013. 新世界・浪華クラブ 「市川おもちゃ劇団」

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■013. 新世界・浪華クラブ 「市川おもちゃ劇団」 (2008.4.22)

 






 19日。東京からSさん、友人のAが来る。子を入れて4人(Yは風邪気味)、車で吉野山奥千本ー洞川温泉ー天川神社ー丹生川上社。夜はYも加わって近所のサンマルクで夕食。

 翌20日。同じメンバーで大阪新世界。ジャンジャン横丁で串かつを喰い、待望の浪速クラブで3時間強の歌と踊りと芝居のショーを愉しむ。その後、わたしは子を連れて天王寺動物園。AはSさんを難波のくいだおれへ案内する。夜はわが家で焼肉。

 21日。Aを西ノ京へ送り、泥だらけの車をSSで洗車する。昼から出勤。

 

 

  通天閣のすぐ横にある浪速クラブは、わずか百席ほどの小さな劇場で、その外形も中世の河原に建てられた芝居小屋に似ている。近くの釜ケ崎の日雇い労働者な どがよく来るので料金も格安である。一流の歌舞伎は二万円もするが、ここは千二百円で、最後の総踊りの一時問半だけなら六百円である (飛田新地に近い OS劇場にもよく通う)。
 それでもこの小屋には短い花道もあって、役者と観客の距離感が全くない。しかも演目の大半がアウトロー物か股旅物である。故あって、この世のウラ街道を歩む「制外者(にんがいもの)」の人情話である。その幕切れのはとんどは、「人と人との悲しい別れ」 である。
 台本はすべて座長の頭の中にあって、脚本は文字化されていない。昼と夜の二回公演で、演目は日替わりであるから、一ヶ月の興行でざっと六十本の出し物を 演じなければならない。舞台稽古をやる余裕もないから、新作もぶっつけ本番である。それだけでも頭が下がる思いがする。
 平日では、昼夜で客がわずか数十人という時も少なくない。しかも売り上げの木戸銭は、小屋主と一座で半々に分ける。小さな一座でも十数人の役者がいるから、こんな実入りではその日の食費や宿銭にも事欠く。

 先日も久万ぶりに大阪に帰ってきた「市川おもちゃ」一座を観てきた。彼は十八歳で座長になった芸達者で、私の贔屓のひとりだ。土曜日の夜だったので超満員。かぶりつきにはペンライトを振りかざすオバチャンたちが数十人陣取っていて、あちこちから掛け声が飛ぶ。
 総踊りに入る前の 「中入り」 では、必ず座長が挨拶する。その口上で「関東から東北、それから北海道を旅して、一年半ぶりに大阪に帰ってまいりまし た。今夜は久万ぶりの大入りで、一座一同心から喜んでおります」と述べて、深々と頭を下げた。観衆は「いつまでもがんばれよ」と声援をかけ、長い拍手を 送っていた。

 夜八時半の終演の際には、役者全員が小屋の入り口に勢揃いして、舞台姿のままで、お客さん一人ひとりと握手して言葉を交わす。こんな濃密な人間的コミュニケーションが、まだ遊芸人の世界では生きているのだ。

沖浦和光「旅芸人のいた風景」(文春新書)

 

 

■ 当日プログラム

第一部 前狂言「恋慕男花」

第二部 切狂言「静岡土産」

第三部 グランドショー
1「繁盛ブギ」(市川 司・市川やんちゃ・市川大地・市川久美子・市川舞子・市川やよい)
2「母讃歌」(市川おもちゃ座長/女形)
3「丹後の宮津節」(大川龍子)
4「夏恋囃子」(市川おもちゃ座長/女形・市川やんちゃ・市川久美子・市川舞子)
5「川」(市川 司)
6「花」(市川大地)
7「大川流し」(市川おもちゃ座長・市川恵子)
8「ヤン衆挽歌」(市川やんちゃ・市川舞子)
9「純恋歌」(市川おもちゃ座長)
10「不如帰」(大川龍子/歌)
11「娘炎節」(市川やんちゃ/女形)
12「花街道」(市川恵子)
13 ラスト舞踊「おもちゃのまつり」(全員)

 

浪速クラブHP http://www.naniwaclub.jp/

市川おもちゃ、わんだーランド http://pksp.jp/sin55kun/?o=0&km=&ps=

2008.4.22

 

