ドキュメンタリー映像作品
■ 四季 遊牧 〜ツェルゲルの人々〜1992年秋-1993年秋

 

 1989年にはじまった日本・モンゴル共同のゴビ・プロジェクト調査隊は、1992年夏の第三次調査を終え、基礎調査の最終段階をむかえていた。
 5名からなる日本の越冬チームは、引き続きモンゴル・ゴビ・アルタイ山中のツェルゲル村に残り、調査の総仕上げにとりかかった。
 この作品は、越冬を含むこの最後の一年間の記録映像をもとに、ツェルゲルの四季折々の自然とそこに生きる人々の生活を描いている。

 

輝く朝が播き散らしたものを、
すべて連れ返す宵の明星よ。
あなたは羊を返し、山羊を返し、
母のもとへ子を連れ返す。
(サッフォー 断片104)

 

「四季 遊牧」を推す (山田洋次)

解説 (Nonad代表・小貫雅男)

作品のあらすじ

お弁当二つの上映会について | プログラム例

ビデオ販売の案内 | Nomad窓口

Back

 

 

 

 

● 「四季 遊牧 〜ツェルゲルの人々〜」を推す

 一度見出したらどうしても席を立てない。モンゴルの遊牧民の暮らしのようにゆったりとした時間に包まれながら、終わりまで見てしまう−この作品にはそんな不思議な魅力がある。学術的な記録として撮られた画像なのだろうが、これはもう、作品である。

 モンゴルの大自然とそこに暮らす素朴な人々−というテーマで作られたテレビドキュメントはいくらでもある。劇映画もいくつか作られている。しかし、調査隊の学者や学生たちが、日本では想像もできない厳しい自然の中を、ツェルゲルという村で一年を過ごしながら作られた『四季 遊牧』は、そのてのものとはまったく違う。モンゴルを深く知る人によってはじめてとらえることのできる迫力が画面に溢れ、一年間をともに過ごした何組もの遊牧の家族たちへの熱い愛情と、その人たちの暮らしのあり方への敬意が胸をうつ。

 ドキュメント映像の価値は、接術よりも対象への愛と、そして尊敬なのだということを、小貫さんのような学者が作った、この立派な作品から教えられた。

(映画監督・山田洋次)

目次へ

 

 

 

● 解説 〜独自の世界にひたる〜

 私たちは、21世紀を目の前にして、この10年間、世界の歴史の大きな転換期に生きてきた。この転換への激動は、世界の主要部にとどまらず、地球の辺境といわれる地域にもおよんでいくのであるが、そこで惹起された問題は、何も解決にされずに、今に残されたままである。

 1980年代、ソ連・東欧にはじまるペレストロイカの波は、内陸アジアの草原と遊牧の国モンゴルにも押し寄せ、遊牧の社会主義集団経営ネグデル体制は、かげりを見せはじめていた。                                                             1989年11月のベルリンの壁の崩域は、決定的なインパクトをもって、やがてモンゴルの全土を市場経済のうずに巻き込んでゆく。旧体制の崩壊の中から、地方では伝統的な遊牧共同体の再生への動きがはじまり、新たな「地域」の可能性があらわれてくる。

 こうした世界史の大きな転換期の中にあって、ツェルゲルの人々は、自らのいのちと暮らしを守るために、新たな「地域」の可能性をもとめて模察をはじめたのである。

 ツェルゲルとは、モンゴル国のバヤンホンゴル県ボグド郡ツェルゲル村のことである。モンゴルがアジアの片田舎であるとするならば、ツェルゲルは、そのまた片田舎の一小地域社会である。首都ウランバートルから南西へ750キロ。大ゴビ砂漢地帯に連なるゴビ・アルタイ山脈の中の東ボグド山中にある東西40キロ、南北20キロの範囲に広がる遊牧民60家族が暮らしている村である。

 この村の東の高山部には、3500メートルの衆ボグド山頂が聾え、西にゆくにしたがって低くなる。遊牧民たちは、比較的低い西の麓近くの標高1500〜2000メートルー帯に冬営地をかまえ、初夏をむかえると、東の3000メートル級の緑濃い高山部に移り住む。両者の間を上下の移牧をおこなって、四季折々の自然の変化を実に巧みに使いわけて暮らしている。四季を通してほとんど山岳地帯を利用しているので、家畜はヤギが圧倒的に多い。

