020. 友川カズキが歌ったJR阪和線富木駅南一番踏切を訪ねる

背中からの未来

 

 

020. 友川カズキが歌ったJR阪和線富木駅南一番踏切を訪ねる

  JR阪和線富木(とのき)駅南一番踏切はいつか行かなければと思っていた。たまたま手にした友川カズキ「一人盆踊り」(ちくま文庫)にかれの弟の覚(さと る)が大阪行きの上りの回送電車に身を投げたときのことを書いていた。それを読んで、行かなくてはいけない、という気がした。

  車から降りるのももどかしく駆け込むと、花が飾られ線香けむる中に棺があった。 叔父さんは父母に気遣ってか、見なくてもいいんでは、という風に私にまず 見るように促した。 母は「見ねば信用でぎね」と、私のあとをついて来た。 「覚」であった。 顔は半分しかなく眼球も飛び出していたが、ほっぺたと鼻と 唇で確かに「覚」だと判った。 首から下の方はあまりにもバラバラでつなぎ合わせることもままならず、拾い集められたまま詰められていた。 みんなで泣い た。  母は今産み落とした赤子をあやすように「よしよし、よしよし」と何度も頬をさすり、覚をずっと慕っていた弟の友春は目を真っ赤にしながら口に酒を 含み口移しに覚へそれを浸していた。  ガンコで生前覚を叱ることしかできなかった父はハンケチをずっと目頭にあて低い声で「覚、覚」と何度も、何度も呼 び続けていた。 母が「覚、オラ方来たがらもう安心して逝げ、何も心配すな」と言った。 やがてゴオウという炎の音がし、「覚」は旅立った。


  生きている者はふわふわとさだめなく、とりとめがない。死んでしまった者は夏の陽射しに射抜かれた濃い影のように凛として動かない。残された者たちが何を 言おうともゆらぐことがない。わたしはだから、生きている者よりも死んでしまった者が好きなのかも知れない。及位覚(のぞき さとる)が日雇いをしながら 書いて蒸発したアパートの部屋に残されていた詩編をいくつか鞄に入れてきた。それらをほおずきのように口中にふくみながら、わたしは土曜日の昼のさびれた 富木駅南一番踏切にいた。そしてあの枕木に血に染まった頭髪が貼りつき、あの砂利石はそれをみていただろうか、などと考えていた。その間にもその日とおな じように電車の幾本かが駆け抜け、わたしは青い空をなんども見上げ、とりとめのない生者であるわが身をいぶかしんだ。後ろ髪をひかれるように富木駅南一番 踏切からとぼとぼと立ち去りながらわたしの頭にめぐっていたのはやっぱりあの「無残の美」の一節だ。「詩を書いた位では間に合わない / 淋しさが時とし て人間にはある / そこを抜け出ようと思えば思う程 / より深きモノに抱きすくめられるのもまたしかりだ」  詩がかれを呑み込んだのだが、かなしい 苦しい身もだえするような肉体は膨張してクジラの腹から飛び出したヨナのように弾けた。詩を書いた位では間に合わない淋しさとはなんだ。わたしはそれをど れだけ親しい人間よりもよく知っているような気がするのだ。あとはもうただひたすら歩くしかない。「詩を書いた位では間に合わない / 淋しさが時として 人間にはある / そこを抜け出ようと思えば思う程・・・ 」とつぶやきながら歩いた。踏切から西へ西へと歩き続けて、南海本線のガードをくぐったあた り、かつての行基の社会事業に従事した工人たちの子孫の集落でその行基の生誕の地なる碑をさがした。「宮前通」という標識のまま進んでいったらひっそりと 明るい高石神社に出た。その裏手、高師浜駅前で日露戦争の時代の広大な捕虜収容所がこのあたりにあったという説明版を読み、高師浜、伽羅橋、羽衣とワンマ ン電車にゆられて東羽衣からJRで鳳へ。三国ケ丘で泉北高速鉄道に乗り換えて光明池までやってきた。紅葉が目に映える広大な人工池のぐるりを歩きまわって 探したのは、戦前にこの池の造成工事に従事して死んだ朝鮮人労働者のための慰霊碑だった。工事完成後に元請けの大林組が慰霊碑を建てたのが後に四散してい たのを復した、という。ここでも死者たちはゆらがないゆらぎようがないこの国の不実な歴史に於いて。二時間近くさがしまわってすでに日は暮れかけていた。 駅前のスーパーで買ってきたカップ酒を石碑の前に置いた。そしてもう夕焼けがすっかり消えた薄暮の暗い池の水面をじっと眺めながら相変わらず「詩を書いた 位では間に合わない」が頭の中でぐるぐると呪文のように回転しているのをもう一人のわたしが見つめていた。もう一人のわたしはひょっとしたらすでに死んで しまったわたしであるのかも知れない。生者は死者のことを考える。生者は死者に見つめられてゆらぐ。ふわふわとさだめなく、とりとめがない。兄が弟に書い た、「おとうと / 死はあるか / 死よりも近く / 生はあるか」。  それは死んだ弟に書いたのだろうか。すでに死んだ弟では間に合わないか。生者 と死者のあわいはどこにあるだろうか。わたしたちは無数の死者たちに見つめられている。そしてときどきわたしたちはこっそりと入れ替わる。より深きモノに 抱きすくめられる。帰り道はすでに夜の闇だった。雑木林の暗闇をくぐった。生者はついに、死者たちには届かないかも知れない。それでも届けよと必死にその 手を暗闇のなかでのばし続けることが生きることかも知れない。

◆たかいしを歩く〜史跡ガイドマップ(PDF) http://www.city.takaishi.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/31/takaishiwoaruku2.pdf

2019.11.23

 

 

 

 

 

背中からの未来