に辛うじてつなげているのは、Yと子の存在だということをわたしはいまも充分に承知している。彼女たちがいなかったら・・・ わたしは取手駅前発の路線バス内で刃物を振り回していたかも知れない。逗子市の公園に放置された蔦のからまる軽自動車内で人知れず腐乱死体と化していたかも知れない。電気も途絶えた北九州のアパート一間で「たすけて」と書いたメモを片手に餓死していたかも知れない。ネットに愛国動画を投稿し続ける引きこもりになっていたかも知れない。心の隙間を狙う新興宗教の勧誘家になっていたかも知れない。ならずにいられるのは、わたしが単に運が良かっただけに過ぎない。わたし一人ではすぐに脱落してしまう。転落してしまう。そういうところも、何一つとして変わっていない。
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マウスコンピュータ購入のノートPC(0802LB-PL300XH)に於けるOSの再インストールについて。OSの再インストール後、添付のサプリメントディスクにてデバイス等のインストールを行い、再起動をかけると正常起動しないという不具合があった。以下、相変わらず要領の悪いメーカー対応の顛末。
1. これについてマウスコンピュータの電話サポート(22秒毎に10円の課金システム)に問い合わせを行った。状況を説明すると「弊社のホームページからサプリメントディスクのデータをダウンロードしてCDに書き込み、それを使って再度試して欲しいと言われる。その通りにするが状況は同じ。
2.. 再度電話をして上記を説明すると「デバイスのインストールが正常に完了しないということは何らかのハード的な不具合が考えられる。(有料の)修理しかない」と言う。再インストールまでは正常に動いていたのにそれはオカシイと強硬に言うと、「ならお手持ちののサプリメントディスクが保管期間の間に何らかの不具合を起こしているかも知れないので、弊社できちんとチェックしたディスクを送るのでそれで試して欲しい。お手持ちのCDはこちらでもチェックしてみるので運動業者に持たせて欲しい」と。購入時の添付のCDと先ほどホームページからDLしたデータは何か違うのか?と訊くと、前者は一つの機種用のソフトウェアしか入っていないが後者は複数の機種に対応したソフトウェアが入っているとの説明。それで何故新たにディスクを送ってもらう必要があるのかよく分からないが、どうしてもそれを試せと言うのでやってみることにする。
なおこのときにHPのFAQ「LB-PL300シリーズ サプリメントディスクのドライバインストールし、再起動するとフリーズ」(文書番号950)という質問に対してインストール後、BIOS設定画面での操作云々のページを見つけるが、当該ページで指摘している「AHCI Configuration」という項目がわたしのPCで見当たらないので機種違いかと思う。ただし念のため上記も説明し、「(じぶんのPCの場合)そのようなことはないのか?」と訊けど、「お客様のPCではそのような必要はない」との返答。
3. 数日後にCDラジカセ一個分ほどの箱にサプリメントディスク一枚が鎮座してやってくる。それから数日後の本日、満を持して再トライするが状況は変わらず。先のBIOS設定画面がどうしても怪しく思われてならず、よく見ると「対応機種」のリンクが有り、わたしのPCも含まれていることを知り、再度22秒毎に10円のサポートセンターに電話をする。
結果、これ以上説明するのがメンドー臭い150円分の要領の悪いやりとりの後に判明したことは、やはりBIOS設定は必要で、HPのFAQでは「AHCI Configuration」と書かれていた項目が、わたしのPCの場合は別の「ATA Cntrol Mode」という項目で、ここの設定を変更したところ無事、正常起動ができ、デバイスもきちんと入っていて無線LAN接続も可能となった。以下、マウスコンピュータ側の謝罪と説明。「同じ機種でも中に組み込んでいるマザーボードが異なるため、多くはBIOS設定も必要なくインストールできる場合が多いが、稀に異なるマザボに於いて「AHCI Configuration」の設定変更が必要となるケースが発見されたためFAQにて説明をさせて頂いた。今回のお客様の場合はさらに稀な新発見のケースで、これらは出荷後に見つかる場合も多く、ご迷惑をかけてまことに申し訳ありませんでした」
まあ、無事に直って、めでたく子に譲渡できるから結果オーライだけれど、気持ち的には課金された電話代とこれに費やした時給くらい補償して欲しいナットクしがたい部分はあるぞ。
2010.12.30
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2010年の大晦日。会社の車で夕方から古巣のショッピング・センターへ。年を越した深夜3時まで、元旦福袋待ち列対応のカラー・コーンとバーを交通隊長のTさんと二人で並べる。2〜3時間仮眠をして、その後夜8時まで。
2日。夕方に南の出入口で19歳のI君が車と接触する事故。停止車列をはみ出て進入した車両が後ろからI君の左肩にぶつかり、「なんで止めるんだ」と罵声を浴びせて走り去ったもの。I君を市内の病院へ運び、その後警察署の交通課にて事情聴取。I君が携帯で登録していたナンバーで加害者側も呼び出されていたが、「警備員の方があとずさってぶつかって来た」と。防災センターへ行き、一目瞭然の画像を確認、現場検証を終えたのが深夜0時近く。大阪のおばあちゃん宅で集う予定だったI君の両親とお兄ちゃんはその間ずっと駐車場で待っていて、こちらが恐縮するくらい「ご迷惑をかけたんじゃないか」とお辞儀をして榛原の山中の自宅へ帰っていった。
3日。夕方。某現場にて重大事件。救急車で運ばれたO君を追いかけて病院で合流し、その後警察署の刑事一課にて調書作成。本部へ報告書を送り、会社に車を戻し、迎えに来たYの車で帰宅したのが深夜12時過ぎ。
Yと子は、子の塾があるのでいつもより早く実家から戻った。4日、5日はやっと正月休みだが、ことしはなんてスペシャルな年越しだったことか。
2011.1.3
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朝はYが雑煮をつくってくれる。数日遅れのお正月。
Yが実家からもらってきたアロエを鉢に植える。
ジップがリビングの隅に置いていたホウ酸団子(ゴキブリ駆除用)の2/3を齧ってしまい、数時間後に朝食と共に吐く。吐いたのが幸いしたか、その後は特に変わった様子もなく、夕食もいつものようにぺろりと平らげた。向かいのYさんから聞いた近所のSさんが二度ほど様子を見に来てくれる。
午後、子の整形外科受診で大阪の病院へ。手術の経過は良好だが、リハビリ(移植した筋肉を使う―――左足首を上げる練習)をもう少し頑張りなさいと。装具もいまのところ支障はなし。診察後、年賀状に入院していると書いていたMちゃんを小児病棟に訪ねる。最初の子の足の手術のときにおなじ病室だった、子より3つ年上の目の大きな可愛い女の子だ。看護婦さんに訊くと「病室内は15歳以下は入室禁止だが、本人が出てこられればプレイルームなどで話が出来る」とのことで、やがてパジャマ姿のMちゃんがやってきた。子の車椅子を走らせてけらけら笑っていた小学生がもう中学生だ。落ち着いたお姉ちゃんになった。Mちゃんの正式な病名を知らないのだけれど、脳の腫瘍が再発して切除をしたと。ダンスに夢中なこと、バイリンガルの私学に通っていること、などの普段の生活の話を聞いた。久しぶりで恥ずかしかったのか、あまり喋らなかった子は別れてから「大きくなっててびっくりした」と一言。
病院の帰り、ちょうど帰り道にいつも通るニギハヤヒを祀った登彌神社にて初詣。この神社の参道の趣きが好きだ。「たしか“千と千尋の神隠し”のハクのほんとうの名前がニギハヤミコハクヌシだったね・・」と子に。
夜に映画を見ようということになって夕方、レンタル屋へ。「ウォーリー」「モモ」「三銃士」などを借りる。実際に見たのはキーファー・サザーランドなどが出演した1993年の「三銃士」。アトス、ボルトス、アラミス・・・ 子ども向けの「世界文学全集30巻」をほぼ読破している子だけに、こうした古典はその場面場面を親が驚くほど事細かに覚えていて話し出したら止まらない。彼女のイメージと期待にこの映画は充分報いたようだ。終わってから「お父さん! この映画、ぜったいにダビ○グして!」
夕食はYの実家からもらってきたぶりの刺身とおせち料理。おせち料理をこんなに美味しく思ったのははじめてだ。
2011.1.4
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夜11時。石油ヒーターをつけた書斎。子は中央のテーブルにひろげたモバイルPCで自作の「若草物語」を書いている。ビールと焼酎でいい心地の父はRCサクセションの歌詞カードをCDケースから引っ張り出して「ヒッピーに捧ぐ」を無伴奏で歌ったり、ギターで「知らず知らずのうちに」のコードだけをぱらりぱらりと弾いたりしている。そんな夜。
2011.1.9
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塩町の恵比寿神社の十日戎へ家族三人で行く。ふだんはひっそりとした路地が屋台や垂幕や人込みで賑わっている。新聞折込のチラシにあった引換券で子ががらがらの抽選、スポンサーである某食品会社の鍋うどんが当たる。それから参拝者全員に振舞われているぜんざいを頂く。500円の恵比寿の土鈴が、シンプルなデザインが気に入り購入する。抽選券をもう一枚もらい、極小の恵比寿金像のお守りが当たる。昔はメジャーなえべっさんにあまり興味はなかったけれど、いわば人形浄瑠璃や傀儡のルーツでもある海からの漂泊神だ。親しみがわく。
神社を抜けて図書館へ。子は頼んでいた「獣の奏者」二冊を、わたしは路上の不具者や腕を切り落とされた物乞いの少年、幼い売春婦の少女、ゴミ山の中の棄てられた胎児、死体乞食などがつまった石井光太「地を這う祈り」(徳間書店)を借りた。この著者は、ちょっと続くかも知れない。
石井光太公式サイト【コウタイズム】 http://www.kotaism.com/
赤坂あたりの地下鉄から深夜にAが叫んで聴け聴けと迫ってきた 御年83歳のファンキーおやじ Mose Allison の新作 The Way Of The World を聴いている。この滋味の分かるあなた、とりあえず握手しよか。
夕飯に暖かいそばと天麩羅が喰いたくなって、天麩羅はスーパーの出来合い、そばは昔18番だった鶏肉と茄子の温そばをつくった。
