■日々是ゴム消し Log39 もどる

 

 

 

 

 

 

 水曜の夕方、会議が終わってから車を飛ばしてつれあいの実家に来ている。今日は朝からひとりで車に乗って有田の宮原付近の史跡を訪ね歩いてきた。熊野古道沿いの行き倒れの巡礼者たちの墓を集めた“伏原の墓”。弘法大師が岩盤に爪で刻んだという“爪書地蔵”。そしていま、岩室山という300mほどの山の頂きで、これを記している。昔の山城の跡で、近くにある徳本上人という念仏行者の行場跡を見たくてのぼってきたのだ。湯浅の施無畏寺にある明恵の遺跡によく似た雰囲気で、のんびりとした蜜柑山を見下ろす眺めの良い頂きに、岩盤がへばりついたように露呈している。施無畏寺のとろけるような海の代わりに足元には、かつて鵜飼いが盛んだった有田川がゆるやかに蛇行している。風はなく、眠たくなるような暖かな日差しだ。名の分からぬ鳥の群が間近に白い腹を見せて滑空していく。鳥の視点だな。明恵や徳本上人のような修行僧たちは、かつてのネイティブたちのように“見者”であったわけだ。ここにいるとほんとうに心地よい。岩は黙し、山並みはまどろんでいる。植物は古い友人たちのようで、そこかしこの鳥のさえずりは精妙なリズムのようだ。きみも連れてくればよかったな。ぼくらがどこへ向かっているのか、考えなくともよい。ただここにこうして座っていればよい。こんな場所にいたことを、心の片隅にいつも覚えていればよい。そんな気がしてくる。

2004.2.12

 

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 朝7時から昼の2時半までの変則勤務。時間が短い分、日当は少ないが、たまには早く家に帰れるのもよい。つれあいが“幼稚園”の帰りに買ってきたアポロのドーナッツ・パンを食べて、三人でしばらく昼寝ならぬ夕寝を貪った。夕刻から車で年度末の処分セールをしている国道沿いの電気屋へ。現品限りで値下げしていたチビとつれあい用の小さなCDラジカセをひとつと、ビデオカメラ用のテープ、特価品のCD-Rなどを購入した。それからアポロ・パパお薦めの“いごっそ”なるラーメン屋を目指したのだが店の場所が分からず、断念して結局、奈良市の三条通にほど近い彩華ラーメンにて夕食。小雨のなか、10時頃に帰宅した。

 蜜柑畑の低い丘陵をうねうねとのぼっていく狭い農道には、道のはしはしにときおり大量の蜜柑が遺棄されていた。義母によると市価が安くて農家の人が捨ててしまうのだという。噎せ返るような饐えた蜜柑の匂いがあちこちに充満していた。そんな蜜柑畑のなかに一筋の煙があがっているのが見えた。義父母の畑とおなじような溝のような坂道を上がっていくと、焚き火のかたわらで一人の老人がもう収穫も終わりに近い蜜柑の樹の剪定をしていた。爪書き地蔵の場所を問うと、近在の寺や岩室山への行き方など、あれこれと親切に教えてくれた。爪を痛めた弘法大師が傷を治すために近くの村人の家で椿の油を所望したところ拒否された、それ以来この地域には椿の木が育たなくなった、という子どもの頃に母親から聞かされたという伝説なども話してくれた。それから私が、岩室山には徳本上人の行場を見に行く、麓の上人由来の西方寺にも立ち寄るつもりだと言うと、そんなことなら途中の東という集落に住んでいるキュウキさんという人が地元の歴史に詳しく、市の広報などにもよくそんな話を載せている、いま時分もきっと家にいるはずだがなあと言う。戻って義母にその話をしたところ、それはひょっとしたら近所の○○さんの実家のお爺さんかも知れないと言う。あとでWebで検索をしていたら久喜和夫さんという人が有田市近辺の史跡について記しているこんなページを見つけたので、あるいはこの人が義母の言う“○○さんの実家のお爺さん”なのかも知れない。何というか、そんな自然な人の距離感のようなものが、私にはときに心地良いのだ。

 リック・ダンコが熱唱する It Makes No Difference を聴いている。かれらの旅の行き着いた果て、それこそがぼくらの歩き始めなければならない場所ではないかと思ってみる。

 「世紀末の隣人」(講談社文庫)の最終章で著者の重松清は、20歳の頃に愛読したという藤原新也の「東京漂流」に出てくる東京最後の野犬・有明フェリータの物語を紹介し、都の動物管理事務所による野犬駆除のための毒入り団子を喰らって息絶えた有明フェリータに向けて呟いた藤原のこんな言葉を引用している。〈私の鼻はおまえのより100万倍退化しているけど、私の頭はおまえより、ちっとは巧妙だ。あんなにぶざまに、ベロベロに腐り切った肉なんか喰らったりしない。都市の殺意をかいくぐって、おまえより、ずっとたくましく、巧妙にやっていくよ〉

2004.2.13

 

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 風は和いでいた。日だまりのなかでこうべを下げた。ぼくらの時代はひどくさみしい。うしなったものばかりだ。そのさみしさから歩き出そうと思った。そのさみしさだけはうしないたくないと思った。なぜぼくらは鳥や草木のように生きられないのか。古道のはたの苔むした無縁墓に線香を手向けた。見知らぬ列がぞろぞろと歩いていた。ゆらゆらと陽炎のようにゆらいでいた。蜜柑畑のなかできみに出会った。きみがどこから来たのかをぼくは知っている。

2004.2.14

 

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 ショッピングセンターの開店に合わせて私の勤めている会社でも求人を出し、ためにこの頃は新人の人に会うことが多い。話をしていると平凡な感想だけれど世の中にはいろんな人がいていろんな人生があるんだなあと思うこの頃である。50代のTさんという人は元警察官という触れ込みなのだが、警官のくせに交通誘導もできないのかとベテランにからかわれている。43歳で独身のIさんはずっとコンピューターのプログラマーをやっていたそうだが、この人は立哨中に立ったまま眠るのが得意である。ロッククライミングが趣味というまたべつのIさんはアパレル関係の店をしていたのだが思わしくなく、店を畳んで今回の求人に応募してきた。スラッと背の高くソフトな面もちの50代のKさんは大阪の百貨店でずっと外商の仕事をしてきた。奈良のそごうが倒産したときにはKさんのいた百貨店の外商部にも何人か入ってきたそうだ。20代の若きMくんは奈良市内のゲームセンターで週末だけキャラクターのぬいぐるみを着たアルバイトをしてきた。両親を病気で亡くし、兄弟だけで暮らしているという。マメな性格らしい50代のNさんは長年、船場で繊維関係の仕事をしてきた。得意先の倒産のあおりを受けて会社を辞め、3年くらい職探しをしてきたらしい。そして今日会った私とほぼ同年齢のMさんは大学を出てから塾の講師や臨時教員などをしてはや4人の子持ちだそうである。バイクや山登りが好きで、十津川村にも臨時教員として5年間暮らしていたことがあるというので短い巡回時間の合間に話題に花が咲いた。夜勤のもっと稼げる仕事が希望だったそうで、残念ながら今日で会うのが最後らしいのだがそのMさんがこんなことを言っていた。いままで塾の講師や臨時教員ばかりで世間の仕事を知らないから、どこか人知れぬダム工事やトンネル掘りのような現場でも働いてみたい。ああいう工事現場のおっちゃんたちは人間味があっていいよね。昔はそんなことなかったけれど、この頃は歳のせいか山の修験や四国の遍路みたいなものにひどく興味がある。家庭があって子どもがいると、家の中でひとりになれるのはせいぜいトイレの中くらいでしょ。だからきっとじぶんを見つめ直したいんだな。知らない土地へ行って知らない人たちに会えば、じぶんをまた一から新しく見てくれる。そこからまた新しい人間関係がひろがっていく。そんなのを望んでいるのかも知れない。昼過ぎに仕事を終え、またそのうち洞川あたりでひょいと会うかも知れないね、と互いに手を振って別れてきたのだった。そういえばMさんの風貌は、どこかの古寺の内陣に鎮座している木像の骨と皮ばかりの修行僧のそれによく似ている。

2004.2.16

 

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 いつも生駒山の臓腑に下っていく心地がする。チビの病院行きに利用している第二阪奈道路は、まるで古代の山岳の壮麗なまぼろしが眼前に迫ったかと思う間にその山裾にとりつき、長い長い冥府のようなトンネルをくぐり抜けるのである。トンネルを抜け出ると、現世さながらの大阪の雑踏のなかに放り込まれている。

