038. 大阪・阿倍野へ辺見庸の講演会「怒りと絶望はどのように表現するべきか」を聴きにゆく

背中からの未来

 

 

■038. 大阪・阿倍野へ辺見庸の講演会「怒りと絶望はどのように表現するべきか」を聴きにゆく

 



○ 昼。阿倍野墓地近くの寿司屋でワンコイン・ランチの天丼。

○ 辺見庸講演会に並んでいたら、やってきたオッサンが「辺見庸って、こんなに人気あるのか…」とぽつり。 阿倍野区民ホール。

○ 講演後、ひさしぶりに元千日墓の処刑場にあった迎え仏に会いにきた。 阿倍野墓地の西端。

○ 辺見庸の講演を聴き終えて何気なくスマホを覗いたら、FB友の中平さんから「そのまま高速高架下を下って昭和町のコロッケ屋へ」という秘密指令が入っていたので、阿倍野墓地でしばし千日墓の迎え仏と再会を果たした後にてくてくと向かいました。 文の里商店街にある廣岡精肉店。「いっらしゃい!」 店のおばあちゃんと目が合って、「これがおいしいよ」と言われたので、そのジューシー・メンチカツ(150円)を6個買って帰宅した。 母親に1個、妹夫婦に2個を配って、今夜はカレーだったのでメンチカツ・カレーとなった。 それにしても結構なボリューム。大阪は、こういう庶民的な店があるから好きだな。 こんどはコロッケを食べてみたい。
廣岡精肉店(食べログ) http://tabelog.com/osaka/A2701/A270203/27042833/ 

2016.4.3

 「・・国体っていうのは皆さんであったりあなたではない、これは天皇なんです。玉体なんです。で、呆れ返るのは、「憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によっ て出来た」、それがなかったら天皇制は存続しなかったんだ、と。天皇制を存続するために憲法をつくったと、というふうにこの憲法ができているんだと、とい うふうなことを言っているわけですね、幣原が。この幣原の発言を受けとめるとすれば、わたしがずっと背中に背負ってきたもの(※9条)、それは死体だった のか、腐臭を放つ死体だったのか、そのことをぼくは薄々気づきながら、気づかぬふりをして憲法9条をですね、神聖なものとして、それを守らなければいけな いと、いうふうに人にも言い、じぶんにも思おうとしたのか。ということで、現時点でぼくは、はっきり言って当惑せざるを得ないわけです。」

 大阪の阿倍野(天王寺)へ辺見庸の講演会「怒りと絶望はどのように表現するべきか」を聴きにいったのは4月のことだった。かれの肉声を聴いたのはこのと きがはじめてで(或いはこれが最後かも知れない)、肉声を聴くとは、わたしのなかにあって「意志を引き継ぐ」、「引き受ける」ということだと勝手に思った のだった。はじめに女性チェリストによるバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏があり、これは混沌の前に調和を置いたのだ、と感じた。それは胸が痛くなるほど満 ち足りた演奏だった。講演は休憩をはさんで延べ2時間半ほど。会場を吐き出されたわたしはそのまま隣の阿倍野墓地へ入って江戸時代、千日墓の刑場の入口に あって無数の刑死者を見てきただろう二体の迎え仏の前に惚けのように座してしばらく過ごした。その場所以外に行くところがなかった。

  しばらく前、FBで「“憲法9条„ を発案した総理 幣原・マッカーサー会談の真実など」(2016年05月03日)と題した報道ステーションの特集の動画リンクがよく流れてきていた。 http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/47484606.html   けれどそれは、現行憲法は他国からの押し付けではなく、日本人がみずから発案し申し出たものだという部分に軸足を置いたもので、辺見庸が「わたしがだ いじに背負ってきた憲法9条ははじめから腐臭を放つ死体であったのか」という悲鳴にも似た問いには一切触れられていない。

「わたしがだいじに背負ってきたもの(憲法9条)は、はじめから腐臭を放つ死体であったのか」  辺見をしてそう言わしめたのは、現行憲法の非武装・不戦の宣言が国体護持=天皇制の存続と引き換えに出されたものだという事実である。はじめに国体護持 ありき、であった。わたしたちがずっと目をそむけ、そしていまもなお直視しようとしないこの国の鵺のようなあやかし。憲法9条ははじめから、このあやかし と同衾であった。

  どのような成り立ちであっても9条は9条でそれでよい。幣原の言う「世界は今一人の狂人を必要としている」もそれでよい。それはそのままでよいのだ が、わたしたちが、戦後の平和憲法は人々の平和を希求する思いが反映されて制定されたと単純に思っていると思わぬ深みにいつか足を取られるだろう。辺見が 言うように幾百万、幾千万もの命を殺さしめた「国体護持」という鵺は、非武装・非戦宣言の平和憲法を人質として差し出す代わりにその命を救われ、いまもこ の国の地下系で命脈を保っているという事実から目を背ける限り、わたしたちはふたたびいつの日か(それもそう遠くない日に)手酷いしっぺ返しを喰らうに違 いない。  鵺は思っているよりもわたしたち自身の余程深みにいまも突き刺さったままなのかも知れない。 ※以下に講演当日、ボイスレコーダーで録音した音源から辺見庸の発言の一部を(やっと時間を割くことができて)文字起こしした。 .

