059. 星野道夫、渥美清、金城実、ボブ・サム

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■059. 星野道夫、渥美清、金城実、ボブ・サム (2018.2.11)

 




 金曜の仕事中に喉の違和感を覚えて、土曜日は朝からコーヒーを淹れてリビングの扉の丁番部分を削って調 整したりしていた頃は普通だったのだけれど、娘と二人でお昼を食べてからひどい下痢をして、それからどうにも思わしくない。熱はあまりないようだけれど、 喉とときおりの鼻水、全身のけだるさ、そして胃がきりきりと痛む。そろそろ書いておかないと機を逸してしまうと、先日の海南島の定例会の模様を文章が雑に なるのは仕方ないとこの際割り切って書き上げ、それから娘に、お父さんはちょっとしんどいので横になろうと思うが、ちゃんとパジャマに着替えてベッドに入 るのと、テレビの部屋で炬燵に入って映画を見ているのとどちらがいいだろうか、と訊ねた。どっちでもいいんじゃない、と娘が興味なさそうに応えるので、い や違う。ベッドに入っていたら仕事から帰ってきたお母さんは驚いて「まあ、お父さん、大丈夫?」とやさしくしてくれるだろう。けれど炬燵に入って寝ていた ら、ぐうたらのように見えるだけだ。すると娘は軽いため息をついて、どっちでもお母さんは変わらないと思うよと言うので、変わらないんだったら炬燵に入っ て寝ておくわ、と父は階段を二階へのろのろとあがった。

 そうしてちょうどVHSの ビデオから内臓のHDDへ取り込んだ、最後のほうは何が入っているかも分からない画像をいくつか寝ころんで見たのだった。どれも10〜20年は経っている ものだ。いわく星野道夫の生涯をたどったNスペ、映像の20世紀の福岡、街道を往く・紀ノ川沿い、「男はつらいよ」の最終回ロケを取材したNスペ。ギド ン・クレーメル&アルヘリッチや、ベーム&ポリーニのモーツァルト、ポゴレリッチなどのステージも見た。最後はこれは比較的あたらしい、金城実の「沖縄を 叫ぶ」のETV特集。一気にずいぶんと見たものだ。もっともところどころ、うつらうつらとしていた部分もあった。一度、娘の中高時代の友人であったHちゃ んが出てくる夢を見た。Hちゃんは娘とおなじ演劇部で親友のようにふるまっていたが、じつは二面性のある女の子だった。そのHちゃんがこちらへやってき て、シノちゃんのお家で前に見せてもらった地層の表が学校と違うのはなぜだろう? 真顔で訊くのだった。わたしがそんな返答をしたのか覚えていないのだ が、Hちゃんが悩みを抱えているようだったので、過去のことは忘れてそれなりにちゃんとした説明をした。すこし離れたところにHちゃんのお母さんもいた が、こちらを避けているようだった。やっぱり、大人はだめだ、と思ったのを覚えている。

 

  アラスカの自然を旅していると、たとえ出合わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在 が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたなら、それは 何とつまらぬ自然なのだろう。(星野道夫)

  まずはこれだ。熊に食い殺された男が言っていたこんな言葉に慄然とする。だが、当たり前のことだ。わたしたちの方が、この当たり前を忘れている。

 

  そしてもうひとつ。こっそり抗がん剤を服用しながら挑んだ寅さん最後のロケで、どうして役者になったか? とNHKの若いスタッフに訊かれて渥美清はいつ ものあの含蓄あるしずかな笑みを浮かべてこう答えている。いろんな仕事をやって、「もう二度と来るな」と言われたことは何度もあるけど、結局、求められ たってことなんだろうねえ。役者をやって、はじめて必要とされた。

 

 これが三つ目。沖縄の抗う彫刻家の言葉。

  悲しみをのり越える方法のひとつに肝苦さ(ちむぐりさ「他人の痛みを自分の痛みとする意の沖縄言葉」)をくぐってきた者のみが勝ち得た「笑い」というのが ある。わが念仏、わが沖縄。人類普遍の文化である「笑い」をたぐっていくと、屈辱の日々をなめつくし、肝苦さをかいくぐってきた者たちが、限りなくにんげ んの優しさというやつに近づこうとしてはじかれていく。くるりと向きを変えた笑いが毒気をおびて逆転を狙う。まさにそのときである。にんげんに誇りが見え てくる。(金城実「神々の笑い」)

 

 これら三つの言葉がつきささり、体調不良のおぼろな空間のなかである種の化学反応を起こしている。

  星野道夫の番組で、喋るボブ・サムの映像を見れたのも感激だった。ボブ・サムのことは大昔から知っている。20代のころ、ネイティブ・インディアンには まっていて、一時は本気でかれらのネーションを訪ねようとも考えた。アラスカ先住民の指導者の家系に生まれたボブ・サムは若いころ、白人たちからの差別の ためにアルコールや薬物におぼれた。その後、毎晩のように頭蓋骨が蹴飛ばされ助けてと叫んでいる夢を見たことから出身地へ帰り、荒れ放題だった先祖たちの 墓をひとりでこつこつ修復しはじめた。10年の間、たった一人で。やがて墓地がきれいになっていくにつれて、住民たちが誇りを取り戻すようになった。ボ ブ・サムはそれを一人でやり遂げたのだ。この話はそのまま、金城実さんが大阪・住吉にある夜間学校で在日のオモニたちに彫刻を教えたことにもフィード・ バックする。最初はやる気のなかったオモニたちは渋々じぶんの母親の像をつくるうちに、いつのまにか母国語が飛び交い、熱を帯び、朝鮮人民族のアイディン ティティを取り戻していったという。そういうものがうつろな頭の中をぐるぐると回っている。

 わたしはボブ・サムになりたい。くだらない周囲のすべてを忘れて、毎日一人でだれとも会話することもなく、先祖たちの墓場の草を刈り、石を積み、土を運び、そして夕暮れには祈りを捧げて帰宅する。ニセモノでない、じぶんのいのちを見つけたい。

2018.2.11

 

 

 

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