002. 和歌山へ「彼の僧の娘 高代覚書」新宮公演を見にゆく

背中からの未来

 

 

■002. 和歌山へ「彼の僧の娘 高代覚書」新宮公演を見にゆく


 

  山へ行きたくなるのはおのれがばらばらになってしまいそうになるのをこらえるため。じぶんの足でもバイクでも車でも土地の山々の背骨を指でなぞるように。 2ヶ月前もそうだった。あの障害福祉施設での大量殺人事件が起きたとき、この国の社会は喫水線を超えてしまったのだ、と思った。じぶんでも説明のつかない 衝動にかられて夜更けに紀伊半島の背骨を狂ったようになぞった。十津川、本宮、北山、大台。背骨をたどり、すこしだけじぶんがまっとうさをとりもどせたよ うな心地になった。ナニ、何も変わっちゃあいないが。今回は高木顕明に会いに行ったのだ。天子さまの暗殺をくわだてた極悪人の高木顕明だ。秋田の骨も凍る 刑務所の独房でみずからを縊れてさみしく死んでいったあの高木顕明だ。高木顕明へ会うために新宮へひた走る。

  土曜。仕事から帰って家で夕食を済ませてからぼちぼちと出かけた。吉野から川上へ。下北山まで走ってきたらさすがに眠くなってきて、前回とおなじ前鬼のふ もとのスポーツ公園に車を入れて、車中泊とした。前回はやや窮屈だったが、今回は改良を加えている。フラットに倒した後部座席と助手席との隙間にキャ リー・バックをつっこんでシート・クッションを乗せれば身体をまっすぐに伸ばせるだけのスペースが確保できた。これでかなり快適になった。車中泊がいいの は、車を停めるスペースさえあればいつでも好きなときに仮眠が取れることだ。そのまま朝まで眠りをむさぼったっていい。ここまで来てどしゃ降りの雨が無数 の打楽器のように車の天井を叩く。山中の物の怪、魑魅魍魎たちもどこぞの岩穴に身を潜めてこの驟雨をやり過ごしている。じきに眠りに落ちた。

  6時半に目が覚めてふたたび走り出す。晴れ間がのぞき、山の緑は瑞々しく、川面はきらめいている。山という肉体から滲み出た水蒸気が憧れ出でた魂魄のよう に雲の切れ端になってそちこちに浮かんでいる。そこに虹が美しく架かっている。熊野市へ出た。海だ。海と富士山を見たときはいつも叫び声が出てしまう。花 の窟に立ち寄った。女陰(ほと)を焼かれて死んだ伊弉冊(イザナミ)を葬った場所として伝わるが、じっさいに立ってみて、古代の風葬の地だと確信した。中 央の窪みが女陰であるなら、まさに再生の場にふさわしい。熊野にはかつて風葬の習俗があったと読んだことがある。十津川で川に流した亡骸(なきがら)がい まの本宮大社旧社地の河原に流れついた。人々は河原の「丸くて白い石」をひとつ拾って持ち帰った。河原の「丸くて白い石」は禁忌(タブー)である。見れば 岩盤に穿たれた穴の底にはだれかが海岸で拾ってきたのだろう、「丸くて白い石」が供花のように投げ入れられている。その穴に、そっと頭(こうべ)を入れて みる。わたしは風葬された亡骸(なきがら)である。腐り、乾き、鳥についばまれ、きれいな白骨と変化する。ここにある穴という穴に亡骸(なきがら)を置い てみたら、穿った岩盤に生前の生人形と共に遺体を葬ったインドネシアのトラジャの墓の光景が浮かんでくる。黒潮をたどって、これもつながっているかも知れ ない。母なるものはいつも南から来る。海岸へ出て、わたしも「丸くて白い石」をいくつか拾ってポケットにしのばせた。

  新宮駅からつづく商店街が果てるあたりにあるオークワ(新宮発祥のGMS企業)の駐車場に車を入れて、FBフレンドの花田さんに電話を入れたら「速玉大社 の駐車場もまだ空いているようですよ〜」と仰るので移動することにした。ちょうど佐藤春夫記念館を出てこられらた花田さんと合流して「たぬきや」のカレー うどんとめはり寿司のお昼を食べてから、会場である熊野荘へ向かった。よく磨かれほどよい光沢を放っている階段を上がると二部屋と廊下を抜いた空間、佐藤 春夫の有名な詩「少年の日」を掲げた床の間を背にした“舞台”。相対する客席の座布団40〜50枚はほぼ埋まった。大きな、頭陀袋に涙をいっぱいつめたよ うな瞳をした高木顕明が立ち現れる。いや、すでにかれはここにはいない。ここにいない<非在>である高木顕明が、お父ちゃん、なんでうちをお いて死んでしまったの、だれがうちを救ってくれるの、と叫ぶ遺児の影となってふすま越しか天井裏かに手足をもがれた虫のごとく蠢いている。わたしたちはそ れをたしかに感じる。父が獄中で縊死をした後、寺を放逐され、芸者の置屋へ売られた娘・高代は、国家権力による永久監視のもと苦界という万力に身をきりき りと締められ続けながら、「弥陀は必ず万人を救う」と言っていた父の影を慕い、罵倒し、呪い、信じようともがき苦しむ。高代役の明樹由佳さん、作者である 三味線役の嶽本あゆ実さん、様々な男性の声を演じた間宮啓行さんのたった三人の舞台であったが、じつにすばらしかった。深夜の山道を三時間半ひた走った価 値は十二分にあった。この新宮で観るという重みが、違う。劇中で高代が晩年に辿りついた天理教の陽気暮らしの教え(神さんは「人間の陽気ぐらしするのを見 て共に楽しみたい」と思し召されて人間を創造した)が胃の腑にすとんと落ちたと言ったように、わたしの臓腑にもあの七里御浜の石ころのようにころがり落ち たのだった。

