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 元旦は過去最高の3万台の入庫車両を記録。3日に一日だけ休みができ、2日の勤務終了後、そのまま和歌山のYの実家へ向かった。紀勢本線の終電で23時半着。雑煮を食べ、おせちを食べ、すしを食べ、子と裏山のお墓を掃除しに行った。3日の夜に車で家族三人帰宅。4日はふたたび交通勤務。

 子がことしの夏、ふたたび足の手術をすることになった。6週間の入院予定。

2010.1.5

 

*

 

 子が両足のあちこちの筋肉を入れ替える手術をしたのは、もう4年ほど前になるだろうか。あのときの傷痕はいまも彼女の白い素足に哀しく残っている。今回、その対象となるのはそのうちの一箇所で、左足の、足首を上へ上げるために指の骨に引っ掛けた筋肉の動きがどうも上方へ働かず、左へ流れてしまっているので、もういちど修正を行うということらしい。左足は全体的に指が左、外向きへ流れるような形になっている。それだけ変形が進んでしまっているということだ。流動的な成長期の間に、いかに変形を抑えることができるかがポイントであり、筋肉の移植もそのためのいわば応急措置なのだけれど、いくら筋肉を換えてみても指令を伝える神経が機能していないのだから、やはりときどきに応じた修正が必要となるわけで、Yが医師に聞いてきた話では成長が止まるまでの間に幾度かは、こんな手術をしなければならない。前回もそうであったが、術後の養生と、その後のリハビリも含めて、入院期間は約6週間で、学校のこともあるから夏休みがいいだろうということになった。加えて、変形を極力おさえるために、ふたたび家の中でも装具を装着するようにとの指示を頂いた。また学校へ履いていっている市販のシューズも良くないので、装具メーカーのシューズの中敷を加工したものを使うことになった。一足、5万円ほどするらしいが、育成医療の補助対象となるかどうかを調べた上で、上靴と外靴の二足を作ってもらうかを検討する。明日の夕刻、その新しいシューズの型合せと、また装具の微調整をしてもらうことになり、わたしも仕事を早めにあがって合流することとした。うまくいけば、整形の担当医師から手術に関する詳しいお話を伺うことができるかも知れない。

 

 ところでヒサアキさんに癌の疑い? このところHPをひそかに注視している。以前にメールをもらっていたけれど、前のPCのOSを入れ替えた時に消失してしまった。で、こちらから通信はかなわない。

小泉義之はどこかで、今という時間(アイオーン)について

宇宙での星の衝突を例に記述していた。

おなじことを上野修は「ドゥルーズ/ガタリの現在」中の論考で

紀元前44年にローマでカエサルが暗殺されたという歴史上の

出来事を例にアイオーンを記述している。


僕も耳裏のイボを切除した出来事(!)をもちだしてアイオーンについて

考えてみたい。

12月初旬の検査(主治医による通常の腹部CTと超音波診断)によって

前立腺と膵臓を疑われた。(前立腺腫瘍マーカー5.3)

中旬に医療センターでの精密検査を告げられ、肝臓内科と泌尿器科の

予約日が決まった。その足で僕は皮膚科をたずねた。

スターキーの耳掛型の補聴器がイボのために収まりが悪い。

いっそイボを切除すればと思ったのだ。

そして実行した。

さて僕のイボ切除という出来事は誰にいつ起きたのか?

これが問いだ。

誰に?当事者は僕だ。医師が大失敗でもしない限り

医師にとっては出来事ではあるまい。

ではいつ起きたのか?

「膵臓もあきらかに肥大しています。普通ではない。」

と言われた時から僕のイボ切除は内在していた、といえる。

動揺して家にまっすぐ帰ってもちょっとアニージーかな、

そうだ、イボでも切って痛い目にあおうそれで気を紛らそう・・


イメージしてみてください。

「膵臓」を指摘されたその時、男の過去に伸びる出来事と

未来に伸びる出来事が生成され、なってゆく、というイメージを。

未来に伸びるどこかでイボ切りが「なった」。

同じように過去に伸びる線も変化した。

ベクトルとは違うだろうがそんな感じの線が変わった。

それらを高みから全体的に見通すことはできない。

アイオーンにはそのつど身を委ねるしかない。

 この文章はぼくにはちょっと難しい。難しいけど、何となく分かる。

 

 手術のことに情がゆるんだわけでもないが、子にはじめて「ゲーム機」を買い与えた。正月にまとめて放送されたNHKの子ども向けアニメ「エレメント・ハンター」をWebで調べていたら、子がダンボールで作っていた「それ」がバンダイから出ていたのだ。子は狂喜して、じぶんのお年玉で断固として買うと宣言した。Yは眉をひそめて「百人一首の方が・・・」とつぶやいたけれど、そろそろ幅を持たせてもいいだろうと思ったのだ。DSも知らない子だ。最終的にはじぶんでいいものを選べば良い。アマゾンで注文して、今日の夕方に届いた。さっそく夢中になってピコピコとやっている。

 

 昨夜、寝る前のガウンを着た格好で、「ちょっと待って、急に思いついたの」と子が机の前に立ったままメモ用紙に詩の如きものをふたつ、書いた。

●たきび

やっぱり
火がまっかっかです
やっぱり
ほのおがたくさん
でています
やっぱり
スギがよく
もえています
あつくて
おもわず
手をかざします
だけど
スギの葉
やっぱり
なげ入れます
あつくて
たまらないのに
やっぱり
なげ入れます
なぜ?
やっぱり
私はききたがりや
だけど
やっぱり
その答え
自分で
しってます
やっぱり
もえなくて
さむいのは
いやだから

 

●わかんない

言葉って
いってると
わからなくなる
しょっき
しょっきしょっきしょっき
やっぱりわかんない
しょっきってなに?
へんなはつおん
へんだ
さっきまで
わかっていた
のに

そんなとき
わたしは
べつの本
よんで
わからなく
なったとこ
とりもどす
でも
その本に
同じことば
入ってたら
どうしよう
こまるなあ

ああもう
わかんないって
ことばも
わかんなくなった
わかんなくなったって
どういうこと?
こまったな?

 

 時間は過去にも伸びるし、未来へも伸びる。「実時間」である現在からの放射で、まるで蛇のように頭と尾をのたうちまわせながら。

 そうではないか?

 

2010.1.6

 

*

 

 契約先への年始挨拶回を終えてから、夕刻に早退させてもらい、大阪の病院にてYと子に合流。夜7時頃まで、義肢メーカーのKさんと装具の調整・型取り、整形外科のK先生から手術の説明を伺った。

●現状(左足)

 外反母趾(外側へ反る)の変形が進んでいる。そのため、第三の中足骨(中指)に輪っか状にして引っ掛ける形で前回の手術時に移植した筋肉が外向きへ流れる形で働いていて、歯止めとなっていない(本来は足首を上方へ持ち上げる役割)。また引っ掛けている周辺にレントゲン画像では若干の隆起が見られるが、あるいは輪っかが外れているか、不完全な形で留まっているか、どちらにせよ当初の設定より筋肉が緩んでいる可能性がある。

●対策(左足)

○手術

 外反母趾の変形を改善するために、足根骨(左足外側の根元部分)の一部を切断し、骨盤から切り取った骨を間にかまして接合する。これによって足根骨が長くなり自然、足全体の向きが内側へ修正される。骨盤から切り取るのは、自身の骨の方が接合が早いためだが、隙間を埋めるため人工骨の骨粉も併用する。骨盤は腸骨(左右に広がった“羽”の部分)の内を刳り貫く形で切り取るが、成長に従って穴自体の比率は小さくなり、また多少はその後の経過で塞がるので問題はない。接合部分については補強のためワイヤーを貫通させ、ギブスの期間はその一端が皮膚より出ている状態となる(再度切開をせずに抜けるようにするため)。ギブスを外す時にワイヤーも引き抜く。

 上記と併せて、前回移植した筋肉の配置を変える。第三の中足骨に輪っか状にして引っ掛けている筋肉を外し、楔上骨(指の骨に連結している根元の方の骨)に穴を開け、その穴に筋肉を貫通させる形で固定する。要するに固定先を手前にすることで、その後の経過によって左右に流れることを防止し、足全体を上方へ持ち上げる働きをさせる。輪っか状の引っ掛けは前任のH先生の手術だが、K先生によれば輪っか状は引っ掛けた骨部分が細り、ときに骨折の事例も有りと。このあたりは先生毎の見解の相違に拠る。

○装具

 当面、手術までの間になるが、外反母趾の進行を防ぐために家の中では原則、装具の着用。外出時は装具に装具カバー(装具に対応した特製の靴)をつける。学校では義肢メーカー製のスニーカー二足を、型取りに合わせて作った中敷を入れ、それぞれ外履き、中履きとして使用する(ニューバランス製・一足58,000円)。

 また現在、親指と中指が重なる状態を矯正するため、就寝時専用として親指を内側へ寄せる特殊バンドを装着する。

●現状(右足)

 右足については、左足の麻痺に比べると症状は軽い方だが、第一の中足骨(親指)の足底への圧が強い。また基節骨・末節骨(指の部分)を上方に引っ張る力が強く九の字型に曲がっている。現在はある程度の「面」を維持しているので手術の必要はないが、将来的に変形が進行した場合、辱創等の支障が考えられるため、あるいは手術のケースも考えられる。

●対策(右足)

○手術

 今後の経緯を見て、基節骨・末節骨については上方へ上げている筋肉を若干緩める等の手術、第一の中足骨については骨の整形等の対応が考えられる。

○装具

 外反母趾の特殊バンドは必要ないが、それ以外は右足に同じく。

●その他

○手術について

 手術について、入院期間は1〜2週間ほどだが、ギブスでの固定は約6週間必要で、その間の運動なども制限される。(自宅に戻ってからも、移動には当面車椅子が必要と思われる) さらに骨の形状に関わる手術のため、骨が安定する半年間は激しい運動が制限される。

 手術の時期については、夏休みの終了から逆算して、7月の初旬が適当と思われる。

 成長時期としては、靴のサイズも現在21センチであることを考えると、ほぼ最終段階に入っている。そのため、幼児期に比べればこの先に大きな変化は考えられないので、その後の経過が良ければ今回の手術が「最終形」となる可能性はある。 ※但し手術中は筋肉が弛緩しているため、どの程度の強度で、あるいはどの位置で固定する等々はそのときの医師の判断に委ねられる。つまり最終的にどのような影響を与えるのか、やってみなければ分からない要素も多分に存在する。

○装具について

 今回は義肢メーカー製のスニーカーの中敷の型取りを行った。中敷は耐久性も考慮して、年に一度くらいの頻度で新たに型取りをして交換する。スニーカーは既成で、0.5毎のサイズがある。中敷は来週完成し、サイズ調整の後、郵送の段取り。

 装具は今回、足の成長により横幅を広げる微修正をしてもらった。手術後は足の状態も変わり、ちょうど一年目でもあるので、再び型取りをして新たに作成することになると思われる。

 

参考サイト(iris-irisの骨格系) http://web.kyoto-inet.or.jp/people/irisiris/freestuff/freestuff.html

2010.1.7

 

*

 

 夕食後、子といっしょに卓上ゲームをして、風呂に入り、出てきたら大阪の現場で事故の連絡が入った。時速60〜70キロのまま無理な角度で禁止されている右折入庫をしてきた若者数人を乗せた車に入庫車両を誘導中の隊員が背後から跳ね飛ばされたのだ。頭を打ち、救急車で運ばれた隊員は一時意識がなく、CTスキャンの結果、くも膜下出血で、内臓も出血の可能性があるという。大阪の本部や現場の防災センターへの電話できれぎれの情報を集めるが、肝心の病院へ行っているはずの上司と連絡がつかず、パジャマからスーツに着替え「ちょっと行ってくるわ」とYに告げて車の乗り込み、走り出したところで「今日はとりあえず来なくていい」と上司のメールが届き、またぞろ戻ってきた。隊員が跳ねられたのは、正月前の応援のときにわたしも立っていた出入り口だ。そんな命もある。そんな命もある。

