■ドキュメンタリー映像作品『四季 遊牧 〜ツェルゲルの人々〜』鑑賞記 | 「四季 遊牧」資料

 

 

 モンゴルはかねてから訪ねたい国のひとつである。

 いつであったかもうだいぶ以前、偶然入った山梨の美術館で内モンゴル出身のアーティストの現代画展を見た。灰色の家畜の群を貫いて、大地からオーラが天に昇っていた。五木寛之氏の小説『風の国』も、正史より封殺された日本の漂泊民を描いたものだが、あれもまたこの国の闇に蠢く遊牧民=ノマドの幻影だったかも知れない。

 かつて差別に関する小論で引いた、民俗学者・赤坂憲雄氏の短い一節をまたここでも引用しておく。

 

〈異人〉とはくりかえすが、共同体とその外部の〈交通〉にまつわる物語である。内部/外部という強迫的な二元論に呪縛されていない、たとえば狩猟採集を基調とする遊牧民にあっては、この物語はまったく異質な貌をしているにちがいない。世界の中心をたえず移ろいずらしてゆく、したがって、閉ざされた円環によって世界=宇宙を静態的(スタテイツク) に認識することを知らない遊牧民(ノマド) にとって、強迫的な〈異人〉表象=産出のメカニズムも無縁であったかもしれない。

 

 そしてまた“反語”として、今年の初め頃に新聞の対談記事に載っていた音楽家・坂本龍一氏のつぎのような言葉。

 

 モンゴルに行ったのは単純に風土や人間の暮らしぶりを見たかったからなんです。実際に行ってみて驚いたのは、モンゴルの草原は、日本語の「草原」という響きとは違うということ。砂漠にチョロチョロと草が生えている感じです。土壌が貧しく、乾燥している。あの土壌では人間が食べられる穀物は勝手に生えてはこない。だから、羊や牛などの家畜に食べさせて、その家畜を人間が食べる。羊はすぐ草を食べ尽くしてしまうので、移動が必要になる。資源が少ないところでの共生。土壌微生物もものすごく少ないから、耕作をしない、掘り返さないというルールが徹底した。

 生態的にいうと宇宙基地モデル。資源が少なく、閉鎖系の土地ですべてが循環する。唯一の開放系は太陽からのエネルギーだけ。どこかに一つでもミスがあると死んでしまう。実は地球自体もそうなんです。宇宙基地と変わらない。かなりぎりぎりの共生系をやっているわけです。

 

*

 

 のべ8時間近く、昼と夜のお弁当二つをはさんだ一日がかりの上映会のことはちらちらと耳に入っていた。しかもそれがモンゴルの遊牧民の生活を追った記録映像というのだから食指は動く。大阪での上映会のパンフを手に入れたが、その時はすでに予約が満席で残念ながら見送り、五月の末にようやく神戸での上映会の席を取ることが出来た。

 ちなみに大阪での上映会は前口上どおりお弁当(しかも一食はモンゴル料理!)付きの会であったが、神戸は会場の都合で会場内での飲食はできず外食、些少のおやつ付きということであった。当日は仕事へ行くよりもやや早めに起床して、若干寝ぼけ眼でつれあいと二人して電車に乗り込んだ。

 

 大阪駅で泉南からの友人の女性と合流し、三人連れでJR元町駅に降り立ったのが9時半過ぎ頃だったろうか。会場は南京町からもほど近い、元町商店街の一角にある「まちづくり会館」である。土曜の朝の商店街はまだ閑散としている。

 会場を確認してから、短い時間で済ませなくてはならない二度の外食のために、周辺の食堂などをチェックしておく。近くに小さなインド料理の店を見つけ、昼はそこでランチを食べ、夜は(昼よりも時間が短いため)コンビニで弁当を買って会場の一階にあるロビーで食べようということにした。

 会場は定員70名でほぼ満席に近かった。予定通り午前10時半、主催者よりの簡略な案内があってから上映は始まった。ちなみに当日のプログラムを写しておく。

 開場

10:10

午前の部

10:30-

*途中休憩15分を含む

 昼食

13:10-

(50分)

午後の部

14:00-

*途中休憩15分を含む

 夕食

17:00-

(30分)

夜の部

17:30-

*途中休憩15分を含む

 終了

20:30

おつかれさま

 若干の時間調整・変更はあったが、おおむねこの通りであった。

 8時間連続上映となるとやはり睡魔(および集中力)との闘いである。個人的には昼食をはさんだ前後が眠気がいちばんピークであった。前の方の席では若い男女だが、全体の半分を首をもたげている者もいた。