  サテ、いまは明治か平成か。ふらふらと黒潮の町にさまよい出たわたしたちはそれから、市内をいくつか巡り歩いた。おなじ大逆事件で死刑台の露と消えた大石 誠之助邸跡(石柱だけが道端にある)。そこからすぐ見渡せる熊野川の河口とだだっ広い河原。かつてこの権現河原には河原家(かわらや)と呼ばれる、川の氾 濫期にはすぐに解体して運べるように工夫された組立式の宿屋・鍛冶屋・散髪屋・銭湯・飲食店などで構成された「町」がひろがっていた。わたしの曾祖父は村 史によれば北山村の筏師の頭領であった。山から刈り出した木材を筏に組み、鉄砲水と共に下流まで運んだ。曾祖父は当時の河原家の風景も見たはずだ。そこで ときに散髪をしたり、家に持ち帰るみやげ物を買ったりしたことだろう。影である高木顕明を感じるように、わたしには曾祖父の操る筏がこの河原へ流れ着くさ まがたしかに見える。かつて高木顕明が住職として赴任し新宮周辺の被差別部落の人々と交わった浄土真宗の“エタ寺”浄泉寺は、いまや鉄筋コンクリート造り の古びた味気ない本堂だけで往時を偲ばせるものは桜の古木くらいだった。かれは訪ねていった部落の家で出されたお茶や粗食をはじめは、苦行のように無理や り喉に流し込んだという。そうした葛藤をすなおに苦悶していたかれに親しみを覚える。内なる弱さを認めるにんげんの顔がある。

  それからわたしたちは新宮市立図書館へ移動して、中上健次の資料収集室にあった晩年、かれが肉体を壊していた頃に参加できない熊野大学のお灯祭セミナーへ 向けたビデオレターのDVDを見せてもらった。やつれた背広姿の中上健次がそこで話し出したのは、かれがいまこころを寄せているという陶淵明の漢詩であっ た。おのれを形影神、つまり身体と影と精神の三つに分解してそれぞれに対話をさせるという「形影神」をみずからの現況の代弁として朗読した。

形贈影

  天地長不沒  天地 長へに沒せず
  山川無改時  山川 改むる時なし
  草木得常理  草木 常理を得て
  霜露榮悴之  霜露 之を榮悴せしむ
  謂人最靈智  人は最も靈智なると謂ふも
  獨復不如茲  獨り復た茲くの如からず
  適見在世中  適ま世の中に在ると見るも
  奄去靡歸期  奄ち去って歸期靡し
  奚覺無一人  奚んぞ覺らん一人無きを
  親識豈相思  親識も豈に相思はんや
  但餘平生物  但だ平生の物を餘せるのみ
  擧目情悽而  目を擧ぐれば情は悽而たり
  我無騰化術  我に騰化の術無ければ
  必爾不復疑  必ず爾らんこと復た疑はず
  願君取吾言  願はくは君吾が言を取り
  得酒莫苟辭  酒を得なば苟しくも辭するなかれ

天地自然は永久になくならない、山川も変わることはない、草木は自然の法則に従い、開いたりしぼんだりするものだ

人間は最も靈智な生き物とはいえ、特別な存在であるわけではない、たまたま世の中に生きているとはいえ、すぐに死に去って再び戻ることはない

いつの間にか一人がいなくなっても気づくものはおらず、親しいものとて、いつまでも偲んでくれるわけではない、後には生前使っていたものが残るのみだ、これを思えば人間とははかないものだ

人間には仙人のように不死の世界に舞い上がる術はないのだから、そうなるのは仕方のないことなのだ、だから君よ、私の言うことに耳を傾け、酒があらば決して辞退してはいけない

  かれはこのとき死、おのれの個としての消滅を意識していたのだと思う。非在の存在、といったことをかれは言った。言葉はその中心を渦のようにまわりながら 彷徨した。熊野とはなにか。熊野に暮らし続けている者が熊野を知っているわけではない。熊野とはなにかと問う、その問いによって輝くものが真の熊野であ る。問いがなければ、熊野もない。問い続けること。