2010.1.10

 

*

 

 夜、子のリクエストで「ナルニア国物語」に出てくる“ナルニアの古い歌の文句”(アスランきたれば、あやまち正され、アスラン吼ゆれば、かなしみ消ゆる。きばが光れば、冬が死にたえ、たてがみふれえば、春たちもどる)を調べていたら、富山鹿島町にあるプロテスタント教会のHPに辿りついた。この教会の牧師さんが「ナルニア国物語」について語った説教が、なんと延べ65回も掲載されていて、それが実に内容の濃いお話なのだが、子は真剣な表情で読み出して、「いままで不思議だったことがよく分かる。わたしの教会も、こんな神父さんがいてくれたらいいのに。お父さん、これぜんぶプリントして」と大興奮。とりあえずワードに写して10回分を印刷して手渡した。

富山鹿島町教会 http://w2342.nsk.ne.jp/~tkchurch/etc.html

2010.1.14

 

*

 

 子が母に叱られている。いや、正確には算数かソロバンの問題がなかなか出来ずに、きいきい言っているので「紫乃はどうしてそんなになるのかな」と母に言われて、よけいに興奮しているのだ。風呂の中で「じぶんの心と向き合う」ことについて話をする。たとえば「ナルニア国物語」で兄弟姉妹を裏切ってしまったピーター。かれは氷の女王の囚人となって冷たい氷の部屋に閉じ込められていたときに何を考えていたんだろうか。たとえば悪魔に会うためにひとり荒れ野へ向かったイエスさま。このとき、イエスさまが会った悪魔と、ピーターが会った氷の女王は、じつはおなじ「内なる悪魔」ではなかったか。それから最近わたしが読んでいる「分裂病の神話」(武野俊弥・新曜社)の中に出てきた症例を、風呂からあがってから話して聞かせた。じぶんを非難する大勢の幻影に苛まれていた12歳の女の子が、唯一の心の拠り所だったこれもまぼろしの「ゲド」と名づけた男の子がある日、彼女の描いた絵から飛び出してきたとたん悪魔のような存在に変わってしまった。医師はその見えない「ゲド」に勇気を出して声をかけるよう女の子を説得する。話しかけられた「ゲド」はやがて会話を経てもとのやさしい理解者に戻っていき、最後に「ぼくがいることは、きみにとって良くないことだから、もうさよならしよう」と言って女の子のもとを立ち去っていく。それをきっかけに、彼女はふたたび現実での社会との関係を取り戻していく覚悟を得る。そんな実際の臨床例を子に話して聞かせた。「悪い霊」はたいてい、背中の方とか、扉の向こうとか、見えないところから悪辣な声を投げかけてくる。そこには会話は成立しない。そもそも「関係」が成り立たない。「悪い霊」は見えない背中から操る。ところが「良い霊」は、正面に見えて、対等に話が出来る。イエスやモーゼが見て、話をした「神さま」もそうだよね。不思議なことに「悪い霊」だと思っていたものに、勇気を出して向き合い、話しかけてみると、そいつが何か大事なことを教えてくれることがある。シベリヤのある一族のシャーマンは、シャーマンになるためにある訓練をする。その訓練の中で、かれは精霊たちがかれの首をはね、身体をばらばらに切り刻んでしまうのをじっと見つめる。そうして一度死んでしまって、新しく生き返った者だけが、あの世とこの世との間を往来するシャーマンとなる資格を得られる。シャーマンはあの世へ行っても、またこの世に戻ってこなければならないからね。それに耐えられない者は、あの世に行ったっきりになってしまう。つまりほんとうの気狂いになってしまうわけだ。背中からの声に話しかける勇気が持てずに、その声の主に飲み込まれて「永遠の心の病気」になってしまう人と同じだね。背中の声は、ほんとうは何か大事なことを告げたいんだと思うな。それはたぶん、ふだんその人が見たくないと思って避けている心の奥の方にある何か暗いものの声なんだろう。目をそむければ、そむけるほど、それはますます怪物のような姿になってその恐ろしい口で飲み込もうとする。けれど勇気を出して話しかけると、大切な助言を与えてくれる「智慧を持った老人」のような存在に変わる。イエスさまもきっと、そんなふうに悪魔と出会ったんだとお父さんは思うな。つまり、神さまと悪魔は、じつはおなじひとつのものの表と裏のようなものじゃないかと、お父さんは勝手に想像している。なあ、人間の心ってやつは不思議で面白いな。12歳の女の子が怪物に豹変した「ゲド」に向かって話しかけた時、その子はものすごく苦しんで、悩んで、勇気を振り絞ったんだと思うよ。でも女の子が勇気を出して「ゲド」に話しかけたその瞬間に、女の子の中で、何かが劇的に変わった。すぐれた物語は、すべてそういう力を持っている。お父さんの好きなエンデさんがこんなことを言っているよ。「ほんとうに良い物語というのは、それを読み終わって最後のページを閉じたときから、始まるものだ」って。つまり、読んだ人の心の中で、こんどは何かが始まるわけだ。「もうひとつの物語」がね。それは人を真の意味で成長させる力を持った物語だ。

 話がぜんぶ終わって、子は12歳の女の子のことが書かれた箇所を読みたい、と言った。「ちょっとお前には難しいかもよ」と父が通勤カバンから取り出した「分裂病の神話」の数ページを、子はしばらくかけて読んでいた。それから父は、同じ本に載っているムンクの書いた挿絵入りの不思議な物語「アルファとオメガ」も子に教えた。ページをめくって読んでいた子は、読み終えるとソファーの足元に崩れるようにころがって、何やら悲痛な暗いため息をひとつ吐いた。

 

※ちなみにこの話をした夜、子は「愉しい夢」をふたつ見た。ひとつは室生で立ち寄った「仙人の岩屋」へハリーポッターの教授たちが入っていく夢。もうひとつはイチゴがたわわに成った大きな木を(腰を痛めた)和歌山のおばあちゃんが根元から一太刀に切って、学校の親友のTちゃんと箱に詰めたイチゴをたらふく食べた夢。一方、子のそばでわたしの話を聞くともなく聞いていたYは、「覚えていないがとても怖しい夢」をニ度も見た。恐怖のあまり深夜に目が覚めて、隣で寝ているわたしに思わずしがみつき、「一人暮らしの人はこんなとき、しがみつく人もいないでどうするんだろう」と思ったが、しばらくして昨夜のわたしの話が夢の原因だと思いつき「一人暮らしだったらそもそもあんな話を聞くこともないんだわ」と白けたという。

2010.1.17

 

*

 

 昨日は現場指導へ行っている大阪の某公共施設で朝から停電騒ぎがあってバタバタした。なぜかエレベーターの自家発電が切り替わらず、数人が函内に閉じ込め状態となった。わたしは、こんな非常時はいつもワクワクする。非常電話でエレベーター内の残留者確認をし、カラーコーンでEVホールを閉鎖して階段利用の広報をし、復旧後に建物の各所を点検のため駆け回った。「いやあ、愉しかったねえ」と言って、みんなにげんなりした顔をされた。夜は天王寺の狭くて安くて居心地のいい古びた居酒屋で、会社の気の合う仲間同士でささやかな新年会(待ち合わせの時間に、天王寺駅ビルのソフマップのワゴンセールで無線マウス980円、USBハブ680円を購入)。11時過ぎに帰宅した。

 

 現場隊員のU君から借りている「分裂病の神話」(武野俊弥・新曜社)が面白くて、あちこちに線を引っ張りたいのを我慢して読んでいる。いっそ購入しちまおうとネット検索したらすでに絶版で、古書で1万円近い値がついている。仕方ない、最後の手段。PDFでスキャンしようかと思案中。前述したムンクの「アルファとオメガ」の完全版を載せている本は少ないらしい。

 

 数日前に古書で安く手に入れた谷川健一氏の新刊「賎民の異神と芸能 山人・浮浪人・非人」(河出書房新社)を、寝る前の布団の中で少しづつ読み継いでいる。この本の冒頭にはいきなり、先日子と訪ねた室生の龍穴神社などが出てきて「偶然のような必然」のタイミングに驚かされた。室生(ムロウ)はムロ=室=御窟(ミムロ)=黄泉である。氏は奈良の猿沢池に棲んでいた龍が采女が池に身を投げたために春日奥山に移ったが、そこも死人の捨て場だったので、さらに室生の地に移ったとういう伝承から、「ムロとよばれた室生の竜穴もあるいは太古には死者を葬った場所ではなかったか」と想像をひろげている。山の神の古形を語ったくだり。一般の神々たちがケガレとして忌み嫌った出産時に山の神(もしくは便所神)だけが見守ってくれるという伝承に、わたしは「差別・被差別」の謎を解く手がかりが残されているような気がする。つまり、そんな山の神とのコンタクトを失った地平に「差別」が出現するのかも知れぬと空想してみたりする。他にも山の神と海の神の婚姻、春日若宮おん祭でも舞われる細男舞のルーツである海中より現れた磯良が熊楠などが書いている山の神のオコゼにもつながるというくだりなど、頁のそちこちに刺激的な原石の輝きがちらちらと埋もれ隠れている一冊。

海人と俳優(わざおぎ) http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ama-wazaogi.htm

 

 子の装具、手術について。スニーカー式の装具(中敷含む)の型合わせは完了。市販の靴の22センチというサイズは、足首が入りにくいために選んでいたもので、実際には18センチのサイズであった。就寝時用の特殊バンドも合わせ、また親指と中指の間にはさむものも、子の指の形に合わせてサービスで拵えてくれた(歯医者で歯形を取るような硬化型ゴム様のもので)。手術については、(型合わせに飽いた子に飲み物を買わせに行かせた間に医師と交わした会話で)前回の筋肉の手術に比べると今回は骨を整形するので術後、数日は痛みが残るかも知れない。また骨盤の一部を切り取るため半年くらい、腹部に力を入れるたときに軽い痛みを覚えるかも知れない、等々の話があった。手術日は、ギブスをつけたまま学校が始まったらとても子を背負って階段を上り下りできないからというYの依頼で、夏休み中にギブスが外れるよう逆算して、7月の頭に手術日を予約してもらった。

 

 浅川マキがツアー先のホテルで急死した。享年67歳。彼女の音楽はじつは最近ユーチューブなどで聞き始めて、近しいものを感じていた。遅かれ乍ら、最後のアルバムらしい「闇のなかに置き去りにして BLACKにGOOD LUCK」を聞いてみたくなった。数日前、U君が見せてくれた土方巽が東北の農村で乱舞している写真集「かまいたち」の光景が、なぜか彼女の訃報に接した時にまなうらに浮かんだのだった。

浅川マキ・ディスコグラフィ http://wagamamakorin.client.jp/maki-disco.html

慶應義塾大学アート・センター「土方巽アーカイヴ」 http://www.art-c.keio.ac.jp/archive/hijikata/

 

 子にせがまれてしばらく前に購入したエレメントハンターのゲーム機。はじめの数日こそはピコピコと遊んでいたが、最近は結構ほったらかし気味で、やっぱり本ばかり読んでいる。本の中の物語の方がゲーム機より愉しい。これはたぶん、まっとうな認識である。「ちょっとお金はかかったけど、まあ、授業料みたいなもんだ」と今日もYと会話した。ところがこのゲーム機。マニュアルでは操作をやめて1分経過で省エネのために自動的にスリープ・モードになると書いてあるのだが、一定の時間毎に自ら起き出してピャラピャラと呼び出し音が鳴るのである。子が宿題をしている最中でも、浣腸をしているときでも、学校へ行っていて不在のときも、また寝ている時間でも「お〜い、おれを忘れでないか。そろそろ遊べ」とでも言うがごとくピャラピャラと鳴り続いて何やらせわしない(一定時間鳴るといったん止まるが)。マニュアルを見てもどうもこれを停止する設定はないようで、いっそ電池を抜くしかないのだが、それをするといままでのデータが全て消去され、再度初期設定(名前の入力や、時計の設定等)などをしなければならない。で、マニュアルに載っていたバンダイのお客様相談センターへ電話をして訊いてみた。

