047. 桐生悠々「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」を読む

背中からの未来

 

 

■047. 桐生悠々「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」を読む (2015.6.24)

 

井出孫六『抵抗の新聞人 桐生悠々』より




 桐生悠々は明治末から昭和初期にかけて一貫して反権力、反ファシズムを貫き、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」が 当時の軍部の怒りを買い、晩年は不遇ながら信念をつらぬき通した骨のあるジャーナリスト。もともと寮さんのおじいさんの知遇とのことで知り、いまは絶版に なっている岩波新書の「抵抗の新聞人 桐生悠々」(井出孫六)を古書で求め読んでいる最中だが、詳しい生涯はウィキペディアでも覗いてくだされ。今回、こ こで紹介したいのは、かれが新愛知新聞に移ってから書いたジャーナリストの立ち位置、そしてメディアに関わるもののパン(イエスの言うパン)についての一 文が、いまの時代にこそぴったりだと思われるので、 頑張ってその肝心な部分をキーボードで起こしてみたので、ぜひ読んで頂きたい。とくにメディアに関わ る人々はみな一度、おのれの胸に手を置いて、この反骨のジャーナリストの言葉を反芻してみて欲しい。此の国の弛緩したメディアの中で、だれかこれを引き継 ぐ気概のある者はいないのか。

 

新聞の経営は、近来に於いて一種の営業となったが、其の営業は他の営業に於ける営業の意味とは、全然其の趣を異にしている。是其の新聞の編集に当たる主幹 及び幹部が、之を以って全然普通一般の営業と見做すほど、其ほど諦めのよい、賢明過ぎる人間を以って組織されていないからであるのが、新聞紙の新聞紙たる 生命は、即ち此れにあるのである。故に彼等は事実の真相を穿つに於いて、又世の思潮を導くに於いて常に真理と正義の奴隷たることを甘んずるも、決して読者 や少数の保護者や、関係者や、之が経営主の奴隷たることを甘んぜぬ。新聞の権威はここに於いて乎、初めて発揮せられるのである。随って新聞記者たるもの は、此の決心、此の覚悟がなくては、一日もかかる馬鹿々々しき、不利益な職業に就いていることは出来ぬ。

「独立の地位」は新聞記者にとって、何が故に夫ほど重宝なものであろう。雪隠の中にいるものは、糞尿の悪臭を感ぜぬが、雪隠の外にいるものは、鼻つんぼに あらざる以上、其の悪臭を感ぜずにはおられぬ。之が即ち新聞記者―――事実の真相を得て之を評論する新聞記者―――に「独立の地位」なるものが、最も必要 なる唯一の理由である、原因である、基礎である。当局者、従属者の語る所は、総て偽りである。利害関係の渦中に投じているものは、大抵は其の利害のために 囚われて、事の真相を捉え得ぬ。偶々其の真相を得るものがあっても、之をあからさまに発表する程の愚者はおるまい。

「独立者の語る真理」(明治45年5月)

 

新聞紙は事実を国民に報道することによって、平生国家的の任務を果たしている。否、事実の報道をほかにしては、新聞紙は存在の価値もなければ意義もない。 更に進んで言えば事実の報道即新聞紙である。しかるに、現内閣は事実の消滅そのものを断行せずして、この事実の報道を新聞紙に禁止した。その暴戻怒るより も、その迂遠なる寧ろ憐むべしである。事件、事実は新聞紙の食糧である。しかるに現内閣は、今や新聞紙の食糧を絶った。事ここに至っては、私共新聞紙もま た起って食糧騒憂を起こさねばならぬ。彼等は事実と云う新聞紙の食糧を絶って、今や新聞紙の生命を奪わんとしている。新聞紙たるものはこの際一斉に起っ て、現内閣を仆(たお)すの議論を闘わさなければならぬ。社会生活と何等の交渉なき新聞紙を作ることは私共の断じて忍び得るところではない。今や私共は現 内閣を仆さずんば、私共自身が先ず仆れねばならぬ。

「新聞紙の食糧攻め――起てよ全国の新聞紙!」(大正7年8月)

 

 ちなみにこの新愛知新聞の後身である中日新聞はかつて2014年9月11日、悠々の命日にこんな社説を掲げた。桐生悠々の名はいまの日本では忘れ去られようとしているが、かれを継ぐものはまだ少しは生き残っているはずだ。


