014. 春日大社・若宮祭「お旅所祭」

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■014. 春日大社・若宮祭「お旅所祭」 (2008.12.17)

 






 休日。午後から春日大社・若宮祭の中心神事である「お旅所祭」を見にいく。若宮祭というのは春日大社の末社である若宮 神社に祀っている御子神を一日だけ、お旅所と呼ばれる仮の宮にうつしてさまざまの神事を執り行なう行事であり、一般には古式を伝える伝統行列が市内を練り 歩く「お渡り式」が有名で数年前にわが子もその稚児行列に参加したものだが、これらはもともと若宮神のもとへ参ずる芸能集団の社参の列をあらわしている。 近鉄奈良駅前でその「お渡り式」の見学を終えたと思しき人々とすれ違う。小雨ふる興福寺境内を抜けて、一の鳥居を抜けたすこし先。参道沿いの雑木林の一角 に「お旅所」はあり、萱葺きのつましい行宮を前に約五間四方の芝舞台が設けられ、両端で篝火が燃やされている。一説にはこの御子神、春日大社の背後の三蓋 山に住まうとも謂われる。もう十年も昔であったが、鹿の群に誘われてわたしは神域であるその三蓋山の山中を徘徊し、あとで山蛭の巣窟であると聞かされて思 わず背中がむず痒くなったものだった。「お旅所祭」は神遊(かみあそび)とも謂い、もろもろの芸を人間が舞い、歌い、演奏し、神さまに愉しんでもらう一夜 だ。午後3時半頃、春日大社の巫女たちが「しずしずと舞う」神楽からこのスペシャル・ショーはスタートする。このあたりは雅(みやび)すぎて、不粋なわた しには少々退屈だ。わずかに、白拍子やアルキ巫女といった春もひさいだだろう漂泊者たちを連想し、「神秘を宿した女たちをものにしたいという欲望が、古代 の男たちにもあったろうな」と思ったくらいだ。続いて東国の風俗舞といわれる「東遊(あずまあそび)」。そして猿楽とも縁が深く、世阿弥が12歳の折にこ のおん祭で見て感服したといわれる「田楽」と続く。わたしが最も感じ入ったのは、その後の「細男(せいのお)」と「神楽式」である。細男は筑紫の浜で海中 から現れた磯良という神が舞ったとされる。そのとき顔面に貝殻が附着していたので、顔を布で覆って舞ったのだ。磯良は海人系の阿曇氏の祖神とも伝わり、ま た傀儡やその後の人形浄瑠璃のルーツともいえる夷舁(えびすかき)とも深いかかわりがある。白い浄衣を身にまとい、目の下からやはり白布を垂らして退きな がらしずかに単調に拝舞を繰り返す舞はやはり独特の不思議さ、仄暗い謎を秘めた威厳がある。面をつけない略式の翁舞「神楽式」を舞うのは、6世紀後半に活 躍した秦河勝を遠祖とし、大和猿楽の源流を伝える金春流の能楽者だ。これも厳かな佇まいとストイックな所作が、何か心根に響くものが多分にあった。翁とい うのは宇宙との合一を司る象徴であるという話を以前にどこかで読んだ記憶がある。風俗舞のひとつである「和舞(やまとまい)」を経て、「舞楽」へと移る。 約3時間が経過した。舞楽は飛鳥時代頃より朝鮮半島や中国大陸から伝わったもので、いわばオリエンタリズムの芸である。原色のきらびやかな装束や仮面、鉾 等が目を惹くが、「細男」や「神楽式」のような、彫琢された厳かさがない。「振鉾三節」「萬歳楽」「延喜楽」と三つほど見て、退屈になってきた。半身雨に 濡れた身体も、そろそろ寒さがこたえてきた。午後7時頃、まだ宴たけなわのお旅所を後にした。暗い芝生の中を抜けて登大路へ出ると、テキ屋の男女が歩道に つけたトラックに屋台を仕舞いこんでいるところだった。車のナンバーを見れば「北九州」の文字。かれらもまた神遊の端役たちである。

 

若宮神社とおん祭 http://www.kasugataisha.or.jp/onmatsuri/wakamiya.html

おん祭 〜雅楽を中心として〜 http://www.cam.hi-ho.ne.jp/nobuchi/onmaturi.htm

海人と俳優(わざおぎ) http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ama-wazaogi.htm

能・金春流 http://homepage2.nifty.com/komparu/

2008.12.17

 

 

 



 

 

 

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