 露天カラオケ屋のなくなった妙に小奇麗で醒めた悪意を感じる天王寺公園横の歩道を抜ける。天王寺動物園の前、新世界の とば口。浪速クラブはその道筋を北へ数分歩いた角にある。午前10時半すぎ。興行祝いのスタンド花が立ち並んだ芝居小屋前にはすでに十数人の人が開場を 待っていた。レトロな食券販売機のような自販機でチケットを買っている。大人1200円、子ども600円(前売り券は1000円)。子が路上で転んで膝を 怪我したので、大きめのバンドエイドを買いに薬局を探す。通天閣の下で漫然と立っていたおっちゃんに訊くと「あっちにある」と教えてくれた。その間にAが チケットと、整理券を貰ってくれた。自転車の荷台を利用して将棋をしているおっちゃんたちの横で子の手当てをしていると、見知らぬ40代くらいの男が寄っ てきて、無言のままAに整理券を押し付け、また芝居小屋の入り口へと戻っていった。整理券は2番である。「何でおれにくれたんだ?」Aはとまどっている。 「さあね、タイプだったんじゃないの?」わたしが答える。入口で整理券の番号が叫ばれ、客たちが吸い込まれていく。Aは結局、「2番」の整理券は使わな かった。入口で子におばちゃんがイチゴ味のキットカット(ミニ・サイズ)の小箱を渡してくれる。子どもだけのサービスかと思ったら、わたしにもくれる。古 い映画館のような木製の折りたたみ座席が並んでいる。真ん中は予約席で、舞台向かって右端の座席に当日券の客が詰められていく。反対側の端には縦に細長い 桟敷席がある。とりあえず席を確保すると、後ろからSさんがわたしと子に百円玉をひとつづつ渡してくれる。座布団代を用意しておくようにと入口で言われた のだと言う。しばらく待っていても誰も来ないので、通りがかった小屋のおばちゃんに訊ねると、ホームセンターで売っているような茶色の座布団を4つ持って きてくれた。周りを見ると敷いている人はあまりいない。「希望する人は」ということだったと知る。当日席がほぼ埋まると「はいみなさん、もう席を離れて頂 いて結構ですよ」と声がかかる。開演は12時なので、その間に食事でもご自由に、というわけだ。座席にキットカットなどを置いて席を立つ。芝居小屋を出 て、しばらく新世界のメインロードをぶらつく。ビリケン生誕百周年とかであちこちの店頭に巨大なビリケン像が出ている。ジャンジャン横丁に入ったすぐあた りの小さな店で串かつとどて焼きを食う(有名な八重勝はすでに行列が出来ていた)。Aは昼間から焼酎を飲む。串かつは5,6本食べたら、もうお腹が膨れ た。子が残した3本を持ち帰りに詰めてもらい、そろそろ時間だと浪速クラブへもどる。客席の照明が落ち、拍子木と共に幕が引かれる。古びた客席は饐えた小 便の匂いがかすかに匂う。小屋全体に沁み付いた体臭のようだ。はじめに任侠時代劇の「恋慕男花」。親の顔も知らず育てられた岩五郎(市川おもちゃ)は親分 の娘(市川舞子)との祝言が決まっている。が、そこへ他の組から修行に来た清治(市川やんちゃ)に娘は心を寄せ始める。組の姉御(市川恵子)が清治に「組 と岩五郎のために黙ってこのまま国へ帰ってくれ」と頼んだ直後、岩五郎は清治を闇討ちする。そして祝言の日。ある女中のもとでひそかに怪我の手当てをされ 回復した清治が乗り込んできて、真相が明らかにされ、祝言は取りやめとなる。岩五郎は清治と斬り合い清治を負かすが、とどめを差そうとしたその時に姉御が 「岩五郎! 男だぞ・・・」と声をかける。岩五郎は我に返り、苦渋の末にみずから腹を切って果てる。これはディランやジョニー・キャッシュが歌う西部のア ウトロー(流れ者)の悲劇譚ではないか。悲しくも、美しい。弱さも醜さも抱えた岩五郎は、葛藤の末に死んで男を見せる。迫真の演技に、わたしは胸を突かれ た。こんな惨めな流れ者の歌は、実にもう古いレコードとこの新世界の小便臭い芝居小屋にしか残されていないのではないか。