夕食後、子と二人でジップをオシッコへ連れ出す。あれがオリオン座、あれがシリウス、プロキオン、ペテルギウスと子が教えてくれる。「オリオンって、何か物語があるの?」 星座音痴の父に娘はすらすらとオリオンとさそり座の話を披露してくれた。
2011.1.10
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ISO取得とか、教育関係とか、入札関係とか、正月を過ぎても相変わらず、やることはたんまりある。2月前半までは休みも週に一度が精一杯かも。まあ、仕事があるのはある意味、幸いなことかも知れない。警備会社の面接なんぞをしていると、切羽詰ったたくさんのひとたちと接することが多く、いろいろと思うことも多い。仕事上のことはここではあまり書けないけれど。
忙しいのだけれど、音楽はたくさん聴いている。忙しいから、音楽をたくさん聴いている。音楽はこころのご飯なので。
最近はネット上をいろいろなものがふわふわと流れておりまして、ついつい懐かしくて昔のアルバムを拾ってきたりする。かつてLPで持ってたやつとか、ラジオで好きだったとかね。Fleetwood Mac、Eagles、John McLaughlin,John McLaughlin, Al Di Meola, Paco De Lucia らのThe Super Guitar Trio,、それにThe Manhattan Transferとか。それから富田勲の「惑星」から「展覧会の絵」ときて、Emerson,Lake & Palmerから山下和仁へいったりとか。そんななかで最近、書斎で特に愛聴しているのがジャズ・ピアニストのキース・ジャレットがバッハのゴールドベルク変奏曲をハープシコードで弾いているアルバム。これがなんか、いいんだな。ゴールドベルク変奏曲というとグールドだけれど、あのグールドの2枚の呪縛から逃れた場所でキーズは、まるで子どものように無邪気に音楽とひたすら戯れている。それが心地よい。キース・ジャレットのバッハでは昔、平均律の第1集をLP2枚組みで持っていたけれど、このゴールドベルクもじつにいいなあ。
ユーチューブで子にマイケル・ジャクソンの「スリラー」のビデオクリップを見せた夜から、子は「お父さんと寝る」と言って夫婦の寝室から母を追い出した。追い出された母は子ども部屋のベッドで「おそくまで電気をつけて本を読めるし、お父さんに布団を引っ張られることもない」といたく満足している。わたしもひさしぶりに子と抱き合って眠れるし、これで各自が仕合せなわけか。この効用が薄れないようにと、父はときどき夕食の後などに「スリラー」を躍ったりして子に思い出させているわけだ。
入札の説明会へ行った帰りに立ち寄ったブックオフで子にウェルズの「タイムマシン」、野田秀樹の「野獣降臨(のけものきたりて)」の文庫を買う。
仕事で市町村の境界線の入った白地図データを探していたら、こんなフリーソフトを発見。白地図 KenMap Ver8.5。これがフリーとは素晴らしい。子どもの学習用にも使えるかも。
今日は子とYは朝から教会。車で迎えに行って郡山のイオンへ。子はユニクロでジーパン、わたしは百円均一店にて孫の手とゴムハンマーなど。その後、わたしのたっての願いで久しぶりに奈良で唯一の台湾ラーメンの店へ向かったものの日曜なのになぜか休業状態(マサカ、閉店か!?)。仕方なく子のリクエストで回転寿司へ変更。帰りにまた別の百円均一店にてオーブン粘土など。帰ってジップをわたしの書斎に放してそこで「魔法使いの秘密の道具箱」(技術評論社)にある魔法使いの小物入れとコインを二人で作成。コインは先のオーブン粘土を120度30分で。
2011.1.16
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県から防犯パトロール(雇用促進青パト6台・県内全域)の仕事を頂戴し、約半月の間に20名の新規雇用、新人教育、県警本部との調整、マニュアル作成等々の真っ只中。ちょうど来月の1日に県警本部前で華々しく出発式の予定。というわけではるさん、見事にバッドタイミングです。このごろはなかなか縁がないなと悄気ております。2011年 1/26(水)〜2/1(火) 第55回・榎並和春個展「遠い記憶3」 阪急梅田本店 11階美術画廊
石井光太「地を這う祈り」(徳間書店)にウガンダの元少年兵の話が出てくる。ウガンダではゲリラ組織が子どもを誘拐して兵士に育てる。そのときに村人の前で血のつながった家族を自らの手で殺させる。二度と村に帰れなくなるように。筆者はまだ幼い元少年兵に、かれがじぶんの父親を山刀で殺したときのことを尋ねた。すると少年は顔面をこわばらせ、唇を震わせ、「水! 水! 水!」と絶叫した。石井は書いている。「おそらく、水という言葉に意味なんてなかったのだろう。だが、彼が父親を殺害した記憶を辿ろうとした時、涙を浮かべて意味のない言葉を絶叫することしかできなかった」 一頁に満たない、こんな話が脳裏にこびりついて落ちない。じぶんの立ち位置はこういうところではないか、と自問する。
今日はやっとの休日。仏間の上部、サイドに板を打ちつけてハンガーと棚板を作成する。不要になったデロンギのオイルヒーターをオークションに出品する。ジップのシャンプーをする。昼はWebでレシピを調べた台湾ラーメンをつくる。豆板醤や紹興酒まで投じ、それなりに美味しかったがわたしの渇望するあの台湾ラーメンではない。Webでスガキヤの台湾ラーメンを見つけて一箱注文してしまった。夜は駅前の王将の餃子と決めていたが、ジップの散歩がてらに覗いたら貼り紙の前に数人の人影。「店主交代のため、しばし休業」との由。いったいわたしの中華生活の壊滅を企んでいる悪魔でも降りてきたのか。Yはちょっと風邪気味。さっぱりしたものが食べたいと言うので急遽、温そばをつくることにした。
2011.1.24
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子がトランシーバー(無線機)を欲しいと言い出したのは、半年くらい前の話だ。仲よしの友だち二人と「極秘裏に」結成している“少女探偵団”で使いたいからだという。二〜三千円のおもちゃは使い物にならないからせめて一万円ほどの特定小電力トランシーバーかと、わたしも山などで使ったら面白いだろうと買う気になってあれこれ調べていたが、そのうち子の生活態度が悪くなったり、わたし自身の仕事が忙しくなったりで何となく立ち消えてしまった。お正月が過ぎてある日、子がピンクのプラスチックの小箱に入れたがま口をこっそりと持ってきて、トランシーバーのお金を三人で4千円ほど集めたがこれで買えるだろうかと言ってきた。わたしは改めてWebで調べなおして、「EXPLORER 製の特定小電力トランシーバー 2台セット&イヤホン付 ET-20X」(最安値の店で送料込みで7千円ほど)あたりが良いだろうと目星をつけ、「じゃあ残りはお父さんが出してやるから、その代わりにお父さんも少女探偵団に入れろよ」と言って注文をした。それが先日、届いた。口座間の振込みで通帳を出してもらったためにやむを得ずYにはこの件「他言ならず」で説明したのだが、Yは「紫乃はお父さんに買ってもらったって言ってるけど本当なの? こんな高いものをまた簡単に買い与えて・・」と子の前でわたしを叱り、わたしは「すみません」と謝った。
芥川賞を受賞した西村賢太氏が心酔しているとかという大正期の作家・藤澤清造についてWebであれこれと。読んでみたいけれど、入手は難しそうだ。→藤澤清造貧困小説集
話は変わるがこちらはどうか? なかひら まい「名草戸畔・古代紀国の女王伝説」 213頁全文を無料DL可。
市橋達也「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」が昨日、幻冬舎より刊行。アマゾンで見ても賛否両論。ま、ブックオフで100円の棚に並んだ頃に読んでみようか。
同じ幻冬舎のこちらは新書「宇宙は何でできているのか」(村山 斉)を数日前から読んでいる。面白い。無辺際の宇宙に泣き出したくなる。
2011.1.27
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一昨日から和歌山の義父母が来泊中。
今日は午前中、キッチンの兆番の修繕、車のワイパーの交換、玄関ドアの調整など。
昼から義父母たちとみなで車にて。まず重乃井にて昼食。その後、在原業平ゆかりと伝わる不退寺を散策。それから企画展「大和郡山の祭りと行事」を開催中の県立民俗博物館へ移動し企画展のほか、「草鞋表の製作」「なれずしの作り方」「狸の毛抜き(筆の製造)」等々の動画資料など。不退寺は鄙びた佇まいが好ましい。勢ぞろいの五大明王像と白化粧の本尊・聖観世音菩薩立像もそれなりに良かったが、寺内の小部屋に伊勢神宮を共に奉っているのが面白かった。民俗博物館の企画展はソネッタンと呼ばれるいまも続く巫女の血統や大蛇信仰等々、平城京の歴史に比べれば比較的新しい城下町にも地下伏流のように様々なアニミズムの名残が、いまもなお民間信仰の中で息を保ち続けていることが愉しい。
夜、Yと義母は城ホールの小椋佳のコンサートへでかける。
2011.1.30
