032. JR奈良駅前 生涯初の反戦デモに参加する

体感する

 

 

■032. JR奈良駅前 生涯初の反戦デモに参加する (2015.7.19)

 






 

 7月19日、日曜。人生ではじめて、デモというものに参加してきた。参加者はわたし、Y、妹夫婦、母の計5名。子は演劇部の公演の音響(効果音)データを Web で探さなくてはいけないから、と言うので留守番。

 14時、JR奈良駅東口前(旧駅舎前あたり)。最初はまばらで少ないなあと思っていたら、徐々に増えてきて、パレードが始まる最終頃には200〜300 人には膨れていたんじゃないだろうか。ただし殆どはそれなりの年輩の人たちで、若い人の姿は見つけるのが難しい。駅前に着いて、リュックからおもむろに特 製建設用ヘルメット、黒丸サングラス、バンダナを取り出して装着する。仮にこれらを「ニセ・タイマーズ・コスプレ・グッズ」とでも呼ぼう。それから今朝、 イラレでデータ作成し印刷、ラミネーター後、プラ板に張りつけたプラカード(A3)を、一枚(「いつ怒る?? いまだろ!」)はハトメに通したインシュ ロックでリュックの背中に装着し、もう一枚(「ルドルフ安倍のコラージュに“アブねえ・いらねえ”」)はハトメに紐を通して首からぶら下げた。さてそうし て、集まった人々を写真に撮るためにあちこち歩き回っていると、大抵の人は胡散臭そうな顔でちらと一瞥するか、あるいはまぼろしの珍獣でも見てしまったか のような表情になって何となく目線をそらす。まあ、こんなもんか。Yや妹や母らも、心なしか微妙な距離を保っている。

 そのうち主催者(9条の会・奈良県ネットワーク)側がスピーチしていた壇上に寮さんが紹介されて挨拶するのを見る。その後、寮さんもこちらに気がついて 合流。二人で並んだツー・ショットなぞを撮ってもらっていると、周りにいたデモ参加者のおばちゃんたちが「このプラカード、いいねえ」 「面白い格好して はるなあ」などと近寄ってきて、写メのミニ・撮影会がはじまった。ちょっと氷川きよしになった気分。

 14時40分、ほぼ予定通りにパレードが始まった。「4列で百人づつ、信号を渡ってください」と主催者が説明している。「お兄ちゃん、4列だって。“わ たしたち”でちょうど4人だね」なぞと妹が横で言う。誘導棒を持ったおそらく交番詰めの警察官が数人、前後についている。JR奈良駅から旧国道を渡って、 三条通の商店街へとパレードは進んだ。ちょうど暑さもピークの三条通は人気もまばらだ。みんな店や博物館や宝物館にでも入ってしまったのではないか。「何 でも好きなことを言ったらいいんだよ。公道で自由に叫べるのはこんなときしかないよ」と横で寮さんがわたしに言い、ひとりだけのシュプレヒコールを叫ぶ。 わたしは仕事柄、大勢の前で大きな声を出すのは馴れているのだけれど、どうも人がまばらすぎて声を出すだけのテンションが上がってこない。パレードは先頭 が早すぎて、すいすいと進む。「早すぎるよ」 「こんなさっさと進んだら、アピールにならない」なぞとあちこちで声があがる。主催者側で声を上げるシュプ レヒコールも、ちょっと文言が長かったり、リズム感がなかったりして、どうもノリが悪い。京都で見た学生たちはラップのようなノリで、如何にも盛り上がる という感じが満載だったけれどな。そんなことにはお構いなしで、隣の寮さんは人間拡声器の如く一人で叫び、叫んでいるかと思ったらすれ違った中に知り合い の顔を見つけたらしく「○○さ〜ん! ○○さ〜ん!」と突如反対方向へ走り出し、戻ってきて外国からの観光客を見つけるとシュ プレヒコールが急遽英語に変わり、「コレハ何デスカ?」と訊いてくる白人女性のグループに「 NO WAR. WE WANT PEACE! 」と説明しながら記念撮影が始まる。とにかく集団行動にはまったく不向きなタイプで、見ていると面白いのだけれど、われわれのような規律正しい平凡な人間 が同じように動き回ると大変疲れるので、しばらく放っておこう。わたしは何せはじめてのデモ参加なので、「こちら側」と「あちら側」の風景の微妙な違いに ついて、ウィトゲンシュタインのようにテツガクをしていた。つまりわたしはこれまでこうしたデモをする人を「あちら側」から眺めていたのだが、いまは「こ ちら側」から「あちら側」の道行く人―――日曜の古都・奈良の観光を愉しんでいる人々を見ている。これはたとえば、かの映画「A」で森達也氏が撮った、オ ウム信徒たちから見る世の中(世間)みたいなものか、とかあれこれ。まあそんな微妙な差異―――どちらにも交通がつながっている風景のズレのような感覚に 身を浸して、実際は黙々と歩いていたのだった。次から次へと浮かんでは消えてゆく想念はどれも漠然とし過ぎていて、容易には実を結ばない。そこがわたしと ウィトゲンシュタインとの違いである。

