031. 大和郡山「綿宗」でまむし(鰻丼)を食す

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■031. 大和郡山「綿宗」でまむし(鰻丼)を食す (2015.7.11)

 






 

 東京から従兄が母の家に泊まりに来て、夕食を共にすることになった。かつてわたしをシベリアの旅へ誘ってくれた大好きだった伯父の長男である。折角だから奈良にしかないような店をと思って Web を探して見つけたのが、作家の村上春樹氏が1983年の「群像」に書いたエッセイ「奈良の味」を紹介しているこのサイト。http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-nara1.htm  そして、ここにとりあげられているうなぎ料理の「綿宗(わたそう)」 http://tabelog.com/nara/A2904/A290401/29003260/   「元々江戸の安政期から「綿屋さん」として親しまれ、明治初め頃に良質な川魚が多く獲れたことからお伊勢参りの泊まり客にふるまわれ」たという、創業 110年余の老舗料理旅館(現在は旅館はやっていないらしい)。写真で見るいでたちも連子格子の古びた建物で、じつにわたし好み。「要予約」ということ で、当日の朝に電話をすると「何とか空いている」と言うので、Web に載っていたまむし(鰻丼・2100円)とうなき(鰻巻き・1000円)あたりをお願いした。さて約束の時間、やや余裕を持って出たのだけれどなかなか辿 りつけずに結局、ぎりぎりの時間に滑り込む形となった。古代からの古い集落の路地と現在進行中の京奈和道が交錯してカーナビは役に立たない。下ツ道はかつ ての藤原京(現・橿原市)の西京極から平城京(現・奈良市)の朱雀大路を南北に結ぶ幹線道路で、現在の国道24号線と一部「合致・平行」する。http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikou/images/sub_directory/ki/ki_05/map_pdf_05.pdf   かつてわが家が住んでいた稗田の県営団地もすぐちかくにこの下ツ道が通っていたが、新しい京奈和道への進入路と古代の下ツ道がちょうど交わるあたりにこ の「綿宗(わたそう)」が位置している。車一台通るのがやっとの道である。「今にも消えてしまいそうな町なみの中にある今にも崩れ落ちそうな料理旅館だ。 暗い台所をのぞくとおばあさんが一人でうなぎを裂いている」と村上氏が書いている通りの建物は、創業当時のままだそうだがいまは使われておらず、車を南側 の駐車スペースに停めたらその近くにいまは入り口があり、裏手に別棟が建っている。堅苦しい高級な料亭という感じでは全然なくて、食べログでどなたかが書 いていたけれど「江戸や明治の田舎旅館に来たような素朴な感覚」、まさにそんな趣きの畳敷きの部屋の窓からは、ブロックで底上げされた盆栽がずらりと並ん でいる。上がり框もトイレも布団が押し込まれた部屋も、どれも懐かしさを覚える「田舎旅館」の風情。

 …鰻井のことを、大阪では<まむし>という。まむし、の語源は、まぶす──すなわち、混ぜ合わせることで、その意味では<まむし>の鰻は、本来、飯のな かへ姿をしずめていなければならない。器にまず半分ほど飯を入れ、そこへ鰻をのせた上から、もう一度飯をのせる。これが本来の、まむし、である。…… 東京の鰻と大阪の鰻の大きなちがいは、東京式はまず蒸して脂肪を抜いてから焼くが、大阪のはそのままこってりと焼く。これを大阪風とか地焼とか呼ぶが、そ れともうひとつのちがいは、東京のうなぎ屋が、あくまで鰻専門であるのに対して、大阪のは、料理のフルコースのなかの 一品として、焼物がありに鰻を出す ことである。… 

三田純市「道頓堀 川/橋/芝居」(白川書院)

 肝心の料理。まむし(鰻丼)は蓋をとると丼にびっしりと茶色にそまった米粒が盛ってあり、その中に鰻が二段重ねで身を潜めている。見た目の濃さよりは味 はあっさりとしていて食べやすい。いや、じつにおいしい。けれど量はかなりあって、母は半分近くを残して持ち帰りの容器に詰めてもらった。ひとり一切れあ たりで頼んだうなき(鰻巻き)はできたてのぬくもりがあって、こちらはあっさりと上品な感じ。まむしがちょっとどっしりした女将さんなら、うなきは夏休み で家業を手伝っている大学生の可憐な娘さんといった感じかな。いや、そんな娘さんは現実にはいませんでしたが(^^)  たっぷりの急須にお茶も充分で、 料理を運んでからはいくらでもご自由にという、この程よいほったらし感も良い。ほんとうにじぶんが国許を出てきてこれからお伊勢参りに行く途上の旅人のよ うなそんな錯覚さえ覚えてくる、平凡な地方都市のあわいに隠れたまぼろしの集落のまぼろしの宿のような店。出がけに洒落た作務衣姿の女将さんに話を訊いた ら、かつてはちかくの川で魚やタニシなども採れたという。いまは井戸水をひいて鰻を入れているとのこと。川魚、というとわたしはかつてのサンカの生業とも 重なり、なんとなく心がときめいてしまう。街道沿いの創業以来の建物は、昔からの馴染み客から「ぜひ残しておいて欲しい」と言われていて、「そう言われ て、気がついたらもう30年近く経ってしまった」と笑っていた。いまはときどき手入れをしているくらいだとか。奈良に来てもう10年以上になるが、こんな 近くにこんな「秘境スポット」があるとは気がつかなかった。まさに知る人ぞ知る秘店、である。この次はYの義母や義父を連れていってあげたい。

2015.7.11

 

 

 



 

 

 

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