022. Beyond the WAVESを見た二日後に「原発ゼロをめざす学習講演会」で森松明希子さんの講演を聞く

背中からの未来

 

 

■ 022. Beyond the WAVESを見た二日後に「原発ゼロをめざす学習講演会」で森松明希子さんの講演を聞く


   思い出したのは9年前のあの地震と津波と原発事故が起きたときに思ったのと同じこと。「わたしたちの一人ひとりが“生き方”を変えなくてはいけない」。 何のために生きるのか、何のために働くのか。何のために投票するのか、何のためにものを買うのか。たくさんのお金は要らない。たくさんの電気も要らない。 お金ではこころの豊かさは買えない。お金で買えないものを分かち合う。そういった、身近なもろもろのこと。“生き方”を変えなければおそらく世界も変わら ない。そんな感じのこと。そして山本太郎は果たしてロベスピエールになるのかどうかまだ分からないけれど、少なくともやつはそのために最前線で孤独で危う い闘いをしているということ。50年後、100年後の歴史のなかでいったいどんなふうに山本太郎は語られるのだろうかと考えていた。こころがいっぱいに なった。鎖でつながれた囚人のようだった。この足枷をはずすことはできるのか。原発事故賠償訴訟でずっと闘ってきたが結局、政治的なものを変えなければ何 も変えられないという思いに到達したという声があった。フクシマは終わっていない、ループしているだけ、という話もあった。フクシマでは生まれてからいち ども地面の上で遊んだことがない子もいるという。奈良県産のしいたけにも時として微量のセシウムが検出される、なぜなら東北地方から取り寄せるしいたけの 原木が汚染されているから。そうした報告にいちいちおどろいた。あらゆるものが破壊されているのに、あらゆることが何もなかったことにされている。正しい とか間違いだとかはすでに意味をなさない。強いものの側にいるかいないかだけ。“生き方”を変えるとは、そのループから脱け出すということ。糞ったれの輪から勇気を出して飛び出すということだ。目の前にある のもは、どれもひとつでも欠けたらもう生きていけないと思うかも知れないが、じっさいは失くしてもどうでもいいようなごみ屑や糞どもなんだ。「これは山本 太郎の映画じゃない。ベルギーの映画監督が山本太郎の目を通して映し出したいまの時代の日本の姿」とビデオ・メッセージで山本太郎が言っていたが、まさに そうだと思うよ。映像は合わせ鏡のように見ているおれたちひとりびとりに跳ね返って突き刺さる。あたかも起動スイッチの付いた何かを身体の中に埋め込まれ たようだ。

 ※やまと郡山城ホールで午後、Beyond the WAVESを見た。

ドキュメンタリー映画 Beyond the WAVESについて
2018年 日本語、英語字幕 65分 ベルギー制作
監督:アラン・ドゥ・アルー
出演:山本太郎
「福島へようこそ」の撮影中に山本太郎と言う男の存在を知ったアランは、彼が原発を告発する発言を繰り返すことで、生業である俳優業が継続できなくなったという事実に衝撃を受けカメラを回した。
日本社会の排他主義に抗う波を作り、その波に市民とともに乗り、大きなうねりを作り出そうとする山本太郎を主人公に据えながら、ベルギー人監督の目を通した「日本の今」を描くドキュメンタリー作品
2020.1.11