 おそらくパートタイムだろう電話口に出たおばちゃんは、ひとしきりわたしの話を聞いてから、一度詳しく調べて折り返し連絡します、といったん電話を切った。しばらくしてかけなおしてきた電話では、やはり音が鳴らなくさせるには、音の設定をOFFにするか、時刻設定を消去するしか手立てがないと言う。ただしそれでは再度ゲームをやるたびに、ふたたび設定画面にて音をONに切り替えるか、時刻を設定しなおす必要が出てくる。

「それも面倒ですよね〜 あの、パソコンなんかでもおなじようにスリープ・モードになるけれど、パソコンが一定時間置きに自ら立ち上がって催促するように音を鳴らしたりはしないですよね。たぶんそんな機能があったら「こっちが操作するまで黙っとけ」ってユーザーからクレームが来るでしょうね。本体自体の電源スイッチもないし、何でこんな設定にしたんですかね?」

「ええ、あのゲームの特性上ですね、やはりときどき操作をしてもらった方が“良い”状況になるわけでして・・・」

「“良い”状況って。ああ、ゲームの内容がね」

「はい。そうです」

「あのね、実際のところ、あなたにお子さんがいらっしゃるかどうか知らないですけど、子どもがこのゲーム機を机のかたわらに置いといて、勉強をやっている最中でも、何か別のことを集中してやっている最中でも、ところかまわず「おれを見ろ〜 おれを見ろ〜」って鳴って、画面を見ることを催促するわけですよね。それってあまりにも露骨だし、子どもにとっていい環境ではないと思いません?」

「そうですね・・ じつはおなじ弊社の“たまごっち”でも、あれはいろいろと世話をしてやらないと最後に死んでしまったりするんで、「どうしたらいいんでしょう?」って、お母さまたちからのご質問がたくさんございました。そのときにはやはり音や時間設定を消す設定にするしかないとご案内していたんですが」

「いや、機器的にそうしたつくりになっていて、どう仕様もないのは理解しました。ただ玩具メーカーとしてね、また実際に○○大学教授監修の一種の学習ゲームという謳い文句で売り出してもいるわけですから、もうちょっと子どもの現実の環境に配慮するような姿勢というかね、そういう部分を取り込まないと。あまりにも露骨だと思うんですよ、ふつうに考えて。望んでもいないのにしょっちゅう催促の音が鳴って、子どもに常にゲーム機の画面に向かわせようという設定でつくるというのはねえ。それは玩具メーカーとして、社会的な評価にもつながってくるものだと思いますよ。まあ、こういう意見があったということを、どうか上げておいてください」

「はい。分かりました」

 

 夕方、子のソロバン教室へ自転車でつきあって、夕食はこれ↓

チキン・カチャトーラ http://allabout.co.jp/gourmet/easyrecipe/closeup/CU20081205A/index2.htm

2010.1.20

 

*

 

 葬儀の香典返しとして関係者に配布されたLPレコードに残された土方巽の語りを聴きながらあるいている。わずか数センチの平べったい箱(iPOD)が再生するその声は、ときに低い溜息を吐き、ときについと激昂し、聞き手による<意味の形成>を激しく拒絶する。いや生半可な<意味>がぶつぶつと断ち切れたその地平の彼方に、櫛も通さぬ鋼のような髪を逆立てた土方の捨て身の肉体がゆらりゆらりと揺れているのだ。気がつけば、その声はやけに懐かしく、痛切にやさしい。気がつけば、がさがさとひび割れた手のひらで撫でられている赤子のような心地がしてくる。言葉に嬲られているようで、拾われているような気がしてくるのが不思議だ。

 

絶対ないね。ええ、絶対ないです。指も、絶対ありません。思案顔なんて、そんなこといりません。蒸発しません。みんな不審をもってるだけです。ええ、手紙出しなさいよ。わたしは判ってますよ。ねえ、何処へ行ってもですね、握手しなさい。何処へ行っても握手しなさいよ。ね、そうすっとひやしぶりに日が暮れるんですからね、ええ、ええ、稲妻が、バァーーッて光ったらね、稲妻を取りに走るのですよ。ええ。ほんとうに。わたしもね、最近カラスの話はしません。もうアキた。カラスは。それよりもね、棒がネ、ぎゅったらァぎゅたらとね、わたしの腹のなかへ入って来てね、

でもね、わたしねぇ、嬉しいなどというものには、キッパリ、けりつけようと
思ってね。

 

『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』 土方巽/筆録:吉増剛造

 

2010.2.4

 

*

 

 先月末に東京で友人Aの結婚式があり、家族三人招かれて朝はやい新幹線で奈良を立ち、山県有朋の別邸であったという広大な椿山荘の式場に席を連ねた。東京メトロ---いつのまに地下鉄がこんな小洒落た名称に変わっていた----有楽町線の江戸川橋駅下ル。「江戸川橋」と称しているが、流れているのは神田川であり、かつては桜と蛍の名所であったという。Webでこんな明治期の花見の絵を見つけた。(江戸川小の歴史散歩F http://academic1.plala.or.jp/edogawae/koutyou/rekisi7.htm) その江戸川橋を渡り、八百屋の角を曲がって、寺や小祠の点在する住宅街の急坂をえっちらおっちらとのぼっていく。地下の控え室でじつに20年ぶりくらいにAのお母さんとお姉さんに再会した。お母さんはちょっと、年とったかな。短い会話の中頃にふと「○○くんね?」念を押すように言うので、やっと記憶が蘇ったのかも知れない。「あなたがシノちゃんね。いつもお話は聞いてますよ」 このお母さんには、わたしが友人のスラム街の古本屋のような部屋に泊まるたんびに朝めしをご馳走になった。たぶん100食以上はご馳走になった。そんな恩義がある。大のさだまさしファンのお姉さんは昔のまんまだったな。忙しそうに式の段取りをしたり、(おそらくAの出自である国東半島からの)親類のおじいさんを案内していたりした。式は式場内の教会を模した部屋で、背の高い黒人系の牧師氏が仕切った。花嫁がお父さんとスローなステップをとりながら入場してくるときに、わたしの隣にいるYが急に泣き出した。子と顔を見合わせた。「おれ、そんなに心配かけてたかなあ」とあとでその話を聞いたAが言ったが、どうも入場のはじめに花嫁のお母さんが花嫁のベールを下ろす場面でじわっときてしまったのが真相らしい。新郎役のAはかなり緊張していて、「あっさん、すごい緊張してるよ」と子が何度もくすくす笑ってくる。「うん、うん」 わたしもにやにやと笑って応える。祭壇の背後のステンドグラスから午前の光が射し込み、たっぷりと溢れている。Yと子が手馴れた賛美歌を歌っている。ふだんは歌わないわたしもいっしょに声を出して歌った。広い丘陵地に三重塔が建つ庭をバックにひとしきり写真撮影をしてから、披露宴へ。わたしたち三人は新郎新婦のまん前のテーブルで、そこはわたしたち家族以外は全員、Aの高校時代の友人だ。何度か面識のあるHさん、名前だけよくAから聞いていたFさん、それ以外の3人は初対面だが、それにしてもおなじ昭和○○年生まれのはずなのに傍目では何とばらつきがあるのだろう、という声が洩れ出た。いきなりブライアン・ウィルソンの Your Imagination が会場に響き渡ったかと思うと新郎新婦の入場だ。それからもAの好きそうな曲が流れ続ける。「きっとこの選曲に、1週間はかけたんだろうねえ」と隣のHさんと囁き合う。Hさんは途中からもう赤ら顔で、ただ満足げにうんうんと頷いているばかりだ。そんなHさんを見ていると、Aが彼とつきあいを続けてきた理由が分かるような気がする。Yは隣席のAの友人と話をして笑っている。大学でフルートを教えているというTさんと、某予備校の名物講師だというTさんと、Fさんが株価の話をしている。わたしは席を立って、新婦のお召し直しで一人残されているAのところへ行く。「チャボのTシャツが当たったんだけどさ、Sサイズって着れる?」 晴れ姿に身を包んだAがそんなことを言ってくる。何だかここが結婚式場ではなくてあのAの、10年前のアルファ米が相変わらずおなじ場所に置いてある雑然とした部屋にでもいるような気がしてくる。新郎新婦のそれぞれの歴史を引きずった友人や親類が大勢テーブルに座っているのだが、何だか坦々と事が進行して、落語家だというい司会者の喋りだけが合間合間に飛んでくる虻やハエの羽音のようで、美しく化粧した新婦の姿さえまぼろしのような気がしてくるのだ。ケッコン式とは、何であるか。テーブルの上に同時並行で次々と注がれていくシャンパンとビールとワインにほろ酔いして、Hさんのようにただうんうんと頷いて座っていれば、それでよい。わたしがAに会ったのは小学校の1年生のときだから、もうかれこれ三十年以上の腐れ縁になるわけだ。小学校、中学校はいっしょで、高校はAは進学校の○○高校へ、わたしは三流の都立高校へ進んだ。Aが大学に入学する前年は、わたしは一人暮らしを始めていて、御茶ノ水のクリーニング店のアルバイトが終わってからよく、近所のAの予備校の前でかれの授業が終わるのを待っていた。それからいっしょにインドを旅した。かれの出自の国東半島もレンタカーでいっしょに回った。わたしがAの結婚式で思うのは、これでもう「今年こそ・・」といった恒例の年賀状を見ることもなくなるな、ということだけだ。だからいまはHさんと同じようにほろ酔い加減で、坦々と進む披露宴の会場をまるでまぼろしの景色のようにときどき見渡して、うんうんと頷いていたい。披露宴の終わり頃、新郎新婦がそれぞれの両親に花束を捧げる場面でモリスンの Have I Told You Lately That I Love You が流れた。続いてディランの Every Grain Of Sand と続き、いまは亡きキヨシローの軽快な Jump が流れる頃にはみな式場を後にしかけていた。Aのお姉さんが一人、ガラス張りのウィンドウから広大な椿山荘の庭園を眺めていた。「ヤジマ先輩はお元気ですか?」 Aのお姉さんの同級生であり、わたしの中学の先輩で、一度だけ運動会の飾り物などをつくる作業で数日いっしょだったヤジマ先輩は小柄で、やさしくて、わたしはちょっぴり憧れていた。「ええ、まあ・・」 質問が唐突だったのか、あるいはもう付き合いが途絶えているのか、お姉さんの返事はどこか曖昧で、戸惑いが感じられた。ひょっとしたらあまり仕合せでない暮らしをしているのかも、とも邪推した。どちらにせよ、わたしは急に、中学の頃からもうすでに20年近くも歳月が流れた現実の世界に引き戻された。そしてスタッフの人たちがそろそろ宴の片づけを始め出した式場のはじっこにAのお姉さんと立って椿山荘の庭園を眺めながら、キヨシローが歌う Jump に耳を傾けた。ケッコンするやつもいる。死んでいくやつもいる。わたしはこの日のキヨシローのこの曲を生涯、忘れないだろう。

 

夜から朝に変わる いつもの時間に
世界はふと考え込んで 朝日が出遅れた
なぜ悲しいニュースばかり
TVは言い続ける
なぜ悲しい嘘ばかり
俺には聞こえる

Oh 荷物をまとめて 旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高く JUMPするよ

何が起こってるのか 誰にもわからない
いい事が起こるように ただ願うだけさ
眠れない夜ならば 夜通し踊ろう
ひとつだけ多すぎる朝
うしろをついてくる

Oh 忘れられないよ 旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高く JUMPするよ

世界のど真ん中で
ティンパニーを鳴らして
その前を殺人者が パレードしている
狂気の顔で空は 歌って踊ってる
でも悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる

Oh くたばっちまう前に 旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高く JUMPするよ
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高く JUMPするよ

忌野清志郎・JUMP(2005)

 

2010.2.6

 

*

 

