070.  山崎麻美先生の死をひそかに悼む

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■070.  山崎麻美先生の死をひそかに悼む (2018.11.14)

 


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 脳外科の山崎先生の死を、引越しのアップロードを終えてひさしぶりに見返していたホームページの古いリンク頁をたどっていて、数年ぶりで開いた先生の夫 君のサイトで知った。昨年2017年の6月に亡くなっていたのだ。67歳は若すぎる。つぎの日はこの頃ちょっと元気を取り戻しつつある娘のリクエストで白 浜のアドベンチャー・ワールドへ遊びに行く予定だったので黙っていた。白浜から帰った、翌日の夜につれあいと娘に伝えた。家族三人で、先生の夫君が公開し ていた「お別れの会」での十分弱の動画を見た。抗がん治療の影響だろうか、丸坊主ですこしむくんだ顔の先生が写っていた。娘の脊髄を三度も開いた医師がそ んな姿になっているのを見るのは奇妙な気分だった。生々流転のこの世では、人の立場などすぐに入れ替わる。

  この世に出現して一年足らずの、みなの愛情を一身に集めている最中、二分脊椎症という聞いたこともない病名を宣告された娘のために、わたしたちはそれこそ 日本国中の病院を調べた。そうして出会ったのが当時、国立大阪病院に勤めていたこの山崎先生だったのだ。当時のわたしの日記の一部を少々長いがここに引 く。

 

 朝から大阪・中央区の法円坂にある大手前整 肢学園へ行く。大阪府が赤十字に委託して設立した下肢に障害をもつ小児のためのセンターで、見ると院内学級のような施設も隣接している。玄関口で5,6歳 児らしい男の子が膝立ちの姿勢でぺったんと座っている。母親らしい女性が入ってくると、嬉しそうな顔をして女性の後をカエルのように四つん這いのまま跳ね てついていく。靴箱の前にもう少し小さな女の子も立っているが、よく見るとその両足の形は幾分奇妙に歪んでいる。しばらく待たされてから、尿の検査と、レ ントゲン写真、エコーなどを撮られた後、泌尿器科の先生の前に通される。泌尿器についていえば、いまのところ顕著な異常は見当たらないと言う。二分脊椎の 場合、失禁などはまだ良い方で、重いケースになると尿を排泄することができずに腎不全を起こし命を落とす危険もある、と。手術後にもう一度診てもらい、場 合によっては奈良県内の二分脊椎の子供の処置に長けた医師を紹介してくれると言う。短くはない話の最後に、手術をする病院を迷っているのであれば、と整肢 学園の真向かいにある国立大阪病院に二分脊椎を専門にやってきた知り合いの医師がいるから相談してみたらどうか、とその場で電話で連絡を取り、紹介状をし たためてくれた。婦長さんが寄ってきて、ふだんは滅多に紹介状なんて書かない先生なんですよ、とそっと耳打ちをする。

  指定された午前中の受付がぎりぎりだったので、私だけ先に走って初診の手続きを済ませる。建物は新しくはないが、さすがに国立だけあって広く堂々としてい る。あとでつれあいの父が、作家の司馬遼太郎がここで亡くなったという記念のプレートを見つけて教えてくれた。脳神経外科のY先生は50歳くらいの女医さ んである。はじめに妊娠中と出生時の状況を詳しく聞き、両足の太さをメジャーで測る。右足より左足の方が2センチ細い。ゴムの金槌のようなもので足のあち こちを叩く。次に紫乃さんを腹這いにして遊ばせ、両足の動きをしばらく観察する。持参したMRIの画像を指しながら、説明してくれた。