 おしっこが62cc以上膀胱内に溜まると膀胱圧が上がり始める。その状態が長く続けば膀胱の変形を引き起こす怖れもあり、また排泄できない尿が腎臓に逆流して悪影響を及ぼす可能性も出てくる。ただ現在のところは朝の導尿時に80ccくらいというし、私の経験ではこのような膀胱圧のカーブを見せる患者には投薬もあまり効果がないから、いまの調子で100cc溜まるまでに導尿するということで結構でしょう。持参した過日の検査入院時のデータの説明をひとしきり聞き終えてから矢庭に、子どもの生殖機能のことを質した。最近鼻下に明治の男爵のような髭を生やし始めたM先生は、将来的に腹部近辺の手術をしたときの影響とか、あるいは女性ホルモンの分泌状況など、さまざまな事柄によって影響が出ることは否めない。二分脊椎の患者が性早熟症になりやすいということもある。そんな短いコメントを発してからM先生は鼻下の髭をちょっとばかし歪ませて、気持ちは分かるけどねお父さん、まだこの子は言ってみれば「一人前の女性」にもなっていないのだから、現時点では私には何も言えないです、と少々不機嫌そうに応えたのだった。次に訪ねた脳外科のY先生は、生殖機能やホルモンのバランスによる悪影響については指令を発する脳の中枢神経に何らかの弊害を持つ水頭症の子どもが多いので、脂肪腫のシノちゃんはあまりその心配をする必要はないんじゃないか。二分脊椎でも普通に結婚して妊娠・出産する患者は多いし、性感については神経の複雑なからみ具合によるものでいまの段階では分からないけれど、昔に比べて周囲の理解も広まってきているし若い人のなかでは健常者の男の子がいっしょに病院に来て排泄の問題について熱心に聞いていったりするし。とにかくまだまだ先の不明確なことについて親が今から思い悩んでも仕方のないことでもあるし、それよりも目前にある排泄の問題をこれから何より本人がどう捉え理解しそれを生活の中で取り組んでいくかということの方が大事だし、それが結局は将来的な性生活や出産といったあれこれの問題の解決にもつながっていくんじゃないでしょうか、とY先生はやんわりと諭してくれたのだった。医師の立場から言えば私の間の悪い質問は、なるほど確かに性急なものであったかも知れない。ただ夜中にこのまだ幼い娘のしずかな寝顔を眺めていると時折、この子は将来どんな男性と出会って愛を交わすのか、そしてどんな肉体的なコミュニケーションが可能であるのか、あるいは女の満足を得ることが果たして出来るのか、それらが障害となって辛い目にあったりはしないだろうか。そんなとりとめのないことを時に考えてしまうのである。性というものはやはり人にとって重大な要素であると考えるゆえに。だが確かに私の質問は勇み足であったかも知れない。

 午すぎにすべての診察を終えてつれあいが事務的な用事を済ませている間に、「ヤクルトを買いに行こうか」と私はチビを病院の売店に誘った。その売店のとば口でちょうど昼食を買いに来た看護婦のKさんに出会った。チビが手術入院をしていたときの担当の看護婦さんで、じつにそのとき以来の再会であった。「わあ、これ、シノちゃん? おっきくなってる !!」と私の足元に目をやり、決して美人とはいえないが田舎の良い意味での質朴さを漂わせた可愛らしい顔を大いにほころばせた。もう一人顔馴染みの、こちらはフランス人形のような背の低い看護婦さんもいっしょだった。二人して足をとめて、チビがじぶんで選んだ豆乳抹茶味のパックを百円玉といっしょに一人でレジに持っていき、袋に入れたお釣りとレシートをもらってくる様を眩しげに眺めた。「お母さんによく似てる。でも昔の面影も少し残ってる」そんなことを言い合っている。まだしばらくはこの病院に居るんですかと問うとKさんは、うん多分ずっと、この頃はじぶんより下の若い子がたくさん入ってきて、と笑った。

「おいしいパスタとケーキを食べたい」という意見の全員一致で奈良に戻り、西大寺の近鉄百貨店のカプリチョーザで遅い昼食を食べた。三人ともお腹がぺこぺこであった。義母が買い物をして貯まったカードのポイントがあったのでいつもより大判振る舞いをして、ドリンクとイタリア風ケーキパンの食べ放題・パスタ一品(トマトとモッツァレラチーズのカルボナーラ)とスープのランチセットに、単品のパスタ(キノコとベーコンのトマトクリームソース)、私の好きなライスコロッケ、プラス食後のコーヒーと、デザートにつれあいはケーキ(かぼちゃのタルト)、チビはジェラートを平らげた。それからつれあいは一人で婦人服の店を見て回り、私はチビを連れて本屋に行き、今福龍太「クレオール主義」(ちくま学術文庫)と町田宗鳳「山の霊力 日本人はそこに何を見たか」(講談社選書メチエ)の二冊を求めた。つれあいは「スプリングコートを買うにはホンの3万円ばかり足りなかったわ」と戻ってきて、それから併設されているジャスコで食料品をすこしばかり買い、店の出口で春の宝くじを10枚買って夕方、帰途に就いた。

 あの山の冥い臓腑をこれからもくぐっていかねばなるまい、いや何度でもくぐっていこうと私は思ったのだった。ふたつの手をたずさえて。

2004.2.17

 

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 休日。つれあいはチビの幼稚園で使う小物入れの生地を買いに難波へ。私は明日あたりからまたしばらくばたばたと忙しくなりそうなので、今日は目一杯子どもと遊ぼうと思った。お茶や導尿の道具などをバックに詰め、アポロに立ち寄り昼食と染織館への手みやげのパンを買って愛車のキャロルで一路飛鳥へ。天香具山近くにある昆虫館のアスレチック公園でしばらく遊び、午を食べ、藍染織館へ。おいしいコーヒーと、チビは黒糖ミルクに金つばをご馳走になり、しばし主と歓談。手製の金つばが好評で、近鉄奈良駅の近くに支店を出すほどの大ブレイク中なのだそうである。主はいつものように、両親の愛をいっぱいにうけてるって顔だなあとチビを讃え、ひとくさり私の安価な労働環境を嘆き、「どうだ、金つば屋の主じゃ嫌か」と笑い、何かあったらいつでも力になるからさとしんみり言い、帰りにチビに重たいヒット商品二箱を持たせたのであった。一箱は帰りにふたたびアポロに寄って貰っていただいた。もうひとつコウエン!! というチビのリクエストに応えて、染織館を辞してから近くの甘樫丘にのぼった。畝傍や耳成山を眺望する人気のない頂でチビは得意のカントリー・ロードを歌い、どんぐりを拾い集め、道なき枯葉の斜面を嬉々として滑りころげ、古びた墓地に手向けられた花々を見て回ったりした。車の中で金つばをひとつづつ食べ、24号を北上する間に眠ってしまった。

2004.2.19

 

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 応援に駆り出された京都のDで自転車好きのTさんとじつに半年ぶりに出会い、互いに再会を喜んだ。Tさんはたった一人の肉親の父親が体調を崩してその看病のために長いこと仕事を休んでいたのだった。養生のためにと大阪から南紀大塔村のTさんが旅先の気まぐれで農家より格安で借りた「山の家」に父親を呼び寄せてからしばらくしてかれが癌であることが分かった。すでに膵臓から腰に転移した末期癌であった。年の瀬の山あいの過疎の村でTさんはたった一人で父親の死を看取った。酒飲みで親子の仲はずっとよくなかったという。年金に入っていなかったのでTさんがずっと生活費を送り続けてきた。先に亡くなったTさんの母親は親類の墓にいっしょに入れてもらっている。父親は一銭も残さなかったので納める墓も買えずに骨壺はまだ部屋に置いたままだという。「山の家」にはいまは飼い犬が一匹だけ残っていて、Tさんはときおり、電車賃の節約のため寝屋川の自宅から天王寺まで自転車で行きそこでばらした自転車を袋に詰めて電車で和歌山の田辺まで乗ってそこから大塔の「山の家」までふたたび自転車で走って犬の世話をしに行くのだそうだ。

2004.2.20

 

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 金曜から3日間、先行オープンの京都店へ視察がてらの応援。私はスーツを着て自転車好きのTさんと開店時の雑踏警備をしたり、無線を持って店内を巡回したり、フリーな立場なので適当にぶらぶらと。まだ周辺の地域住民にしか知らせていないソフト・オープンなのでわりと穏やかな感じたけれども、核となる防災センターには会社のお偉方が勢揃いし、何やかんやと試運転につきものの事案や面倒事があれこれで結構ごたごたしている。金曜は夕方から奈良の現地で打ち合わせがあったので電車で京都・奈良間を慌ただしく往復。昨日は交通費を浮かすために単車で京都まで。今日も午後から雨の予報だが帰りだけ濡れ鼠の覚悟でバイクで行こうかと思っている。もうだいぶ寒さも和らいできてそれほど苦にならない。昨夜は帰り道、国道から仰ぎ見たライトアップされた東寺の五重塔がきれいだったな。何か感じるものがある。国道と高架の名神高速道が交差する近未来的なフォルムの夜景もまたよい。それから何の変哲もない小さな交差点の風景や、立ち小便のために停まった土手のはたなど。私は確とした目的地よりむしろ、そうした流れ過ぎていく風景の何気ないカケラが好きなのかも知れないと気づく。夜遅く家に辿りついてから少しだけチビと戯れ、ひとり風呂に入って辺見庸の毒入り肉団子のような舌に痺れる独語を数頁舐めるのもまた希少な慰みである。