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ジップを連れて昼に夜に界隈を散歩していると、この城下町の風情の残る路地のそちこちに如何に空き家が多いか(それもたいてい、長屋風の傾きかけた平屋)が思い知らされる。気候のよい日曜ともなればガイド片手にリュックサックを背負った年配のウォーカーたちがぞろぞろと歩いていくこの町も、ある意味で廃市となりかけているのかも知れない。わが家から目と鼻ほどの距離にある二軒の家も、そんな数多ある空き家のうちのひとつにおそらく違いなく、灯りがついているのを見たことがない。その二軒に挟まれて幅1メートルほどの土の地面の引っ込みがあって、そのくらがりを進んでいった先に、おそらく三畳一間ほどの物置のような小屋がひっそりと建っている。その小屋に向き合うようにして―――つまり引っ込みを挟んだ右手の家の背後にももう一軒の平屋があるのだが、その家もまた廃屋となっていて、持ち主はこのあたりには住んでいないらしい。で、この奥まった暗がりにある三畳一間ほどの物置のような小屋にこのごろ、深夜に灯りがともっているのを見かけたという話を近所の人がしていた。出入りしているのが、どうも“Sさん”らしい、というのだ。“Sさん”というのは、わが家の前の持ち主である。何でも近所の人たちのもっぱらの噂では、この“Sさん”には奥さんと一人娘がいたが、奥さんが娘の教育に熱心なあまりに夫のことをほとんど相手にせず、寂しさに紛れてギャンブルにはまりこんでいった“Sさん”は借金をつくり、ついに夫婦は離婚。奥さんは娘さんと出て行き、ローンの残っていた家は競売にかけられた。“Sさん”はその後、大阪へ行ったというが、詳しいことは誰も知らない。そして例の三畳一間ほどの小屋は、かつて“Sさん”の母親が内職をするために(近所の人から)一時借りていたときがあって、おそらく“Sさん”はそのときの鍵をいまも持っているのかも知れない、と近所の人は言うのである。よくジップのことで懇意にしてくれるSさんも、この“Sさん”とは子ども時分からの付き合いだったらしいから、“Sさん”にとってこの下町界隈は生まれ育った故郷といえるような場所であるに違いない。わが家にとってはあまり気持ちのいい話ではないが、夢潰えた初老の男が故郷の町の棄てられた小屋に夜中にもぐりこむという図式は、別の意味で興味がそそられる。「お父さん、少女探偵団の出番かもね」と囁いた子は母に厳しい口調で止められた。次の日の夜。夕食後に、わたしはジップを連れてその小屋の前まで1メートルの暗がりを覗いてみた。小屋の前に男が食べたものか知らないが、カップラーメンのわりと新しいふうの蓋が一枚落ちていたのをジップがくわえた。
2011.2.2
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少女探偵団のひみつの無線機のことはすでに書いた。“ひみつ”であったはずの無線機は先日、団員のひとりであるKちゃんが「罪の深さ」に耐えかねてお母さんに告白し、白日の下に晒されたのだった。4千円もの金額は、やはり小学生が秘密裏に運用するには少々大金であり過ぎた。Kちゃんはおじいちゃんおばあちゃんの家でもらった少なくはない金額を所持しており、そのお金の使途については必ずお母さんに報告をすることという約束を以って所持を許されていたのであった。ちなみに今回のそれぞれの出資額は、団員たちの話をまとめればKちゃんが二千円ほど、Nちゃんが千円ほど、子が千円ほどといったところだったらしい。子の千円は、Yの友人がくれたお小遣い(折りたたんだ千円札)が鞄の底に残っていたのを子がひそかに回収していた。今回の事件は世の母親たちを驚愕させたわけだけれど、その点についてわたしとYの間で少々、意見の相違が在って揉めた。Yは「4千円という金額(わたしが追加した実際の購入金額7千円も含めて)は子どもには大金である。こうしたお金の取り扱いについては、それぞれの家のしつけや決まりごとがあってわが家のことだけではないのだから、その辺を尊重・配慮すべき」という意見である。それに対してわたしは「親は親でそうして子どもを管理しようとして、それはそれで必要なわけだけれど一方、子どもは子どもの世界というものがあり、ときには子どもたちだけのひみつというものもあって、それはそれで大切なものだ。要するにトム・ソーヤとハックルベリー・フィンが洞窟で見つけた財宝は、それが大金であればあるほど、大人たちにひみつであればあるほど輝きを増す」というもので、この平行線は最後まで交わることがなかった。
Webで見つけたスガキヤの台湾ラーメン。これは大失敗だった。ただただ辛いだけで、あの台湾ラーメンの面影は微塵もない。これを「台湾ラーメン」と呼ぶのは犯罪に近いのではないか? 残り11袋(12袋入りひと箱)をサテ、どうしたものか。
大阪の若き友人U君より、フランスの映画監督が友川かずきを撮ったドキュメンタリー「花々の過失」を見てきたというメールが届き、悔しくてその晩、アマゾンで思わずDVD付「友川カズキ 歌詞集 1974-2010 ユメは日々元気に死んでゆく」(ミリオン出版)を注文してしまった。
エジプトの騒乱を見ていると、国家というものは脆いものだな、民衆というのは勁いものだな、と思う。その同じ感想が、この国になるといっこう当てはまらないのがもどかしい。そのときが来たら、おれは家や車なんぞといったものくらい、いつでも捨てられるよ。 Power to the people と叫ぶレノンの歌の方がおれにはいまも大事だ。
Tさんの娘さんの公判が先日から始まっている。新聞は毎日、詳細を報じている。今日はTさんの奥さんが弁護側の証人で出廷する。こころの真の闇の底というものは、裁判ではなかなかさらい切れない。夫が妻に負わせたこころの傷は裁かれず、妻の具体的行為だけが裁かれる。検察は虐待された子どもの遺体をモニターに映し出す。目に見えるものが優先だ。
ああ冬枯れの山中に分け入って、竹箸をナイフで削り、石で沸かした味噌汁をすすりたいな。
2011.2.4
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初雪。夜中のうちに降り積もって、翌日にも降り続いてさらに積もるというのは、ここの数年でも珍しい。雪の中、ジップの散歩を終えたて帰ったところに、またぞろ起きてきた子に雪遊びの相手をせがまれる。向かいのYさんも玄関を出てきたところ標的にされ、わが家の前で子と二人でしばし雪の投げあいを始める。
午後、柳澤文庫へおもむき、お願いしていた江戸期の町割図にあるわが家の敷地部分の説明を伺う。まず別資料(町割復元図)で見つけた「現状と一致している敷地」のひとつがわが家の敷地で間違いのないことを確認。肝心の町割図であるが、一枚は寛政10年(1798年)のもので、甲斐国甲府藩主だった柳沢吉里が郡山城主となったのが享保9年(1724年)であるから、それから74年後に製作されたもの。わが家の敷地には「今中歳久」の名が記されている。1798年というと、日本では本居宣長が『古事記伝』を完成、遠くフランスではナポレオンがエジプト遠征を行った年である。それからもう一枚。こちらは年代不明で一般には公開されていないもう一枚の町割図も見せてくれて、そのわが家の敷地部分には「山城屋利兵衛居宅」という文字が記されている。データは支障があるとのことだったが、双方のわが家の部分だけの拡大図をプリントアウトして頂くことができた。いまからおよそ200年ばかり前、この土地の上にどんな家族がいて、どんな暮らしを送っていたのか。それはそれで考えると面白い。あとはこれらの名前や姓が土地の文書にでも出てくれば、仕事や身分などがひょっとしたら分かるかも知れない。素人の探索ごとで今回、柳澤文庫のTさんにはいろいろ親切に対応して頂いた。ありがとうございました。
柳澤文庫から帰ってくるとわが家の庭には子豚たちが4匹、みなで庭中の雪をバケツにかき集めて、まさに決戦の火蓋が切って落とされようとしていた。
ひさしぶりに確保した連休の初日は炊事係も担当。昼は最近はやりの鶏肉と茄子の温蕎麦。夜は手製の肉団子に大根おろしをたっぷりかけた雪見鍋と味噌うどんで、どちらも大好評。
明日はかねてからの子との約束で、葛城山へ雪すべりに。
2011.2.11
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朝7時半出発。Yは「寒いから」という理由で留守居役。約1時間後に葛城山ロープウェイ乗り場へ到着。駐車場代千円。ロープウェイ駅には身障者用トイレがないので苦労した。男子トイレの狭い和式便所内でのカテーテル導尿は難儀した。やむを得ず開け放した扉越しにわたしがカテーテルを渡しながら、中腰姿勢を支えてやる。洋式便所があれば一人でできるのだけど。ロープウェイ代は子の身障者手帳を使って、親子往復分で920円。朝一番の9時10分発のロープウェイで山頂へ。折りしも昨日は大雪の一日。ロープウェイから見下ろす、はるか眼下の純白に染まった大和盆地の大パノラマは壮大だったな。やはりときどきこうした風景を見ないとニンゲンがだめになる。山頂は曇り空で全体が薄暗く、まだ小雪がちらついていた。ロッジへ向かうらしい軽トラックが立ち往生している。葛城高原ロッジの情報であった積雪30センチはほんとうで、しかも雪玉をにぎれないほどのさらさらとしたパウダーのような雪。子は「片栗粉にまぶされるみたいだ」と言って歩いている。いつもの斜面で雪すべり。2年前は親子二人同乗してすべったソリも、もう二人では乗れない。しばらく雪まみれになって遊んでから「ちょっと暖まろう」と前回、うどんを食べてストーブにあたった食堂へ入ろうとしたが休業らしい。こんな三連休のど真ん中に休んで、いったいいつ営業するのかね。当てが外れた子は寒さが急に増したようで、手が冷たい、車に戻りたいと言う。見ればグローブが中まで雪が入って濡れている。ブーツの中にも少々入っているらしい。足はしもやけなどになると治りが遅いので心配なため、下山することにする。帰りのロープウェイは貸しきり状態。車で着替えをする。新庄あたりの国道沿いの回転寿司屋で昼食。子がいつもの倍くらい食べて驚く。精算時に、隣で食べていた初老の夫婦の奥さんの方が急に振り向いてわたしが持っていた伝票の上に200円の割引券を黙って置いてくれた。わけが分からないまま使わせてもらった。2時頃に帰宅。わたしの部屋のストーブの前で子とわたしとジップ、二人と一匹がならんで眠った。
2011.2.12
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わが家のリビングにはテレビがないので、ふだんはほとんどテレビを見ることがない。食事のときは会話をするし、朝食のときだけはわたしが新聞を読むので、子もこども新聞を読み、Yは広告や求人チラシを眺めて、それぞれ見つけた記事の話をする。そんなわけで、家族そろってテレビを見るのはある意味、特別な日――――“テレビの日”だ。2階の「視聴覚室」兼「お客さん用の部屋」にあるテレビの前にポテトチップや各自の飲み物(子は牛乳。夜ならわたしはビール、Yはワイン)を用意して、生番組や録画したテープ、借りてきた映画などを見る。昨日はそんな“テレビの日”だった。録画したテープから番組を三つ。イギリスのBBCが製作した、家ごとごっそり“1970年代仕様”にした家族がパソコンも電子レンジもない1週間を体験するというもの。最近、奈良・桜井の纒向遺跡で見つかった大型住居跡と数千個に及ぶ桃の種から邪馬台国を推理する歴史もの。大地震と政変の混乱冷めやらぬハイチで倒壊した結核病院の再建に奔走する、医師でありカトリックのシスターである83歳の日本人女性を追ったもの。
amazon で「ボブ・ディラン 全年代インタビュー集 完全保存版」(ムック)を購入。休日の日溜りのなかで読む。
2011.2.20