  二分脊椎を介在した脂肪腫脊椎、というのが正式な病名である。脂肪腫自体は良性のものであるが、この脂肪腫が脊椎の神経を巻き込んだ形で癒着しているた め、成長するに従って神経を引っ張り様々な障害を引き起こすことになる。この子の月齢ではそうした成長過程にはいまだ至らないので、現在出ている、とくに 左足の膝下部分の神経麻痺による運動障害などの症状は、形成時に脂肪腫が神経の発達を阻害したためと思われ、先天的なものである。故に発見がもっと早かっ たとしても避けられない類のものであったし、現在は分からないが今後このような異常がさらに見いだされる可能性もありうる。これらはリハビリによる回復の 可能性もあるが、完治は望めない。この子の場合は、おそらく軽い歩行障害は避けられないと思われる。足に装具(補助具)を取り付けることにもなるかも知れ ない。また脂肪腫脊椎の場合、排尿排便の困難も同時に見受けられるケースが多い。排尿は失禁、排便は便秘の形で現れる。水頭症を併発した場合は知的障害な どの脳神経への影響も出るが、一般に脂肪腫の場合は水頭症の併発は少なく、この子の場合も見たところたぶんないだろうと思う。つまり手術は、すでに発症し ている症状を治すものではなく、これ以上の症状を出さないための予防処置だと考えて欲しい。手術の時期は医者によっても様々な見解があり、個々のケースに もよるが、すでに症状が現れ始めている現状を見ると、私はもうすぐにでも処置をした方が良いと思う。

  某医大の医師が「手術自体はそう難しいものではない」と言っていたことを告げると、とんでもない、と頭を振った。肉眼で絡み合った神経と脂肪を判別しなが ら取り除いていくので、医師には細心の注意が要求されるし、通常7時間近くかかる大変難しい手術である。脂肪腫をあまり後追いしすぎても誤って神経を切断 してしまう危険がある。そこまで進んで、ふと話の間合いが空く。背後で立って聞いていたつれあいの母が、“私に任せてください”と言ってくれやんのかね、 とそっと私に耳打ちする。そんな空気を感じとったのだろうか、一瞬の沈黙の後、「もしこちらに任せてもらえるようでしたら、私としても精一杯やらせてもら うつもりです」とのY先生の言葉。これはあくまで、しろうとの直観のようなものである。私はなぜか、この先生ならきっと、と思った。経験に裏打ちされた真 摯な姿勢を感じたのだ。つれあいと顔を見合わせて肯き、「では先生、お願いします」と言っていた。そう口にしたとたん、何か得体の知れない感情がぐいと喉 元へこみ上げてきて、思わず噛みとどめた。それが悲しみなのか、祈りなのか、一抹の安堵であったのか、よく分からない。ただオネガイシマスという無音の言 葉をもう二つほど、震える奥歯で噛みしめて、それは去った。

 

  さいしょの手術はじつに11時間半に及んだ。脊髄の神経にからんだ脂肪腫を取り除くためにそれだけの時間を要したのだが、脂肪腫の周囲への癒着がかなりひ どく二週間後に再手術となった。二度目の手術も10時間半。精魂尽き果てたといった感の山崎先生が集中治療室に迎え入れてくれて、うつ伏せのまま固定され て意識もまだおぼろないたいけなわが子の顔に再会したときのことはいまでも忘れ難い。それから十数年間、娘の脳外科の担当医師はずっと山崎先生だった。入 口中央のエスカレーターで上がって二階の脳神経外科で受付を済ませ、親子でそれぞれ持参した本の頁を開く。国立大阪病院は第二のわが家のようなものだっ た。診察室での先生はどこかほんわかした天然の人だった。世の中に悪態ばかりついていたわたしも、突っ込みようがなかったのかも知れない。

