085. 葛城山に行基ゆかりの高宮廃寺跡を訪ねる

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■085. 葛城山に行基ゆかりの高宮廃寺跡を訪ねる (2020.1.4)

 




 

 
  葛木(古代でいう葛城・金剛の峰を云う)はいにしえの修験の山である。一方、行基は渡来系の父と母を出自に持つ。どちらも国家にとって“内なる他者”と云 える。それを「異能」と呼ぶ者もいる。もともと山は「異能」が巣食う場所だ。葛城の賀茂の出身である役小角は人々を言葉で惑わすとして流罪となった。行基 もまた「道路に乱れ出てみだりに罪福を説いて、家々を説教して回り、偽りの聖の道と称して人民を妖惑している」として国家の弾圧を受けた。高鴨神社にもほ ど近い御所の、五條市に接する西佐味の集落から金剛山山頂へ向かう小和(こわ)道はかれら修験の古道であった。その道筋、標高550メートルの森閑とした 山中に位置する高宮寺(現・高宮廃寺跡)には山林修行によって修験の法を修める僧たちがいた。「行基菩薩伝」によれば24歳の行基はここで高宮寺徳光禅師 より具足受戒した、とある。691年(持統天皇5年)のことである。「日本霊異記」(上巻第4)には百済の僧・円勢がこの高宮寺に住んでいたとの記述があ り、また「日本書紀」(神功皇后5年3月条)には葛城襲津彦が新羅から連れかえった捕虜が桑原・佐糜(さび)・高宮・忍海(おしみ)の葛城周辺の村の漢人 (あやひと)らの始祖であるという伝承を記している。葛木は「異能」の者たちであふれていた。わたしは、そのような地の山中で戒を受けた24歳の若き行基 に会いにいきたくなった。わたしも国家に抗う「異能」を授かりたいと思ったから。高宮廃寺跡はいまでは杉の植林にとりかこまれている。が、それがかえって 榛摺(はりずり)一色が天空を目指すような空間を成していて心地よい。往時の金堂の礎石である自然石が物言わぬ戒律のように列びたたずむそのしずかな場所 で、わたしは持ってきたインドの香を焚き、ながいことひとり坐していた。あるいはさらに古道を登った標高750メートルに位置する石寺で修業した僧たちの 山中のつましい墓石に挨拶をして思いを馳せた。ときおり鳥が枝を踏む音がまるでくさむらから熊が現れたかのように響くほど音がない。樹の間から射し込む陽 のあえかな温度まで実感できる。わたしはこのまま石になって落ち葉の衣をまとうだろうか。1300年前、青年だった行基はどんな目をしてこの山道をあるい たろうか。どんな表情で草を食み、乾いた落葉を踏み、水を呑んだか。亡きひとの墓の前で祈ったか。その後のかれがしたことはみずからを「境界」に置き、底辺の人びとと共に飽くなきこ の世の変革を望んだことだ。

◆巡礼の町石道 (小和道) http://enyatotto.com/mountain/kongouzan/owa/owa.htm

◆小和道(天ヶ滝旧道) http://www.kongozan.com/kongo/owa.html2020.1.4

 

 

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