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 JR奈良駅で降りて、三条通りをあるき出した。冬の澄んだ青空。多くの観光客にまじって成人式の振り袖姿の女の子たちも見える。みんな愉しそうだ。まる でこの世界にはこの国にはなにひとつ問題などないかのようだ。爆弾で脳味噌を吹き飛ばされる赤ん坊などいない。「原発さえなければ」と書き残して自殺する 人もいない。話し声や笑い声でさんざめく東向商店街の路地をまがり、奈良基督教会横の坂道をのぼって興福寺の境内に入る。再建されたまあたらしい金堂。鹿 とたわむれるグループ。自撮りのカメラをかかげる恋人たち。楽しげに五重塔をみあげる家族。目深にかぶった帽子の下でけれどもわたしの目はそれらの風景に なじめない。鹿せんべいのおばちゃんの前を通りすぎて大宮通りを渡り、わたしの足は奈良県文化会館へ吸い込まれていく。ひとむかし前のさびれた教室のよう な二階の集会室AB、そこはまるでそこだけこの国ではない場所のようだ。成人の日の祝日をたのしむ多くの人びとはそのはるか上空を飛ぶようにすぎていく。 「たった9年前のことなのに、何も伝わっていないことを思い知らされた9年間だった」 二日前は山本太郎を描いたド キュメンタリー映画 Beyond the WAVESを見た。二部の原発事故賠償訴訟で闘っている人や民間の放射能測定所を設けている人の話も聞いて今日の「原発ゼロをめざす学習講演会」を聴きに 行こうという気になったのだった。そこでわたしが見たのは孤独な闘いをするいわばもうひとりの山 本太郎だった。フクシマの郡山市で福島第二原発の事故を知った森松明希子さんは当時0歳と三歳だった子どもを連れて大阪へ「自主避難」した。「放射能は体感 できないんですよ。皮膚がちりちり痛むわけでもない」  「あのとき、蛇口をひねったら水が出て、たぶんこの水は放射能に汚染されているだろうと思ったけ れど、仕方なく三歳の子どもにも飲ませたし、わたしもその水を飲んで0歳児に母乳を与えた。水道水からセシウムが検出されたと報道されたのはその後のこと です。どこかのお母さんが調べてもらった母乳からも出た」  「“3.11を忘れない”って、みんな津波が来たらいそいで逃げろって言うけど、放射能はそ うはならない。みなさん、隣の家が火事になったら急いで逃げるでしょ。わたしが裁判を起こしたのは“わ たしには逃げる権利がある。それを認めて欲しい”という闘いなんです。そんな当たり前のことのために裁判をしなくちゃいけないのがいまの日本の国なんで す」  2018年3月に国連の人権理事会にてスピーチをした彼女は、日本国憲法に書かれた「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生 存する権利」について触れた。フクシマは9条ではなく、この条文だけで充分だと思ったから。それはエネルギーの問題じゃない、経済の問題じゃない、環境の 問題じゃない、「人権の問題」なんだ、と。生命・身体への危険、それが共有されていないことがいちばんの問題なのだ、と。「安倍総理は“フクシマは完全に アンダーコントロールされている”と言ってオリンピックを招致したけど、ア ンダーコントロールされているのはわたしたちの言論ですよ。声をあげたら非国民と叩かれる」  「――避難の権利。逃げたいけどフクシマに残っている人は 胸が痛いんです。だれも安全だと思って残っているわけじゃない。夫の理解、家族の理解、嫁姑の関係、いろんな事情があって、逃 げられる人と逃げられない人がいる。わたしが関西へ母子避難すると決めたとき、仲の良かったママ友にそれを伝えた。恨まれるかと思ったけれど、彼女はわた しに「ありがとう」って言ったんです。「あなたが決断してくれることで、わたしはもしまたフクシマで何かあったらあなたを目指して逃げていけるから」と。 この国はどこまで不平等なんでしょうか!」 このエピソードを語ったときの森松さんは半泣きだったな。空也の口から飛び出す数珠つながりのちいさなほとけ たちのように間断なく吐き出される彼女の一言一言が眼裏に沁み、臓腑にすとんとすべりおちる。まるで0歳児用のおなじ形のパーツを組み合わせる知育玩具のように。 復興省は「2020年に原発事故避難民ゼロ」を目標として掲げているそうだ。全国で20万人を超える人々が現在も避難生活を続けているという。帰宅困難地 域を解除し、住宅支援を打ち切り、人々はばらばらに四散し、20万人は「見えなくなる」。「2020 年に原発事故避難民ゼロ」は見事達成されるんだろう、クソ野郎め。でも彼女は言っていた。おれはこの言葉を何度も胸の内で呪詛のように繰り返した。「手ば なしてはいけないものを手ばなそうとしているのが2020年、オリンピック」  そしてこの糞の国は完結する。不平等と、差別。言論はアンダーコントロー ルされ、いのちは軽んじられ、かつて百万人に数人だった子どもの甲状腺癌が200人を超えても「関連はない」と大人たちがしらを切り目をそらす国。でも大 丈夫さ、大晦日には馬鹿アーティストどもが能天気なお祭り騒ぎで歌って腐った果実のようなこの国を盛り上げてくれるからな。おれは文化会館を出て大宮通り の歩道を下って行った。もう誰の顔も見なかった。鉛のように重い臓腑からせりあがってくるのはただ冥い呪詛のようなことば。
2020.1.14

 

 

 

 

背中からの未来