 結婚式の当日は池袋のホテルに一泊をして翌日の日曜日、茨城から来たわたしの母や妹夫婦も合流して子のために上野の国立科学博物館で夕方まで遊んだ。新しいシューズ仕様の「装具」を履いてきたために靴ズレがして館内では車椅子を借りたのだが、この車椅子での移動がとんでもなく不便であった。新しくリニューアルした「地球館」の方は入口奥にエスカレーターと向かい合って一基(A)、また展示室を抜けた反対側奥に二基(B)の、計三基のエレベーターがあるのだが、Aはレストランのある中2Fには止まらず、方やBはB1とB3の展示階へ止まらない(まず、これを理解するのに大変だった)。加えて二基設置されているBは場所的に認知度が低く、入口に近い一基しかないAに利用が集中するため、Aのエレベーターを利用しようとすると10〜15分は確実に待たなければならない。車椅子の子と介添えのYを残して、他の者は遠慮してエスカレーターで先に移動して待っていたりしたのだが、一度などはYと子の後にベビーカーを引いたお母さんたちが3組も入ってきてエレベーターの中は糞詰まり状態。Yと子は待ち合わせしていた階で降りられずにはぐれてしまい、おまけに地階へ行くと携帯電話の電波が届かず、合流するのに難儀して、一時はYと喧嘩状態にまでなりかけた。一方「日本館」の方も、館内の案内表示でエレベーターを目指して行くと、「車椅子の方は別のエレベーターへ」と張り紙がしてある。もっともこれは古い建物部分とジョイントしているために階段の段差が生じているとあとで説明されて、それはそれで仕方ないなとナットクしたのだが、それにしても新築の「地球館」は構造的にあまりに酷く、案内も不十分で、わたしは受付の女の子にわたしとしてはかなり穏当に事情を説明して、「(エレベータしか使えない)車椅子の人には別紙の案内を作って配った方がいいと思う」と提案したのだった。わたしが仕事で関係している大型のショッピング・センターなどはたいてい、一箇所に三基くらいの単位でエレベーターを設置しているが、博物館とはいえ、平日ならまだしも休日や人気の企画展示のときは頻繁な縦移動が必至となる展示スペースの構造上、たった三基のエレベーターではとても捌ききれないと思うな。あの建物を企画・設計した人は、よほどのボケナスとしか思えない。一度混雑した日曜の午後に、実際にじぶんで車椅子に乗って展示を順番に見て回ってみたらいいよ。まあ、それはさておき、久しぶりに訪ねたこの国立科学博物館の様変わり様には驚いた。国立科学博物館には、思い入れがある。小学生の頃には友人のOと薄暗い地下の売店で鉱物の標本を買い、がらんとしたホールのテーブルだけの“食堂”でよく持って来たおにぎりを食べた。高校の頃にはときおり学校をさぼって自転車で来て、ほとんど人気のない展示室を夢遊病者のように回り、冷たい石づくりの階段のはたの暗がりのソファーに腰をおろしてうつらうつらと眠ったりした。ゼロ戦、首狩族のミイラ、ホルマリン漬けの標本、ガリレオの望遠鏡、物も言わぬ剥製たち・・・ そこには記憶の埃が分厚く堆積して、まるで時の流れに置き去りにされたような黴臭い、ひそやかな沈黙があった。まるで富永太郎やボードレールの散文詩のような感触があって、わたしはその雰囲気が好きだった。上野公園の噴水広場に人々が賑わいつどっている夏の昼間でも、博物館の中は別世界のようにひんやりと、人の姿もまばらで、硬質な眠りをまどろんでいたのだ。わたしは騒々しい世間から逃れて、その黴臭い、忘れ去られた遺物の収蔵庫のような静かな空間にいることが心地よかったのだ。けれど、その場所は永遠に失われてしまった。展示の多くが入れ替わったのだろう。地下の驚異的な3Dスクリーンをはじめとして、展示はどれも創意工夫に富み、生まれ変わった博物館を祝福するかのように大勢の人々が押しかけてきている。どの展示室も明るく、またこざっぱりとして、ミュージアム・ショップも広くて綺麗な場所に生まれ変わった。首狩族のミイラも、ホルマリン漬けの標本も、原始人たちが燃やしていた焚き火の炎もどこかへ消えてしまった。かろうじて昔の名残をとどめているのは「日本館」----旧本館の明治風の古びた石づくりの階段と、そこに垂らされたフーコーの振り子だけだ。まるでさびれたかつての赤線地帯が区画整理で取り壊されて、巨大なショッピング・モールが出現したような、そんな気分なのだ。博物館としては、とてもよくなった。子どもたちはかれらの旺盛な好奇心をときめかして、そこからじつに多くのことを学ぶだろう。丸一日居ても吸収しきれないくらいの知の刺激に溢れている。アフリカのグレート・マザーたる原人:ルーシーの複製人形もリアルだし、極北の太古の民たちのナウマンゾウの骨でつくった壮大なテントも素晴らしい。DNAの配列で色や匂いが変わる実験も見ものだし、偶然残された江戸期の女性のミイラも興味深い。国立科学博物館は素晴らしいリニューアルをした。だからこれほど大勢の親子連れがひしめきあっているのだろう。子もYといっしょに車椅子を軽快に操ってあちこちの展示に見入っている。けれどわたしひとり、無人の遺失物係のカウンタの前に立って届出用紙がどこかに置いてあるはずだが、と訝っている。

 

国立科学博物館 http://www.kahaku.go.jp/

富永太郎 http://homepage2.nifty.com/yarimizu2/taronosi.html

2010.2.10

 

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 京都に連泊中の妹夫婦が一日遊びにくる。昼は高の原のAIDAのランチ、夜はいごっそうのラーメン、と贅沢な休日。ひさしぶりに家事から解放されたYも子や妹たちといっしょにウノやジェンガなどに興じる。妹は明日、大学の関係で広島へ刑務所の見学へ行くとか。夜、妹夫婦を最寄り駅まで送って帰ってくると子が発熱、38度。パジャマに着替えさせ寝かしつける。

 子に読ませてやりたいと思い、「アツーク 少年がみつけたもの」(ミーシャ・ダムヤン物語/ヨゼフ・ウィルコン絵/宮内 勝典訳/ノルドズッド・ジャパン 2002) を古書で注文する。

AIDA(アイダ) http://www.aidaworks.net/

いごっそう http://blogs.yahoo.co.jp/nonbay55/17943014.html

2010.2.11

 

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 最近、買ったもの。

 

●「宗虎亮写真集 淡路野掛浄瑠璃芝居」(創芸出版 1986)

 写真集というものは滅多に買わないのだけれど、かの淡路国三原町の人形浄瑠璃資料館で目にして以来、この写真集はずっと欲しかった。以前、ネット古書で7千円の値がついていたのが4千円に下がっていたので、思い切って購入した。題名どおり、昭和30年代くらいだろうか、農村の野掛芝居の風景。老妻が重箱から菜を装い、じいさんは徳利片手に。立派な文楽のホールなんかじゃなくて、こんな時代のこんな場所でおれは見たいんだよ。

 

●「I've Got That Old Feeling」「Too Late to Cry」

 どちらもアリソン・クラウスのソロ名義で発表された初期のブルー・グラス・アルバム。この頃の凛として朴訥な彼女の声が好きで、何でこれだけ彼女の声が好きなのかじぶんでも分からないが、とにかくアリソンの声にずっと恋し続けている。そうだな、ちょうどわたしの好きなドラフト・ギネス缶に封入された「フローティング・ウィジェット」と呼ばれるプラスチック製ボールのような魅力かも。

 

●「倉岳」(房の露株式会社)

 酒屋の棚で「秋篠宮殿下ご愛飲」の札がかかっていた熊本の芋焼酎。戯れに買ってきたのだが、これがじつに気に入って、二本目もまた。ブラジル原産の「しもん芋」なる白さつまいもを使っているとか。翌日に残らないのもいい。これです→http://store.shopping.yahoo.co.jp/sawaya/4955213518124.html わが家でもご用達にして進ぜよう。

 

●パワーフラットホッチキス HD-10DFL(マックス)

 仕事用に購入。「10号タイプホッチキス初の〈26枚とじ〉を実現!!」 仕事が出来るやつは道具にもこだわる、てか。

 

●ドリトル先生 不思議な旅 【日本語吹替版】 [VHS]

 わが愛娘は「ドリトル先生」が大好き。かの井伏鱒二先生訳の全13冊は数年前に死んだ敬愛する伯父宅からわたしが子どもの頃に譲り受けた品だ。しかしエディ・マーフィーの「ドクター・ドリトル」は、あれは一種騙りの映画だな。われらがドリトル先生とは何の所縁もない。もっと真っ当なドリトル映画はないのかな・・・ と調べてみたら1967年に英国にて製作されたミュージカル映画があった。さっそくネットで中古ビデオを注文。届いた日に娘は封を開けて「わあ〜」と感嘆の声。「お父さん! またビデオなんか買って」 「でもアマゾンの中古で1円だよ」 「送料は別なんでしょ」 「うん、そうだけど。でも1円だよ、1円」 「(無言)」  むかしの映画は、なんかいいねえ。

 まだ1円で売ってます→http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005GPZJ/ref=ox_ya_oh_product

 

●HDD簡単接続セットUD-500SA(GROOVY)

 内蔵のHDDを外付けHDDのようにUSB接続できるケーブルセット。じつは先月、某現場のPCをウィルス削除作業中に壊してしまい、取り出したHDDからデータをバックアップするために急遽、難波のビッグカメラにて購入した一品。語れば長い話で、いつか気が向いたら書くかもしれないが、ともかくSATA・IDE、3.5インチ・2.5インチを問わずに接続できる汎用性がいい。助かりました。

http://www.groovy.ne.jp/products/hddset/ud_500sa.html

 

●「マルクス主義芸術論争」(合同出版社 1963) 「歴史の中の聖地・悪所・被差別民 謎と真相」(別冊歴史読本 2007)

 いわゆる沖浦本。マニアの収集。

 

●【送料無料】ニッケル水素充電池 単四 8本 (e-keep 限定価格2000円)

 だいぶ昔に充電器を買ったのに充電池がまだ2本しかない現実に対して。

http://item.rakuten.co.jp/joy-assists/10009515/

 

2010.2.13

 

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 休めるうちに休んどこうの休日。Yと子が教会のミサに行っている間に、カンナ片手にテーブルの修繕をする。テーブルというのは机や本棚なんかと違って、やはり熱いものに接する機会が多いから、安いSPF材では脆さが露呈する。加工した節の部分が一部ささくれ立ってきて、先日もわたしが小指の爪の間に棘を刺してしまい、夫婦共にそろそろ視力が怪しくなってきた頃だから刺さっているのか抜けた血の跡なのかさっぱり分からず、結局、子の「刺さってるよ」という一言を頼りにYがピンセットで抜いてくれたのだった。「おいおい待ってくれよ。刺さってるかどうか分からないのにピンセットでほじるんかい」なぞと二人で大騒ぎしていたもんで。しばらくせっせとカンナ掛けをしてみたのだが、削ったその下から新たな節のささくれが出現して剥けたりで収拾がつかず、結局一部を彫刻等で掘り下げ、そこに自家製の砥粉(ドリルの削りカス+木工ボンド)でパテを塗ることで仮補修とした。やっぱりもっと上質の一枚板で作り直したいと思うものの、テーブルくらいの幅広の一枚板は値段も結構するし、しばらく仕事が忙しいからそんな暇もないだろうな。

 祝日に発熱があった子は「お腹の風邪」という診断で、翌日は念のため学校を休み、もらった漢方薬と二日ほどおかゆの食事をして、もう元気だ。今日は朝食のときに、何がきっかけだったか、宇宙の暗黒物質(ブラック・マター)の話をしてやると、わたしの妹からプレゼントされたホーキング博士の「宇宙への秘密の鍵」のある頁をさっさと見つけ、「そのことだったら、ここに書いてあるよ」 「おお、これはなかなか分かりやすいなあ。ふむふむ・・・」 「おとうさん、これはホーキング博士が子どものためにやさしく書いてくれた本なんだよ。大人が感心するなんておかしいよ」 いやいや、そんなことはない。ブラックホールから生還する手段があるなんて、お父さんは知らなかったな。

