038. 奈良・春日大社 「お旅所祭」

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■038. 奈良・春日大社 「お旅所祭」 (2015.12.18)

 






 

 下から、靴下を二枚重ね、ヒートテックのボクサー・パンツ、ヒートテックのアンダー(下)、ジーパン、ヒートテックのアンダー(上)を二枚重ね、セー ターを二枚重ね、ポケッタブル・パーカー、ダウンジャケット。これだけ装着して着膨れした森のプーさんのごときいでたちにて、前日のUSJに続いて、昨日 は春日大社の若宮おん祭りの神事であるお旅所祭りを拝観した。お旅所祭りについては7年前、はじめて見たときの記述がある。ほぼおなじ内容なので、一部を ここに引いておく。

 「お 旅所祭」は神遊(かみあそび)とも謂い、もろもろの芸を人間が舞い、歌い、演奏し、神さまに愉しんでもらう一夜だ。午後3時半頃、春日大社の巫女たちが 「しずしずと舞う」神楽からこのスペシャル・ショーはスタートする。このあたりは雅(みやび)すぎて、不粋なわたしには少々退屈だ。わずかに、白拍子やア ルキ巫女といった春もひさいだだろう漂泊者たちを連想し、「神秘を宿した女たちをものにしたいという欲望が、古代の男たちにもあったろうな」と思ったくら いだ。続いて東国の風俗舞といわれる「東遊(あずまあそび)」。そして猿楽とも縁が深く、世阿弥が12歳の折にこのおん祭で見て感服したといわれる「田 楽」と続く。わたしが最も感じ入ったのは、その後の「細男(せいのお)」と「神楽式」である。細男は筑紫の浜で海中から現れた磯良という神が舞ったとされ る。そのとき顔面に貝殻が附着していたので、顔を布で覆って舞ったのだ。磯良は海人系の阿曇氏の祖神とも伝わり、また傀儡やその後の人形浄瑠璃のルーツと もいえる夷舁(えびすかき)とも深いかかわりがある。白い浄衣を身にまとい、目の下からやはり白布を垂らして退きながらしずかに単調に拝舞を繰り返す舞は やはり独特の不思議さ、仄暗い謎を秘めた威厳がある。面をつけない略式の翁舞「神楽式」を舞うのは、6世紀後半に活躍した秦河勝を遠祖とし、大和猿楽の源 流を伝える金春流の能楽者だ。これも厳かな佇まいとストイックな所作が、何か心根に響くものが多分にあった。翁というのは宇宙との合一を司る象徴であると いう話を以前にどこかで読んだ記憶がある。風俗舞のひとつである「和舞(やまとまい)」を経て、「舞楽」へと移る。約3時間が経過した。舞楽は飛鳥時代頃 より朝鮮半島や中国大陸から伝わったもので、いわばオリエンタリズムの芸である。原色のきらびやかな装束や仮面、鉾等が目を惹くが、「細男」や「神楽式」 のような、彫琢された厳かさがない。「振鉾三節」「萬歳楽」「延喜楽」と三つほど見て、退屈になってきた。半身雨に濡れた身体も、そろそろ寒さがこたえて きた。午後7時頃、まだ宴たけなわのお旅所を後にした。暗い芝生の中を抜けて登大路へ出ると、テキ屋の男女が歩道につけたトラックに屋台を仕舞いこんでい るところだった。車のナンバーを見れば「北九州」の文字。かれらもまた神遊の端役たちである。

若宮神社とおん祭 http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/wakamiya.html

おん祭 〜雅楽を中心として〜 http://www.cam.hi-ho.ne.jp/nobuchi/onmaturi.htm

海人と俳優(わざおぎ) http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ama-wazaogi.htm

能・金春流 http://homepage2.nifty.com/komparu

(2008.12.17  ゴムログ60より)

 7年前のこの文章をあらためて再読すると、今回もほとんど変わりない感想であることに驚く。「細男(せいのお)」と「神楽式」(三番叟)。なぜだか分か らないが、わたしを強烈に惹きつけるのはこの二つだけで、あとは楚々とした白拍子も、きらびやかな装束や異国風の仮面に彩られた舞いも、奈良観光に来て大 仏旅館あたりに泊まった者が宿の女将さんにおしえられて覗きに来て、奈良もちょいといい風情だな、と思うくらいのものでしかない。

 前回はたしか、お旅所のぐるりを囲んだ鉄柵のあたりから終始眺めていたような記憶があるのだが、今回は保存会の入会者の人びとが幕つきの席に誘導された 後、木の柵とロープで仕切った大太鼓の前あたりまで一般の人へも開放されて、7年前に比べるとずいぶんと間近になった。

 「細男(せいのお)」は不思議な舞だ。神秘に満ちているが、ぼんやりとした提灯に照らされた草葺の行宮(あんぐう)の前でかれらが舞っているのを見てい ると、何やら、カミとひとがコミカルに語り合い、互いにころころと笑い合っているような、そんなふうにも見える。わたしは、これはカミとひととの原初の交 わり方なのではないか、と思ったりした。厳かな暗がりの中に、ユーモアの気配がある。

 能の根幹である三番叟は一般には「祀り」や「コトホギ」を表現しているといわれるが、古くは鎮魂の儀式であったという説もある。つまり翁とは、魂鎮(た ましず)めの所作であるのだ。魂を鎮め、地の霊を鎮める。わたしは暗がりの中でゆったりとうごく手足の一挙一動が、なにか原初のカミとの交感を顕している ように思えるのだ。藝能とは、そのような場所から発生した。

 そして赤や青の彩色された装束に身をまとった舞楽が始まると、わたしのトーンが途端に下がり始めてしまう。7年前もそうであったし、今回も不思議とそう だった。きらびやかで映えるといえばこちらの方が映えて見栄えもするわけだが、何やら権力とか接待とか、国体の誇示とか欲だとかあれこれが、透けて見えて しまってだめなんだな。「細男(せいのお)」と「神楽式」(三番叟)のふたつだけ。わたしは、そのふたつだけでいい。

 午後の3時過ぎから見始めて、8時過ぎまでいたから、7年前よりは長時間いたことになる。舞楽に入ってからは、「細男(せいのお)」や「神楽式」(三番 叟)のように食い入るように凝視するというのでなく、ぶらぶらと場所を変え、近くから、離れて、草葺の行宮(あんぐう)の前のかがり火に照らされた素朴な 土のステージの上でニンゲンがカミへの思いを伝えるための藝能を繰り広げていた、そんなひそやかな太古の場面を想起したりしていたのが愉しかった。

2015.12.18

 

 

 



 

 

 

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