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いまエジプトやリビアへ行ったら“ほんものの男たち”の姿が見られるかも知れない。首なしの胴体や焼け焦げた頭蓋骨に交じって、己に打ち勝とうとしている男たちの姿が。
魂のかけらでも取り戻したいと思って夜中に注文した、The Staple Singers の veejay 時代のベスト盤がきょう届いた。
2011.2.23
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ひさしぶりの連休。昨日は朝から大阪・天満の検診センターにて健康診断。その後、梅田に移動してポイントの切れるヨドバシカードでPC用のヘッドホンと、車でiPODが聴けるFMトランスミッター(バファロー:BSFM15BK)を購入。後者はわたしの所有のiPODが古い機種で対応可能のモノを探すのに手間取り、また値段が安いのでほんとうに使えるか疑念もあったが、ちゃんとFMで安定した音が拾える。これでiPODの音楽をそのまま車に持ち込めるのが素晴らしいし、USBポートが付いているのでiPODや携帯の充電もできる。二千円でこれだけの機能があれば大満足じゃ。ひさしぶりに足を延ばした梅田の人込みがやけに疲れる。おれは奈良がちょうどいいわ。御堂筋線で動物園前へ。西成の商店街をしばしぶらつき、一泊450円の安宿のフロントや山盛りのおからを売っている総菜屋やただ立っているだけのオッサンの姿などを眺めて心が安らぐ。いつもの「雲隆」でいつもの台湾ラーメンと焼き飯の黄金セットを食べ、心満たされて大和路快速でさっさと帰ってくる。夜は家族三人で「いのちの食べかた」を見る。台詞も解説も必要ない素晴らしいドキュメンタリー映像です。明けて今日の朝6時にはジップの散歩をしながら昨夜の完全オートメーション化されたいのちとたとえばイヌイットが狩りの果てに捕らえて食らういのちとの違いについて子と話す。今日は昼に公民館で4年生全員が歌う市の福祉協議会主催の催し物。子が誘った近所のYさんご夫婦とリコーダーの演奏や合唱などを見に行く。その後、車でジップを乗せて民俗博物館へ。片手はジップのリード、片手はトランシーバを持って公園内を歩き回る。Yは花粉症でへろへろ。夕方、工務店のMさん・外溝業者さんが来て自転車置場の改装の件で見積もりを出してもらうことに。ヤフオクでデロンギのオイルヒーターが3500円で落札。
2011.2.26
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仕事帰りに立ち寄った駅前の本屋で市橋達也「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎)を買って帰った晩、向かいのYさんから神棚の取り付けを頼まれて施工する。いままでずっと西向きに祀っていた神棚が、東向きでなければいけなかったと助言を受け、旦那さんが棚受けを買ってきたもののネジが固くて回らなかった、と。マキタのドライバーで下穴を開け、インパクト・モードで打ち込んで何とか完了。お礼にと焼酎の一升瓶を1本、頂いた。
2011.2.28
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ネットでマタギの本などを検索していて偶然辿りついた、1915年(大正4年)に北海道の開拓地で起きた「日本史上最大最悪の獣害」―――三毛別羆事件の記事に心が凍りついた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2011.3.2
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月曜日の夕方のことだ。前の晩に、しばらく前から時折り耳鳴りがすると言い出した子を(わたしとジップの夜の散歩をしているときに古い造り酒屋の軒下で耳をおさえてうずくまった)病院へ連れて行ったYから職場に電話があった。耳の検査の結果は異常は見当たらない。しばらく前にお母さん仲間から“噂のようなもの”を聞いていたYがそれとなく話を向けると、子は語り出した。3学期が始まった頃から複数のクラスメートからわざと身体をぶつけられたり、また集団で無視されることなどが続いていたことなど。因みにお母さん仲間からYが聞いていた“噂のようなもの”は、体育の大縄跳びでクラス対抗で連続回数を競う時に子が縄に引っかかって止めてしまっても謝らないことに不満を持っている子どもがいるらしいこと。また別の子が子について「女王様気取り」だと言っていた話などがあった。Yは子の話を訊いて夕方、担任のT先生に電話で相談をしたところ、T先生がこれからわが家に来て話をしたいとのこと。但しジップが夕方の散歩の時間でもあって、家では吠えて五月蝿いだろうからYの方から学校へ行って話をしてくる、との内容だった。Yがすこし涙声になっていたこともあって、“モンスター・ペアレント”を自認するわたしは職場を早引きさせてもらって、20分後には小学校の教室でYといっしょに担任のT先生と向き合っていた。T先生はいじめの兆候は感じられなかったと仰る。そして、もし理由(心当たり)があるとしたらとして、大縄のこともそうだが、たとえば部活の器楽部での早朝の練習のときなどに子が練習を忘れていて遅れてやって来てみなを待たせた等々の日頃の蓄積などもあるかも知れないと仰る。わたしはそれを聞いて、ちょっと違うのではないか、と言った。子が読書や書き物に夢中になって時に生活がだらしがなくなることは親としてよく認識しているし、家でも日頃口を酸っぱくして叱っている。子が100パーセントのいい子だとは決して思わないが、それは子どもなら誰でもおなじで、どの家だっていろいろ悩みは抱えているだろう。そうした個人的な問題と、今回のことのように多数が一を排除するようなことはそもそも次元の異なる問題ではないですか。個人対個人の喧嘩や諍いはいろいろあってもわたしは構わない。けれど多数対一は、いわば暴力ですよ。多数は軽い気持ちでやっていたとしても、一にはとっては時として死に追いやられるくらいの暴力になるんですよ。それを聞いてT先生はその通りだと仰る。「お父さんが言われるように、別のことですから、このことについて紫乃ちゃんとよく話し合って解決を目指したい」 その文言を何度も繰り返すので、いやちょっと待ってください、話を訊くのは「うちの子」だけですか? ほかの子どもたちからも話を訊くべきではないんですか? そうじゃないと全体が分からないし、解決にもならないでしょ? その通りだとT先生は仰る。また体育の大縄の件については、(それが今回の原因か分からないが)わたしとしては親バカだろうが、子がハンディを持っているが故に逆に謝りたくない・謝るものかという気持ち、また当初に縄を振る役をすすめられたときに跳びたいと拒否した気持ちもないがしろに出来ない。だが今後、年を追うごとに他者との運動的能力の開きは歴然として開いてくるのは明らかであるし、競争原理がある種目に於いては、もしそれがいじめを誘発させるのだとしたらどこかでラインを引いて、時に退くことも考えねばならないのかも知れないとも話した。そんなあれこれ一時間半ほど話をして、子が塾から帰ってくる時間になったので、とりあえずT先生にいったん委ねることにして帰宅した。帰って食事をしながら子と話をしたのは、じぶんでどうしても解決の出来ないことがあれば相談をすること、お父さんもお母さんもおまえの味方だからお前が間違ったことをしていたらおまえを叱るし、おまえが間違っていないのに理不尽な扱いをされていたら学校でもよその子どもの親でもとことん闘ってやること、自殺をした子ども(おまえにいままで何度か話をしてきたと思うが)のようにそれでもどうしてもうまくいかなかったら別に学校にこだわることはない、学校なんか転校したっていいんだし、辞めたっていいんだし、学校以外でも生きていく道はいくらでもあることを忘れないこと、そしておまえは病気があるからこれまでもたくさんの大人や友だちに助けてもらってきているがそれを当たり前だと思っていないか、友だちもそうだしたとえばお母さんに浣腸をしてもらったりするときでも都度、感謝気持ちを持ってその意をきちんと伝えること、また装具を履いている足は感覚が鈍いからおまえは踏んだことが分かりにくいし踏まれた方ではとても痛いから混雑した場所ではよく注意をして歩くこと、間違って踏んでしまったときは相手に伝わるようにはっきりと謝ること、等々の話を遅くまでした。翌日、午後の道徳の授業の時間に、T先生は「子のいじめ」に関わった子ども6人(女の子5人、男の子1人)を一人づつ呼んで話をした。全員が泣きながら席に戻ってきたという。最後に全員が子に謝罪をし、またT先生からそれぞれの子どもたちに「今回のことは家に帰っておうちの人に、こんなことがあったとじぶんから話をしなさい」と言ったという。そうして判明した内容はというと、一人の子が一学期のときの遠足のバスの中で子に足を踏まれて謝罪をしてもらえなかった話を休み時間にすると他の数人が「そうそう、そういうところがある」と賛同し、またその直後に同じグループ内で誰かが「トイレに行く」というのを「便所に行く」と言ったのが大いに受けてそのときに子を「ウンコ」と呼ぼうという話になって、それから一連のいじめが始まり、二ヶ月以上継続していたというのだから、あまりのレベルの低さに怒る気も失せる。(子などはあとでそのウンコの話を聞いて、「情けない」と笑いころげていた) 大勢で取り決めをして無視をする、わざと身体をぶつけてくるといった行為の他に、子の文房具を捨てた子もいたらしい。しかしこの「低レベルの容易さ」がある意味、同時に怖いことなのかも知れない。今回の6人のうちの多くは、Yによると子が足の手術をして車椅子で登校していたときにいつも手伝ってくれていたグループだというのも深い意味があるような気もする。一人は大縄大会の作文でわざわざ「紫乃ちゃんといっしょに跳べてよかった」なぞと書いていた子だ。その気持ちがどこかで裏切られたと感じたからなのか。またもう一人の子は一度、わが家にも遊びに来たこともある。その他、情報通のKちゃんのお母さんによると、6人のうちの幾人かは「先生や大人の前では猫をかぶるタイプだから気をつけたほうがいい」という話などもあり、わたしにはよく分からない。次の日、子は6人のうちの一人から謝罪の手紙をもらった。「ほんとうは話をしたかったのに、他の子を裏切るのが怖くてできなかった」などと書かれていた。子はさっそく返事を書いて次の日の朝、いちばんに渡すのだといつもより早く家を出て行った。
