これはとても“胸につまる”ような音楽です。そしてとてもリアルで、複雑な感情が入り交じった豊かな感性が脈打っている、そう、何に喩えたらいいでしょうか、まるで原始の仄暗い林の深奥で幻のキノコが人知れずぼうっと光をたたえているような、そんな奇妙で胸に沁み入るような作品群たち。
また、この長い旅を続けてきた年老いたアーティストはここへきて、自らの老いと死を赤裸々に冷徹に見据えているようです。かれのファースト・アルバムも思えば死の想念が色濃いものでしたが、ここでは死はもっと緊密でゆったりとした親密さに囲まれているようです。怯えたり抗うものではなく、静かに受け入れ共に歩んでいくような存在として...
はじめてこのアルバムを耳にしたとき、悲しみとも愁いとも何とも形容し難い仄暗さを持った不思議な響きにまず、全身をからめとられたような気持ちになりました。けれどもそれはけっして嫌な暗さではなく、むしろ心根の底で静かに共鳴し合うような親しみと温もりのある音でした。
幾日かして忘れもしない、飛鳥へ向かう車の中で Tryin' To
Get To Heaven
が流れてきたときに、まるでレイ・チャールズの魂が午前の光の中を漂っていくようだと思いました。ディランがコンサートでもよく歌っている
That Lucky Old Sun
を歌うレイ・チャールズの、あの荘厳な光に包まれた孤独な魂です。ハンドルを握りながらひとり、私は泣き出さんばかりでした。あのときの感情を言い表すうまい言葉を、私は残念ながら持ちません。あえて言うならそれは“突き進んでいく”、あらゆる感情の果てまで突き進んでいく、そんな得も言われぬ無言の決意のようなものでしょうか...
私のアルバムを聴く人の中には、歌詞だけを取り上げてあれこれ批評する人がかなりいるようだが、この新作は音楽を聴いて欲しいと思っている。詩を分析するのではなく、演奏そのものを聴いて欲しい。頭で考えるよりも、心で感じて欲しい。
国内盤を待てずに輸入盤を先に買ったためにはからずも、このディランのコメントに沿う形で私は当初、サウンドのみに耳を傾けていました。一月ほどして国内盤を買った友人から送ってもらった対訳の歌詞を目にしたとき感じたのは、紙に書かれた言葉よりももっと多くの意味がこのアルバムにはあり、自分はそれを聴いていたということです。ディランは一般的に音楽よりもその歌詞が重要とされる向きがありますが、実はそうではないのです。かれの音楽の真の源泉はそんな言葉以前の何か、人の心にまっすぐに食い込んでくる素朴でストレートな音楽そのものであることが、このアルバムを聴いてもらったらきっと分かるだろうと思います。
繰り返しになりますが、ここにあるのはレコードという媒体に記録されたこと自体が非常に希有な、死に行く存在としての人間の精神の深みに降り立った地平で歌われる、とてもリアルで豊かなある種の感情です。まるで人の脳ミソの中身を床一面にぶちまけたような、悲しく、懐かしく、狂おしい、そんなつましい息づかいです。いまにも消えてしまいそうなそんなぎりぎりの淵に立ってもう一歩を踏みこらえながら、内へ内へと沈潜していくことによって消耗されたり無感覚にされてしまうことに抗い、後ろ向きに鈍い光を放ちながら何かを取り戻そうと懸命に試みている、そのような一種痛ましくも不敵な精神の身振りのように私には聴こえます。
何もアーティストに限らず、人は誰であれ生ある限り自らのつましい心の歌を歌い続けるものだし、その年齢でしか歌えない歌というものがあるはずです。そして何より50歳という年齢を遙かに超えたいまもなお、一人のアーティストとしての個に徹し歌い続けるディランの姿勢に、私はある種の感慨を禁じ得ない深い誠実さを感じ、たとえどんな形であれ、一個の素朴なファンとしてこの先もかれの音楽を聴き続けていこうと思っています。
あの映画「Don't Look
Back」で若かりしディランが間抜けな新聞記者をやりこめ、「ひとつだけ確かなことがある。それは俺もあんたも、いつかは死ぬという事実だ」と言った場面が鮮やかに蘇ってきます。ディランははじめから何ひとつ変わらないし、変わろうともしていない。いつもかれの底にあるのはそんな頑固なまでの素朴な問いと、それを持ち続けるひたむきさではないでしょうか。私はディランのそんなところがとても好きです。
最後ですがこのアルバムは、'80年代の珠玉の名作「Oh
Mercy」と同じダニエル・ラノアをプロデューサーに迎え、'97年1月にマイアミのスタジオで11日間のレコーディングを行い録音され、ご存じの通り翌年の第40回グラミーで年間最優秀アルバム賞・最優秀男性ロック・ポーカル賞・最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバム賞を受賞、授賞式でアルバム冒頭の
Love Sick が演奏されました。
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