015. 大阪・天満へ海南島近現代史研究会定例会に参加する

背中からの未来

 

 

015. 大阪・天満へ海南島近現代史研究会定例会に参加する


  休日、昼前からJR電車で環状線の天満駅へ。日本一長いといわれる天神橋筋商店街の入口でもあるが降りたとたん、梅田から近いのにすでに空気は鶴橋か生野 か京橋かブレードランナーの近未来都市スラムか、でじつにわたし好み。いいね、こりゃ。下調べをしていたグリーン・カレー専門店「メティ」。やけに人通り が多い駅からの狭いアーケード通路の前で待っていたら、やがてお店の女性が看板などをセッティングし始めて開店、11時半。入口の分厚いビニールのれんを くぐると、客席10人ほどの小さな店。ここでグリーン・カレー・ラーメン、790円。麺を食べ終わったら、ターメリック・ライスの換え飯100円を残りの スープに入れてリゾット風に。クリーミーでピリ辛。インゲンや茄子などの野菜もぴったり。お店の対応は少々クールだけど、こんどはつれあいを連れて再訪し たいな。

  食後はやはり駅近くの国労大阪会館へ。本日のメーン・ディッシュ、海南島近現代史研究会の「第21回定例研究会」の会場。参考まで、当日のプログラムを下 にあげておく。海南島は東シナ海北部に浮かぶ四国ほどの大きさの島で、現在は中華人民共和国海南省の大部を占める。紀州鉱山での朝鮮人強制労働を調べてい るうちに、おなじ石原産業(本社:大阪)がこの海南島で経営していた鉱山でも朝鮮半島からたくさんの人々が強制連行・強制労働させられ、多くの虐殺事件が あったことにたどり着いた研究会の方々が、それから毎年のように現地調査を行い、多くの資料にあたり、生存者が限りなく少ないなかで老人たちに聞き取りを 続けてきた。その地道な成果の定期報告会である。以上のような経緯から、会のメンバーはほとんど「紀州鉱山の真実を明らかにする会」とおなじようだ。昨年 の紀州鉱山の追悼会で挨拶をされていたおなじ顔ぶれが見える。ややこぶりの教室ほどのスペースで、参加者は総勢20名ほどといったところか。

 

 あそこ(海南島)に行って帰ってきたひとは何人もいない。いっしょに行った150人のほとんどが死んだ。揮発油を山の中のあちこちにもすごくたくさん積み上げた。見えないように、たくさん貯蔵してあった。(その仕事をしたのは)ぜんぶ韓国人だ。

  朝鮮人を殺すのをわたしたちに見せるんだ。地面を大きく掘った穴のまわりに殺す人間を座らせて、頭を下げさせる。日本人が日本刀で頸を切ると、のどのとこ ろが切られないでつながっていて、頸が落ちるその衝動で身体ごと、穴に落ちていった。犬死によりもひどかった。死体は、木と積み上げて揮発油をかけて燃や した。

(韓国KBS「海南島に埋められた朝鮮の魂」(1998年8月31日放送)より

 

  「日本が海南島でおこなったおびただしい侵略犯罪(住民虐殺、土地・資源の略奪、食料・家財・家畜のかっぱらい、軍体制奴隷、性暴力)は、日本の軍事占領 がもたらした偶発的で副次的効果ではなく、日本が海南島を軍事占領した目的そのものであった」という斉藤日出治さんの指摘は衝撃的だった。かれは1938 年に制定された「国家総動員法」は帝国日本内部だけでなく、アジアの占領地まで広げられていったと言う、「つまり、アジア全域の規模において、「国防目的 達成ノ為」「人的及物的資源ヲ」有効に「統制運用」する体制が整備されていく」 その後、「大本営」が発した「南方占領地行政実施要領」等の文書はその通 り、国防資源を略奪し、軍の自活のために必要な物資を現地で略奪し、現地の抵抗や不満があっても極力押さえ込め、と記している。それが「大東亜共栄圏自給 自足体制」の内実である。まさに「殺しつくす」「焼きつくす」「奪いつくす」ために、日本は軍を進めた。