2011.3.4
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彼女のリクエストでひさしぶりの天王寺動物園。子のお目当てはハイエナ、ライオン、オオカミ、そして蝙蝠。
帰りに新世界一という評判の「かんかん」で。
2011.3.5
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地震の安否確認。
●茨城県北茨城市に住むわたしの母
11日の夕方にやっと携帯電話がつながる。二階の主にわたしがかつて使っていた部屋の本棚が一台倒れてばらばらに。わたしの蔵書やLPレコード、カセットテープなどが散乱し、大型スピーカーの上に乗せていたレコードプレーヤーが滑り落ちた。その他外壁に些少のひび割れなど。電気・ガス・水道はすべてストップ。灯油のストーブで暖をとっている。夜は余震の連続でほとんど眠れなかった。12日なってガス会社が調査のため2〜3日元栓をしめるのでとガスボンベを持って来た。12日昼、近所の人の車で近くのスーパーへ行くがスーパーは天井が落下して閉店、隣の薬屋で数限定のミネラルウォーターとカップラーメンを並んで買った。続いて並びのコンビにも並んで入ったがすでにろくな商品もなかった。向かいの小学校の校庭で給水車待ちの多数の列ができていたが、もらわず帰ってきた。行政からの連絡・広報はこれまでなし。近所の話では河川や国道沿いの堤防で決壊・氾濫等の被害が出ているらしい。電車は動いていない。携帯電話は予備のバッテリーがひとつあるが、すでに二つ目を使用。
●茨城県水戸市に住むわたしの妹夫婦
地震後、しばらくして携帯のメールで連絡が取れる。市内のショッピングセンターにて地震に遭遇。「立っていられないくらいだった」 帰りの車路は渋滞でなかなか動かず、ところどころ陥没している箇所もあった。マンションは酷い散乱はないが、一部窓のしまりが悪くなった。電気・ガス・水道はすべてストップ。携帯電話は車で充電している。車に乗ったままショッピングセンターなどの駐車場に避難している人もいるようだと。12日の午後に電気は復旧。ガスは使えるかも知れないが怖くて使っていない。情報に拠れば県内の数十箇所の道路で通行止め、特に河川・湖沼にかかる橋がかなり渡れない。常磐道(高速道路)は緊急支援の車両専用で、一般車は通行禁止となっている。JR常磐線は取手以南しか動いていない。復旧の見込みもない。
●千葉県市川市に住むおばさん(わたしの亡き伯父の伴侶)
12日朝になって電話がかかったが、向こうの声だけ聞こえて、こちらの声は向こうには聞こえない模様。元気に「もしもし」と言っているので良しとする。
●都内江戸川区に住むわたしの従兄一家
12日朝になってやっと携帯がつながる。昨夜は東京メトロの深夜運行で帰宅した。社内の後方支援担当なので、週末は休日返上で、これから電車が動いているか分からないがとりあえず出かけてくる。もう一人の従兄も昨夜は職場の銀行に閉じ込められたが無事と。
●タンカー船に乗っているYの従兄(和歌山在住)
11日の地震発生時は仙台港で積荷の油を陸揚げしている作業の最中だった。急いで撤収をし、まさに迫り来る波に逆らって沖へ逃げたが、ひどく怖ろしかった。
●都庁で働いているわたしの悪友A(都内足立区在住)
地震発生直後にメール、携帯電話共に通じる。11日夜は新宿から歩いて帰宅。
●福島県原ノ町に住むわたしの友人O
都内のかれの実家も含めて11日はまったく連絡つかず。携帯は不通。固定はつながるが留守番電話になる。12日朝になってやっと固定電話が通じて無事を確認。揺れを感じて思わず3階のベランダに出たら、床に亀裂が走った。海岸沿い、10メートルの高さの崖の上に社屋があるので「ここまではこないだろう」と思っていたが、津波があと数メートルまで迫ってきて慌てて高台へ橋って逃げた。11日は夜になって、道も定かでなかったのでそのまま会社に泊まった。12日の朝に車で社宅に帰ってきた。山側はそれほどではないが、海沿い近くの道はかなり酷い状態のところもあった。
2011.3.12
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百歩ゆずって地震・津波は天災であっても、原発事故は明らかな人災だ。「想定外」とは「想定が甘かった」と同義語である。見回りに行っている間にいつの間にかポンプの燃料が切れていて核燃料が空焚きになってました、とはお前らいったいまじめにやる気があるのか。最初に1号機の建屋が吹き飛んだときの一連の記者会見のアホぶりは正にほんまものだったか。こんなやつらにすべてをお任せの無能な政治家も情けないし、こんなやつらに命を預けているおれたちも同じくらいに情けない。
最悪の事態に備えてせめて水戸の妹夫婦に合流しろとの忠告を頑固婆は聞く耳持たずで、「あたしゃここでいいよ」と宣う。福島第1原発から70〜80キロ、第2原発から50〜60キロの距離は安全とは言い難い。「危ないから来なくていい」「いまさらこの歳でもう動きたくない」 県のサイトでわたしと道路情報を漁っていた妹だが、車の燃料が心もとなく、市内のGSで4時間待ちといわれて引き返した。水も電気も復旧しない中、唯一の連絡ツールであった携帯電話のバッテリーが今朝、ついに切れた。今日は会社の上司に話をつけて明日にでも奈良を発つかと覚悟したが、すでに都内でも瞬く間にガソリンは売り切れと。ガソリンがなくては車もただの鉄の箱じゃ。もはや打つ手がない。
もっと大変な人、悲惨な目に遭っている人はたくさんいるし、放射能の恐怖にさらされている人も何万人もいるわけだ。母もその大勢のうちの一人なんだと思った。ならば一人を含む大勢の運命を祈ろう。
今日はひさしぶりに友人Oの携帯電話がつながった。かれはまだ福島・原ノ町―――福島第1原発から25キロのところ―――にいる。化学専門のかれよりひとしきり原発や放射能に関する話を聞いた。もうすこし様子を見て、いざとなったら北へ逃げ、それから日本海側へ。
サワさんからもメールが来て、無事が確認できた。
2011.3.14
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遠隔広報の苦心惨憺。母がようやく水戸の妹夫婦宅まで退避。今朝の「進展」で放射能汚染が間近になったからか、東京の娘夫婦のもとへ行くという近所の人に声をかけられて気持ちが揺らいだらしい。荷支度をして、ガソリンの「配給」(?)があるという噂を聞いて駅前のGSへ向かった近所の人を待つこと4時間。結局、噂は噂に過ぎず、東京行きはいったん白紙となった。その後、わたしのすすめで電話帳で探したタクシー会社へ電話を入れた母は夕方、妹夫婦宅へ辿りついた。タクシー代、2万円也。
昨日の朝以来、連絡のつかなかった福島のOはまだ原ノ町にいる。話題になることの多い福島第1原発の1号機や3号機よりも、容器の外側にある使用済み核燃料が水素爆発を起こした4号機の事故と、それをもたらした東電のずさんな管理能力に「もうこりゃだめだ」と思った。屋内退避を心がけ、雨が降るのを待っていたというOは今夜の雨を見て、明るくなった明け方に車で脱出。再開した東北新幹線が折返し運転する那須塩原駅へ車を置いて、新幹線で東京へ帰ると。
石原慎太郎が今回の震災を天罰だと言って話題になっているようだが、まあ、「天罰」というのは悲しみに打ちひしがれている被災者にとっては無遠慮な物言いであるにしろ、ニンゲンに対する、あるいは文明に対する警鐘―――――何か、この惑星が発しているサインなのかも知れないとわたしも思ったりするわけだ。石原慎太郎は嫌いだけど、あながち的外れなことを言っているわけではないんじゃないの。間抜けな人間たちが寄ってたかって騒いで放射能撒き散らしているだけの原発のことだってそうだ。やっぱり、この惑星が何か言いたいわけだよ。惑星は喋れないからね。
2011.3.15
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【ワシントン時事】米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)は15日、声明を出し、福島第1原発事故の状況が国際原子力事故評価尺度(INES)で2番目に深刻な「レベル6」に近く、最悪の「レベル7」に達する可能性もあるとの見方を示した。
日本の経済産業省原子力安全・保安院は先に、今回の事故の暫定値を「レベル4」と発表していた。
ISISは声明で、福島第1原発の1〜3号機で爆発があったことや、4号機の原子炉建屋で火災が起きたことを踏まえ、「この事故はもはや(局所的な影響を伴う)レベル4とはみなせない」と指摘。緊急措置と広範な放射能汚染対策で国際社会の支援が必要だと強調した。
INESは、安全上の懸念がないレベル0から8段階で評価。1986年の旧ソ連のチェルノブイリの原発事故を「7」、1979年の米スリーマイル島原発事故を「5」としている。(2011/03/16-11:13)2011.3.16
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母、運転を再開した水戸ー東京間のバス、新幹線を経て夜7時、奈良着。
私は職場から市役所や県の医療管理課に電話で、母のような被災地からの避難者のために放射能等の健康診断の仕組みがないのかと噛み付く。(「放射能を測定する機器は県内にないのか」との問いに、なぜか言い渋っていたが最終「橿原の県立医大にあるが、実施してくれるかどうかは直接訊いてくれ」との由)
夜、Yとの電話で、水戸に住む妹夫婦もひょっとしたら明日あたり奈良へ・・・ との話が出る。「いつでも遠慮なくきてくださいね」とのYの言葉に、妹の旦那が電話の向こうで思わず嗚咽する場面も。 「○○さんには言いにくかったのよ。○○さんからも言ってあげて」とのYの言葉に、「う〜ん。県営団地の入居の時に保証人を断られたしな・・・」と冗談めかしてわたし。
2011.3.17
