060. 京都・高島屋 「写真家 沢田教一展 −その視線の先に」

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■060. 京都・高島屋 「写真家 沢田教一展 −その視線の先に」 (2018.3.19)

 




  沢田教一という写真家をそれほど知っているわけでない。かれが青森の出身で寺山修二と同級生だったことも知らなかったし、アメリカ軍三沢基地内の写真屋で 知り合った11歳年上の女性と結婚したことも知らなかった。掘っ立て小屋がたちならぶ恐山の全景の写真がある。イタコの前で身をふるわせ涙をながす女がい る。賽の河原の石のほとけを熱心におがむ老女がいる。こどもをおっぱし荷物をかかえ、艀(はしけ)のような板の上をわたる若い母親がいる。こういう視線と 体温をもった人間が戦場へ行ったらどうなるのか。殺伐とした目、刺すような目、うつろな目、なぜかとはげしく問う目。これだけたくさんの尋常でない目にさ らされ続けたら、ひとの精神はたいていは、持たない。それらの無数の目が見返した、いまはいない沢田教一という不在の存在を、まるでおのれがもうひとりの 沢田教一であるかのように錯覚しながらひとつひとつの写真の前で受け止めているじぶんがいた。戦争が終わったあとの、廃墟のなかではあるが、取り戻しつつ ある子どもたちの笑顔はなんて愛らしいのだろう。見ているこちらまで思わず、笑みが伝播する。「戦場の写真を撮っても、最近は載せてくれるメディアが少な くなってきている。そんなふうに怒りを失いつつある世の中が逆に心配だ」 たしか、そんな石川文洋の言葉がどこかに添えられていた。展示されていたかれの 愛用のカメラ(ライカM3)はとても小さかった。肉薄しなければ撮れない写真だと、そのとき気がついた。弾丸や爆風の熱が頬に痛いほど感じるほどの距離 で。 (京都高島屋 25日まで)

◆「写真家 沢田教一展 −その視線の先に」京都高島屋で開催 https://digitalpr.jp/r/25672 

2018.3.19

 

 

 

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