067. 阪急・梅田 榎並 和春 絵画展 「―夢のつづき―」

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■067. 阪急・梅田 榎並 和春 絵画展 「―夢のつづき―」 (2018.7.3)

 




 はるさんとの付き合いはもう何年になるのだろう。娘が小さかった頃からだから、もう十年はとっくに超えている。はるさんの絵を一枚だけ買ったのは、あれ はそんな頃、わが家がいまよりもっと貧しかった時代だ。不思議なもので、ひとは豊かで余裕があるから絵を買うわけじゃないんだな。明日のパンさえ買えない ようなときでも、いや、そういうときだからこそなおさら人の心は絵や音楽や詩を欲求する。たぶんあのとき、画家は大出血のサービスで値引きをしてくれて、 さらに分割払いを受けてくれた。いまその絵は、わが家のリビングにあって、一億円の値がつくのを待っている。いまもその絵を見るとあの頃、じぶんがなにを この世界に対して望んでいたか、なにを守りたかったのか、思い出せる。じぶんが変わってしまっても忘れてしまっても、絵はそれをずっと保持しているのだ。 そういうことはコンピュータでは、できない。はるさんの絵を、梅田の阪急へ見に行った。昼休みの時間にこっそりと。このごろの画家の絵について、わが家の 娘は「ちょっと、変わってきたよね」とのたまう。「前は茶色い感じで、こう、四角い枠の中にぎちぎちって押し込められた感じだったのが、なんか明るくなっ て、ふわふわっとしてきたんだよね。わたしはいまの方が好き」  きっとそれは青の「ディキシー」や「旅人」、「夢の続き」などをさしているのだろう。あ るいは朱と黄金の「羊飼い」や「牛飼い」や「親子」などかも知れない。わたしも娘の意見とほぼおんなじだ。前者の青の作品はどこか突き抜けた軽やかさが あって、飄々としている。後者の朱と黄金は日常の何気ない風景の中に画家が見つけた至宝だ。尊厳といとおしさに溢れている。そのふたつの色の作品に囲まれ て、祝い人やたためる翼を持った茶色のまれびとたちは、以前よりいっそ闊達にわが道をたたずんでいる。そんな風景が、居心地がよかった。絵も音楽も詩も、 魂のパンだ。

2018.7.3

 

 

 

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