004. 大阪・天満教会に於ける大逆事件サミット2016に参加する

背中からの未来

 

 

■004. 大阪・天満教会に於ける大逆事件サミット2016に参加する


 

  はからずも、「大逆事件サミット」なるものの末席に参加させていただいた。場所は大阪、地下鉄・南森町駅より南へわずかに下った日本キリスト教団天満教 会。幸徳秋水らとともに刑場に散った菅野須賀子が洗礼を受けた教会であるという。そもそもこの「大逆事件サミット」なるものは「(大逆事件の)14都道府 県に散らばる26人の犠牲者の人権回復を連携して進めていく場に」と、それぞれ各地で顕彰活動や名誉回復のための活動をされてきた団体に参加を呼びかけて 2011年9月、幸徳秋水の古里である四万十市にて第1回が開催されたのがはじまりで、その後2014年に堺利彦の故郷・福岡県みやこ町で第2回が持た れ、今回が5年ぶりの第3回の開催となるらしい。「前回は垂れ幕から“事件”が抜けてしまい“大逆サミット”になっていて慌てましたが、今回は大丈夫のよ うですね」と笑いをとっていた方もいたが、集まられた150名近くの多くはおそらく60歳〜70歳代の方がメインで、わたしなどはほぼ確実に最年少の部類 に入るであろう。このシンポジウムのあとでホテルの会場にて親睦会がもたれ、翌日はフィールド・ワークで菅野須賀子などの足跡をたどられる予定らしい。犠 牲者たちの顔ぶれからして、おそらく共産党や旧社会党といった政党がらみの人々も多いのだろうと思われるが、この大政翼賛会めいた現在の状況からすればわ たしなどには失礼ながら百年をひっそりと生き延びたアンモナイトたちの秘密結社のようにも思われてしまう。同時によくよく見れば隣の長机で天を仰いで瞑目 しているおじさんなどは岩波文化人だったわたしの大好きだったいまは亡き伯父にその風貌が酷似していて、わたしはこのアンモナイトの秘密結社についつい親 近感を感じつつあるじぶんもまた同時に発見している。そして個人的にいえば“大逆サミット”でもいいのだろうと思う。わたしは老い先短い老人たちが日本を 変えるためにテロさえ辞さずと立ち上がる村上龍のしばらく前の小説を想起したりしたのだった。大逆事件は過去の思い出話じゃないぞ。しっかりといま(現 在)につながっている(しかも案外と逼迫している)。であれば、幸徳秋水の女性関係だとか籍を入れたの入れないのだの、そんなことはわたしにはどうでもよ い。愛しきアンモナイトたちよ、殻をやぶれ。あなたがたの地道な来歴はずぶりと現在に突き刺さるのか、それとも同窓会的酒宴の席に溶けて翌朝のホテルの小 便器に流れていってしまうものなのか。

  シンポジストの御三方はわたしは不勉強ながらはじめて知る人ばかりであったが、荒木伝さんは明治期の社会運動研究家としては関西では知る人ぞ知る方らし い。宍戸錠の父親といった風貌のご高齢の方で、荒畑寒村や瀬戸内寂聴さんとも面識が深いとも。井口智子さんは日本キリスト教団の河内松原教会の牧師さん で、同志社大学の修士論文では菅野須賀子とキリスト教について書かれたらしい。しかし、わたしがもっとも惹かれたのは三人目、ジャーナリストの田中伸尚さ んであった。笑うとどこか清志郎に似ている。清志郎がもっと長生きして白髪になったらこんなふうな笑顔を見せてくれたかも知れない、と思った。前半はその 田中氏の近著「飾らず、偽らず、欺かず 菅野須賀子と伊藤野枝」(岩波書店)の出版にまつわる軽めの話であったが後半、「「記憶の再生」と語りについて」 とレジメに書かれた項目についての話は短いものであったけれどわたしのこころを十分に引きつけた。氏は今回の著書を成すにあたって、菅野須賀子が牟婁新報 記者をしていた一時期に暮らした和歌山県田辺の町を当時の古い地図を手にして歩き回ったという。そうして「言い古されたことを、じぶんの足でじっさいに歩 くことによって、新しい発見があることがある。それをコピペしていくこと」。あるいは田辺からの船に須賀子と同乗して潮待ちの宿でいっしょに風呂に入った 10代の女性が残していた手紙が青森で発見されたエピソードを紹介して「そうしたささやかな思い出話によって、既成のイメージを少しづつ壊していくこと」  それがわたしにとっての「記憶の再生」なのだと話され、最後に、亡くなった戯作家の木下順二氏が書いた「沖縄」という作品のなかで登場人物が発する台 詞、「どうしてもとり返しのつかないことを、どうしてもとり返すために」。この台詞がすべてだ、と語った。わたしはこれらの話に全面的に同意・共感して、 直後の休憩時間に、当初は買うつもりのなかった(^^)著書を手に田中氏の机にならび、サインを頂いてきたのだった。(家に帰ってから改めてWebで調べ てみれば靖国、大逆事件、教育現場、不服従、著書のタイトルを並べただけでも何ともぴったりとわたし好みであることか。しかも不思議なことに、一冊も読ん でいなかった(笑) )

