007. 大阪へ前田憲二監督の映画「東学甲午農民革命」を見にゆく

背中からの未来

 

 

■007. 大阪へ前田憲二監督の映画「東学甲午農民革命」を見にゆく


 

 前田憲二という名をはじめて見たのは、たしか大阪天満宮近くで行われた沖浦先生の講演会で配布されたチラシ(たぶん完成したばかりの「月 下の侵略者―文禄・慶長の役と「耳塚」)で、そういえば今回の「東学農民革命 唐辛子とライフル銃」製作にあたっての呼びかけ人の中にも故人として名前を 連ねている。へえ、こんな変わった(^^)ドキュメンタリーを撮っている人がいるんだと、そのとき脳裏にしっかり刻まれた。「月下の侵略者」は見る機会を 逸したがその後、「おきなわ戦の図 命どう宝」(前田プロ、1984)、「恨 芸能曼荼羅」(映像ハヌル、1996)の作品をヤフーオークションあたりで 中古のVHSで入手して見たり、また「渡来の現郷 白山・巫女・秦氏の謎を追って」(現代書館)などの本を読んだりして、ずっと近しい気持ちを抱いてい た。なんというか、正史に対する反逆、とでもいった姿勢か。正史からこぼれおちた無名のしかし魅惑的な人々の姿を、たどった足跡を、つむいだこころのあり 様を、神話や祭り、民俗、そしてフィールドワークによって丹念に拾いあるき、かれらを圧殺してきたなにか大きなものに抗いつづける。そこにいちばん惹かれ る。朝鮮半島との交流が深く、金大中大統領の自宅にも招かれ、2001年には韓国政府より玉冠文化勲章を授与された。だからたとえば、つい先日購入した 「韓国併合100年の現在」(東方出版)のあとがきでは以下のようにつぶやいたりする。

 わたしは昨年、長編記録映画「月 下の侵略者―文禄・慶長の役と「耳塚」」を完成させた。その折り、パソコンのブログには国賊、とっとと死ね、等々冷ややかな文字がすらりと並んだ。鬱陶し い思いのなかで、正面から歴史のあり方を見ることが、そんなに理不尽なことなのか。映画を徹して旅を重ね、漂泊をつづけるわたしには、その土地、その土地 に沈澱した陽炎や精鬼が実感できる。そんな想いが強い。

  「その土地、その土地に沈澱した陽炎や精鬼が実感できる」  そう、この人は自身が巫女 (ムーダン)であり、依代(よりしろ)であり、「その土地、その 土地に沈澱した陽炎や精鬼」たちの代弁者であるのだ。わたしはこの頃、中国はこの国の根であり、朝鮮半島はこの国の枝である、とあらためて思うようになっ てきた。では枝についた実はどこへ落ちたか? そもそも枝に実はついたのか?

  前田監督があたらしい作品を撮って、その上映会が京都と大阪で催されるというのをFB上で見かけ、チラシを印刷して机の横に貼っていた。「東学農民革命」 とははじめて聞くが日曜日、時間ができたので電車に乗って大阪へ出た。地下鉄の長堀橋駅から南へ交差点をふたつほど、早く着いてしまったのでしばらく会場 である大阪中央会館の周りを、大好きなスーパー玉出を含めてうろうろ歩き回っていたのだけれど、ひとつ裏手の通りに入ればハングルの表記が多く、自家製の キムチを売っている店などもある。このあたりも大阪のちょっとした“コリアン・タウン”なんだろうな。ちょっといい雰囲気。

  講演会の前にチマチョゴリ姿の姜錫子さんという歌手の方のピアノと打楽器をバックにした歌が四曲ほどあり、はじめの曲は東学農民の指導者で処刑された全琫 準(チョン・ボンジュン)を偲んで後の人々が口ずさんだという歌だったと思うが、わたしは後半のアリランっぽいような勢いのある曲がよかった。ちなみに全 琫準の歌の歌詞はこんなふうで、背が低く、頑強な体つきをしていた全琫準に付けられたあだ名が“緑豆将軍”だったことからきている。緑豆が全琫準、青舗は 緑豆で作った菓子、青舗売りは貧しい民衆。

