054. 西宮・ギャラリーSHIMA 榎並和春個展「旅の途中5」

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■054. 西宮・ギャラリーSHIMA 榎並和春個展「旅の途中5」 (2017.10.6)

 




 梅田で声優学校へ行く娘とわかれて、阪急電車へ乗る。大阪の人混みは久しい。すでに山に囲まれた松本の町が懐かしい。夙川駅でFBフレンドの花田さんと 合流。大逆事件に連座して縊れて死んだ高木顕明の芝居を共に新宮で観て以来だ。見ず知らずだった和歌山と奈良の人間がミステリー・スポットの如き新宮や神 戸で逢瀬する。おもしろい。花田さんは昨年、はるさんの個展会場をさがしてこのあたりを車で走り回り、結局、見つからずに帰ってしまったそうだ。ほんとう は画廊ではなく美味しいスイーツの店でも探していたに違いない。絵はときに、水菓子のようなものか。画家はいつものように細長い聖堂のような四角宇宙の空 間にいた。ヘンリー・ダーガーのように、クリント・イーストウッドのように。絵は壮大な生物化学歴史年表の上にちらばった記憶のようなものだ。古墳であっ たり、コロイド溶液であったり、壁塗であったり、三葉虫であったりする。中世のこの国の職能民に於いて散所法師である壁塗の一統はかつて陰陽師の家筋でも あった。「土を掘る」「土を泥練する」という工程はすべての自然物に宿る霊性と係わりが深かったから。三葉虫が跋扈していたおよそ5億2000万年前のカ ンブリア紀にして生物は「眼の誕生」を獲得した。絵はそのとき、そのカンブリア紀のひそやかな海底の砂のひと刷けだったかも知れない。折りしも松本滞在中 に監獄のようなホテルの部屋のテレビで北斎にまつわる番組をいくつか見た。お栄役の宮崎あおいがいなせだった。それで、絵を描く姿勢の話になったのだ。そ しておどろいたのは画家も江戸の絵師たちのように床に置いた絵に背をまるめて、ときにまたがって、ときにのっかって製作するという事実だった。絵はこのと き「異性」である。あるいは腕を固定するよりもさながら広角打法の安打製造機のバットのように、大きなふり幅と瞬間のうごきをキープできる方が描きやす い。絵はこのとき「啓示」である。気がつけば娘の年齢とおなじくらいの年月をこうして画家の絵を見つづけてきたことになるけれど、年を経るにしたがってす こしづつ、絵は俗になり、きらびやかな顔料を落剥させて、土にかえっていくような気がする。聖者をおいもとめたツァラトゥストラが町にくだり、水差しやサ ボテンや煙草入れなどにひそんでいる。それでもカンブリア紀の生まれたての生物のように獲得したばかりの眼をぎょろぎょろと動かして「はじめて見るもの」 をさがしている。絵はその軌跡であり、奇蹟であり、あるいはまた鬼籍でもある。「土を掘る」「土を泥練する」ものたちはなべてこの世とあの世のあわいに立 ち尽くす者だから。絵は、死んで土くれになるまで終わりがない。

( 西宮・ギャラリーSHIMAで榎並和春個展「旅の途中5」を見た )

2017.10.6


 



 

 

 

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