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朝、橿原の県立医大に電話をかけて、放射能の検査等をしてもらえるかを訊く。放射線科のUさんという方が出て丁寧な口調で「ちょうどいまそのことについて病院でも対応を協議中なので、すこし時間を下さい」との由。午後3時頃、再度電話があり「一応検査はさせて頂くので、これから来れますか?」とのことで、母を乗せて車で県立医大へ向かう。受付では「今回の検査についてまだ国のはっきりした指針が出ていないので、今回はとりあえずいったん、通常どうりの保険対応での支払いにさせて頂きます」との説明。電話を呉れたUさんがわざわざ受付に迎えに来られて、地階の放射線科まで案内してくれた。放射線科でH医師に引き継がれ、伺った状況からまず危険はないと思うが、「どうしても」というご要望なので、念のため測定器で身体の外側に付着していないかを診ます、と。数人がかりでダンボールの箱から取り出した測定器を手に、検査表のようなものを見ながら「ではまず手の甲から。右手の甲・・ 数字を言ってください」 ところが測定器を持った助手役の医師が装置を母の手にぴったりとくっつけ、「くっつけたらダメですよ。1センチくらい離してください」などと注意される場面も。測定器は県内ではこの医大にしかなく、つまり奈良県内では最初の一人目の放射能検査ということになる。頭のてっぺんから脱いだ靴、そして自宅から水戸までタクシーで移動したときに来ていた服も念のため測定してもらい、結果は異常なし。その後、血圧、聴診、リンパ腺の触診などもしてくれて「大丈夫でしょう」と。H医師は日常生活でわたしたちが浴びている放射能から今回のケースまで、親切にあれこれと説明してくれたが、わたしはわたしで「本人及び周囲の者が精神的に安心するためにも、こうした検診というかケア的なものが必要ではないか」と言ったのだった。何よりそうした想像力の欠如した市や県の行政に抗議する意味もあって、この測定にはあえてこだわってみたかった。因みにこの診察の最中にも「○○先生が気仙沼に1週間・・・」などといった会話が囁かれ、この病院からも放射線の医師が被災地へ派遣されるようであった。診察代はほぼ初診料の3千数百円ほど。
希望者続出の放射線量測定検査どう行われる 30代男性のケースを再現
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031719160075-n1.htm
2011.3.18
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休日二日目。「早くしないと終わっちゃうよ」と子にせがまれて朝から「ナルニア国物語/第3章: アスラン王と魔法の島」を見に、わたしの古巣のSC内の映画館へ行く。3Dメガネはちょっと疲れるな。子はリーピチープの別れの場面で涙。Yと母親はその間、ショッピング。映画終了後に合流して、無尽蔵のラーメンでお昼。
東北から北関東にかけてのあの悲惨と混乱と、西日本でのいつもと変わらぬ明るい日常とのギャップ。それらを埋めるものが見当たらないまま、ふつうにやり過ごしているじぶんがいる。
夜はわたしが餃子をつくる。食後にみなで図書館へ(土曜の夜は9時まで開館)。わたしは吉村昭「羆嵐」(新潮文庫)と広河隆一「原発被爆 東海村とチェルノブイリの教訓」(講談社)を借りてきた。
2011.3.19
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4月から半年間、こんどは50名を雇用しての県の緊急雇用対策委託事業(防犯パトロール)の準備であれこれと忙しくしている。内十数名は既存隊員や前回からの延長者なので完全な新規雇用は40名弱ほどだが、それだけでも相当な人数だ。パトロール中に、たとえば刃物を持った男に子どもが今まさに刺されそうになっている現場にもし出くわしたら、わたしたちはいったいどこまでしたらいいのか? という質問が60代の男性から出された。講義をしていた県警OBの方々が「それはあなた、無抵抗な弱者が命の危険にさらされているそんな場面で、もし警備員が逃げ出すようであれば、その会社ははっきりいって潰れますよ」なぞと解説したあとで、わたしはその話を継いで、実際に今回の原発事故で逃げ出した母の住む北茨城市の市民病院のある医師の話をした。一人の人間として、ぼくはけっしてその人を非難はしまい。けれども「医者」としては、おそらく失格でしょうね。そして最後には、医者とか警備員とか自衛隊とかいう肩書き以前に、ニンゲンとして己はどうなのか、といったことがやっぱり試されるんじゃないですか? だから別に会社のために命をかける必要はないですよ、全然。そんな大した会社じゃないし。目の前で子どもが殺されるのを黙って見ていたじぶんをかかえて生きていくか、そうではないか。究極といえば、そういうことなんじゃないですか?
毎朝、電車にゆられて、日なたに広げられた風呂敷のような大和盆地の風景を眺める。いつものまったりした田舎の景色なのに、そのやわらかな朝の光がいまはほのかに眼に、痛い。夜、子が「人間になりたがった猫」という本を持ってきて、人間嫌いの年寄りの魔法使いが飼い猫に言う台詞をやおら読み出した。「道具? やつらは、剣や槍をつくりおった! あいつらめ、わしがめぐんでやったものをひとつのこらず裏がえし、ひっくりかえし、あべこべにしおったわい。あいつらは、へなへなした病気がちな連中であった。そこで、わしは、木の根や草を薬として用いる法を伝授した。すると、毒薬を煎じる方法をみつけおった。アルコール分の弱いブドウ酒のつくり方を教えると、それを蒸留して、強いブランデーをつくりおった。役に立つ友にさせるため、牛や馬を飼うことを教えると、友どころか、こきつかってはたらかせておる。まったく自分勝手な生き物だ! 思いやりをもたんのだ。人間同士ですら思いやりをもたん。愛情? あいつらが愛情をもつのは金(きん)だけだ」 そのあとで、こんどはわたしが一冊の本を子の前にひろげる。アウシュビッツの靴の山。その無数の靴をかつて履いていたたくさんの足たち。子が「吐き気がしそうだ」と顔をそむける。
今日は休日で、朝から子を連れて大阪の病院へ。脳外科と整形外科の定期健診。Yは数日前から統一地方選挙のアルバイトで朝8時から夜8時まで市役所へ行っている。ひさしぶりの脳外科のY先生と、再生医療についての話など。希望というよりは、困難について。
母はあさって、いったん関東の自宅へ帰る。自治会の班長をやっているし、家も心配だから。「もう決めたから」と断言されたら、わたしもそれ以上はもう言わないことにした。まだ予断を許さないが「状況が悪化したら、(妹を連れて)またすぐ来いよ」とだけ言った。明日はそんな母に会いに和歌山の義母がやって来て、「紫乃がひとりだと心配だ」と、こんどは母に代わってしばらく滞在してくれる予定。
広河隆一「原発被爆 東海村とチェルノブイリの教訓」(講談社)と市橋達也の逃亡記「逮捕されるまで」(幻冬舎)を交互に読み継いでいる。Tony Rice のあたたかなアルバム Church Street Blues を聴いている。
2011.3.28
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泊まりにきている義父母のリクエストで桜が満開の飛鳥・石舞台を訪ねた。たくさんの家族連れで賑わっているが、そもそも石舞台は墓であり冥府であるのだから、いわば墓場を粧う桜だ。のどかな春の山郷に現出した巨大な石塊は、折れ重なり山と化した無数の亡骸かとも思う。わたしがいま見ているのは裏のそのまた裏の幻世のような気がする。目を瞑ればまなうらにはらはらと花弁のピンクが剥落し落下してゆく。まなうらで思わずそれを噛む。
2011.4.11
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裏木戸をつくった。支柱の基礎(束石)も埋めた。防腐剤入りのペンキを塗り、ネットで注文した片開きの自由蝶番待ち。
2011.4.16
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■ねずみとふくろう
ねずみとふくろうが出会った
ねずみが逃げだすと
ふくろうは悲しそうに見ていた
ねずみがとまっていると
ふくろうもそうしていたねずみとふくろうは仲よくなって
ねずみは言った
「いつかはわたしを食べるんでしょ」ふくろうは答えた
「ああ、いつかはね」
そう、いくらか悲しそうにある日、ふくろうは言った
「これから
しばらくの間、きみには会えぬかも知れぬ
ひなを育てにゃならん」するとねずみは言った
「ああ、いいよ
それならしかたがない
しばらくの間 さよなら 友よ
おまえの子が見たいものだ」ねずみは背を向けて去っていった
それから三週間して
ふくろうはねずみのところへ飛んできた「悲しい知らせをつたえなきゃならん」
そして、ねずみをくわえたのさ
「ひながえさを欲しがってね
きみのようなのを食べたいとさ」ねずみは言った
「いいともさ、おまえの力になれるなら
ああ、最後におまえの子どもを
見られるのだ
これほどうれしいことはない」しの
2011.4.16
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いかなる祖先の声か? この私の声は同じ時には生きられない、頭と肉体の声だ。私はもはやひとりの人間ではない。自分がいくつもの無限定の事物として感じられる。我々の時代の不幸は大いなる人間が存在しないことだ。我々の心の道は影に覆われている。声は聞くべきではないか。無用と思われる声でも。脳がいかに下水道や壁やアスファルトや福祉事業で詰まっていようと、虫の羽音も入れるべきではないか。我々の目に耳におおらかな夢の一端が見えて聞こえてよいではないか。ピラミッドを造ると誰かが叫ぶべきなのだ。実現するしないは大事ではない。大事なのは夢を育み、我々の魂をあらゆる所で果てしなく広がるシーツのようにのばしてやる事だ。世界が前を向く事を望むなら手に手をとって一つになろう。いわゆる健全な人も、病める人も。健全な人よ 何があなたの健全さなのだ? 人類は今、崖っぷちを見つめている。転落寸前の崖っぷちを。自由に何の意味があろう。あなた方が我々を正視する心を持たず、我々と共に食べ、共に飲み、共に眠る心を持たないなら。健全な人々がこの世を動かし、そして今、破局の淵に来たのだ。人よ! 聞いてくれ。君の中の水よ!火よ! 灰よ! 灰の中の骨よ! 骨よ! 灰よ! どこに生きる? 現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。天地と新しい契約を結び、太陽が夜かがやき、八月に雪を降らせるか? 大は滅び去り、小が存続する。世界は再び一体となるべきだ。ばらばらになりすぎた。自然を見れば分る事だ。生命は単純なのだ。原初に戻ろう。道をまちがえた所に戻ろう。生命のはじまりに! 水を汚さぬ所にまで! 何という世界なんだ。狂人が恥を知れと叫ばねばならぬとは!