 教会から帰ってきた二人と合流して、昼からわたしの元職場のショッピング・センターへ。カプリチョーザで18番のライスコロッケ、マルゲリータのピッツァ、パスタの昼食の後、子の帽子とショルダー・バッグ、日記帳などを購入。帽子は映画「ライラの冒険」で主人公の女の子がかぶっていたという茶色の毛糸を所望。父は人込みに疲れて、最後は車の中で寝ていた。出庫で込み合う時間前に出て、近所のスーパーで夕食の材を買って帰宅。夜はYが子の浣腸をしている間に、わたしが鶏団子鍋をつくる。鶏胸肉のミンチにニラとパセリ、ニンニク、生姜、塩・胡椒を混ぜた団子、舞茸、豆腐、白菜をポン酢とたくさんの大根おろしで。

2010.2.14

 

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 昨日の朝日の書評に載っていたアマンダ・リプリー「生き残る判断 生き残れない行動」(岡真知子:訳  光文社)を昼休みに、財布に残っていた最後の千円札2枚で買ってしまった。これは非常時における人間の心理について多くを取材・論考した一冊だ。序文からじつに面白く、多くのことを考えさせられる。

2010.2.15

 

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 偶然、道端で拾って持ち帰ったペンシル状の金属物によって6人が被爆、うち一人は22年後にニ本の指を切断。1971年に千葉県内のある造船所の構内で実際に起きた事故。Yが読んでいるダニエル・キイスの「タッチ」の話から、調べてみたらこんなページを見つけた。「タッチ」は、偶然の事故によって放射線被爆した主人公が世間から疎外されていく風景を書いた物語だ。

千葉市におけるイリジウムによる放射線被ばく事故 (09-03-02-11)

http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-03-02-11

2010.2.17

 

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 風呂上りに髪も乾かさぬまま机で本を読んでいる子を呼んで、わたしの四畳半の冷たい部屋の椅子に座らせ、天文ソフトのmitakaを立ち上げて簡単な操作を教えてから、ドライヤで子の髪を乾かし始めた。その間、子はマウスを片手にしばらく月や地球や木星などを経巡り、アルファ・ケンタウリやおとめ座銀河団をさすらい、そのまま137億光年先の宇宙の果てまで画面をズームアウトしていった。そして「ターゲット」に地球を選んで、137億光の宇宙の果てから一気に地球までズームインする速度を何度か愉しんでいた。やがて髪も乾いた。モニタにアップで映し出された地球を眺めて子は「きれいだなあ」と一言つぶやくと、ふいと机の上に頭を置いて、「宇宙って、ひろいなあ・・・ にんげんって、ちっぽけだなあ・・・」と孤独なパイオニア10号の深い溜息のように切れ切れの声を繰り返すのだった。

mitaka http://4d2u.nao.ac.jp/html/program/mitaka/

2010.2.19

 

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●まえがき

 この本を読みたい人は読むがよかろうし、読みたくない人は読まないがよかろう。しょ君はこの本の一ページ一ページをめくっていくほど、かわるかもしれないが、それは私のせきにんではない。

   お話は、まだぜんぜんはじまらない

 実を言うと、話はまだはじまっていない。私は今、『足』をつかまえたばかりなのだ。『手』がとんでくれば一章、『頭』がとんでくればまた一章、というふうに、ちょっとずつとんできて、私はそれをとんできた所だけを書いてゆく。で、とんでくることをうつしているだけなのだから、この話がヘンであろうと、おかしかろうと、私にはせきにんがないのである。そこの所はりょうかいしていただきたい。

 実を言えば、私はまだこの話にだいめいをつけていないばかりか、ストーリーも考えていないのである。主人公も、まだわからないのである。ここにはただ一人、小さな少女がいるだけなのだ。そう、読者のおさっしのとおり、話はここから始まるのだ。

 

●少女、レストーヌは目をさます

 

2010.2.20

 

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 休日。

 朝から百円均一で買ったスクレイパーと、電気ドリルに装填したワイヤーブラシを駆使して、風呂場の水垢取りに凝る。

 昼は子のヴァイオリンのアンサンブルの練習の見学。車でO先生(女性)を駅へ迎えに行く。Yの携帯メールに「白馬に乗った王子様が迎えに参ります」と送っておけよと言ったら、彼女がその通りに送っていて恐縮する。

 午後からレンタル屋で借りてきた映画2本、子が選んだ「モンスター・ハウス」とYが選んだ「スラムドッグ$ミリオネア」を、ポテトチップスやキャラメル・ポップコーンと夕食代わりの冷凍ピッツァを食べながら連続上映。

2010.2.21

 

*

 

 “隊長会議”用に即席で作成した資料・・

 

◎非常時の行動心理                                        

災害やテロなどの非常時に直面した人達が辿る共通の「三つの段階」                                        

@第一段階「否認」                                        
私たちは目の前の現実が異常であればあるほどそれを認めない・否認する傾向がある。                                    
・無関心、知らないふり、あるいはなかなか反応しない。                                
・「火事に遭うのは他人だけ」・・何が起こっても「じぶんだけは平穏無事だ」と信じる傾向。                                
・「これは災害やテロではない。何か別の理由があるのだ」と考えようとする。笑い。                                
これらは一種の心理的な防御機能ともいえるが、非常時には初動の遅れにつながる。                                    

「正常性バイアス」・・・人間の脳はパターンを確認することによって働く。現在何が起こっているか                                    
を理解するために、未来を予測するために、過去からの情報を利用する。この戦略はたいてい                                    
の場合うまくいくが、脳に存在していないパターンに出くわすと機能しない。言い換えれば、私た                                    
ちは“例外を認識するのは遅い”                                    
「ピア・プレッシャー(仲間集団からの社会的圧力)」・・・誰だって不吉な前兆を経験することがあ                                    
るが、たいていは事なきを得る。人と違った行動をとると、過剰反応を受けて周囲を混乱させる    
リスクがある。だから私たちは控えめな反応をするという過ちを犯す。    
【事例】   
・9.11では900人近くの生存者にインタビューした結果、平均で階下へ向かうまで6分間かか    
った。中には45分待った人もいた。   
・調査によれば約1000人がコンピュータを終了させるのに時間を割いた。    


A第二段階「思考」       
前例のない非常時に遭遇したとき、脳には適切な判断をするために必要なパターンが不足して    
いる。だからよりよいデータを求めて知恵を働かせる。互いに確認し合う。    
この“右往左往の儀式”は、思考という第二段階の一部である。誰とどのように右往左往するか    
が、生存のチャンスに劇的に影響を及ぼす。   
・電話をかける、テレビのニュースを見る、第三者と会話を交わすなど。
・一人であれば、誰か第三者を探しにいく。
【事例】   
「私はデスクまで走り、2、3本、電話をかけた。連れ合いに連絡を取ろうと5回ほど電話した。    
もっと情報を得ようと、姉たちにも電話をかけた」(9.11北タワーの60階にいた人の証言)    
「安心感を得るためにほかの人たちが必要だった。他人に囲まれていると思うと気分も落ち    
着いた」(2005年のロンドンの地下鉄爆破時の犠牲者)    


B第三段階「決定的瞬間(行動)」        
上記の第一・第二の段階を経て、人びとはやっと行動-−−のろのろとした避難行動へ移るが、    
その後に於いても、上記の心理的傾向は入れ代わり立ち代りに出現する。    
・持って行く物を集める、という行為は生死に関わる状況でよく見られる。
財布や読みかけの小説。未知の空虚感を埋めるために、身近な必需品をかき集めて
安心感を得ようとする。
また航空機事故に際しては、手荷物が避難時の致命的な妨げになることがある。
・行動は起こしたが、いまだ信じられない思いにとらわれたり、あれこれ思考を巡らして、
階段を下りる足を幾度も止め、また引き返そうとしたりする。
【事例】   
9.11では15,400人が各階を降りるのに平均して約1分かかっている。        
これは標準的な工学基準から予測していた二倍の時間がかかった。        

また過剰なストレスがかかるると、人間は次のような諸症状に陥りやすいとの報告がある。        
・いまいる場所から動きたくない。   
・何も考えられない・あるいは反応しない。   
これらは例えば避難行動に集中するような場合には、対処機制<環境のストレ
スに対して、能動的に対処・克服しようとする適応機制>---ある意味では、効
果的な否認の極端な形−−−になる場合もあるが、状況によっては致命的な
結末に至る場合もある。心理学的には「乖離」と呼ぶ。
・視野狭窄。物が極端にスローに見えたり、時間が間延びしたり感じる。    
・知覚を閉ざしてしまう。触覚・視覚・聴覚の混乱。記憶障害など。    
・対外離脱。「体は奪われても、魂は奪われていない」    
危機の間の離脱が極端であるほど、生き延びる人の回復は困難となる。
・脳の機能の低下。   
極度に圧迫された状況下では、体は消化や唾液分泌、膀胱や括約筋のような
肝要でない機能を放棄する→失禁など。
第二次大戦中のある陸軍パイロットの話---航空母艦からジェット戦闘機を飛
ばそうとしているとき「駐機場を横切って飛行場まで歩いていくとき、IQの半分
を失う」


何ができるのか?            

@現実的・継続的な訓練            
・行動を潜在意識に深くとどめることで、恐怖反応と同じように反射的になる。        
「あなたの潜在意識はこの世でもっとも魅力的な道具だ。意識的には決してできないことが        
いろいろできるのだからね」(“火薬の発明以来”最も多くの銃撃戦を経験した警官OB)        
A事前準備・理解            
「実際の脅威は準備の段階ほど重要ではない。準備をすればするほど、制御できるという        
気持ちが強くなり、恐怖を覚えることが少なくなる」アートウォール『破壊的な力の衝突』        
恐怖は克服できる。一般市民でも何らかの準備をすれば、それが役に立つ。実際の災害に        
備えてその準備が完璧であろうとなかろうと、準備をしていれば自信がつくので不安は軽減
され、より適切な行動をとることができる。
【スポーツ心理学者による研究例】
休んでいるときの心拍数→約75回
心拍数が115〜145回の間→人は最高の動きをする。すばやく反応し、視覚も良好で、複
雑な運動技能もうまく使いこなせる。
心拍数が145回を越える→身体機能が低下する。声が震えだし、顔が青ざめ、手の動きも
ぎこちなくなる。視覚・聴覚・距離感覚も衰えはじめる。ストレスが強まると、人々はふつう
心的外傷を受けたあとに何らかの記憶喪失を経験する。
B呼吸法(グリーンベレーやFBI捜査官への教育に使われる戦闘呼吸法の一つの型)    
四つ数える間に息を吸い込み、四つ数える間息を止め、四つ数える間にそれを吐き出し、
四つ数える間息を止める。→繰り返し
呼吸は体神経系(意識的に制御できるもの)にも自律神経系(心臓の鼓動などの活動)にも
存在する数少ない活動の一つである。だから呼吸はその二つの架け橋だと、戦闘指導教官
は説明する。意識的に呼吸の速度をゆるめることによって、原始的な恐怖反応を段階的に
縮小できる。


アマンダ・リプリー『生き残る判断、生き残れない行動  大災害・テロの生存者たちの証言で判明』
(光文社 2010)に拠る。

2010.2.22

 