◆辺見庸講演会から一部文字起こし(平成28年4月3日 於:大阪市立阿倍野区民センター)  

・・「元帥の草案に天皇が反対されていたら情勢は一変していたに違いない」っていうのは、ここは極めて重大です。で、マッカーサーを怒らせたら、天皇制は ちゃらになってしまうと。まあ、なりゃあよかったんですけど、ならなかったんです。で、どうなったかというと、物は言いようだって思うんですけれど、当初 の戦犯リストには冒頭に天皇の名前があったんだと、それを外してくれたのは元帥であったと。ただ元帥の草案に天皇が反対していたならば情勢は一変していた に違いないと。戦犯になっていたに違いないと。「天皇は」――言うもんだなあと思うんだけれど――「天皇は己れを捨てて国民を救おうとされたのであった が、それによって天皇制をも救われたのである。」と書いてあるわけですね。  これは驚くべき事実だと思うんです。「天皇が己れを捨てて国民を救おうとされたのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明 であった。」 「正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。」と書いてあってですね、えー、憲法9条を含む現行憲法は「天皇 と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。」と。「たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。」 で、一致し たから現在がある、というふうに言えると思います。「危機一髪であった」と、だが「結果において僕は満足している。」と。というふうに幣原発言の記録には ――これは憲法調査会事務局が出している謂わば公的文章だというふうに思うんですね。信ずるべき根拠があるわけですけれど、これをどう捉えるべきか。 わたしはこれ、読み飛ばしていたんですね。あの、簡単に読んでいたわけです。「世界は一人の狂人を必要としている」ってところにアクセントを置かれている ものというふうに考えてきた、と。ところが後段を読んでみると、「憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来た」と。で、二人が一致しなかったら天皇制は 存続していなかった、と。「危機一髪だった」と。ここを読むとやはり鼻白むわけですね。で、反言すればどう言えるかっていうと、若い人は分からないかも知 れないけど、これはどういうことかっていうと、国体護持じゃないかっていうことです。戦後もですよ、敗戦後も国体護持のために非武装・非戦宣言をしてです ね、幣原の方から先回りした形でですね、マッカーサーに。マッカーサーに9条を含む非武装宣言案を持ち出したのは、マッカーサーではなくて日本側、幣原な んだと。ということは割合、史実としては根拠があると言われていることなんです。 ただ、その裏にはですね、国体護持のため、つまり天皇制を維持するために、じぶんたちは武装しない、非武装宣言をすると。ということなんじゃないか、と。 というふうに、どうも、そうとしか考えられないんじゃないかと言えると思います。で、先回りの形で持ち出して――つまり「死中に活」ですね――持ち出し て、で、日本占領連合軍の最高指揮官と占領政策全般を統括していたマッカーサー元帥に、驚きをもって受け入れられたという、“お前さんたちの方から言うの かい”と。 つまり、こうなんです。国民を救うんじゃない。国体っていうのはですね、もう何度も言われて、何百万もの人間をこれによって殺している。アジア各地を考え ればですね、二千万ほどの人間を殺してきた、わけの分からない、日本の根深い表象といえば表象なわけですけれども。わたしも「1937(イクミナ)」って ものを書いて、国体というものを頻繁に記しながら、そのことについて「分かっているけども、分かっていない」っていうじぶんに気がつくわけです。でも敢え て強引にいえば、国体っていうのは皆さんであったりあなたではない、これは天皇なんです。玉体なんです。 で、呆れ返るのは、「憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来た」、それがなかったら天皇制は存続しなかったんだ、と。天皇制を存続するために憲法をつ くったと、というふうにこの憲法ができているんだと、というふうなことを言っているわけですね、幣原が。この幣原の発言を受けとめるとすれば、わたしが ずっと背中に背負ってきたもの(※9条)、それは死体だったのか、腐臭を放つ死体だったのか、そのことをぼくは薄々気づきながら、気づかぬふりをして憲法 9条をですね、神聖なものとして、それを守らなければいけないと、いうふうに人にも言い、じぶんにも思おうとしたのか。ということで、現時点でぼくは、 はっきり言って当惑せざるを得ないわけです。 だからといってですね、じゃあ憲法9条というこの非武装・非戦宣言が無効だってことがいえるかどうか。ここです。ここは一生懸命考えざるを得ない、という ふうに思うんです。でもこの国体護持っていうのはじつに大変なこと、大変なこの国のエトスであり、この国の目標であったわけです。あれだけの人間を殺し、 あれだけ人間が殺され、原爆を二発落とされ、沖縄戦であれだけの人々――ウチナンチューを犠牲にしたのはですね、日本の人民、あるいは沖縄の人民ではなく て、国体護持のため戦うことを強制し、自決を強制した。その責任者と、原爆を落とした責任者たちが平和憲法をつくった。その国体護持のために、ある種の芝 居を打ったみたいな形で9条ができていく、っていう疑いもわたしはちょっと持っているわけです。