母よ。母よ! 空気はこんなにも軽く顔にそよいでいる。微笑めばいっそう澄んでいる。『ノスタルジア』ドメニコ末期の台詞
2011.4.18
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今年の3月、中国四川省でチベット族の20歳の青年僧が抗議の焼身自殺を図った。青年僧はたちまち警官たちに取り囲まれ、こん棒で打ちつけられ、死んだ。2年前のおなじ3月にもやはりチベット僧が焼身自殺を図り、こちらは警察当局によって3発の銃弾を浴び、死んでいる。「焼身自殺を図った人間を銃で撃つ」という思想。「焼身自殺によって死ぬことすら許されない」という状況。
かたやヒロシマ、ナガサキに続いて三度目の被爆を経験してしまったこの国は、尖閣諸島や竹島などと比べようもない広大な国土の一部を確実に失いつつある。新聞で読んだ87歳の宮城県の老婆の言葉「命が助かったのが大事で、流された物は大したことでない」が胸に残った。その夜、ぼくは黒澤の「七人の侍」を見た。厳しい戦の後で老兵が言う。「勝ったのはわしらではなく、あの百姓たちだ」 宮城県の老婆の言葉は、戦の後で田植え唄を歌う映画の中の百姓たちの姿に重なる。しかし連日テレビに映る政治家や官僚や東電幹部や、あるいはぼく自身はどうだろうか? そこに連なっているのか? 「フクシマ50」なぞと海外メディアに紹介された福島原発で作業する東電社員たちだって、果たしてあの宮城県の老婆ほどの生きる智慧を持ち合わせているかどうか?
子は木曜日から発熱。インフルエンザではなかったが、今日も医者に連れて行った。
Yは長かった選挙のアルバイト(知事選・県議選・市議選 朝8時から夜8時まで)が明日で最終日。
砂漠のブルースと言われる Tinariwen の音楽を聴いている。
わたしたちはもういちど、あの「狂人たち」の声に耳を傾けるべきではないか?
2011.4.23
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アマゾン、ネット古書店、ヤフーオークションでさいきん買ったもの。Liam Clancy「The Essential Collection」、 Roots of Bob Dylan (Bonus Dvd)、勘定奉行21Ver.2公式導入ガイドブック (完璧マスターシリーズ) 、小山勝清「或村の近世史」、ピーター・トムプキンズ+クリストファー・バード「植物の神秘生活」、前田憲二監督「おきなわ戦の図 命どう宝」(VHS)、田中登監督「マル秘色情めす市場」(DVD)。こうした選択のどれもに(おそらく少なからず)、先の震災や現在の原発の状況が、心のひだに沿って微妙な影を落としている。たぶんわたしたち日本人は、これからしばらくそうしたことが続くだろう。
昨日は会社を早退して子の家庭訪問に合流。体育やいじめの話、また6月の野外活動(フィールドアスレチックのようなもの)について相談をする。25歳のかなり美人の先生の実家が黒滝村でキャンプ場を経営していると聞き子どもより父親の方が盛り上がる。
2011.4.28
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ウサマ・ビンラディン殺害。それでもやはり言っておきたい。他国で軍事作戦を行う権利がアメリカにあるのか。なぜ拘束ではなく、殺害なのか。亡骸までも海に捨ててしまう行為は(かれがどれだけ極悪人であったとしても)果たして許されるものなのか。そしてこの米海軍特殊部隊によって行われた作戦名が「ジェロニモ」」(米先住民族アパッチ族の指導者)。これらすべてのことにウサマ・ビンラディンは抵抗したのかも知れない。
2011.5.4
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休日。
北側の屋外コンセントから庭の物置(仮設置)まで、PB管に通した電線を埋設する。約6メートル。また書斎の床の間の上部分にも仏間とおなじ要領で収納棚を施工して、主にキャンプ用品の類を置く。
かねてから気になっていた駅前の小さな古本屋で上杉 聡「部落史がかわる」を、また子に石川 文洋「死んだらいけない」、村上 龍「13歳のハローワーク 」を購入する。3冊で1080円。
夜はアクアパッツァ を、こんどは「つばす」で。フライパンに収まらず、ホットプレートで焼く。食後は家族でトランプの七並べ。
2011.5.7
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連休。
昨日、土曜日は午前中、子のソロバン教室の送迎と、昼食作り。子が家庭科で習ったという野菜スープをつくると言うので、わたしは鶏肉とトマト缶でカチャトーラをつくって添える。その他は裏木戸の設置と、子の部屋に置くサイドテーブルの下調べや材料選びなど。午後からはYと二人で買い物ツアー。大きめの鉢植え二つ、チョコレート、(たまたま通りかかった)Yのシャツ、わたしの海水パンツを買った。
今日は町内の親睦会に家族三人で参加。(9割方)お年寄りたちと駅前からのバスに乗り込み出発。何だかはとバスにでも乗っているような気分。はじめて行った奈良健康ランドでは露天風呂も岩石サウナも入らず、バイキングの昼食もさっさと片づけて、ひたすら子の温水プールにつきあい、水着の若いお母さんたちの姿をときおりちらちらと追っていた。夕方に帰宅して、三人目の造園業者さんとの打ち合わせ。
一切合財を流され、愛する者を失い、放射能の脅威にさらされている無数の人々がなおも生きていかねばならないと歯を食いしばっているこの実時間の中で糞のような日々を送っている。糞のような日々に安住し、糞のような日々に埋没するより能のないじぶんがいる。
2011.5.15
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今日の図工の時間。一人の男の子から子が「障害者、だまれ」と言われたという話を聞いて、さて、どうしたものかと思案している夜。
2011.5.16
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子の同級生の「障害者」発言について、子とお互いに悪口を言い合っていた最中のことだったらしい。子から話を聞いた当初は、翌日にでも学校に行って直接、その子どもと話をしようと思ったりもしたが、仕事の都合でなかなか時間が取れず、その間に、本人もそれほど悪意があったわけでもなかろうからしばらく様子を見ようかとか、あるいは先生に「障害者」という言葉自体はそもそも悪い言葉ではないだろうに使い方によっては変わることもあるのはなぜか?ということをクラスで話し合ってもらうことを提言しようかと思ったり、いやいややっぱりこんな言葉のレッテル貼りが他の子どもたちも真似るようになって蔓延したらと思えば見過ごせないことだと考えたり、こちらはこちらであれこれと思い悩み、対応を決めかねていた。子はしばしば男の子と言い合いをするらしいのだが、今回のこともどうも「腐った雑巾め」とか「綿の詰まった靴下め」などと応酬する子に対して言葉に詰まった相手が苦し紛れに言った節も伺える。その当の「S君」について、「今日はどうだった?」と夕食の席で聞くことが常になり、「今日はSは野外活動の班分けのじゃんけんに負けて泣いて、それから体育のリレーの時にアンカーを落として拾いにもどって、Sにとってはホントについてない一日だったわ」なぞという子の話を聞いたりすると、なんだか「S君」も憎めないような気持ちになってきたりした。そうこうしているうちに昨日、またS君が子に「障害者」という発言をし、子がそれを担任の先生に相談した。先生はかなり怒ったらしい。夕方、Yのところへ「見過ごせないことだから、S君の親にも電話で伝えた。S君のご両親から、“お詫びをしたいので電話番号を教えて欲しい”と言われているが、教えても構わないか」という主旨の電話があった。それからしばらくしてS君の父親から電話があり、「今回の息子の言動を先生から訊いて大変ショックを受け、何とお詫びをしていいか分からない」等々と、Yいわく「私たちが逆の立場であったら、あれほど丁寧な謝罪が出来るか分からない」くらいの謝罪があり、それから「家内もお話したいと言っているので」と代わったS君の母親ははじめから泣き声であった。じぶんは実は看護士をしていて、障害を持った患者さんともよく接しているので子どもにはそうした人たちへの思いやりが持てるようにと育ててきたつもりだったが、どこで育て方を間違えたのか悲しくて仕方がない。そういってS君の母親は泣きながら謝り続けたという。S君の父親から「息子を連れて謝罪に伺いたい」との申し出があったが、Yは「そこまでしてくれなくていい。S君もきっと悪気はなかったと思うので」と断った。わたしは、S君の父親の気持ちがよく分かる。家の中で話をしたり叱るだけでなく、実際に相手の家を訪ねることによってかれが何かを学ぶことを期待したのだろう、と。「別に、来てもらってもよかったんじゃないかな。おれも(S君と)話をしたかったし」とわたしは言ったのだった。言われた方だけではなく、言った方の親もおなじかそれ以上につらいのだと、あらためてYとそんなふうな会話をした。
20年ぶりくらいに雑誌「世界」を買った。生命科学者の柳澤桂子さんが「原子力発電から離れよう」と題して書いた文章の要旨を、ネットで引いている人がいたのでそのまま孫引させて頂く。
(1)DNA修復機構
人類の祖先が生まれたのは、今から40億年前のことだ。DNAの大敵は、空から降り注ぐ紫外線と放射線だった。だから、初期の生物もDNAが紫外線や放射線に壊されたときに修復する機能を発達させている。それがDNA修復酵素だ。
生物の進化につれて、DNA修復機構は次第に複雑になった。この機構は、私たちの体を作っている細胞のなかにもある。
細菌が生まれて10億年たったとき、太陽のエネルギーを利用して光合成をする細菌が進化した。シアノバクテリアは、地球上で初めて太陽エネルギーを利用した生物で、葉緑体と呼ばれる器管を持つ。太陽光のエネルギーを使って、炭酸ガスと水からブドウ糖を作ることができる。
ブドウ糖は、いろいろな栄養物を作ることができるから、シアノバクテリアは外部から栄養を摂らなくても自立して生きていける。さらに、ブドウ糖を作る過程で、空中に酸素を放出し、エネルギーを細胞のなかに蓄える。
シアノバクテリアは、海中のいろいろな細胞の中に入りこんだ。ほかの細胞がシアノバクテリアを取りこんだのかもしれない。
かくて、海のなかには葉緑体をもつ細胞と、もたない細胞ができた。前者が植物、後者が動物だ。
光合成でできた酸素が増えると、酸素が3つくっついた分子、オゾンができる。オゾンは紫外線を遮るし、宇宙からの放射線も次第に弱くなっていたので、細胞は海の浅いところでも生きられるようになった。
紫外線を避けて海に住んでいた植物の中から、陸へ上がるものが出てきた。放射能も生物の生存に差しつかえないレベルまで低くなった。