2004.2.22 am6:20

 

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 今日明日と急遽予定変更で夜8時まで奈良市内のホテルのホストクラブ、いやちがった、宝石展示販売場での仕事。風呂の中で町田宗鳳「山の霊力 日本人はそこに何を見たか」(講談社選書メチエ)を読み始める。ネット・ショッピングで「まるごとどんぐり」とモリスンのREMASTERED版 No Guru, No Method, No Teacher を注文する。昨夜は仕事を終えてからショップ内にある「どんぐり共和国」なるジブリ・グッズの店でチビにトトロの筆箱とノートを手みやげに。京都からの深夜の帰り道は吹き飛ばされそうな強風とどしゃ降りのなかを迷走。国道沿いの休憩所で一息入れていたら心配したつれあいから携帯に電話。「お父さん、雨宿りしてるの?」とチビの声。「そうだよ。ものすごい雨と風なんだ」と、雨を避けた公衆トイレの中で。小栗判官の物語を読みたい。熊野とは敗者復活のフィールドであった。

 

磐が根の凝しき山に入りそめて 山なつかしみ 出でかてぬかも (万葉集巻7・1332)

 

2004.2.23

 

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 「あら奥様ステキなお召し物だこと。赤で統一なさって、お靴もちゃんと合わせてあるのね。ぜんぜん負けてないわ。とってもお似合い。いつも羨ましいくらいセンスがよくて」「いいですか皆さん、大事なのは“一線を越えること”です。20万30万の商品が決まりかけているお客さんでも、そこで満足しちゃいけない。定期や預金を崩させれば、金額は一気に100万くらいに跳ね上がるんです。そうさせるのは皆さんの気持ちです」 そんな声たちが洞窟の中の奇怪な蝶のように乱舞する招待客宝石展示販売会場に立ちながら〈熊野〉について考えている。熊野とは光の充溢である。その光がモノの本質を暴き出す。葉が葉であり、水が水であり、石が石であり、それらが当たり前であるが故に原初の剥き出しの輝きを発して、人をその始源の大地へ引きずり降ろす。意味の剥奪と意味の始まり。モノの実存をくっきりと隈取るような光の充溢に人は嬲られる。永遠の輝きだか何だか知らねえがダイヤモンドだっていわばこの惑星の組成のひとつじゃねえか。おれにしてみたら二上山のサヌカイトや玉置山の大杉の根元で拾った玉石の方がずっとよい。それよりもこの反吐が出るような会話と空気を何とかしてれ。ニール・ヤングの Hey Hey, My My をダイナマイトのようにこの会場に仕掛けてやりたい。あるいはマディ・ウォータースのシャウトで吹っ飛ばしちまいたい。

 ところで町田宗鳳「山の霊力 日本人はそこに何を見たか」で読んだこんな一節はスリリングだったな。

 

 そのむきだしの〈いのち〉の激しさを目の当たりにして、古代人たちは動物にこそ、自分たちが足下にも寄ることのできない〈至高性〉を感じていたはずだ。〈至高性〉というのは、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの言葉だが、それは人間の手によって〈事物化〉されることのない、内在する生命の崇高さのことである。

 だからこそ人類にとって最初の神のイメージは動物神であったと主張するバタイユは、旧石器人が南フランスに残したラスコーの洞窟画を例にとって、ユニークな議論を展開している。いわゆる「史前の悲劇」と呼ばれる壁画には、槍で突かれた巨大なバイソン(野牛)の傍らに、頭部だけ鳥の姿をしたシャーマンらしき狩人が男根を勃起させたまま倒れている。彼の横には、シャーマンのシンボルである鳥杵(ちょうしょ・鳥の人形がついた杖)という呪具も転がっている。バイソンの脇腹からは贓物が洩れだしているが、倒れているのは、あくまで人間のほうである。

 つねに独創的な発想をするバタイユは、それが仕留められたバイソンが〈事物化〉された肉体から解放され、聖なる〈至高性〉の世界に戻っていく光景であり、気絶した狩人の男根が勃起しているのは、死を迎えようとしているバイソンの体が発散する内在の生命に圧倒され、エロティシズム的恍惚感を覚えているからだとする。

町田宗鳳「山の霊力 日本人はそこに何を見たか」(講談社選書メチエ)

 

2004.2.24

 

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 予定されていた会議が急遽中止になって一日空いた。午前中は朝から耳鼻科に行って花粉症の薬をもらってきて、雨が浸みだしたバイク用合羽の補修のためテントの補修剤を探しに二三のホームセンターやアウトドア用品店などを回るが結局見つからず。午はお好み焼き。しばし午寝を貪り、プールから帰ってきたチビを誘って夕方から奈良市内のイトーヨカドーへ車で。文房具を二三求め、腕時計の電池を交換してもらい、チビをプレイルームで遊ばせ、最後に食料品の買い出し。菓子売り場でチビは棒付きのキャンデー30円也を買ってもらった。つれあいは体に悪い・歯に悪いと滅多に買ってやらない。「これは4歳以上って書いてあるよ」とセツメイされると、チビは渋々手にした菓子を戻すのである。それで彼女はガムやチョコやキャンデーを手にして「おかあさん、これは何歳以上って書いてありますか」と懇願することになる。父は子どもに甘いのと彼女の喜ぶ顔が見たいのと、それにたまにはそんな喜びも必要だと思っているので屡々買い与えてしまう。母はちらっと父の顔を見て、子どもに「あら、それは4歳以上じゃなかったのね」と微笑んだのだった。チビは早速、隣村へ行ったおじいさんからキャンデーのみやげをもらったハイジの真似をしてペロリと舌先で舐めあげ「あまい」と仕合わせそうに宣った。ハイジといえば帰りに寄り道した古本屋で、福音館書店から出ている函入り装丁の立派なハイジの原作本が500円で売っていたので購入した。「小学校中級以上」とあるが、すこしづつチビに読み聞かせてやろうと思ったし、彼女が中学生くらいになっても愛読してくれるのではないかと思ったのだった。夕食は鶏肉とココナッツミルク、パイナップル、ミニトマトなどを入れたタイのレッドカレーなるものを出来合いのペーストを使って私が担当。チビはアンパンマンの子ども用カレー。夜はチビがPCの子ども用学習ゲームをやっている間に、居間のテーブルの上でコーヒーを飲みながらディランがカバーしている Let It Be Me を訳した。最近の京都への往復の間、バイクのヘルメット越しに幾度も歌っていたのは Everly Brothers のバージョンだったけれど。ディラン自身はこれを70年代の異色カバー集 Self Portrait で歌い、もういちど80年代に再録音したものが当時のシングル盤のB面に収められたようで私はそれを聞いていないが、かれのお気に入りの曲だということが分かる。日本語に訳してことばだけを眺めるとどうにも陳腐で平板なラブソングにしか見えないが、そこが音楽の不思議だ。この身を切るような哀切感は捨てがたい。私がディランを愛する一面はそういう部分もあるのだ。つまりかれはポップソングというものを侮ってはいないし、無意味なレッテルを貼ったりもしない。この歌を捧げられた相手は愛する女性であってもいいし、ある至高の存在であってもいい。要するにここにあるのは「希求する心」であり、喪失の恐怖であり、それに対峙する一途な魂の姿勢であって、人はそれを感じ取れればそれでよい。あるいはひょっとしたら、この曲の歌い手は、ここに登場する対象をすでに喪失しているのではないか。するとこの曲のぬきさしならぬ奥行きが見えてくる。私は土砂降りの夜の路上をバイクで疾走しながら、この曲を真摯な祈りの聖句のように唱え続けたのだった。人に真の生き様があるとしたら、ひとえにそれだけではあるまいか。

2004.2.25

 

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 真夜中に仕事から帰って遅い夕飯を食べ風呂に入り缶ビールを呑みながらひとりPC画面を眺めつつヘッドホンで届けられたばかりのモリスンのREMASTERED版 No Guru, No Method, No Teacher のタイトル曲を聴いていたら悲しくも何ともないのに知らず涙がひとすじ頬をつたって流れ落ちた。

2004.2.28

 