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 帰宅をして食事を済ませてから1〜2時間、ソファーで仮眠を取る。夜の10時にスーツ姿のまま車で家を出る。東大阪の某SCで自前の代替PCの回収、それからまた高速を乗り継ぎ、こんどは伊丹空港に近いSCへ夜間巡察。深夜の環状線、ビルの狭間を100キロで駆け抜ける。空港の地下をくぐるトンネルのはたに車を止めて、Yの握ってくれた握り飯を食べる。その後、京阪沿線のSCでも巡察、早朝のセンター便の搬入を手伝う。大抵の人が眠っている明け方に、大量の食品が運び込まれる。60歳代のOさんが白髪交じりの頭を汗で濡らし、その重いカゴ車を次々と手際よく店内に引き入れていく。欠伸をこらえながら、四条畷経由の下道で朝の7時に帰宅する。風呂に入って昼過ぎまで寝る。寝ている間にS部長から電話が入っていて、慌しく昼飯をかきこんで全国の単価表の手直しをする。その間にA本社のSさんより電話があって、京都の支社長へ引継ぎの電話を入れる。天王寺の現場に置いていたモバイルPCが不調なのでリカバリする。同時に、学校から直接ヴァイオリン教室へ行った子が帰ってくる時間に合わせて、今夜の夕食のミネストローネをつくる。ベーコン、じゃがいも、人参、玉葱の他に冷蔵庫に入っていた白菜も刻む。明日はS部長と某電気メーカー本社にて共同開発の防犯カメラ・システムのレクチャーの予定。

 何だか心がかさかさと乾いてひび割れてきた。モリスンのスピリチュアルな曲を聴きたくなった。

2010.2.23

 

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 社内でもろもろのバタバタあり、四国の立ち上げからのつきあいの同僚の退職宣言騒動などあり、そんなしわ寄せでこのごろ上司に対して切れかけること幾度かあり、パソコン三昧で目が痛くもあり、あれやこれやと少々ストレスが溜まってきて、おれもいま一度人生を考え直そうかと思ったりもするが、子どもの顔を見るとかつてのような軽率な真似は慎まねばとも思う。新たに購入した義母の介護ベッドの組み立て応援などもあってこんどの土日はちょっと無理やりに連休を取ってとりあえず、かたまってきた肩をほぐしてきたい。

2010.2.25

 

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 ちいさな鍵穴のような入り江の集落のスピーカーから津波警報が頻繁に流れている。半ばひび割れたその声が右から左へと流れていく空の上をトンビがゆっくりと旋回している。まったりとした日曜の午時だ。昨日の夕刻、義母のベッドの組み立てや家具の配置換え、洗濯機の入れ替え、テレビの線の引きなおし、煙感知器の取り付けなどがようやく一段落して、通信教材のポイントで手に入れた真新しい釣竿に近くの釣具屋で急遽買ってきたジグと疑似餌をつけて小一時間、釣り糸を垂れたのだが魚はまったく食いついて来なかった。悔しそうな顔で翌日の再挑戦を宣言していた子も、英虞湾で真珠の養殖をしていた50年前の伊勢湾台風のときに、義母がまだ産まれたばかりのYを負いミルクと位牌を持ち、義父が手提げ金庫を掲げて、折れた枝が飛び交う激しい雨の中を裏手の山へのぼった話を聞いてから、釣りの事などは言わなくなった。それでも「おい、津波の様子を見てこようか」と誘ったのだ。港まで出てきたはいいが、海はすっかり凪いでいて、無数の針の先を置いたようにきらきらと輝いている。トンビはその中の、黒く光っていない楕円のちょうど真上をさっきから飛び回っている。地元の釣り人が数人、堤防の縁に釣竿を並べて、ときおり船が帰ってくると「おお、津波が来た」なぞとおどけている。けれど魚はすっかり閑古鳥のようだ。サビキの餌をスコップで詰めて、ひゅんと放る。そうして堤防に置いたクーラー・ボックスの上に腰をおろして、影のように動かなくなる。こちらも子と二人で、堤防のコンクリの傾斜に体を委ね頬杖をついて、雲母のように乱反射する海面の浮きをいつまでも飽きずに眺めている。ひゅんと、またあちら側で誰かが竿を振る。わたしも子もそちらを向く。海面で弾ける浮きを見つめる。そうしてほとんど物も言わずに、他人の釣り糸の先を、何だかやけにまったりと充足した気分で、いつまでも眺めている。

2010.3.3

 

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 毎年、桜の季節に催されるお城祭りの行事のひとつとして、百衣に狐の面をかぶった子どもたちが白狐囃子(びゃっこばやし)に合わせて手拍子よろしく市内を踊り歩く「白狐渡御」の地元保存会の人たちが子の小学校を訪ねて踊りの指導をしてくれた、と子が話してくれた。「楽器もね、お父さん。驚くべきものだよ。太鼓、三味線、横笛、そして鼓(つつみ)----わたしはずっと鼓を見たいと思ってたのよ!」 そして振りをつけて“コンコンチキナコンチキナ トヒャラピヒャラリコ”と口ずさみ躍ってみせてくれるその仕草が愛らしくて、わたしの頭の中には百衣に身を包んだ一匹の子狐が賢治の童話さながら跳ねている。子にせがまれて、教えてもらったという白狐囃子の歌詞をネットで検索した。

 

『白狐ばやし』(大和郡山市伝統芸能) 作詞 酒井雨紅/作曲 中山晋平/振付 島田豊

1. 大和郡山源九郎さんは五穀のみのり コンコンチキチキナ 五穀のみのりのお稲荷さま コリャ稲荷さま コンコンチキナコンチキナ トヒャラピヒャラリコ ヒャラリコンチキナ 〈以下同じ〉

2. よしや義経 千本桜 お主想いの〜 お主想いの源九郎 コリャ源九郎〜

3. 真鳥はらえば 天下は泰平 これも源九郎さんの〜 これも源九郎さんの御神徳 コリャ御神徳〜

4. 今年や豊年 穂に穂がさいた うたい囃せや〜 うたい囃せや渡御囃子 コリャ渡御囃子〜

5. 今日は目でたや 源九郎まつり 朝もとうから〜 朝もとうから打て太鼓 コリャ打て太鼓〜

6. 在所豊饒 家並は繁盛 笑顔見せたや〜 笑顔見せたや殿様に コリャ殿様に〜

7. 御酒まつりて お祈りしましょ 平和の日本〜 平和日本の歓びを コリャ歓びを〜
                                               

 白狐おどり保存会

 

 この源九郎稲荷神社は、ちょうどJRと近鉄の駅の真ん中あたりの旧市街地にいまはひっそりと佇んでいるが、古くは伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷の一つに数えられたとか。“源九郎”はもちろん源義経のことで、歌舞伎や浄瑠璃の「義経千本桜」でも有名な、夫・義経のいる吉野山へ向かう静御前を忠臣・佐藤忠信に化けて守った白狐を讃えて義経が自らの名を与えたのが由来だ。これを後の郡山城主・豊臣秀長(秀吉の弟)が城下に勧請して祀ったのが始まりという。源九郎稲荷神社に隣接して、同じ秀長建立と伝わる洞泉寺があり、この門前町がかつては有数の遊郭地として戦前まで賑わっていた。いまでも往時を偲ぶ建物がいくつか残っていて、そのひとつ(旧川本家)を数年前に市が買い取り、「有効的な」保存利用を検討中という市議会の質疑をかつてネットで拾い読みしたが、いまだ実現には至っていないようだ。そんな記録を漁っているときに、じつは源九郎稲荷神社の氏子であった遊郭の楼主たちが昭和の初期にはじめたのが「白狐渡御」の行事であったことを知った。白狐と遊郭は深い結びつきがあったのである。

 ところでネット検索を続けているうちに、この源九郎稲荷神社の白狐をかたどった土鈴を紹介しているサイトを見つけた。その独特の造形に惹かれてひとつ購入したいものだとなおも調べていくと、わざわざ九州から源九郎稲荷神社の土鈴を求めて訪ねた人などの記述があり、社務所(いまはほとんど閉ざされている)の人の話として、土鈴をつくっていた人が亡くなり、すでに在庫もない、ということが分かった。江戸の頃には稲荷信仰が大流行で、さらに遊郭も賑わい、門前町にはたくさんの人々が訪れ、源九郎稲荷神社の札や土鈴も飛ぶように売れたのだろう。この土鈴をつくっていた人は、どんな人だったろうかと思いを巡らせてみたりする。

 もうひとつ。源九郎稲荷神社近くの交差点をJR駅側へ入ったすぐに「源九郎餅」なる焼き餅を売っている小さな和菓子屋さんがある。ここがじつはひそかに評判の店らしく、明日の休みに、さっそくYと買いに行ってくる。

 

源九郎白狐囃子 http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/src/history_data/h_100.html

『白狐ばやし』(歌詞) http://www.geocities.jp/u_diarakuoh/U-dia/sanpo3.html

源九郎稲荷神社 http://www.withfox.jp/guideEnsei/gennkurouinarijinja.html

源九郎稲荷神社の土鈴 http://www.geocities.co.jp/Stylish-Monotone/8192/dorei/theme/kouriyama/genkurou/genkurou.html

【やまと建築詩】旧川本家(大和郡山市) http://www.nara-np.co.jp/graph/gra040606_house.html

旧遊郭建築の保存再生 その1 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007072738 (右端のPreviewをクリック)

和菓子・源九郎餅 中嶋 http://blogs.yahoo.co.jp/kzuyoshino/56355563.html

2010.3.4

 

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 “かれ”はいまごろ、どれだけ冥く冷たい闇を凝視しているだろうか。手塩にかけて育てた娘-----彼女が中学生の頃、酷いいじめにあって学校やいじめっ子の親にまで談判に行ったという話を、かつて“かれ”から聞いたことがあった。その実の娘が、手錠をはめられ連行されていく姿をテレビの画面は繰り返し映し出している。手元の新聞の全国欄には連日のように大見出しで続報が書き立てられている。“報道”という錦の御旗を掲げた取材陣が無遠慮にマイクをつきつけてくる。電話が鳴る。警察の事情聴取がある。可愛らしかった初孫は今夜、検死解剖の予定だという。母も父も連れ去られ残されたもう一人の孫はどこかの施設が預かっているらしい。長い一日が終わり、襤褸のように疲れ果て、夜中に果てしなく深い溜息を震えながらゆっくりと吸い込む。涙などもう出やしない。しゃれこうべの暗い眼窩がただぽっかりと無辺の闇を湛えているだけだ。「保護責任者遺棄致死の量刑」なぞといった画面を漂いながら、わたしにはほんとうに何もしてやれることがひとつとしてない。かけてやれる声さえも、ない。ほんとうになんにもしてやれない。ただ思うだけだ。“かれ”はいまごろ、どれだけ冥く冷たい闇を凝視しているだろうか、と。

2010.3.5

 

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 「わが子を餓死させた鬼畜親」

 人は鬼になることもある。もともと、鬼は人なのだ。だが鬼になった人とて、鬼であることに安住しているわけでは無論、ない。もだえ、苦しみ、四肢が引き千切られるような恐ろしい苦痛にうめきながら、鬼が憑く。

 一言、申し上げたい。

 弱い存在としての子どもを虐待するのは、どんな理由があっても、許されないことだ。亡くなった子どもの命は、地上のどんな物とも、もはや代え難い。失ったものは永遠に戻らない。そんなことは鬼も分かっている。鬼も泣くのだ。この惑星を何周も駆けめぐるような激しい嗚咽を漏らすのだ。そのとき、鬼の面はぽろりと剥がれ落ちるかも知れないが、鬼であったおのれがした行為は未来永劫に背負って生きていかねばならない。

 人はだれでも鬼に憑かれる瞬間がある。だれでも、だ。そんなおのれの闇に目を凝らすこともなく、百円均一の店のプラスチック容器のような場所から、鬼を弾劾するのは、あまりにも短絡過ぎないか。もし、どうしてもそうしたいと言うのであれば、おのれも他者も含めた「にんげんの無明の闇」を照射するほどの想像力と覚悟が、果たしておまえにあるのか、と問いたい。

 鬼が呻いているのを聞くと、わたしの中の鬼が闇の中からむっくりと立ち上がり、まるで共鳴する二本の弦のように共にふるえ始める。だがふるえようにも一切の音が響かない、無反響の闇の中で、なおもとめどなくふるえてやまない。

 一言、申し上げたい。

 正義面をしてネット上のブログに容疑者の顔写真を貼りつけ、「鬼畜親」なぞと書きつけていい気になっているお前たちの方がよっぽど、正真正銘の<鬼>だ。

2010.3.7

 

