それはあの細くてワイルドな水銀のような音だ。それはメタリックで明るい金色をしている。それがどのような音に思われるか知らないが、それがぼくの音だ。その音をいつも得ることができるとは限らない。
ボブ・ディラン・ミンストレル・ショーの夕べ。まるであの寺山修司の実験映画のような書き割りの前に、小人や巡礼者の一群、花を持ったニンフ、ヒョウ皮の縁なし帽子をかぶった女、ジョアンナのまぼろし、鉄道員や牧師、メンフィス・ブルースを歌う男、騒々しく陽気な楽隊などが次々と現れては、唾を吐いたり、跳びまわったり、花を捧げたり、嘆き悲しんだり、酔っぱらったり、宣誓したりしているような音楽。
「Bringing It All
Back」で突破口を開き、前作「Higway 61
Revisited」でエンジン全開といったディランが、そのままアクセルを踏み続け、とめどなくあふれ出てくる奔放なイマジネーションに身をまかせて制作したレコードでは2枚組のこのアルバムは、一般にいわれているようにディラン・ロックの頂点・金字塔・理想郷というさまざまな形容がどれも当てはまる、ふくよかで豊かな感性に満ちた素晴らしい作品だと思います。
まさに山本リンダの「もうどうにも止まらない」状態のディラン。ただ、このまま突き進んでいたなら、ひょっとしたら彼もジミ・ヘンやジャニスのように悲惨な死を迎えていたかも知れない。そんな危惧を抱かせるほどの危ういスピード感が、この時期のディランには感じられます。そしてこのアルバム発売2ヶ月後のあの運命的なバイク事故。
すでにレッド・ゾーンを越える限界のスピードで走り続けていたディランは、あの事故によってレース場からもといた田舎道に戻され、来た道を振り返り、じっくりと自分の内面を眺めなおす時間を与えられた、それはとても幸運なことだったと思えるのです。
サウンド的には、前作「Higway 61
Revisited」がまるで鋭利なナイフのような性急でギラギラした感覚だったのに比べると、このアルバムはおそらくナッシュビルでの録音ということも影響しているのでしょうが、どこかメロウで暖かみのあるサウンド、あるいは泥臭い南部的でブルージィーな肌触りを感じます。
ほとんどはナッシュビルの地元のスタジオ・ミュージシャンたちとのセッションですが、One
Of Us Must Know (Sooner Or Later)
だけは唯一、後のザ・バンドのメンバーとニューヨークにて録音されています。
内容はもう言わずもがなの名作揃い、ディラン・ロックの最良の見本市といった感じで、冒頭のマーチン・バンド・スタイルから、シンプルなロック、泥臭いブルース、ポップでメロウなラブ・ソング、生ギターのアルペジオが印象的なワルツ風の曲と、存分に愉しめることは請け合い。
たとえばアルバムの最後を飾る10分以上もの長い、後に妻となるサラに捧げたラブ・ソングは、作品の完成度としては
Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again や
Just Like A Woman
のような極上の名作に比べると若干ひけをとるものの、その温もりに満ちたサウンドと誠実味あふれるディランの果てしないボーカルを聞いているだけで、このままこの曲が終わらないでくれたら... と何度も思ったものです。また詩の内容としては、個人的には
Visions Of Johana なんかがいちばん好きかな...
この頃のアウトテイクとしては「bootleg series vol.1-3」に未発表の I'll
Keep It With
Mine、完成させてアルバムに収録して欲しかったイカした She's
Your Lover Now
のそれぞれ中途半端なリハーサル・テイクが収録されています。