055. 大逆事件の仏教三派について歴史に於ける覚悟を考える

背中からの未来

 

 

■055. 大逆事件の仏教三派について歴史に於ける覚悟を考える (2021.11.24)

 


「囚われた若き僧 峯尾節堂――未決の大逆事件と現代」(2018)より


  大逆事件では三人の僧籍にある者が連座した。一人は死刑により縊られ(内山愚童、36歳)、一人は獄中でみずからを縊り(高木顕明、50歳)、一人は獄 中で病死した(峯尾節堂、33歳)。宗派はそれぞれ曹洞宗、真宗大谷派、臨済宗妙心寺派と異なるが、どの宗派も当時かれらを見事に切り捨てた。「大逆事件  ―死と生の群像」で著者の田中伸尚氏は次のように記す。「仏教三派は、かつて国家に忠誠を誓う証として競い合うように、自派の僧侶を切り捨てて追放した が、今度はその処分を相次いで取り消していった。仏教という宗教が、国家と一体化し、戦争に協力し、差別する側に身を置き、自派の僧侶を見捨てて巨大化し てきた歴史の誤りを見直す文脈の中で「復権」がなされた」  切り捨てられた者はそれぞれのかたちで尊厳も命も奪われたわけだが、残された妻子や親族たち もまた、そのことによって人生をひっくり返されてまさに流浪のような生をそれぞれのかたちで深い傷跡とともに負わなければならなかったわけで、その影響は 計り知れない。峯尾節堂に関していえば、妙心寺本山はすでに判決前の起訴の段階であわてふためき「今回の陰謀事件に付き、其の連累者の中に本派の僧籍に在 りし者の介在し居りしは、洵(まこと)に本派の不幸にして千秋の恨事なり」と、その僧籍を剥奪し宗派から永久追放する擯斥に処した。それは国家の死刑宣告 にさらに追い打ちをかける二重の死の宣告であった。「明治43年11月14日を以て、彼の行為は本派の極刑に問うべきものと為し、直ちに擯斥に処した」 (機関誌「正法輪」第283号)  これに対して1996年9月、およそ86年後に本山の宗務総長の名によって擯斥取り消しを伝える証書のそっけなさはど うだろう。「右の者、明治43年11月4日付にて大逆事件に連座したとされる理由により本派から擯斥に処せられたが 本派教化センター教学研究室及び同和 推進委員会による研究と調査の結果本日茲に擯斥処分を取り消し 臨済宗妙心寺派懲誡規程第38条及び第39条の規程により復階及び復権を認めるものとす る」  妙心寺派はその翌年に教学部長なる者がかつての節堂が勤めた真如寺を訪ね、「復階及び復権之証」と「妙心前堂節堂圓和尚禅師」の戒名がつけられた 位牌を現住職に手渡したが、この証書については21年後に同寺を訪ねた田中伸尚氏が擯斥の日付けが間違っていることを見つけるというオマケが付いている。 まるで他人事のような、何の慚懼も痛苦もない、ごく事務的なそれゆえに冷酷な文言。上から人のいのちを剥奪し、おなじく上からその復権を認めると宣うこの 態度はどうか。おれが節堂だったら、こんな証書など破り捨てて、位牌を蹴りつけてやるよ。その教学部長とかいう奴のどたまに向けて。そうだろ? 復権や名 誉回復のために根気強くつづけられた一部の人々の活動や、真宗大谷派のように毎年法要を 営んで(高木顕明の「遠松忌」)伝承していくことはいいことだと思うが、いいか、それで奪ったいのちがもどるわけじゃないんだぜ。問題はおなじような時 代、おなじような状況になったときに、いのちがけで抗うことの覚悟があるか、ということだろう。それがないんだったら、「復権」や「顕彰」などそれこそ絵 に描いた餅だよ。あらたな時代の内山愚童や高木顕明や峯尾節堂があらわれたら、それぞれの宗派はこんどは宗門をかけて抗うだろうか。場合に よっては組織が解体されるかも知れない。それだけの覚悟を持って、やれるか。まあ、やれないだろうなとおれは思っているよ。おれはこの頃、歴史に於 ける覚悟ということを、わが身に置いてずっと考えている。

2021.11.24
 


 

 



 

 

 

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