 このツェルゲル村がある広大な砂漠と山岳からなるボグド郡の中心地には、オロック湖という湖がある。この岸辺には、郡役所、病院、小中学校、郵便局、売店などの施設がある。人口1000人ぐらいの小さな田舎町を形づくっている。しかし、この町はツェルゲル村からは70キロも離れたところにあるので、ツェルゲルの人々は、これらの公共施設を事実上利用できず、郡内の最東端の山中にあって、ひっそりと暮らしている。こうした地理的条件もあって、ツェルゲル村はボグド郡の中では、孤立した存在ではあったが、かえってそのことが最も自立心の旺盛な土地柄にしてきた。

 こうした土地柄もあって、ツェルゲルの人々は、旧体制の厳しい監視下のもとにあった時から、自立への動きをはじめたのである。世界の動きから遠く離れたこうした山中にありながらも、ツェルゲルの人々は、土着の“共同の思想”に裏打ちされた極めて先進性豊かな“協同組合構想”を心に描き、その実現への手がかりを模索していたのである。

 この作品は、1992年の軟からはじまる一年間のツェルゲルの人々のこの“模索の動き”を縦糸に、ツェルゲルの四季折々の自然と、その中に生きる遊牧民の暮らしの細部や人々の心のひだをも組み込みながら、独自の世界を美事に紡ぎ織りなしてゆく。

 この“模索の動き”のいわば縦糸を紡ぐツェルゲルの人々。その中のリーダーの一人であるツェンゲルさん(35歳)とその家族。生活の辛さも満面に笑みを湛えて吹き飛ばしてしまう肝っ玉母さんのバドローシさん(31歳)。自然の中に溶け込むようにして飛びまわる次女のハンド(7歳)や食いしん坊の御曹司セッド(5歳)。ツェンゲルさんよりも年上で、彼とは苦楽を共にしてきた同志でもあり、貧乏ではあるが誇り高い“役落貴族”のアディアスレンさん(42歳)とその家族だち。‥‥・・これら次々と脳裡に蘇ってくる作中のどの人物をとってみても、海の向こうの人々とは思えない。身近で、親しみ深く、等身大の生身の人間として立ちあらわれてくる。

 乾燥しきった大砂漠の中の山岳地帯。疎らにしか生えないわずかばかりの草をヤギたちに食べさせ、その乳を丹念に搾り、チーズをつくり、乳製品や家番の肉を無駄なく大切に食して命をつなぎ、つつましく暮らしているこれらの人々が、なぜか気高く映るのである。一方、断片的でこま切れな情報の氾濫と喧噪に刺激され、際限なく拡大してゆく欲望と消費と生産の悪循環の中で、あくせくと働き、精神をズタズタにされた現代人。その末路がどんなものであるのか、そのことが漸くおぽろげながら見えはじめてきた時、貧しくもつつましく生きるこのツェルゲルの人々のひたむきな生き方に、幽かな21世紀への光明を見た思いがしたのかもしれない。三部作全6巻7時間40分の独自の世界に、いつの間にかどっぷりと浸ってゆく。

 “輝く朝が播き散らしたものを・・‥・・”ではじまる冒頭の詩は、古代ギリシャの女流詩人サッフオーの作によるものである。朝に東から太陽が昇り、タベに西に沈むこの天体の運行に身をゆだね、自然の中に溶け込むようにして日々繰り返しおこなわれてきた家畜たちと人間たちとの共同の営みは、ギリシャの地においては少なくともこ千数百年の苦から、そしてモンゴルのこのツェルゲルの大地では今日においても受け縦がれ、時空を越えて、この地球の悠久の広がりの中で、えんえんと繰り返され、何とか今に継承され保持されてきたことになる。

 人間にとって本源的で大切なものは何かと問われれば、それは、迷うことなく、今日の私たちには僅かにしか残されなかったこの原初的な部分である、と答えるであろう。作品“四季 遊牧−ツェルゲルの人々−”は、人類が僅かではあるが保持してきた、この本源的なるものの底に潜む思想の核心部分を、現代に今、蘇らせることの大切さと同時に、そのむつかしさを伝え、人間がますます大地から離れてゆく現代の傾向に対して、精一杯の警鐘を打ち鳴らし、人々に再考を促そうとしているのかもしれない。                  (小貫雅男)

