079. 大阪・カフェ周(amane) 「海をわたる、うた 〜彼方から、ひびく音楽〜」

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■079. 大阪・カフェ周(amane) 「海をわたる、うた 〜彼方から、ひびく音楽〜」 (2019.6.2)

 




 
 土曜の夕方、うつぼ公園にも近い大阪ビジネス街ど真ん中雑居ビル3階のカフェ周(amane)は、さながら世界の純な“はぐれものたち”の秘密集会で あった。人類最古の文明とされるメソポタミア文明を生み出したティグリス川・ユーフラテス川を遡上すれば、かのノアの箱舟が漂着したアララト山を含む山岳 地帯へたどりつく。たとえばそのふもとにあるアルメニアは紀元301年に世界で初めてキリスト教を国教とした国であるが、その後、東から西からときどきの 大国の波にさらされて苦難の歴史をたどった。またたとえば「撒き散らされたもの」という意味のディアスポラ(ギリシア語: διασπορά、英語: Diaspora, diaspora)は、15世紀のころに古里を離れスペイン・ポルトガル・イタリアなどの南欧諸国や、トルコ、北アフリカなどへ流れていったユダヤの人々 の末裔である。ほんとうの音楽はそのような、急流がふいと深みに流れ込んで一瞬ゆるむような場所や境界の縁ですがたかたちを変えながら生きながらえ、思い とことばをついでいく。高野陽子さん(ヴォーカル・パンデイレタ)、熊澤洋子さん(ヴァイオリン)、きしもとタローさん(笛・ブズーキ)の三人が奏でる音 楽はまさにそんな風景であり、千年二千年を跳び越えていつのまにわたしはそんな見知らぬ異教の村をあるいていた。見知らぬ場所であるのだが、どこかなつか しい。きしもとタローさんがアルメニアの歴史を語り、古代と変わらぬような村とそこに暮らす人々を語るとき、わたしはああいつかビデオで見たグルジェフの 映画のワンシーンのような場所かも知れないと思う。岩と空、太陽、古代と秘教、楽器、音楽とダンス。(電動工具などの)余計な熱量を与えると楽器が死んで しまうと現在もハンドドリルで穴をあけて笛をつくる人々。うたはだれのものでもないという人々(著作権なんかいらない)。いわゆるフルートのようなヨー ロッパの正統派音楽の「純粋な音」だけの限定した楽器とは真逆の、モンゴルのホーミーのような「一連の倍音列からなる山」の連なる「ノイズ」を発する古 (いにしえ)からの楽器をだいじに継承している人々(「ナルニア国物語」が大好きでのちに教会で洗礼を受けた小学生の娘がその後「キリスト教は「ナルニア 国」に出てくるわたしの好きなものたちをみんな取り除いてしまった」と言って教会へ通わなくなったことを思い出す)。うたはだまって聴くものではなくてお どるためのもの。そのうたのなかでかなしみとよろこびはべつべつのものではない。そうしたうたをうたっておどる人々。わたしはいくど、ああ娘もつれてこれ たらよかったのになあ、この音楽を音楽がつたえるものをきかせてやりたかった、と残念に思ったことか知れない。彼女こそまさに正当な聴衆だった。娘はずっ とこの演奏会を愉しみにしていて、前の晩にはネイルをあたらしく塗って、当日の夕方もシャワーを浴びてじぶんでコーディネイトした服を着て髪を乾かすとこ ろまできてへたり込んだのだった(摘便と薬で調整している排便のコントロールがバッドタイミングでやってきた)。だからわたしは次々とくりひろげられる魅 力的な演奏を聴きながら、あたまのすみで常に大きな「非在」を感じざるを得なかった。ここにいないもの。それは娘と、数日前に無辜のこどもたちを無残にも 殺めてみずからも首にナイフを当て自死した「この世にいなかった」男の二人。「辺境とは、中心とは」を考えざるを得ない。「中心」にはなにがあるのか。あ らゆるものが満ちているといわれている「中心」には、しかしいまや空虚なあなぼこが横たわっているだけではないのか。ほんとうの中心は辺境に遍在するので はないか金剛遍照山川草木悉皆成仏のように。ひとは辺境へいかなければならない。わたしはずっとたぶん、「辺境と中心」、そして「非在」のことをかんがえ ながら三人の音楽を聴いていた。

◆高野陽子 YOKO TAKANO Official Web Site
http://takanoyoko.com/

◆熊澤洋子: Yoko Kumazawa's Web
https://violin-kuma.com/

◆TOP of きしもとタロー Kishimoto, Taro
http://taro.co.jp/

2019.6.2

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私たちはみな
死んでいる
生きているというのは
間違いなのだ
私たちは
みな
死んだ人の
夢なのだから

加藤典洋「たんぽぽ」

  先日ライブを聴いたきしもとタローさんがFBのTLにこんなコメントを寄せてくれた。 「先日、とても興味深い体験をした方に会いました。  ずっと訪れ たかった沖縄の集団自決の地を訪れた際、その場で命を絶ったある見知らぬ女性の人生経験の全て(生まれてから亡くなられる前までの経験)が、その場に立っ た瞬間に、バケツの水を頭からかけられたような衝撃と共に飛び込んできて、そしてその女性が死の一瞬に想い描いた「こういう人生も歩みたかったのに、とい う人生」 …それが何と、今の自分の人生とほぼ一致している、ということに気付かされたそうです。  不思議な体験ですね。」  ユングはかつて、「人が 夢を見るのではない。人は夢の中で見られるのだ。われわれは夢という過程を経るのであり、夢の対象なのだ」と記した。そういうことは、あっても不思議では ないと思うな、われわれがユングが言うような夢の対象なのだとしたら。そして先日亡くなった加藤典洋が書いたように「私たちは / みな / 死んだ人の  / 夢なのだ」としたら。夏の熱に晒されて見知らぬ墓地をさまよいあるくわたしは、おのれの夢の原型をさがしているのかも知れない。そしてわたしという 存在は充分に生きられずに死んでいった者が死に際の瞬間に見た夢なのかも知れない。わたしたちは死者の代わりを生きている。いや、死者たちの夢のつづきを 夢見ている。沖縄を訪ねたその人は、おのれの原型にもどっていったのだろう。ひとがたの蜜に群がっていたまっくろな蝿の群れが一斉に飛び立ち移動するよう に。そのとき、夢をみていたものも、夢それじしんであったものも、きっとたいした違いはない。つまり、いま、たまたまこの世にあるわたしたちは、死者たち の見果てぬ夢を生き切れば良い、ということになる。 わたしたちはみな、原型を夢みている憧れだ。

2019.6.13

 

 

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