 

◆幣原喜重郎元首相が語った 日本国憲法 - 戦争放棄条項等の生まれた事情について

昭和三十九年二月 幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について ー平野三郎氏記― 憲法調査会事務局

はしがき  この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。  なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

   昭和三十九年二月            憲法調査会事務局   第一部

  私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬である。同年三月十日、先生が急逝される旬日[8]ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。  側近にあった私は、常に謦咳[9]にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。  その内容については、その後間もなくメモを作成したのであるが、以下は、そのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。

  なお、当日の幣原先生のお話の内拘ママ[10]については、このメモにもあるように、幣原先生から口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。

問  かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわり度いと存じます。  実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。

 答  いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。 問  そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。

答  それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。 問  死中に活と言いますと … … …

答  たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故なら この兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そう なれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 問  しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

答  そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできな い。  それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡て の国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、 世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の 間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存 在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇 手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武 力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えば或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるため に必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に 管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合せよりも強力である、というような世界である。  そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などもそうであったが、何より記録的な世界政府を作った者は日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政 府がそれである。この例は平和をを維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。  要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が国際的に統一された武力を所有して世界 警察としての行為を行う外はない。このことは理論的には昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以 上、いよいよこの理論を現実に移す秋[11]がきたと僕は信じた訳だ。

 問  それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

答  そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなの だ。  恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制す るからである。第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところ で、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。  したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその最後の理想に到達するかということに ある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんなことが起るか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その 成否は一に軍縮にかかっているということだ。若しも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起るだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のな い悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起 る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎな いと言う恐るべき不安状態の連続になるのである。  そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉 に当たる者に与えられる任務は如何にして相手を偽瞞するかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸と なることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変え た戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性などは初めからないものなのだ。  原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。だが交渉の行われている合間にも各国はその兵器の増 強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不信と猜疑がなくならない限り、それは止むを得ないことであっ て、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。  そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうし たらいいのだ。自衛のためには力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持つものは自分も持たねばならぬ。その結果がどうなるか。そんな ことは分らない。自分だけではない。誰にも分らないことである。とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は自分にはない。 どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。  果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の 大群と似た光景 ― それが軍拡競争の果ての姿であろう。  要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備 を廃止することである。  一、二、三の掛声もろとも凡ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。  ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー  最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもってい る。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣 原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。  しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたもの は僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こ そ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がして いた。  非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこ そ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。  要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことが できないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。  日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳 だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔 である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々 とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

問  お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。

 答  その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然も次の戦争は今までとは訳が違 う。  僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界 の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹 尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そう した与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若し或る国が日本を侵略しようとする。そのこと が世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依て脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三 国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依て我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活が あるという訳だ。

問  よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥[12]の命令の結果 ということになっています。尤も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったので すから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答  そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたの はその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではな い。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。  幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題 が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日 本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と 戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調に よって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。  この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。  豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続す るだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国は、こ の案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。  この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもと もと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの 失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持 する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。  この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形を とった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。  そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を 売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君[13]にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカー サーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元 帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

 問  元帥は簡単に承知されたのですか。

答  マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久 的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明 な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。  元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。  日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろ う。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界で ある。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか。  好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手 段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国 の出現も亦ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた のである。貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する秋であ る。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。  また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資 本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。 未来を約束するものは、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であ るかの如く考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史の彼方に埋没して終うだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらず いささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義のイデオロギーも何れ全く変貌 して終うだろう。何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵もアメリカでもなく資本主義 でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。

問  天皇陛下は憲法についてどう考えておかれるのですか。

答  僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうし ようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときは吉田君[14]にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だっ た。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。この英断で閣議も納まった。終戦の御前会議のときも陛下の御 裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。若しあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく今日天 皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の 戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは元帥であった。だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違い ない。天皇は己れを捨てて国民を救おうとされたのであったが、それに依て天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。  正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろ う。危機一髪であったと言えるが、結果に於いて僕は満足し喜んでいる。  なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君[15]からきかれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならない ことだから、その積りでいてくれ給え。

http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html 

 2016.6.19






 

 



 

 

 

背中からの未来