目次へ

 

 

 

● 作品のあらすじ

 

 第泄

 (上巻)

 1992年の晩秋。東ボグド山・ツェルゲル村は、長く厳しい冬の到来を間近に控えている。

 調査隊が1年間、お世話になるツェンゲルさん一家とその弟の家族は、すでにこの山の西の麓にある標高1500メートルの冬営地に移り、ゲルを建て、冬支度に余念がない。

 広々とした乾いた大地に、ヤギ・ヒツジを一日中、放牧する。これも、まもなく訪れる本格的な雪の季節に備えて、家畜たちに体力をつけるためだ。

 まだ山腹の秋営地にいるアディアスレン家。10月中旬、いよいよラクダに荷を積み、ツェンゲルさんたちの住む冬営地の近くに、引っ越してゆく。

 もうまもなく、厳しい冬がやってくる。

 

(下巻)

 11月に入ると、厳しい吹雪とともに、零下20度を下る本格的な冬の暮らしがはじまる。吹雪の直前に、一冬分の牛やラクダの食肉を準備してしまう。この土地に生まれ育った、ツェンゲルさんたちの鈍い勘である。

 森林のないこの半砂漠地帯の山では、燃料の確保は、深刻な問題である。ゲルの中で暖をとるにも、食事をつくるにも、雪を溶かして飲料水をつくるにも、谷間にわずかに生育する濯木が頼みの綱。ツェルゲルの“役落貴族”ァディアスレンさんの妻トゴスさんも、雪の中をたきぎ取りに出かける。

 深い雪に閉ぎされた日、ツェンゲルさんから一日中、ゆっくりツェルゲル村の昔のことを聞く。厳しかった家畜の国家供出のこと。村を襲った大字魅と大雪のこと。村を捨てて、豪雪の中を隣村まで緊急避難したこと・・・・‥。

 ベルリンの壁の崩壊と民主化の波の訪れは、ツェルゲル村にもおよぶ。「地域」再生に取り組むツェンゲルさんたちは、南北20キロ、東西40キロに散在する60戸の一つ一つを訪ねてまわり、新しい遊牧民の組織づくりを呼びかける。過去の集団化経営へのアレルギーがありながらも、遊牧民たちは、真剣に新しい地域づくりを目指して動き出す。
 ついに、12月4日、厳しい零さの中、ラクダや馬に乗り、集まった遊鞭民たちは、協同組合ホルショーを結成することになる。

 

 

 第部

(上巻)

 ツェルゲル村では、新しい協同組合ホルショーの結成後、長年の夢である村内分校開校に向けて動き出す。

 年が明けて、1993年の1月、ボグド郡全域を支配していた集団経営ネグデルは、ついに解散。それに伴い、ツェルゲル村で生まれた新しい協同組合“ホルショー”は、郡内の他の村にも波及してゆく。

 激しい寒気の中、各家々では、仔ヤギ・仔ヒツジが続々と誕生する。雪に閉ぎされた冬の暮らしの中にも、新しい生命の誕生によって活気がみなぎる。

 2月22日、旧正月の元旦。大晦日には、家族そろってのおせち料理づくり、初日の出前の羊頭裂きの儀式、元旦のお年始まわりと、村は一気に明るさをとり戻す。

 お正月が明けるとすぐ、ツェンゲルさんたちホルショーの代表者数名は、北寓750キロ先の首都ウランバートルヘと向かう。春のカシミヤの販路開拓が、一行の最大の目的である。市場経済へ移行し、都市では新興商人があらわれ、遊牧民たちの取り組みに立ちはだかる璧は厚い。

 

 (下巻)

 3月、雪が解けると、今度はすさまじい砂嵐が吹きすさぶ。この砂嵐が、モンゴルの大地では、春の訪れの合図なのである。春の陽気に浮かされて、ツェンゲル家の子供たちもゲルを飛び出し、仔ヤギたちとたわむれる。ままごと遊びをしたり、生き生きと動き出す。

 そして、7月、待ちわびた夏が一気にやってくる。ツェンゲルーー家、菊のフレル一家も、長い冬を過ごした山麓を後に、さらに高度を上げて、標高2000メートルの夏営地へと引っ越していく。少ない降水の一滴も逃すまいと、ゴビの草たちは体内に滋養をいっぱい詰め込む。

