105. 大阪・十三 シアターセブン 「一人になる 医師小笠原登とハンセン病強制隔離政策」

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■105. 大阪・十三 シアターセブン 「一人になる 医師小笠原登とハンセン病強制隔離政策」 (2021.6.13)





  
 
  「一人になる 医師小笠原登とハンセン病強制隔離政策」を十三のシアターセブンで見る。癩病が不治の病で、遺伝であり、かつ強力な伝染病であるとうた われ、全国で強制隔離、強制労働、そして断種手術や解剖実験などが行われていた時代に、帝国京都大学の皮膚科特別研究室の医師であった小笠原は時代の趨勢 に抗い、癩病の感染力は弱く、治療は可能で、発病には生活環境や体質などの感染した個体の要因が大きいと主張し、学会やメディアからの激しい批判にさらさ れた。かれが生涯抗ったのは、いわゆる異物を排除する国家の強大な力であり思想であり制度であったのだが、かれは制度を憎んだわけではなく、その人権侵害 の根源である国家権力の破壊を望んだわけでもなく、制度のなかにあって己ができるだけのことを尽力した。患者を強制収容から逃すために病名を書かず、経済 的に余裕のない者は研究室の臨時雇いとして治療を続けた。のちに医学生が訪ねきて「癩病医療における信念」を訊かれたかれは、「平凡、ただその一語に尽き る」と答えた。平凡であろうとすることが、ときに孤立無援の「一人になる」ことであった。「一人になる」ということは、いかなる「立場」も持たずに目前の 人間と向き合うということであった。現代は平凡であることが難しい。だれもがいくつもの無用な「立場」をかかえて、己が何者であるか分からなくなってい る。「立場」をかかえたニセの「平凡」は、やがて腐るだろう。孤立無援の「一人になる」こととは、風にさらされていることでもあった。映画館を出て、淀川 をわたる十三大橋を徒歩でこえて、天神橋筋6丁目まであるいていった。長柄はかつて木賃宿、不良住宅、スラム(バラックや仮小屋)が立ち並ぶ密集地帯で あった。コレラ患者を受け入れた寺院があり、隣保館があり、内鮮協和会があり、戦後には罹災者・復員者・外地引揚者を受け入れる施設もあった。また大阪七 墓のひとつである長柄墓地があり、斎場もある。昨年だったか、長柄墓地に隣接する小学校に通っていたという人から焼場の匂いが教室まで流れてきて大変だっ たという話を聞いた。墓地の南側には赤線地帯があり、立ちん坊の女性が多くいたと聞いた。いまでは団地や高層マンションが立ち並ぶが、その合間にせまい路 地の行き交う住宅の密集地がかつての名残りをとどめている。都市を切り抜いたような人影のない広大な長柄墓地を、神婢と刻まれた明治時代のクリスチャンや 「大阪府看守長」の墓、「大阪帝国大學解體霊之碑」などを眺めながらあるいた。暑いほどの日差しの中で、あたかもじぶんの存在が陽炎であるかのような錯覚 にふらつく。地下鉄駅そば「天六うどん」で遅い昼を済ませ、それから人でにぎわう天神橋筋商店街を南下して扇町公園の草地に腰をおろし、ボトルの冷たい ハーブ茶で喉を癒し、リュックを枕にして身をたおして青空を眺めた。サッカーボールを蹴る親子、バトミントンに興じる女の子たちの笑い声。「一人になる」 ことを許さない世の中で来し方とそれほど残されてもいない行く末を茫洋と考えた。一人であることの風に吹かれていたい。

2021.6.13

 

 

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