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 毎朝6時過ぎにバイクで家を出て、毎晩11時頃に帰ってくるような生活。昨夜はつれあいが私の遅い食事の支度をしてから見かけていたテレビに興じていたため、一日の間にほんのわずかな時間しか家族で会話をする暇もないのにそれをテレビに費やしておれはひとり黙って飯を喰わなくちゃならないのかと怒り、話がこじれて激高し流しに湯呑みを叩きつけた。黙って飛び散った破片を片づけているつれあいを背に寝室へ行くと、寝床でチビがひとりまんじりともしない様子で指を吸っている。オトオサン、マタオオキナ声デ怒ッテタネ。オカアサン泣イテタヨ。ソウダナ。オトオサンハトッテモ疲レテテ気ガミジカクナッテイタ。デモオトオサンハネ、ミンナトオ話ガシタカッタンダヨ。オカアサンヤキミトオ話ガシタカッタンダヨ。ダカラツイ怒ッチャッタンダ。オトオサンハ、ダメダナ。するとチビはしばらく考えるような顔をしてから、ウン、オトオサンハ悪クナイヨ、としずかに応えた。

 今日は雛祭り。

2004.3.3

 

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 鍵800本掛ける3セット分。馬糞のように溢れる商品搬入。あちこちでの打ち合わせや確認作業。ひっきりなしに鳴り続ける携帯と内線電話と無線の呼び出し。PCや備品の買い付けにセットアップ。営業所との往復。隊員への指示。書類の整理。昨夜はとうとう一睡もしないまま働き続けて35時間ぶりに家に帰ってきた。とにかく、寝るわ。

2004.3.6

 

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 本日のおことば。チビが携帯の私宛メールを開きながら「おとおさんとおかあさんはケンカしないで、仲良くケッコンしてください」

2004.3.7

 

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 闇の中でいまにも弾けんばかりに膨らんだ白い花の蕾のように、深夜に帰る車の中でディランの every grain of sand の音宇宙に包まれ踊った。

2004.3.9

 

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 深夜の12時まで仕事をして、京都の加茂から来ている隊員をひとり車で家まで送って1時半に帰ってきた。ここ3日ほどチビの目覚めている顔を見ていない。しばらく前、彼女はプールで粗相をした。プールの前には摘便をしてアナル・プラグを装着しているのだが、それさえも押し出してしまうのだ。コーチが気がついて水着からこぼれ出る前に処置をしてくれたのだが、彼女なりにショックだったようだ。その後プールサイドで切ったらしい足指の小さな傷をさして「シノちゃんねえ、ここのキズが治らないからプール、まだおやすみしておくわ」と言っているという。「とても気にしているようだから、ウンチのことは言わないでやって」とつれあいは言う。布団にすべりこむとき、無心に眠りこけているあどけないチビの顔を眺める。代われるものならば代わってやりたい、と思う。そのときの私の気持ちはどんなことばでも言い表すことができない。

2004.3.10

 

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 あさ、出勤の途中きれぎれに雲の如く流れ眼(まなこ)を洗ってくれるもの。唐古遺跡に建つ復元された弥生の高楼。夜明けの光に拭われた二上山とそれに連なる葛城の峰々。かつてマタギは山中で失せものがあったときみずからの男根をさらして山の神に祈り、それが見つかったときには樹木に向かって精液を流しかけた、という。はたしていまの私におのれの精液を流しかける樹木はどこにあるだろうか。じぶんがいったい何を失くしているのかさえ分からぬのではないか。人が山中をさまよい歩くのはそれを知るためではなかったか。私は餓鬼のように癩者のように母のない子のように山中をさまよい歩きたい。樹皮に男根をこすりつけ呻きながら泣きながら精液を流しかけてくずれおちる悲慈利のように剥き出しの〈いのち〉を復元したいのだ。

2004.3.13

 

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 町田宗鳳「山の霊力 日本人はそこに何を見たか」のなかで著者は各地の修験の峰々に坐する巨石に触れ「人間の本能は、つねに岩から何かのメッセージを受け取ろうとするらしい」と印象的なことばを記してから、ゲーテの「花崗岩について」と題されたつぎのような文章を引いている。

 

 時間の最も尊い最古の記念碑よ。私はそういう気持ちで、いま、きみたちのところへやってきたのだ。剥き出しの高い山頂に坐って広い下界を見はるかしていると、私はこうひとりごつことができる。地球の最も深いところにまで達する土台に、いま、おまえはじかに腰をおろしているのだ。(中略)このいまの孤独感は、真理が与える最古の、第一の、最も深い感じにのみ魂を打ち開こうとする人の気持ちと同じであるまいか。そうだ、その人もみずからに語りうるはずだ。この世界を統べる奥底の上にじかに打ち建てられたこの最古の永遠な祭壇で、私は万象の本体のために犠牲を捧げるのだ。われらの存在の最も確かな始源の姿に、私はいま触れていると思う。

 

 オープンをいよいよ10日余に控えしばらく休めなくなるだろうからと一日だけ休日をもらい深夜に帰宅すると、チビは朝から何度も吐いてひねもす飲まず食わずであったという。渇きを訴えて水を呑ませてもすぐに吐いてしまう。休日対応の救急病院で風邪と診察され、吐き気止めと感染予防の薬をもらってきた。

2004.3.14

 

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 チビはかかりつけの小児科で再診をしたところ、下痢と嘔吐は風邪のせいで、それにおたふく風邪も併発しているとのこと。2,3日前から耳や頬が痛いと言っていたのだそうだ。それと脱水症状のために点滴を受けた。午後からは少しづつ元気が戻ってきたのだが、医者から指示されたお粥限定の食事が不服で「スープが呑みたい」と悲しげな声を出す。お腹に悪いからあれもダメこれもダメと言われ続けたあと「ビデオはいいんでしょ」と哀れな顔で言う。「だってビデオはお顔だけじゃない ! 」 つれあいは思わず噴き出しつつ「でもおたふく風邪でほっぺも腫れてるしねえ。どうかなあ」とからかっているのだが、本人は真剣かつ悲愴的なのである。

 午後からチビといっしょに昼寝をして、夕方私一人で買い物に行ってきた。本屋の新刊の棚で湯浅博雄「聖なるものと〈永遠回帰〉 バタイユ・ブランショ・デリダから発して」(ちくま学芸文庫 @1200)を購入。ジャスコ内の中古CD屋でオリヴィエ・メシアン「聖体の書」(@1500)を購入。後者はCD2枚組でメシアン最晩年のオルガン曲の大作である。冒頭の一曲目に耳をすませば、神とはまことこのように不協和音の渾然としたせめぎ合いのような存在なのかも知れないと思われる。これはいつか真夜中の熊野の山中をひとり車で疾走するときのBGM用に。

2004.3.15

 

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 昨日右折禁止無視でポリスにつかまり2点の減点と罰金6千円を賜ったと思ったら今日は出勤途中に突然クラッチのワイヤーがぷっつんしてサテどうしたものかと思案した。大和盆地のどまんなかの鄙びた田園風景ばかりが広がるバイパス沿いである。小さなどぶ川のへりをつたって枯れた草地に腰を下ろしてとりあえずバックに入れていたあんパンをひとつ頬張り茶を呑んだのである。急いで行ったってどうせ忙しいのだわざわざ急ぐこともあるまいと訳の分からぬ理屈をつぶやいてそのまま後ろ向きに倒れたら何だかいい心地でそのまま昼寝をしたくなってきた。はるか東西の二上山も三輪山も春うららの空の下とっくに惰眠を貪っているではないか。ときにはおまえも悠長に脱落せいと山が云っている。

2004.3.16

 

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 消防訓練の準備といったものなどありて、昨日の朝の9時から今日の夜の9時までほとんど飲まず食わず不眠不休の勤務。二日ぶりに会ったチビのおどけた仕草が腹に沁みて奇妙に悲しい雲母の結晶のようなものに変わる気がする。「シノちゃんね、ほんとうにはやくおとうさんがいてくれたらいいなっておもってた」

 

馬鹿にされたけど“ありがとうありがとう”と言っておいた
“こんどもまたお願いします”と言っておいた
冬のうちに終わらせたいから 彼女をおいて家を出た
霧に浮かぶ駅で電車を待ってホームに立っている

仲井戸麗市・冬の日

2004.3.19

 

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 今日は図書館でこんな本を借りてきたのだと「赤毛のアン」の絵本を見せながら深夜、三日ぶりに帰った家の玄関で眠らずに待っていたチビはそれから急に何かを思い出したように「しのたんね、おとうさん、だいすき」と言ってしがみついた。

2004.3.27

 

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 「おとうさん、どうして寝てばっかりいるの? シノちゃん、おとうさんと遊びたいって思ってたのに」 二週間ぶり、半日だけの休日。

2004.4.3

 

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 疲労困憊の果てに倒れ込んだ臥し処より癒えたのち、義父母を連れて大宇陀町にある又兵衛桜を見に行った。大阪夏の陣で討ち果てた後藤又兵衛がじつは落ちのびてここで余生を暮らしたというのは、はかなき胡蝶の夢である。桜は、妖しかった。

 

 先月分の給与40万弱也を時給850円で割ったらいったいどれほどの時間になるのか。およそ考えたくもない。ささやかなじぶんへのプレゼントにかねてから念願だった Anthology Of American Folk Music (Edited By Harry Smith) を Web で注文した。

 