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藤掛 順一 様

ぶしつけながら、はじめてメールをさせて頂きます。
奈良県のまれびとといいます。

じつは一月ほど前、現在小学3年生の娘の依頼で「ナルニア国物語」のことを調べていたところ、
富山鹿島町教会HPで掲載されている藤掛様の「ナルニア国物語について」を偶然、見つけました。

「こんな文章を見つけたよ」と娘に見せたところ、彼女は真剣な表情で読みはじめ、「いままで不思議だったことがよく分かる。わたしの教会も、こんな神父さんがいてくれたらいいのに。お父さん、これぜんぶプリントして」と大興奮でした。

そんな次第で、勝手ながら連載の全てをワードに写して印刷させて頂き、娘が表紙を描いて、170頁の立派な手製の本ができあがりました。

娘は脊髄の神経の手術をして、足や膀胱になどに軽い障害があります。
幼稚園がカトリック系のところだった縁で、数年前に母親と共に洗礼を受けました。
洗礼名は教会で借りた本を読み、じぶんで選んだ「ベルナデッタ」です。
とにかく本を読むのが好きで、もちろん「ナルニア国物語」の全巻もぼろぼろです。(今は「ドリトル先生」に夢中ですが)

そんなわけで、素敵な文章を残して頂いた御礼と、また事後になりますが本にさせて頂いたご報告(?)も併せて、失礼かとも思いましたが、メールをさせて頂いた次第です。

わたし自身はブッダもイエスも好きで、どちらにも決めかねている中途半端な無信仰者です。
ときおり妻と子につきあって、日曜のミサを覗きに行くこともありますが、娘が言うように、藤掛様のような魅力的なお話(この世界を向こう側から支えている秘密)をして下さる宗教者がいたら、子どもたちももっと生き生きとイエスや弟子たちに思いを馳せることができるのではないかと思ったりします。

ともあれ、素敵な文章をありがとうございました。

藤掛様の今後のご活躍を祈念しております。
(奈良にも小さな愛読者がいますので・・・ )

失礼いたしました。

まれびと 頓首


富山鹿島町教会 http://w2342.nsk.ne.jp/~tkchurch/etc.html

横浜指路教会 http://www.yokohamashiloh.or.jp/intro/index.html

 

 先週。子に、「指輪物語」全9冊をブックオフで(各冊100円)、金井田 英津子:挿絵の漱石「夢十夜」朔太郎「猫町」(共にパロル舎)をアマゾン古書にて購入。わたしは橋本治「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(集英社新書) をブックオフで(100円)、「新版・民俗調査ハンドブック」(吉川弘文館)をアマゾン古書にて購入。

2010.3.8

 

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まれびと様

本当に嬉しいメールをありがとうございました。
これまでにも何人かの方から、「ナルニア」についての私の文章を読んだという連絡、感想をいただきましたが、今回ほど嬉しい反応はありません。
何よりも、私自身が夢中になって読んでいたのと同じ年頃の方が、今も「ナルニア」をぼろぼろになるまで読んでおれらる、ということを知らされたことが大変嬉しいことです。
子供たちの間での本の好みも、時代と共に変わっていくことを感じています。
このごろは「ナルニア」を夢中で読む子供はいないのかなあ、などと考えていました。
私の思いを受け継いでくれる後継者を得たような気持ちです。
すばらしい手書きの表紙の本を作って下さったこと、なんだか恥ずかしいような、でもとても嬉しいことです。
それにしても、私のあの文章は大人向きに書いたものです。あの内容を理解して読んで下さっているお嬢さんの読書力はたいしたものだと思います。
子供の頃に、ぼろぼろになるまで何度も読みたいと思う本と出会うことは、その人の人生の宝となると思います。
私も、「ドリトル先生」12巻を読みました。「アーサー?ランサム全集」12巻も大好きでした(これは男の子向きかもしれません)。
「赤毛のアン」のシリーズも好きでした。
お嬢さんには、これからもどんどん、本を読んでいって欲しいと思います。
どうぞよろしくお伝え下さい。
私は現在、横浜市にある「日本基督教団横浜指路教会」の牧師をしています。
そこのホームページに、毎週している礼拝説教の完全原稿も載せていますので、よろしければどうぞご覧下さい。
まれびと様のご家庭に、神様の祝福と導きが豊かにありますように、お祈りいたします。
本当にありがとうございました。

藤掛順一

 

 

 

藤掛順一様

お忙しい中、さっそくご丁寧なお返事を頂き、恐縮して拝読しました。

そうですね。
子の話では「ハリー・ポッター」は読んでいる子がわりといるらしいですが、少なくとも子のクラスではいま、「ナルニア国物語」を読んだことのある同級生は一人もいないそうです。
井伏鱒二の名訳の「ドリトル先生」は、私が子どもの頃に親類宅からもらったものを実家に置いていたもので、その他にも、ケストナーのエーミールのシリーズや、「長くつ下のピッピ」など、じぶんがかつて愛読した作品を子がまた愛読してくれることは、ひとつの幸福かと思います。
先日も古本屋で「指輪物語」全9巻が各冊100円で売っていたのを買ってきて与えたところです。
それから素敵な挿絵入りの漱石の「夢十夜」と朔太郎の「猫町」−−−これはちょっとまだ難しいかもしれませんが。
けれど、子どもというものは、大人が思っている以上の吸収力・理解力を秘めているものだと、子どもを持ってから確信するようになりました。

藤掛様の「ナルニア国物語について」では、あの長大なファンタジーに秘められているさまざまな隠喩ーーーー宗教的なメタファーを場面ごとに分かりやすく解説されていて、それが子の興奮をくすぐるのだと思います。
いわばあの「ナルニア国物語」に織り込まれたもう“ひとつの物語”を見つける喜びと驚きのようなものでしょうか。
子どもというのは本来、最も宗教的な存在であると思います。
宗教的なものに餓えているのだと思います。
私も藤掛様が仰るように、小さい頃にそうして心にとどめた糧は、イエスの言う葡萄の木のように、将来、実り豊かな土壌を形成してくれると信じています。
勉強よりも、私は子にそうした糧をたくさんこの時期に吸収してもらいたいと望んでいます。

頂いたメールは昨夜、家族三人でPCの前に並び、読ませていただきました。
私が藤掛様へメールを書いたことは教えていなかったので、妻も子も非常に驚きだったようです。
なんといっても、あの「ナルニア国物語について」の筆者からのメールですから!

最初に藤掛様の原稿を印刷していたとき、妻が「この牧師さんのお話を、聞きにいきたいねえ」と言っておりました。
いつか、横浜の教会を訪問する機会もあれば・・・とも思います。

長くなりましたが、重ね重ね御礼まで。

まれびと 拝

2010.3.9

 

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 数日前、某所の喫茶店にて“かれ”と会って二時間ほど話をした。“かれ”はみずからの身に突如として襲来した“死ぬことさえ敵わないような”狂気にも似た数日間を語ってくれた。仏壇に置かれた小さな骨壷に、毎日三度、欠かさず手を合わせている。だが話したことは、とにかく生き残った者が何より大事だ、そのことを最優先に考えよう、ということだった。これからの裁判の準備、まだ許されぬ接見、無人になった住居の解約と片付け、施設の幼子を引き取るための交渉・・・ 目の前に積み重なっているひとつひとつを解決していって、残された母と子が、ふたたび共に暮らせるようにしてやるまで、まだまだあなたはくたばるわけにはいかないよ。わたしはわざと意地悪げに、そう言ってやった。まだ食事が喉に通らないと言っていたが、思っていたより、しっかりしていた。とにかく顔を見れて、安心した。これなら大丈夫そうだ、と思った。「ああ世間は、何もなかったように、いつものまんまだな・・」 店を出てならんで歩き出した歩道で空を見上げながら“かれ”はそう、息をつくようにつぶやいた。「そうだよ。それが世間ってやつだよ」 わたしはそう応えた。生き残った者を、たとえそれが罪を犯した者であっても守ってやること。それはあなたにしかできないことだ。駅の改札口を抜けてから、ぼくらは別々のホームへと別れた。

 そして、このぼくだ。ぼくはいったい、何が変わって、何が変わっていないのか。いまだに何を抱えていて、そして何から自由になったのか。そんなことをもういちど確かめてみたくて、深夜にオークションでディランの大阪公演のチケットを二枚落札した。月曜の仕事帰り。酔狂にも東京から新幹線に乗ってやってくるという悪友と二人で、何年かぶりのディランのサウンドに会いに行ってくる。

2010.3.13

 

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○島ひきおに

 わたしが、島ひきおにを勉強して思ったことは、人間はひきょう者だということです。

 見ただけで、なにもかもはんだんしてしまい、おにを悪いやつと決めつける・・・。

 もちろん、おにだけではありません。かいぶつや、りゅうや、さんぞく、あるいはさんぞくのむすめでもあるでしょう。そんなのは、いろいろな物語にでてきます。

 悪いやつは人をおそう、人を食べる(かいぶつやりゅう)などと「こわい」といういんしょうがあるのでしょう。

 このお話のおには、とてもすなおです。自分をだまそうとしている人間を、かんたんにしんじてしまいます。人間が自分をだまそうとしているとはしらずに。

 人間は、おにがどういうつもりか知りません。というか、おにをりかいしていないのです。人間をかばうつもりはありませんが。

 このように、おにと人間はおたがいをしらないのです。

 二番目の村の時、おにはじいさまを食べたと言われました。ねてるあいだに食べたんでしょう、というむすこ。つのをかきむしるおに。そんなバカな。食べるなんて。人間は、どんな理由を使ってでもおにを追いだそうというのです。

 それでもわたしは、おにがきたらやっぱりにげるかもしれません。

 

□アマゾン 島ひきおに 

 

 

○「ちいちゃんのかげおくり」を読んで

 せんそうは、決して、決して、してはならないもの。せんそうをすれば、たくさんの人が死に、平和はじごくのそこにとじこめられ、天使のかわりに悪魔がよみがえります。

 もし私がせんそうのじだいにいたら・・・ そんなの、おそろしくって、おそろしくって・・・。

 毎日毎日、しょういだんやばくだんをつんだひこうきがとんで行くのを木かげでみているのは、それだけでもぞっとしそうです。しょういだんが落ちてくれば、私の病気の百ばいくらいの重病をおわなければいけません。へたをすれば、死ぬかもしれないのです。いえ、死なずにいれば、どんな重病をおってもまだだいじょうぶ・・・ そんなじだいだったのです。とってもとってもいたいでしょうに・・・。

 まわりの人たちがばたばた死ぬのを見ていられるか! おなかがすきすぎたりして・・・。

 さいごにいわせていただきます。せんそうはおそろしいものと、みんな言います。しかし、せんそうは国どうしのけんかです。せんそうがいけないのなら、けんかもいけないのではないでしょうか?