 夜の部に入ってからは個人的な性質だろうが頭も冴え、終了時にはもう何時間かくらいは大丈夫だなという感じだった。終わってみれば夢から覚めた胡蝶のごとし、である。何よりほぼ半日を共に過ごした画面の愛しき登場人物たちと別れを告げるのが惜しまれた。

 昼は予定通りオール・インド人のインド料理店でカレー二種とナーンなどのランチにサモサなどのスナックを加え、夕食も近辺のコンビニでパンやヨーグルトを買って一階のロビーで慌ただしく食した。昼の50分という持ち時間は、食堂に入って注文をしてから食べ終わるまで結構ぎりぎりのタイムである。

 当日は会場の都合等もあったのだろうが、やはりこの雄大な映像作品に骨の髄まで浸るには、お弁当を配して(手弁当でもよいが)外界の喧噪から閉ざされた長期缶詰状態で鑑賞するのがいちばんよい、と思われた。山田洋次監督作品の、バン一台で名画座興行をする西田敏行演じるつぶれた映画館主のように、木造の小学校校舎や海岸の砂浜で野外上映するのも相応しいかも知れぬ。みんなでそれぞれ思い思いに運動会のように、弁当を広げたり、酒を飲んだり、寝転がったり、踊ったりしながら....。

 それでも、昼食後にはそろそろ眠気や疲れが出始めるだろうと、入り口のテーブルに飴やチョコレートなどが用意されたのはスタッフの方々の素朴な心遣いであった。私も飴を一掴みとチョコレートをひとつ、遠慮なく頂きました。

 肝心の内容については、作品のあらすじや制作された滋賀県立大教授の小貫雅男氏による解説等を含む詳細案内を別に設けたのでそちらを参照して頂きたいが、それよりもやはり機会があれば(なければ作って)ぜひこれを読んでいる皆さんにも直接見て、感じて欲しい。言うべき事は私の腐ったボーフラ言語よりも、全編を天上の鮮やかさで彩る雄大な大地と朴訥な登場人物たちの表情が何より雄弁に語ってくれるはずだから。

 遊牧による生活とは、確かに生易しい自由奔放なユートピアの暮らしではなかった。遊牧の中の計算された「規則性」、厳しいぎりぎりの自然環境に限定された“自由”、去勢による家畜の管理、時には家畜の所有をめぐって諍いも起こる  冒頭に引用した坂本氏のいう、人間と自然とのぎりぎりの共生=「宇宙基地モデル」の現実を改めて想起する。

 だがこの作品の全編を通じて、そうした厳しい環境の中でつましく生きる彼らの姿から迫ってくる、まるで大河の流れのような、圧倒的に豊かなこの感覚はいったい何であるだろう。物質的には比べものにならないくらい恵まれた経済システムの恩恵に浴しているぼくらは、彼らのつましい生活を目の当たりにして、己を「貧しい」と思うのだ。また同時にあの乾いた砂漠の民の暮らしぶりに、彼らの音楽が心根の琴線を弾(はじ)くように、遠く悲しくまた懐かしいようなある種奇妙な郷愁を覚えるのだ。何故か。

 ぼくらが「貧しい」と感じるのは、一見きわめて豊かに見えるわれわれの生活が、何か大切な「大いなる生命(いのち)の流れ」のようなものから切り離されてしまっているためである。そして眠っていた胸の深奥から溢れ出てくるような郷愁は、われわれがかつてそれらのものをニセモノの豊かさと引き替えに捨ててきてしまったからに相違ない。

 それは「森が健康になれば、ニンゲンも健康になる」と言った、アマゾンのある部落の酋長のことばのようなものだろう、と思う。この国の少女たちが援助交際と称して売春することの非に対して、多くの大人たちが説得力のある言葉を彼女たちに語れなかったときに、心理学者の河合隼雄氏は「魂に悪いからいけないことなのだ」と言った。そのような言の葉を、ぼくらは失くしてしまったのだ。この国には金銭と快楽と健康のために消費するガラクタはあっても、魂を潤す場所がない。

 8時間に及ぶ映像を通して何より忘れがたいのは、草原(くさはら)の大地をゴム毬のようにはじけ、走りまわり、また時には大人たちに混じって家畜の世話や乳搾り、チーズ作りなどを手伝う子供たちの姿だ。彼らの表情の何と天真爛漫なことだったろう! まるで土くれの繭から生まれたいたずらな天使のように輝いていた。

 そして“家族”という、分かちがたく常に新しい愛情に満ちた絆。そうした素朴な形=在りようを、ぼくはもうずいぶん長いこと忘れていたような気さえする。(さらに、“ラクダ三頭分”のシンプルな家財道具!)

