057. 京都・東本願寺 「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ(人間・らしく・ある・人間) 北海道開拓・開教の歴史から問われること」

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■057. 京都・東本願寺 「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ(人間・らしく・ある・人間) 北海道開拓・開教の歴史から問われること」 (2017.12.29)

 




 師走のすき間に、京都・東本願寺の御影堂の太い柱にもたれてすわっていた。多くの人々が入れ代わり、内 陣の厨子に座した親鸞の像に手を合わせていくのを、ぼんやりと眺めていた。そして巨大な建造物と、組織と、宗門と、腐敗と、教えをひろめ維持していくに は、そうしたものもやはり必要かと考えていた。観光客らしい白人やアジア系のグループ、日本人の家族、若い友だち同士、恋人たち、そして単独で、みなお祈 りをして立ち去っていく。祈りとは、何だろうな。御影堂から廊下をわたって参拝接待所ギャラリーへ行ってみた。以前、大逆事件の展示パネルをしていたとこ ろだ。ちょうど「アイヌ・ネノ・アン・アイヌ(人間・らしく・ある・人間) 北海道開拓・開教の歴史から問われること」と題した企画が展示されていた。 「アイヌ民族は皇化に浴する日尚浅く、その知識の啓発が頗る低度なため」と記された「北海道旧土人保護法」。アイヌ民族が台湾や沖縄、樺太、他のアジアの 人々と見世物的に陳列・展示された大正時代の「拓殖博覧会」のポスター。優生学の一環としてアイヌの聖なる墓域を盗掘し、頭蓋骨をコレクションした北海道 大学の研究室の写真。その北海道大学の差別発言等に抗議して雪の中のキャンバスに座り込みをする在りし日の結城庄司氏の写真。明治初期に勅命を受けてアイ ヌ民族へ「物の哀れもしらぬ蝦夷人を済度したまわんとて」真宗大谷派の高僧が「御化導」する様子を描いた錦絵。そして1977年(昭和52年)、「東本願 寺が日本国家と共にアイヌモシリを侵略し、精神的奴隷化をすすめた」ことに対する抗議として「世界赤軍日本人部隊 闇の土蜘蛛」によって起きた東本願寺大 師堂爆破事件と、事件を「親鸞聖人の精神を喪失してきた宗門の歴史に対する、教法による批判と同じ重きをもつ」と受け止めた東本願寺側のその後の自己批判 の取り組みなど。どれも気易く通り過ぎるにはひたすら重い内容だ。そして前述のアイヌ解放運動家であった結城氏の子息である結城幸司氏によるいのちが交じ り合い、溶け合い、迫りくるような版画作品も魅了された。最後に売店で「アイヌ民族差別と大谷派教団 共なる世界を願って」なる冊子を買って出た。ほんの 小一時間ほどの滞在であったけれど、また重たい宿題をもらってしまったなあ。

 入口近くにあった知里幸恵「アイヌ神謡集」の序文がこころに沁みた。

 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.

  冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉 の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀さえずる小鳥と共に歌い暮して蕗ふきとり蓬よもぎ摘み,紅葉の秋は野分 に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝かがりも消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円まどかな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の 境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.

  太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.僅かに残る私たち同族は,進みゆく世のさまに ただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくら んで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持って いるのでしょう.

 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.

  時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来た ら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮あけくれ祈っている事で御座います.

 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.

 

◆参拝接待所ギャラリー展「アイヌ ネノ アン アイヌ(人間 らしく ある 人間)」
http://www.higashihonganji.or.jp/photo/22011/

◆連続放火・爆破事件の加藤氏が28年経て謝罪 http://riptulip.exblog.jp/1861519/

2017.12.29


 

 

 

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