116. 滋賀・湖西 galleryサラ 福山敬之 個展「静かな風景」

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■116. 滋賀・湖西 galleryサラ 福山敬之 個展「静かな風景」 (2022.6.18)





  
 
  画家に会ったのは近江鉄道の無人駅だった。それからかれはわたしを近くの、いまはもうない野神さんへ連れていってくれた。広い田圃のまんな かに風をあつめたような場所だった。数本の樹木とその足もとにころがった石ころがひとびとの心根だった。そんな場所を、わたしたちはそれからも二人で訪ねてま わった。閉鎖された被差別部落の資料室や、コレラ病屍火葬地をかかえもった黄檗宗の寺や、山の神や廃れてしまった神事の祭り場、あの世の風景のような道沿 いの埋め墓、古い街道筋を自転車ではしったり、里山のはたでムカゴを摘んだりもした。画家の一見何気ない風景画のすみずみに目を凝らすと、百年千年にわ たって吹き抜けた野神の風やその風に吹かれていた人びとの息遣いがつたわってくる。つまり、山川草木をスケッチしてあるくこの画家はいつか吹き抜けた風で あり、それを見るわたしたちは息遣いとなる。
(福山敬之個展「静かな風景」に寄せて)

2022.6.1

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 いつも、孕んでいるものは、何気ないものだ。草いきれで充ちた夏草のしげみ、木立のおくのぼんやりとした空間、影のはりついた足もとの地 面、殉教者たちのようにあるいはなんの意図もたくらみもなくひろげられからみあった枝や葉、古い伝承をたたえた水辺、マッチ棒のような電信柱、石と空。風 がわたっていく。どこにでもあるような場所だけれど、いま、ここにしかない。ひとが足をとめると、植物たちがざわめき、木立はひめごとを語り出し、水面は しんとはりつめる。いつも、孕んでいるものは、何気ないもので、何気ない場所だ。「小姓ヶ淵」と題された作品の前を、娘はながいことうごかなかった。画家 はもう5年ほど、この絵をいじりつづけていると云う。『日本書紀』による推古天皇27年(619年)4月のくだり、「蒲生河に物有り。その形人の如し」。 殺された「人の如し物」は、はたして異形の漂泊者であったか。ひとがふたたびあるきだすと、モノは息をひそめて、ひとの一挙手一投足を注視する。

※ galleryサラ 福山敬之展「静かな風景」
2022.6.18

 

 

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