「岩五郎は死んで落とし前をつけ たんだよ」わたしは子に説明する。「オトシマエってなに?」 「じぶんのやったことに対して責任をとったということさ」 続く「静岡土産」は一転して現代 劇のコメディーである。今日が初芝居の新作だったらしいが、剥げ頭のかつらをかぶった市川おもちゃが先ほどの岩五郎だとはじめは気づきにくいくらいの変わ り様だ。ちょっと吉本喜劇風。それから後半のグランド・ショーは劇団員総出演で、まさに歌あり踊りありの艶やかな舞台が続き、これも愉しい。色っぽい女形 に身を扮して踊る市川おもちゃの帯や胸元に、客席のおばちゃんが一万円札を挟み込む。遊女であった出雲の阿国がはじめた女歌舞伎(かぶきの語源は傾(か ぶ)くであり、日常から突出した異形な様をいう)が風俗を乱すということで禁じられ、代わりに男が女を演じるようになったのが女形の始まりらしいが、性の 逆転したこの倒錯感というのは確かに妖しくぞくぞくとさせるものがあるね。途中で劇団の誰かの子どもらしい、2歳のいわく「劇団のマスコット」の女の子も 出てきて紹介される。一人の熱心なファンらしい老婆が、この女の子の胸元にも折り畳んだ万札を差し込み、抱き上げて「商品には触らないでください」なぞと アナウンスが流れる場面もあった。幕間の休憩時間にはいちど、役者たちが客席の間に入ってきて明日以降の前売り券を捌く。舞台姿のまま、お客さん一人ひと りにチケットを手渡しながら「ああ、今日も来てくれたの、お客さん。毎日欠かさず通ってくれて・・・」などと言っている。弁当売りも来る。450円くらい のおにぎり弁当で、それを頬張りながら芝居を見ている客たちもいる。最後の舞踊「おもちゃのまつり」の前に、座長の市川おもちゃが出てきて挨拶をする。 「今日は有難いことに大入りですが、明日は月曜日。月曜日になると不思議なことにこれだけたくさんのお客様のほとんどがどこかへ消えてしまうんですよね え」と笑わせていたが、実際、平日の客の入りは厳しい状況なのだろう。舞台がすべて終わったのが午後の3時過ぎ頃。およそ三時間半の盛りだくさんの舞台で 1200円の席料は感動的ですらある(おまけにキットカット付きだ)。お客が退席するときは沖浦氏も書いているように「役者全員が小屋の入り口に勢揃いし て、舞台姿のままで」握手をし、見送ってくれたらしい。わたしは生憎、子をトイレに連れていっていたので(身障者用のトイレがないので、小屋の人に断わっ て女性トイレにわたしも入らせてもらった)、すでにみな小屋前の路上で三々五々散らばり、ファンの客と話をしたり、いっしょに写真に収まったりしていた。 わたしは子に、座長の市川おもちゃと写真を撮らせてもらおうかと言ったのだが、子は「別の人がいい」と言う。「だれだい?」 「あの人がいい」 子が指差 したのは清治役をやった若い市川やんちゃである。「すいません、この子といっしょに写真に入ってもらえますか?」 そうして撮った写真を、帰ってから子は 三枚プリントしてくれと言う。一枚は日記帳に貼り、一枚は友だちのTちゃんにあげる。残った一枚を畳の上に寝転がっていつまでも眺めている。ところでわた しはといえば昨日、ちょうど大阪へ巡察の仕事があったので、あわよくば早めに仕事を切り上げて新世界へ・・・とひそかに目論んでいた。市川おもちゃ一座の 大阪公演は今月29日までで、次は四国へ移動するらしい。残念ながら(案の定)仕事は長引いて、5時の開演には疾うに間に合わず諦めたのだが、あの空間が ひどく懐かしく思われて仕方ない。あの饐えた小便の匂いが体臭のように沁み付いた芝居小屋で、わたしは本来のじぶんになって息をつけるような気がするの だ。あやかしの非日常が日常を救う。かつてアメノウズメが踊り狂ったシャーマンの舞を、かれらは今宵もどこかの町の芝居小屋で舞い続けている。