鳥よ鳥よ 青い鳥よ
緑豆の畠に降り立つな
緑豆の花がホロホロ散れば
青舗売りが泣いて行く

 

  続いて登場した前田監督の、およそ一時間にわたるトークはじつに面白くて引き込まれた。のっけから「日本全国にある30万もの古墳に“日本人”は一人も 入っていない」 「日本書紀は朝鮮人が書いた」等々の挑発的な発言にふつうの日本人はおそらく仰天して、なんだこのヘンなことを言うジジイは・・と訝るか も知れないが、よくよく歴史をたどってみれば、古墳時代にはまだ「日本」というものは存在しなかったわけだし、日本書紀が書かれた奈良時代だっていわゆる 大和朝廷の勢力範囲は近畿地方を中心とした限定されたエリアでしかなかった。古墳や五重塔の作り方にしろいわゆる渡来人といわれる半島から渡ってきたひと たちに教えてもらったわけだし、この国の古い神社や祭りには前田監督風にいえば「新羅が隠れている」し、たとえば関東の方の地名にはアイヌの人々の言葉 だって残されている。つまりわたしたちは「日本人」だとか「朝鮮人」だとかいう以前に、まずニンゲンなんだと。はるか古代からニンゲンであったし、いまも ニンゲンだと。いや、ニンゲンになれ、と。そこには皇紀皇紀2600年だとかいう大上段に構えた出鱈目を突き抜けたすがすがしさと決意と誇りがある。かれ のすべての作品は、そのことに気づけ、と言っているような気がする。

  話のいちいちが刺激的で愉しく、わたしは手元のノートにあわてて書き殴りのメモをとり、あとで家に帰ってからそれをもとに調べものをしたり、本を注文した りとしたわけだけれど、中でもとくに印象的だったのは、たとえば映画を作成するに当たって「じぶんの作品には「意図」はない、証言を引き出すとそれが作品 になる」とか、現在問題になっている慰安婦の少女像については「撤去だとか言うこと自体が馬鹿げている。釜山とソウルには永久に堂々と置いておくべきだ」 とか、そして「いまの日本の状況はとても怖い」と前置きをした上で「(これからの時代は)日本人より、(朝鮮・韓国・日本が交じり合った)在日の人たちの 方が豊かな体験を持っている」となどといったあたりか。最後の発言は、会場を埋めた席のかなり多くを在日の人々が埋めていたこともあるのだが、全体的に日 本人が少なかったのはちょっとさみしい気がしたな。ちなみに「東学農民革命」のエンディングで延々と流れる協賛者の個人名も8割9割方は半島の人たちの名 前で、日本人の名前はほんのごくわずかだった。

 試みに「東学農民革命」を手元にある娘の高校の教科書から探してみる。明治維新を経て、大日本帝国憲法が発布された5年後、「日清戦争」と題された項目の冒頭だ。

  朝鮮では、日清両国の対立の中で、政治や経済が混乱したため、1894年(明治27年)、民間信仰をもとにした朝鮮の宗教、東学を信仰する団体を中心とし た農民が、朝鮮半島南部一帯で蜂起しました(甲午農民戦争)。かれらは、腐敗した役人の追放といった政治改革や、日本や欧米など外国人の排除をめざしまし た。

 この「甲午農民戦争」が東学農民革命のこと。ところがこの朝鮮での農民たちの蜂起についての記述はここで唐突に終わり、話は(メインの)日清戦争へと移る。

  朝鮮の政府が清に出兵を求めたのをきっかけに、日本は朝鮮に出兵し、8月に日清戦争が始まりました。日本は戦いを優勢に進めて勝利し、1895年4月、下 関条約が結ばれました。この講和条約で清は、@朝鮮の独立を認め、A遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本にゆずりわたし、B賠償金2億両(テール:当時の日本 円で約3億1000万円)を支払うことなどが決められました。

「新しい社会 歴史」(東京書籍)

 この教科書の文章をそのまま素直に読めば、東学農民革命は日本の朝鮮出兵のきっかけになっただけに過ぎず、出兵した日本は清と戦争をして勝利した、ということしか分からない。立ち上がった農民たちは、ではどうなったのか?