  最後にわたしたちが訪ねたのは市のはずれにある南谷墓地だった。細長い谷筋を新旧の墓石が埋め尽くすこのあたりはかつてはかなり寂しい場所で、「神倉山の 天狗が遺体を盗みに来る」という言い伝えもあり、葬列は駆け足でここまでたどり着いたという。かつて20代のとき、あまりに早く往きすぎたこの作家の墓の 前でわたしは無謀にも「志はきっと継ぎますから」と祈ったのだった。まあ、気持ちはいまも変わらない。死後85年を経た1996年の復権後に建てられた高 木顕明の墓と顕彰碑は谷筋のいちばん奥、石段をすこしのぼった高みにひっそりとあった。手足をもがれえた非在の存在であるかれはこの町にもどってきていま 何を思うか。この顕彰碑がふたたび撤去される時代がまた来るのではないかと、わたしはふと思ったのだった。問い続けること。問い続けることによってのみ浮 かびあがり輝き出すもの。顕彰碑などは要らない。わたしたちが問い続けることによって、頭陀袋に涙をいっぱいつめたような瞳のひとりさびしく狂おしく縊れ た僧侶の非在は輝き続ける。そういうことではないか。最後に探しあてた大石誠之助の墓は尾根筋の日当たりのいい高台にあった。しかしこの誠之助の墓にして も建立は昭和20年代、戦後である。それまではおそらく墓など建てられなかった。逆徒とは、大辞泉にいわく「主君に背いて謀反を起こした者たち」である。 「主君」なんぞというものを人がいだき、おのれを託す限りは逆徒もまた発生し続けるということになる。逆徒とはじつは、問い続け、輝き出でることではない か。そろそろ日も翳ってきた。足元の谷筋には苔むした墓石たちが夕刻の、まだ湿ったぬるい南紀の風に嬲られている。わたしたちは墓を下った。

  速玉大社の駐車場で花田さんと別れた。はじめてお会いしたのに寸毫もそんな気がしなかったのはわたしが無遠慮だったからかも知れない。花田さんはいたずら 好きな少女のような人である。帰り道はおなじルートを引き返した。熊野市の国道沿いに忽然と現れた謎の台湾ラーメンの中華屋で夕飯を食べた頃にはあたりは もう真っ暗だった。がらんとした店内には若い父親が三人の幼子に食事をさせていた。馴染みの客らしく、子どもたちが残した唐揚げのために日本語がたどたど しい女性店員が持ち帰りの容器を渡してあげていた。店内は能舞台のように仄かに暗かった。暗い熊野灘の海にも別れを告げて、魑魅魍魎の山界へわけいってい く。北山村からのルートに合流する手前の集落のコンビニでホットコーヒーを買った。それから標高があがるにつれて雨がひどくなった。叩きつけるような雨で ワイパーを最速にしても視界が覚束ない。いまごろ町には灯りが氾濫してまだ大型のショッピングセンターも閉店前だが、人界の果てたこんな山中はいつも人知 れずこんな豪雨が降り続ける。闇と植物と息を潜めた動物たちと雨だけだ。とてもシンプルだが、無辺に深い。この雨が山に水を蓄える。水が生命を育む。とき に土砂となって命を奪う。暗闇の中のこまかいカーブの連続でさすがに神経が疲れる。行き交う車も殆どないので、ときどき意識がぼんやりとして道をはずれそ うになり、あわててハンドルを回す。川上村までもう一息という上北山の道の駅に車を入れて、すこしだけ仮眠を取ることにした。助手席を前に倒し、運転席か ら身体をするっと後ろへうつせばそのまま寝室だ。滝のような雨に打たれているこの小さな小さな箱の中の音を聴きながら眠りに落ちていく。じぶんがにんげん と物の怪のおぼろな境界でまどろんでいる、この感じがいい。

日産ノートの車内を真っ平らに http://58094028.at.webry.info/201506/article_2.html 

花の窟 http://www.hananoiwaya.jp/festival.html 

新宮のおすすめランチ15選  http://find-travel.jp/article/18237

非戦貫いた大谷派僧侶・高木顕明 遺品から新資料 http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/jijitenbyou/20150731-001.html 

「彼の僧の娘―高代覚書」新宮お披露目会と戻り公演 http://ameblo.jp/mementoc/entry-12190201795.html 

MementoC(Facebook) https://www.facebook.com/Mementoc/ 

筏師の歴史 http://site.murablo.jp/sightseeing/ikada/rekishi 

中上健次資料収集室 https://www.city.shingu.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=18848 

形影神(陶淵明:自己との対話) http://tao.hix05.com/204keieisin.html 

新宮歩楽歩楽(ぶらぶら)マップ http://www.city.shingu.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=30045#3_0 

南谷墓地 http://wakayamapr.ikora.tv/e776159.html

 

2016.9.5



 

 

 

 

 

 

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