●中日新聞 社説  起てよ全国の新聞紙 桐生悠々を偲んで 

2014年9月11日


 今年はこれまで以上に感慨深い日でした。きのう九月十日。明治から大正、昭和初期にかけて健筆を振るった反骨の新聞記者、桐生悠々の命日です。

 「言わねばならないこと」。弊紙が昨年十二月から随時掲載している欄のタイトルです。識者らの声を紹介しています。きっかけは第二次安倍内閣が特定秘密保護法の成立を強行したことでした。

 外交・防衛など、特段の秘匿が必要とされる「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す法律です。公務員らには最長十年、特定秘密を知ろうと公務員らを「そそのかした」記者や「市民」には最長五年の懲役刑です。

 □ 言わねばならぬこと

 この法律は特定秘密の指定・解除が行政の裁量に広く委ねられ、「秘密の範囲が限定できない」などの懸念が指摘されてきました。

 特定秘密の範囲が恣意(しい)的に決められ、取材記者や行政監視の市民らが違法行為を問われれば、国民の「知る権利」や人権が著しく脅かされることになるからです。

 成立直後に行われた共同通信の全国電話世論調査では、法律に反対との回答は60%を超え、法律に「不安を感じる」と答えた人の割合も70%以上に達しました。

 国会周辺など全国各地で反対デモが行われ、今も続いています。私たちの新聞を含め、多くのメディアが反対の論陣を張りました。

 安倍晋三首相は「厳しい世論は国民の叱声(しっせい)と、謙虚に真摯(しんし)に受け止めなければならない」と語ってはいますが、その姿勢に偽りはないでしょうか。

 法案提出前、九万件を超えるパブリックコメント(意見公募)が寄せられ、八割近くが反対でしたが、提出は強行されました。運用基準づくりでも約二万四千件の意見のうち半数以上が法律廃止や条文見直しを求めていますが、抜本修正は見送られています。

 □ 旺盛な軍部・権力批判

 運用基準ができたからといってとても十分ではありませんし、私たちは今も、この法律自体に反対です。国民が、そして新聞が反対の声を上げなければ、政府は運用基準すら、つくろうとしなかったかもしれません。

 私たちの新聞には「言わねばならないこと」だったのです。

 この「言わねばならないこと」は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ、新愛知新聞などで、編集と論説の総責任者である主筆を務めた桐生悠々の言葉です。

 悠々は晩年を愛知県守山町(現名古屋市守山区)で過ごし、自ら発行していた個人誌「他山の石」に、こう書き残しています。

 「言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う」「言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである」「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少(すくな)くとも、損害を招く」

 悠々は守山町に帰る前、長野県の信濃毎日新聞の主筆でしたが、敵機を東京上空で迎え撃つ想定の無意味さを批判した評論「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」が軍部の怒りを買い、会社を追われます。

 それでも一九四一(昭和十六)年、太平洋戦争の開戦三カ月前に亡くなる直前まで軍部、権力批判をやめませんでした。旺盛な記者魂は今も、私たちのお手本です。

 秘密保護法以外にも、今の日本は言わねばならないことに満ちています。例えば、外国同士の戦争に参戦できるようにする「集団的自衛権の行使」容認問題です。

 戦後日本は先の大戦の反省から行使できないとの憲法解釈を堅持してきました。その解釈を正規の改憲手続きを経るのならまだしも、一内閣が勝手に変えていいはずがありません。

 全国のブロック・県紙のうち、弊社を含む三十九社が、政府の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に反対する社説を掲載しました。賛成はわずか二社です。

 地域により近いメディアがそろって反対の論陣を張ったことを、政府は無視してはならない。

 □  「言論擁護」の先頭に

 悠々は一八(大正七)年、富山県魚津から全国に広がった米騒動で、当時の寺内正毅内閣を厳しく批判します。米価暴騰という政府の無策を新聞に責任転嫁し、騒動の報道を禁止したからです。

 悠々は、新愛知新聞社説「新聞紙の食糧攻め 起(た)てよ全国の新聞紙!」の筆を執り、内閣打倒、言論擁護運動の先頭に立ちます。批判はやがて全国に広がり、寺内内閣は総辞職に追い込まれました。

 政府が悪政に道を踏み外すのなら、私たち言論機関が起ち上がるのは義務の履行です。戦前・戦中のように犠牲を恐れて、権力に媚(こ)びるようでは存在価値はありません。日本を再び「戦前」としないためにも、悠々を偲(しの)び、その気概を心に刻まねば、と思うのです。

 

 悠々の社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は青空文庫でも読める。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000535/files/4621_15669.html 

2015.6.24

 


 

 



 

 

 

背中からの未来