  事実はこうだ。朝鮮半島の各地で圧制と役人の腐敗に立ち上がった東学の徒を中心とした農民軍は悪い役人への処罰、不当な税の改善、外国商人の不法活動の禁 止などを要求し、いったんは朝鮮政府と和約したものの、直後に自国へ侵略してきた日本軍に対してふたたび立ち上がる。そのかれらに対して日本軍が出した命 令は「東学党に対する処置は厳烈なるを要す、向後悉(ことごと)く殺戮すべしと」(南部兵站監部陣中日誌)であった。竹槍や火縄銃、あるいは鋤や鎌、投石などで武装した農民軍に対して近代的な訓練と当時最新鋭だったライフルを持った日本軍は数万に及ぶ人々を文字通り「殺戮」し、その残党たちを最後は最南端の珍島まで追い詰めて皆殺しにしたのだった。以下は当時の陣中日誌などに日本軍の兵士たちが書き残した文字たち。

 我が隊は、西南方に追敵し、打殺せし者四十八名、負傷の生捕(いけどり)拾(十)名、しかして日没にあいなり、両隊共凱陣す。帰舎後、生捕は、拷問の上、焼殺せり。

 本日(一月三一日)東徒(東学農民軍)の残者、七名を捕え来り、これを城外の畑中に一列に並べ、銃に剣を着け、森田近通一等軍曹の号令にて、一斉の動作、これを突き殺せり、見物せし婦人及び統営兵等、驚愕最も甚し。

  当地(羅州)に着するや、(羅州城の)南門より四丁計り去る所に小き山有り、人骸累重、実に山を為せり ・・・彼の民兵、或は、我が隊兵に捕獲せられ、責 問の上、重罪人を殺し、日々拾二名以上、百三名に登り、依てこの所に屍(しかばね)を棄てし者、六百八十名に達せり、近方臭気強く、土地は白銀の如く、人 油結氷せり・・・

 また当時の新聞には、兄に宛てた一兵士のこんな手紙が掲載されていた。

  敵(農民軍)の近接するを待つ、敵は先を争ひ乱進、四百米突(メートル)に来れり(東西北の三方向)、我隊、始めて狙撃をなし、百発百中、実に愉快を覚へ たり、敵は烏合の土民なれば、恐怖の念を起こし、前進し来るもの無きに至れり(この日、三千四百余発を費消せり)・・・

  これがわたしたちの父、祖父たちの姿だ。軍事力をもって隣国を侵略してきた夷敵に対して国を守ろうと立ち上がった土地の人々を虫けらの如く無残に殺戮し尽 くしたのだった。東学農民側の死者は3万人とも5万人ともいわれ、これは日清戦争に於ける清国人の死者数よりも多い。そんなことはわたしたちが学校で習う 教科書には何も書かれていない。それもそのはずで、この東学農民革命に於ける日本軍の包囲殲滅作戦はその余りの残虐さからか当時の参謀本部が編纂した「明 治廿七八年日清戦史」では隠蔽され、唯一この戦いで出た日本側の戦死者の記録も改竄されていたのだった。

 この地方紙の調査から、先ほど見た後備第十九大隊の、ただ一人の戦死者の記事を、徳島県立図書館で見いだしました。「徳島日日新聞」は、阿波郡市香村大字香美(現、市場市香美)の杉野虎吉が、連山の戦いで、12月10日に戦死したことを報じていました。

  ところが、調べてみると、この連山の戦いの戦死者は、「靖国神社忠魂史」第1巻に記されていないのです。「靖国神社忠魂史」は、戦前1935年に、靖国神 社と陸海軍省が編纂したものです。同書巻末の人名索引で調べると、徳島の杉野虎吉は、「成歓の戦い」の初日である1894年7月29日の戦死者として記載 されているのでした。成歓の戦いは、朝鮮の東学農民軍との戦闘ではなくて、清国軍との緒戦でした。戦史の日付が、12月から7月に移され、戦闘場所も移さ れていたのです。