最初の植物が陸に上がったのは、今から4億年前のことだ。植物は根を土の中に埋め、枝や葉を地上に出した。
初期の植物は水際に根を埋めて、用心深く、そろそろと土に上がってきた。生物の生存は、誕生の時から紫外線や放射線との闘いだった。植物が陸に上がると、昆虫も陸に上がった。
最初の哺乳類は、2億2,500万年前にあらわれたアデロバシレウスだ。そして、カモノハシ、トガリネズミ、カンガルー、ネズミ、ブタ、ウサギなどを経てサルに至る。類人猿と原人が分かれたのが今から700万年前、私たち現人が進化してきたのが20万年前だ。
人類は、アフリカのイブと呼ばれる一人の女性から生まれた。その子どもたちは、どんどん増えて紀元前8000年には100万人になった。彼らは、アフリカを出て世界各地に移住した。人口はさらに増えた。紀元前2500年には1億人、西暦0年には2億人、西暦1000年には3億人、1650年には5億人、1800年には10億人という速さで増えていった。18世紀、欧州で農業革命が起き、農作物の生産も人口も増えた。さらに産業革命と軌を一にして、急速な人口増加が起きた(人口爆発)。2010年には、69億人に達した。
(2)被曝によるガン
放射線は、物質を通り抜ける強い力を持つ。放射線を出す作用を放射能と呼ぶ。放射能を出す原子は、放射能を出して壊れ、別の原子になる。そして、ついには放射能を出さなくなる。
私たちの体は60兆個の細胞からできている。細胞は分子からでき、分子は原子からできている。原子の中心には陽子と中性子からなる原子核があり、そのまわりを電子が回っている。陽子はプラスの電気を持ち、電子はマイナスの電気を持つ。
放射線が一つの原子にあたると、その原子からは電子が大きなエネルギーを持って飛び出す。飛び出した電子は、行く先々で無数の分子にぶつかって、自分の持っているエネルギーを少しずつ分け与えていく。エネルギーを受け取った分子は興奮状態になったり、電子が飛び出したりする。
電子を失った原子を電離原子と呼ぶ。放射線の影響のほとんどが、体のなかに生じた電離分子による複雑な化学反応の結果引き起こされる。
生物の放射線による障害は、電離作用による。生物がどれくらいの放射線にあたったか、ということを放射線の引き起こす電離作用の大きさで表すことがある。その際に用いられる単位はラッド(Rad)だ。
放射線には、物質を突き抜ける力の強さのちがう3種類のものがある。アルファー線は、薄い紙1枚も突き抜けることはできない。ベータ線は、厚さ数ミリのアルミの板で遮られる。ガンマ線は、数センチの鉛の板でないと遮ることができない。
陽子やアルファー粒子は、狭い領域に密集してイオンを作るので、同じラッド数の電子やガンマ線に比べて、生物への影響は非常に大きい。そこで、すべての放射線の線量を生物が受ける影響という観点から共通の尺度で表すためにシーベルト(Sv)という単位を使う。シーベルトはいろいろな放射線の生物学的効果をガンマ線の効果に換算して表したものだ。
ヒトが短時間に全身に浴びたときの致死量は、6シーベルトとされる。短時間に1シーベルト以上の放射能を浴びると、吐き気、だるさ、血液の異常、消化器障害などが現れる(急性障害)。しかし、0.25シーベルト以下になると、目に見える変化は何も現れず、血液を調べても急性の変化は見つからない。
ところが、細胞を顕微鏡で調べると、DNAからできている染色体が切れたり、離れなくなったりしているものが見られることがある。このような異常は、細胞が分裂して増えていくときにも確実に複写されていく。
この異常によって、細胞が分裂を停止する命令を受け入れずに増え続けるとガンになる。
また、顕微鏡で見てもわからないような分子レベルの異常が起こっていて、細胞が分裂停止命令を無視するようになったときにもガンになる。
細胞のガン化は、外部に見られる障害を与えるよりずっと低い線量で起こる。しかも、今の医学ではガンが見えるようにならないと検出できない。発見されるまでに放射線を浴びてから5年、10年という長い年月がかかる。
細胞を異常にする放射線量に閾値があるのか、ないのか、研究者の間で議論されているが、いまだにハッキリとした答は出ていない。
体の中には免疫機構があって、ガン細胞を異物として排除する。その排除に失敗したときにガン細胞は増え出す。また、放射線の障害を取り除く酵素や修復機構があって、ガン細胞を正常な細胞に修復することもある。
生命は、誕生したときから放射線や紫外線の被害と闘ってきたので、修復機構は発達している。
分裂しない細胞では、DNAは何重にも折りたたまれて、染色体という形に凝縮されている。細胞が分裂するときには、染色体の凝縮はほどけて細い糸のように伸びる。このようなときには、放射線の被害を受けやすい。
成人したヒトでは、一部の細胞しか分裂していない。分裂している細胞がガン化しやすい。
ところが、胎児や子どもでは分裂している細胞がたくさあるので、彼らは放射線の被害を受けやすい。
大人が放射線を浴びた場合には、出てくる異常はたいていガンだ。胎児や子ども、特に胎児が放射線を浴びた場合には、細胞に突然変異が起こって、体のいろいろな異常として現れる。
以上、柳澤桂子「原子力発電から離れよう」(「世界」2011年6月号)に拠る。■語られる言葉の河へ http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/963987ed0a3e323d3488a04601cd6b77
もうひとつ、こんどは卑小なくだらない話。今年の3月26日にアイルランドのバンド、クランシー・ブラザースの Liam Clancy の「The Essential Collection: +DVD 」を amazon で注文した。輸入盤なので情報は少ないが、「デイスク2枚」とあり、タイトルからも特典映像のDVD付だろうと思い、2千円少々ならお徳だと思って購入したのだった。amazon は大抵注文から遅くても1週間以内にはほぼ商品が届くが、今回は待てど暮らせど届かなかった。そう思っていると「商品の発送が事情により遅れます」というメールが amazon から届いた。やがて注文よりほぼ1ヵ月後に商品が届いたが、それはCD2枚のベスト盤の体裁で、DVDは付いていなかった。こちらの見間違いだったかと改めてその商品のページを見ると商品のタイトルが以前の「The Essential Collection: +DVD 」から「Those Were the Days: the Essential Liam Clancy [Import, from US] 」に差し替えられていた。「+DVD 」が消されていたのである。しかし間抜けなことに、こちらの注文履歴までは処理できなかったらしく、わたしのアカウントの注文履歴には「The Essential Collection: +DVD 」がはっきりと残っている。おそらく商品の情報が間違っていたのだろう。人間のやることだから、それはそれでいい。しかし商品ページだけ差し替えておいて、すでに注文済だった者にはそれを伝えずに「遅れる」というメールだけを送信し、そうして黙って商品を送りつける、という一連の態度がどうにも腹立たしかったので、早速カスタマーサービスとやらに苦情の電話をした。このカスタマーサービスのハヤシさんという人と、それから日をまたがって、じつに実りのない会話のやりとりが続いたわけだが、結局amazon の唯一の窓口であるハヤシさんの説明としては、商品カタログに誤りがあったことに気づいて差し替えたが、当該商品の注文済みの客に連絡をするシステムが構築されてなかったために、客に連絡をすることなく商品を発送してしまった。これについては今後の改善の要望を担当部署に伝えるが、改善されるかどうかの結果は伝えることはできないし、改善を確約することもできない、というものであった。なら「担当部署の者を出してくれ」と言うと、「それは社内規定でできないことになっている」と言う。わたしは納得できず、改善しますという誓約書を文書で自宅に送ってくれ、と要求したのが先週の土曜日。その後、月曜の仕事中に何度か電話がかかってきたが忙しかったので出ないでいたら、その夜に最終告知のメールを一方的に送ってきた。以下。
○○様
Amazon.co.jpにご連絡いただき、ありがとうございます。
このたびは、お届けした商品のカタログに問題があり、ご迷惑をおかけいたしましたことを心からお詫び申し上げます。
お問合せ頂いておりました件について、何度か○○様にお電話させていただきましたが、つながらなかったため、Eメールにてご連絡させていただきますのでよろしくお願いいたします。
ご注文いただきました商品『The Essential Collection: +DVD 』につきましては、当サイトにてご案内しておりましたカタログ情報に誤りがあり、本来○○様がご要望されておりました商品をお届けすることができず、違う商品をお届けし、ご迷惑をおかけいたしました。
今回ご指摘頂きましたシステムの改善につきましては、捺印を承る事はできませんが書面郵送は可能ではございますので、ご希望の際にはあらためてご連絡下さい。
なお、今後このようなご迷惑をおかけしない様、システムの改善を担当部署に伝えさせていただきます。しかしながら、検討させていただいた結果をお客様へ連絡をさせて頂いておりませんことをご了承下さい。
そのため、書面の内容につきましても、担当部署に伝えた検討結果を記載する事は出来ません。また、お客様のご要望がシステムにすぐに改善されると言うお約束もできません事をご了承下さい。
この点につきまして、ご不便をおかけいたしますが、引き続き改善するように努力をさせていただきますので、今後ともAmazon.co.jpをご愛顧いただきますようお願いいたします。
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Amazon.co.jp は、お客様からのご意見により、地球上で最もお客様を大切にする会社を目指しています。
========================================わたしはこれを読んだ時点で、この愚かな盲目の象さんと会話を続けることの無意味を悟ったのだった。しかし「地球上で最もお客様を大切にする」には思わず、のけぞったわ。福島の避難所を東電の社長が謝罪に訪ねた際、「あんたの返事はどこぞのカスタマーサービスといっしょだ」と怒られていたけど、それは amazon のことだったんだね。
土曜の休日。子のソロバン教室の送迎、散髪、Yと冬物のクリーニング出しと買い物など。子は午後からテレビ朝日「ミュージックステーション」の撮影会へ。出演者のTOKIOだか誰かが郡山の出身とかで、その地元の小学生を集めての撮影が郡山城址、こちくや、紺屋などで行われるとか。学校経由で保護者の参加承諾書が回ってきた。放送は5月27日だそうな。
2011.5.21
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