  当時の古い地図を片手に現在の上にマボロシの町を重ねてあるきまわり見えてくるもの、拾い上げるもの、あるいは思わずどこかからひらひらと落ち葉のように 舞い下りてくるもの。その土地をあるいて、風になぶられ、日にさらされ、路地裏に迷い込み、すえた家屋のにおいを嗅ぎ、荒れ狂う潮の流れを凝視し、そこか らせりあがってくるもの。地面の記憶がここを掘れ、おれたちを探し当てろ、と言ってくる。それがときとして観光案内版に鎮座して色あせた文字を破壊するこ ともある。もとの混沌へと、引きずり倒す。サミットのしめくくりは各地で活動されている方々の短い報告と挨拶だった。東京をはじめ、高知(四万十市)、岡 山(井原市)、長野(安曇野市)、広島、福岡(みやこ町)、大阪、和歌山(田辺市・新宮市・本宮町)、京都(丹波市)。加えて真宗大谷派から解放運動推進 本部の方、また臨済宗妙心派から人権課の方など、たくさんの人々がこの場に集い、つながっていることに軽い感動を覚えた。百年前に生きて、国家に殺された ものたちの見果てぬ思いが、いまもこれだけの人々の魂を動かし続けている。そして次回はまた数年後に新宮で開催することが発表され、最後に「大逆事件サ ミット大阪宣言」と題された宣言が読み上げられて(わたしも個人参加の名簿で署名させていただいた)、閉幕となった。会場の出口の箱に放りこんだアンケー ト用紙にわたしは「若い世代へ引き継ぐ工夫を」と書いた。シンポジウムやその後のシンポジストへの質問の中で「それはまたこの後の懇親会で、お酒を飲みな がら」といった言葉を何度か聞いたが、人間の自由のために命を賭して生き死んだものの記憶を現在に呼び起こすのであれば、この素晴らしいサミットもなかば 定年退職後の歌声喫茶室になりかけているのではないか。すでにここは限界集落なのではないか。廃村になる前にもっと外へ、さまざまな抑圧の場へ出て行くべ きではないか。たとえば洒落たカフェ・ランチのように「英国兵士の墓」とコーティングされた虐殺された朝鮮人墓地に、故郷から遠く離れた地でいまも忌避さ れている行商の被差別部落の人々の偽りの碑の前に、色あせた観光案内版の文字に反逆したいと叫んでいる記憶はいまも埋もれているはずだ。ホテルの懇親会会 場へと移動する和やかな人の波とともに路上に吐き出された。明日の礼拝の告知が目に入った、「暗闇に立たなければ」。 百年前に菅野須賀子はこの教会で何 を祈ったのだろう。「作家の井上ひさしは、小林多喜二を主人公にした『組曲虐殺』の中で、一人でも沈黙しなければ継承可能と書いている。絶望から希望へと 橋渡しをするのが、沈黙しない精神だ」(田中伸尚)  そのまままっすぐ家に帰る気になれなかったので、地下鉄に乗って西成へ移動した。いつもの「雲隆」 でお決まりの台湾ラーメンと焼き飯。店内はロシア語らしいアベック、単独の若者、そして日雇い労働者のおっちゃんたちが数名。いつものクールな日本語がた どたどしい女性がじきに運んでくる。厨房の男性が変わってから、ラーメンのわずかな具がさらに少なくなってチャーハンもぱらぱら感がなくなり味は落ちたけ れど、まあそんなことも含めてわたしはやっぱりここの台湾ラーメンのセットが関西でいちばん好きだ。 気取りのない、ストレートで、ときに猥雑 なこの場所が好きだ。そしてラーメンに浮かぶ黒く焼け焦げた唐辛子を箸でつつきながら、マボロシの田辺の町をあるく若き女性記者の軽やかなステップを夢想 した。

