065. イスラエルのスナイパーに射殺されたラザン・アルナジャーを悼む

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■065. イスラエルのスナイパーに射殺されたラザン・アルナジャーを悼む (2018.6.5)

 




  腐ったこの国のニュースはこれらを報じない。これが世界の中心であり、報じられないことがこの世界の在り様だ。「餓死する子供のいる場所を、世界の中心と するならば、もっと思考が戦闘化してもいいのではないか」という辺見庸の言葉を改めて想起する。「思考が戦闘化してもいい」とは腐った世界に対してもっと 暴力的になって構わないということだ。すべてぶち壊せということだ。怒りで身体中がふるえる。この怒りをどうしたらいい? 何だかんだと言いながら日常を ぬくぬくと生きている己を含めたすべてを激しく憎悪する。

 
◆イスラエルのスナイパー、救急隊員を射殺する
 
6月1日、金曜、ガザ地区のハーン・ユーニス市のちかくでおこなわれた「偉大なる帰還行進」プロテストにおいて、救急隊員としてボランティアをしていた21歳のナース、ラザン・アルナジャーがイスラエル軍のスナイパーに標的にされ、胸を撃ち抜かれて殺害された。
 
非暴力の抗議運動において、123人のパレスチナ人が殺害されている。負傷者はすでに7000人以上。この数は各病院の治療能力をはるかに超えているために、負傷者は感染症を併発し、手足を失ってきた。
 
同日、国連の安全保障委員会では、クウェートが提出したパレスチナ人の安全を守りイスラエルを非難する決議案が審議にかけられたが、合衆国の拒否権によって棄却された。
 
直後に、合衆国が提出したイスラエルを守りハマスを非難する決議案が審議された。しかし、常任理事国のなかでこの決議案に賛同する国はひとつもなかった。
 
ラザンはこれまでの救急活動において催涙弾によって二度気絶し、負傷した人に駆けよろうとして転倒し、手首を骨折したことがあった。

 

◆「唯一の武器は白衣」 パレスチナ人看護師、狙撃され死亡
https://www.cnn.co.jp/amp/article/35120230.html

◆イスラエルのスナイパー、救急隊員を射殺する
https://www.facebook.com/japaneseinmiddleeast/videos/2048096195438638/

◆ラザンの白衣
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10215078237923070&set=a.10203686050365501.1073741857.1044595660&type=3&theater

◆The 21 year old medic killed on the Gaza border
https://www.facebook.com/…/vb.6622931938/10155967368476939/

◆The martyr Razan El-Najjar , she killed by the Israeli occupation forces yesterday in Gaza Strip Palestine
https://www.facebook.com/mohamm5/videos/1257524004383359/

2018.6.5

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  まだ娘が幼かった頃、アメリカが「テロとの闘い」を掲げてアフガンの無辜の人々を殺戮していた頃、失業中だったわたしはいかに世界がひどいかということを 毎日のように語った。「あなたがアフガニスタンへ行きたかったら行ってきたらいいよ。わたしは紫乃と二人で待っているよ」とつれあいはまじめな顔で言っ た。いまから思えば、非現実的な与太話だと人は笑うだろう。「この白衣と神がわたしを守ってくれるからだいじょうぶ」 そう両親に言って苦しむ人々を助け に行った少女は、イスラエルのスナイパー(射撃手)の冷酷な餌食になった。白衣は無残にも彼女自身の赤い血に染まった。胸を撃たれて運ばれた診察台の上で あごを突き出し、はあはあと最後の息をする彼女の動画を見た。このどうにも取り返しのつかない悲劇が拡散し、オーデンが記したような「そこかしこで/光の アイロニックな粒が/どこであろうと、正しき者たちがそのメッセージを取り交わ」し、世界中で人々が声をあげ、立ち上がり、止めることのできない巨大なう ねりとなって地上を埋め尽くし、やがて無意味な争いが終わる。少女の墓には緑があふれ、世界中から人々が花を持ってやってくる。そしてみなが祈る。もう二 度とこんな愚考は繰り返さない、あなたのような人は出さない、だからどうか安らかに眠って欲しい、と。そんなことはこの世界では起こらない。ぜったいに起 こらない。ぜったいに。SNSは力のない人々の間にしか拡散しない。力のある人々は株価の変動を見ている。そしてレノンがかつて歌った「宗教やセックスや テレビ漬け」にされたその他大勢の“あわれな小作人ども(fucking peasants)”は通勤電車のつり革にぶらさがって Amazon の買い物リストを漁っている。あるいはスマホから流れてくる色とりどりの泡を両手で懸命にタップしている。だから世界は何も変わらない。わたしたちは忘れ る。悲憤の声をあげたところで、やがては日常の定期券や買い物リストや録画したテレビ番組や仕事のうち合わせやあたらしい靴などにかき消されていく。「あ なたがアフガニスタンへ行きたかったら行ってきたらいいよ。わたしは紫乃と二人で待っているよ」 そういうことは起きない。たとえわたしが妻子を残してパ レスチナへ行ったとしても、餌食が一匹増えるだけだ。わたしの間抜けな頭蓋骨をやつらは最新式のブルドーザーで踏み潰しておしまい。この乖離。絶望的な乖 離に、わたしたちの日常は耐えられる。21歳の看護師ラザン・アルナジャーはニュースの中の記事ですらない。文字の小さな小さなドットのひとつにもはや過 ぎない。そのドットを土足で踏みにじりながら、わたしたちのまあまあ小マシな日常が成立している。わたしたちはそれに耐えられる。人気店のチーズケーキを 頬張って笑うことができる。一方、ラザン・アルナジャーの世界は真っ暗だ。音のない暗闇。もはや粒子さえそよとも動かない、宇宙の熱的死のような完全な世 界だ。さよならも届かない。ラザン・アルナジャー、まだまだあなたのような人が死んでいくだろう。世界にはあなたのような人が無数に生み出されるから、来 年にはもうきっとたいていの人はあなたの名前すら口に出すこともないだろう。さようなら、さようなら。夜勤明けのおれは冷蔵庫の中のチーズケーキを頬張り ながら笑って忘れるよ。

2018.6.6

 

 

 

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