1910.5-3 妹尾伸子・嶽本あゆ美・堀切和雅「演劇に何ができるのか?」

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妹尾伸子・嶽本あゆ美・堀切和雅「演劇に何ができるのか?」


 

  新宮市民会館の南隣は丹鶴城の石垣、北には廃校となった丹鶴小学校。会館前の途をまっすぐ北へ三百メートル行けば、太平洋食堂と大石誠之助の医院跡があ る。そしてその先には三本杉遊郭の跡と速玉大社。そこを西へ折れて進めば、高木顕明の住持した浄泉寺、その途中には明治に開業していた料理屋や旅館、薬 局、色街もある。新宮の北西をぐるり取り囲む岸壁は、鍋肌のように垂直で、頂きの縁から、ふとだしぬけに神倉神社の御神体ゴトビキ岩が天狗の鼻のようなも のを突き出している。熊野川が注ぐ先は熊野灘、浜の向こうは太平洋、そして対岸はアメリカ大陸西海岸。全ての情景がぴったりとあった。新宮市民会館の舞台 上、「太平洋食堂」はまさにここを目指して始まったのだ。黒々とした楽屋通路、誰もいないトイレの壁、窓ガラスの向こうから、湧きだして止まらないような ものを感じた。目に見えるというよりも、自分の内側にある何かと、そういうものが呼応して蠢きだすのに耐えられず、声を出した。「おーい」。そしてそこに 一人で居るのが怖くなり、宿へ逃げるように帰った。

  そういう瞬間はある、と思う。おおきな、直立した、冥(くら)い時空の断層がスライドして闇の帳(とばり)の端がひょいとめくれ、そこからなにか生温かい 吐息のようなもの、つめたい結晶のように尖った囁きが、一瞬、こちらの頬をかすめて思わず背筋が凍りつく。わたしたちが歴史の実時間に立ち会う(コミット する)瞬間だ。満ち潮を遡上する川の匂い、頭上を飛び交うカモメの群れ、草いきれ、魚を担いだ引き売りの声などがそのときたちあがる。はからずも、わたし は迷い込んだ異郷者である。演劇とはそういうものかも知れない。大逆事件なる天下の茶番劇に連座してすべてを失い、「おーい、頼んだぞ」と叫んで骨も凍る 独房で縊れた僧侶・高木顕明の一粒種を描いた「彼の僧の娘」を2016年の夏に新宮で観た。新宮は根の国である。あたかもラピュタの天空城を埋め尽くすほ どの無数の根茎が地面に突き刺さり、古代神話から被差別部落に至るまでいまもふるえている。わたしたちはふだん、地上の枝葉や花や実ばかりに気をとられて いるが、ときに地下ふかくの根茎のふるえに共鳴してしまうことがあるのだ。あの日、大人の玩具も色褪せるほどのバイブレーションで昇天したわたしはそれか ら、何やら足の裏に無数の毛根をひきずりながらあるくようになった。名古屋で大杉栄と共に殺害された甥の橘宗一の墓碑を探し、大阪で大逆事件サミットや管 野須賀子を顕彰する会などを覗き、遠く信州では明科の爆裂弾実験地をあるいた。同時に河内のキリシタン遺跡、北陸の一向一揆、あるいは堺の砂についえたキ リシタンによる救癩施設や大正まで存続していた地元・奈良の忘れられた被差別部落にあった救癩施設の旧跡を探索もした。楽園のグアムでは日本軍による地元 住民の虐殺事件現場を訪ね、そのグアムで玉砕した日本兵士の記憶を探して近所の共同墓地や軍人墓地、護国神社などをあるきまわった。紀伊半島の鉱山労働者 であった朝鮮人の虐殺事件を知り、関東大震災のときの事件のフィルムを大阪・生野の集会場へ見に行った。出張先のホテルの浴槽のなかでは堀田善衛の「時 間」(南京虐殺)や「夜の森」(シベリア出兵)を読みついだ。つまりこれらはすべて冥(くら)い地下の根茎で密接につながっていて、そのほとんどはいまも 薄闇のなかでしか語られない。すべてはあの2016年夏の新宮で始まったのだ。だから「彼の僧の娘」の作者である嶽本あゆ美さんは天下の極悪人ということ になる。さらに新宮公演をきっかけにFB友になってくれた彼女はその後、わたしに「彼の僧の娘」や「太平洋食堂」の脚本を譲ってくれたり、大逆事件に関す るさまざまな催しに誘ってくれたりしている。立派な共謀罪で、わたしたちはじきに縛り首になるやも知れない。その嶽本さんが本を出した。冥土の土産に読ま ねばなるまい。本は管野須賀子が獄中で書いた手紙のように針穴で書かれているかと思ったがちゃんと印刷された文字で明瞭に記されている。しかもスコブル面 白い。前半の第一部「職業としての演劇人」は著者が「魔の山」(マン)と呼ぶ世間から隔絶した音大の学生生活から始まり、その後入社する「劇団四季」での 研修、舞台裏、そして子育てをしながらの奮闘が繰り出される。いわば肥やしの時代である。だが華々しい大資本のミュージカル・ショーに飽き足らず「夢から 目を醒ませ」という幻聴を聞いて、嶽本さんは在籍13年目にして「劇団四季」を退社する。「なぜか浅利社長が90年代によく話していた築地小劇場の歴史や ソ連演劇界のメイエルホリドの粛清やら岡田嘉子のソ連亡命を思い出しながら。「さよなら! さよなら! さよなら!」。 そして国境を越えたのです。」   第二部「大逆事件と演劇、そして社会」。ひょんなきっかけから中上健次の小説「千年の愉楽」の舞台化に携わった嶽本さんは、新宮でやっぱり足の裏に毛根 を引きずるようになり、共に大逆事件に連座した大石誠之助(「太平洋食堂」)、高木顕明(「彼の僧の娘」)らを題材とした作品を生み出していく。それにし ても演劇というのは面倒で厄介なものだ。「20人以上のカウンターの客からの同時多発の注文を一人で捌き、好みを熟知し、代金も取りはぐれなかった」かつ て通った大阪のうどん屋のおばちゃんを引き合いに出して著者は、演劇をつくるのは劇作家の能力とこのうどん屋のおばちゃんのような才能の二つが必要だ、と 世界の真ん中で叫ぶ。わたしの勝手な見立てではそれは2対8くらいの割合ではないかと思える。「公演制作は軍隊の兵站と似ている。資金調達、人材の確保、 輸送や機材の手配などの物流管理、交通宿泊のブッキング、食事、広報宣伝活動、販売チケットの管理、全てに専門性が必要でとにかく面倒で細かい。何をどう 手配して、どう運ぶか? コストをどう抑えるのか? 現場管理はまるで補給部隊のようだ。同時に交通手段の代替や、災害や事故が起きた場合の保険などのリ スク管理も事前にしなくてはならない。」  だが、それだけでない。百年前の国家権力によるあきらかなでっち上げにもかかわらず、いまだ司法が再審請求を 却下し続けている事件の芝居を縊られた者の古里で行うことの困難さは21世紀の現代にあっても継続している。被差別部落、土地の有力者たちとのかねあい、 メディア、教育委員会、行政、台詞で使われる「新平民」というコトバの問題、子どもたちへの事前学習会の開催、面倒ごとは御免と逃げ腰になる学校の管理 職・・・  粘り強く対話をくりかえし、多くの支援者に助けられ、ときに疲労困憊し、ときには返す刀で斬り捨てる。演劇が人々を招(お)ぎよせ、ぶつけ合 い、ころがしていくのだ。ころがっていった巨大な毛玉のようなものが、そうしてまた別の毛玉を生み、また多くの人々をからげとって走り続ける。大逆事件は いまも生きている。