 

▼大逆事件サミット大阪宣言

  第1回「大逆事件サミット」は、2011年の「大逆事件100年」事業として、高知県四万十市で開催されました。2014年の福岡県みやこ町での第2回サ ミット、そして5年後の今年の日本キリスト教団天満教会での第3回サミットの開催、この5年の間に「大逆事件」の真実をあきらかにする活動、犠牲者にたい する名誉回復と顕彰の運動は、全国各地においてますます広がりをみせてきています。「大逆事件」の起点は、堺利彦と幸徳秋水を中心にした平民社の「非戦 論」の活動にありました。彼らは人類社会のめざすものとして「自由」「平等」「博愛」の理念を掲げ、政治的自由と参加のための「平民主義」、経済格差の解 消のための「社会主義」、戦争の禁絶と軍備の全廃をめざす「平和主義」を主張しました。そして、「人類」の一員としての自覚にたって、人種、宗教、性差 別、ナショナリズムの壁をこえる世界との連帯を探求しました。

  「大逆事件」は、そのような彼らの主張を圧殺するための明治政府による弾圧の極致でありました。その後の日本は、思想弾圧と海外侵略への道をひたすらに進 んでいきます。敗戦から71年、現在の日本政府は、憲法の平和主義を押し破り、基本的人権としての自由に介入し、社会的弱者を痛めつける政策をとり続けて います。この時にあたり、森近運平や菅野須賀子たちが、ここ大阪の地において活動した平民社の先駆的運動を思い起こし、あわせて「大逆事件」において犠牲 者となった、先の二人をはじめとして「大阪・神戸グループ」とよばれている岡本頴一郎、三浦安太郎、武田九平、岡林寅松、小松丑治らの名誉回復と顕彰とを はかることは、大いに意義あることと考えます。

 大阪での第3回「大逆事件サミット」の成功をとおして、「大逆事件」の犠牲者たちの名誉回復と顕彰運動がますます深化し拡大していき、人権弾圧と戦争のない世界を築いていくための力強い運動を継続していくことを宣言します。

2016年10月22日

参加団体(順不同)
・大逆事件の真実をあきらかする会(東京)
・幸徳秋水を顕彰する会(高知・四万十市)
・「大逆事件」の犠牲者を顕彰する会(和歌山・新宮市)
・本宮町「大逆事件」を語り継ぐ会(和歌山・本宮町)
・成石兄弟を語る会(田辺)
・森近運平を括る会(岡山・井原市)
・明科大逆事件を語り推ぐ会(長野・安曇野市)
・平出修研究会(東京)
・真宗大谷派解放運動推進本部(京都)
・臨済妙心寺派(京都)
・京都丹波岩崎革也研究会(京都)
・堺利彦・葉山嘉樹・鶴田知也の三人の偉業を顕彰する会(福岡・みやこ町)
・国際啄木学会(広島)
・「l00年の谺」上映委員会
・治安推持法犠牲者国家賠償要求同盟(大阪、岡山)
・菅野須賀子を顕彰し名誉回復を求める会(大阪)

 

▼高知新聞 (2011年9月25日)

大逆事件26人人権回復を 四万十市でサミット 8団体が全国連絡会議」

 幸徳秋水ら大逆事件犠牲者の名誉回復や顕彰活動の今後を考える「大逆事件サミット」が24日、四万十市右山五月町の市立中央公民館で開かれ、「大逆事件は国家による犯罪。いまだ十分な人権回復が行われていない現状を打破したい」とする「中村宣言」を承認した。