 ヤギたちはその草を日がな一日食べて、朝・夕2回、ふんだんに乳を人間たちに提供してくれる。ヤギの乳搾り、乳製品づくりと、女たちは休む暇がない。

 夏のもう一つの風物は馬乳酒。遠方の放根地に放っておいた馬群を仔馬とともに連れ戻し、馬乳の初搾りのお祝いをする。

 夏営地からさらに山を登り、“投落貴族”アディアスレンさんの道案内で、標高3590メートルの東ボグド山頂に迫る。高度が上がるにつれ、草の緑は濃くなる。さわやかな風に揺れる花々。冷たい雪解け水を集めてほとばしる清流のほとり。奥深い客間の遊牧民たちは、野生のお茶やタマネギ、きのこなど、貴重な高山の恵みを取り入れ、暮らしを愉しんでいる。

 

 

 第。部

(上巻)

 ツェンゲルさんの次女ハンドは7歳。お転婆でおませなこの少身は、母や姉の仲間入りがしたくてたまらない。ヤギの搾乳、馬乗りの初げいこ。母に頼まれ、砂漠に群生する野生のニラ摘みにも出かける。この村に生きる遊牧民の娘として、成長してゆく。

 短い夏を惜しむように愉しむツェンゲルー家。午後のひとときの一家団欒。栄養たっぷりの自家製のヤギのヨーグルト。少し酸味のきついチーズも食べ、冬に疲れた遊牧民の体力も、回復してゆく。

 一方、冬、結成された遊牧民協同組合ホルショーは、手紡ぎ・手織りのサークル活動をはじめる。女性たちは、合宿をするほどの熱心さだ。今、再び、手づくりの伝統を「地域」に生かすことの大切さを実感する。

 

(下巻)

 いよいよ9月1日、村のみんなの念願だった分校が開校。これを記念して、ナーダム祭りが開催される。周辺の村や郡からも、大勢の人々がつどい、モンゴル相撲に子供競馬を愉しみ、ツェルゲル村は喜びであふれている。

 分校の始業日。乳搾りに忙しい朝、遅刻をする生徒もいる。3学年合わせて生徒45人、先生4人。分校最初の鐘が鳩る。子供たちや父兄たちも、先生方も、希望に胸がふくらむ。

 長いようで短い一年であった。再び晩秋をむかえ、お世話になった“役落貴族”アデイアスレン家を訪ねる。これが最後の訪問になる。たそがれに沈む客間のゲルの中、問わず語りに、この土地に生きる苦しみや愉しみ、自らの生きる信条を、しんみりと語ってくれる。

 ツェンゲルさん、アディアスレンさんたちは、晩秋の高原で、狩りのキャンプをする。はるか遠方を見渡せば、親しみ慣れたいつもの“王妃座山”が、砂漠の中に浮かんで見える。この小山にまつわる伝説や風習、そしてキャンプの火を囲んで語る言草の一つ一つにも、この土地に生まれ育ち、また大地に違ってゆく遊牧民たちの人生観が、にじんでいる。

(伊藤恵子)

目次へ

 

 

 

● お弁当二つの上映会

○新しい鑑賞スタイルの創造を目指して 〜21世紀に向けて自主上映運動のうねりを〜

 

 商業主義に煽られた科学技術、なかんずく情報通信技術の進歩は、なんの脈絡もない断片的で、こま切れな大量の情報を世の中に氾濫させ、人々はひたすら情報の獲得それ自体を目的化して、その情報量の増大を競っています。

 こうした中で、人々はあくせくと働かされ、生活スタイルは大きく変えられてしまいました。映画・テレビ番組といったマスメディア’は、視聴率を競い、ますます刺激性と奇抜さに頼って、低俗化と短小軽薄の方向へと流されてゆきます。一事にこだわりの心をもって、長い時間をかけて、静かにゆっくり鑑賞する余裕などというものは、いつの間にか遠い昔のことのようになってしまったようです。

 私たちは、こうした世の中の傾向に対しては、むつかしいことではあるが、自らの実践によって抵抗しなければ、どうしようもないところまでにきています。時間とゆとりのある、ゆったりとした落ち着きのある生活をとり戻すための、ささやかではあるが粘り強い運動が待たれるのです。