 猿沢池の北側をそのまま通り抜け、「一の鳥居」の交差点のひとつ前を左へ折れて、県庁前の手前あたりで「自然解散」となった(雰囲気的には「自然消 滅」・・)。デジカメの撮影データでは、奈良駅を出発してから28分ほど。いちいち京都を引き合いに出したくはないけれど、京都の三条〜四条付近で遭遇し た学生たち、一般市民、共産党系団体を交えたパレードは、八坂神社の方向から祇園を経て、四条〜三条間を鴨川をはさんだルートで二周まわって市役所へとあ がっていったから、時間的にもたぶん1〜2時間、アピール度もかなり違う。しかも日曜の京都・四条河原町あたりはもの凄い数の観光客・買い物客だ。パレー ド隊の優に数十倍の人混みが流れている。だから「アピろう」という気概がおのずと違ってくる。それに比べると今回のパレードは、なんか田舎道をのどかに行 く花嫁行列  ・・・いや、そんなことを言ったら叱られるか。しかしまあ、わたし的にはそれに近いイメージだったな。人混みがちょっと多くなったかなと思 えたのは近鉄に近い、東向商店街やもちいどのセンター街あたりに来てやっとという感じで、それもすぐに通り過ぎてしまった。加えて報道機関の姿をほとんど 見かけなかったし、これを書いている20日(月)の現在、Webで探してみても他の主要都市の報道は見るが、奈良のわれわれのパレードの記事は見つからな い。寮さんと顔見知りらしいカメラを抱えた毎日新聞社の記者が一人いたけれど、地元の奈良新聞も、奈良テレビも取材にはきていなかったと思う。この暑いさ なかに数百人の人が抗議のために集まったのに、いったい何をしているのかね。地元のメディアとして恥ずかしくないのかな。せっかくのこのエセ・タイマーズ の勇姿を撮らずに、何が報道機関だ! おれだって恥ずかしいのを我慢してこんな格好で歩いているんだぞ。

 その後、「ひむろしらゆき祭」なるカキ氷名店屋台をやっている氷室神社に寮さんを誘って移動したのだけれど、会場に着いたら結構すごい人混みで、デモ姿 のまま歩いてきたわたしに妹が「お兄ちゃん、その後ろのプラカードの角が人にぶつかって危ないよ」と言うので荷物を降ろし「ニセ・タイマーズ・コスプレ」 を武装解除したり、カキ氷の整理券があと6枚だけ残して終了とYが伝えてきたので「寮さんの分も入れてその6枚、ゲットして!」なぞと言っている間に、一 人で境内へあがっていった寮さんが元々FBでひと悶着あった一部の主催者側とふた悶着目があったらしく、石段をもどってきて「もうあたし、帰る。カキ氷 も、あたし待つの嫌いだし、ごめん。」と言い残して、「安保法案反対」のマントくんプラカードを抱えてすたすたと帰ってしまったのだった。その後、脱水症 か軽い熱射病かで自宅に帰ってから頭痛がひどかったらしいので、もともと体もしんどかったのかも知れないけれど、とにかく「敵陣」の氷室神社に誘って一人 にしてしまったのは、まったくわたしの不注意でした。おいしいかき氷でもいっしょに食べて、FBでのあれこれをちょっとでも氷解してもらいたかったのだけ ど。