  現地取材の中で「そんなことを聞いて、いまさらどうするんだ?」と詰問されたという佐藤正人さんの体験も印象的であった。向き合い、伝えていく責務がじぶ んたち日本人にはある、という言葉をかれはしぼり出す。トンネル工事に従事した朝鮮人が殺された三重県の木本事件、強制連行された多くの朝鮮人が死んだ紀 州鉱山、そしてこのいまだ全容すら明らかでない大虐殺の海南島。すべてのトンネルはつながっていて現在をつらぬいている、と佐藤さんは言う。同時に、10 年前頃から「証言者が(亡くなって)いなくなる」という恐怖を覚えながら、この10年を過ごしてきた、という言葉も重い。わたしたちはいま記憶の瀬戸際に 立っている。

  ゲストで招かれた、大正区で関西沖縄文庫を主催している金城薫さんの「琉球処分は続いている」と題した話も興味深かった。みずからの名前を「キンジョウ」 は日本読みであって、ほんとうはわたしの名前はカナグスクーなんです、それがわたしのほんとうの名前ですと紹介し、自己防衛とは外部に対して閉じることだ と、沖縄を表へ出すと差別されるとした世代に抗いながら、かつてこの国の求人に「朝鮮人、琉球人、おことわり」の張り紙があったという話、また金城さん自 身が少年時代を過ごした尼崎で沖縄の人々の集落と、在日朝鮮人、被差別部落のそれぞれの集落が隣接し、ときに混住していた話などを聞かせてくれた。「わた しはこういう活動をしていると、学者や活動家の方々と対談をしたり集会に招かれたりすることが多いけれど、いわゆる活動をされている方々とはどうしても馴 染めなかった過去がある。だからわたしは学者でも、活動家でもありません」と言う言葉を聞いて、好感を抱いたものだ。

  和歌山の海南市に住む主催者の一人でもある金靜美さんともお話しする機会を得たが会の進行の合間で、また終了後は懇親会の段取りなどもあり、途切れ途切れ の会話であった。わたしが国立国会図書館のデジタルアーカイブで見つけた「和歌山・在日朝鮮人の歴史 その1 解放前」について触れると、「あら、著作権 はどうなっているのかしらね」と返してから、「あれを書くのはとても苦労をした」と話してくれた。下津町に現在残っている朝鮮人部落についても、当時のこ とを知っている高齢者はおそらくもう誰もいないだろう、とのことであった。大崎にはよく行くが朝鮮人飯場のことは知らなかったと言い、わたしが持参したイ ラレで作成した現地調査の地図を興味深そうに見てくれた。彼女はわたしが送った手紙も読んだが今回の定例会の準備に追われていてと言い、また昨年の紀州鉱 山の追悼式に参加したときにフェイスブックに書いたものをわたしが会のメールアドレス宛に送ったのだが、「それも読んだけれど、どんな人か分からなかった ので」返事をしなかったと答えた。忙しそうだったので、個人のメールアドレスを書いた名刺も改めて頂いたし、「またあとでメールします」と言って会場を後 にしたのだった。

  報告がすべて終わり、最後に一人ひとりに回ってきたマイクを持ってわたしが話したのは、会のみなさんの高齢化、如何に若い世代に引き継いでいくかというこ とと、圧倒的多数の日本人が知らないこれらの研究成果を、枠を飛び越えて如何に広げていくか、ということが大事な課題ではないかと思うといった内容だっ た。大逆事件についても、朝鮮人強制連行についても、30年40年もの長きにわたって粘り強く調べ、ときに国家制度と闘い、顕彰と追悼を続けてきた人々の 熱意と努力にはほんとうに頭が下がる。時間と機会があれば、それらはいったい何に拠って立っているのかを、膝を交えてじっくりと聞きたいくらいだ。けれど も同時にわたしは、かれらの活動がまとっている微量な閉鎖性の匂いも嗅いでしまう。一方でわたし自身の交流性のなさも自覚する。今回も会の終了後に、わた しの後ろに座っていた男女が「(奈良県)橿原の部落解放同盟の者です」と挨拶をしてくれたり、年配の男性が携帯番号やメールアドレスを書いた紙(「ご飯 150g」「普通食」など印字された病院食のカードだった(^^) をくれたりしたが、わたしから連絡をすることはまずないだろう。わたしはたぶん、(性 格的にも)かれらのなかに入ってはいけないし、かれらにとってわたしはどこの馬の骨とも分からない人物であることも間違いない。出会えるとしたら「境界線 上」で、だろう。わたしは、そう認識している。