 “お弁当二つの上映会”は、こうした状況の中で、まず自らの鑑賞のスタイルの改革からはじめて、さらには自分自身の本来の生活をも取り戻そうとする、生活建てなおしの実践の第一歩に位置づけられるものです。自らが朝から晩まで、丸一日さいて、昼とタベには“お弁当二つ”を食し、幕間にはお茶や水割りを嗜みながら、ゆっくり7時間40分の“独自の世界”、つまり私たち現代社会とは対極にある“遊牧の世界”にどっぷり身をひたして、まずその異質の“世界”に生きてみようというのです。それは、いわば、江戸時代の民衆に定着した“歌舞伎芝居見物のスタイル’’の精神を、現代に復活させる試みでもあります。

 こんなことを考えているうちに、“お弁当二つの上映会”の夢は、次第にふくらんでゆきます。南は沖縄から北は北海道に至るまで、日本列島各地の農山漁村や町々をくまなく歩き、農家を訪ね、小さな学校やお寺や公民館などを訪れ、あるいは大都会の路地を徘徊し、さらにはアジアから世界の各地へと転々と訪ね歩く。ごく少人数で囲む、このささやかな“お弁当二つの上映会”を愉しみながら、放浪の旅をつづけるのです。そこには、さまぎまな人々との出会いや語り合い、学び合いが待っています。

 “映像地域学”という学問分野があるものとするならば、その実践は、まさしく映像の制作と鑑賞を通して、こうした学問と「地域」との接点をもとめ、自己の学問の鍛錬と、学問と「地域」との究極のつながりを模索する実践なのです。それは、一宿一飯のよしみを頼りに放浪する、終わりのない旅なのかもしれません。

 世界的規模でつくりだされた今日の文化的閉塞状況と、そのメカニズムのどうしようもない重苦しさを漠然と感じながらも、こうした地道ではあるが個性豊かな上映運動や創作活動が、志ある人々によって担われてゆくとき、そこには“閉塞”打開の一縷の希望と可能性があらわれてくるのではないかと、秘かに期待しています。

目次へ

 

 

 

○プログラム例

午前の部

第泄煤@厳冬に耐える

 〜再生への模索〜

10:00

12:40

第泄煤E上巻(1時間08分)

休憩(15分)

第泄煤E下巻(1時間14分)

昼食

12:40

13:25

お弁当一つ目の会(45分)

午後の部

第部 春を待つそして夏

 〜試行を重ねる〜

13:25

16:25

第部・上巻(1時間17分)

休憩(15分)

第部・下巻(1時間28分)

夜食

16:25

17:10

お弁当二つ目の会(45分)

夜の部

第。部 忍び寄る秋

 〜歓喜そして思索〜

17:10

20:15

第。部・上巻(1時間13分)

休憩(15分)

第。部・下巻(1時間28分)

 

 

共に歩んだ
心の馬を
欲に眩んで
売り渡しはしまい
   私だけは、という誇り高い心を
   生涯、忘れないでください

宇宙をめぐる
清き月を
暗黒の海に
沈めはしない
   私だけは、という誇り高い心を
   生涯、忘れないでください

*この変わらぬ心を/モンゴルの反体制派詩人R.チョイノムは、1960年代の圧制の下で苦闘、作品「人間」を残し、出獄後まもなくして亡くなりました。(「四季 遊牧」第部上巻より)

 

目次へ

 

 

 

● ビデオ販売等の案内 

 「四季 遊牧」はビデオでも販売されています。全6巻で定価は税込み28,350円です。

 注文・問い合わせは下記まで。

M大日 (担当:クシマ、ハセガワ)
〒104-0045 東京都中央区築地1-3-7 シャポNTビル
エ 03-3546-2040  FAX 03-3546-2044

 

 また、今後の各地の上映会の日程、映画に関する問い合わせ、さらにNomadの全般的な活動、とくに「森と砂漠を結ぶ'村づくり基金」等についてなどの連絡は下記までどうぞ。

  

映像地域学研究会・自然と人間と時代を描く

Nomad ノーマド  ー森と砂漠を結ぶー

世界に開かれた「遊牧地域論」「映像地域学」の拠点

 

滋賀県立大学人間文化学部 小貫雅男研究室気付
〒552-8533 彦根市八坂町2500
エ&FAX 0749-28-8501

 

目次へ | 「四季 遊牧」鑑賞記

banner