089. 椿組2019年公演「かくも碧き海。風のように」をDVDで見る

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■089. 椿組2019年公演「かくも碧き海。風のように」をDVDで見る (2020.7.26)

 




  
 

 四連休といったものは滅多にないのだけれど、連日雨つづきでどこへも出られず、却って肉体がもどかしいまま魂がふらふらとただ宙を舞っているような具合 で過ぎた。その四連休の最終日の朝、新聞をめくるとコロナ禍の経済についてある京大教授が書いている。家や職をうしなったり店をつぶしたりして生身の人間が苦 しんでいる一方で、「金融やネットを通じたバーチャル世界では経済はじゅうぶんにまわっている」。戦争もまたマネーや株価のようなバーチャル世界であろう か、と考えた。目の前にあるわたしたちの日々の些事とはどこかべつの空間にあって生成し、けれどもわたしたちの日々の些事をじわじわと呑み込んでいく。と いうのも椿組による2019年の公演「かくも碧き海。風のように」(嶽本あゆ美脚本、藤井ごう演出)をDVDで見たのだった。二時間を超える長丁場だった が飽きさせない。若き堀田善衛を思わせる主人公が大学入学のために上京した翌日、二・二六事件が起きて首都に戒厳令が敷かれる。偶然出入りするようになっ た酒場から、演劇や詩人を目指す若者たち、マルクス主義による社会変革と文芸を結びつけようとするもの、思想犯として検挙され転向したもの、画家である夫 が検挙されたまま戻らぬマダム、そして浅草レビュー劇場の踊り子たちなどと出会う。おなじ舞台の上下左右で並列されるのが、1941(昭和16)年の太平 洋戦争、1943(昭和18)年の学徒動員、そしてかれら一人一人に迫りくる臨時招集令状だ。そのなかであるものは自死し、あるものは拷問を受け、あるも のは転向し、みずからを放逐する。「正義の国」を夢見た主人公もまた検挙され、ドサまわりの踊り子たちとともに暗い北の大地をたどる。つまりひとはみずか らのささやかな日常を、なにかもっと大きな存在によって蹂躙される。それは空間を横すべりしてくるような「金融やネットを通じたバーチャル世界」のような ものなのか。舞台の終盤近く、演劇を志していた友人がかれに、きみは「戦後」というものを考えられるか? と問う。現在は「戦中」で、だから「戦後」とは じぶんたちがいなくなったあと(死んだあと)の世界のことだ。そんな世界のことをきみは考えられるか? とかれは問うたのだ。それは スベテガ終ワッテ からの世界。主 人公が叫ぶ。そうなんだよ、ぼくらには「戦中」はあっても「戦後」はない!  戦後75年が経つ2020年はいまだ戦後なのかじつはすでに戦中なのではな いか。戦後ではなく戦中にいて見えない「戦後」のことを考えなければならないわたしたちは言葉も思考も価値観もいままでのものであっていいはずがない。「驚くべき夜」をまさに幾度も過ごしているわたしたちは。

2020.7.26

 

 

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