012. 阪急梅田 榎並和春 個展

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■012. 阪急梅田 榎並和春 個展 (2007.2.1)

 






 休日。朝、子を園のバス停まで送る。戻ってからYと二人して自転車ででかける。駅前で分かれる。彼女は聖書の勉強会へ、わたしは大阪行きの電車に 乗り込む。車窓の景色を眺めながら、Mp3プレイヤーでディランの Slow Train Coming を聴く。声(ボーカル)の抛擲について考える。自我より発していた声(ボーカル)を、微妙なバランスと緊張感の中で「おおいなるもの」に委ねればこんな歌 い方ができる。声(ボーカル)は垂直に投げ出されている。「あなたの光で照らしてください。わたしは無力で、何も見えません」 養豚場の豚の一匹のように ホームへ吐き出される。オーウェルの豚の方がまだ巧妙で賢かった。泥を喰らい革命を夢見ていた。イアホンの音楽をマディー・ウォーターズの Electric Mud に変えて交差点に立つ。イカレた痙攣下手ウマギターにブルース親父の声が脳髄を直撃して、街をひっくり返すようなスリルを覚える。クールでタフになれるか ら、あんたも試してみな。百円ロッカーに潰れた魂をいっとき預けられる。ヨドバシカメラを一時間ほどほっつき歩いてから何も買わずにはるさんの 絵に会いに行く。はるさんの絵は中世の写本に描かれた聖書の挿絵のようだ。白いキャンバスではなく地下のカタコンベの鈍色の岩盤層から人物は浮き上がって 見える。その誰もが古いドラマを隠し持っている。首のひしゃげたヴァイオリン弾きがいる。燃えるような瞳の家畜を連れて砂上に立ち尽くす少年がいる。楽屋 裏で復活の舞台を目論んでいる老いたピエロがいる。この世の果ての通奏低音のような角笛を吹くさみしい黒マントの男がいる。ときに岩盤から浸み出した地下 水が涙のように漏れ伝う。どれもこのやくざな心根に馴染んで近しい。ひとつだけ心に引っかかって解けない謎のような絵があった。「道化・あそびをせんと」 と題された一枚だ。「これがいちばんいいですね」と画家に言った。産み立ての卵の黄身のような朱の中に道化姿の人物が佇んでいる。その絵の前に立つと、未 完成のパズルのピースのような断片が顕れては消え顕れては消え、定まらない。「これはいまのスタイルが固まり始めた原初の溶岩のはしくれ」と画家は教えて くれた。画廊を辞して、ひとり阪急百貨店裏の歩道に放たれる。イアホンから注がれたディランの Chimes Of Freedom が路上に花のように咲き溢れた。それで分かった。あの朱は Bringing It All Back Home のレコード・ジャケットの赤だ。初々しく、狂おしい、いまだ未知の何かが生まれ出ようとしている予兆のような絵なのだと。おずおずとした、ためらいがち の、だが颯爽とした不思議な足取りで。それがいまのじぶんを照射したのだ、と。改札口でワッフルを手土産に買って帰った。子は玄関にすっ飛んできて、つん のめり「うれしさのあまりに力がとめられなかった」と言って笑った。「それはお父さんが帰ってきたうれしさかい? おみやげがあるかも知れないうれしさか い?」 紅茶を入れて、三人でワッフルを食べた。関東に住む知り合いの老牧師氏から書籍と手紙が別便で届いていた。書籍は81歳になった老牧師氏が自費出 版ではじめて上梓した美しい装丁の説教集だった。それを発送した翌日にわたしからの手紙が届いた。わたしが京都で頂戴した「無者キリスト」の小池辰雄氏はその晩年に老牧師氏が親しく交わった「信仰の師」であり、「お手紙を拝見し、神の摂理には人知の及ばないものがあることを改めて痛切に感じました」と記されていた。

2007.2.1

 

 

 



 

 

 

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