  会場で販売していた貴重な資料を二冊、購入した。ひとつは「紀州鉱山の真実を明らかなする会」が発行した「パトローネ特別号 海南島で日本は何をしたのか  虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争」なる小冊子(600円)である。小冊子とはいっても50ページの中に写真も豊富で海南島での歴史を一望するには ちょうどいい。もうひとつはゲストの金城さんたちが出版された「人類館 封印された扉」(演劇「人類館」上演を実現させたい会 アットワークス 2005 年/2200円)。 1903年(明治36年)、「大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」において、アイヌ・台湾高砂族(生蕃)・ 沖縄県(琉球人)・朝鮮(大韓帝国)・支那(清国)・インド・ジャワ・バルガリー(ベンガル)・トルコ・アフリカなど」のじっさいの人々を「展示した」、 いわゆる「人類館事件」についての450ページに及ぶ大部の本である。金城さんは「わたしたちはずっと「人類館事件」と教わってきたが、調べていくと当時 は「事件」ですらなかった、そのことが事件だ」と仰っていた。至言である。この人類館の写真や当時のポスターなどをわたしは偶然だがつい先ごろ、京都:東 本願寺のしんらん交流館ギャラリーの展示で見たばかりだった。いろいろなものが数珠つなぎに招ぎ寄せられる。

 

 紀 州鉱山の真実を明らかにする会が海南島における日本の侵略犯罪の「現地調査」を始めたのは1998年6月でした。2007年8月に創立された海南島近現代 史研究会は、この年9月〜11月に最初の海南島「現地調査」をおこないました。これは紀州鉱山の真実を明らかにする会としては14回目の「現地調査」でし た。2017年12月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては32回目、海南島近現代史研究会としては19回目の「現地調査」をおこないました。

 これまで20年間(1998年〜2017年)、わたしたちは、海南島で日本の侵略犯罪の実態を調査するとともに、海南島における抗日反日闘争の軌跡をたどってきました。

 アジア太平洋全域における国民国家日本の侵略犯罪を明らかにし抗日反日闘争の歴史を追究する実証的な民衆史の方法について話し合いたいと思います。

主題:日本の侵略犯罪・アジア太平洋民衆の抗日反日闘争

■報告 20年間(1998年〜2017年)、32回の海南島訪問の途上で 佐藤正人

■報告 琉球処分は続いている 関西沖縄文庫 金城馨

■報告 海南島に連行された朝鮮人と台湾人の歴史 金靜美

■報告 海南島における日本の侵略犯罪と「大東亜戦争」 斉藤日出治

■報告 極東国際軍事裁判文書に記録されている日本軍の海南島侵略犯罪 日置真理子

■報告 「ピースおおさか」の侵略の事実隠しに対抗する裁判闘争 竹本昇

■討論 国民国家の侵略犯罪と抗日反日闘争

 国民国家日本の歴史はアジア太平洋侵略の歴史でした。この時代は全世界的な規模でいまも終わっていません。海南島近現代史に内包されている世界近現代史における国民国家の侵略犯罪の全容をいかに明らかにしていくかについて話し合いたいと思います。

■調査報告 第19回海南島「現地調査」(2017年12月)   佐藤正人

  海口市新海地域、海口市三江镇上雲村・咸宜村・攀丹村、蘇民村・北会鋪村、澄邁県仁興鎮霊地村・仁坡村・石鼓村・嶺崙村、屯昌県烏坡鎮四角園・美華村・田 浩村、坡田村・尖石村・烏石坡村、屯昌県枫木鎮岑仔木村、瓊中黎族苗族自治県中平鎮報南村・土平村、五指山市南聖鎮文化市・什赤村、保亭黎族苗族自治県加 茂鎮・保城鎮・新政鎮番雅村、三亜市回新村、瓊海市中原鎮長仙村などでの証言を報告します。

■2018年3月の海南島近現代史研究会の20回目の海南島「現地調査」について

 

◆グリーンカレー専門店 メティ https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27059437/ 

◆海南島近現代史研究会 http://www.hainanshi.org/

◆関西沖縄文庫 http://okinawabunko.com/about/28.htm

◆第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『よみがえる人類館』 沖縄テレビ制作http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/13th/04-171.html 

◆アットワークス http://www.atworx.co.jp/works/pub/11.html 

 

2018.2.3



 

 

 

 

 

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