033. 京都・四条河原町【戦争法案に反対する金曜街宣アピール】

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■033. 京都・四条河原町【戦争法案に反対する金曜街宣アピール】 (2015.7.25)

 






 

 7月24日、金曜。仕事を終えたその足で、京都・四条河原町で予定されている SEALDs KANSAI 主催の【戦争法案に反対する金曜街宣アピール】に行くことにした。京阪電車に乗って、祇園四条で下車する。地上に出て、鴨川沿いの出雲阿国の像をちらと仰 ぎ、彼女ならこの時代にどんな踊りを舞うだろうか、と考えた。四条大橋の欄干には観光客や恋人たちが鈴なりになって、それぞれ鴨川の景色をバックにスマホ での記念撮影に余念がない。河川敷に張り出した居酒屋の川床はビール・グラスを傾けるサラリーマンたちで満席だ。鴨川の夏の空は広く、まだ明るい。が、夕 焼けのオレンジに徐々に染まりつつある。そんな景色を横目で通り過ぎながら、四条河原町の交差点へ向かった。

 交差点の南東、マルイ前。はじめは百人もいなかったろうか、 SEALDs の学生スタッフからプラカードや活動のブックレットを受け取り、ちょっとづつ前へ、前へ、と言われているうちに、気がつけば植え込み前の壇上から二列目ほ どに立っていた。見渡せば学生ばかりでなく、SNSの告知を見て馳せ参じたといったふうの一般の人も多い。手製のプラカードを掲げた年輩の女性や、そこら の立ち飲み屋から忽然と現れたといったおっさんや、主婦や、わたしのような仕事帰りのサラリーマンたちもいる。それぞれが、それぞれの思いを持ってここへ 集まった。そこが前回の、「9条の会」主催の奈良のデモとのいちばんの違いかな。京都は奈良と同様に差別も根深いけれど、でも個としての裾野が広いような 気がする。

 はじめに拡声器のマイクを握った男子学生はまず、先日亡くなった鶴見俊輔氏を追悼し、じぶんたちはかれが小田実らとつくったベ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)の思想を受け継いでいる、と宣言した。二人目の芸大の男子学生は、「僕たちは決して1人ではありません。皆苦しんでる、悲しんでる、怒ってる。 それらの気持ちを共有しましょう」と訴えた。教師を目指しているという教育大の女子学生は、じぶんがここに立つことで教職につけなくなるのではないかと恐 れたが、でも勇気を出して立つことにした、と告白した。(そんなことはさせないぞ! と周囲から声が上がった) そして、いまでも怖くて足が震えていま す、と言った。(がんばれ! と周囲の声)  茨城から同志社へ入学したという女子学生はしっかりした口調で「わたしは安倍さんを、この国の総理大臣とし て認めたくありません!」と叫び、「わたしたちは、いまこそ、何故こんな裸の王様を作り出してしまったのか、考えるべきだと思います。」と訴えた。またべ つの造形大の男子学生は、国会中継を僕はただ黙って見ていました。与党単独による強行採決を、ただ見ていました。そしてそのあと授業で、一人一人が作品と 向き合い制作している姿を見たとき、僕は涙が止まらなくなりました。この日常が変わってしまうことを考えると僕は許せません。ただただ許せません。」と興 奮気味に語った。「私は決してペンの代わりに銃を握らせることを許さないし、健康的に育った体を暴力の応酬のために使わせることを許しません。せっかく 培った言葉を紡ぐ力を、誰かへの憎しみを表現するために使わせることを許しません。」と言った女の子もいた。教育大の実地授業やボランティアで接した京都 市内の家庭内暴力や貧困などで苦しんでいる子どもたちの話をし、「戦争になったらかれらのような弱者がまず先に戦場へ行かされる」と言い、最後にマーチ ン・スーサー・キング牧師の「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.」を紹介した女子学生もいた。

