075. 大阪・心斎橋MU 福山敬之 個展

体感する

 

 

■075. 大阪・心斎橋MU 福山敬之 個展 (2019.3.27)

 




 その画家とはじめて出会ったのは近江鉄道のちいさな無人駅のホームでだった。その日は一日、お椀を伏せたような太郎坊宮の頂きからなだらかな尾根筋を たっぷりと縦走して里へくだり、30分に1本の電車を逃したために近くの共同墓地で休んだのだが、そのときにFBにアップした写真をたよりに画家はやって きてくれたのだった。墓地の写真を見て会いにきてくれるひとを、わたしはかつて知らない。それから画家は、画の道具を積んだ軽トラックにわたしを乗せて田 圃のまんなかにある野神さんに案内してくれた。そこは心地よい風の通い路だ。風の又三郎だ。二人で満足顔で突っ立っていた。一月ほどして、わたしたち二人 はこんどは半日ほどかけて東近江のある集落をあるきまわった。そこは往古には「稲盗人等御座候へば打殺し、右野へ捨て置き候」という土地で、近世には皮革 産業が栄え、また村の中に屠場があった歴史をもつ村だった。かつての共同墓地は公園になっていた。共同浴場の跡、屠場の跡、くずれ落ちそうな路地裏の廃 屋、立派な八幡宮、用水路にかかる橋。そんなものを、まるで掌(てのひら)で影をすくいとるように二人であるきまわったのだった。それもたのしい時間だっ た。時間は垂直でもなく水平でもなく、そういう数学的な概念ではなくて、風や日だまりや草いきれのようにしずかにただ在って、かすかに光ったり、吐息のよ うに明滅したりしているのだった。けれど風景はたくらみもかかえている。裏庭の銀杏の実が宇宙の星々のようにまたたいている。駅前の店を閉じた印刷屋がか つてどこかの詩人がよんだ遠い国の遺失物係のカウンターのようにも見える。しろい光の充満に包囲された影が叛乱する。つまり、福山さんの絵はそういうもの だ。八風街道とよばれる古い街道筋のとおる水と田と山と池のひろがる土地と画家の作品は共謀していて油断ならない。

2019.3.27

 

 

体感する