 幸徳秋水刑死100周年記念事業の一環で、実行委(委員長=田中全・四万十市長)が主催。「『大逆事件』犠牲者を顕彰する会」(和歌山県新宮市)や「森近運平を語る会」(岡山県井原市)など、犠牲者の顕彰活動を行う県内外の民間8団体や市民ら約100人が参加した。

  サミットでは、各団体がこれまでの活動を報告。今春、大阪市で結成された「『大逆事件』再審検討会」は、宮下太吉らが天皇暗殺を企て作ったとされる爆裂弾 の実証試験や供述調書の分析など再審の可能性を模索する活動を紹介。「熊本近代史研究会」は、事件に連座した新美卯一郎ら4人の名誉回復を、出身地の熊本 市など3市議会に求める請願活動を始めたことなどを発表した。

 その後、司会の山泉進・明治大学副学長=四万十市出身=が「事件の概要は研究が進み、明らかになってきた。これからは事件を人権問題として世界に発信できる方向に」として中村宣言を提案し、全会一致で承認。宣言を受け、今後連携して活動を進める全国連絡会議を結成した。

 「幸徳秋水を顕彰する会」(四万十市)の北沢保会長会長は「14都道府県に散らばる26人の犠牲者の人権回復を連携して進めていく場に」とサミットの継続を呼びかけ、賛同された。

http://tosanishikigyorin.blog47.fc2.com/blog-entry-571.html 

 

▼一人でも抵抗することの意味〜ノンフィクション作家・田中伸尚さん講演会

 9 月20日東京しごとセンターで、ノンフィクション作家・田中伸尚さん(写真)の講演会が開かれた。テーマは「なぜ<抵抗>を書き続けるか」。50名収容の セミナー室はほぼ満員の盛況だった。田中さんは今年三冊の著作『抵抗のモダンガール作曲家・吉田隆子』『未完の戦時下抵抗』『行動する預言者 崔昌華 ある在日韓国人牧師の生涯』を立て続けに出版した。どれも戦中・戦後、国家や権力に抵抗し続けた人々を追っている。「国家主義・レイシズムが蔓延するいま の日本で、どうしても書かなければならなかった」と田中さんは言う。

 講演は、かれの著作活動の原点となった「自衛官合祀拒否訴訟」と「日の丸・君が代」問題との出会いにそって行われた。その中で、ただ一人の抵抗の意味をどうとらえるかという問題提起があった。

  「従っても従わなくても同じ、全体の荷担状況は変わらないのではないかという逡巡や迷いは、もし抵抗する者がゼロになったらという問いのもとに違うものが 見えてくるはず、それは戦時下の抵抗とも重なる」と田中さん。日本陸軍兵士として中国戦線を二年間従軍しながら,人を殺すことを拒み続けた一人のキリスト 者・渡部良三の「抵抗」の意味が語られた。またパレスチナ人の文学研究者 E・サイードの、「いつもだれか一人は話を聞いてくれた。その一人が沈黙しなければ、私の訴えは成功なのです」という言葉も紹介された。

  最後に田中さんはこう語った。「<抵抗>を書き続けても、売れないし食えない。しかし戦後を生きる私たちには、アジアと日本の戦争被害者へのコベナント (誓約)を守る責任がある。その誓約とは“殺さない、殺されない、殺させない”ということで、それを文字化したのが日本国憲法だ。抵抗の事実を発掘し、伝 えるのはわたしの役目で、表現者としてのわたしができる抵抗だと思っている。作家の井上ひさしは、小林多喜二を主人公にした『組曲虐殺』の中で、一人でも 沈黙しなければ継承可能と書いている。絶望から希望へと橋渡しをするのが、沈黙しない精神だ」。

  主催は「河原井さん根津さんらの君が代解雇をさせない会」で、「君が代不起立」を続ける教員の田中聡史さんも参加した。2004年から始まる「君が代強 制」に対する抵抗の意義が、歴史的に照らし出される思いがした。市民の俳句排除から、朝日バッシングまで、言論・表現の自由が脅かされる毎日、後ろ向きに なりがちな気持ちに一筋の希望をもらった講演会だった。

http://www.labornetjp.org/news/2014/0920tanaka 

https://www.amazon.co.jp/%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E4%BC%B8%E5%B0%9A/e/B001I7HK4S (田中伸尚 on Amazon)

2016.10.22


 

 

 

 

 

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