 学生たちに加えて今回、大学教授の先生も二人、登壇した。大阪大学名誉教授の三島憲一氏は「今回の法律は誰が見ても憲法違反。ある自民党の議員は本ばか り読んで何が分かるんだと言いましたが、私に言わせれば本も読めない議員に何がわかるんでしょうか。安部さん、あなたこそ、存立危機事態です」 と言って、周囲を大いに沸かせた。「政治の主体は私たち一般市民であって、安倍首相ではないんです。だから、多くの市民の反対の声を無視して、あなたが取 り戻そうとしているものは、私たちが望んでいるものではない。あなたは今、私たち市民から権利を奪おうとしている。それが、「日本を取り戻す」というス ローガンの正体です。」 また同志社大学教授の岡野八代氏は、「いま話題の同志社の岡野です」と笑わせて、学長は教員たちの選挙によって選ばれるが、たと え学長になったからといっても教育の理念は守らなければならない、だからこそ大学には自治があるのだと今回、安保法制の必要性を国会で延べた村田学長を批 判し、「わたしはかれに投票しなかったが、投票人の一人として反省をしている」と語った。「憲法尊重擁護義務があり、尊重するだけでなく擁護するのが政治 家の使命です。首相は戦争を火事に例えるという大失態。私たちは理念を見失わない、手放さない。私たちが求めていることを社会に伝えていきましょう。」

 7時頃よりぼちぼち始まり、すべてのスピーチが終わったのが8時20分頃。最終的には交差点角の五角形スペースはマルイ前のわずかな通路をのぞいてほぼ 満杯で、途中で酔っ払いのようなおっちゃんが聞き取れないコトバを怒鳴りながら通っていったのと、若者グループが「安保法案、サンセイ〜」とからかいで叫 んでいった以外は平穏であった。主催者側の発表だが、この日600人が集まったという。

 わたしはずっと群れることが嫌いであった。いまも、そうだ。悪人の組織であっても、たとえ善人の集まりであっても、集団が嫌いなのだ。善意の人々の集ま りに誘われたこともあったが、たいていはいたたまれなくなって、こそこそと逃げ出した。わたしはずっとひとりでつぶやき、唾を吐き、ときに穴を掘って社会 との関係を遮蔽した。けれども今回のデモで、学生たちがじぶんたちの等身大の声で語るのを間近に聞き、周りの自発的に集まったそれぞれもともと何のかかわ りもない人々が共に相槌を打ち、拍手をし、励ましの声をかけたりし、そこにじぶんも次第に違和感なく溶け込んでいくのを感じ、いつの間にかいっしょに声を 出したり腕をあげたりしながら、こんな「一体感」もたまにはいいかも知れないな、と思い始めていた。見れば、若い学生たちが一生懸命に語るのを見上げてい る周囲のおじさんたちやおばさんたちの顔が、みなどれだけ仕合せそうに、おだやかに輝いているか。そしてわたしはときに、この学生たちの語る平明な言葉、 かれらの真摯な表情に、思わず涙が出そうになる瞬間があった。

 考え方を変えなくてはいけない。「歴史の実時間」というものに対峙しなければいけない。傍観者であってはいけない。沈黙がクールなことだと勘違いしては いけない。芸大の男子学生が「僕たちは決して1人ではありません。皆苦しんでる、悲しんでる、怒ってる。それらの気持ちを共有しましょう」と言ったとき、 わたしはユーチューブで見たフランスのデモの歌(On lâche rien )の歌詞の一節を思い出していた。「や つらはおれたちを分断した。やつらはうまくやっていた。おれたちが連帯しないから、やつらは甘い汁を吸えたんだ」 そのとおり。みんなが「マギーの農場で はもう働かない」と叫ぶときだ。いまがその「歴史の実時間」だ。50年後、100年後には「歴史」となる。そのとき、わたしたち一人一人が「歴史の証人」 となる。

 やがて街宣アピールはすべて終わった。カンパを求める学生たちのジッパー付きクリアパックに大人たちが千円札を次々と放り込んでいる。ずっとマイク持っ ていた進行役の若者が、「みなさん一人一人がメディアになってください。SNSやいろんな手段でみなさんの周囲の人を誘ってください。みなさんが次、一人 三人づつ連れてきてくれたら、こんどは1800人になります」と叫んでいる。「また来週もやります」と別の学生が8月2日の市役所前からのデモの予告チラ シを配っている。人々は三々五々、それぞれの個に立ち返り、駅の方へ、バス停の方へとばらけていった。わたしも夜更けの四条通を軽やかに歩いていった。

2015.7.25

 

 

 



 

 

 

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