 まったりとした陽射しの土曜の午前。三つ葉と鶏のささみの酒蒸しを拵えてから、ベランダで漫然と煙草をくゆらしつつ相変わらず古謝美佐子の「童神」に耳を傾けている。いや、晒されている。すべての言説を根こそぎ解体尽くしてこの言葉にならぬまっとうな何物か、言説がそのしたり顔の裏でぼろぼろとこぼれ落としてきて行方いまや杳として知れぬ砂の一粒一粒をもういちど探しもとめ拾いなおすことからしか、もはや何事も始まらぬのではないかと思えてくる。

2004.4.10

 

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 月曜はチビの幼稚園の入園式に24勤務明けで出席。火曜から彼女は団地の前まで来る迎えのバスに乗って毎日嬉々として幼稚園へ通っている。9時過ぎのバスに乗り、しばらくしてつれあいがオシッコを摂りに行き、昼過ぎにまたバスで一人で帰ってくる。クラスはクララ組。聖クララの由来だろう。幼稚園での彼女のはじめての友だちは隣の席で同じ団地に住む「コ・ジンヒョン」ちゃん。バスから仲良く二人、手をつないで降りてくる。

 

 月曜には Anthology Of American Folk Music (Edited By Harry Smith) がさっそく届いた。古代の原石のように朴として、謎めいて、カラフルで、しずかな興奮と驚きと覚醒がある。古くて「奇妙な」音楽がいい。石や木や草のように、まっとうで謎めいて抗って存るものがいい。

2004.4.14

 

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 28時間勤務明けで午過ぎに帰ってきた。幼稚園から帰ってきたチビは食事を済ませてプールへ。私は夕方まで昼寝。夜は体調がすぐれないというつれあいが枝豆を茹で、昨日「ジンちゃん」の家で貰ってきたというチジミとで簡単な夕食とした。「ジンちゃん」の両親は二人とも韓国の出身で、旦那さんは日本の大学を出ていまはコンピュータ関連の会社で働いているのだそうだ。先日は幼稚園のバスを迎えに行った折に、「ジンちゃん」のお母さんと韓国料理や食材について少々語り合ったのだった。

 チビは日々「我が意を得たり」という調子で幼稚園に通っている。バスの中や先生のお話の途中などにも、彼女はよくお得意の「耳をすませば」や「トトロ」や「ナウシカ」や「ハイジ」からの科白をひとり諳んじたり、空想上のハクやジジやユキちゃんと会話をかわしたりしているので、よく先生に「しのちゃん、もう少し静かにしましょうね」とやんわり注意されているらしい。今日は上履きを入れる袋の取り扱いについて先生から説明があった際に「しのちゃんは装具だから、いらないんだね」とじぶんから言ったのだそうだ。

 

 ひさしぶりに深夜にひとりヘッドホンを耳に差しPCの前で、遠く夜行列車の響きを聴く囚人のように坐している。孤独な Senor を歌う解体直前のジェリー・ガルシア。あの綿の国へ還っていこうと宣言するシンプルなディラン。「ぼくを怖いと言った友人たちもみな離れていった。あのころのぼくよりいまの方がずっと若い」と歌う真心ブラザーズ。あるいは「あらゆる感情は崩れ去った。いま、内なるライオンの咆吼に耳を澄ます」と歌うモリスン。相変わらずそんなやくざな音楽たちがじぶんに中心を与えてくれる。これまでもいつもおなじだったように、あての分からぬ不安で自由なケルアックの路上へと放り出す。

 千住・小塚原(こずかっぱら)の刑場でかつて日々、斬首される咎人(とがにん)の背(せな)を必死で押さえてつけていた介添え非人たちは果たしてその思いを日々更新できていたであろうか、というのが作家・辺見庸から投げられた宿題である。

2004.4.17

 

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 「フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ」(ウェルズ恵子・南雲堂・@3,800)という魅力的な一冊を本屋の店頭で見つけ、来月の小遣い前倒しで買わせてもらった。「歌が繰り広げる壮大なパノラマ。先住民の駆逐、バッファローの大量殺戮、ゴールドラッシュの狂乱。機関車の黒煙、西部へと連なる幌馬車。カウボーイの恋、開拓農民の辛苦。搾取される労働者、働く子供たち。大森林と七つの海に夢をはせる男たち、男のロマンを嗤う女たち。フォークソングの誕生と変遷は、社会、歴史、文化を映す華麗な合わせ鏡である。歌にひそむアメリカの心」(「BOOK」データベース) そこから産み出されたゆで玉子ならぬ無数のホーボーソング、労働歌、あるいは船乗りや娼婦や木こりたちの歌。もちろん、これらはあの Anthology Of American Folk Music (Edited By Harry Smith) と密接にリンクしている。Anthology 〜 でチビが最初に覚えたのは、The Stoneman Family という家族バンドが 1928年に録音した The Spanish Merchant's Doughter という愛らしい一曲。葉っぱがふるえるような高い女性の声で歌われる No sir, No sir, No sir, というリフレインの部分が彼女のお気に入りだ。英文だが Anthology 〜 に収録された各曲の詳細なガイドは Smithsonian Folkways のホームページでも読め、一部の曲の試聴もできる。参考まで。

 さあ、もうじき幼稚園からチビが帰ってくる。昼食の支度をしておかなきゃ。幼稚園から帰ってくる彼女はまるで凱旋将軍のようだ。

 

かみさま おはようございます
きょうもいちにち よいこにしてください
ちちと こと せいれいとの みなにおいて
あーめん
きをつけ ぴ

2004.4.20

 

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 歌が商業化される前、儀式や娯楽や共同体の連帯などと関わって歌が重要な役目を果たしていた頃、フォークソングは人々の生活を映す鏡のようだった。

 この時代の歌は、不当な扱いを受けた人への同情や社会への反抗心に満ちている。常に死と背中合わせで働きながら、充分な賃金も怪我の補償も得られなかった炭鉱労働者の歌、繊維工のストライキの歌、発展の夢を担いながら資本主義のひずみを最もよく反映している鉄道に関する歌などがある。歌を探っていくと、人々はしたたかで、時に陽気で、皮肉で、ユーモラスで、感傷的だ。そしていつも死を身近に感じている。こうした歌はアメリカの独自性を示す一方で、ぎりぎりの生活をする人間の普遍的な姿も表し、我々自身の生き方を振り返らせてくれる。

「フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ」(ウェルズ恵子・南雲堂)

2004.4.21

 

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 町田殿は、「時代小説」という、すでに使用済みと信じられた言葉の空間に赴かれた。そして、そこで眠りこんでいた古き言葉共に「蘇れ、そして、現代に住むふざけた言葉の野郎共に一泡食らわしたれ」と申された。まことに、そもそもパンクとは、用なしと思われたもの共による命がけの反抗だったのでござる。

高橋源一郎・4月25日付朝日新聞書評(「パンク侍、斬られて候」町田康・マガジンハウス)

 

2004.4.25

 

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 彼女が眠る頃に仕事に出かけ、彼女が眠った後に仕事から帰ってくる。翌日。日射しのなかで、木々のはざまで、おまえを抱き上げる。

2004.24.6

 

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 夜勤明け。朝早くからつれあいは大阪の病院へチビのオシッコを持っていく。ハミガキ、オシッコ、着替え。支度をして幼稚園のバスがくる場所へ。ゴミの収集車の作業を二人して見ている。ひとつ、おっこっちゃったね。ジンちゃんが来る。手を振って互いにかけより、二人で傘をくるくるまわしている。ジンちゃんのお母さん、ジンちゃん、小さいジンちゃん、チビ、私の5人で歩いていく。救急車が国道の方へ走り去る。Ambulance、とジンちゃんが私に云う。韓国ではふつうに英語で云うのだとジンちゃんのお母さんが教えてくれる。バスが行ってから、ジンちゃんのお母さん、小さいジンちゃん、私の三人で家に帰る。キムチ、合挽ミンチ、豆腐、モヤシに胡麻油と塩と出汁。歩きながら韓国の水餃子の作り方を教えてもらう。作り置きして冷凍しておくと人がきたときに重宝だ。上手にできたらよんでください、とジンちゃんのお母さんが笑って云う。ジンちゃんの家の前で小さいジンちゃんとバイバイをする。公園の端、雨に濡れた新緑のなかを歩いていく。チビとじぶんの傘をたたんで、ふと目をあぐ。昼にチビが帰ってきたらランスの美術館展でも行こうか、と思う。いや、なにも考えてなどいない。

2004.4.27

 

