052. 高橋アキ Peter Garland: The Birthday Partyを聴く

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■052. 高橋アキ Peter Garland: The Birthday Partyを聴く (2017.6.4)

 





 高橋アキさま

 わたしがあなたの弾くピアノ全集とともにエリック・サティの音楽をさながらしゃれたスカーフのようにまとっていたのは20代の頃でした。しゃれたそのス カーフはときにユーモラスな手品の道具になったり、辛辣さを包みかくす風呂敷になったり、そしてときに魔法の杖や謎めいた蛇に変わったり、また厳かで純朴 な聖句を記した当て布になったりしました。そうしたサティの音楽のふるまいをまねて、わたしはどうにか難儀な20代をとおりぬけたのです。今回、あなたの あたらしいCD(Peter Garland: The Birthday Party)をひさしぶりに聴いたとき、あの頃とおなじような風を感じました。Peter Garland という作曲家を残念ながらわたしはよく知らないし、英文のライナーノーツを充分に読めるほどの語学力もないのでこのアルバムがどんなコンセプトのもとにつ くられたのかも分からないのですが、とにかくはじめて聴いたとき、木槌のような音だ、と思ったのです。それも山奥のしずかな自然のなかで、ひとつひとつの 作業をとてもていねいに、こころを込めてたたいていく木槌の音です。大仰な身振りからとおくはなれた、等身大のつましく、ちからづよい響きです。それがま るでかの宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」のように、周囲の生き物や自然と呼応しあっているのです。こつこつと小さな音のときは、きっと窓枠やドアのかざ りの部分を造作しているのだろうと思います。ちからづよい足踏みのような音のときには、棟上が近いのかもしれないと空想します。ここ数日間というもの、満 員の通勤電車のなかでわたしはこの音楽をイヤホンで聴きながら、正しい呼気や吸気のように音楽がこころを整えるような心地を覚えました。この困難な時代に あって、人間がもし歴史をやりなおせるのであれば、こういう場所へもどっていかなくてはいけないと思ったのです。もどっていくと言いながら、森のなかにあ たらしい小路をひとつこしらえるような、そんな密かな愉しみなのですが。

2017.6.4


 


 



 

 

 

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