  先生はさいしょは小児科の医師であったらしい。小児科の医師として子どもに接しているうちに脳神経の分野、発生異常や水頭症、その後の障害を抱えて生きて いく子どもたちに心を寄せるようになって脳神経外科の医師になったと、どこかで書かれていた。娘が手術を受けたときには、先生はすでにその分野では日本で も有数のキャリアを持っていて、たくさんの二分脊椎や水頭症の子どもたちを手術していた。そうして先生を囲む患者の会の企画で琵琶湖西岸に先生や看護婦さ んたちと一泊旅行をしたこともあった。先生の紹介で神戸の方へ二分脊椎の学会報告を聞きに行ったこともあった。またわたしのホームページを覗いてくれた先 生がなぜか「気が合いそうだから」と先生の夫君を紹介してくれて、大阪のうつぼ公園で一度だけお会いしてイタリアンのランチを共にして、音楽の話などをし た。無名のうちに死んだ中国のロバート・ジョンソンのような二胡奏者の阿炳(アーピン)を教えられたのも、そのときだ。クリスチャンだったらしい先生は、 おなじように娘と洗礼を受けたつれあいに「西海の天主堂路」(井出道夫・新風舎)という本を呉れたこともある。主に長崎の隠れキリシタンについて書かれた 長い本だが、著者は先生の義理のお兄さんだとつれあいは聞いたらしい。

 もう歳をとって長い手術に耐え られなくなった、と先生が言われたのは、娘が小学生の頃だったろうか。その頃に高槻の病院のいまのN先生にバトンタッチされたのだ。娘が1歳のときに国立 大阪病院に集っていた最高のスタッフたち、脳神経外科、整形外科、リハビリ科、泌尿器科のそれぞれの先生たちはみなその頃には、よその病院へ移ったり、病 院長などの管理職になったりしていた。世代交代だ。手術のたびに病室から眺めた大阪城天守閣や、車椅子を押してお弁当を食べた隣接する難波宮跡の公園な ど、第二のわが家同然だった国立大阪病院も次第に行くことが少なくなっていった。だから、先生が亡くなったことも知らなかったのだ。

 「お別れの会」で流されたという動画の最後あたりに、NHKのラジオ番組に出演したらしい先生が「いのちについてどんなふうに考えているか?」と問われて、つぎのように答えているのをわたしたち家族はほとんど涙をこらえながら聞いた。

  童地蔵ってご存知ですか? あの大原の三千院にある、ちょっと頭が大きくって、うつぶせでこうやって、あの、あごに手をあてて、ゆったりした顔で、笑って いるんですよね。あの、脊髄髄膜瘤の子どもって手術したときにこう、うつぶせで寝かせるんですけど、それをちょっと思い出したんですね。ほんとうに気持ち 良さそうで、ゆったりしてて、なんかこう、そんなに急がんでいいやんって、言われているような気がして。だからそういう、亡くなった子どもとか、障害持っ た子どもとか、まあわたしたちに「そんなに急がんでいいやん」と、「そんなに怒らんでええやん」って、そう言われているような気がするんですよね。

  山崎麻美先生。娘がまだ一歳になる直前の11時間半に及ぶ手術からはじまった、たくさんの言葉にならないことをありがとう。あなたがこんなに早く逝ってし まうとは思ってもいなかった。娘はきっと、あなたに手術をしてもらったことを一生、誇りにすると思います。あなたが汗をぬぐい、目をこらえ、一本の神経す ら傷つけまいと慎重に脂肪腫を切り離していったメスのひとつひとつの捌きは、娘の身体のなかにいまも刻まれている。いつかあなたのように、たくさんの子ど もたちをたすける人になりたい、と思うに違いない。

 

◆小児脳神経外科医 大阪医療センター脳神経外科 山崎麻美先生(日経メディカル)
https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/blog/nozaki/gallery/gallery07.html

◆インタビュー(pdf) http://www.kpu-m.ac.jp/j/miyakomodel/support/files/5236.pdf

◆山崎麻美「子どもの脳を守る」(集英社新書)
https://www.amazon.co.jp/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B-%E2%80%95%E5%B0%8F%E5%85%90%E8%84%B3%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%A4%96%E7%A7%91%E5%8C%BB%E3%81%AE%E5%A0%B1%E5%91%8A-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E5%B4%8E-%E9%BA%BB%E7%BE%8E/dp/4087203948/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1541342887&sr=8-1&keywords=%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B

◆YAMKINへようこそ! (先生の夫君のサイト)
http://ss7.inet-osaka.or.jp/~agorisy/

2018.11.4

 

 

 

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