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 トトロのいる“山守り”へいきたい、とチビが言うので休日、奈良奥山ドライブウェイへ行ってきた。東大寺の裏手から若草山、そして砂利道の春日山原生林を経て高円山へ至る13キロ、軽自動車で1,320円也。新緑のなかをとろとろ、時速10キロ弱のスピードでゆっくりとのぼっていく。きもちいいねえ、とつれあいが目をほそめる。チビは全開の窓から身をのりだして木々のはざまにトトロを探している。若草山山頂の斜面にてレジャーシートを広げて昼食。チビは鹿にセンベイをやったりカラスをつかまえようと駆けずりまわる。風は凪いでいて、日射しが暑いくらいだとつれあいが云う。「鶯の滝」とよばれる小さな滝の前でチビと“水の音楽”に耳をすませた。どんなメロディが聞こえる? ジャバン、ジャバン、ジャバジャバジャバ。お父さんは? コロコロ、コロロン。この「鶯の滝」から山道をやや登ると興福寺別院の歓喜天を祀った寺があり、寺へ続く石段の下に巨大な鉄製のマラがそそり立っていて滝は僧侶たちの行場にもなっているらしい。こんな人気のない山中に男女の和合を謳った寺か、と興味をそそられた。道々でチビとつれあいは立ち止まり、図書館で借りてきた子ども用の野外図鑑を開いている。カタバミとタチツボスミレをチビは覚えた。最後は昔、つれあいと柳生の古道を歩いた際に訪ねたことのある地獄谷聖人窟。このあたりは京都の化野とおなじく鳥葬の場でもあったという説をかつて読んだ。石窟の奥に目を凝らすと、暗がりのむこうに仏の眼差しを感じた。いや、仏ではない。それは跳ね返ってきて臓腑をぐいとつかむようなおのれ自身の眼だ。この人里から離れたうら淋しい山中でそんな眼差しと対座し続けた名もなき悲慈利のことを思った。陽が傾き始めていた。うすぐらい樹の間のあちら側からおとうさん先に行ってるよと幼い声が響く。ぬかるみに片足を突っ込んだり、転んで膝を擦り剥いたりしながら、チビはよく歩いた。遊具も何もない山のなかでもじぶんで勝手に様々なものを見つけて愉しんでいる。帰りは近所のジャスコに寄って、各自が好きな夕食の菜を選んだ。つれあいはどんべえのカップうどん、チビは茹でた枝豆、私はチキンの黒胡椒味ステーキ。

2004.4.29

 

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 ジンちゃん一家とめえめえ牧場へ行く。「ジンちゃんが“シノちゃん、いっしょに走ろう”って手を引いてもさ、ジンちゃんの方が速いからおまえはつんのめりそうになったりくたびれたりしちゃうだろ? だからそういうときは“シノちゃんは足が悪いから、ジンちゃん、ゆっくり走ってね”って言わなくちゃだめだよ」 「ジンちゃんのママは言ってくれないの?」 「うん、ジンちゃんのママも言ってくれてるんだけどね、ジンちゃんは愉しくてつい忘れちゃうんだ。だからじぶんで言わなくちゃいけない」 「うん」 「ジンちゃんは羊さんが怖くてエサをやれないけど、おまえは羊さんにちゃんとエサをやれるね。おまえは速くは走れないけど、ジンちゃんはおまえより速く走れる。人にはそれぞれ得意・不得意があるから、だからいっしょだよ。そうだろ?」 「うん、分かった」

 

 「ロール」という動詞は多くの意味を持ち、歌の中でダイナミックに変化する。「綿を運べ」の場合は綿の荷を運ぶことを意味するし、前に紹介した「シェナンドア」の合唱部で「はるかに川よ流れよ」(Away you rolling river)と歌われるときには、川がうねって流れる姿を表している。また、「綿を運べ」のバリエーションの一つでは、「さあ、俺をゆさぶってひっくり返して / 綿を運べ / こんな仕事はさっさとやっちまおう / おお、綿を運べ」(Come rock an' roll over / Roll the cotton down / Let's get this damned job over / Oh, roll the cotton down)と、奮い立たせ動作を呼び起こす言葉となっている。他にも、海がうねって船を揉むこと、索を巻きつけること、車地などの装置を動かすこと、ものを移動すること、時が過ぎること、セックスすることまで、船乗りの行動と関わりのあるさまざまな所作が「ロール」の一言で表現できるのである。この言葉は、もちろん現代音楽のロックンロール(rock 'n' roll)につながっている。

「フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ」(ウェルズ恵子・南雲堂)

 

 グレイトフルデッドの Jerry Garcia が歌うディランの Simple Twist of Fate をweb で見つけ、夜中にくり返し聴いている。1982年の彼のソロ・アルバム Run For The Roses からのアウトテイクで最近発売された6枚組の Box-Set に収録されているものらしいが、この寄る辺のないフィーリングはぴったりとくる。ロックとは寄る辺のない魂が永遠に「ロール」し続ける、その決意をいうのではないかと思う。

2004.5.2

 

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 休日。チビが幼稚園へ行き、つれあいが公園の端で母親同士の親睦を深めている間に、私は百均で買ったネットをスチール棚側面に取り付けて本やCDを整理したり、バイクのオイル交換へ行ったり、昼間のホームセンターを一人うろついてバイクのヘルメット・シールド用の雨除けスプレーを買ったり。昼食はチビが今日はお弁当の日のためにつれあいと二人で仲良くざる蕎麦などを食べ、午後からは関東から一週間の長期滞在でやってきた私の愚母を迎えて、夕方からみなで私の勤めている某ショッピングセンターへ。チビはジブリ・ショップでオバアチャンにジジ(魔女の宅急便)のぬいぐるみを買ってもらい、私はレコード・ショップで見つけたジョニー・キャッシュのCD3枚組・全75曲入りで1500円という特価輸入ベスト盤を買い(極上の幸福感)、なかなか美味しい中華料理の夕食をもうじき母の日だからというつれあいの提案で義母に馳走した。

 

 

 お前は糞尿である、お前はごみの山だ、お前はおれたちを殺すために来た、お前はおれたちを救うために来た-----。

ある部族の王の叙任式の歌の一節 (「暴力と聖なるもの」ルネ・ジラール)

 

 

 ジョニー・キャッシュのさびしくぬくもりに満ちた Born To Lose を聴いている。月は硬質な涙のようである。

2004.5.7

 

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体はわたしたちの庵で、
霊魂は隠修士であり、
隠修士は庵に住み、
神に祈り、神を黙想する。

《完全の書》

 

 

 フランシスコがそんなふうにやみの力に苦しめられていると思ったのは、初めてのことではない。夕方だれもいない聖堂でひとりで祈ったり、岩穴にいたりする時、だれかが後ろにいたり、あたりをそっとかけ回る足音がしたり、いやらしい顔が肩ごしにのぞいて、祈りの本をいっしょに読もうとしているように思われることがよくあった。あらしが山上の森に吹き荒れる時、人の叫び声がし、ふくろうが彼の庵の前で鳴く時、悪鬼どもが彼をあざ笑う。だがなによりも不気味だったのは、草木も眠る真夜中に聖フランシスコの耳に聞こえてくることのある、聞こえるか聞こえないかのささやき声である。それは、人をばかにした憎さげな口から出るように、「フランシスコ、どうしたってむだだ! 好きなくらい祈り給え------しょせんお前はおれのものだ!」とささやく。すると、フランシスコは自分の永遠の生命のために戦った。兄弟たちがその翌朝ようすを見にくると、彼は襲いかかるやみの力との戦いに疲れはて、青い顔をして取り乱していた。「わたしは今までいなかったほどの大罪人のような気がする」と、彼はある時、そんな夜の後で兄弟パチフィコにいった。だが「詩の王」はその同じ瞬間に幻想の中で、魔王の堕落した玉座がフランシスコのために、その深い謙遜のゆえに、用意されるのを見た。

J.J.ヨルゲンゼン「アシジの聖フランシスコ」

 

 

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I AIN'T GOT NO HOME (Woody Guthrie/tune: "This World Is Not My Home") (1938)

 

I ain't got no home, I'm just a-roamin' 'round,
Just a wandrin' worker, I go from town to town.
And the police make it hard wherever I may go
And I ain't got no home in this world anymore.

My brothers and my sisters are stranded on this road,
A hot and dusty road that a million feet have trod;
Rich man took my home and drove me from my door
And I ain't got no home in this world anymore.

Was a-farmin' on the shares, and always I was poor;
My crops I lay into the banker's store.
My wife took down and died upon the cabin floor,
And I ain't got no home in this world anymore.

Now as I look around, it's mighty plain to see
This world is such a great and a funny place to be;
Oh, the gamblin' man is rich an' the workin' man is poor,
And I ain't got no home in this world anymore.