 ところでこのカキ氷、全国の名店のカキ氷をマツコ・デラックスが食べる番組を先日Yがテレビで見ていてわたしもいっしょに見たのだけれど、こだわり具合 が半端ないそうで。なんといってもカキ氷で1000円もするのだから驚く。寮さんの屍を越えて手に入れた整理券を持って拝殿前にあがったら、まず手元の整 理券の番号を呼ばれるまで30分待って、それからやっと列に並んで待つことができるのだが、どれだけ並んでいなくてはならないかは分からないという。家族 5人でしばらくは待っていたのだけれど、狭い境内は整理券を持って待つ人、すでに並んで待っている人、手にした待望のカキ氷を立ったままかき込んでいる 人、その他、拝殿前で氷御籤(御籤を氷の上に乗せると文字が現れる)をひく人、会場スタッフなどが入り乱れて、もの凄い混雑である。整理券の説明をしてく れたスタッフの女性は、30分したらここに戻ってきたら・・ と言うのだが、この暑いさなかをどこかでうろうろしてまた人混みの中をここまであがってくる のも考えたらぞっとする。予想以上に人が来ちゃったんだろうけど、それはそれ。わたしも数年前に平城遷都1300年祭の計画書をつくったときは、半年間の 全日にち別の来場予測データをもとに駅からの導線や踏切の混雑度など、かなり詳細な予測を計算して出したものだ。若い人は体力もあって、人混みに揉まれて 待つのも馴れているのかもしれないけど、ある程度の年輩の人にとっては暑い中ここまで歩いてきて、おしあいへしあいするような混雑の中で二重三重に待たさ れて、挙句にようやく手にしたとんかつ定食並みの値段のカキ氷を冷房もない、人いきれのなかで立ったまま食べなくてはならない、というのははっきりいって かなり過酷。そういう意味では、来場予想や、店舗数、会場のキャパ、予想滞留時間、カキ氷の生産量など、企画段階での詰めがちょっとアバウトだったんじゃ ないかなという気もします。ある意味、不親切な会場といわれても仕方ないかも。別に寮さんと揉めたから言うわけじゃないですが。

 で、名店カキ氷を期待してしばらくは待っていたのだけれど、やがて誰ともなく「三条通りのカキ氷屋さんでもいいか〜」と言い出し、結局、整理券6枚はす べて返却して(お金はかからなかった)、氷室神社の雑踏から抜け出したのだった。けれど「三条通りのカキ氷屋さん」すらもどこも満席で一部人気の店は氷室 神社並みの行列もできていて、結局、気がついたらデモの出発点であるJR奈良駅までもどってしまい、駅中にあるモス・バーガーでマンゴーカキ氷やシェイク などを注文して、ほっと一息ついたのだった。みんなもう、へろへろであった。70歳をとうに過ぎたわたしの母親も、よく歩いたものだと思う。その後、二階 の焼き鳥屋でそれぞれ夕飯代わりの弁当を買って、できあがるまでの待ち時間に入った隣の本屋でわたしは、桜井哲夫「一遍と時宗の謎 時宗史を読み解く」 (平凡社新書)を購入した。「寝ちゃってこのまま天王寺まで行っちゃったりしてね〜」なぞと言いながら、郡山に戻ってきたのが夕方の6時近く。犬の散歩を してから、留守番をしていた子と家族三人で焼き鳥屋の唐揚げ弁当を食べた。

 以上。人生初デモ参加の、そんな日曜日でした。

2015.7.20

 

 

 



 

 

 

体感する