「太 平洋食堂」はフィクションを多く含むドラマだ。歴史家でない私のような劇作家にできることは、彼らの短い生涯の「陽の部分」を切り取り、特別な存在でない 「普通の人」として再生することだ。苛酷な時代状況の中に置かれて葛藤し、社会や自己矛盾とも戦いながら生き切った「生」の部分こそが、意味のある「人間 のドラマ」なのだ。それが成功すれば、観客は時代を追体験することが可能となり、異なるものへの理解や共感を体感するだろう。それが演劇や映画など表現芸 術が出来る最大の「武器」なのだ。

  現代、SNSに蔓延するコトバの多くは恰もうつろな空間でひびくループする悪しきミニマル・ミュージックのようなものだ。それはおそらくどこへも届かない し、何も実りをもたらさないだろう。だが演劇は違うようだ。ひとつの舞台を実現するまでの間に、現実の塵あくたに触れ、たくさんの人々を動かし、変え、勇 気づけ、夢をかなえるのだ。なによりそこにはSNSにはない「肉体」がある。演劇は「生もの」であり、人間のちっぽけな頭ではなくその「生もの」が感じ、 考えるのだ。それはひとつの希望かも知れない。わたしたちはもっともっと足裏に毛根を生やしてあるいていけるのだ。夜ふけの新宮市民会館で見えない何もの かに呼応して思わず声に出した嶽本さんの「おーい」は、百年前に秋田の監獄で高木顕明がふりしぼった「おーい、頼むぞ」にたしかに重なっている。それをわ たしは2016年夏の新宮で目撃したのだった。満ち潮を遡上する川の匂い、頭上を飛び交うカモメの群れ、草いきれ、魚を担いだ引き売りの声のなかにわたし は立っていた。そこから、はじまる。

  私の制作の方法は特殊かもしれないが、他人から聞くことで、自分の知らない時代や、失われた土地の声を再現することは可能だ。声の集合体は、社会をつく る。演劇はそれをまた、逆側から読み解くことで、他者と自身の「偏差」を知ることができる。自分の立ち位置から、世界の地図が新たに見え始める。

 社会を読み解く力、思考する訓練、何者にも支配されない自由な思考のために、演劇が必要なのだ。演劇とは、思考する方法であり、それによって権力や経済にも支配されずに、魂の自由を得ることができるだろう。かつて創造主を作りだした時のように。

 それこそが、全ての変革の始まりなのだ。

(妹尾伸子・嶽本あゆ美・堀切和雅「演劇に何ができるのか?」(アルファベータブックス 2017)

※引用はすべて 第二章「支配を脱するための演劇」(嶽本あゆ美) から

2017.10.24


 

 

 

 

 

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