 

帰る家もなく さすらうだけ
町から町へと渡り歩く日雇い者さ
どこへ行ってもお巡りどもにこずかれる
もうこの世には帰る家もない

妹や弟たちはみんな この路上で行き倒れた
百万歩を刻んだ暑く埃まみれの道さ
金持ちが家をとりあげ おれを追い出しやがった
もうこの世には帰る家もない

共同経営で畑を耕していたが かつかつの生活だった
収穫は銀行家の店へと消えていった
おれの女房は倒れ、掘っ建て小屋の床の上で死んだ
もうこの世には帰る家もない

あちこちを見てきて よくわかった
この世界はとんでもなくおかしなところじゃないか
ばくち打ちが儲かり 働く者が貧しい
もうこの世には帰る家もない

 

Lyrics as recorded by Woody Guthrie, RCA Studios, Camden, NJ, 26 Apr 1940

 

 

 アマゾンで「レニー・ブルース 毒舌のマシンガン」(ウィリアム・カール トーマス, 大島 豊 翻訳・DHC) と「Bad Cat バッドキャット」(トレーシー・リー, マクギナス・ケリー・ブロンズ新社)を注文する。後者は忌野 清志郎の翻訳絵本。いま買い物カートに入っているのは The Carter Family : 1927-1934Recordings 1927-1933 : Jimmie Rodgers

2004.5.10

 

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 観覧車に乗りに行こうか。チビと二人で車に乗り込み、つれあいの実家から鄙びた海辺の道をひとしきり走ると草原に拡げられた銀幕のような海のそのむこうに巨大な曼陀羅がゆるりゆるりと回っている。あるいは馬鹿げた、ドン・キホーテ的なこれは戯れの夢ではないのか。月曜のテーマ・パークは閑寂としていた。チビの障害者手帳で半額になった入園料700円と観覧車代600円を支払い、二人して天空の揺りかごのいっときの住人となった。うみがちかいねぇ、ジジみたいだねぇ。子は有象無象がひしめく街並みよりも、のっぺらとしたただ一面波ばかりの景色の方を好んだ。きらきらと海のように深く静かにきらめいている子の視線のその先をぼんやりと眼で追いながら、私はジョニー・キャッシュの古いバラッドを鼻歌でうたっている。観覧車は眼を凝らさなければ動きさえも判然としないほどの実にゆるやかな速度で上昇してゆく。ああ、とてもいい感じだね。ぼくらはまるで雲にひっかかった生まれたてのタンポポの種子のようだね。ふわふわと空を漂って、やがて地面に落ちる。そうして芽が出て花が咲き枯れたらまたもういちど空へと漂い出てゆく。だから人生といっしょだ。

 

 ジェットコースターのようなスリルライド的人生は私たちに向かない。進歩史観にも優勝劣敗にも適者生存にも、どうかしたら市場原理とやらにさえ、つまりは近代の心髄のことごとくに私たちは心底ぅんざりしているのかもしれない。鋭角、流線型、摩天楼(スカイスクレイバー)、右肩上がりなどという形象だって、所詮は疲労のもとでしかなかったのだ。

 逆に、観覧車の玄妙なる円形に私たちは安堵する。輪廻にも似たあの同一円軌道上低速回転の、果てしない無意味にこそ私たちは救われる。私たちの記憶の古層は、観覧車のようなどこまでもまろく、鈍く、無為なるものを求めているのかもしれない。

独航記・辺見庸(角川文庫)

2004.5.20

 

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 ベランダでチビとふたり、ホームセンターで買った三百円のすのこの踏み台(彼女の椅子であり、洗面所で手を洗ったり台所で手伝いをするときの必需アイテムでもある)と野菜保管用の古い木箱に白ペンキを塗っている。チビは汚れてもいいように私の不要になったカッターシャツを頭からすっぽり、まるでトトロの森に棲む小動物のようにかぶっている。チビが下地を塗り、私が仕上げていく。私が作業している間、彼女はかたわらでつれあいの実家から貰ってきた中古の三輪車にまたがったり、ベランダの格子にしがみついたり、足下の蟻を追いかけたりしている。ペンキだらけの手を休めてふと目をあぐと、すでに夕闇の予兆が雨気を含んだ雲のように空いっぱいに充満している。私は子とふたりきり、何やら奇妙に愉しげでしずかなこの世のあわいに佇んでいるような気がする。

 

 つまり宗教(的なもの)は、主体(私)の意識やその〈知〉を超え出たなにか、いわば非知の領域を含んでいる。したがって、宗教的なものの経験は、必ずそうした非知の領域に関わらざるをえない。非知の領域に関係するということは、アポリア(通り抜けることのできない出来事)をなしている。だから〈宗教的な〉経験は、非知へと踏み込んでいき、それを通り抜けることができず宙吊りとなり、そこにとどまるような経験となる。私がそれを自分の生きる経験として〈経験し終わる〉ことのありえないような経験、いつも再開始する経験となる。

 

 このような観点から言えば、ふつうひとが「宗教」と呼び、そう考えているものは、宗教的なものに基づいているにしても、それが錯視され、変質し、制度づけられたものとしての宗教と言えるだろう。いわば宗教という制度である。そこにおける信仰とは、定まった〈起源〉を同じもの、類似したものとして繰り返し生きることである。同一なものとして繰り返される神聖さへの崇拝、祈願であり、畏敬、信従である。

聖なるものと〈永遠回帰〉・湯浅博雄・ちくま学芸文庫

 

 制度。そんなものにはてんで興味がない。それはペンキの点々をあちこちにつけてひろげられた子の掌からいちばん遠いものだ。そしておそらくそれは、どこか遠い国のいたいけな少女の頭蓋をスイカのようにかち割って平然としているものとも同根だ。わたしは子とふたり、この世のあわいのような場所に佇んでいる。そして何かを待っている。この音もなく言説もない無明のあわいから、何かがむずむずと生まれ出るのをさながら刑の執行を目前にした死刑囚のように待ちわびている。わたしが祈るのはかれらの神にではない。

 

 由来から考えると、聖なるものは、ただ贈与という出来事の瞬間、サクリファイス(消尽)の瞬間、(禁じる力を破り、中断する)侵犯行為の激しさの瞬間と切り離せない様態でのみ生じる。この瞬間とは、どういう時間なのだろうか。私たちが日常的に生きている時間、時計で測ることのできる時間だろうか。そうではなく、量としての時間が破れた、裂け目の時間、現在が底なしに沈み込んでく時間、いわば現在のない時間、いつも現在が欠ける時間だろうか。

 

 聖なるものは、いわばある大きな力が通り過ぎた痕跡=しるしとして生きられるのであり、こういう痕跡はまた再び強いパッションが生きられることをもう既に告げている。

 

2004.5.25

 

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 もう何年も前に旧友の母親から頼まれていた篆刻印を彫ろうかと、つれあいが子を寝かせに寝室へ向かった深夜にやおらそんなことを思い出し抽斗から印刀を取り出して試してみるのだが、刃先が上滑りするばかりで情けないくらいに体をなさぬ。とうとう諦めて放り出した印材を前に、前日職場で仮眠の寝袋にくるまりながら読んだばかりの辺見庸のこんな言葉が思い浮かんだ。

 

 主体的に生きているのではないときが、むろん私にもある。いや、ほとんどの時をだらだらと没主体的に生きている。それほど積極的に生きたくもないのに、愚にもつかぬなにかの力に強いられて単に生かされているだけのようなときがひどく多いのだ。物質消費にしても、実際には選択的自由なんぞ、どこにあるのだろう。選択できているように資本の力に思わされているだけだ。私が依然死んでいないのも、なにも生を積極的に選択しているからではない。

 

 そしてまた、こんな言葉も。

 

 その時私は、この国にあっては正邪善悪を判じる戦後の人間的自明性がつとに崩壊しているのだなと実感し、なぜかしきりに「閾」ということを考えたのだった。かつては議論の余地もないとされた人間的自明性が弱体化し、希薄になったことでぽっかりと開いてできた無明の空洞=閾がいま危機に瀕しているのではないか、と。そこに透明な菌糸のようなものが盛んに流れこんでいるのではないか、意識はそのように占拠され収奪されているのではないかと想像した。

 

 近著「抵抗論」(毎日新聞社)の冒頭にあって辺見は、奇妙にあかるく平和的なこの国の反戦パレードに連なりながら、そうしてあるいはこんな言葉を思わず吐き出す。

 

 なぜそんなに平穏、明朗、従順、健全、秩序、陽気、慈しみ、無抵抗を衒わなくてはならないのだ。犬が仰向き柔らかな腹を見せて、絶対に抗いません、どうぞご自由にしてください、と表明しているかのようではないか。まったく見合わないのである。国家の途方もない非道の量と質に較べて、怒り抵抗する者たちの量と質が話にならないほどつりあわない。

 

 怒り憎むことは、いつから、だれによって禁じられたのか。怒り憎むことは、いつから、だれによって、「悪」と断ぜられたのだろう。

 

 印刀の運びさえ儘ならぬ私は、真夜中にバイクを駆って熊野の闇へと走り出したくなる。そこでまっとうな「怒りと憎しみ」を取り戻したい。

 

