056. 京都・堺町画廊 安藤榮作 展「LIFE」

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■056. 京都・堺町画廊 安藤榮作 展「LIFE」 (2017.12.8)

 




 きれいな波うちぎわで中腰になって水をすくった。京都の鰻の寝床のような町屋の奥の土蔵かと思ったら、 海だったんだな。しずかに寄せる波が透明な皮膜のようだった。なにかをつつんで守っている。小島かと思ったら、それは流れ着いた遺体の山だった。でもむご たらしくも、きたなくもない。きよめられてしずかにあつまっている。ひとりひとりをそっと手にとって、てのひらにのせて、さすったり、なでたり、抱いたり した。傷口がぱっくりとひらいている遺体もあった。片腕のもげた遺体もあった。こすれたちいさな無数の傷で全身がおおわれた遺体もあった。人形のように まっさらなきれいな遺体もあった。黒焦げの人もいたし、両足を投げ出して死んでいる人もいた。とうめいなかなしみがあった。処刑された隠れキリシタンの死 体であったり、関東大震災のときに殺された朝鮮人の遺骸であったり、南京の長江に浮かぶ無数の中国人であったり、あるいはシリアやパレスチナの子どもたち であったりした。一千人や一万人や百万人のいろんな数字が埋まっていた。ひとりひとりを手にとってはかえし、手にとってはかえししていると、足元の砂浜が くずれてずぶずぶと沈んでいきそうだった。壁のぐるりには墨かサインペンかを手斧でこまかく刻んだかのようなタッチで描かれた神話のような線画が広がって いた。やさしい傷のようだった。原発が爆発し、津波に呑まれ放射能の灰を浴びてうずくまった車の群れが最近娘の本で見たナウシカに出てくるオウム(王蟲) のように見えた。町は瘴気に覆われた腐海だった。けれどわたしのたっている足元はその腐海がおのれの毒によって浄化した砂浜だったのだ。そこは人の住まな い死者の世界だった。遺体の小山は川のながれのようにも見える。線画はどちらから始まってどちらへむかっていくのか、わたしには分からない。山の切れ目か ら覗いた福島の海だ。なだらかなひなびた山道だ。毒を浴びて、無数の傷を負って、直立しているものがある。暗い土蔵の長押(なげし)の上に円空のような木っ端仏がひそんでいる。天窓から胞子をのせた光がゆらゆらとおりてくる。京都の鰻の寝床のような町屋の奥の土蔵かと思ったら、海だったんだな。きれいな波うちぎわで中腰になって、おどろきながら、ゆらぎながらLIFE(いのち)をすくう。

(安藤榮作 展「LIFE」 京都市中京区堺町通御池下ル 堺町画廊)

2017.12.8


 

 

 

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