109. 京都・烏丸御池 アップリンク京都 パトリシオ・グスマン監督「夢のアンデス」

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■109. 京都・烏丸御池 アップリンク京都 パトリシオ・グスマン監督「夢のアンデス」 (2021.10.28)





  
 

  1973年9月11日、チリ・軍事クーデター。世界で初めて選挙によって選出されたサルバドール・アジェンデの社会主義政権を、米国CIAの支援のも と、アウグスト・ピノチェトの指揮する軍部が武力で覆した。ピノチェト政権は左派をねこそぎ投獄し、3000人を超える市民が虐殺された。

クー デターがもたらしたものはそれだけではない。ピノチェトは世界で初めて、新自由主義に基づく経済の自由化を推し進めた。米経済学者のミルトン・フリードマ ンを中心に形成されたシカゴ学派の学者たち――いわゆる「シカゴボーイズ」が招かれ、経済政策の顧問団を形成した。新自由主義は、芸術、文化、健康、教育 すべてにおいて利益を追求すべきという利益最優先の価値観を人々にもたらした。結果、チリ社会は国民の間に激しい格差を生み、主要産業である銅の採掘は今 やほとんどを多国籍企業が担っている。

  亡命者であるパトリシオ・グスマン監督の「夢のアンデス」を烏丸御池のアップリンク京都のミニシアターで見た。冒頭、世界最長という美しいアンデス山脈が 延々と映し出される。ある人はそれをサンティアゴを世界から隔離する壁だと言い、またある人はサ ンティアゴを包み込んでくれる海のような存在だと言う。悠久のアンデスを映していたカメラはやがて岩々の割れ目、そこから噴き出すまっくろな噴煙に呑み込 まれていく。無防備な市民を軍隊が蹴散らし、放水し、弾を放ち、殴り、引きずり、家畜のように車両へ押し込めてどこかへ連れて行く。いまもこの世界のあち こちで続いている光景だ。なぜ、かれらは圧倒的な武器/暴力を所有しているのか。それがなければ、やつらの手からすべての武器をとりあげられたら、ただの 心をなくした、「地球を、芥垢と、饒舌でかきまはしている」(金子光晴)息の臭えあわれなおっとせいにすぎないのに。あの無慈悲で圧倒的な暴力が憎い。い ろいろなことをかんがえた。いろいろなことをかんがえさせる映画だった。死ぬことについて、生きのびることについて、暗喩や象徴、真実を写し出す手法につ いて、自然について。公式サイトのディレクターズ・ノートで監督は記している。「私の主題の中心であるこの巨大な山脈は、全てが失われたと思うとき、私に とっては不変のもの、私たちが残したもの、共に存在しているもののメタファー(隠喩)であったのです。コルディレラに飛び込むことで、私は自分の記憶にダ イブします。険しい山頂を入念に調べ、深い谷に踏み込む時、おそらく私は、私のチリの魂の秘密を部分的に垣間見る内省的な旅を始めるのです」  すべてを うしなったあとに、のこるものは何だろうか。人が人として回復するよすがになるものは? 落ちていくときに、じぶんといっしょに落ちているものにしがみつ いても何もならない。画面はふたたびアンデスの山脈へと還っていく。これはチリの歴史や文化だけの作品ではない。人間、宇宙、そして自然。大地は記憶を もっている。岩々の深い裂け目にうしなわれた魂の慟哭をたたえている。にんげんが取り戻しにくるのを待っている。「ずっと気づかなかったが、山々は歴史の 目撃者だ。 / サンティアゴの町で、人々は進むべき道を失っている。孤独と共にさまよっている。 / 山々の岩が話す言葉を理解できれば、失われた答え が分かるだろう」


2021.10.28

 

 

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