 

 映画の前半に映された、ある印象深いシーンがある。

 旧社会主義体制時代の集団経営ネグデルより離脱して新しい自主管理の共同組合ホルショーを結成したツェルゲル村の有志たち代表が、都市部におけるカシミヤの販路開拓のために、750H先の首都ウランバートルへ向かう。だが市場経済に移行し、新たに現れた新興商人たちが牛耳る首都では、彼らの思惑はあっさりと裏切られる。

 そして一週間の滞在の間、豊かできらびやかな都市の生活と自らの草原でのつましい暮らしの差を思い知らされる。あふれるモノ、レストランでの豊富な食材、豪華なサーカス・ショー、イルミネーション、この作品の主人公ともいうべきチェンゲルさんは百貨店で子供たちへの手みやげの人形の棚を注視するが高価で手が出ない。また招待された豪華な中華料理店では遊牧民の矜持からか、食べ慣れた羊の干し肉にしか手を出さない。あの雄大な大地の暮らしでは頼もしく生き生きとしていた彼らも、首都の喧噪と「豊かさ」の中では心なしかどこか疲れ、居心地が悪く、色褪せて見えてしまう。

 結局、商談にも失敗し、何ひとつ買うことなく帰路に就いた彼らは、途中休憩した郊外の道ばたで、彼らの家畜たちが好む「特別の柔らかい枯れ草」を見つけ、みな誰ともなく休息を忘れ三々五々に散らばり無言で摘み始める。それが首都行きでの唯一の“手みやげ”でありまた同時に、彼らが彼らの素朴な“いのちの場所”に戻って息を吹き返したような、そんなささやかで静謐でさえある感動的な場面だった。

 ぼくはかすかな安堵の息をつき、物欲と快楽にまみれた資本経済の波にこれからますますさらわれるだろうかれらの前途に重い不安を覚えながらも、ちいさなチサの葉一枚の希望もまたいっしょに抱いたのだった。

 

 8時間に及ぶ上映を見終え、ぼくらは会場から神戸の雑踏の中へと舞い戻った。一瞬、いままで見ていたあの草原の世界は夢だったのだろうか、それともこの賑やかな喧噪の場面が夢なのか、と幻惑された。そろそろ店仕舞いを始めた夜の元町商店街をぶらぶらと、それから南京町を抜け、唐揚げや肉まんなどを食べ歩きしながら駅へと向かった。

 最後に作品中の寡黙な語り部であり、子供たちの良き遊び相手であり、今回の膨大なフィルムの編集作業をすすめられたという若き伊藤恵子女史の、冊子にあった言葉をここにあげておこう。

 この素晴らしい映像作品には、数多くの実り豊かな種子が、まだ小さく硬い胚芽の形で眠っている。それらをみずからの“いのち”に植え付け、それぞれの苗として大事に育てていくのは、この作品を体験したすべての人々の役割だろう。

 そして自分も含めいつの日か、多様な似姿の大樹が世界中のあちこちに枝を広げ、花を咲かせ、次の世代に手渡す無数の種を成すことを夢見て…… 

 

 そして究極において、制作過程のさまざまな困難、迷い、不安から目を覚まさせ、この作品の制作の原点に立ち戻らせてくれたのは、いつも、ツェルゲルの人たちが夕暮れのゲルの中、あるいは晩秋の高原で、しんみりと語ってくれた、「この大地に生まれ、生き、この大地に還ってゆくんだよ」という一言であった。

 今、日本では、都市にせよ、農村にせよ、人間が仲間とともに生き生きと暮らし、未来を託す次世代をはぐくむ空間「地域」のあり方が、大きく問われている。命をつなげる基本であるべき食べ物さえ、極端にいえば、素材の実体を見ることもなく、加工済みの出来合いばかりで済ますことさえ可能な時代、「土」や「命」の実感・触感を知らずに育ち、生きている人も多い。

 一方、この作品の舞台のツェルゲル村の遊牧民たちは、どうであろう。「命」の源の水、土、太陽。そして、草や家畜たち。絶えず我が身を直接、厳しくも豊かなモンゴルの大自然にさらし、生きている。子供たちがお母さんやおばさんに混じって一生懸命、乳搾りを覚えたり、わずかに湧き出る泉から馬と分け合って、夕餉の支度に使う水を汲んだり、砂漠で野生のニラを摘みあつめたりするのも、これから、このツェルゲルという空間「地域」にとけ込み、根づいてゆくための大切な準備なのである。しかも、子供たちは、それを“仕事”として、というより、ゆったりとした毎日の時間の流れの中で、のびのびとした“高度な遊び”という感覚で、身につけていっているように感じられる。

 

 

 ■ドキュメンタリー映像作品『四季 遊牧 〜ツェルゲルの人々〜』鑑賞記

「四季 遊牧」資料 | もどる