 足下の道が揺れると、いったいどうなるか。このことも私はかすかながら記憶している。道が揺れると、〈世界はここからずっと地つづきかもしれない〉と感じることができたりする。勘ちがいにせよ、世界を地つづきと感じることはかならずしもわるいことじやない。なあ、おい、そうじやないかとだれかにいいたくなる。地つづきの道が揺れる。弾性波がこの道の遠くへ、さらに遠くへと伝播してゆき、知らない他国の女たちや男たちの、それぞれの皺を刻んだ足の裏がそれを感じる。ただこそばゆく感じるだけか心が励まされるのか、こちらからはわからないけれども、とにかくなにか感じるだろう。伝播する。怒りの波動が、道を伝い、道に接するおびただしい人の鉢から鉢へと伝播していく。つまり、この場合、人も道も大気も、怒りの媒質になって揺れるのだ。なあ、おい、そういうのを経験してみたいと思わないか。世界の地つづき感とか自分の内と外の終わりない揺れとかを鉢で感じてみたくないか。そのことをだれかに問うてみたくなる。

2004.5.29

 

*

 

 

あなたがこの世界に生まれた日
太陽が惑星に挨拶を送ったとおりに
あなたはすぐに、成長を続けていきました。
あなたがこの世界に足を踏み入れるときに従った、あの法則にずっと支配されながら。
これこそが、あなたの生き方なのです。あなたは、あなた自身から逃げることはできません。
すでに巫女や預言者が、そのように告げたのですから。
どんな時間や権力も、
生き生きと成長していく、刻印された形態を切り刻むことはできません。

ゲーテ「原初の言葉 オルフェウス風に」第一節ダイモーン

 

2004.6.1

 

*

 

 最近ネットで買ったモノ。

・「縄文夢通信」渡辺豊和(徳間書店・1986)
 この国の山々に坐す磐座は光通信のための施設で、縄文人はそれらを介してユングの無意識層における夢の交感を行っていたというキワモノ説。著者は京都の大学教授にして建築家で、他に「大和に眠る太陽の都」(学芸出版社)などの著作がある。もう十数年も前にある知人が名古屋の図書館で見つけ全頁をコピー・自家製本したものを見せてもらって以来探し求めていたが、大阪の某氏が「新聞紙といっしょにゴミに出すはずだった」のをアマゾンのマーケットプレースに出品してくれ、800円で入手できた。十数年の探索がホンのワン・クリックで。やっぱりネットっちゅうのは凄いね。(とか書いてたらネットで著者のこんなサイト(Toyokazu Watanabe Architecture Studio・http://www5.ocn.ne.jp/~toyokazu/index.html)を新たに見つけた。こちらも面白そうじゃ)

・「霊学の観点からの子どもの教育」(ルドルフ・シュタイナー・イザラ書房・1999・@2,300)
 以前に図書館で借りたものだが、収録された“子どものための祈りの言葉”が欲しくなって深夜、酔っぱらった勢いでネット注文してしまった。届いた日の翌朝新聞で、小学生の女の子が同級生を刺殺したニュースを読んだ。 ついでに挟まっていた目録にあった「シュタイナー学校のフォルメン線描」も、イザラ書房のHPでは品切れだったのがアマゾンで在庫一点限りとあったので慌てて注文。

頭から足まで、
私は神さまの姿です。
胸から手まで、
私は神さまの息吹を感じます。
口を動かして話すとき、
私は神さまの意志に従います。
お母さんも、お父さんも、
すべての愛する人たちも、
動物も、花も、
木も、石も、私のまわりにあるものはすべて
神さまだということがわかるとき、
もう、何もこわいものはありません。
私が感じるのは、まわりにあるすべてのものへの愛だけです。

(夜のお祈り)

・「常用字解」白川静(平凡社・2003・@2,800)
 漢字解釈の金字塔「字統」「字通」「字訓」三部作をものした著者が、一般向けに常用漢字1945字を選んで纏めた白川ワールド簡易版。本屋の店頭で見初め、帰ってネット検索をしたら半額の中古品があったので早速注文した。ほとんど新品に近い状態。納屋の片隅に堆く横たわっていた人形たちが傀儡(くぐつ)によって次々と息を吹き返すような怪しさ、いわば漢字の反唯物論ってか。ってなことを掲示板に記したらはるさんから「白川静さんは、凄いというか、知の巨人ですね。もうかなりのご高齢なので、今のうちに色々書いて発表して欲しいですね。こういった人が亡くなるとその知識も消えてしまうので、どうしようもない。漢字の元祖中国でも尊敬されているようです。まぁ色々偏向もあるように聞きますが、それでも一つ一つの説明に納得させられますから、凄いと言うしかないです。「遊」という字から「あそびべ」、「客」から「まろうど」「まれびと」がでてきます。白川さんの辞書から随分とイメージを貰って絵にしました。まだまだ大変なイメージの宝庫だとおもいます。」というメッセージを頂いた。どうも隠れファンはたくさんいるようで。それにしても仏教学者の故中村元氏もそうだったけど、こういう本物の学者は今後しばらくは出てこないじゃないかな。そんな気がする。

 

 月曜の夜から唐突に水便のひどい下痢に38度の熱が出て、急遽他の人にローテーションを代わってもらい仕事を一日休んだ。一日、といっても25時間勤務の回転なので2日半ほど空く。その間、つれあいのつくってくれた手製の生姜湯を呑んで日がな万年床にごろごろと寝そべり、目覚めては床の中で、15世紀に悪魔主義に耽溺し数百の小児を弄び虐殺したというジル・ド・レーの伝記を19世紀の作家が取材するというストーリーのユイスマンスの小説「彼方」をつらつらと読み、また半覚醒のまどろみのなかでうつらうつらするという非常に幸福な時間を過ごすことができた。こんな日々を送っていると仕事に出るのが嫌になっちゃいますがな。

 昨夜はジンちゃんのお母さんがトック(韓国もち)と挽肉を使ったピリ辛料理を作ったからと持ってきてくれた。チビは唐辛子の利いた挽肉をこそげ落としてトックだけを平らげた。

2004.6.3

 

*

  

 幼稚園の「おたよりちょう」から。

 

 

 6月1日 装具のことについて

 先日、リハビリに行き、「最近、暑い日など、幼稚園から帰ってきて装具をとると、ソックスはしっぽり、足の皮膚は柔らかく少しの衝撃で破れそうな気がする」と先生にお話ししたところ、室内では装具をとり、ぞうり、もしくは親指のところに股のあるサンダル、それらが合わないようであれば上履き(園の)でもいいとのことでした。履いて脱げないものを只今、検討中です。本日、導尿に行った折、職員室にいらしたS先生にも少しお話させていただきました。まずは草履から試してみようかと手配中ですが、紫乃が上履き(園の)を好むようであれば夏の間だけでも履かせてあげようかとも思っています。最終的な選択は紫乃に任せようかと思っています。先生、いかがでしょうか?

 かわいいお歌をいろいろ教えて下さり、ありがとうございます。こちらも心が安らぎます。先日、買い物帰りに夕焼けが始まりそうな空に向かって、車の中から紫乃が「夕方はやめてください」と何度も何度も叫び、どうしてかと尋ねますと「幼稚園に行けないから」と答えが返ってきました。「お母さんは子どものとき、どこの幼稚園に行ったの?」と聞かれ、答えますと、「○○幼稚園に行けばよかったのに。G先生もいたのに」と言われました。誠に後悔の一念でございます。

 

 

 靴のことですが、しのちゃんにとって一番良い様にしてあげて下さいませ。こんなに暑いですし、また、しのちゃんはたくさん元気いっぱいに外で遊んでくれますので、きっと汗をたくさんかきますね。タオルでこまめにふいたりして、装具をつけておく方がよければ言ってくださいね。トイレも来週から出来るだけ私たちが練習させて頂きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。お母様のおたよりを読ませていただき、すごくうれしく思いました。しのちゃんが幼稚園へ楽しく来てくれることは私もすごくうれしいです。これからもよろしくお願い致します。

 

 

 つれあいの実家の近所で小さな雑貨屋(駄菓子屋)を営んでいる家があって、そこのおばさんはよくチビにお菓子をふるまってくれるのだが、以前に何かの折につれあいがその店と商売をしている隣町の問屋に行ったときに、店の軒先に子ども用の草鞋が民芸品のように吊されていたのを見た記憶があると言う。さっそく実家経由で連絡をとり、こちらの事情も説明して訊いてもらったところ、そういうことなら皮膚にやさしいように布切れで編んであげようという親切なお返事を頂いた。一足、500円とのこと。それが今日、郵便小包で届いた。「なるべく、可愛い柄でお願いしますね」と電話の最後にちゃっかりとつれあいが言い添えた要望通り、私がいままでに見たなかでも最高に可愛らしいちいさな草履である。この草履には、人の心がこもっている。

2004.6.5

 

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 このゾーリ、とってもかわいいからヨウチエンでみんながハキタイハキタイっていったらね、シノちゃん、じゃあじゅんばんにならんでっていって、みんなにはかせてあげるよ。

2004.6.6

 

 

 

 

 

 

 

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