051. 京都・ギャラリー三条祇園 「今尾栄仁 個展」

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■051. 京都・ギャラリー三条祇園 「今尾栄仁 個展」 (2017.5.17)

 





 五木寛之の「風の王国」に魅せられていた頃、吉野の山深くで 若い白装束の行者とすれ違ったことがあった。わたしはひとりで、水分神社あたりから吉野山へもどろうとしていた。行者は反対に吉野の奥をめざしていた。風 のようにすれ違い、ふっとうしろを振り向いたらもう、見晴らしのいい尾根道のずっと先を駆けていた。あとで大峯千日回峰の行者だと知った。たしか比叡山の 回峰行の阿闍梨だったと思うが、何かの本のなかで、毎日毎日山道を歩いていると目をつむっていても地面の石ころひとつひとつの場所も手にとるように覚えて いる、と喋っていた。今尾さんの絵は、そうした無数の石ころで成り立っている。石ころのひとつひとつがころがって森と成り、はねあがって水と成り、わきあ がって雲と成り、ちらばって光と成る。それらが共鳴して、まじりあって、とけあってキャンバスの上で大きな自然(ネイチャー)の心像をむすぶ。キャンバス の上のそうしたすべての石ころは画家が実際にかつて手にしたり、踏んづけたり、転がしたりした石ころなのだ。つまり、修行中の阿闍梨が目をつむっていても 見えると言った石ころによる曼荼羅だ。その曼荼羅が描く心像風景によって、わたしたちはじぶんを閉ざしている皮膚と世界との境界をするどいサヌカイトの石 のナイフで裂かれたような感覚を喚起させられる。はだかで原始の山塊深くへ分け入っていくときによみがえってくる強烈で愛おしい同時にぴんと張ったほそい 一本の糸のような身体感覚だ。二上の霧の向こうから、風のケンシたちがたちあがる。

( 京都のギャラリー三条祇園で「今尾栄仁個展」を見た )

2017.5.17


 


 



 

 

 

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