049. 近鉄郡山駅で自らの自殺を生中継した少女を悼む

背中からの未来

 

 

■049. 近鉄郡山駅で自らの自殺を生中継した少女を悼む (2018.7.11)

 






 立つ。わたしはなぜ立つのだろう。トンネル工事の朝鮮人労働者が鳶口を頭に突き刺されたまま打ち棄てられた海沿いの町の暗闇に立つ。グアムのチャモロの 村人たちが日本軍に殺され埋められた青空の下の尾根道に立つ。「極楽には戦争はない」とより良い世の中を願ったばかりに国家によって屠られた僧侶の墓の前 に立つ。異国の危険な砕石現場で汗を流していた朝鮮人家族の生活があった山中の飯場跡に立つ。そしてかつてハンセン病者が暮らし祈りうめいていた救癩施設 跡をもとめてあるき、名も知れぬ紡績工女の無縁仏をさがして炎天下の墓地をさまよいあるく。

  いつかの金曜。 はからずも大雨の影響で、仕事を終えた帰途、いつものJRではなく近鉄のホームに降り立った。ちょうど数日前に、16歳の少女がみずからの死をスマホで生 中継した場所だ。スマホの画面にむかって最後のメッセージを残したあと、スマホをホームに据えて、やってきた特急列車の前に身を投げたのだった。他の降車 客たちが通りすぎるのを待って一人、夜のホームに立ちつくした。 それほど年齢も離れていない娘は彼女の行為を、復讐だ、と言った。残された者たち、残されるこの世界に対するさいごの復讐なのだ、と。「わたしなら、そう するね」。  何が見えただろう。飛び散った肉片すらも残されていない。まるで何事もなかったかのような世界のたたずまい。突出した者の痕跡を、世界はま るで消しゴムのように消し去ろうと目論む。

  またある日の昼には、国家によって縊られたオウム信徒の最後の地である拘置所の前に立っていた。梅雨が明けたばかりの頭上の抜けるような夏空をジャンボ ジェット機が巨大な古代生物のように滑空していった。かれらの教団が世間を騒がせていた頃、わたしはかれに似ているとよく言われたものだ。250ccの単 車とほとんど身ひとつで関西へながれついた頃、ふらりと訪ねてきたわたしを明日香村の藍染織館の主人ははじめ、オウムの残党だと思っていたらしい。じっさ い、そんなようなものだった。彼我の差異は薄い細胞の一膜にも等しい。塀の向こうの名も知れぬ建物を見上げ、かれもおんなじこの大阪の空を見上げたか。縊 られる寸前、どんな思いが走馬灯のように駆け巡ったか。嗚咽のひとつも漏れたか。獣のような絶叫を残したか。わが身に思い重ねた。

  暴力を外へ向ける者も、内に向ける者も、世界を否定するという意味ではおなじではないか。そのなだれのような崩壊は、いつものっぴきならぬ始原の場所から 発生する。かつて作家の宮内勝典はオウムの事件を評して「意識や精神の営みに、なんらかの意味をあらしめようとしても、この社会には受け皿がない」と記し た。わたしにはもう、それだけで充分だ。「この国には金と快楽以外に何があるんだ?」と叫んだというかれらは、たしかに道を踏み誤った。だが「一歩」を踏 み出すことすらしない者たちが、果たしてかれらを嗤い、断罪できるだろうか。世界に対してノーと叫んだかれらは、麻原という巨大なカオスに呑み込まれた。 何を言われたっていいんだよ。どうせ一度しかない人生だ。おれはこの世界に何の違和感も感じないで飄々と生きている多数の人畜無害の「善人」たちよりも、 トコロテンのように押し出されたとりかえしのつかないおまえたちのこころの闇を愛するよ。

 イエスが殺 されたのも、信長が一向宗徒たちを皆殺しにしたのも、かつてこの国でキリシタンが根絶やしにされたのも、権力の側が宗教の持つ反社会的・反現世的な力を怖 れたからだ。ほんとうの宗教というものは、じつはそうした「狂気」を内包している。日常世界を呑み込み、元の混沌に帰せしめる津波のような波動だ。そうし た内ポケットに隠し持ったナイフのような「狂気」をとっくに放棄してしまったこの国の既成の宗教などは、わたしに言わせれば所詮は腑抜けの集団にすぎな い。だから「受け皿」にならなかったんだよ。この国のいわゆる宗教家たちはそのことについて一抹の危機感でも感じたか。何も思っていないだろうな。だから あんたらは駄目なんだよ。もう死んでるんだ。そのことひとつをとっても、麻原という男に負けた、ということだ。

  先の毎日新聞夕刊でマルクス・ガブリエルなるドイの哲学者が、この国のスマホを抗うつ剤に喩えていたのが面白かった。「地下鉄でもどこでも指先を動かすの は、内省から逃げている。精神が自分を食い尽くそうとするのを必死に防いでいる」(「広がる「21世紀型ファシズム」2018年7月6日) 特急電車に身 を投げた少女は、まさにその「抗うつ剤」の画面にみずからの自死を中継させたのだ。それが彼女の、この世界に対する命を賭した最後の復讐で、でもそれすら も世界は「抗うつ剤」の画面の中に消費してしまう。乾いたホームには花束の一輪もなかった。オウムの事件もおなじだ。この国には生きる意味も真のよろこび も見出せない。そう思い悩み行き場をなくした若者たちは鬼子となって母(社会)を食らう。かれらを鬼子にしたのは、おれたちだよ。受け皿を用意してやれな かったおれたちなんだ。そうしてこの国はなぜ、かれらがそのような場所に追いつめられてしまったのかをろくに考えもせず、ただ殺人に対する刑の執行という 表層だけの手続きを済ませて、完全にかれらを抹殺してしまう。みずから分泌したものを切り落とす。かれらはこの世界によって「二度、殺される」。

  立つ。なんどでも立つ。記憶を掘り起こすように、閉ざされた扉を無理やりこじ開けるかのように。かつて「かれら」がたしかに呼吸し、希求し、空を見上げ、 汗をぬぐって詠嘆したその場所で、いまは深い草いきれであってもその向こうに見えない気配を感じ、生温かい吐息を感じるために立つ。難しいことは考えな い。頭は裏切るから駄目だ。容赦ない日の光や、唇が乾いて割れるような寒さや、じっとりと血のように生臭い汗を感じ、この肉体に沁み込ませるためにわたし は立つのだろう。なにもかんがえない。ことばは臓腑から、骨から、やがてじわじわと滲み出してくる。世界は鬼子をけっして認めない。否定し、抹殺し、漂白 する。洗濯剤のCMのような明るい風景からそして、鬼子は幾度でも再生産されるだろう。わたしたちはまたいつか、みずからが産み落とした鬼子たちによって 殺されるのだ。

2018.7.11

 


 

 



 

 

 

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