063. 天理・参考館 「大自然への敬意  北米先住民の伝統文化」

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■063. 天理・参考館 「大自然への敬意  北米先住民の伝統文化」 (2018.4.22)

 




  日曜。娘とかねてから話していた企画展「大自然への敬意  北米先住民の伝統文化」を天理参考館へ見に行った。ネイティブ・アメリカンの本はむかしから好 きでいろいろと読んできたが、今回はかれらの手によってつくられた生活道具や工芸品の品々、1世紀の土器の破片にはじまり、壺や皿、編みかご、ポーチ、靴 や胸当て、人形、そしてカヤックに至るまでのもろもろが学校の教室ほどのスペースに陳列されているのを、およそ二時間半をかけてつぶさに見て回った。わた しが特に惹かれたのは土器や皿に描かれたさまざまな文様だ。日本の縄文の時代の文様にいのちがあふれているように、北米先住民のときに幾何学的でユーモラ スな文様にも当然ながらかれらの「目に見えない世界への架け橋」が記されている。ひとつひとつをじっと見つめていると、その「世界をひらく秘密の言葉」が こちらにも伝わってくるような気がしてくる。そんな文様を身にまとった皿や器やカップというのはどうだろう?  たとえば20世紀中ごろにダコタ族によっ てつくられた、青いトルコ石のようなビーズと朱色の羽飾りでつくられたメディスン・バッグは「持ち主に力を与え、災いから守ってくれると信じられるものを 入れる」袋だ。そんなものがこの国に売っているか?  百円均一ショップの棚にでもころがっているか?  人がつくったものに用途を超えたもっと大事なな にかが託される。ものにはつくった人の魂がふきこまれ、生き物とおなじように呼吸もするし、ときにいのちとおなじものを宿すこともある。ぼくらのまわりは 薄っぺらで、貧相な、ニセモノばかりだ。こころが映らない。歌が反響しない。ああ、だからぼくらの心はいつまでたっても悲しみやわざわいでがちゃがちゃと 嫌な音を立てているんだよ。

2018.4.22

 

 

 

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