2008.4.24

*

 13日。予定通り、仕事を早めに切り上げて大阪生野区の明生座に市川おもちゃ劇団の公演を見に行った。JR環状線の桃谷駅から東へ伸びる狭いアーケードの商店街を抜けて行く。このあたりは子が最初の手術をしたときにウィークリー・マンションを借りたところで見覚えがあった。確かこの商店街の中ほどにある古書店(というかリサイクル屋)で大逆事件に連座した新宮の医師・大石誠之助の 評伝を買った。すでに大阪独特、いやさらにディープな雰囲気が匂い立っている。昔ながらの店の軒先に並んだ揚げ物や惣菜、豆腐、ホルモンなどがわたしの心 を和ませる。子供の頃に近所の精肉屋に遣いに行って揚げたてのコロッケをおまけに貰ったりしたことなんかを思い出す。商店街を抜けると二車線のやや広い通 りに出る。ここから先が猪飼野、 いわゆる生野コリアン・タウンである。しばらく下町風情の----しかし東京の下町よりさらに路地も区画も狭く密度の高く感じられる住区を適当に、5分ほ ど進んでいくと目指す御幸森小学校沿いの明生座の前に出た。家々の間にぽつぽつと商店が散らばった、近所の商店街といった感じの通りで、道幅も対向はちと 苦労するといった塩梅。新世界の芝居小屋のときには二時間前くらいから席取り入場ができ、開演までどこかで食事でもといった感じだったので早めに来たのだ が、ここは開場30分前にならないと窓口も開かないらしい。まだ人の気配さえない。仕方なく御幸森小学校の角の路地を南へぶらぶらと入って行くと、住宅に 取り囲まれた風の小さな公園があったので、ベンチに腰かけ、モバイル・ノートPCを膝の上に置いて上司や支社に送るメール文などをしばらく打った。キャッ チボールをしている小学生に路地から現れたいかつい体のあんちゃんが「5時になったら声、かけたるわ」と言葉をかけていく。公園に隣接した民家からは一見 諍いをしているような独特のイントネーションの主婦同士の会話が間近に響いている。低いモーターの音を立てた狭い作業所でゴム製品の作業をしている女たち が見える。30分前になって明生座に戻り、チケット(大人1600円)を買って席に着いた。入口で座長の写真が入った団扇を貰う。まだ建って間もない、新 しい公民館のような建物で、新世界の小屋のような雰囲気はない。客席は140席ほど。最終7〜8割ほどが埋まって、そのほとんどは60代のおばちゃん連中 だ。会話を聞いていると連日見に来ている人もいるらしい。すでに開場前に並んでいるときからそうだったけれど、スーツを来ているわたしのような存在はひど く浮いて見える。公演は歌と踊りのショーが一部、喜劇風の時代劇芝居が二部、最後に座長・市川おもちゃによる女形七変化を含む歌と踊りの三部構成で、その 間に口上や次回以降のチケット販売、劇団グッズの拡販、休憩などがはさまって述べ三時間は新世界と変わりがない。それにしても何だろうね。一見、どうとい うことのない大衆芝居と歌と踊りのショーなのだが、それらを見ているわたしはひどく居心地がいいのだ。心持ちがとても落ち着く。なぜじぶんがかれらの舞台 に惹かれるのか正直よく分らないところがあるのだけれど、ひとつだけ分るのは、わたしがふだん「居心地がいい」ものとは正反対のものに囲まれている、とい うことなのかも知れない。安心するんだな。毎日見に来ようとは思わないが、半年に一度くらいの周期で、たぶん無性にかれらの舞台に接したくなる。年配の市 川恵子や大川龍子の舞や所作には、かつての芝居小屋の名残が感じられてその味わいがいい。若い市川おもちゃや市川やんちゃは、そこにかれらなりの新味をブ レンドして模索している。今回は場所柄か、きらびやかなチマ・チョゴリや沖縄の民族衣装を着て踊る場面もあったけれど、とにかくごった煮だ。客の入りは当 然だが即、実入りに直結する。口上で深々と頭を下げ、何度も「明日の公演にもぜひ」と誘い、団扇やせんべいを振る舞い、飽きられないように様々な趣向を 練って次の舞台に取り入れる。そこにわたしは必死に生きた、かつての遊行民の姿を思い重ねるのだ。つまりかれらは往古に手製の暦をつくって売りさばいた陰 陽師や、人形を木箱に入れて担ぎ村々を経巡った旅芸人や、啖呵売や香具師、それにギター一本で魂を語り歩いた海の向こうのシンガーたちーーージョン・リー やハンク・ウィリアムス、ジミー・ロジャース、ウディ・ガスリーらともつながっている。最後の女形七変化が終わった途端、役者全員が客席横の花道をすっ すっと抜けて小屋の出口に回り、帰る客を見送る。わたしも座長の市川おもちゃに「とても愉しかったです」と言って握手をして、小屋を出た。夜9時。闇に包 まれた、人の濃厚なぬくもりを感じる猪飼野の路地をとても幸福な気分でゆっくりと闊歩する。魂をリカバリしたような気分。すでに殆どのシャッターが閉まっ てひっそりと静まり返った桃谷の商店街を抜け、駅前に近い王将に入って生ビールと餃子定食を注文した。カウンターの隣に座った男がビールと野菜炒め、餃子 二人前を頼んだのを見て、回鍋肉をあてに酒を飲んでいた60がらみの痩せた小男が「なに、あんた、それぜんぶ食べられるのかい?」などと話しかけている。 「おれは今日はとっても腹が減っているんだよ」 「そうか。でも、あんた、ほんとうにそれをぜんぶひとりで食べられのかい? おれはこの一皿だって食べ切 れないのに」 「あんた、昼間は何をしてる?」 「昼間ったって、年金暮らしだから、とくべつ何もしてないさ」 「だからさ。何もしてないから腹も減らな いんだよ」 「そうか、そういうわけか」 「そうだよ」 「で、あんたはほんとうにそれをぜんぶ食べちまうんだな?」 「そうだよ。おれは今日はとっても 腹が減っているんだ」 桃谷はまるでヘミングウェイの短編の世界のような街だ。

猪飼野探訪会 http://ikaino.com/tanboukai/index.htm

猪飼野合衆国 公民館 http://kouminkan.ikaino.com/

sinyoungの日記 http://d.hatena.ne.jp/sinyoung/

2008.10.14

 

 

 



 

 

 

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