以上、「東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争」(高文研)より

 

 東学農民革命に参加した者たちの子孫は、朝鮮半島が日本の侵略から解放された後も長い間、時の権力に逆らった謀反者として差別され、虐げられてきた。そして日本軍によって殺された無名の農民たちの亡骸の多くは、墓標もない山河にいまも人知れず眠っている。前田憲二監督の「東学農民革命 唐辛子とライフル銃」はその慟哭の大地を移動し、「朝鮮の天と地、風とその中で聞こえる人の声」を集め、忘却のかなたに埋められようとしていた蠢動を現代に蘇らせる。

  わたしが痛切に思ったのは、近くて遠いこの隣国の歴史を、そしてわたしたちの国が彼の国へかつて為してきたことを、恥ずかしいほどに何も知らなかったとい うことだ。教えられもしなかったし、知ろうともしなかった。かつてこの列島にもたらされた古墳も、塔も、それらをつくる技術も、文物も、文字も、制度も、 宗教も、そして人も、その多くは朝鮮半島を経由してやってきた。中 国はこの国の根であり、朝鮮半島はこの国の枝である。豊かな実の成る枝だ。それなのにわたしたちは、こんなにも近しい隣国のことを何も知ろうともせず、逆 に過去の暗い歴史を隠蔽しようとしている。それで相手を理解することなど、できようはずもない。殺したこちらは忘れても、殺された側は幾世代にもわたって 忘れまい。引用した「東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争」の中で共著者の一人である井上勝生氏は記している。竹槍と火縄銃だけの東学農民たちは、弱 兵であったが、地の利、人の利を得ていた。欧化し近代的な武器(ライフル銃)と徴兵制による軍事訓練を受けていた日本軍は強かったが、「万人の恨み」を生 み出し続けた、と。

  朝鮮半島で悪政と侵略者に立ち向かった民衆たちを日本の軍隊が「実に愉快」と皆殺しにして、百年以上が経つ。殺された側はいまだ慟哭の百年であった。殺し た側はじつに隠蔽と忘却と無反省の百年であった。この百年の歴史を、わたしはこの頃、いつも考える。百年というのはひとつの大きな生き物のようなかたまり で、この国はもういちどその同じ百年を、ふたたびくり返そうとしているように思えて仕方がない。つまり、日本というこの国の正規の軍隊が、近代史において 他の民族に対してはじめて行ったジェノサイド(集団殺戮)が東学農民革命である。これが、はじまりだ。この国の近代のはじまりだ。ふたたびの百年を止めよ うと思うなら、わたしたちはまず「失われた百年」を正確に思い出す必要がある。たどりなおす責務がある。物言わぬ死者のためにも、慟哭する大地のために も。そのことをいちばん強く思う。

 

▼大阪Deep案内 / 島之内コリアンタウン http://osakadeep.info/shimanouchi/

▼映画「東学 - 甲午農民革命」上映委員会 https://www.facebook.com/donghagnongmin/ 

▼[インタビュー]「朝鮮の天と地、風とその中で聞こえる人の声が作った映画」 http://japan.hani.co.kr/arti/culture/25250.html

▼121年間さまよった東学軍指導者の遺骨、安息所見つけるか http://japanese.joins.com/article/113/195113.html?servcode=400&sectcode=400

▼日清戦争120年、東学農民戦争120年 〜ゆがめられた「歴史認識」 http://wajin.air-nifty.com/jcp/2014/08/120120-3c01.html

▼NPO法人ハヌルハウス http://blogs.yahoo.co.jp/hanulhouse5996 

▼韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭・特別招請作品「東学農民革命」(前田憲二監督)の上映会実現に向けてご支援下さい!!https://motion-gallery.net/projects/tougakunoumin 

▼"羅州(ナジュ)の土地は白く人間の脂で固まっていた" http://japan.hani.co.kr/arti/culture/15228.html 

2017.1.30

 


 

 

 

 

 

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