040. 京都の民団左京支部会館で前田憲二監督の「神々の履歴書」を見にゆき歓待される

背中からの未来

 

 

■040. 京都の民団左京支部会館で前田憲二監督の「神々の履歴書」を見にゆき歓待される

 


 台風通過で最後まで迷ったが、エイままよ、上映会が中止なら博物館の「国宝展」に切り替えればいいし、帰りの電車が止まったらそれはそれで愉しもうと腹 をくくって京都へ向かった。丹波橋で京阪に乗り換えて出町柳へ。ひと駅だけの叡山鉄道は面倒だったので雨の路地を適当に抜けた。六斎念仏の総本寺という寺 (光福寺(干菜寺))を発見。時間があったので、元田中の駅を越えたあたりに見つけた「天狗食堂」で親子丼のお昼を食べた。近在の人に愛されている店のよ うで、昼時もあってほぼ満席。相席をすすめたおっちゃんはビールと肉カレー丼と中華ソバ。おいおい喰いすぎじゃないか大丈夫かと人の糖質を心配した。線路 のすぐそばの「民団(在日本大韓民国民団)左京支部会館」。ここで前田憲二監督の「神々の履歴書」を見せていただいた。二階の会議室のようなスペースにパ イプ椅子を並べて30人ほどか。140分、2時間半近い上映。日下武史さんの淡々としたナレーションで朝鮮半島と日本の全国の神社や遺跡が特に殺人事件が 起こるわけでもなくやっぱり淡々と紹介されていくので、昨夜はちょっと寝不足もあって二三度こっくりしかけて後ろのおばちゃんに笑われた。殺人事件は起こ らないわけだけれど全編がしずかな時限爆弾のようなものだ。日本の神々は古ければ古いほど朝鮮半島からの渡来だというのが前田監督の結論であって、ために ネット上では場所によっては「売国奴」「非国民」のひどい扱いだが、その衝撃度は明科の谷あいで宮下太吉が放り投げたちゃちな爆裂弾よりも強力だ。何せ映 画のラスト、巨大な仁徳天皇陵が空撮されながら「日本の天皇は、百済系なのか、新羅系なのか、それとも高句麗系なのか?」というナレーションが流れて映画 は終わるのだ。あまりにさりげないのでうっかり聞き逃しかけてからふと気づき、その意味するところの内容に驚愕する。内容を語ればあまりに多岐にわたるの で詳しくは前田監督の著作などを読んで欲しいが、あらためてわたし自身ももういちど、かつて訪ねた社地を「あたらしい眼」で見直したいという欲求に駆られ た。たとえば飛鳥、土師の里、そして熊野など。渡来のごった煮ともいえる生駒山麓もおもしろい。土地があればあるくし、海があればわたるし、人は自然につ ながり、まじりあう。かつて日本海は断絶ではなく一種の大きなコミューンだったわけで、ちょっと海の向こうの親類にひさしぶりに会いに行ってくるわ、とい うことだってあっただろう。線を引くからおかしくなる。純粋を言うから省きたくなる。おれたちはみんな mixed up confusion だよ、もともと。上映が終わり、休憩をはさんだ懇親会で「どなたか感想を」と司会の女性が言ってもだれも手をあげず、「ネットを見て奈良からきました」と 一番乗りだったわたしにお鉢がまわってきた。それでつい調子に乗って「百年のこの国の歴史について」、わたしが最近思っていること、調べていること、訪ね た場所のことなどを20分近く喋ったのだった。いわく東学農民事件、関東大震災、大逆事件、新宮、紀州鉱山、グアム、そして堀田善衛や沖浦和光などなど。 会場の場所柄「日本人」はわたし一人だったと思う。ほとんどわたしよりやや上の世代以上の「日本で暮らす朝鮮人」の方々だったが、とても熱心にどこの馬の 骨か分からぬこの若造の話を聞いてくれて、それが伝わってきたのでわたしもついつい調子に乗って、あとで控えていたゲストの「先生」の持ち時間を相当食っ てしまったのだった。申し訳ない。懇親会が終わると幾人かの人が来られて連絡先を訊ねてきた。知り合いの古い倉庫から関東大震災のときのむごたらしい写真 が出てきたからメールであなたに送ってあげるという人もいたし、司会の女性は「またこんな催しがあったらお誘いしたいので」ということだった。みんなから 「先生」と呼ばれていた初老の小柄な男性は「この人に電話してわたしの名前を言いなさい。あなたが調べているという紀州鉱山についても詳しい人だから、い ろいろ教えてくれるだろう」と久保井規夫(桃山学院大学元非常勤講師)さんという方の電話番号を教えてくれた。そんなやり取りをしている内に参加者の人は みんな帰ってしまって、残っているのはその「先生」と5名のスタッフの方だけだった。そのまま「ビールでも飲んでいって」と誘われ、階下の事務所の打ち上 げに図々しくも混ぜて頂いた。わたしはそこで「こういう作品は、本来はじぶんのような日本人がもっと見るべきで、そしてみなさんのような在日の方々と意見 交換ができたらもっといいと思う」というようなことを言った。頂いた名刺に「朴炳閏」とある「先生」は歴史にくわしく、数千年前の古代文明からここ百年間 の日韓の関係まで、まるで見たきたかのようにすらすらと喋って尽きない。帰って Web で調べたら、「日本<HAN>民族問題研究所」なる在野の団体の所長さんらしい。酔っ払って風呂場で死んだわたしの敬愛していた伯父に雰囲気が似ていて、 ビートたけしを小さくしたような面影である。あやしい雰囲気もあるが(^^) 気取りがない。この朴先生が何と奈良の田原本在住で、いっしょにバスで京都 駅までもどり、近鉄特急で東北アジアの鳥居龍蔵の発見にルーツを持つ紅山文化や桓檀古記についてのお話を伺いながら帰ってきたのであった。

 

◆光福寺(干菜寺) http://blog.goo.ne.jp/korede193/e/c7bb280b3f3aef845bd892771e75f74d 

◆天狗食堂 https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260302/26006868/

◆「神々の履歴書」(1988年)が語る天皇の「渡来説」 http://hiro-san.seesaa.net/article/250626143.html

2017.10.30

 

 



 

 

 

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