 せんそうはいけないものです。みんなの心に悪をもたらし、平和をころします。

 せんそうは決していけません。せんそうをやめれば、なくせば、悪魔は地のそこにほうむられ、平和になることを、みなさん、おわすれなく。

 

□アマゾン ちいちゃんのかげおくり

(しの)

 

 

 休日。午前中はベランダのプランターの整備。午後から、3年生最後のお楽しみ会で子が台本を書いた寸劇(ナルニア国物語のダイジェスト版)の背景絵の製作を手伝い、公園での砂鉄取りをつきあう。

 友川カズキの「無残の美」が届く。

2010.3.14

 

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Mar 15, 2010 Osaka, Japan (Zepp Osaka)

Set List

1.  Watching The River Flow
2.  Senor (Tales Of Yankee Power)
3.  I'll Be Your Baby Tonight
4.  High Water (for Charlie Patton)
5.  The Levee's Gonna Break
6.  Tryin' To Get To Heaven
7.  Cold Irons Bound
8.  Desolation Row
9.  Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again
10. Man In The Long Black Coat
11. Highway 61 Revisited
12. Spirit On The Water
13. Thunder On The Mountain
14. Ballad Of A Thin Man
15. Like A Rolling Stone
16. Jolene
17. All Along The Watchtower

 

 来日を知ったときは、仕事にかまけて「まあ、いいか。行かなくても」と思った。いざ大阪公演が始まったら何だか耳の奥の、耳掻きも届かないあたりがムズムズしてきた。ある晩、オークションでチケットを見つけてYに、「行ってもいい? 一万二千円なんだけど」と訊いていた。「わたしにダメと言う権限があるのかしら?」と彼女は答えた。

 Zepp Osaka。海の見える人工都市の夜の果ての会場前で、傘をさして立っていた。やがて門が開かれ、しばらくして暗闇の中で演奏が始まった。眩しいほどのステージのライトに照らし出されたディランは、まるで60年代のままの若々しい青年のように見えた。けれど1941年生まれのかれは、今年69歳だ。わたしがこの世に生まれ出たその年のまさにその日に、かれはニューヨークのスタジオで Highway 61 Revisited のアルバムを完成させたのだ。

 アーティストは歳をとらない。ましてやモリスンやディランのような人たちは(ザ・バンドやビートルズのような死んでしまった人たちは、また別の意味合いがあり、そこで時間が永遠に止まっている)、わたしにとっては常に身近な存在であり、遠くに住んでいる親しい人の毎年の挨拶のようにアルバムが届けられることが約束であるかのように思っているから、「69歳」などと言われると、思わず愕然としてしまう。

 アンプを通じて増幅されたディランの声は、69年の歳月を費やしてきた男のそれのように、数百年の風雪に耐えてきた老木のように枯れ果て、ひしゃげ、まるで嵐の中をくるくると乱舞する一枚の葉のようだった。だがその一枚の葉には、ずっしりとした重みがあった。その乱舞の危うい角度には得も言われぬ光芒を放つ鋭利が、たしかに在った。Highway 61 Revisited や Ballad Of A Thin Man のような曲が演奏されるのを聴きながら、わたしは「この(目の前にいる)男がこの曲をつくったのだ」と思っていた。Desolation Row ではその曲がたしかにそれであることを確かめるようにメロディをじぶんで歌っていた。

 バンドの演奏を聴いているのは確かな幸福だった。チャーリー・セクストンがただ一人、まるでラスト・ワルツでのロビー・ロバートスンのように(じっさいに、かれはロビーそっくりに見えた)動き回っているかれのバンドの音は、ある種のウォール・サウンドと言える。きらきらと舞い上がる葉を押し上げている一塊のうねりのようなサウンドだ。どんな韻でも、棒読みのようなそっけなさでもいい、この男が声を発しているそのおなじ空間に、いまじぶんがいることがひとつの幸福なのだ。そんふうに思わせるアーティストは、滅多にいない。

 「コンサートはよかったか?」と誰かに訊かれたら、わたしは躊躇なく「よかった」と答えるだろう。けれど「演奏は最高だったか?」と訊かれたら、わたしは正直、少しだけとまどってしまう。パフォーマーとしてのディランの声が衰えているのは紛れようもない事実だし、衝撃度といえば、たとえば最近買った友川カズキのアルバムの方がいまのわたしの心をより深くえぐる。それはどう仕様もない事実なのだ。かつて、何につけて60年代のディランを引き合いに出す評論家の手合いに反発して「いつも、現在形のディランが最高だ」と言い続けてきたわたしだが、グラミーやビルボード1位などの高評価を受けている近年のアルバムが   The Times They Are a-Changin' や Bringing It All Back Home 以上に優れている作品だとは、決して思わない。

 その晩はコンサートに付き合ってくれた東京の友人Aと天王寺のいきつけの居酒屋で軽く飲んで帰り、次の日も話題は主にAの気になる新婚生活についてだった。Yが相手をしてくれている合間をぬって、わたしはAが持参したCDやDVDをせっせと○ピーし続けた。午後にAを駅まで見送り、その夜は若干の寝不足もあったから、わたしは早めに子やYと寝てしまった。

 だが次の日の夜。わたしは急にディランの古い、若々しい、切ない恋の南無阿弥陀仏のような Sad Eyed Lady of the Lowlands を聴きたくなった。その曲を聴きながら、かつて20代のわたしは永遠にこのディランの声が終わらないで欲しいと願ったのだった。YouTube で見つけた音源を聴き始めたわたしのがらんどうのしゃれこうべの中で、ディランの無数の曲たちが突然溢れ出してきて止まらなくなった。あるいはわたしは、すでに家族の寝静まった深夜にひとり、泣いていたのかも知れない。わたしの寄る辺ない生の軌跡にあって、かれの曲やフレーズはいつも決まって大事な場所に鳴り響いていた(それはわたしの航海の、いわば錨のようなものだった)。わたしの拙い生は、いつもディランの曲と共にあったのだ。それでわたしはやっと分かった。あの日、わたしはかれにただ“ありがとう”を言いたくて、それを伝えたくてわたしはあの場所へ行ったのだ、と。

 ボブ・ディラン。わたしはあなたの曲を勝手に食べて、勝手に肥やしとして生き延びてきた。いまそれらが、たわわに咲いた竜胆の鈴のように、わたしの中で一斉に鳴り響いている。

2010.3.19

 

*

 

 子が「創設」した“しの図書館”なるところから「ホビットの冒険」(J.R.トールキン 岩波少年文庫)を借りて、「一週間の貸し出し期間が過ぎたので延長しますか?」と言われ延長の手続きをしてもらったのだが、よく考えたら、そもそもこいつは実家から持って来たわたしの蔵書じゃなかったかな。

 こんなのが間近に迫ってきて、仕事は毎日山のようにあり、週に一回休みを取れたら御の字だ。新品298円で買ったモリスンの Common One を i POD で持ち歩いてしのいでいる。リマスター盤でないのがいい。昨今はやりの何でもシャープにしちまうデジタル化は食傷気味だ。かつてのLPの方が野暮ったい音だけどぬくもりがあったよ。奇しくもディランがあの Saved を製作した1980年に波長を合わせるように発表されたこのモリスンのスピリチュアルな一枚は、いま、わたしの日々の大悲心陀羅尼経となっておる。わたしはしずかにしずかに沈潜していって、土中の固い一個の種子となる。もう一枚、海外発送403円で Tupelo Honey も頼んでしまった。これらはみな実家に置いているLPの買いなおしだ。

 「ホビットの冒険」と平行して、ブックオフで100円で買った橋本治ちゃんの「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(集英社新書)を読んでいる。「経済」とはもともと中国より到来した四字熟語「経世済民」の短縮形で、“王様が世を治め、民の生活を安定させること”という意なんだそうで、この治ちゃんの本はとどのつまり「そういう“メンドくさいことを考えて何でもやってくれる都合のいい独裁者”はもう存在しないんだよ!」という一冊ってなわけだな。『大辞林』で「経済」を引くと「物質の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関係の総体」というセツメイがあるそうだ。治ちゃんはそれを「難しくてよく分からないけれど、つまり経済っていうのは、簡単に言えば“グルグルと回っていること”なんだな」と理解する。中学生のとき、家がお菓子屋をやっていた治ちゃんはませた同級生の女子から“その子がよその店で買った、治ちゃんの家でも売っている同じチョコレート”をもらう。「経済」を利潤の追求とだけ考えるならばそれは「非経済的」なことなのだけれど、そんなこととは別にお金とチョコレートが“グルグルと回った”ことで、中学生の治ちゃんも同級生の女の子もお互いに“ちょっとワクワクして、何だか幸せな気分”になれた。「そうか、これも立派な経済なんだ。こういう経済もあるんだ」と治ちゃんは得心する。

 

「あげるね」「うん」「はい」「ありがと」、そして、「ふふふ‥‥」です。「ふふふ‥‥」は、あげた方ももらった方も同じです。そういう「感情が回る」があって、更にその先はどうなったのか? ここでそういうことを思い出して、「あの頃は幸福だったなァ‥‥」と書いているのです。ついでに言えば、チョコレートをくれた女の子の一人は、「オサムちゃんちで買おうかなと思ったんだけど、でもやめたの」と言いました。この微妙さが、「経済の本質」を語っています。「あなたの家でチョコレートを買うことは、あなたの家の売上に貢献することにはなるけれど、でも、これはそういうものではないから」というのがあって、私は、「自分の家でも売っているようなものを食べる」なのです。

 経済が「物や金の流れ」なら、「自分の店の売上を減らし、他人の店の売上を増やした結果のものをもらって喜んでいる」というのは、「経済の原則を無視したバカげたこと」です。私は「経済の流れ」からはずれたところにいます。そういうことは分かっています。だから、「“自分の家の店でも売っているものをよその店で買われ、それをもらって嬉しそうに食っている菓子屋の子供”という、へんてこりんなものになった」と、言っているのです。しかし、ここでは「物や金が動く」という行為とは別に、そして、「物や金が動く」という行為と連動して、明らかになにかが回っているのです。それは「生きることが幸福でありたい」という感情です。これこそが、経済という人間行為の本質を示すものではなかろうかと、私は思うのです。

「人と人との間に感情が循環することによって、幸福な現実が生まれる。それが一人の人間の人格形成に大きく関与する。そしてその人間は、経済というものは金銭的な損得とは別のものである≠ニいうことも知る」------こんな素敵な「経済」はないと思います。しかもこれは、「物資の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関係の総体」という難しい意味に、きちんとのっとっているのです。「チョコレートの生産・流通・交換・分配の過程」を踏まえていて、「その中で営まれる社会的諸関係の総体」と、見事に合致しています。自分で言うのもなんですが、これはいたって高度な「精神的経済活動」なのです。

橋本治「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」(集英社新書)

 

 あるいはまた、

 

 世界経済は、もう「限界の中」で動いているのです。「必要」を超えた「欲望」だけが、これを動かせるのです------そのことは、経済を動かしている人なら、もう分かっているのです。それが分かっていなかったら、「投資」という経済活動の中で損をします。だったら、“経済は人の欲望を動かす”でしょう。経済用語ではこれを「需要を喚起する」と言いますが、経済の用語は、「いるのかいらないのか分からないが、自分はそれを“ほしい”と思う」という「欲望」と、「必要に基づく欲望=需要」との間の線引きをしてくれません。その線引きがないことを前提にして、“世界は人の欲望を動かす”のです。

 

 「世界は人の欲望を動かす」ことで利潤を追求する。それが「経済」ということなんだと大抵の人が思っているけれど、それは実は「経済」という大きな枠の一部分でしか実はなくて、それを最終目的として構築されたシステム自体がすでに破綻している。ならばそれに替わる「ふふふ‥‥」という「経済」もありなんじゃないか、とひとりニタニタしながらバレンタインのチョコレートをこっそり齧る治ちゃんがまじめに「経済」について考えたのがこの一冊である。

 某日、“かれ”と二度目の会話をした。三輪山にほど近い、夜のファミレスでドリンクバーのエスプレッソ・コーヒーを前にして。取材はもうだいぶ減ってきた。裁判は半年後だという。来月からの復帰について話をした。前回、“かれ”と話をして帰った夜、わたしはYに10万円を無期限無利息で“かれ”に持っていっていいか、ともちかけた。帰り際に、封筒を内ポケットから出してテーブルにそっと置いた。「数年前にいまの住所に引越ししたときにはさ、お金が全然からっけつで、引越し代を親戚のおじさんに頭下げて無心してねえ。いまもそりゃ裕福ってわけじゃないけど、あの頃に比べたら自家用車もあるし、月に一度家族で外食もできる。だからこのお金はさ、いまはおれよりもあなたの方が役立つはずだよ」 そういえばやっぱり金欠状態だった同じ頃、通勤で使っていたバイクが潰れて困った時、webで知り合ったSさんが中古のバイク代を一時用立ててくれた。嬉しくて涙が出た。そんなこともあった。だからこんどはわたしが“回す”番だ、とも思う。投資家や銀行は潤さないが、これはこれでわたしの「ふふふ‥‥」という「経済」である。

2010.3.27

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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